「旅」カテゴリーアーカイブ

時間の流れを踏まえた旅する場所

いろいろな場所に訪れてきた。

白地図を塗りつぶすように。自分の訪れた場所は、その地名が色付けられたようにイメージが形作られる。見聞きした想像だけの世界から、実感を持った肌感覚とでも言おうか。

行き先を決める。出かけるということはそういうことだ。あてのない旅もあるけれど、それはゼロに近い。ここに行きたい。そんな気持ちから旅の一歩は始まる。

自分の感情に素直にしかなれない。興味がないとどうしても体が動かない。まあ、義務でやっているわけでもなく、完全なる自分の自由意志なのだからそれでいい。そして、趣味とはめんどくさいことだ。やらなくてもいいことだ。それをあえてやるのが趣味だと思う。それだから、行動するにはエネルギーがひつようだ。そのエネルギーが興味、そう好奇心。

そんな旅先選びも、興味、お金、時間、体力などなどいろいろな要素が関わるが、時代の流れも大きい要素だ。それは、政治であったり、環境の変化、インフラの変化、社会・文化の変化。

例えば、チベット鉄道ができる前の車でしか行けないチベットに訪れてみたい。鉄道ができた後は中国から世界からより多くの人が流入するし、チベットからも出て行く。その前のチベットを感じたい。世界遺産になるまえの小笠原諸島に行きたい。政治体制が変わる前の中東、ブータン、キューバに行ってみたい。

世界は常に変化するし、変化するから成り立っているし、それを闇雲に止めたいとも思わない。ただ、変わる前の世界を目で見て、肌で感じたい。そう、時間は不可逆であるからこそ、もう味わえない世界を味わっておきたい、そう思うのだ。

送信者 いろいろ

夕暮れのひとときを楽しむ尾瀬ヶ原

北千住から便利な場所。

せっかくなら、その土地に住んでいるから行きやすい場所ということで、尾瀬へ。

北千住から夜行列車で尾瀬まで行ける。

尾瀬夜行2355に乗り、会津高原尾瀬口駅へ。ここでバスに乗り換え、沼山峠に翌朝6:10到着。

送信者 登山

山に登らなければ木道ばかりなので、あんまり山っぽくない人や日帰りの人も多そう。気軽にこの自然を味わえるのはいいもんだ。沼地の草も色づいて、秋の気配を感じる。青空と黄金色の葉がそよそよと揺れる。

送信者 登山

俺は燧ヶ岳へ登って、そして見晴キャンプ場へ行くルート。燧ヶ岳の登りはかなり辛かった。斜度があるし、石がごろごろで。見晴新道が土砂崩れかなんかで閉じているので、沼尻から往復。頂上ではガスって景色なし。。。

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てくてくと木道を歩いて行く。アフリカのサバンナのようなだだっ広い草原のような気さえする。見晴キャンプ場に着くと立派な小屋が立ち並ぶ。小屋にはおみやげとか生ビールとかソフトクリーム、さらにはお風呂まで着いたホテルのような施設にびっくり。キャンプ場のテント場もきれいだし、トイレも水洗でびっくり。人が来る場所ってすごいな。

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山に登らない友達とうまい食べ物をたくさん担いで宴会をしにくる場所だな、こりゃ。まあ、早く着いたので課題の資料を読んだり、本を読んで過ごす。それから、散歩で湿原を歩いて寝転ぶ。ザックがないので気楽だ。やっぱり身にまとわないミガルな方が心地いい。

送信者 登山
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夜はスパゲティを茹でて食べようとしたら、ゆでた麺を地面にこぼしてしまった。チーン。汚れてないところを拾い、幸いにも水場がしっかりしていたので、麺を洗い食べた。。。こんなこともある。

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日が沈む頃に再び湿原に。スパゲティ事件で、消沈モードだったが、湿原から立ち上がる霧と西の空を茜色に染める太陽。何とも言えない世界。こういった光景は初めて見る世界だった。ただただ、その場のマジックアワーに心奪われた。尾瀬って気軽に来れるのにいい場所だなと、スパゲティ事件から一転、心躍る。ポイントは見晴キャンプ場という場所。ここが、尾瀬の入り口から一番不便な場所だから、比較的静かなのもいい。

送信者 登山
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夜は寒いかと思ったら、暑かった。ダウンなんかを脱ぐくらい。昼間は秋だなってくらい寒かったのに。夜中にテントを抜け出れば満天の星空。明日も晴れる。

送信者 登山

目を覚ます。紅に染まる東の空。朝が来た。朝ご飯を食べて、テントを片付け6時30分に出発。再び木道を歩く、朝露に濡れる木々の葉が生き生きとしている。太陽の光に輝き揺れる姿が美しい。

送信者 登山
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至仏山へと登る。ここもけっこうな斜度で、足の筋肉にはいい刺激。みんなが登りまくって、石が削れてツルツル、嫌な感じ。老人には危険だなと。登りながら振り返ると尾瀬ヶ原と燧ヶ岳がドーンと。いい眺め。頂上では風が吹いて寒かったので、さくっと下山。鳩待峠について、乗合タクシーで尾瀬戸倉に。日帰り温泉で汗を流して14時30分のバスを待つ。その間に、テントを干して家に帰ってからの仕事を省いた。帰りのバスは新宿行き。3連休最終日で渋滞。帰りも北千住が良かったが、2日前までの予約しかなかった。。。

送信者 登山
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想像していなかった景色に出会えた尾瀬だった。

夏の終わり、御宿の浜にふたたび

千葉県の御宿

5年ぐらい前に、初めてのオーシャンスイムをした場所

送信者 sports

これがなければ、トライアスロンはしていなかったと思う。3キロ泳いでもまだまだ元気だった、これなら自転車もランもいけそう。そう思ったのがきっかけだったから。

そんな、場所でオーシャンスイムのリレーに出る。御宿駅に降りると、ああこんな町並みだったと記憶が連なるように思い出された。

送信者 sports

ビーチに到着すると、みんなすでに到着していた。着替えて、アップをしても、まだ時間がある。

マジックでゼッケンナンバーを書いてもらえないらしいので、ボールペンで書いてみたw

送信者 sports

さらに時間があるということで、砂に埋めてもらったw

送信者 sports

そして、背中にサンドアートさながらの、「泳」という文字を刻む。

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体についた無数の砂が、風でハラハラと飛んで行く。今まで味わったことのない感覚。今までとは違う風の流れを感じた。砂が落ちて行く感覚は、まるで自分が空を飛んで、砂が落ちて行くような。そして、砂という服を着ている感じも面白かった。

ついにリレー。3人1チーム。岸さん、石田さん、俺の3人チーム。沖の方へ泳ぐ。波に逆らうのでけっこうハードだった。水も濁っているので先が見えなくて、トライアスロンと違って人がばらつくので、参考にする人がいなくコースからそれたりと。

送信者 sports

でも、無事にバトンを繋げた。浜に上がるちょっと前に、大きな波が来た。これだと思って、タイミングを見て波に乗る。人間ボディーボードみたいに、スーーーーッと波に乗って、進んだ。もう沈むと感覚的に思っても、うまく波に乗ったので、滑るように進んで行く。気持ちいい。楽しい。

岸さんにスイムキャップを渡して任務完了。あー、疲れた。思っていたよりもハードだった。みんな無事に帰還し、さー宿へ。浜を歩いていたら、沼の用に足がズブズブと沈む場所があったり、なんでもエンターテイメントになる楽しさ。

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今夜は「まみや」さんに、泊まる。まずはお風呂に入って、夕食。お酒は隣の売店で買って持ち込んでということだったので、安くつくしありがたい。かなりボリュームたっぷりでおいしかったけど、特にさばの味噌煮が一番だった。

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ここに来たら、夜のビーチを散歩。誰もいない静かな海に月明かり。音楽を聴きながらビーチを駆け回って、海に流れる川に入ったり。なんだか不思議な感覚になる。

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夜の海って吸い込まれる。海の上に輝く月と波の満ち引きが呼んでいる。そんな感じ。いつの間にか海の方に歩いている。自殺願望とかではないんだが、夜の海にはそんな力があるんだなーと思った。

いつの間にか、みんな熟睡。おやすみなさい。早く寝て起きた真夜中に錦織くんが、USOPENで日本人初の決勝進出を決めた。

http://teratown.com/blog/2010/09/12/54e34eaiii/

時間と肉体の有限性が生み出す世界の面白さ

キレイごとを言う人より、発言はどうであれ行動する人を信じる。

飲み会でも、引っ越した遠くの友達でも「行くよ」と言って来ない人よりも、何も言わなくても来た人。

地震の時に東北のことを思うと本当に心が痛むと言う人よりも、ひどいことを言っても実際に現地へ行ってボランティアをしてきた人。

もちろん、いろんな事情があって足を運ぶことが全てではないにしろ、どちらかと言えば行動した人を信じる。

でも、行動の部分が地味なことだったり、その人が行動したことを言わなければ、キレイごとを言った人が評価され、口が悪いが行動した人は批判される。

世の中はそういうものだと言えば終わりだけれど、俺は行動者を信じる。

でも、なんでだろう。

タイムマシーンが存在しないことに答えのきっかけがあると思う。今この場で人が存在している。だから、タイムマシーンで過去に行った時、この場に別の何かが存在してしまったら、存在が重複してしまう。時空のゆがみとかなければ、それはあり得ない。って、言っても表現が下手で伝わらないので、具体例を書いてみる。

僕ら人間は物体だ。肉体という物理的に存在するものであり、それから切り離して考えることはできない。いくら優秀な人であろうと、いくら金持ちであろうと、その逆の人であろうと、自分という物理的なものが存在する。時間と同様に、全ての人にあまねく肉体という物理的な存在が1つだけ与えられている。死は、その物体が消滅することを意味しており、死を迎えない限り物体としての自分が存在する。

そう、この時間と物理的な存在での自分は切り離せないのだ。有限な時間と有限な存在である肉体。行動とは、その有限な時間と有限な肉体を捧げるという行為なのだ。言い方を変えれば貯金を切り崩すような行為。有限の人生の中で、そこに自分の命の一部を捧げる行為なのだ。

そんな行為が行動である。行動とは、自分の命の一部を捧げること、だからその行動をしてもらった側には、気持ちが伝わるのだと思う。言葉は行動を伴わず、ほとんど自分の時間も肉体も捧げていない。だから、何の代償も伴わないから、信じていいのか悪いのかが分からないのだろう。

この絶対的にかかってしまう時間と肉体というのは、究極的に人間という生物が行き着くところだと思う。いくら天才でも、いくら金持ちでも関係ない。だから、そこから飛び出したくて、人工知能とかクローンとか、再生医療とか、脳科学とか、タイムマシーンとかそういったものに人間が挑んでいるんだと思う。でも、これはなかなかブレイクスルーがないと思う。だから、面白いし、俺も興味あるし。

なんだけど、行き着くところは時間と肉体の有限な存在だ。これは時給系スポーツも同じだ。いくらお金を積んでも、100キロ走れるようにならない。効率的なトレーニングや食事方法はあるけれど、やっぱり絶対的な時間を確保して、日々の運動を積み重ねなければならない。そうしなければ、成長しない。絶対的に時間も自分の肉体も使わなければならない。それらと切り離せないからこそ、みんなが同じ土俵での勝負になる。いろいろ考えて行くと、こういった時給系スポーツにはまる理由はここにあるのではないだろうか。

そして、迷ったら物に立ち返れ。これは、数年前に茂木さんが芸大の友達に言った言葉。そう、物は存在する物体だ。揺るぎない存在だ。存在しないものは、解釈によっても違うし、言葉というものも解釈による。でも、存在するものは揺るぎない。もちろん、物も解釈によって変わるが、その存在自体は揺るぎなく、そこにあるもの。

まあ、長々と良く分からないことを書いたが、有限な時間と有限な肉体(物体)というものが、人にとって究極的によりどころというか、面白い存在だということです。

送信者 いろいろ

やり残した夏の宿題

UTMBウィーク最終日

UTMBやPTLの選手が続々とゴールする。ソーシャルメディアの俺のタイムラインはUTMB一色だ。去年も一昨年もあそこにいたのだから、愛着はある。今週末は友達と山に行く予定だったが、集合したけど雨っぽいと解散して結局、家にいる時間が多かったので、UTMBのライブをネットで見ていた。仲間のゴールや優勝者のゴールなど。

やはりお祭りだなと思う。アメリカの100マイルレースとは違うし、日本のそれとも違う。独特の高揚感。みんないい笑顔をして帰ってくる。途中のエイドステーションでは、真剣なまなざし。そのギャップがいい。いい時間を過ごしているんだろうなと思う。

何か成し遂げたいことや実現したい世界があって、そのために日々積み重ねて行き、こういったその成果を出し切る場があるというのはいいもんだなと思う。

今年は日本人初のPTL完走者が出た。すなおにスゴいと思う。ブラボー。今、東京にいる自分が、1年の時を経て、PTLとは何だったのかを書き記したいと思う。

ひと言で言えば、本気で勝負して、本気で負けた経験だった。

勝負する前から、今までの人生の中で圧倒的にハードルの高い勝負だと分かっていた。そのために準備をした。装備の準備、肉体のトレーニング、コースやGPSの使い方の準備。

ただ、それらを遥かに越えていた。レースのイメージを正しく持って練習することの大切さをしった。正しいゴールイメージを持って練習や準備しないと、全く無意味なのである。

とはいえ、レースのイメージが沸きすぎていたらチャレンジしていなかった。あまりにも過酷だからだ。知らないから挑める強さと知っているから着実に準備できる強さ。この狭間がポイントなんだろうと思う。

チャレンジしたからこそ、TEAM JAPONの3人の結束は揺るぎない絆になったと思う。互いの息づかいを感じながら過ごした時間、そしてあの決断をした瞬間、悔しさに涙をした日々。

3人で挑戦できたことが本当に良かった。価値観を共有できて、体力が同じぐらいで、休みも合致して、そんな仲間なんてそんなにいない。人生の中でそんな経験をすることって、滅多にない。アコンカグアもそうだったけど、2013年はそんな機会に恵まれた。

それだからこそ、三人でシャモニーに帰りたかった。でも、あの時のの実力じゃ無理だった。冷静に考えればそうなんだけど、、少しはああすれば良かったとも思った。

そんな甘い考えを吹き飛ばすぐらい、PTLのゴールを見て格の違いを感じた。全然及ばない。同じスタートラインを超えたものが、シャモニーに戻る瞬間。祝福と悔しさ、情けなさ。幾重にもなった感情が胸の中を渦巻いていた。

ラストフィニッシャーのゴールを見て涙が自然と流れた。こみ上げてきて、溢れ出した。ギリギリでもゴールする姿勢。音楽と共に祝福される。自分たちと重ね合わせ、三人でシャモニーのゴールゲートをくぐるイメージと重なり、それができなかった現実。感情が高ぶり、それぞれ涙していた。そんなシャモニーの昼さがりだった。

また、いつの日にか出るとしたら、TEAM JAPONの同じ3人でシャモニーに戻ってきたい。

あの景色は忘れない。

送信者 TEAMJAPON