「写真」カテゴリーアーカイブ

こんな絵が好きなんだって

パプアニューギニア
キューバ
小学生の頃に見たジミー大西

旅立つ理由の挿絵を見て、ふと思ったのだ。

意識してみると、そういえば、PNGに行った後に、俺はこんな絵を描くって思ったことあったな。

こんな絵が好きなんだって、やっと分かった。

原色の絵だ。

水色、赤、黄色、緑。
なんだか、南の温かい国を感じる絵なのだ。
塗はちょっと雑なぐらいがいい。

一方で、写真は静寂が好きだ。
モノクロの張り詰めた精度の高い写真が好きだし、アラスカの凛とした風景の写真も。
写真と絵ではぜんぜん違うテイストが好きだけれど、この歳になって、芸大に通ってから10年以上建って、自分が好きな絵ってこれなんだと、ふと気づいた。
おれって、こんな絵が好きだって。

送信者 パプアニューギニア2011

ソラへ、ワクワク。宇宙を撮りたい、風船で。

おとなになって、子供のようにはしゃぐこと。
主に社会の目によって、そんなことがなくなる。

あの人ちょっとおかしいという社会の目。(周りの人に変なふうに見られないようにしなければならないという社会の目)
もうひとつは、いろいろな困難を経験して、夢を実現することは難しいと知る、社会の目(社会の厳しさを知るという意味での社会の目)

まあ、ある程度は重要なのだが、それに振り回されすぎると人生を謳歌できない。自分の人生なのに、自分の人生じゃなくなってしまう。

俺の場合は、旅やアウトドアというものに出会って、社会の目の外に出るということを知った。海外に行けば知り合いもいないし、文化も違うからひとつめの社会の目は気にしなくていい。さらに、アウトドアは未経験だったし、困難もあるけれど、できないことを純粋にクリアして夢を追いかけることができた。もともと得意だったり仕事だったり、プライドがあることだとふたつ目の社会の目ってのがあってできなかったかもしれない。

そんなふうに思う。

岩谷圭介さんが情熱大陸で取り上げられていた。数年前に初日の出を宇宙から撮影した時も話題になっていた方だ。個人的にも宇宙には興味が非常にあり、なんどかウェブで拝見していた。そして、海外でもJP aero spaceなどのプロジェクトがあって、それもウォッチしたり。

今回、情熱大陸を見て、さっそく岩谷圭介さんの本、宇宙を撮りたい、風船で。を読んでみた。つくづく思うのが、まずはやってみること。そして、試行錯誤すること。諦めないこと。やりたいことは徹底的に周りに話すこと。すると、いろいろな人やアイディアがつながって、夢に近づくこと。いつも思っているし、当たり前だし、出来る限り俺もそんな風に動いているけど、その大切さを改めて思った。

それにしても、自分で作ったものが、自分の手から飛び立って宇宙に行って帰ってくる。ロマンだよな。そして、本当に美しい世界を見せてくれる。双眼鏡で見る行為と体験的には近い気がする。ちょっと便利なツールを使っているけれど、自分の目を通して宇宙を見ているような。自分の分身が宇宙に出かけてきてくれたような。いろいろノウハウものっているし、岩谷さんのサイトにも飛ばし方が載っているのでやってみたいなーと思う。

読み終えて強く思うこと。日々の生活で埋もれていることが、見えることに夢がある。見えない世界を見てみたい。この気持が全てのはじまりなんだな。

送信者 art

ふうせん宇宙撮影
岩谷圭介さん

トップページ

アメリカだとこんな風にやってる。
http://www.jpaerospace.com

記憶に残った言葉

P7
本当に些細なことでも、「やってみる」から、はじめてみる。すると、何かが変わっていくと思うのです。そうすれば、宇宙ですら、手を伸ばせば触れることができるかもしれないのです。
まずは、「やってみる」から、はじめよう。
これが夢を追いかける合言葉なのかもしれません。

P23

自分の手から放たれて飛んで行くというのも、風船の特徴です。自分と地上と雲と宇宙が連続的に体験できるのです。
宇宙と地球と自分とーーー。風船によって、宇宙という非現実の世界だと思っていたものが、実は自分のすぐそこにある場所であること。

P27
商品は買うことで、使うことができます。単にお金を出すだけでいいのです。そこに創意や工夫はいりません。そんなことにならされてしまっていると感じるのです。
たとえば、スキーがやりたい。けれど、スキー板がない、お金がない。中略 お金を稼ごう、バイトしよう、と発想してしまいます。中略 明治時代の開拓当時、中略 木を削って作られているのです。なんだはじめのスキー板はこんなものだったのか、これなら作れそうだ、と思うのです。

P28
僕達の身の回りにあるすべてのものは、もともとは商品ではありませんでした。誰かが考えて、ハリボテのような試作品から、改良されて進化して、便利な商品になっていったのです。生まれてからずっと、便利で進化した製品に囲まれていると、商品を与えられることに慣れてしまっていて、自分の力でなんとかやってみようという発想を忘れてしまっていることに、たびたび気づかされます。

P36
失敗には取り返すことのできるものと、できないものがあると思っています。
お金の損失は取り返すことができる失敗です。お金をかければ済むことです。しかし、命に関わる失敗や体が不自由になる失敗は取り返すことができない失敗です。

P49
自分のもやもやと持っていた夢らしきものを、どうにか形にすることで、将来、自分のものに落としこんだり、掴むことができるようになります。
その険しい段階を試行錯誤していくことの大切さを、知ってもらいたいのです。

P70
お金に縛られることから解放されるには、循環、つまり、消費のサイクルを管理することが大事だと思いました。
そこで僕は、大学を出てからも大学生の頃と同じ生活費でずっと生活を続ける努力をしてみました。社会人になっても生活のレベルを変えず生活すると、収入は増えますが出て行くお金は変わりません。そのためお金はそれほどなくても、お金のために働かなくては!という状況から脱することができ、結果として自分がしたいことをする時間を増やすことができたのです。

P76
風船が空に向かって飛んで行く速度は、僕らのこぐ自転車と同じくらいです。
中略
こののんびりした速度で、自分の手から離れた風船が、少しずつ宇宙に近づいていく。それを感じることで、身近な風船を通して、宇宙に行くということ、風船でも行けるくらい宇宙が近いのだということ、そして、”等身大の地球と宇宙と人間”が見えるのではないかと思うのです。
そこから何かを受け止め、考えるのはそれぞれ、いろいろです。

P83
自分がどんなにすごい夢を見ていて、それがいかに魅力的なものだと思っても、まずどんな形でもやってみないと、人の心には届かず、ついてきてくれないのです。
失敗してもチャレンジして、また失敗してもまたチャレンジしてを繰り返していると、人の子ことに響き、やがてついてきてくれるようになるのだということを、この活動を通して僕はほんとうによくわかりました。

P88
秘密にしているより、公開することでたくさんの人達とつながっていくことができ、結果的に新しいフィードバックがどんどん増えるからです。そして、自分だけの力でしか見えなかった世界がどんどん広がっていくんです。
広がっていく世界は、自分で秘密にして抱え込んでいる世界よりじっと魅力的です。

P117
失敗は、自分のダメだった部分と向き合わなくてはなりません。自分の足りなかった部分と、真摯に向き合うための機会をもらえます。ですから、まぐれの成功より、失敗のほうがいいものだと思うのです。

P148
文字がないので、どうしてその作業をしなくてはいけないのかを考えてもらうことができるのです。何を目的に作業するのか、その作業が何に繋がるのかを考えてもらうためには、言語は不要だったのです。

自分の頭だけで考えちゃいけない、言葉だけで考えちゃいけない

毎朝すごい数の人がスカイツリーに行くためだけに、はとバスのツアーを使ってる。俺の考えだと無駄じゃねって思うけど、別のところに価値を感じてるんだろう。普通に電車でも見にいけるけど、バスで友達見つけたいとか、バスで移動するほうが好きとか、なんかあるんだろう。つくづく自分の頭だけで考えちゃいけないとおもう。

人に聞く、相談する。
自分には無い視点をもらう。

そうなんだ、究極的に自分の脳は自分で閉じている。思考パターンもそうだし、自分で完結する場合は文字でなくてもいいし、文字でないことも多い。論理的に説明する必要なってない。自分の脳の中では。一方で他者と話すときは、文字や言葉、図などで伝え合う。自分の脳にあるものをそのような手段で伝えるために、文字とか絵に変換するときに、自分でも気づきがある。

さらに、相手は自分の伝えたことを完全に同じように捉えないし、その人の経験とかさねあわせて考えるから、また違った発想が生まれる。具体的に説明するってことは、相手に伝える手段としていいのだが、本当に言いたいことは伝わらない。本当に考えていること思っていることは文字で存在していなくて自分の経験やもっと抽象的な文字ではない脳にあるモノであったりする。それは絵かもしれないし、感情かもしれないし、全く違うナニカかもしれない。ただ、相手にはそれでは伝わらないので具体例というもので類似したものを言葉で提示して分かり合おうとしているだけ。結局、分かり合えっこなんかない。が、それがいいのだ。考えが発展するきっかけなのだから。

80%の共通認識と、20%ほどのズレ。これが、思考を発展させる。50%ぐらいしか共通認識がないとちょっと、話が噛み合わないってことになる。一方で100%共通認識ができてしまうと、新たな思考の発展がない。

仕事相手に気が合わない人が多い理由ってのも、その一種だと思う。それは、いいことなのだ。
http://teratown.com/blog/2014/10/08/aoaeeeucieiaiyi/

絵で考える人
文字で考える人
書いて考える人
話して考える人
数式で考える人

論理で考える人
思いつきで考える人

いろいろな方法があるし、数式をいつも扱っている人は数式で考えがちかもしれないし、絵を毎日考えている人は絵で、写真で、音楽で、物理法則で、作家は書いて、漫才師は話して考えるってな感じで、自分が身近な方法で考えることが多いかもしれない。だから、普段自分が使わない方法で考えると、新たな発想を得られたり。

俺は、文字で考えないことがあって、何で考えているかと聞かれると非常に説明が難しいのだが。。。積み木みたいなブロックのようなもので考えていたり、グネグネした糸のようなもので考えていたり、脳の右と左から何かが斜め上に出ていてそれがぶつかる感じのことが起きて考えていたりする。これは、言葉に変換するのが非常に困難だ。あとは、言葉なんだけど日本語でも英語でもない、俺独自の言葉というか擬音語みたいなのがたくさんあって、それで考えているというか感じていることもある。

ということで、他者の脳を使ったり、考える手段・方法を変えてみたり、自分が言葉で考えなかったことを言葉にしたり絵にしてみる、こういったことをすることによって、思考は発展する。思考は変換されて、新たなことに気づき、広がっていく。と、まあ、形にならないアイディアを自分なりに形にするための手段を書き留めておく。

http://www.teratown.com/blog/archives/000975.html

http://teratown.com/blog/2015/09/15/文字が文字である必要がなくなる日/

視点を変える価値

先日、キリアンがウルトラピレネーのレースで動画を撮りながら走った映像が公開されていた。
世界一のトレイルランナーだけしか見れなかった視点を世界の人が見れる。重力がないかのように走る視線、キリアンだけが得られる多くの人からの声援・賞賛。

マムートの360というプロジェクトで、アイガー北壁を登るクライマーの背中に360度撮影のカメラを搭載して撮影した映像も公開されていた。この臨場感も、ただものではなかった。

リコーのシータは全天を写す。
Googleストリートビューも。
GoProも。
ドローンだってそう。

カメラは今までもあったが、その見せ方、撮り方が変わっただけ。しかし、それが価値。

視点が変わると全く違う世界が見れる。新たな価値に気づく。そうすると、新たな活用方法が見いだされ、新たなビジネスが生み出される。実は、今までもあったものでも、見せ方を変える、見方を変える、使い方を変えるだけで世界は一変するのだなと、つくづく思う。

ふと、マムートの映像やキリアンが撮影した映像を見ると臨場感を感じ、バーチャルリアリティの世界も近づいたのかなと思う。技術的に進歩したり、より通常の人間と同じ視点に近づくバーチャルリアリティ。そして、こうした映像を何度も見てその経験を重ねていくとバーチャルリアリティが人間の中で一般化して、バーチャルリアリティが生々しさを持つようになる。そうして、スタンダードになりそうな予感がしてきた。

何が言いたいかって、バーチャルリアリティの技術の発展だけではなく、人間がバーチャルリアリティを何度も体験していくと、人間の脳や感覚がバーチャルリアリティに合わせていく、そうして、バーチャルリアリティをより生々しく人間が感じるようになるんだなってこと。

いつかはバーチャルリアリティが、一般人の生活に入り込んでくると思っていたけど、ふとそれも近いなと感じたのだ。オキュラスとかも、10年後とか当たり前のように普及してるんだろうなーと思う。

いきなりバーチャルリアリティに話が飛んだが、完全に作られたバーチャルリアリティとこうした人が撮った異なる視点の映像は、大きく異なる点がある。

以前ブログで、友達の撮った写真は身近に感じると書いたことがある。同じ場所を撮影した写真でも、自分がとったもの、友達が撮ったもの、知らない誰かが撮ったものだと、全然感情の入り方も違うし、頭に描くイメージも違う。あくまで、写真を見ていても、実際に見ているのはその写真を元に作り出された自分の中のイメージであるためだ。

こうした人間の慣れや人間の感情をうまく活用しながら、技術は人々に馴染んでいくのだろう。

http://project360.mammut.ch

身近なこと、人の目線(street view)

http://www.teratown.com/blog/archives/001538.html

あるひとつの悲劇

自動バックアップエラーが2回表示された。
昨夜と今朝。

あれれ、と思いながら土日に外付けハードディスクでもチェックしようかなと思っていた矢先の事だった。

夜、パソコンを付けた。
そして、アマゾンで買ったMP3プレイヤーを接続して音楽を入れようとした。もちろん来週に迫った信越五岳トレイルランニングレースのために。一人で20時間も走っていると暇だし眠たくなるので、音楽が必要なのだ。まあ、この話はさておき。

MP3プレイヤーを接続して、フォルダに音楽を移そうとしたら、外付けHDDが認識していない。。。。あれ、おかしいぞ。

昨夜と今朝のバックアップエラーの文言が脳裏をよぎる。

パソコンを再起動する。ダメだ。
コンセントを確認したり、電源を確認したり。繰り返すこと2度3度。

かろうじて、外付けHDDが動いている。
そして、「フォルダの中身を認識できません、早めのバックアップをしてください。」

こんなアラートと、共にファイルの中身が見れた。
この中には過去15年ぐらい撮りためた写真が全て入っている。一部はpicasaに上がっているが、自分の脳よりも鮮明で色鮮やかな場の記憶が残っている。そして、その鮮明な記憶はトリガーとなり、自分の脳の中により豊かな臨場感のある記憶を蘇らせてくれる。

そんな大切なものが消えれしまうなんて。google photosで早く自動バックアップを終わらせたいが、なぜだか最近調子が悪くて35万枚ぐらいアップロードされないままだし。

あるひとつの悲劇が目の前で起ころうとしている。
その日の前に。

早く新しい外付けHDDを買って、バックアップをするぞー!おー!