「ビジネス」カテゴリーアーカイブ

たいしたことしてないのに、たいしたことしたという錯覚

たいしたことしてないのに、たいしたことしたと錯覚してしまう場合がある。

これは問題だ。

個人ごとに、さらには個人でもその時の年齢(経験値)によって、たいしたことというのは異なる。
昔は大変だったことでも、経験を積めば朝飯前ってことも多い。

ビジネスはプロセスも大切だが、やはり結果が決定的に重要だ。たいしたことしてないのに時間がかかったり、無駄な交渉や調整が多いと、たいしたことしたと勘違いする。自分が効率悪くていろいろな作業して時間がかかっても、たいしたことしたと勘違いする場合がある。

一方で、効率よくやれば圧倒的に簡単にできて、大きなインパクトのあることでも、たいしたことと感じないこともある。

無駄に時間を使って頑張ればいいいということではない。人間は追い込まれたりするとただただ頑張ってしまう傾向がある。いくら時間がかかっても、いくら頑張っても、結果としてのインパクトがなければ、たいしたことではない。そう冷静に判断できるようにありたい。自分への戒めも含め。気を付けよう。

送信者 ドロップ ボックス

ランキングと言う不思議

人々はランキングという言葉に飛びつく。
それは日本人だけかもしれないし、世界中の人も同様かもしれない。

少なくとも、日本にはランキングというものに飛びつく人が一定層いる。
これが不思議でならない。

ランキングが気になると言うことは、そのランキング対象に興味がないはずなのだ。
興味があるから、何らかのランキングが気になるんじゃないか?という考え方もあるが、違うと思う。

本当に興味があることなら、誰かがテキトウに作ったランキングに興味は示さず、自分がその対象について調べて自分のなかで善し悪しを判断しているはずなのだ。
そういった自分が興味ある対象のランキングなら、なんだこのランキング、ぜんぜん自分の考える順位と違うじゃん。意味ない。そんな風に思うだろう。
本当に興味がある対象なら、自分なりの判断軸や基準があって、それを踏まえて自分にあったものを選べばいい。
ランキングに飛びつくと言うことは、その軸すらないと言うことだろう。

本当に興味があるものではないからこそ、何も調べていなくてランキングに飛びついている。
でも、それはどうでもいいことのはずなのだ。
自分で調べて善し悪しを判断していないのだから。
なのに、なぜランキングに飛びつくのか?
不思議でならない。

自分で善し悪しを決めるモノ以外でも、世の中の全ての物に順位付けをして知っていたいと言う欲求があるのだろうか。
自分の判断を後押しする、一般的な意見として間違ってないと証明する拠り所なのだろうか。

なんにせよ、ランキングは不思議な存在だ。

送信者 パプアニューギニア2011

いつも忙しい人、いつも余裕のある人。

人間とか人類という単位では興味があるけれど、あまり他人に興味が沸かない。もちろん、この人はすごいとか、面白いとか、気が合うとかはあるけれど、それ以外の人に関しては全く興味が沸かない。でも、最近はいろいろと個人という単位で、いろいろと観察するようになっている。

すると、こんな風に人々が別れて見えた。

いつも忙しい人、いつも余裕のある人。
いつもトラブルに巻き込まれる人、いつも物事がうまく進む人。
いつも楽しそうな人、いつもつまらなさそうな人。

なんだか、正のスパイラルの中で生きている人と負のスパイラルの中で生きている人がいる。どちらの人たちも、自分の人生をより良く生きたいと願っているのは共通だろう。さらに、そのために意識的に考えたり、努力したり、働きかけたりしているのも同じだろう。でも、最終的な結果が残念ながら違う。

で、忙しい人はいつも忙しい。今、短期的に忙しい人もいるけれど、大半の人はいつも忙しいと言っている。余裕のある人はいつも余裕があると言っている。

これは何による違いかと言う風に見ていると、「行動パターン」と「思考パターン」が最も大きな要素ではないかと思えてきた。

行動パターンとは枠組みのようなもので、ある物事に対して自分がどのように対応するかだ。

例えば、決まりきったタスクなのに、フォーマット化していなくて無駄な作業になっている。一番最初に仕組みを整えれば後から時間が永遠に削減されるのに、その最初の手間を惜しんで無駄なパワーをかけているとか。基本的にルーチンワークは出来るだけ頭も使わず、手も使わないようにして、考える必要のあることだけに集中すべきだろう。頭では分かっていても、実際の日常となると、出来ていない人が多い。

忘れ物を良くする人、時間に遅れる人、物をなくす人もこれに該当する。毎日持って出歩く物であれば、常に置く場所を決めて、毎日そこから持っていけば良いだけだ。

それ以外でも、適期的にやらないと行けない作業とかでめんどくさい物は、めんどくさいなと心で思わないように、やる時間を毎週○曜日○時とか固定で決める。そして、感情も持たずにさっさと済ませる。そうして、自分の行動習慣をつけて、頭を使わなくて良くする。

さらに、単発だけれど1ヶ月後にやらないといけないタスクとかは、それを忘れないように記憶しておく手段を決める。例えば、手帳を使っている人なら該当する先の日にすぐに書き込む、オンラインのスケジューラーを毎日使っている人はそこに書き込む。など日常的に使う物に書き込んでおいて、頭から抜けても絶対に漏れないようにしておく。

当たり前なんだけれど、自分の頭に記憶しておくとか、忘れそうだから心配といった風に思うと、どこかで脳が使われている。すると無駄に脳のパワーを使ってしまう。そんなことに使うと、大事なことに使う容量が減ってしまう。そのためにも、脳から抜けても大丈夫のように、習慣化したり、忘れても絶対漏れないような仕組みや行動パターンを決めておく。

もうひとつの思考パターンは、物事の捉え方だ。

例えば、
悩まなくてもいいことを悩む。 (すぐにあたふたして、混乱して、解決策を見いだせない。)
自分でコントロールできないことで悩む。
嫌なことを後回しにして、塩漬けにする。
物事を判断する自分なりの判断軸がない。
本当に重要な物を見極めず、優先順位をつけて取り組めない。

基本的にたいしたことでもないのに、悩んでいる人が多いと思う。大変な問題なんて滅多にない。基本的には人間が死ななければ大丈夫だ。それ以外の問題はたいしたことない。その心構えでいれば、まず悩まなくて済む。問題だっ!とあたふたすれば混乱して解決できる問題も解決できなくなる。悩まないと冷静に物事を判断して、解決に導きやすい。

さらに、コントロール可能なことにたいしてだけ取り組むべきであって、自分がコントロールできないことをどうにかしようと努力してみたり、コントロールできないことに対して悩むといったことはやめた方がいい。

嫌なことや苦手なことを後回しにする人がいる。自分がやらなくてよいように済ませれるのであれば、それでもいいかもしれない。けれど、絶対にやる必要のある物ならば、さっさと済ませるのがいい。残しておくと、あれをやらないといけない。。。と脳の片隅に常にあって、他のタスクの妨げになる。そんなことに脳の一部を使われていると、大切なことに脳を100%使うことが出来ない。さっさと嫌なことを片付けてしまえば、気分もスッキリしてメリットしかない。

自分の判断軸がない人も意思決定に時間がかかり答えがでない。別に何でもいいが、何を元にジャッジするかがないと、毎回判断の結果が変わって信頼されないし、問題の原因にもなる。軸なんて、より儲かるでも、より簡単とか、よりかっこいいとか、客観的なことでも主観的なことでもいいと思う。

最後に、これも問題、あれも問題といって、いろいろなことに手を出すと忙しくなってしまう。重要な物、一番インパクトのでかい物を見極められず、思いついたことから片っ端に手を付けたり、ただ頑張っていろいろやればいいと思っているのも最悪だ。インパクトのあるもののみ改善を行って、そしてその結果を見た上で、次の打ち手を打つべきなのだ。

なんだか、この内容は安っぽいビジネス書みたいになってしまって、イマイチだなと思う。こんなものをアップするのも恥ずかしいが、いつも忙しい人といつも余裕のある人。これの違いはちょっとした行動パターンの違いとちょっとした物事の捉え方の違いなんだと思う。忙しい状態の渦中にいると、ちょっと引いた視点で見ることが出来なくなって、負のスパイラルに陥るが、そんな時でも第3者的な視点で見て、行動と思考パターンを修正できるような人でありたい。

送信者 パプアニューギニア2011

歴史は繰り返すってことと、グローバルって話

お店のトイレの中に「ハロウィン」って書いてあり、ハロウィンって実際のところ何なのさ?とふと思う。
まあ、クリスマスと似たような感じで日本に輸入されたんだろうと、一人で納得する。

お祭りごとは地域を超えて伝わっていくんだな、と再びふと思う。
そういえば、昔のお祭りも地域ごとに似た祭りが多い。
仮面をかぶる祭りは沖縄や鹿児島に多い。
東南アジアや南の島から伝わったとも。
神田道夫さんが乗っていた気球が太平洋に落ち、その後悪石島に流れ着いている。

獅子踊りは東北地方。
もちろん少しづつ異なるけれど、地域で似ているということは、伝わっていったのだろう。

ワタリガラスや熊の類似した神話は、北海道、ロシア、アリューシャン、アラスカと続く。

そう考えると、昔と比べて伝わる距離が長くなり、伝わる時間が短くなっただけ。
それがグローバルってやつなんだろう。
本質的に起こっていることは、昔おこっていたことと変わらない。
表面的なことは変わっていても、その原理だったり、枠組み(骨格)だったりは同じ。

昔に今よりも狭い範囲で起こっていたことをしっかりと読み解けば、今の世の中でも何が起こるかがわかるのだろう。

と、考えていたら、歴史は繰り返すなーと。つくづく思う。

言葉面だけではなく、実感として最近やっとその意味がわかってきた。
自分はまだ若いし、歴史が好きで勉強しているわけでもないから、どれだけかはわからないが、経験を通して感覚で歴史は繰り返すという意味がわかった。
ブログ、SNS、ツイッター、スマホのアプリの流行方とその普及、衰退のサイクルを見ていると、同じようだと思い、そこには人間の基本的な感情が根底に存在している。
リーマンショックなどの金融危機を見て思い、エコだなんだというグリーンニューディールを見て思う。東日本大震災と原発、そして自然エネルギーの話しも。アベノミクスにしても。

もっともベーシックなこと、自然のあるがままを元にして物事を考えれば、大きく道を踏み外すことはない。冷静にものごとを見ていたい。

送信者 岐阜

人が集まることによる団結の意義

チームスポーツの団結の価値とは何か。
フランスやイタリア、ブラジルはサッカーの競合国のはずだ。
もちろんそれらの国には個人としても有能な選手がいる。
でも、チームとして団結していなかったり、雰囲気が悪いと負けるだろう。
たまに偶然負けることもあれば、あきらかに歯車が狂って負け続けることもある。

チームの結束とは何か。
チームの団結とは何か。
良いチーム状態とは何か。
良い関係性とは何か。

良い状態になる要素は何か。
どうすれば良い状態になるのか。

チームの状態は大切だけど数値では見えない。
数値の指標で比較のしようが今のところはない。
いかに判断するか。
われわれはどのように、価値を判断していくべきなのか。
数値では見れないけど、大切。どう見るのか。

ただ、明らかに言えることは波に乗っているチーム、歯車が合っているチーム、みんなが楽しみながらやっているチームは強い。やらされていたり、楽しくなかったり、人間関係が悪いと良い結果は着いて来ない。

こう考えていると、チームの結束に必要なものは、こんな感じな気がする。

スキルなり、人柄なり、何かお互いが尊敬できるものがある。
考え方などは違っても、根底を流れる感覚は共有できる。
ハッキリとした同じゴールを共有できる。
スピード感のある行動をとれる。(仕事でもスポーツでものらりくらりではなく、テンポよく)
小さな成功が定期的に発生する。
成果(成功)に対して報酬がある(金銭、名誉、達成感、それぞれ異なる)
ゴールの先にさらなる夢を描ける。

そんな人々を押し付けることなく、ゆるく繋ぎ合わせる人(監督)がいる。
そして、こぼれ落ちそうなタスクやギクシャクしそうな人間関係があったら、事前に築いてギャグを織り交ぜたり、うまくフォローできる人がいる。
こんな状態かな。

送信者 ドロップ ボックス