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L1グランプリに出場して優勝したらしい

第1回L1グランプリで優勝しました。

いったいL1グランプリって何ですか?

M1って漫才だ。
B1ってB級グルメだ。
あとの何たら1ってのは知らない。

いや、昔D1に出たことがある。
ダジャレグランプリ。
書類選考は通ったけど、1回戦で負けて帰ってきた記憶がある。
帰りに中華料理やで友達と飯を食ったかな。

今回はライブラリーグランプリらしい。
Library1ということかな。

それだけじゃ分からない。
サイトにはこんな風に説明してある。

20代から30代のライブラリアンを中心に、ワークショップ形式で、それぞれの抱く図書館像を検討・発表していただきます。この経験を通して、今後、図書館業界で活動していく上で欠かせないリーダーシップやファシリテーション、アジェンダ設定やビジョン提示、パブリックスピーキングの能力と経験を養うことを目指します。

これでも分からない。
ようは、1チーム5人で、図書館にまつわるテーマに対して案を考えてプレゼン発表する。
審査員が投票して結果が決まる。

で、テーマって何かと言うと、

「抜擢人事で館長になったとき-次代に示すビジョンとプラン」

これに対して3時間で案を考えてプレゼンするのだ。

テーマの補足はこんな感じ。
* あなたは抜擢人事で図書館長に就任することになりました。明日は就任初日です。
* 20分間、自分のチームで相談するのではなく、他のチーム、観覧の人たちに、どうするか意見を聞いてください
* そのあと、自分のチームたちで相談、3分間の発表をしていただきます
* 発表には情報機器の使用は不可能です

で、国会図書館に勤める友達のYashiさんに誘われて参加。

僕らのチームはこんな発表をした。

設定としては、国会図書館。
→国立国会図書館こそが、先駆けとなるイメージを提示するため。

コンセプトは拡散する知へのアクセス
→これからの図書館は個人の知(知識&知恵)の拡散を権威づけし、その上で知にアクセスしやすい環境を整えることが重要。
→ソーシャルメディアで個人の知も非常に価値があることが分かっている。さらに、発信したい欲&認められたい欲も強い。これを活用して図書館は知をためる。

具体例
o 個人の出版を図書館が手助けする出版サービス(出版は紙とデジタルは問わない)
   →埋もれていた知を拡散させ、権威づけする。情報にさらなる価値が付加
o 全国の各図書館から探せ、もちろんウェブからも。
o ヨーロッパの事例を参考に、実施していく
  
ヨーロッパの事例
YoursMineOurs
→個人の蔵書リストをウェブで公開し合い、本を貸し借りできるサービス。見つからなかった本が見つかったりする。

 KIOSK
 →デザイナーや建築家など、見せ方のプロが本を厳選して展示するパフォーマンス。

まあ、ざっとこんな感じ。

L-1グランプリ2010概要
日時:2010年11月25日(木)10:30~17:00
場所:第12回図書館総合展会場(パシフィコ横浜)
主催:図書館総合展運営委員会
共催:図書館振興財団
協力:アカデミック・リソース・ガイド株式会社
チーム条件:
* 5名からなるチームを結成し、チーム単位で出場をお申し込みください。
* チーム結成にあたっては、チームリーダーを1名決めてください。
* チームリーダーを含む過半数のチームメンバーは、40歳以下で構成してください。
* 職業、図書館勤務経験の有無は、一切不問です。

石けんブラザーズ
福林靖博:リーダー(国立国会図書館)
氏原茂将(川口市立映像・情報メディアセンター「メディアセブン」
久慈達也(神戸芸術工科大学図書館)
橋詰宗(グラフィックデザイナー)
寺町健(オレ)

送信者 小笠原

ここからは今回参加しての個人的な意見。

この時代(これからの時代)に置ける図書館の意味って何だ?と考えると、2つある。
1、図書館にしかないような貴重な情報を全て一般人からアクセス可能にすること。
2、場所が生み出す交流や新たな出会いの価値。
3、ネットに残りにくい情報をアーカイブすること。ネットの情報を全てアーカイブすること。

1、図書館の本の情報を全てデジタル化を済ませてほしい。どこからでも情報にアクセスできる状況を作ってほしい。 
 →サーバーとか検索とかの技術命(もちろん外部にアウトソースするだろけど、内部に図書館の役割を踏まえてそれを設計できる人材は必須)

2、カタチのある図書館は超立派な図書館とカフェになればいい。
 →モノとしての本にも意味があると思う。それは一部の超立派な図書館におまかせ。蔵書数やレアな書物など。
 →一般の人が立ち寄る図書館はカフェのような感じになればいい。だれでもふらっと寄れる様に、駅前にあっても便利。

3、図書館はやはり圧倒的な情報量を持っていないといけない。今までは中心が本だっただけ。
  これからはネットに書かれないような情報を積極的に図書館が拾い上げて、残すサポートをしないといけない。郷土料理の作り方かもしれないし、ノグソの仕方かもしれないし、誰かの家の家系図かもしれないけれど。もちろん、ネット上に現在たくさんある情報もいずれ消えていく。だから、今この瞬間の情報をどんどんアーカイブして行く。

こんな感じかな。

僕が「癒し」を嫌う理由

癒しはマイナスをゼロにしかできないと思う。

でもワクワクすること、楽しみな事、心躍る事。
やりたくてしかたのないことはマイナスをプラスに持っていく力がある。
ちょっとしたプラスを、無限のプラスにしてくれる。

嫌いと言う表現を使うと、また敵を多くするのだが(笑)
もちろん、マイナスがゼロになったから、プラスになることを考えられたり、行動できたりする事はあると思うけれど。

まあ、ワクワクすることって、これをやったら元気になれるからやろうと言ってやるもんじゃなくて、自然と沸き上がってくるもんだけどね。
個人的には「癒し」に興味はあまりなく、有り余るほどの興味を爆発させて、それに突進しているのが楽しい。
やったことないことも多くて、壁にぶつかったり上手く行かなかったりするけど、工夫しながらやるのって一番楽しい。
ずっとそうやって生きていきたい。

何で疲れるトライアスロンなんか参加したのか?という問いに対するひとつの回答がこれだと自分の中では思っている。

送信者 ドロップ ボックス
送信者 ドロップ ボックス

昔も書いている
http://teratown.com/blog/2006/09/01/ithia/

なんでもブームに感じる時代

マラソンがブームだ。
森ガールがブームだ。
エコがブームだ。
iPhoneがブームだ。
食べるラー油がブームだ。

何でもブームになる。
個人が情報を発信できる時代。
いろいろな趣味の人がいる。
ネット上にはありとあらゆる情報がある。

もし、自分が新たなことに興味を持つ。
たとえば、ロゲイニング。
なんじゃらほい。

と思ったら、ネットで検索する。
すると、説明から大会情報から、出場者のブログまでわんさか出てくる。
もしかして、これって流行ってる?

そう思えてきてしまう。
なんでも、ブームに思える時代。

マスコミなんかも、こんなにもブログで書かれているとか、紹介するし。
それは、一部の人たちだけのブームであっても。

でも、個人がニッチなことでも自分の本当に好きなことを探求しやすい時代になったと思う。
個人に何かをやりたいという気持があれば、それについて知るきっかけも、その世界に飛び込むのも簡単になったな。
こうした状態が続けば、マスコミに流されずより多くの人が自分の好きなことを見つけて、楽しめるような世の中が訪れるのだろう。

新しいことを始める、そこには全く知らなかった世界がいつも広がっている。

送信者 ドロップ ボックス
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昨日も自転車に乗りました。朝は洗濯をして、青梅街道経由で代々木公園へ。友達と北海道物産展でイカめしやらヂンギスカンを食べて、いったん家に。その後、トライアスロンのために輪行(自転車を分解して移動すること)とビンディングペダルとサイクルコンピューターの練習で荒川へ。トライアスロン(特に自転車と種目が変わる時の着替え)は知らないことが多いので、脳内シュミレーションと練習が必要なのだ。

送信者 ドロップ ボックス
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家で自転車のタイヤをはずして輪行袋に入れる。これが意外と簡単。そして駅まで担いで行った。しかし、駅まで自転車で行って、駅で袋に入れた方が簡単だった。それから電車に乗ってツイートしていたら、「両国の会社に寄りませんか?」とメールを頂くので、平井駅から荒川に行くところを、数駅前の両国駅で降りることに。なにげにこの駅で降りるのは初めて。国技館を目の前で初めて見た。

送信者 ドロップ ボックス

それから、設計事務所におじゃまする。やはりおしゃれなデザインの建物で、内装もおしゃれかつ吹き抜けだったり屋上の広いスペースだったり、日々使う人の快適性を大切にしている気がした(うちの会社比)。屋上でコーヒーを頂きながら、トライアスロンなどの話しをして、スカイツリーをパシャリ。オフィスを後にして、平井大橋から荒川に。ビンディングペダルに変えて、練習。サイクルコンピューターでスピードを見ていても、そんなにも速くなった感じはない。まあ、プロも含め自転車乗りの人はみんな使っているのでメリットはあるのかな?

チャリ練習を終えて帰宅。夜は久しぶりに軽く10キロちょい走って2種目練習。

ネットも権力持ち始めたな

屋上緑化に対する違和感

ビルの屋上を眺めていた。
すると、ビルの屋上に植物や花を植えている屋上緑化がちらほら目につく。

最近は「エコ」とか「地球に優しい」とか「グリーン○○」とか「CSR」といった言葉を良く聞く。その一環としてビルの管理会社か所有会社が行っているのだろう。企業のイメージアップや環境への取り組みをアピールしているのかもしれない。そういった目的があって何かに取り組むことは、別に問題視しない。本質的に価値のあることかは別にして、それによって動く人たちがいるのだから会社はやるのだ。それがビジネスと言うものだろうから。

今回問題にしたいのは「屋上緑化」ということ自体だ。これは不自然すぎる。どう考えても自然の流れに沿っていない。短期的な視点では都心部のヒートアイランド現象の緩和だったり、ほんの少しだけCO2が削減できるのかもしれない。

ただ植物や木々は本来であれば大地に根ざすものだ。大地に土があり、そこに根を張ることによって育つのだ。それなのに空中に浮いたところに少しの土を盛り、そこに無理に植物を植える。コンクリートの上に耐水性シートが敷かれ、その上に土がもられているからコンクリートの腐敗はないと言うけれど、微生物の威力を考えたらコンクリートも通常よりも早く腐敗していくだろう。

屋上緑化と言う発想の発端からして、人間が自然をコントロールできると思い込んでいる証拠だと思う。自然ってそんなもんじゃない。

自然をしらないということは
http://www.teratown.com/blog/archives/002010.html


エコとか何とか言っても、これに勝ることはない。
http://www.teratown.com/blog/2010/02/06/ioiedhcaiaiioiaec/

送信者 ドロップ ボックス
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それだけで成立していることの安心感

iPadが話題になっている。

何度か触ったけど、これは雑誌や写真集を読むのには適している気がする。一方でAmazonが出しているキンドルは本を読むのに適しているんだろうな。いずれにせよ、紙媒体はどんどん少なくなり、電子化していく。でも、iPadやキンドルでは革命的にペーパーレス化は進まない気がする。

紙がなくなると思う程の衝撃は電子ペーパーしかない気がしている。入力はキーボードのようにタイピングとペンタブレットの両方。もちろんネットワークには繋がっていて、折り畳んでポケットに入れて持ち運べる。さらに、2枚電子ペーパーを持っていれば、情報を見比べることもできるし、紙が本当にいらなくなると思う。電子ペーパーなら重くないし、かさばりもしない。

この50年~100年で3つの革命が起こると思っている。人工知能革命と再生医療革命と電子ペーパー革命だ。そんな3つの中に入るほど、電子ペーパーは大きなインパクトを人類に与えるんだと思う。この流れが来ることは間違いないと思うし、享受する利便性も大きいと思う。

こんなことを書いておきながら、紙が好きだ。もっと言うと、「それだけで成立している物」が好きだ。

「メール」と「手紙」
「デジタルデータの写真」と「プリントした写真」
「電子ブック」と「本」

この例で言えば、「手紙」、「プリントした写真」「本」が好きなのだ。それが、「それだけで成立している物」が好きということ。「それだけで成立している物」とは、単体で役目を果たせる物のことだ。分かりづらいので、例えば「デジタルデータの写真」を見るためには、パソコンなどの電子デバイスがいる。電池などの電力がいる。データがいる。ネットワークの環境がいることもある。これらがそろわないと、「デジタルデータの写真」を見ることは出来ない。一方で、「プリントした写真」はそれだけで見ることが出来る。

デジタルはそれ単体では価値を持たない。いくつもの要素が全て満たされて、価値を発揮する。ただ、現代は科学技術が発達しているので、複数の要素が安定して供給されており「デジタルデータの写真」が見れないと言うことは滅多にない。どちらかと言えば、それだけで成立している物の方が単体で見られる安心感があるのは事実だ。

「それだけで成立している物」は、それ以外の何者でもない。例えば富士山が写っている写真は、富士山が写っている写真でしかない。一方でパソコンで見る富士山の写真は、物理的に存在する物はあくまでもパソコンであって、そこに富士山の写真のデータが一時的に写っているだけだ。そのパソコンに表示される物は他の写真にも変わる。一方で1枚の富士山の写真は、それでしかない。写真は鉛筆で、デジタルの写真はシャープペンだ。パソコンがシャープペンの本体で、データがシャープペンの芯となる。鉛筆、シャープペン、シャープペンの芯だと愛着がわくのは鉛筆だろう。そのものでしかないから、傷も付くし、よれよれになる。だから愛着がわくのだ。

電子メールよりも手紙を大切にするのもそんな理由だろう。手紙はそれ自身が単体で存在し、価値を持っている。だからこそ、電気がなくてもそこにある。それだけで楽しめ安心感がある。

デジタルはコピーできるから、永遠にあるように思っているけど、そう思っているからこそ、大切にせずどこかへ失ってしまうことが多々ある。「それだけで成立している物」、逆に言えば代替がきかないもの(手書きの手紙など)を大切にしていきたい。

茂木さんが話していた、迷ったときはモノに帰れ

作るという行為が自分に与える影響

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