2008/10/30 木曜日

それはヒヤシンスの時間

Filed under: diary, 思うこと, 人生 — teratown @ 0:10:08

植物を育てたとがない。
動物を飼ったことがない。

かなり昔まで遡れば、小学生の時にヘチマだったりひまわりを育てたぐらいだ。

ここ数年でも、植物を育てたいと思って園芸屋さんやホームセンターに行ったことがあるが、いざ買うとなると躊躇して帰ってきた。自分で育てられるか不安だったのだろう。毎日気を配って育てられるか。

先日、写真展をした時に、友だちがヒヤシンスの球根を持ってきてくれた。切り花はこれから枯れるだけだから、これから咲く花と言うことで球根をくれた。なんというセンスの良さかとうれしくなった。

で、ヒヤシンスを育て始めた。といっても水につけてあるだけ。毎日のように根は出たか?伸びたかと気になってチェックする。
今日の朝、見ながら思う。俺、焦り過ぎだ。俺の時間でこの球根の成長を見ている。この球根には球根の時間の流れがあって、そのスピードで大きくなっているはずである。俺の大きくなってほしいと言う気持ちは、球根には全く関係がないのだ。それにはそれの時間の流れがある。

それにはそれの時間がある。もちろん人でもそうだし、動物でも、植物でも。自分の目線だけで見ないようにしよう。ペットが苦手で飼ったことないし、植物も育ててこなかった。
だから、今更改めてこんなことに気がつく。

それぞれの時間があって、「自然とは自分ではどうしようもできないこと」と頭では理解しているはずである。でも、現代都市社会で生活していると、ついつい忘れてしまう。こんな自然の摂理をふと思い出すのは、旅をするときであり、山に登るときであり、海に潜るときであり、走るときであり、無人島に行くときだ。

2005年にも気づいていること。「自然をしらないということは」

ついでに僕はせっかちになっている。以前にも書いたが、ネットが普及して、人はせっかちになったと思う。ネットは自分の意志で全て進めていけるから。僕は昔からせっかちだったのに、それに拍車がかかっていると思う。だから、余計にヒヤシンスを見て、まだ芽がこれだけしか伸びてないと思った気がする。(せっかちというか、何をやるにしても早い方だと思う。早くことを済ませて、「ぼーっ」とするのが得意だ。電車に1日以上乗っていたり、何もない海で2、3日何もしないというのは得意だ。何かをすると言ったときはサッサと済ませるが、「ぼーっ」とするときは永遠にぼーっとしていられる。)

多くの人がペットを飼ったり、植物を育てるのは、彼らの時間を感じるためなのかもしれない。日常にもうひとつの時間が生まれることによって、日々の生活に彩りが加えられる。

今までやったことないこと、自分ではやらなかったであろうことは、やはり面白い発見があるな。ヒヤシンスありがとう。

送信者 いろいろ

[上から見るか、横から見るか、下から見るか。それに寄ってもヒヤシンスの成長具合の見て取れ方は異なる](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/4.0 焦点距離: 29mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/10/23 木曜日

脳あるヒト心ある人

Filed under: diary, 思うこと, — teratown @ 0:24:52

脳あるヒト心ある人 養老孟司 角田光代 扶桑社新書

養老さんと角田さんが新聞に交代で書いたリレーエッセイが新書になった。
最近あまり本を読んでいなかった。ちょくちょくは読んでいたが、本の途中までしか読まない場合がほとんどだった。
なぜか考えてみれば、夏で暑かったから、写真展やらハセツネやらでドタバタして少し疲れていた。最近電車が混んでいる。などなど。

そろそろ、本を読みたいなと思っていた時に、本屋で見つけた本が「脳あるヒト心ある人」だった。読む前から、中身が濃いわけでもないだろうなと思っていた。ただ、最近本を読んでいなかったので、気軽に読み切れる本が欲しかった。養老さんも角田さんも好きだ。角田さんの小説は読んだことないのだが、「旅先三日目」を知ってから、気になっている人だ。

新聞に書いたエッセイなので、毎回2ページで完結する。読み切り型で、電車で読むにはもってこいだった。さらに、養老さんと角田さんの掛け合いが面白く楽しめた上に、そうなんだ。俺が思っていることが言語化されている。そんな風に思える箇所がいくつもあった。

自分を変えない知識には、あまり意味はないー中略ー逆に言えば、学ぶなら自分が変わるまで学びなさい、ということである。(養老さん)

この文章を読んで、星野道夫さんの言葉を思い出した。

「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。  たとえば、こんな星空や泣けてくるような 夕陽を一人で見ていたとするだろ。もしも愛する人がいたら、  その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって? 写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、  いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。 その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……  その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。」(星野道夫)

理解不可能なことにはすぐに言葉が当てはめられる。働かない人はまとめてニートと呼ばれる。言葉を当てはめれば理解できたような気持ちになる。ー中略ー言葉で説明の着かないもの、当てはまる言葉のないものは、存在を認めにくくなってきているのかもしれない。
けれども自分も相手も世界も、言葉以前に存在している。時計がなくとも時間は流れている。私と言わなくとも私はその中にいる。(角田さん)

この文章を読んで、茂木さんと布施さんの対談での「名付けえぬものに向かって」という話(2007/11/04)を思い出した。

現代人は本質的に口先である。それを情報化社会という。口先だって、本質になればそれなりに立派だとも言えよう。それを現代文明という。私はそんな風に思っている。そこで欠けるのが、すでに述べた感覚の世界である。それを豊かにもっている存在を人は動物と呼ぶ。それを懐かしんで、現代人はペットを飼うのではないか。(養老さん)

僕は人間なのだが、感覚が中心となっている人間である。だから、人間というより動物よりなんだと思う。それだからか、ペットというものが昔から大の苦手である。自分のことを考えると、すごく納得できる内容だ。

走るというのは実に原始的な行為で、距離というものが自分の身体でダイレクトにわかる。自分が身体をもっていると言うことが感覚としてわかる。
そんなことはわかっても何の役にも立たないのだが、その役に立たないことを、わかりたい。道具や機械に頼らずに、自分の身体だけで何かを理解してみたい。こんな風に思うのは、たぶん私が年齢を重ねたせいだ。道具や機械に頼らないと言うことの難しさを二十年前より感覚として知っているからだろう。(角田さん)

まさに、俺が走ったり、歩いたり、山に行ったり、スカイダイビングしたり、海に潜るのは、このためだ。

自分の五感で捉えたことしか信用しない。それは偏狭に見えるかもしれないが、実は一番確かな態度だと私は思っている。ただし都会暮らしには当てはまらないかもしれない。都会はいわば脳の中で、脳の中では五感は働かないからである。(養老さん)

自分の意見が根本的に変わった経験のある人は、他人に寛容にならざるを得ない。相手の意見だって、その人にとって絶対的だ、などとは思わないからである。いずれ変わるかもしれないじゃないか。(養老さん)

一貫性という、人が無意識のうちに信仰するものがある。自分の過去と未来は一貫していたい。そう願う宗教のようなものがある。だから、自分の意見は変わらないと思っている。そう思いたい人が多い。しかし、いろいろな経験もすれば、知らなかった考えや世界を知る。そうすると過去の考えは崩れることもある。当たり前だ。僕はディベートと旅などをして行くうちに考え方とか物事の捉え方が変わったと思う。いろんな考え方があるんだなと実感した。そんなことを通して、考えは変わるんだと思うようになっていった。

意味もなく心を奪われ「うひゃあ」と言葉を失い、子供のように口を開くことは、大人になってしまうと恥ずかしいことなのかもしれない。長く生きれば生きただけ、知らなかったことがあるとは認めにくくなる場合もあるのだろう。知っていた方がかっこ良く思えるのだろう。
その後どうなるか考えもせず、便にすっぽり指を突っ込んだときの気分を、私はいくつになっても味わっていたいと思う。何かを見聞きし、口を開けて驚きおののき、知らないことはまだこんなにもあるのかと感嘆したい。私の中の子どもには長生きしてもらわなくてはならない。(角田さん)

死ぬまで子供でいたい。昔からそう思っている。

送信者 座間味島'08

[脳ある人も心ある人も、十人十色。いろいろなシーサーがいます]
(PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/30 sec 絞り: f/8.0 焦点距離: 20mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/10/9 木曜日

輝ける場所

Filed under: diary, 思うこと, 人生 — teratown @ 0:10:47

今年の夏、高円寺で阿波踊りを見ていた。
俺の後ろに二人の女の人がきて、話を始めた。

どうやら、友だちの連が登場するらしいのだ。
ついに、その連が登場すると、「先頭にいる一番右端だ!」、「○○ちゃーん」。
ついつい、俺もそっちに目がいく。

阿波踊りで踊る人はキマッている。
髪型から、化粧から、服装から。
もちろん、顔の表情もりりしい。

先頭にいる人なんかは、特にかっこいい。
その、人を見て俺もかっこいいなと思った。
きりっとして、しまっている。

後ろでは「○○ちゃーん、かわいい。こっちこっち」などと言っている。
俺は、「かわいいか?」と思う。
かわいいと言うより、かっこいいだろと思いながら。

すると、かわいいと言っていた時と声のトーンがかわり、
「○○ちゃん、カッコいいよね」
「いつもと違うもん」
「先頭だし」
「祭りに映える顔だね」
「すごい、良い顔してる。」
「うん。いい笑顔だね」

と感心したような口調で話し始めた。
ああ、そうなんだ。
大学の友だちか、職場の友だちか、趣味の友だちか、何かは知らないけど、いつもの表情とは違うんだな。

普段はさえない顔をしているのかどうかは分からないけど、今日は輝いているんだろうな。
そう思った。

人には、それぞれその人が輝ける場所があるんだな。
本人が気づいていようが、気づいていなかろうが、そんな輝ける場所があると幸せだな。

学校の勉強では輝けなくても、体育祭で輝けるように。
たとえ今の仕事で輝いていなくても、他で輝く場所があれば良いんだし、たぶんどこかにはあると思う。
音楽かもしれないし、子育てかもしれないし、人を笑わせることかもしれないし、家具を作ることかも、農業かもしれない。

どんな人にも輝ける場所があるんだろうと思う。
そんなこと当たり前だろうし、書くほどのことでもない。

ただ、今まで全く知らなかった人のある一面を偶然見た。
その人と会話もしなければ、普通その人の一面しか知ることはない。
あえて他の一面を想像することもしない。
でも、その人の友だちが偶然にも僕の近くにいたことによって、その人の違う一面の話が耳に入ってきた。
すると、違う一面があることが分かる。
こんな一面もあるのかと、そんな眼でその人を見るようになる。
全く知らない人の人生を見るからこそ、どんな人にも輝ける場所もそうでない場所もあると強く感じた。

送信者 いろいろ

(輝ける頭部)[PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/25 sec 絞り: f/8.0 焦点距離: 45mm]

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/10/8 水曜日

分かりようのない世界があることに安心を感じる

Filed under: diary, 思うこと, art, 人生 — teratown @ 1:19:51

僕の全く知らない世界が、動いている。
どうすることもできない自然。
分かりっこない自然の仕組み、神秘。

そんなことに、喜びを感じる。
僕は全てを知り得ない。
そんな当たり前のことに気づき、世界の圧倒的な存在に自分の小ささを感じ、喜びを味わう。
どんなに自分ががんばっても、たどり着きようのない世界、分かりようのないこと、成し遂げれないことがあることに気づくとうれしい。
圧倒的な存在を知ることで、ほっとする。

俺はどうしようもできない、何をしても追いつけない。
結局自分が何をしても到達できないなら、好きにやってやる。
でも、投げやりとは違う気持ち。

全てが分からないことで、明確な答えがひとつに決まらないという安心感。
ひとつの答えがあったら、生きづらい。

だから、未知の部分があってほしい。
その気持ちが安心感を与えてくれる。

送信者 いろいろ

(カッップに映る世界)[PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 400 露出: 1/125 sec 絞り: f/7.1 焦点距離: 23mm]

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/10/2 木曜日

27年後に思い出す今日の夜

Filed under: diary, , 思うこと, art, 人生, 写真 — teratown @ 0:02:38

27年前の会話。
27年後の会話
27年前の話。
27年後の話。

あれは、27年前のことだった。
ゆうすけさんは39歳、本郷さんは30歳、俺は25歳。
みんな若かった。
でも、昔も今も、当時の性格、ノリは代わらない。
今、空を見上げながら、想像のつかない大きな宇宙の重なりに見とれる。
月と太陽が重なる。
この場所で。
それを、今見ている。
徐々に太陽は欠けて行き、やがて太陽が隠れる。
昼間なのに、だんだんと暗くなり、地上の温度は下がる。
皆既になった時、星の奥深さが分かり、宇宙の広さを実感できる。
数時間前までは信じられなかった異様な出来事。
天変地異が起こるかのような。
発狂してしまうような、しかし息をのみ何も声が出ないような。
そんな出来事。
手の届かない宇宙にある、完璧なる美しきこと。

一回性の出来事である皆既日食。
同じ場所で、皆既日食を見られることはない。
その時、その場所でしかない、全宇宙の出来事。
人間の意思では何も変えられない、天体の出来事。

カイキ日食、27年後に日本で。
それを見たとき今日の夜、三人ではなしたことを思い出すだろう。
阿佐ヶ谷のアパートで眼を輝かせて、夜な夜な語った日のことを。
そんな9月の夜。

アラスカでも30数年後に皆既日食が見られる。
オーロラと皆既日食。
ああ。


ゆうすけさん 日蝕の同窓会

本郷さん アルタイ山脈 エクリプス紀行

送信者 いろいろ

[月を見上げる](PENTAX K10D SIGMA70-300mm ISO: 100 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 300mm)


「つながる旅の記憶〜寺町健 写真展〜」

期間:9月30日(火)〜10月5日(日)
   12:00〜20:30(Fri 〜22:00、Sun 〜20:00)
場所:ウナカメラリーベラ
   中野区中野2−12−5 メゾンリラ101
   最寄り駅は中野駅になります。
   カフェ&ギャラリーですので、1オーダーお願いいたします。
   詳細はこちら


大きな地図で見る

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵
« 前のページ次のページ »

HTML convert time: 1.180 sec. Powered by WordPress ME