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ヒューリスティックスとバイアス

ヒューリスティック(heuristic)とは、必ず正しい答えを導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る簡略化された方法である。また、答えの精度は保証されないが、回答に至るまでの時間が少なくて済む。

こんな風にwikipediaに書かれていた。

人間の意思決定の多くは、ロジカルに積み上げてというよりは、ヒューリスティックな方が多いと思う。

で、ずっと昔にブログに書いたことがあるのだが、探しても出てこなかった。

って、どんなことかというと、年を重ねると、いろいろな経験をする。言葉の意味だったり、感情だったり、経験を通して言葉の本当の意味を知っていく。本当の意味といっても個人ごとに経験が違い、言葉の意味はその人それぞれの本当の意味が出来上がる。

ただ、これって、「決めつけ」にも似た意味合いもある。自分の中で固定観念ができてしまうこと。固定観念があるというか、経験を通してひとつ意味を深く知ることによって、抽象的な意味合いが薄れ、他の意味合いが薄れていく。もちろんメリットも大きくて、言葉の意味が特定される(決めつける)ことによって、脳の中での処理が早くできたりもする。これが経験値というやつで、ヒューリスティックというやつなんだろう。

認知バイアスとか、こういったことに非常に興味がある。人間には、このバイアスがあることを知った上で、できる限りフラットに意思決定をしていきたいと思う人間なのだ。

なんで、こんなことが昔から気になるかといえば、ディベートをやっていたからだろう。あるテーマに関して肯定でも否定でも自分の意見は置いておいて、論理的にどちらの主張もできるように調べてロジックを作るゲームをしてきたから。だからこそできる限り、自己客観視をしてみる、してみたい、それがより良いと思っている。

もちろん主観が大切だが、ある程度の自己客観視がない(自己客観視能力のない、その発想すらない)人の主観の主張は他者にとって迷惑でしかないと思っているからだ。

念のため、重要ことほど、人間は感情で決めるし、幸せというもの自体が感情であり、それを得るためには感情で決めるのが一番いいのだが、ここで書いているのはビジネス的な意思決定においてということです

偶然、ココナラの南さんがオックスフォードに留学されていた頃のブログを見ていて、そういった認知バイアスについてまとめられていたので、メモをかねて。

一文字目に影響をうけすぎてる
頭が硬くないほうがよいようで、ないとワクワクしない
仕事を速く的確にするコツ

送信者 鹿島槍ヶ岳から白馬鎗温泉5日間縦走

ココナラの南さんのブログより

☆attribution theory(帰属理論)
人が誰かの行動を観察した際、その行動が内的要因と外的要因のどちらによってなされたのかを無意識に判断しようとする。
(例:同僚が会社に遅刻した際、寝坊なのか、電車が遅れたのか、事実を確認することなく判断しようとする)

☆fundamental attribution error(根本的な帰属の誤り)
誰かの行動を判断する際、実際よりも外的要因を少なく見積もり、内的要因の影響を大きく見てしまう。
(例:事情がわからない場合、電車の遅れよりも寝坊が原因であると判断しがち)

☆self-serving bias(自己奉仕バイアス)
個人は、成功したときは内的要因による(自分のおかげ)と考え、失敗したときは外的要因(他人・環境のせい)によると考えがちである。

☆selective perception(選択的知覚)
その人の興味・経験・態度をベースに選択的に物事を知覚・判断する偏向。
(例:勉強嫌いの人は、「勉強は必要ない」という意見はそのまま正確に理解しようとし、「勉強は必要である」という意見は無視・過小評価・批判的解釈をしようとするような、何でも自分の都合のいいように捉えてしまう偏向)

☆halo effects(後光効果)
被評価者の著しい一つの特徴に対する評価のために、他の 部分への評価が影響を受けてしまいがちになる、という効果。
(例:難関大学出身で学力が高いのだろうから、企画力・営業力・コミュニケーション能力も高いに違いないと無意識に判断してしまう)

☆contrast effects (比較効果)
誰かを評価する際にその直前に会った人との比較で評価してしまう効果。
(例:話が面白い人と会った直後に別の人と会うと、実際以上につまらない話をする人に感じてしまう)

☆stereotyping(固定観念)
特定のグループに所属している人について、そのグループ全体の傾向・印象を個人にもあてはめてしまいがちな効果。
(例:この人は老人だから新しい知識や技術を身につけることができないに違いないと判断してしまう)

☆self-fulfilling prophecy(自己充足的予言)
他人に対する期待が、相手のやる気を引き出し、現実化する傾向。
(例:教師が生徒に期待することで、生徒の成績が向上する傾向。逆もあり。)

☆bounded rationality (限界のある合理性)
複雑な物事をすべて理解しないで特徴的な部分のみから判断する合理性。
(例:受験する大学を選ぶ際に、日本の大学すべてについてありとあらゆる詳細情報を調べようとはしないで主な項目だけ比較する)

☆availability heuristic (入手容易性による発見的理解法)
想起しやすい事項に基づいて判断をしてしまう偏向。
(例:自動車事故による死亡の方が飛行機事故の死亡よりもはるかに少ないにもかかわらず、飛行機事故の方が印象が強く想起しやすいため飛行機に乗ることの方をより怖がってしまう)

☆representative heuristic (代表的症例に基づく発見的理解法)
典型的だと思われる事項の確率を高めに判断してしまう偏向。
(例:NBAに黒人プレイヤーが多いため、実際にはNBAに入れる可能性は限りなく低いにもかかわらず多くの黒人の若者が自分たちは比較的NBAに入りやすいと思ってしまう偏向)

☆escalation of commitment (傾倒の深刻化)
現在の選択に否定的な情報を得ても、過去に費やした努力から現在の選択を正当化してしまう傾向。
(例:5年連続で弁護士試験に落ちても、こんなに頑張ったんだから今更止められないとそのまま何年も努力を続けてしまう)

共産主義と資本主義

走っている時はだいたい考え事をしている。
あるテーマについて考えようと思って走り始めるときもあれば、走っていてふと気になることが浮かぶ時もある。
ただし、トレイルは地面や垂れ下がっている木枝、動物などに意識を向けているので、あまり考え事はしない。

先日のナイトリレーマラソンを走りながらふと考えが浮かんだことがある。

それは「共産主義」と「資本主義」。
なぜまた?と言う感じだが、走りながら考えが浮かんだ。

今回参加した12時間リレーマラソンが共産主義で、普通のフルマラソンが資本主義に思えて来たのだ。
それは、対比としての比喩表現であるのはもちろんだが、構造が似ている気がした。

リレーマラソンは12時間という「時間制限」の大会を、ここでは指している。
マラソンは42キロと言う「距離制限」の大会を意味している。

「時間制限」
だらだらしても、一生懸命走っても、終了時間がくれば終わり。
今回の12時間リレーマラソンで俺はダラダラしてしまった。
実社会において、共有するということは、個人所有があった上で成り立っている気がする。リレーマラソンは個人所有の積み上げであり、共産主義的な感じがする。

「距離制限」
頑張って速く走れば、早く終わる。
自分の努力次第で、ゴールに近づける。
ゴールまでの時間は自分次第でどうにでもなる。
だから怠けない。
先日の、忍野トレイルレースでは、32キロと言う距離を精一杯走った。

そんなイメージで、このリレーマラソン大会は共産主義 マラソンは資本主義と例えたのだ。

時間制限の3時間走が人気にならず、フルマラソンがこれだけ普及して人気があるのも、そこにある気がする。そことは、人間の根源的な欲求。達成欲であり、時間を縮めたいと思う人の方が多数であると。

来週から、キューバに行ってくるので、昔に書きかけたこんな文章を掘り出してみた。

キューバは4月11日までに、アメリカとキューバ双方に大使館ができるという噂もある。その前に、キューバという国を見ておきたい。別に自分が資本主義だからとか共産主義者だからというわけではないが、今しかないその国の状態がある。

なんだかんだ、世界中を旅してみて、結局すべては性格に基づいている。まあ、政治とか制度で縛り上げて、性格を強制することはある程度可能であるが、やっぱり国民性と言うのだろうか、それで経済が発展するものんびりなのも決まる。もっと遡って、性格は気候とか地形とか地理的条件にも影響するなーって思うけど。キューバの陽気さは、そんなことにも起因しているし、だからアメリカと合わなかったんだろうかと想像している。

話があっちいったりこっちいったりしすぎた。

自ら終わりを決めること

自分で終わりを決めることは難しい。
最初から明確な終わり(ゴール)があれば、別だ。

100メートル走であれば、100メートル先がゴールだ。
マラソンであれば42キロ先にゴールがある。
頂上を目指す登山であれば、ゴールが明確だ。
試験なども、それをパスすることがゴールだ。

でも、そうじゃないものが生きる根幹であったりする。
ゴールがないもの。

例えば、
絵の最後の一筆をどこで終えるか。
大きな経営の意思決定をいつ行うか。
世界を旅する旅人がいつ旅を終えるか。
料理人が最後の味付けをどこまでするか。

ただ長い時間かけて料理をすれば美味しくなるとも限らず、手早く作るからこそ美味しい料理になることもある。手を込めるということは、時間が経過するということ。それによるプラス面とマイナス面。

もちろん、100メートル走にはゴールがあるが、100メートルの選手をいつ引退するかは自ら決める終わりだ。

その終わりを決めること。
自分で終わりを決めること。

どうやって決断するのか。

論理的や経済合理性などで解がでるもことは簡単だ。答えの出ないものに、いかに答えを出していくかが生きることそのものである。そこに、その人の人間性というか、人間の深みがでるんだと思う。

井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と言ったが、さよならをすることにより、人生が積み上がっていく。

そして「大切なことは、出発することだった。」と星野道夫は語った。

逆説的だが、スタートするにも終わりを決めることが重要なんだと思う。終わりを決めなければ、次の始まりはない。

送信者 奄美大島と加計呂麻島

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ただ、終わりを決めるという意思決定も大きいけど、終わりを決めないということも意思決定なのだ。終わりを決めないことによってリスクが高まることやチャンスを失うこともある。もちろん終わりを決めないで良いことがあることも。慣性というか慣れて続けていることも、本来は意思決定なんだという意識を常にもって生きていきた。

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終わりのない最後

場所と視点(a great vantage point)

MITのメディアラボで働いている友達が、帰国していたので昼から上野で飲んで色々話した。
大学は違うけど、大学時代からの友達なので、10年ちょいになるのかな。

研究の話やらビジネスの話やらアートよりの話やら。
国が違うので文化や価値観、行動基準も違うので話していて新しい発見があって面白い。
世界の頭脳と呼ばれている一握りが集まっているとされているので。

研究者といっても日本とアメリカではかなり違うなと。
同じ東大を出たポスドク研究者の友達とも感覚が違う。
どちらの友達も僕とは天地の差があるほど非常に優秀なんだが、物事の捉え方が違う。
それは、研究領域がより基礎研究に近いのか否かにもよっているとは思う。

が、やはり、場が違うと入ってくる情報が違う。
見る視界が違う。

どっちが、良い悪いではなく場が視点やスタンスに大きく影響しているなと感じる。
朱に交われば赤くなる。

東京で出会った友達でも、世界中、日本中に住んでいるが、「どうせやるなら、世界を取るという気概」「技術を知っている経営者の有無」「なんだかんだ言って優秀な人とお金の総額」あたりが、大きな差のように感じる。国内にも世界を取ると言っている人もいるが、その本気度と周囲にすでにそれを実現した人がゴロゴロいるという現実を踏まえた上での発言には大きな差がある気がする。

そして、日本の大手企業も優秀な人材確保のために動いているようだった。けど、結局メディアラボに行く人たちが求める環境があるかというと違うかもしれない。

潤沢な資金と自由な研究風土

Facebook,apple,Microsoft,google,Samsung,とかとか、いろいろあるけれど、彼らとの比較において。

あとは、やはりスタートアップも多いとか。大学側も支援するし、学生や研究者のスタンスも。まあ、やって失敗しても死ぬわけじゃないし、成功したら面白いじゃん、そんなスタンスを感じた。去年の10月だか11月にシリコンバレーへ仕事で訪れた時の感覚とも通じるものがある。

その感覚。

自分がこうなりたいという自分像があれば、それにマッチした場所に行く。それは、大企業とかスタートアップとか関係なく。

例えば、

本気でgoogleを超えたいならシリコンバレーがいいだろう。

自給自足したいなら、田舎の自然豊かなところがいいだろう。

これだけだと、当たり前。

なぜなら、極端な例だから。

こんな極端な例じゃなくても、会社選びとかも同様だなと。
まあ、これも当たり前か。

類は友を呼ぶし、類は友を呼ぶのさらなる連鎖が発生する。
そして、その場はどんどん明確な特徴を持った場になっていく。
そして、文化が生まれ、当たり前に感じる水準が高くなって、さらなる高みへと昇華していく。

ちょうど10年前に、こんなことを書いていた。
確か、シリコンバレーにいる梅田さんのブログかなんかの発言だったと思う。

a great vantage point

未来のgoogleを作るにしても、自給自足するにしても、絵を描くにしても、それぞれのa great vantage pointがあるはずで、そこに身を置くことが重要だし、将来的にはそういう場が作れる人間になりたいと思う。

さらに、つい最近、上海のスマホアプリ事情を見せてもらったり、聞いたけど、日本よりも先を行っていた。a great vantage pointは常に変わるということも忘れてはならない。

送信者 奈良田から農鳥岳ピストン

捉え方次第だし感覚は自分の中での相対性

仕事より辛いことを求めている、トライアスロンやトレランをする理由というユーセン宇野さんの話し。

僕が、トレランやトライアスロンをする理由は、こんな感じ。

一番はトライアスロンやトレランが楽しいから。

自然が美しく好きだから

日々とは違う視点をえられる。新しく多様な友達も含め。

知らないことを知りたい、やってみたい

というのに加えて、僕も宇野さんと同じ理由がある。

苦しさや楽しさ、金銭感覚だって、感覚に基づくものは自分の中での相対性による。

もっと言えば、麻痺していく。良く言えば、経験値が上がる。

死ぬほど辛いと当初思っていたことも、一度経験すると、二回目は辛くない。ハセツネの経験がまさにそう。一方で、もちろんその達成感や喜びも減る。辛さも喜びも感覚だから。

だからこそ麻痺させれば、さらに次を求めるから、どんどんたどりつけなかった新たな世界に行けるようになる。

どんな辛いことでも乗り越えたければ、もっと辛いことをやっておけば、だいたい乗り越えれる。

辛いこともゲームだと思うし、どうせなら辛いことも嬉しいことも究極を味わい、悟りに近い全く想像がつかない世界を知ってみたいと思う。まあ、これは好奇心の塊だからゆえ。

この発想になるのが心の強い人と言われるかもしれないが、誰でもこの対処法はできるから、もっと心を強くすることは自分の努力で可能だと思う。が、今の時代はそう言うと病気だからと批判される時代。強制するわけではなく、こんな対処法があるというのを、提示して気づいてもらえれば、ひとつのきっかけにはなるかなと思う。

http://logmi.jp/35037