月別アーカイブ: 2009年1月

「Iranian Blue」~寺町 健 写真展~ のお知らせ

イランから帰国して間もないですが、イランの写真を展示することになりました。

「Iranian Blue」というタイトルで阿佐ヶ谷にあるカルカッタカフェで展示します。イランを旅をしていて感じたことが大きく二つありました。1つはイラン人のやさしさ。そしてもう1つは青の美しさです。青色の中でも特に空の青、そしてモスクの青が印象に残っています。そこで、今回はイランで出会った「イランの青」を写真で表現したいと思います。

思い通りの「青」を出すのは難しそうですが、頑張って理想の「Iranian Blue」を出そうと思います。

お時間のある方は是非いらしてください。カルカッタカフェは阿佐ヶ谷にある座席数が10席程度のかわいいカフェです。
来て頂く前に、連絡をもらえれば店にいるようにします。また、家から近いお店ですので、お店について店主に頼んで僕を呼んで頂いてもかまいません。

以下詳細です。

「Iranian Blue」~寺町 健 写真展~
期間:2009年2月15日(日)~28日(土)
   月曜は定休日です
   12:00~15:30 18:00~21:30
   (15:30~18:00の間は店が閉まっていますので、ご注意ください)
   店内は禁煙となっております。
場所:カルカッタカフェ
   〒166-0004
   東京都杉並区阿佐谷南3-43-1 NKハイツ101
   詳細地図はコチラ
   最寄り駅は阿佐ヶ谷駅になります。
   カフェですので、ワンオーダーお願いします。
禁煙です。


大きな地図で見る

DMです。
Iranian Blue DM

世界の半分と呼ばれる町に着く

前回までの旅日記はこちら「目指すはイラン、テヘラン、エスファハン」

テヘランの南バスターミナルでバスに乗った。色とりどりの無数のバスが、ところ狭しと並んでいる活気のあるバスターミナルを、バスの中から眺めていた。7時30分出発という話しだったが、定刻になってもバスは出発しなかった。日本では時間には厳密な日々を送っているが、旅先では全く焦らない。ただ、イランについてまだ間もない。まず始めにイランと言う国を細かなことから知らなければならない。そういった些細な人間の行為には、人間の基本的な価値観や行動基準が詰まっている。バスの出発から、この国は時間に厳密かどうかを知り、これから始まる旅の参考にする。結果的には8時前にほぼ満席になり。バスは出発した。少し時間にはいい加減な面もあるが、旅をする人間に取って問題が生じるレベルではないと思った。

しばらく郊外を走り、荒野になった。イランは雨が少なく赤茶けた土がむき出しになった大地が続く。こういった土地に青い空は映えて爽快であるが、大地としては肥沃ではないんだろうなと思いながら、昔の旅を思い出した。ボリビアからチリに抜けた数日間も赤茶けた大地に青い空だった。光景としてはほとんど同じなのだが、土の色、空の青さ、大地の起伏という面で異なっていた。どちらかというと南米の方が色が全体的に濃く、荒々しい、大きな感覚があった。解釈が人によって異なる乱暴な表現をしてしまえば、南米というイメージで、イランは中東というイメージの荒野であった。そんな風に思った背景には学校で習ったような知識が影響していたこともあるだろう。この土地の下には石油が埋まっているのかと思うと、さらに中東の景色に見えてきた。

送信者 イラン

[バスターミナルを出ると、こんな風景]

そんなことが頭を巡りながら、窓の外を眺めていた。すると隣に座っていた若い兄ちゃんが声をかけてきた。23歳でペルシャ湾で石油関連エンジニアをしているという。ゴルガーンという町の出身ですでに結婚しているという。イランでは22,3歳で結婚するのが普通らしく子供もいるという。「お前は何歳か?」と聞かれて、25歳と伝え、さらにビジネスではなく旅行だと言ったら理解していない感じだった。この後のイランの旅でも感じたが、観光地以外で旅行で来ていると言っても理解されないようだった。旅行という習慣があまりないのだろうか。携帯電話を見せてくれと話してきたりしたが、携帯もイランでは持っていないので、持っていないというと、彼の携帯を見せてくれたが、やはりお互いの歯車が合わなかったようで、いつの間にか会話は少なくなっていた。そして、しばし眠りについた。うとうとして目を覚まし窓の外を眺め、また眠る。こんな状態を繰り返していた。そんな虚ろな状態でも気づいたことがある。イランのバスはトイレ休憩が多いということだ。今まで訪れた他の国よりも頻繁に止まったと思う。具体的に回数を他国と比較したわけではないが、イランではどの路線でもよくトイレ休憩があったと思う。

送信者 イラン

[エンジニアの兄ちゃん]

隣に座っていたエンジニアの彼が、エスファハンに着いたことを教えてくれて、エスファハンに到着したことを知った。出発した頃はまだ早朝だったが8時間ほど経ち、到着した頃には3時を過ぎていた。バスターミナルに着くと、このバスターミナルがどこなのかを確認した。いくつもバスターミナルがあるので、新しい土地に着いたらまずは現在地を知ることが何よりも大切だ。自分の位置が分かれば、次は安宿街を目指す。今日の寝床が決まっていることは、何よりも安心できる要素だ。僕は安全に寝ることができる場所が決まっていないと、落ち着かない。だから、何よりも先に寝床を確保する。
地図を見ながら歩いていこうと思い、歩きはじめる。国内であろうと海外であろうと、何でもない場所を歩くのが好きだ。人々のありのままの生活がそこにあるから。自転車の修理屋、商店、パン屋、などを横目にしばらく歩いた。

思っていたよりも遠かったことと、大通りになり交通量も多くなった上に歩道もなくなった、さらには日本から移動の連続で少し疲れたという言い訳を自分につけて、タクシーに乗ることにした。1万5千リアル(150円)で安宿まで行き、宿の受付で今日泊まることができるかを確認した。案の定、英語ができなく単語での会話だった。「ドミトリー ハウマッチ?」最初ドミトリーはフルでシングルしかないと言われたが、よくよく確認してみると、ドミトリーが空いていたのでドミに泊まった。5万リアル(500円)。この宿はエスファハンでも安いらしく、イランの他の都市から出稼ぎに来ている人も多く宿泊していた。パスポートを渡して、チェックイン。イランは他の国に比べて、しっかりとパスポートの情報を記入し、さらにチェックアウトまでパスポートをフロントに預ける仕組みだった。パスポートを預けることはあまり好きではない。自分の肌身から大切なものが離れた状態にあることが元来好きではない。フロントの人は悪い人ではないと思うが、他人をどこか信用できない性格のようだ。さらには、自分がパスポートを受け取るのを忘れてチェックアウトしてしまうリスクもある。こんな理由からパスポートは持っていたかったが、預けるというルールなら仕方ない。パスポートを預け、街へ出ることにした。

金曜日のエスファハン。日本や欧米諸国ならばみんなが活動する平日だ。ただ、ここイスラム国家のイランにとっては休日。街を歩いても多くの店が閉まっていた。まあ、仕方ないと思いながらイマーム広場を目指す。キョロキョロとしながら、道路を小走りでわたる。こういった国に来ると信号もほとんどないし、車のスキを狙って渡るしかない。この国に慣れてこれば、道路を渡るのもすんなり行くのだが、まだ着いたばかりで慣れていない。そこでイラン人が渡る時に一緒にスタスタとキョロキョロしながら渡った。

送信者 イラン

[イマーム広場全景]

しばらくして、エマーム広場に。角を曲がり、イマームモスクが目に入った瞬間「おおっ」思わず声が漏れた。俺が求めていた青さが飛び込んできた。イランに来た理由のひとつがこの青きモスクが見たかったということ。「大きいな。実に大きな広場だ。」芝生があり、その奥に青いイマームモスクが見える。金曜日ということと夕方が近かったためか、人も少なく、広場を歩きながら楽しむことができた。ウズベキスタンのサマルカンドも青きモスクで有名だが、イマームモスクも勝るとも劣らないだろう。一人で「いやぁー、すんげー」「よくも作ったな。」「この青が好きだ。いい色をしている」なんてぶつくさ言いながら、イマームモスクに近づいた。中に入ろうとしたが、金曜日で今日は入れないと言われ、明日来いと。仕方なく、入り口から中を覗く。本当に細かく描かれた壁と天井。細かなモノが集まり、大きなひとつのモノを作り上げている。そんなモノは、見る者に圧倒的な衝撃と創造性を与える。まずは「すんげー、なー」と思い、いったいどんな風に作ったのだろう、誰がどんな目的で?と考えはじめる。そして、いつも宗教の持つ力、昔の人の技術にただただ感心し、いつの間にか現代との比較をしている。高度資本主義社会でこういった建造物が造れるのかと疑問に思い、作るとしたら敬虔な宗教の信者の集まりか、大富豪なんだろうなと。そして、現代の技術が凄いだけではなく、昔もすばらしい知恵と技術があったんだと当たり前のことを再認識し、自分や自分の価値観を戒める。

送信者 イラン

[イマームモスク]

イマーム広場は池もあり、ベンチもあり、芝生もあり、美しい青きモスクがある。周辺にはバザールやチャイハネと呼ばれる気兼ねなく入れる喫茶店兼寄り合い所もある。何もせずぼーっとするには最高の場所だ。歩きながら、夕陽に色付けられた広場を眺め、安らぎを感じた。写真を撮りながら歩いていると、イラン人の家族に話しかけられた。家族でイマーム広場を見物に来ているようだ。イマームモスクを背景に家族の写真を撮り、少しばかり話しをする。こうして、少しずつイランの人々と話すと自分の心も解きほぐされてきて、イランに慣れてくる。肩肘張った状態から、警戒心が少なくなり心を開いていく。こうすることによって、その国を感じられるようになり、旅の醍醐味を味わうことができる。

送信者 イラン

[池に映るイマームモスク]

寒くなったので、イマームモスクを後にする。てくてくと宿へ向かう途中に2、3人の若者が立って話していた。何かなと思って、覗きこむ。何やらコーンをマヨネーズやスパイスで和えたものを売っていた。夕食をしっかり食べようと思っていたので食べないでおこうと思ったが、話しが弾んだし、たいした量でもないので食べることにした。紙コップに入ったコーンのマヨネーズ和えは1万リアル(100円)だった。たいして美味いとも思わなかったが、楽しく話しができたから、それでいいかなぁと思った。

送信者 イラン

[コーン屋の兄ちゃん]

宿に戻り、少し横になり夜の街へ出た。理由はひとつで夕食だ。フロントの人に聞いたが、たいしてレストランがないという。レストランと呼ばれるコジャレタものではなく、食堂も少なくサンドイッチショップかチャイハネしかない。どちらも軽食と言った感じ。実際に街を歩いてみたが、手頃なレストランは見つからなかった。高級そうなホテルの一階にレストランがあったが、自分の服装と持ち金では入ることなんてできない。あきらめてサンドイッチ屋に入り、固いコッペパンにレバーを詰めたサンドイッチ、ソーセージを詰めたサンドイッチ、そして羊の脳を詰めたサンドイッチとバランスを考えサラダをつけた。締めて3万リアル(300円)。宿に戻ってベッドの上で、簡単な夕食にした。同じ部屋にはスイス人とオーストラリア人がいて、話しをした。スイス人は仕事の休暇を使って自転車で旅をしているようだった。そんなにも休みが取れるんだと驚いた。オーストラリア人は学生だった。話していたのだが、おなかも満たされ、日本からの移動続きで疲れていたらしく、すぐに眠りについた。

送信者 イラン

[寂しいサンドイッチの夕食]

そして、イスファハン(エスファハン)二日目へと続く。

イラン旅日記の続きはコチラ「優しくされたエスファハン、優しくなれたエスファハン」

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旅行記の内容が細かすぎて、長すぎて、完全に自分への行動記録になっています。すいませぬ。

目指すはイラン、テヘラン、エスファハン

いつもの朝と同じように家を出た。ひとつだけ違うことがあるとすれば目的地だ。目的地は成田、そしてその先のイランへ。


本当に久しぶりだなと思いながら、約3年ぶりに荷物を引っぱりだした。海外を旅するときしか使わないモノがいくつかある。それらは今まで一緒に海外を旅してくれたモノたちだ。そんなモノを手に取り、過去の旅のことを思い出しながら、いつものバックパックに荷物を詰め込んだ。久しぶりの海外一人旅ということもあって、忘れ物がないかなと気になったが、まぁ、お金とパスポートそしてカメラがあれば最低限ことは足りると思い、準備を終えた。

イランは初めて行く国である。それに、過去には拉致の事件もあったし、日本のマスコミではあまり良いことが報道されないので、少しばかり不安もあった。が、行ったことのある友だちに話しを聞いたり、よくよく調べてみると比較的安全な国であることが分かり、ほっとひと安心した。もちろん一人で海外を旅する前に沸き上がる特有の感情 ー 未知なる世界に対する不安や期待でドキドキ ー で頭の中は埋め尽くされていた。

そして、年末と呼ぶにはまだ早い12月18日、日本を発った。

日暮里に住んでいた頃、海外に良く行った。その頃から海外へ行くときは京成線というのが定番になっていた。今回もいつもの京成線で成田へ向かった。成田に着くと、電光掲示板に世界各国へと飛んで行く飛行機の案内がでていた。当たり前の光景だが、あぁ、日本を離れるんだなと改めて感じた。セキュリティチェックを受け、出国手続きを終えて出発を待つ。イスラム圏へ行くため、しばらく豚肉とはお別れ。そこで、マクドナルドでポークバーガーを食べ、大好きな豚肉とさよならをした。

今回はモスクワ経由テヘラン行き。モスクワ経由といえば、アエロフロート航空。初めて乗る航空会社である。初めてということで、普通なら機体や機内サービスに期待するのだが、あまり良い噂は聞かないので、過度な期待はやめておいた。実際に乗ってみた感想はいたって普通。ただ、お酒が有料なのが唯一のネックだった。

送信者 イラン

[モスクワへ行く際の機内食。今回の機内食の中ではこれがベストだったかな。]

モスクワまでは通路側だった。外を見るのが好きな僕は、いつも窓側をお願いするのだが今回は通路側の席しか残っていなかった。だから、寝て、機内食を食べ、新聞を読み、寝て、機内食を食べての繰り返しだった。もちろん、隣の人越しに見る青空では物足りなかった。モスクワに着くと、天井は作りかけのままで薄暗い空港が出迎えてくれた。現地時間で夕方。日本時間だと夜中だが、機内で寝ていたのでそんなにも眠たくはない。3、4時間の待ち時間は、イランでは飲めないアルコールを飲んだ。豚肉に続いて、ビールとさようなら。おそらく一人だとしたら、飲まなかっただろう。今回モスクワまでの飛行機が、仕事での知り合いカップルと偶然にも同じだった。彼らはトルコへ行くという。6、7年前に僕もトルコを旅していたので、その話しをしたり、今のトルコの物価などについて話しながら、乗り継ぎ便を待ちビールを飲んだ。

送信者 イラン

[シェレメチェボ第2空港 寒かった]

テヘラン行きの便の方がイスタンブール行きよりも1時間弱早かったので、一足先にモスクワを後にした。イランへ向かう飛行機は満席に近い状態だった。4時間ほどのフライトは機内食を食べた以外、ずっと寝続けた。せっかく窓際の席だったが、あまり意味がなかった。着陸する少し前、女性が皆チャドルと呼ばれる黒い布を頭からかぶりはじめた。イラン人もそれ以外の国の人も。いよいよイランなんだな。そして着陸直前になりテヘランの町の灯りが見えた。異国の地に踏み入れる前の飛行機から見る夜の町の灯りは、独特の暖かさと、冷たさを併せもって旅人を迎え入れてくれる。ああ、着いた。ついに来た。この国に。どんな旅が待っているのだろう。

送信者 イラン

[テヘランの町の灯り]

モスクワのシェレメチェボ第2空港とは異なり、テヘランのイマームホメイニー空港は近代的で明るい作りになっていた。そんな空港に着いたのは現地時間で夜中の1時過ぎ。眠たくてもおかしくないはずだが、気分が高揚しており頭はさえていた。入国手続きを行うために、列に並ぶ。ビザを持っていたので、すんなりと入国と思いきや、別室に連れて行かれた。何でだろうとはらはらしたが、両手の指紋を入念に取られただけで済んだ。指紋をとり終える、入国手続きは完了した。そして、アメリカ・ドルからイラン・リアルに両替をした。高額紙幣は使いづらいので、5万リアル紙幣にしてもらった。

そのまま空港を出て、市街地へ行っても良いのだが、初めての国で夜中に、それもタクシーに乗るのは気が進まなかったので、空港のイスで仮眠を取ることにした。過去にも夜中に空港に着くことは何度かあった。それは、エクアドルのキトであり、タイのバンコクであり、インドのデリーであった。キトではタクシーで町中まで行き宿に泊まった。バンコクとデリーでは空港でしばらく時間をつぶして、朝になる直前に空港を後にした。今回はバンコクとデリーと同じパターンだ。

送信者 イラン

[イマームホメイニー空港の電光掲示板]

明け方近くになり、バッゲージクレーム(手荷物受取所)を通り抜け、待ち合い所をふらふらと歩いていた。すると、空港の電光掲示板にバグダッドやカブールの文字が目に入った。イランやアフガニスタンと隣り合わせだということを再度つきつけられ、少しばかり身構え、気持ちが引き締まった。この空港から町中へはタクシーしか交通手段がない。そこで仕方なくタクシーで、南バスターミナルまで乗せてもらうことにした。なぜバスターミナルかと言えば、すぐにエスファハンへバスで向かおうと思っていたからだ。

タクシーの運ちゃんはいかにも空港をベースに働いていそうなタクシー運転手だった。世界中の多くの空港がそうであるように、外国人をカモにして儲けようとたくらんでいるタクシーだった。ただ、インドなどと比較すれば、やさしいものだった。エスファハンまでこのタクシーで行かないかと誘ってきたり、電話で日本語を話せる知り合いに電話をして、ああだこうだと話してきたり、降りる時には日本の金を見せてくれ、すなわわち金をくれと言ってきたり。ただ、ひとつひとつ断ったらちゃんとバスターミナルまで連れて行ってくれた。20万リアル(約2,000円)。空港から市内までは15万リアル程度と聞いていたから少し高かったが、25万リアルから20万リアルに値切ったし、夜中だったから仕方ないかなと納得した。

送信者 イラン

[空港から乗ったタクシーの窓から見た景色]

空港を出た時は、まだ暗かったが、バスターミナルに到着する頃には空が明るくなっていた。タクシーを降りると、道行く人に目的の南バスターミナルであるか確認した。騙されて違うところで降ろされたかもしれないから、念のために確認した。タクシーを降りて、やっとイランと触れ合った気がした。イランの地を自分の足で歩いたからであり、初めて町ゆく人と話したからだろう。バスターミナルは活気があった。多くの人が行き交い、大きな呼び込みの声が飛び交う。外国だなと噛み締めながら、もう少しこの空間を楽しもうと思い、すぐにバスチケットを探さず、何か食べることにした。売店へ行き、とりあえず水を買う。店にいた兄ちゃんが温かそうな飲み物を飲んでいる。「美味いよ」と言った感じで勧めるので飲んでみることにした。ホットミルクだった。この時期のイランは東京よりも寒いほどで、そんな冷えた体に染み渡っていった。ついでに、パンも食べながら、その客の兄ちゃんと店主と話しをした。

体も温まったところで、エスファハン行きのバスを探すことにした。バスターミナルにはいくつものバス会社のカウンターがあり、どこのバス会社がエスファハン行きのバスを運行しているのか分からないし、さらにその中でも安いバス会社を探すのは困難だ。ぐるっとターミナル内をひと周りしてから、テキトウにカウンターの兄ちゃんに声をかけた。すると、エスファハン行きのバスは55,000リアルらしい。時間を聞くと7:30出発。もうすぐだ。エスファハンには明るいうちに到着したかったので、そのバスに乗ることにした。バス乗り場を聞こうとすると、親切にバスのところまで連れて行ってくれた。こうして、エスファハンへと向かった。

*このエントリーの写真は諸般の事情により手ぶれなど微妙なものばかりです。エスファハン以降はまともな写真になる予定です。

空港から南バスターミナルへのタクシー 200,000リアル
ホットミルク、パン、水(500ml) 9,000リアル
テヘランからエスファハンへのバス 55,000リアル

1万リアル=約100円

イラン紀行の続きはコチラ「世界の半分と呼ばれる街に着く」

「こんにちは」プラス1で広がる世界

何も話さずに旅をすれば旅の面白さは半減してしまうだろう。話をすることによって、ただ旅をするだけでは見えてこなかった背後にあるものが見えてくる。そのために、少しでも現地の言葉を覚えて使うようにしている。

イランではファルシー(Farsi)と呼ばれるペルシャ語が話されている。僕にとってはペルシャ語が発音も文字も難しく、小さなノートにメモをして何度も繰り返したがなかなか覚えられなかった。ただ、簡単に覚えた最初の単語は、やはり「サラーム」(こんにちは)だった。

日本語では「こんにちは」、ペルシャ語では「サラーム」、スペイン語では「オーラ」、ヒンディー語では「ナマステ」、世界各国の「こんにちは」。外国を旅する場合、まずはじめに覚える言葉が「こんにちは」であろう。さらに、旅をする際にあえて覚えなくても、以前から様々な言語の「こんにちは」を知っていることもある。そんな「こんにちは」を旅をすると多くの人が使う。バスや電車の切符をかう時、レストランで話しかける時、最も最初に使うのは空港での入国審査かもしれない。

「こんにちは」はどんな時にも使える便利な言葉であり、旅する人が誰でも使う言葉でもある。ただ、現地の人からすれば、旅人がみんな使う言葉と捉えているだろう。だからこそ、旅する人が現地の言葉で「こんにちは」以外の言葉を話すと一気に親しくなれると思う。「さようなら」でも「ありがとう」でも「私の名前は○○です」でも、何でもいい。もちろん、現地の言葉をペラペラに話せる場合とは比較にならないが、「こんにちは」だけとは違う、広い世界へと繋がっている。

旅する国の言葉を覚えて使うということは、相手を受け入れていること、相手に対して好意や敬意を示すことだと思う。だから自分の国の言葉を使ってくれた旅人に対して、現地の人は親切にしたくなる。旅をする人が、旅する国の言葉を使い、その国に対して心を開き一歩近づく。現地の人も自国の言葉を使う旅人に親近感を抱き、一歩近づく。そうして、お互いが近づき、会話がうまれ、世界が繋がり広がってゆく。

サラーム:こんにちは
ヘイリー マムヌーン:ありがとう
ホダー フェズ:さようなら
ベバフシン:ごめんなさい
ミハム:~したい、~欲しい
水:アーブ
アズ コジャー:どこ出身ですか?
アズ ジャーポン:日本出身です
サッハァトゥ:難しい
ドゥステタラム:I love you
フーベ:良い
サルドゥ:寒い
エムルーズ:今日
ファルドォ:明日

もちろん数字も重要だ。ペルシャ語の数字の覚え方のコツは横にすること。何でも最初が肝心で、最初でつまずくとやる気がなくなる。数字を覚えるのも一緒。1、2、3が簡単に覚えられれば、あとはすんなり。ただ、ペルシャ語の1は1と似ており簡単だが、2、3は一見すると難しい。しかし、ペルシャ語で2、3と書かれた文字を横向きにすると、アラビア数字の2、3と読める。イランに行かれる方は、これでスムーズにペルシャ語の数字をマスターできるはず。

リアル:イランの通貨単位
トマーン:10リアル

イェク:1
ド:2
セ:3

町を歩いていると2、3日に1人は日本語で話しかけてきた。5、6年前までは日本で働いていたという人が多かった。トラックの運転手さんだったり、大工さんだったり、車の輸出の仕事だったりと。ビザが厳しくなった関係でイランに戻り働いている人だった。そういった人とは日本語で話した。また、英語が話せる人とは英語で話し、ペルシャ語のみしか話せない人とはノンバーバルコミュニケーションや英語ができる人に通訳してもらった。

以前に南米を旅した時に憶えたスペイン語一覧

送信者 イラン

「モスクの前でお祈り」(PENTAX K10D ISO: 100 露出: 1/60 秒 絞り: f/6.3 焦点距離: 45mm)

イランビザの取得

イランビザの取得は当初簡単だと思っていたが、そうではなかった。簡単だと思った理由は、イラン大使館のホームページに個人での取得ができると掲載されていたから。その情報を信じて、イラン大使館に足を運ぶと現在は個人での取得ができず、ビザ取得代行業者を通さなければならないとのこと。せっかく白金高輪まで行ったのに。。。外国の大使館のホームページの情報が古いということは良くあることだし、、、とあきらめる。

そこで、ネットを使いビザ取得業者を探すことに。「イラン ビザ」「イラン ビザ 代行」「イラン ビザ 取得」などと検索をする。以前にも長期の中国ビザを取得する時などに、代行業者を使ったことがあるので、同じような代行業者が何社か出てきた。そして、電話をかける。しかし、現在は取得が無理ですと言われる会社が数社、また航空券と一緒の購入であればビザ取得可能といわれた会社も。。。しかし航空券は別で購入済だった。[アエロフロート航空で9万5千円(燃料サーチャージ、諸税含む)]。どうしようかと悩み、航空券を買った会社にビザ取得を依頼するも、無理と言われた。

テヘランの空港でビザ取得ができるかもしれないという情報がネットにはあったが、その情報では1週間ビザということ、さらに取得できない可能性もあると書かれていたために、なんとか日本でビザが欲しかった。ツアーでは簡単にビザが取れるらしいので、イランへのツアーを実施している旅行代理店にも問い合わせたが、ツアーとあわせての取得のみといわれる。

困り果てていた。それでも、ネットで調べ、調べ。すると、イランビザの取得が可能という会社を見つけた。すぐに電話をした。ビザ取得者が男性かを確認され、男性であれば取得できますとのこと。ついに、ビザを手に入れることができる。独身女性一人の場合はビザが取得できないと、この会社の方に言われた。また、イランでの法人拉致事件、諸外国におけるテロ事件、日本がイラン人へのビザ発行を厳しくしたことに対する対応などで、近年日本人の個人イランビザ発行が厳しくなっているとのことでした。

書留でパスポートと1万5千円を送り、3週間後にビザが出来上がった。当初は1週間程度という話だったが、現地イランからの招待状の発行などもあり、遅れたようだった。3週間後に渋谷・宮益坂のマンションにある会社を訪れビザをついに手に入れた。

その後、ロシア大使館に行き、ロシアビザを取得。こちらはすんなりと1週間での発行で5千円だった。

ついに、旅に出る準備は整った。


イランに到着して分かったビザ情報。
テヘランのイマームホメイニー空港でも男性であればその場でビザが取得できる。それも2週間のビザが取得可能。75ドル程度。

今後、イランビザがどうなるかは分かりません。こちらの情報はあくまで2008年12月時点の情報です。

送信者 イラン

[さてと、出発]
(PENTAX K10D ISO: 400 露出: 1/15 秒 絞り: f/4.0 焦点距離: 16mm)