「未分類」カテゴリーアーカイブ

2005-03

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March 29, 2005
花粉症で発見、鼻たれ小僧は天才だった!!
昔よくいたとされる鼻たれ小僧は天才だったと思います。
鼻たれ小僧って、鼻水が出てくると洋服の袖で拭くじゃないですか。
そんなイメージ。

彼らは経験からすごいことを学んでいたんです。彼らは鼻水を服でふき取るだけで、鼻をかんでいないのです。ここが大きなポイント。

鼻をかむと、連鎖的に鼻水が出てきて、永遠に鼻水が止まらないような状況に陥ることがほとんどです。鼻の奥を刺激して、鼻水がどんどん出てくるのでしょうか?まあ、鼻をかむと連続的に鼻水が出てくるというのは、この私の体で実証済みです。

で、鼻をかまずにがまんしたり、ふき取る程度にすると、鼻水がだらだら出て困るということはありません。鼻たれ小僧はこれを経験的に知っていて、鼻を拭いていたのかも。

花粉症が気合で治る理論はこれと通じるものがある。外に出ていると、常に鼻をかんでばかりいるわけにはいかない。だから、鼻をあまりかめない。音を立てて鼻をかめない状況だと鼻を拭く程度。すると、鼻水がだらだらはあまりない。しかし、家に帰ると、鼻をかみ放題だから、悪循環で鼻水だらだら。で、気合がどう絡んでくるかというと、外部にいるときは気が引き締まっている、すなわち気合が入っている状況にある。で、外にいるときは花粉が多いはずなのに、家にいるときに比べ鼻水だらだら度が低いから気合で止まっているのかなと思っていた。しかし、まあ、これは鼻たれ小僧理論だったわけだ。やはり気合ではなかったのか。

Posted by takeshi at 11:24 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
やっぱり空はきれいだった
やっぱり空はきれいだった。

あの青と、雲の透明感。

ヤフーのトップページからとんだら、こんなページがあった。くもの種類とか書いてあると小学生のときに理科の授業で覚えたことを思い出す。まあ、ほとんど記憶に残っていないのだが、今改めてみるのもいいもんだ。
http://event.yahoo.co.jp/eco2005/sky/index.html

ここに私が取った、日本や世界の「いろんな顔した空」があります。
P8270038
Originally uploaded by teratown.

栗田工業なる会社はやっぱりいい。
以前にもこの会社のCMに関してエントリーしたことがあるが、今回のウェブもいい。aqualoginって言うらしい。

こうやって、会社名を入れるとその会社の広報部の人は未来検索とかで見ているのかな?

Posted by takeshi at 08:54 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
小学生時の学びスタイルが人生決める(曖昧記憶法)
ふと思った。思い出した。

俺って、何かを良く記憶するときは曖昧記憶法を利用していた。記憶したいと思って熱心に繰り返し書いたりしても意外と忘れてしまう。しかし、なんとなく読むと覚えていることが多い。なんとなく記憶法ともいう。昔の勉強を思い出しても、公式とかを暗記した記憶がない。はじめは、その公式の意味をおおざっぱに理解する。そのあと、公式をさらっと眺めて終わり。公式を語呂合わせとかして覚えたことはほとんどない。なんとなーく、さらっとよんだほうが覚えている。明確に覚えているとはいえないのだが、ぼんやりと覚えている。ぼんやりとしぶとく覚えているのだ。なぜだろう。でも、これは事実でこっちのほうが記憶しやすかったから、なんとなく記憶法をよく利用していた。昔から、なんとなく記憶法をやっていたので感覚で物事をとらえるようになったのだろうか。

って、考えていたら、これの起源は小学生にさかのぼると思う。それも、学ぶスタイルに起因している気がするのだ。特に小学校の学びスタイル。教育ママとか小学生のときから塾に言っている人は除くが、普通の小学生は学校での学びスタイルによって人生変わる。人生変わるってのは、その時の学びスタイルが、その人の思考方法そのものになってきて人生が定義付けられるようになるのだ。今思い出せば、私は自分勝手な勉強していた。自由ノートなるものがあって、何を学んでも良かった。鳥のことを学んだと思えば、飛行機のこと、魚のこと、農業のこと、算数、自分でやりたいと思ったことをやっていた。この勉強方法はそうとう影響ある。今のなんでも興味がある正確はここから来ているのだろう。あと、制約をあまり踏まえない自分勝手なくらい自由な発想は。それに、日経とか小学生のころから読んでいたから、ニュースとかは今でも好きだし、そんなこと話すの好きなんだろう。前も、小学生のときに人生の大半が決まって、小学生までの生活を見ればその人の将来の大枠は分かると書いた記憶があるが、そんな気がする。

 
Posted by takeshi at 01:00 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
あるようでないもの、ないようであるもの
世の中には「あるようでないもの、ないようであるもの」が多い気がします。

あると思い込んでいただけで、実はなかった。
ないだろうとなんとなく思っていたのに、よーく考えると実際はあるもの。

じゃあ、具体的に何かって、前者は「意識」に関するものが多そう。すなわち、夢とか、何かの理由、とか。

後者は、物質的なもので日常に使わないもの。

まあ、それ以外にもあるんだけど。それ以外のものの方が重要なわけで。何で重要かって、何か今思い浮かばないから重要なんです。「あるようでないもの、ないようであるもの」なんだから、どっちにしろ自分では明確に認識していないんですからね。

思うとか、感じるの中間の意味を表すような言葉ってないですか?
これでは現せない領域があるんですけど。

Posted by takeshi at 12:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 28, 2005
国内16頭目のBSE、北海道で!!
国内16頭目のBSE、北海道で見つかったらしい!!
大変なニュースだ、みんな危険だ牛を食うのを控えよう。
国産牛はとりあえずヤバイ、外国の牛肉がいいんじゃないのか!!

って、お前いまさら何を言ってるんだ。といわれそう。
そんなニュース、まったく大きく取り扱われてないぞ。そんなもの知らないぞといわれるかもしれない。

一頭目が見つかったときの危険性と、16頭目本質的なリスクは変わっていないんじゃないのか?
ただ、ニュース性がなくなっただけだろ。それに、同じニュースで前に聴いたことあるから何も感じないだけだろ。

一頭目が見つかったときは大変なニュースにもなったし、国民も危険だとかどうのこうの騒いでいたのに。本質的な意味において、危険なんだったら今でも騒ぐべきであるのだ。

一頭目であんなにも騒ぐべきではないのだ。一頭目に見つかったときにもっと冷静に分析して判断するべきなんだろう。たぶん、16頭目が見つかったときのことを考えても、本当に騒ぐほど大変な事態だったら騒いで見るとか、そういう思考過程があっていいんだろうな。

まあ、それだけじゃ、だめなときがあるけどね。直感のリスク判断能力ってのもすごいもんだから。

Posted by takeshi at 12:28 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
March 27, 2005
なぜ、のっぺらぼうを望むのか
世界遺産を見ていた。
ベルリンをやっていて、空中から都市を撮影している映像の裏でソングオブライフが流れていた。

これを見て、実にいいな。いい。と思っていたのだが、ふと思う。いつものように、ふと思う。一人のときにしかこの感覚はない。人といるとこの、ふと思うことはほとんどないと思う。これもなぜだろう、書いていて不思議になった。これも今度考えるか。

純粋に、私は一人の時間が重要だとかよく言っているし、人に自分の生活を詮索されるのは嫌いだ、俺は俺ほかっとけ、俺がお前に何もしないから、お前も何もするなという考え方だ。まあ、一人が好きで、落ち着く。完全な精神的自由がそこにある。そのような脳がリラックスしている状態でしか、ふと思う脳の部分は働かないのだろうか。

まあ、それはいいとして、なぜ、のっぺらぼうを望むのか?といことだ。上空からベルリンを見た映像は、人間の目線から撮影した町と比べれば、平面だ。で、この前、グライダーからの眺めがいいなと思った。これも、比較的平面というかのっぺらぼうなかんじ。まあ、これだけだと、普段見ない高い始点から見るという珍しさを良いと感じているともいえる。しかし、普段見ない高いところからの視点だけではないと思った。なぜならウユニ塩湖がいいと思ったのだ。ここも、何もない一面塩だ。あと、モンゴルの草原も、海を見るのも好きだ。モロッコのカスバから見た大西洋とか、ロカ岬からみた海とか、ただ単に空を見上げるのも大好きだ。星とか見るのも好きだし。

なんか、平面が好きな気がする。平面等言うかあまりごてごてしていない、なんか、一面さあっーとなっている感じだな。

で、問題はなんでそれを見るといいと感じるのか。いつから感じるようになったのか。

まあ、いいものは言いと感じるんだから、それ以上の理由をああだこうだ言っても意味がない。いいとおもうもの説明するってのは、ただ単にみんなに理解してもらうためだけに後付の理由がおおい。いいと思った本質とは違う。でも、なんでだろう。

一面平面であるということ、特に私が良いと感じるのはかなりスケールがでかい。一面さあっーと同じようなものが続いている状態だ。だから、でかいもの永遠に続くようなものが好き、かつでこぼこしていないものが好きといえるのかもしれない。

で、なんでだ。なんでだ。普段見ていないもの、珍しいものを見たいというのがあるんだろう。それは、いろいろなものにいえる。だから、平面がすきという固有な理由にはならない。

なんだ、なんだ、わからんな。

Posted by takeshi at 11:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
見えない。聞こえない。世界
福島智
東京大学先端科学研究センター助教授

目も見えなくて、耳も聞こえないらしい(盲ろう者)。世界でも盲ろう者で大学の先生はいないらしい。

目も耳も聞こえない人の世界とはどうなんだろう?
言葉とかってどんな感じを持っているんだろう。というか、言葉の位置づけってどんなんだろう?

自分がしゃべっている実感はあまりないらしい。のどが震えるのと体が震えるのでなんとなく分かるらしい。

やれば出来るといっていたが、まさにそうなんだろうな。

私は障害者である、
普通の人間と同じ人間である。
しかし、両社を異なると思う意識を貫く何かを、
見抜かねばならない。

明るくないと生きていけない
面白くないと生きる意味がない

自分の経験とか体験だけで決め付けるんじゃなくて、
教科書の中だけで決め付けるんじゃなくて、
世の中にはいろんな人がいるよって言うことを伝えたい。
ただそれだけ。

純粋にこの人すげぇ。
細かいことなんかどうでもよくって、純粋に盲ろう者が自立できるようにしたいってのと、世の中にはいろいろなことがいることをみんなに理解して欲しいって思ってるんだろうな。

なんか、それがいいこととか悪いこととか、必要とされてるとかされてないとか、そんなことじゃないんだろうな。この人の見ている世界は、生き抜いている世界は。

Posted by takeshi at 11:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 26, 2005
走りながら見上げた空
少し走った。
すると、いつの間にか顔は空を見ていた。
そこにあった空は、あの空だった。
青かった。
そして雲は空を飲み込むような勢いと白さを持っていた。

気分がよろしくないと言うか、少しテンション下がったときにDesperadoを聞くとじっくりいっちょやってみるかと思います。
Posted by takeshi at 02:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
どうでもいい奴をあしらうことの私にとっての大きな意義
タイトルからして、非常に危険ですが、実際にそう思ったので。。。

結論からいうと、一見どうでもいい奴はどうでもよくなくて、私にとって非常に重要な人ということです。

どーでもいいヤツをてきとうにあしらうということは自分にとって大きな価値があると思うのです。特に、私の場合はそうだと思うのです。私はしゃべりながら考えるタイプだから。とかそんなような理由があります。

 どうでもいい人にたいして話すときは、自分が情熱的にならない。自分が興奮して話すことがないのです。だから、冷静に話しています。情熱的に話すと周りが見えなくなってしまうと思うのです。

 で、てきとうにあしらうんだけど、間違っていたり隙があると突っ込まれるから客観的な事実を並べて常識をもとに論理的に話す。すると、突っ込まれないしさっさと話を終えることが出来る。

これが大きな意味を持っている。 自分では真剣にそう思っていなかったり、てきとーにしか思っていないこと、今まで考えてもいなかったこと、そういう発言だ。だが、客観的な事実を元に論理的に冷静に脳を働かせて発言しているので、普段自分が行わない作業である。だから、自分にとって価値があるし、けっこうあたることが多い。将来予測とかあたる。

 心の底から思っていない発言だが冷静だけあってあたるのだ。 こういう発言をするときはボイスレコーダーでとるといいんだろうな。 
Posted by takeshi at 01:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 24, 2005
範囲指定→メール
文字を範囲指定して、そこで右クリックして特定のアドレスにメール送れたら便利なのになぁ。

と思った。

どうですかね?そんなソフトウェアないですか?

Posted by takeshi at 02:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
もし、このブログを。。。
もし、このブログを今日やめたらどうなるだろう?
もし、このブログを売却できないだろうか?
もし、このブログをデザイン変更したらどうだろう?
もし、このブログをアラビア語で書いたらどうだろう?
もし、このブログを私以外の人が書いているとしたらどうだろうか?

「もし、このブログを私以外の人が書いているとしたらどうだろうか?」
読んでいる人はどんな反応をするのだろう。

このブログを書いている奴が”この私”だと思ってよんでいる人、それは実際に”この私”に会ったことがある人だと思おう。そして、その会ったことある人は”この私”が書いていると思って読んでいる。私にあったときの印象や人間性などを踏まえた読んでいる。そして、再びあったときはこのブログの情報が”この私”と言う人間に付加されたという前提で話をする。その繰り返しで、私という人間像が造られていっていると思う。

それは、ブログと実際にあって話すことに整合性があったりするから、ブログを書いている”この私”と実際の私を同じ人物として疑うことなく思っているのだろう。実際の私もこのブログを読んで話をあわせているだけかもしれない。

実際の私とブログを書いている”この私”が違ったとしたらどうだろう?どのような印象を受けるのだろう?

とか、思ってみました。まあ、実際は同一人物だからどうでもいいんだけど。

Posted by takeshi at 12:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
心のそこからインターネットをスゴイと感じるとき。
心のそこからインターネットをスゴイと感じる時というのは、何の変哲もない(有名でない)一般人がインターネットの先っぽにいると感じたときです。

私が、インターネットをすごいと感じるときはもちろん新しく面白いサービスがリリースされたり、この技術がこうやって使われるとすごい面白くなるんじゃないかと考えたりするときもあります。

でも、心のそこからネットってすげーと思うのは、インターネットを介して、何らかの共通することを通じて普通の人とつながったときではないのかと思いました。そいで、なんか助けてくれたり、同じ感動を共有できたりするといいんだよね。

旅先三日目
http://www.teratown.com/blog/archives/001466.html
http://www.teratown.com/blog/archives/001457.html

W31K
http://www.teratown.com/blog/archives/001449.html

これらを通して思ったわけです。はい。

先日某氏と「私」とはどこまでか、極限的に何を指しているのか、って話しているのは面白かったです。私は、哲学史の知識がないんですけど、それだから自分の考えが自分にも面白くうつりました。
Posted by takeshi at 12:58 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 23, 2005
旅先三日目
先日、かいた角田光代さんの記事。

旅先三日目という作品が究極に良かった。のですが、メモり切れなかった。それで、日曜日からネットにつなぐたびに探していた。すると、見つかりました。さすがネット。

角田さんのオーラと私というテーマの作品です。結局自分にはオーラがないのが当たり前だと思った層です。
以下引用。

旅先三日目

旅に出る。見知らぬ町に着く。
幾度も迷いながら歩き回り、
だいたい三日目に、自分が、まるごと
その町に溶け込んでしまったような
錯覚を抱く。
体が急に軽くなる。
仕事も名前も年齢も
私は、なんにも、持ち得ない
持っていたとしてもここでは
まったくの無用だと気づく
それはちっともさみしいことではなくて、
むしろすがすがしい気分である。

旅から帰ってくると、つい、
何かもっているような気になってしまう。
仕事、家、友、約束、銀行口座、名前、年齢。
実際私たちはそうしたものを背負って
日々よろよろと暮らしていて、
ひとつでも失うとなんとはなしに不安になる。
けれど実際のところ、本当には、
私はなんにも持っていないんじゃないか。
持っている気になっているものはすべては、
思いこみとか、一時的に預かっている
何かなんじゃないか。
そのことを忘れそうになると、
私はいつもあわてて旅に出る。
旅先三日目のあの
空っぽな気分を思い出すために。

角田光代
Posted by takeshi at 09:20 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 21, 2005
アドセンスを偶発的検索ツールとして使う
前も書いたと思うけど、なんとなく気になることをエントリーして、アドセンスの広告もそのページにはっつけておくとなかなか面白い広告が張られることがある。広告を貼り付ける側も、キーワードとか考えているからね、マッチングするんだろう。面白いな。

で、docksonというサービス。写真を撮った人が写真を登録して、写真を買いたい人が変えるという仕組み。そんでもって、写真をとった人にはお金が落ちるシステム。

ネットでは良くあるビジネスモデルだが、知らなかったし、直感的に写真を登録したいと思った。なんか、いいんじゃない。もちろんただで探せばいくらでもあるのだが、安い金で、ある程度の質のものが、どんなジャンルでも大量にあるという状態、かつ宣伝がうまくいってデファクトをとれば、みんな使うようになるんだろうな。がんばって写真を探してただで引っ張ってくるほうが、時間もかかるしめんどくさいということになって。

まあ、こういうサービスががんばってくれることによってネット上の著作権問題なんかは自然に改善されていくのだろう。

ネット時代は個対多が容易に可能な時代だから、副業が本当に多くなるんだろうな。

http://www.dockson.com/

Posted by takeshi at 11:34 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
良く分からんこと
新しいとか、
普通じゃないとか、
極限とか、
馬鹿とか、
不思議とか、
答えがないとか。
想定外とか、
常識を逸脱しているとか、

なんか、中心から離れたものが好きな人間なようです。
Posted by takeshi at 10:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
超天邪鬼最大活用法
忙しいとき、しなければならないことがある時って、ほかの事をしたくなったりする。それに、ほかの事の良いアイディアが大量に思いついたりする。

熱中していること意外の頭が無茶苦茶さえる。しかし、普通はこれは邪魔者扱いされる。そして、いかにこの邪念を排除して、mustなことに熱中するかを考える。

勉強を例に取れば分かる。試験の前になると、他のことがやりたくて仕方がなくなる。試験が終わったら、あれをやりたいこれをやりたいと。でも、テストをクリアしないといけないので、部屋の遊び道具を片付けたり、ファミレスで勉強する。

しかしだ、せっかくさえた発想をしたなら、それを活かさないのはもったいない。だって、あれやりたい、これやりたいってテスト中に思っても、テスト後に忘れて時間をもてあますことが多い。じゃあ、メモすりゃいいじゃん。メモ。

俺もそうしよう。これだめだ、ともったり。やりたいけれども、今はやる時期じゃないとか思ったら、メモしたり、せっかくなんだからそれについて考えちゃおう。

イメージ(≒シュミレーション)とメモ(文字でも絵でも書き残す)これがポイントですな。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
体で覚える
先日、ジュニアNHKスペシャルで体で覚えると言うことをやっていた。

小脳と脳のどっかが関係しているらしい。そんで、失敗したら電気信号を拒否するから記憶に残らず、成功したときだけ、電気信号を受け入れ記憶に残るとか言っていた。

で、体で覚えると、長期間立っても忘れないジャン。なんでだ?と思っていたら、今日、テレビ東京のサイエンスロマンSP最新科学が解き明かす“天才の脳”の真実!!~人類の果てなき夢が生んだ…奇跡の物語~ でやっていた。

小脳は一度記憶したことをほとんど忘れることがないらしい。

これが、答えみたいです。

でも、何でだ?体で覚える、ってのは手とか体とかなんかそういうものを使ったときに、小脳が働くみたいなことをいっていたんだけど、じゃあ、手を動かしたことでも忘れることがあるんだけどな。なんでだろう。その小脳が働くか働かないかの違いは何だろう。それとも小脳は働くけど忘れるのか忘れないのかの違いは何なのだろう?

それにしても、脳って不思議でたまらんよな。

Posted by takeshi at 09:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
PCと手書き
私たちの世代までは、手で書くということを通して学んできた。しかし、最近育っている子供は小さい頃から、PCで入力しているから、PCでも不便なく算数できるようになるみたいな話を聞く。

まあ、手書きのほうが書く自由度があるとかいう話は置いておく。

大人にもこれが当てはまるのかなと思ってみる。まあ、慣れている人は、慣れているのだから当てはまる。

手書きをした時間をPCで打つ時間が超えたぐらいで、PCのほうが打ちやすくなるとか?まあ、子供の頃のほうが影響が大きいから一概にはいえないなぁ。

Posted by takeshi at 12:17 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 20, 2005
自分が自分じゃなくなる
人間の細胞はどんどん変わる。私は数年前の私とまったく違う細胞だと聞く。すなわち私は私でない。のだが、私は私なはずである。脳の記憶などから勘案すると。

まあ、寝たら新しい人間に毎回変わっているかもしれないがそれを肯定することも否定することも出来ない。出来ないと言うか、わからない。

で、さっきエントリーした情熱大陸での角田光代さんの行動をみてふと不思議に思った。

彼女は最近の直木賞をとった作品のアイディアノートを見せるのは恥ずかしいと言った。しかし、幼稚園の頃の作文は躊躇することなく見せた。別に、どってことないことかもしれないが、不思議におもってしまったのだ。

過去の自分は自分じゃなくなっているのだろうか。と思ったのだ。

作文と言う完成品と、アイデアノートという未完成品という大きな違いがあって、そこが躊躇したかしないかの最大のポイントである可能性は、ちょっと横に置いておいて考える。

どちらも自分が生み出したものである。大きく異なるのは書いた時期なのである。30年ぐらい前のものは躊躇せず見せた。しかし、この1年ぐらいに書いたアイデアノートは躊躇した。

アイデアノートは自分なのである。だから、自分が見られるのは恥ずかしいから躊躇した。しかし、30年前の作文は自分じゃないのである。自分が生み出したものであるが、自分の中に明確な記憶がないので、連続した自分ではない。明確に今の自分と30年前の自分は断絶されている。さらに、記憶にあるないという次元を超えて、過去の自分は今の自分とは関連性がない(非常に薄い)ものだという意識を持っている。いつの間にか持ってしまった。それが、どのくらいの期間で、そういう意識を持つかはその時々だろう。まあ、いずれにしろ、意識の中で過去の自分は自分ではなくなったので恥ずかしくないのではないかな。と思った。

何らかの理由でリアリティがなくなった時点で、自分じゃなくなっている。大雑把に言えば時間がそうさせたんですよ。理由は記憶かもしれないし、その時の脳細胞が全て変わったのかもしれないし、なんかは知らないが。
Posted by takeshi at 11:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の思い出写真集
ヤフーのトップページにある、バイク特集みたいなとこから飛んでいったら国井律子さんって人のページへ行った。この人のページを見ていたら、なんか人生をむっちゃ楽しんでそうだった。やっていることか、考えていることがかなりいい感じで、かなり気に入った。
http://kuniritsu.com/index.htm

で、そこからまたジャンプして、photobackなるページへ行った。これは、自分の撮った写真を写真集というか写真冊子に出来るページだ。多少編集できたりもする。それもウェブ上で出来る。けっこうおもしろい。さらに、1冊から作れて、送料込みで2500円ぐらいから作れる。

作りたくなった。大学時代にいろいろなところへ行ったときにとりためた写真を編集して世界で一冊だけの写真集でも作ろうかな。大学時代が一冊に閉じ込める。みたいな。

脳内っていう何でも書きまくっているノート
ブログ
いろいろなところでとった写真
旅行先で書いた日記

自分の宝ものです。その中に写真冊子も入るかな。

http://www1.photoback.jp/open.aspx

Posted by takeshi at 11:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
角田光代さん-情熱大陸-
角田光代さん。
直木賞をとった人らしい。
彼女が、今週の情熱大陸。
見る前は、正直つまらないんだろうと勝手に想像していた。

番組を見てパンチ食らった。マジで食らった。
彼女の作品はよんだことがないから、私が好きかどうかは分からない。

だが、番組で話していたことや旅先3日目という、自分とオーラについて書いたエッセイはたまらなく良かった。本当に、マジで、いいよ。旅先3日目とかほんとにいいは。彼女のエッセイでも読んでみよう。
一人で旅に出たり、旅じゃなくても、ふらっと出て行く人。
ツアーとか群れて行くこともあるけど、メインはひとり。
そんな人。なんか好きだ。だいたい、あてはまるな。

「書き続けるために、書かない生活を守る。」って重要ですね。
自分でコントロールできる人はすごいなぁ。

旅では一期一会、二度と会わないから気持ちよく別かれたりする。日常生活でも旅のような印象を持っている。だったら、日々も気持ちよく通り過ぎたほうがいい。

彼女が通っているボクシングジムの輪島さんが「同じことを繰り返す事をやる人間と嫌う人間では、大きな差が出てくる」といっていた。確かにそう思います。肝に銘じておきます。

旅先三日目
大体三日目に、その町に溶け込んでしまった印象をもつ。体が軽くなる。仕事も名前も何も持っていない。無用だと気づく。それは寂しいことではなく、すがすがしいこと。
旅から帰ってくると何か持っているような気がする。名前や、年齢、地位、そうしたものを背負っていて、一つでも失うと不安になる。けれども、それらは自分で思っているだけで、実は何も持っていないんじゃないか。そのことを忘れそうになると旅に出ようとする。

こんなような内容だった。でも、もっと良かった。数段と良かった。どっかのブログに全文ないかなー。

毎日一人、旅人になる。

Posted by takeshi at 11:19 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
すぐ眠れるときと眠れないときの違い
すぐ眠れるときと眠れないときの違いってなんだろうか?

いろいろな要素があるんだろうけど、不思議だ。暇なときに考えてみよう。

Posted by takeshi at 06:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
素人が素人でなくなる時代
素人が素人でなくなる時代という表現が良いのか、素人が一瞬で有名になっちゃったり、プロっぽいこと出来る時代と言うのか。

まあ、ネットの時代、個から社会にインパクトを与えられる時代だなと再び思ってみたり。

Posted by takeshi at 11:36 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 18, 2005
含蓄のある考え・言葉
ワトソン・ワイアット 淡輪 敬三社長

・日本に一番インパクトを与えるの人は経営者
・強い現場×強い経営
・ボトムアップの経営者では次の世界を作り出せない。
・未経験也のリスクを持って、怪我をして成長する。未経験だからイノベーションを起こせる
・日本のビジネススタイルは法律に起因する。判例法のためグレーゾーンが多い。
・ソニーの経営が一般的ビジネスエリートのアメリカ人で経営して成功したら、日本企業をアメリカ人が経営できると認識され、外資が株価が安い企業をTOBしてアメリカ人の経営者を送り込むだろう。そうすると、株高くなる。
・自問自答の経営(経営をまじめに考える、行動の裏にある考えやビジョンを考える)
・将来なりたい姿がビビッドに描かれていて、それを心のそこからやりたいと思うこと。→その中には挑戦があり、成功したら一気に成功できる
・組織には「火」がないとだめ。→活気、エネルギーのある会社。火をつけるのが経営者の仕事
・枠組みの変更を行うには、ボトムアップ経営者では無理
・アメリカではトップが仕切って決めて、リスクをとる。だから、給料が高いし、監視としての社外取締役がいる。
・「なんのために」を深く深く考える
・「誉(存在意義そのもの)」があれば人が集まる。
・「志」が高ければ、顧客を感動させられる
・問題解決の思考p路背巣は基本的にどんな仕事でも同じ。
  1現状を率直に、深く構造的に捉える。
2ヘリコプター型タイムマシーンで未来を考える(仮説) 俯瞰する&5年後をリアルにイメージする
3今と未来をつなぐ経路の分岐点(成功するか田舎の最大のボトルネック、ターニングポイント)を定め、そこに集中して行動する。
・ディテールを知り、背景を見て考え、未来を構想する
・具象と抽象を行ったりきたりする訓練を積み重ね、思考の生産性を高める
・プロ=プロ根性 誰が顧客なのかと言う意識を持つ
→顧客には決して言い訳をしない。期限内に最高のものを提供する。
  →自律、みずかわをモティベーと出来る
・一流の条件 経営視点、場数=修羅場、課題解決 市場価値がつく
ポテンシャル=地アタマ×素直さ(素直に学ぶ)×価値観(こだわり、自分なりの軸)
メンタルセット ROAのASEET思考 自分のアセットをどう増やすか

・What’s your Value?(組織で、行動で常に自分に問いかける)
・自信の変革シナリオを常に検証し、修正する
・組織と個人のwin-winの状態を作り出す。ゴール(利益)の方向性を同じにする
・周りの仲間に徹底的に自分をディスクローズ
・フラットなネットワークを活かす
・「おごり」が成長を止める。謙虚たれ
・「みきる」soul searchを続けても理想はない。理想はないからこそ理想なのである。納得したら、理想を追い続けるのをやめて、こうだと決めて行動する。
・客観視して、自分が何者かを見極める。自我の確立
・「経験から生まれる志」

レーサムリサーチ 田中剛社長

金の奴隷・・・借金を踏み倒してでもベンツに乗る人
金の支配者・・・・連帯保証人になってしまい、それでも必死でお金を返す人(自分のプライドが金に勝っている)

リスクマネジメント大嫌い。ある業務を一人でやっていると、その人に何かあったら、業務が回らなくなる。だから、リスクヘッジとして、その業務にもう一人あてがう。しかし、こんなことされたら、やる気や当事者意識がなくなる。だから、リスクマネジメントは嫌い。

ハーバード卒と中卒の人が一緒に働ける環境を作りたい。機会は平等にあり、それぞれの能力を発揮できる会社。

誰よりも先に、誰もやったことないものに投資をする。

社長になれば自分の思っていることを一番自由に出来ると思っていたが、周囲からの規制や制度など一番制約があるやりたいことができない仕事だ。

出来る出来ないではなく、やりたいかやりたくないか

価値が見出されていない資産の流動化(価値向上)

自分がホンキでよいと思ったものしか、人に薦められない。自分がマジになれないと、客にも伝わらない。

知らなきゃ、やってみなきゃビジネスチャンスは見えてこない。(経験から生まれるもの)

Posted by takeshi at 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 17, 2005
何かを始める前にやっておくこと
どんなことでもいいから、何か始める前にやっておくこと。

・やり始めることに対する自分のイメージや、考えている問題点、なんでもいいからメモしておく
・感性豊かでかつ分析能力のあると自分が信頼できる人をおく。それは、何か物事を始める前の自分を知っている人に限る。かつ、その物事(プロジェクトなど)に直接および間接的にかかわらない人に限る
そして、一番忙しくなって周りが見えないときに見る。それと、その信頼できる人にコメントをもらう。
Posted by takeshi at 10:02 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か
タイトルとまったく違うことを書きます。

コメントスパム。相変わらず嵐のようにやってくるコメントスパム。ある程度たまったら、消しているけど、消す気がなくなるほど多い。それに、コメント書く気がなくなるであろうとも思う。まあ、仕方ない。

まあ、それはいい。コメントスパムなんですけど、意外といいんですよ。何がいいってね。コメントスパムの意味を考えてくださいよ。コメントを打ちまくって、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛んで、コメントのところから自分のサイトへクリック誘導することでしょ。そうそう、RECENT COMMENTSのところに表示させて、本文のページへ飛ぶ。ここで終わるとすごいメリットがある。私はエントリーしまくっているので、昔の記事を読もうと思っても、はじめから読むのも面倒だし、あえてランダムに読むに気もならないけど、コメントスパムがあればそのエントリーを読むきっかけになる。そして昔に書いた文章を読めるのです。ああ、やっぱり俺ってこうやって思っているんだなと納得したり。けっこう面白いです。

物事はとらえようだなぁ。本当につくづく思う。
天邪鬼道か不器用なまっすぐな人間か。
この両者は違うキャラクターのように感じるかもしれないけど、持っている要素は似ている感じがする。
あと、価値観が同じと言うか、物事の捉え方およびそれに伴う単語(言葉)の意味が共有できる人はいいねぇ。マジで。

私の物事に対する感じ方は人とはちょっと違うみたいで、理解されない場合がある。それを共有できる人はいいね。まあ、そういう人は社会からちょっと外れた、でも自分に正直すぎる人なんだよな。

やっぱり、ブランドとか金とかだけには興味がいかない。もっとワクワクすることやワクワクする人のほうが断然プライオリティ高い。じゃあ、何にワクワクして、そのワクワクさせる源は何かと考えると難しい。そこのところ考えてみるか。

Posted by takeshi at 09:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
京セラのCM
また、CMの音楽かよって。

そうです。

京セラのW31K とW21KのBGMが良い。そして、どんな曲なのかを探していたら、分かりました。

W31KのCMは「COME BABY」という曲で 「Q ft.アマドリ&SCLL (キューフィーチャリング.アマドリ&エスシーエルエル)」が歌っているらしいです。

W21KもQ ft. アマドリみたいです。

この曲って売ってないし、ネットからもゲットできない。。。何とかして欲しいものです。

方法はないですかね。

Posted by takeshi at 09:18 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
原理主義的で、感覚的
原理主義的で、感覚的にこれだと思うときと、

批判的なときがある。

これだとおもうと、いつの間にか、行動している。本当にやりたいことはいいわけとかしなくて、やっちゃう正確なんだな。

私は、けっこう温厚なほうだと思う。でも、嫌いなものは嫌いだ。絶対に嫌いだ。それを聞くだけでも、自分の近くにあるだけでも嫌いだ。

理想はないからこそ理想なのである。ある程度でみきることも重要

Posted by takeshi at 05:46 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 16, 2005
心地よさの不思議
初めて聞いたからこそ感じる心地よさ、
何度も聞いているから感じる心地よさ、

音楽に限らず、そう感じることがある。

心地よいといっても、違うものに、違う心の反応が起こっているのだろう。
同じ音楽と言うものでも、心地よいと感じる理由は違うのだろう。

それに、音楽って何度も聴いたことある曲だとさびを聴くだけで全部を聞いたぐらいの効用があるときがある。それは、脳がイメージしているからで、それが心地よいのだろう。

あと、2倍速で聞いたら心地よさは少なくなるんだけど、倍速で心地よさを感じれないのは、そのリズムだからこそ感じるからなんだろうな。

Posted by takeshi at 02:39 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 13, 2005
2001年2月25日
高校2年の頃だろうか。4年ぐらい前かな。

この日、情熱大陸で、松井 龍哉 さんをみて一人でワクワクしていた記憶がある。そして、メールを送って返信をいただいた。

そして、ROBODEXでは、直接お会いすることも出来た。PINOとかデザインした方です。

そんな松井 龍哉さん、何気なく情熱大陸の過去データを見ていたら、思い出した。そして、ググッタら、いろいろインタビュー記事が出てきた。それをよんでいると、すげー共感すると言うか、しっくり来る。やっぱり、おれが、これだと思う核は変わっていないのだろう。

ああ、なんか今日はワクワクすることが多い。
こんなことが書かれていた。

今も僕、バックは肩から下げるやつ。要するに両方の手は、物を創るために空けてある。

物を創る人は、本質を知っている
それに、デザイナーの基本というのは、現場に足を踏み入れた瞬間、平行・垂直・水平をわからないといけないんですよね。ものが曲がっているかどうかを一発で指摘できないと職人さんになめられるんですね。

平行・垂直・水平を瞬時に判断するためには、常にその訓練をやっておかないといけないんです。だから机の上にものを置くときは、90度で置く。自分のやりたいことというのは、生活のバックグラウンドがないとできないんですよね。ほんとにすべてが生活ですものね。

 
Posted by takeshi at 10:57 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
まんま
長い間の知り合いには、俺という人間はある固定的な見方をされる。
俺は、こういう奴だとか。
それが、生きるうえで制約になりかねない。その期待にこたえるように。行動を期待されると言うことだ。まあ、っそれが、社会一般で言う世渡り上手の人が出来ることなんだろう。みんなからの人気者なんだろう。

ま、そう生きるか、そんな相手の見る、想像する俺なんか無視して、生きるか。それは個人の自由なわけである。

おれは、そんな他人の見方はどうでもいいと思っているが、完全にそうとはいかない。まんま。まんまをあらわせれるようになったら、個人的に一番楽(らく)で楽しいだろうな。

で、ジミー大西先生がすげーいいこと言ってる。

期待へのプレッシャーは?と言う質問に対して。

そんなことはどうでもいいんですよ。
僕にしてみたら
新しいものが出来ていくほど
僕はうれしいことはない

ジミー大西

Posted by takeshi at 10:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 12, 2005
地に足付け 頭雲抜け 進む前に前に前に
テレビつけてたら、何か耳に心地よく入ってきたCMがあった。以前も少し気になっていたCM。

横浜タイヤのCMだ。
http://www.yokohamatire.jp/yrc/japan/library/tvcm/

これは、デンマークの海洋風力発電の映像が出ているのと、砂漠の一本道が出ている。この映像もなかなかいいもんだ。そんで、BGMもなかなかよかった。

「地に足付け 頭雲抜け 進む前に前に前に」
歌詞の一部。なかなかうまいこと言った歌詞ですなぁ。
ので、早速聞いています。もちろん一極連続リピート。
Def Tech / My Way

Posted by takeshi at 10:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
往生際の悪い奴
僕は、しぶとい。

そう思う。

スポーツをやっていたわけではないが、小学校の文集のクラスのページのランキングでは長生きする人で常にランクインしていた。それくらいしぶとい、ウザイ奴と小学生の頃も周りから見られていたのだろう。笑

そういえば、小学校6年生の文集のクラスページを何にするかの学級会で、先生が子供に質問した。
先生「クラスのページ何にしたいですか?」
僕「白紙、メモ帳がいいです。」
先生「てらまち君の意見は置いといて、他の意見ないですか。」
僕「(心の中で:ふざけんなボケ)メモ帳にして、みんなお互いに好きなこと書いたほうが思い出になると思います」
って、それっぽい理由を付け焼刃で言った。そんな思い出がある。

文集で思い出したけど、こんなこともあったな。今思っても、すごい案だと思うんですけど。面白いと思うんだけどな。なんで、先生は考慮もせずに切り捨てたのだろう。切り捨てるから、こんなひねくれた子が育つんだよと言いたいね。笑、逆にそういう発言をしたときに、先生が全て真剣に受け止めていたら、どういう風に育っていたのだろうか?さらにひねくれた可能性があるな。ということは、それを踏まえたうえで、先生は対応していたのだろうかと考えてみる。

で、しぶとさは、ずっと昔からこんなことを思っていたことでも、分かるかもしれない。

一対一で綱引きをしたとする。そうしたら、僕は体力では負けるかもしれないから、綱引きのゲームでは線を割って負けるかもしれない。でも、僕は、綱に必死で捕まって、皮膚がすりむけて血が出ても、ついていく自信がある。

人に言わないと決めたことは、殺されても意地でも口をあかない。とか。頑固だな。頑固爺だ。

で、そんなことが言いたかったわけではない。しぶとさ。
ちょいと違うが、往生際の悪さを言いたかったのだ。

僕は花粉症だ。今週からすごい。鼻が詰まるし、目は痒い。マスクはしているし、薬も飲んでるし、のど飴も。

僕は、周りの人には花粉症でつらいといってきた。だが、心の中で認めてきたかというと、断じて認めていなかった。認めてやるかという感じだ。俺は花粉症じゃない。とか思って、気持ちだけでも花粉症になりたくなかった。某氏が花粉症にならないのは、気合が入っているからとぶっ飛んだことを言っていたが、それと基本的に同じだ。

しかし、ついに、自分の中でも、花粉症と言うのを認めることも仕方がないのかなという気持ちになってきた。。。

Posted by takeshi at 09:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
まんま
まんま、そのまんま。
僕と同じキャラの人が、世の中にはいる。
それは、まったくではなく、核が同じ人。

あっているかどうかは知らないが一方的に、そういう人を感じる、分かる。

その人の細かい行動。しぐさ。
一呼吸おいた一言。

それらに、ふむ、とうなずける。
せこいことはしたくない。
Posted by takeshi at 09:36 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
せこいことはしたくない
今日は、久しぶりに東横線に乗った。
1年ちょっと前まで日吉に住んでいた。そのころは使う電車といったらイコール東横線。

みなとみらい線が開通する直前ぐらいに東横線にはサヨウナラをした。

乗っていて懐かしかった。懐かしいと言うか、なんだろうか。うーん、東横線だと思った。ってそのままじゃん。

で、チングの初個展に行き少し話した。少ししか話していないんだけど、なんかよかった。

失敗したからこそ、分かったという話はふむふむと思った。

で、一番しっくり来た言葉。
せこいことはしたくない。

僕もそうだと思った、たいしたない言葉ですが、なんかそうだと思った。俺の人生を振り返ると自分がせこいと思ったことは許せなかった。

そっか、せこいことはしたくない。

Posted by takeshi at 09:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 11, 2005
ソニーに関して、私の予想は外れましたね
そーいえば、ちょいと前、ソニーのトップ人事があった。

私は、久夛良木健さんが次のトップになると予想していましたが、外れました。この方は、もともと相当自分の道を貫く人で、プレス手で成功しました。その後本社の副社長になって、バランス感覚もつけてきたように感じた。それになんといっても、頭が良くてファンキー。こういう人がトップになればさらにソニーも面白くなると思っていた。

あと、個人的に徳中暉久さんがソニーのブレーンだと思っていた。と言うのも、2003年株主総会での言動を見ていたらそう感じた。言動と言うのは徳中暉久さんだけでなく、出井さんの言動を含め、徳中暉久さんが前に出ないが重要なポジションだと思っていた。出井さんが分からないと、徳中暉久さんに聞いている感じだった。出井さんと徳中さん以外が話しているときに、こっそり耳打ちしたり。それは徳中暉久さんの専門でないことでも。CFOの方はイマイチだったし。、しかし、徳中暉久さんが話すことはなかった。だから、この方はもう少し続けるのかと思ったら、取締役を退任されるらしい。

まあ、ハワード・ストリンガーさんという、外国の方がトップになったわけだが、どうなるか面白いと言うのはある。大賀さんが、裏で操ったとかマスコミの報道はありますが、面白い人事ですね。ソニーどうなるんでしょう。設立趣意書の精神は貫いて欲しい。
そういえば「正義」というなまえや「正」「義」さらに「健」という文字が入っている人が好きだ。好きと言うよりも、いろいろな尊敬する人を考えてみたら、このような文字が入っていた。「孫正義」「柳井正」「堀義人」「久夛良木健」「茂木健一郎」などなどね。いっておくと、私は正義(せいぎ)なるものがあるかどうか知りません。いわゆる社会一般の正義は、ない可能性が高いです。ただ、個人にとっての正義はあるのかもしれません。

WBSでゴーンさんが出ていた。日産で6年やっていたらしい。そんなにもかぁ。と感じた。はじめはたたかれていたけど、今はたたく人なんていない。国民の大半なんて、そんなもんだ。まあ、批判されると言うのは、すごい人、能力のある人の証拠であるのも事実。

一番はマインドセット、行動、基本的ものの見方を変えられた。らしいです。

Posted by takeshi at 11:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
南米というワクワク感
友達が、南米から帰ってきたというメールと写真を送ってくれた。

たまらんで、本当にたまらん。何気ない短いメールなのに伝わってくる。もともと、僕が南米に対してワクワク感を持っているから、そう読み取るのであろうけれど。

いやー、すげー。南米行きたい。

治安も悪くなく、飯もうまく、物価もそこそこ安く、いいらしい。送られてきた写真の青がいいです。空と海の青。そして白い雲。たまらんです。

もう一度行きたいと書いてあった。いや、いい。たまらんです。

やっぱり、一人で貧乏旅行しないと分からない地域と言うものはあるのだ。
まさに、そのひとつが南米であろう。

Posted by takeshi at 09:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
作りたいもの
学校(学校じゃなくてもそれに類似するもの)
美術館(有名人のを置くのではなく、自分が好きな売れる前のアーティストの作品とか友達の作品とか、自分の撮った写真や作品を展示する、家とは分離されてて、美術館はそんなに大きくない、カフェが一回にあって芝生に面したオープンカフェ、図書館も併設してる。友達がいつでも集まってこれたり、食事できるスペースがあるといい。世界中のビールとかが置いてあったりするといい感じ。毎月一回ぐらい特定の日に集まる日なんか作りたい。サックスとかオーボエとか篳篥とかピアノとかバイオリンとかの音色が好きだからそれらの演奏する部屋も欲しい。アトリエ的な工作できたり汚したりしてもOKな部屋も欲しい)
すっごい古風な家(中身も外見も)
すっごくさい先端技術をすべて取り入れたような家(中身も外見も)研究所のような未来の生活を先取りした部屋
山とか海とか(無邪気に遊べるところ)。それの近くに家があるといい。ログハウスっぽいの。
秘密基地っぽいものを作りたい
みんなが心踊る仕事が出来る場
アートしたい、なんか作品作りたい。
みんなで遊びっぽくなんかしたい。

って、国が作りたいのか?ええって。
宗教かって話になっちゃう。

まあ、そのところ、踏み外さないように自己満足と社会性のエッジで生きるのがポイントだな。
Posted by takeshi at 08:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
洗剤のにおいのまやかし
今日、洗濯をした。

洗剤のいつもの”あの”においを感じた。
ふと思った、洗濯物がきれいになった(きれいになる)と。

あのにおいをかぐと人間は洗濯がきれいになると言う情報が脳に浮かぶ。においと情報(結果の情報)が結びついている。

いままで何回も洗濯したけど、今頃気がついた。

思ったけど、洗剤のにおいのしない洗剤を発売したら売れないだろうな。一回は買っても、何かきれいにならないイメージを知らず知らずのうちに消費者が持って、リピータにはならないだろうな。超長期スパンで見たら違うだろうけど。

Posted by takeshi at 07:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
無意識下での情報処理量が決定付けるもの
無意識かにおける情報処理 能力が頭の良さを決める 意識的に同時に複数考えるのは限界がある いつもいうように人間は無意識かにおいて情報処理する その量によってさがでる 意識かにおける処理量は変わらない 無意識かにおける処理は習慣や日々の細かいところへの配慮の積み重ね ワーキングメモリかな
Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 10, 2005
妄想するとき
入浴
就寝前
電車の中
[歩いている時(特にリラックスして歩ける場合、よく歩く道とか安全な場所とか)]

この三つが、妄想をするベスト3らしい。特に入浴中はNo1
私がいつも入浴中に考えていると、ブログに書いているがまさにそのとおりだったんだなぁ。

人間とは何気ない行動や、さっと頭をよぎったことが本質であることがある。
それをいかに、文字にしたり記憶したり出来るかって難しいけど、毎回出来たら面白そう。

感じただけで、そのままにしていくことにも意味がありそうだけど。

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 09, 2005
たけし先生の番組
たけしの地球極限SP人類20万年!奇跡の旅

TBS放送でCBC制作の「たけしの地球極限SP人類20万年!奇跡の旅 」をやっていた。

たけし先生はこういう特別番組によくでる。世界の4箇所の極限の地としてやっていた。アフリカ・ナミビア、フィリピン・スールー海、ボリビア・ポトシ、グリーンランドらしい。

愛知万博がらみの特番らしい。

なんと、ボリビアのウユニをやっていた。この前世界不思議発見でもやっていた。今回もマジで興奮。いいね、ボリビアのウユニ。行きたい。

そんでもって、東京農業大学の小泉武夫先生。この人もかなりいい感じの先生です。相当のツワモノ。むかし、情熱大陸で見てからファンでした。

そんでもって、行きたいと思っていけていない、国立科学博物館からたけし大先生が放送していた。

ウユニはダラス、マイアミ、ボリビアラパス経由でつく。日本から40時間かかる。標高なんと3700m ウユニ塩湖。サボテン最高。マジ、いい。知らない星に迷い込んだ気分。

石田ゆり子先生が、ボリビアの最終日の日記でこんなことを書いている。写真もいいので、リンク富んでみてください。以下引用

セスナ。
セスナは怖い。
あの、まるで葉っぱに乗ってるような感じが怖い。
紙ひこうきに乗ってるような感じも怖い。
昔は怖くなかった。10代、20代のころは。
最近になっていろいろ怖くなった。
情けないけれど。

さて。今日は、くだんのセスナに乗ってウユニ塩湖へ。
ボリビアには海が無い。
しかし数万年前、そこは海だったということを証明するもの。それが
塩の結晶がえんえんと・・四国ほどの大きさもある(信じられない!)ウユニ塩湖。
まぶしい。
白い。白すぎる。そこは・・・・・・・・
すごい・・すごすぎる・・・ここはどこ?
まるで「星の王子さま」だ・・。そんな感じなのだ・・
地の果て。そんな感じでもある。

帰りのセスナは揺れた。酔った。参った。
セスナにはもう乗りたくない。
怖くて酸欠のことも忘れた。

しかし。この旅は。なにか、修行のような旅でもあった。
貴重な体験だらけだったけど正直辛かった。
だけど
わかったことはたくさんあった。
人間の強さ。そしてちっぽけさ。
大自然の偉大さ。
酸素のありがたさ・・
一生忘れられない旅だった。

みんなありがとう。いろいろ弱くてごめんなさい・・・。

日本に帰ったら私は、最初に何を思うのだろう。
今は何も考えられない。

引用終了

なんか、いいね。まさに南米、ボリビア、ウユニな感じ。
うみつばめを2年間放置したものを生で皮をむしって食べていた。さすがに、あれはきついな。生臭いとか言っていた。でも、食う機会なんてめったにないから食うかもなぁ。

小泉先生とたけし先生いわく食べると言うことから全てが生まれた。宗教も数学も道具も。

人は生きることが究極の目的

生きがいは?
アフリカ:牛を育てること
グリーンランド:猟をすること
フィリピン:漁をすること
ボリビア:ジャガイモを育てること

生きがいは全て、食うものをえる手段。

まあ、どこまで正確に訳しているかはしらないし、テレビの相当ひん曲げられた報道を考慮に入れたとしても、やはり人間生き抜くということが根底にあるのだろう。人間は動物と違って、発達した生き物で、食べることだけじゃないという。しかしだしかし、食べることの重要性を忘れるなといいたいね。実は今後の世界は食べることが相当重要になってくるんじゃないかな。それは、人口問題と食糧不足を含めてね。

未来社会を考え、語り、作る会みたいなのを作って、世界の現状を把握し、今後どうなっていくかを定期的に話したいね。毎回、切り口を決めてやっていく感じ。人口だったり、政治だったり、科学技術、情報技術(コンテンツ、インフラ)とか、量子論とか、宗教とか、食料とか、気候とか、宇宙とか、エネルギーとか小型薄型とか、ネットワークとか、光とか組織とかね。

Posted by takeshi at 09:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夏の鍋
冬には鍋があるが、夏には鍋がない。

ああやって、みんなで飲みながら話しながら食べられるものが夏にもあれば。

なべをやるといえば、友達を誘える。久しくあってない人でもなべをやるからといえば会える。

そんな夏のなべあったらな。
作ればいいのか。
Posted by takeshi at 01:26 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
メディア芸術祭
メディア芸術祭なるものが東京都写真美術館でやっていた。ここにくるのは、ロバートキャパ戦争写真家の写真展以来だと思う。

アートなるものが私には分からない。たまに、考えるが答えなんか出るはずはない。まあ、答えが出ないからこそ、考えるのである。

それはいいとして、今回展示されていたものがアートとしてすごいかといえば、それはどうか分からない。僕の感覚で言えば、すごくはないと思う。じゃあ、つまらなかったのかといえば、すごく面白かった。特に、2階にあった何点かは心がひかれた。

なぜかといえば、発想が面白い作品であったり、作者が本当にワクワクしながら作ったのが伝わってきたり、自分が触って試してみて面白かったりしたからだ。

何個もの風船をつなぎ合わせ、その風船の中に携帯と電波に反応するLEDかなんかを入れて、空へ飛ばし、みんなで風船の中にある携帯に電話をかけると、風船が色とりどりに光る。夜だったから非常に風船が映える。みんなで作っているのも面白そうだった。

水が流れ落ちて、文字がライトアップされるのは、なんとなくすきだった。それとか、カラフルな丸い点々が書いてあるセロファンが2枚あって、それが微妙に動いている奴とか。

作品には作者の思いとか、どんな気持ちで作ったか、本当に作りたくてしょうがなくて作ったかってのはなんとなーく伝わるんだよなー。

おれが好きか嫌いか、いいと思うか思わないかは賞のランクなんか関係ないなーと思った。たして好きじゃないのがいい賞だったりするんだよねー。まあ、どうでもいいんだけど。

なんか、無性に何か作りたくなった。おもしろそう。ワクワクするなー。自分の可能性に制限を持たせず、何でも本当に自由にやってみよう。

Posted by takeshi at 01:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 08, 2005
人間の意思決定の曖昧さと行動
まあ、思うのだが、私が思っていることを分かってくれる人は少ないと思う。それも表面的なことや業務的なことではなく、根底にあるものを。文章が下手だし、抽象的なことを言うから。
別にひねくれているわけではなく、それは、それでいいと思っている。分かってくれる人だけ分かればいい
。だって、みんなはみんなで、俺ではないのだから。

分かってくれる人は、無駄なことを日々考えている人なんだろうと思う。金にもならないし、知ったから何だってことを、趣味で考えている人。

さらに、伝わりにくい理由は、私の価値観が常識的なものとは少し異なる空みたいだ。それは感情的な面で楽しいと思ったり、ワクワクする元が違うみたいだ。

まあ、それはいいとして、気になることを。
人間の意思決定の曖昧さと行動は不思議で不思議で仕方がない。

2003年12月にこんなことを書いている

思いつきでも、何か頭の中でスイッチが入るとそれを実現に向けて行動する。
同じように頭の中でポカーンと思っていただけなのに、何が違うのか?
自分の中でのプライオリティーが上がった?
そんなもんじゃないよな。
これは、スイッチとしか言いようがない。

たとえば、あと24時間後には行こうと思えばタンザニアにもいければイグアスの滝にもマチュピチュにも、しかし私は日吉にいるだろう。
なんなのかねー。

簡単に言えば今回言いたいことも、これと同じなのです。
この状況になる条件

・習慣的な行動でない時
・絶対やらなければならないことではない時
・一瞬でとてつもなく簡単に出来ることでない時

すなわち、やってもやらなくてもいいこと。そして一瞬ではできないこと。
このようなことをする時の意思決定と行動がイマイチ不思議でならない。

してもいいし、しなくてもいい。
やろうと思えば出来る。

やるという選択肢も、やらないという選択肢も可能なわけだ。

こういう場合の意思決定、私の場合はフィーリング。なんとなくまあいっかと思えばやらない。なんかそう思わなかった場合はやる。

で、問題はフィーリング。なんで、そのようなフィーリングになるのか。その過程が良く分からない。特に論理的な理由付けがあるわけではない。
そう簡単に答えが出ない。
しかし実は答えが出てしまっているのかもしれない。

Posted by takeshi at 12:26 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 06, 2005
地方の人から見た東京の範囲
地方の人から見た東京の範囲ってどこですかね?

というのは、岐阜に住んでいたとき、東京と言えば、東京都および神奈川県だった。
もっと正確に言えば、横浜は東京と同義だった。
東京に八王子が入るのかとか難しい。

地方の人が言う東京とは東京都だけではない場合が多いと思う。

いったい、どこまでを東京という単語で表しているのか。

Posted by takeshi at 08:00 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
March 03, 2005
木曜日の夜に食事番組が多い理由
今日、家に帰ってテレビをつけるとどっちの料理ショーなる番組がやっていた。

知っている人は意外と少ないが、私は料理番組を見るのが大好きだ。料理を作る番組でも、紹介する番組でも、まあ、うまそうなものを見るのが好きだ。理想は食べれたらいいが、まあ食べれなくても見るだけでもうまそうな料理を見るのは好きだ。

料理の鉄人とかケッコウ好きでした。何でかと思うと、知らない食材や、知らない調味料を一流の料理人が使って、まったく見たことも聞いたこともない料理を作る。原材料からは想像できない料理を作る過程を見るのが面白かったのだろうか。

で、ふと思う。木曜日の夜は料理番組が多い。どっちの料理ショー、食わず嫌い王、今日の料理もやっている、渡る世間は鬼ばかりでも幸楽なる料理屋がメインのドラマ。

金曜日の夜は一週間の仕事が終わりで、外で食事の人が多いと思う。それを促しているのだろうか?でもそうしたら視聴率下がるよなぁー。なんでだろう。

Posted by takeshi at 09:16 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
手は手の位置にあるからこそ意味がある
手は手の位置にあるからこそ意味がある。

って言っときながら、手はどこにあっても関係ないのです。というのも、手がある場所に長期間あったから、自分の脳は手がそこにあると認識する。そうすることによって、感度が高まるわけです。そこにあることを前提に他の体の部分も動くし、脳も反応する。

風呂場で目を隠して入った。もちろん何も見えない。真っ暗の状態と同じだ。しかし、なんか違った。何が違うって手の位置だ。そのせいでバランス感覚が悪かったし、周囲を感じる感じ方も違った。

Posted by takeshi at 12:51 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
March 02, 2005
良い訳ではないが、知らず知らずのうちに
先日、電車でかっこいいおっさんを見た。
年は60歳ぐらい、白髪短髪で、スーツ、農家出身を思わせるような少し黒くがっちりとした体格。目は輝いていて、夢と信念を持ってそうな感じ。それで、そんなおっさんが、ipod シャッフルを首からぶら下げて音楽を聴いていた。それで、おおって思ったわけですよ。さらに、ipodのイヤホンははじめから着いていたのではなく、よさげなイヤホンだった。クオリアのイヤホンだったら最強だな。

なんか、これだけでは表せないけど、そのおっさんから出ているもの全てがいい味出してた。ああいう、おっさんになりたいと思った。が、なりたいといいながら、別に何の努力もしていないわけである。と言うことは、本心ではなりたいと思っていないのかな。それか、なりたいと思っているけど、その気持ちは大して強くなく、その努力のめんどくささのほうが勝っているのだろう。

で、話は変わる。音楽の話。別に音楽に限ったことではないのだが。分かりやすく音楽の例で。
良いと思った訳ではないが、知らず知らずのうちに聞いてしまう曲がある。この曲聴きたいと思って、繰り返し聞く曲、初めて聞いて猛烈に良いと感じる曲。そういう曲を繰り返し聴くのは分かる。

しかし、別に何にも気にしないような曲、特に良いとも思わなかった曲を気がつくと何度も聴いているときがある。はたしてなぜだろう。自分が意識的に良いとは思っていない。しかし、自分にはあっているから、心地よいから聞き返すはずである。じゃあ、なんで自分では気がつかないのか。気がつかないのに心地よいのは何がそう、判断しているのか?

人間は皮膚や目、口、鼻、耳などから常に大量の情報(影響)をえている。しかし人間はそれを全て処理しきれない。処理しているのかもしれないが、自分の意識化で処理しているのはほんの少し。無意識下で処理しているものたくさんあるわけです。(まあ、処理し切れていない情報もありそう)で、これは、すごい腹が減っていたのに、そのとき怪我して血がだらだら出たら、腹が減っていることに気がつかないことに似ていると思うのです。このように、処理していないものの中にも、処理したらよいと思う可能性を秘めているものがたくさんあって、何かしらのきっかけで処理する余裕が出ると気がつくのかな。

ああ、変だ。上で疑問に思ったことの答えとしてまったく見当はずれなことを言っている。まあ、良くわかんないけど不思議ってことです。

なんとも不思議な存在があるものだな。

Posted by takeshi at 10:47 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
大人力診断
大人力診断なるものがあったので、やってみた。相変わらず、結果はたいして気にしない。

意外と大人だったらしいです。殺伐とした正確だからなのでしょうか。
殺伐とか言っときながら、小学生並みの無邪気さなんだけどな。まあ、いいや。

https://www.sourcenext.com/mail/action/shindan_entry_form

teratown様の診察結果 最終受診日:2005年3月2日

上司力検定:横綱級 (20点)
2005年3月2日受診□□

ベンチャー力検定:カリスマ級 (20点)
2005年3月2日受診□□

宴会力検定:ほろ酔い級 (16点)
2005年3月2日受診□□

モテ力検定:十人並み級 (16点)
2005年3月2日受診□□

旦那力検定:夫婦茶碗級 (15点)
2005年3月2日受診□□

貯金力検定:きな粉モチ級 (17点)
2005年3月2日受診□□
ログアウト (他のユーザーで診断する)
石原壮一郎院長の診断コメント

上司力検定:横綱級 (20点)□□2005年3月2日受診
あなたほどの上司力があれば、どんなにやりづらい会社でも、どんなに面倒な部下を持っても大丈夫。その実力を遺憾なく発揮して、出世街道をまい進してください。ま、仕事力とかもあわせ持ってないと宝の持ち腐れですけど。
ベンチャー力検定:カリスマ級 (20点)□□2005年3月2日受診
あなたは、カリスマ起業家でも何でもなれる(かもしれない)強力なベンチャー力の持ち主。いつ会社を飛び出しても、ベンチャーな人生をたくましく歩んでいけるでしょう。それが幸せな人生かどうかは、また別の話ですが。
宴会力検定:ほろ酔い級 (16点)□□2005年3月2日受診
あなたは、ほとんどの宴会は無難に楽しめる宴会力は身につけています。ただ、時には、宴会の落とし穴にはまり込んでしまうことがあるかも。まあ、さっさと酔っ払ってしまえば、たいていのことはどうでもよくなりますが。
モテ力検定:十人並み級 (16点)□□2005年3月2日受診
あなたは、そこそこのモテ力の持ち主。本人の努力や心がけに応じて、出会いに恵まれたり、男女交際の醍醐味を味わえたりするでしょう。「自分はモテるタイプ」とカン違いすることだって、けっして不可能ではありません。
旦那力検定:夫婦茶碗級 (15点)□□2005年3月2日受診
あなたの旦那力は、邪魔にはならないけど役にも立たない程度の大人っぷり。男性の場合も女性の場合も、それなりに山あり谷ありの結婚生活になるでしょうが、パートナーと力を合わせて乗り越える喜びは味わえそうです。
貯金力検定:きな粉モチ級 (17点)□□2005年3月2日受診
あなたの貯金力は、まるできな粉モチのように、せっせと努力すれば少しは増えてくれる程度の強さ。しかし、貯金の喜びと手ごたえは、誰よりもふんだんに感じられそうです。ヘンに欲を出さず、着実に歩んでいきましょう。
総合大人力判定
総合大人力:黒帯級 (104点)
グッド・ジョブ! あなたほどの強烈な大人力なら、たいていの試練はクリアできるはずです。しかし、くれぐれも油断は禁物。大人力の道にゴールはありません。弱点分野を克服して師範級をめざしましょう。
★あなたの武器になる大人力
 ・上司力 : あらゆるものをなぎ倒す無敵の上司力で、グイグイ部下を引っ張っていきましょう。
 ・ベンチャー力 : たくましすぎる起業家体質のあなたは、いますぐ独立開業するっきゃありません!

★もっと強化したい大人力
 ・特になし : すべての分野に、それなりの大人力が備わっています。たまには大人げなさを発揮してみるのもいいかもしれません。
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唐招提寺展に
唐招提寺展に行って来たわけだが。

人が多すぎた。月曜日は休館日なのだが、人がたくさん来るからオープンにしたらしい。それなのに、すごい人。どこで情報聞きつけてきたんだ?

あと、1年ちょっと前に唐招提寺にいったことがある。もちろん鑑真さんを見れると思っていったわけだが普段は見れないらしく、しょぼーんとして帰った記憶がある。まあ、それくらい鑑真さんを見たかったわけである。何でか知らないが、中学か小学校の資料集にのっていた鑑真さんの顔がなんともいえぬ、もう、声が出そうで、口でぐぅと言葉が止まる感じ。だったから、気になっていたわけです。

興福寺の阿修羅さんはきれいだなと思って見に行ったわけです。まあ、その時の説明の文章にインドインドと書いてあったので、インドへ行きたいなという気持ちが確信に変わった気がします。

話がそれたが、人が多すぎた。むさかった。まあ、私もその環境を作り出している一人なのであるが。みんな、何の変哲もないかわらを列に並んで見ていた。もっと正確に言えば、入り口からすべての陳列物を見ていた。説明文もすべて読みながら。まあ、それもいいんですよ。専門家の人ばかりかもしれないし。でも、普通の人って説明よんでも分からないでしょ。(まあ、知りたいという欲求がすごい人かもしれないしね。)別に、全部をくまなく均等に見る必要はないと思うのです。自分の見たいものを見たいようにみればいいと思うのです。それが、すべて均等に見るだったら、問題ないのですが、なんか、何も考えず、周りに流されるように見ている気がする。すべて満遍なく、見ないと損をした感じなのかな?なんでも、満遍なくそつなくやるという精神なのか?これも、教育の弊害ですか?それとも、日本人の性質ですか?もっと、美術館や博物館を好き勝手に見てもいいんじゃないかなと思いました。
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Originally uploaded by teratown. 唐招提寺

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March 01, 2005
小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった
小学校の帰り道、石を蹴ってどこかへ転がっていってしまった経験ないですか?
赤信号で止まっていて、なんでもない車が記憶に残っていませんか?
小学校の水道で、水を飲んでいる一瞬の思いでありませんか?
中学の部活で疲れてふっと一息ついたその瞬間の雰囲気を覚えていませんか?
高校時代勉強が終わって寝る前、ふとみた星空を覚えていませんか?

すごい時間をかけて覚えた数学の公式覚えていますか?
必死で時間をかけて覚えた、歴史の年号覚えていますか?

毎日使っているけど、イマイチな似た単語ありませんか?
エレベーターとエスカレーター。
「に」「へ」五十音順でどちらが先か一瞬で分かりますか?

まあ、最後の五十音順は記憶のレイヤーが違うかもしれないが、人間の記憶とは不思議なものだ。

どんなことを記憶し続け、どんなことを忘れるのだろう。
絶対覚えておかないといけないこと、どうでもいいこと。
絶対覚えておかなければならないのは復唱して覚えようとする、しかし忘れてしまうことも。一方で、どうでもいい一回だけの出来事をずっと覚えていたりする。

人間の脳はどのようにして記憶するかしないかを選別しているのか。

記憶ってなんでしょう
脳ってなんでしょう
人間ってなんでしょう
Posted by takeshi at 12:46 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|

2005-02

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_02.html

February 28, 2005
やっぱロケットの発射をこの目で見たい
先日も書いたのだが、ロケットの発射を見たい。

H2Aロケット@種子島

なんか、すげーだろうなと思った。純粋に。いやー、見ないとだめだ。見たい。あの音と振動を体で感じたい。自分が作ったわけではないけど、心の中がぐうぉーーってなりそう。

今年中に見に行きたいな。時間が出来たら、いこう。

なんか、想像するだけでワクワクする。すっげーんだろうなぁ。候補は種子島か、アメリカかロシアだな。ロシアは広大な自然の中に簡素な発射台だけあって、近寄れなさそうだし、イマイチ盛り上がれそうにないので、可能性は低い。となると種子島かアメリカ。種子島は回数が少なそう。アメリカはいろいろな場所がありそうだけど、アメリカに行かないといけないからな。まあ、アメリカはチケット安いしいいかなー。
以前、私の好きなビートたけし、北野武(飛行機大嫌い)がテレビ朝日か大阪の系列局の50周年番組かなんかでスペイン(サグラダファミリア)とかフランス?遺伝子関係の研究所やアフリカの大地の裂け目を訪問した番組で、ケネディー宇宙センターかどっかでスペースシャトルの発射を見ている映像が頭によぎった。

ロケットの発射は以下のサイトで予定が見れる。
http://www.jaxa.jp/missions/in_progress/index_j.html

以下引用
ロケットの打ち上げ当日は、種子島宇宙センター全域と、射点を中心として半径3キロ以内は立ち入り禁止となりますが、センターの外で3km以上離れた場所であれば自由に見ることができます。下記のロケット見学場は特によく見えるところで、カウントダウンの拡大音声も聞こえます。
 ロケット打ち上げの日時は、JAXAウェブサイトまたは、サイト内の打ち上げ予定でご確認ください。
 ロケット見学場の詳しい場所は、展望所マップをご覧ください。

・宇宙ヶ丘公園
・前ノ峯グランド
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これ薬物だからな~
今日も情熱大陸を見た。

この番組はいいね。なんですきなんだろうね。出てくる人がかっこいいんだよね。
子供みたいに、自分のやりたいこと、好きなことを真剣におっている。その姿がすきなんだろうね。
人として、泥臭いけど、青臭いけど、きれいだよ。
スキーで遊ぶのがすき。これ薬物だからな~。

スキーレーサーの佐々木明さんがいっていた。

中毒なんだろうな、楽しくて楽しくて仕方がない。
人間って顔の表情見れば分かるよな~。心躍っているかどうかって。

別に常に心踊っている必要はないけど、がむしゃらになって、楽しんで、やっている人はいいよ。

そういえば、今日行動クローンにあった。思考クローンとかはいるんだけど。
行動クローンは初めてだった。行動が同じと言うことは、その行動にいたる思考プロセスも一緒なんだろうか。知りたいね。

大学の学部も同じだった、学部を変わったらしい。その行動も僕は考えていてびっくり。行った外国もスペイン、モロッコ、ポルトガル、インドなどなどかぶってる。共通の知り合いもいたり。

Posted by takeshi at 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 27, 2005
大食い選手権応募
テレビ東京で大食い選手権が復活するらしい。

おお、すんばらしい。

だって、これに出るの夢だったんですよ。

どうでるかって、大食い選手権なのにゆっくり味わいながら食っちゃう。もちろん予選敗退の予定。ただ、遊びに行くだけとも言う。

腹いっぱいただ飯を食えるならいくしかないし、大食い選手権でまったり食うのはネタ的にも面白いし。

私はもちろん応募しました。当選を願うのみ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/oogui_bosyu.html

Posted by takeshi at 12:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
冬の洗濯物の不確かさ
冬の洗濯は不確かだ。不確かという表現は適していないかもしれない。
ようは乾いた乾いていないのか分からない。 なぜか?

じゃあ、人間は乾いたかどうかをなにで判断している?
湿度 温度 触ったざらざら感?

とにかく乾いたかどうかをが一瞬で判断できない。
昔おやに洗濯を取り入れるように頼まれて乾いていないから取り入れるかどうか迷ったことを思い出す。

それと、洗ったものが乾いた乾き方と、洗っていないものが乾いた乾き方はなぜか違う。洗ったほうがカラットなっている。特にバスタオルだと顕著に分かる。なぜだ?
関係ないが、東京駅から西日暮里の値段は間違いのはず。

Posted by takeshi at 12:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
H2Aロケット@種子島
H2Aロケット成功したらしいですね。
良かった良かった。
他国と比較すればあれぐらい(って何も知らない俺が言うべきじゃないかもしれないけど)成功させて欲しいもんだ。

種子島、行きたかったなー。

って、ロケットとかスペースシャトルが発射するのを見てみたい。
日本だと種子島か、アメリカだとヒューストンとか?かな。

日程合わせないといけないし、打ち上げられるかどうかは確実じゃないのが問題だ。
でも、ロケット打ち上げを見たい。あの音や振動、ついでに成功したときの喜びを感じてみたい。

誰か一緒に行く人いないかなぁ。
一人よりも何人かいたほうが盛り上がれるでしょう。

種子島といったら、野口里佳さんの個展「飛ぶ夢を見た」かな。
http://www.fujifilm.co.jp/photomore/interview/noguchi_200404.html

飛ぶ夢を見た

Posted by takeshi at 12:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 26, 2005
久しぶりに佐藤琢磨
F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」

佐藤琢磨のエントリーが久しぶりではなく、かっこいい日本人のエントリーが久しぶり。

F1琢磨のVロード 「2005F1GP開幕SP」って番組がやっていた。

前から、佐藤琢磨が男の中の男だとは知っていたが、改めてかっこいい。

早稲田に入ったときは、昔からやっていた自転車部かなんかだったらしい。しかし、10歳のときに鈴鹿で抱いた夢があって、早稲田をやめて鈴鹿レーシングスクールに入ったみたい。主席卒業で、F3へ。

うん、かっこいいいね。
さらに、ホンダってのがいいね。ホンダですよ。ホンダ。私の好きな夢がある日本企業。

「トップを目指すのは変わらない、今は楽しみですよ」by佐藤琢磨

F1よりもパリダカの方がすきなんだけど、まあそれはおいといて。
来年で大学生最後だから、F1も見に行きたいな。
PB030087
Originally uploaded by teratown. Tokyo Motor show 2003
The Power of Dreams HONDA

Posted by takeshi at 02:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
久しぶりに上野な日。
朝から、どこかへいった。
もう記憶なんてない。

で、その後東京駅にいた。そうしたらモリゾーがいた。
別にどってことはない。

その後、上野へ。前から楽しみにしていました。で、上野公園をするりするりと抜けていこうとすると、なにやら機動隊かなんかのバス等が10台も。えっ、テロ予告でもあったんですか?とか思った。それに、片耳にイヤホンを着た私服警官たくさんいたし。

まあ、知らね、と思って。通り過ぎる。

都美術館につく。で、芸大の卒展はどこかなと思っていたら、間違って、東京五大美術大学連合卒業制作展へいってしまう。ふつーに、間違えて、芸大はここじゃなかったっけと思い、入り口の表示を確認して、芸大の卒展ブースへ。

いろいろな作品があった。(それぞれの人の学科にそった作品じゃないものも含め)
経済学部とかいう、自分との戦いから逃げような学部にいる者から見ると、一人一人の人間ってすっげーなと思う。

でもなんか、思ったのは作品とそこにいる人たちが不釣合いな感じがしたのと、作品のおき方がつまらなかったかも。卒展でいろいろ制約があるのかも。

それから、友達のパフォーマンスをみた。初めてだったんだけど、いや、初めてだけど初めてじゃなかった気がした。デジャビューじゃないけど、彼の日常の延長にパフォーマンスが存在している気がして、パフォーマンスとあえて切り離すのが変な気がした。

パフォーマンス自体は卒展初じゃないかと思うぐらいのもの。自分の作品を破壊し、通路を抜け玄関の外まで。警備員もびっくりするほど。

周りの人の作品を壊すことはいけないんだろうけど、周りも巻き込みさまざま檻をぶっ壊すことになるのかなと思ってみたり。

鳩の絵がうまい友達に油絵科の作品集をいただきました。ありがとうございます。家に帰って作品集を今日は見てました。全ての人は2ページをもらっていて、2ページに納まっているわけで。しかし、納まっている人と収まっていない人がいたのも事実。

なんか、知らない間に、自分が気がつかない自分が作った、周りの環境によって作られたつまらない檻の中で生きているんだなと思った。ああ、俺もあのくらいの勢いで、ぶっ潰してやりたいものだ。

それから、デザインとか工芸とかの場所も見に行った。すると時間らしく追い出された。

上野公園をくぐり抜け、なぜか博物館のほうへふらっと向かう。すると、少し人がたまっていた。おばちゃんに尋ねると、秘密にしよっかなと笑ってお茶目に答えられた。そのあと、教えてくれて天皇皇后両陛下が唐招提寺展にお見えになるそうだ。だから、機動隊ね。警備員に聞いたら、あと3分というので、待っていて、手を振ってみた。終わり。

Posted by takeshi at 12:16 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
February 24, 2005
秋田・静岡・岡山・愛媛・宮崎
空っぽなところで、ころころ転がってみたいと思った。

って、もう少し一般的な日本語で言うと、人がいない広大な自然へいきたいと思った。

で、話は一気に飛ぶ。面白そうなところないかなと考えていた。それも具体的な県の名前を。あの県いいなとか。

で、ふと思う。これはまったく根拠のないことだ。でも、大都市と地方ブランドを確立した県を除いた、根拠なき上品なイメージ県がある。ぜんぜん知らないのに上品なイメージがある県。

根拠がないので、自分の県が上品なイメージでないからといって怒らいでください。上品なイメージが下だからといって、ただ、僕の中で比較すると、というだけの話ですので。

まずは、東北からここは「秋田」。(宮城は大都市なので除く)
青森<秋田だろう。秋田美人というイメージからか?良く分からない。なにがどうだからという理由は特にないので、今後理由は書かない。 岩手、福島も秋田にはかなわない。

関東は放置。

中部は「岐阜」と言いたいところだが「静岡」であろう。

関西は大都市が多く、ここも放置

中国は「岡山」かな。しかし、岡山はちょいと都市が大きいかな。鳥取と島根を比較すると、島根が上品だ。

四国は「愛媛」かな。ここの県も難しい、高知もけっこうランク高い。香川と徳島は下位を争う。

九州は「宮崎」かな。大分も熊本も鹿児島も佐賀も及ばない。

こんな感じだ、大都市っぽいところと地方でブランド力がありすぎる都市は抜いてある。北海道とか沖縄とかね。

Posted by takeshi at 01:52 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
February 23, 2005
雲という一枚の層
今日外を歩いていると 太陽が陰った。 
太陽の光が、流れる雲によってさえぎられたのだ。たまに、こういうことはある。

いつもなら、何も感じないのだが、ふと思う。すっげーーーーと。
みんなに言わせれば、どう考えてもこれがおかしいみたいです。感覚で生きているので、こういうことは普通なんだけどな。

僕がキャンプファイヤーの火だとしたら、火の中には入りたくないけど、火の粉が少しだけ降ってくるところにはいたい。見たいな事を言われます。まあ、意味不明な例えは置いておくとしよう。

で、太陽の光が陰ったことを歩きながらぐるぐる考える。

太陽は地球からずっと離れた宇宙にある。 太陽の光が地球に届くまでに約8分19秒もかかってしまう距離だ。想像がつかない。そんな遠くから地球まで降り注ぐ。よくもそんな遠くから光は来るもんだな。それも、基本的に何かしらによって遮断されていないのだ。そんなにも長い距離にわたって遮断するものがない。しかしだ、しかし地球からすぐそこにある雲、山に登っても下に見ることが出来る、飛行機にのってももちろん下に見える雲は太陽の光をさえぎる。あれだけの距離をつき進んできた太陽光が一枚の層である雲に遮られる。これって、すごくないですか。当たり前で、国民の99%は分かっていると思うんですけど、あらためてスゴイとおもった。たった一枚の層はこんなにも影響がある。太陽はあんなにもエネルギーを出して光は地球目前まできたのに、一枚の層おそるべし。

 ネットワークもこの雲とおなじでコストをたいしてかけず大きな影響をあたえた。Webはくもの巣だしそのまんまなんだけど。

 この層の発想で世の中面白くできないかな。太陽のひかりから思いついたのが面白いのと太陽の光と雲がさえぎることを要因分解すればネットワークになにかいかせないかなとか妄想してみたり。
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Originally uploaded by teratown.
Posted by takeshi at 09:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
将来何しているか、見てみたい。
将来何しているか、定期的に見てみたい。

よく、みんなに言われる言葉、

特に良くしゃべったことのある女の人。

確かに、何でもやるし、なんでも興味がある。

それも、勢い、なんか感じると、もうはまる。

将来自分でも何をやっているかわからない。

年をとったら、料理人か僧侶といっているが分からない。

しかし、ただひとついえることがある、未来のいつかを楽しんでいる、と。

Posted by takeshi at 02:48 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
納得
なんか、人生で一番重要なのは「納得しているか否か」だと思うわけです。

別に何が良い悪いもないし、成功も失敗も、安定も不安定も

ようは、自分が納得して入れればOKではないかと。失敗しても自分が納得いっていたら、納得いかずに成功したよりいいのではないはないかと思う。

納得っていったい何者か分からないけれど、「心のそこから嘘偽りなしにこれだ」と言うことじゃないのかな。

Posted by takeshi at 02:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ルールは失敗からうまれる
ルールは失敗からうまれるって、今日会話の中で聞いた。

ちょっと、過去を振り返ると自分が属したいくつもの組織ではそうだったなと、妙にリアルに感じた。そして、その規則(ルール)なるものは意味があったのに時代の変化や、ルールの積み重ねにより価値がなくなったり、制約になるのだなと感じていました。

別にたいした話じゃないのに、なんか妙にしっくりした。
Posted by takeshi at 02:28 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
February 21, 2005
たまごっち再び?
最近、電車に乗っているてたまごっちみたいなもので遊んでいる人を見る。あれは何なんですかね。たまごっちなんですか?
それとも違う似たものがブーム?知ってる人いたら教えて下さい。

 

 

Posted by takeshi at 09:41 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
文字から声が聞こえる
文字から声が聞こえる、はずはないのだが、聞こえる。

特に人生を勢いで生きている人はね。
そういう人は文章も勢いで書いている人である可能性が高い。

文章を推敲して、美しく、的確にかいてある文章もいいのだが、魚で言うと脂がのってない。勢い良く書いた文章は脂がのっていて、なんとなく伝わってくる。

こう、脂ののった文章は危険を持っていると思う。書いた本人と面識があり、何度も話したことがあったり、その人の感情の出し方や話し方を知っている人にはある程度正確に伝わるが、書いた本人を知らない人には少し言葉足らずだったり、言葉が乱暴に使われているようにうつるかもしれない。

ああ、脂ののった文章は好きです。こっちまで元気になったり、ワクワクしてくる。

以前友達からこのブログを読んでいると私がしゃべっているみたいと言われたことや、先日某氏の日記の文章を読んで声が聞こえる感じがしたので書きました。

Posted by takeshi at 08:23 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
February 19, 2005
専業主婦が増えているらしい
専業主婦が増えているらしい。それもアメリカエリート女性の。

CBSドキュメント ▽家庭に入るキャリア・ウーマン
ストール記者、子育ても経験したいと思えば、それをすればいいだけだ。

カーシマンさんの調査

ハーバード、イェール、スタンフォード大学、大学院などを卒業してプロフェッショナルとして働いていた女性。
85%(?聞く間違えか?)がフルタイムの仕事をやめて専業主婦。
裕福で高収入の夫に頼っている。
傾向は50年代に逆戻りしているらしい。
精神的には50年代とは違う。「働きたければ働ける。(能力を隠す)」

会社側の対策
パートタイムにしたり、そのとき助手をつけて子育ての初期段階をサポートして、フルタイムに復帰してもらうなど。

うんうん、面白い。最近少子化対策で、保育施設をたくさん作ってそこに子供を預けて両親が働けばよいといっている人がいる。女性の社会進出や男女平等とかいって、保育施設を増やせとか言っている。しかし、違うと思う。子供は親が育てるべきであると思う。それは、男とか女とか関係なく。

まあ、それはいいとして、面白かったのでメモ。

Posted by takeshi at 03:01 AM | コメント (217) | トラックバック (0)|
壁を隔てた完璧なる物
離れた存在、中身や過程が見えない、清潔で、無菌で完璧と感じさせられたもの。

非常に分かりにくいので、例を挙げます。

小さいころ思っていた、冷凍食品は滅菌され完璧なる物。きれいなものであると。それは、誤解に決まっている、僕が馬鹿で、その冷凍食品が作られる過程を想像できなかったからだ。しかし、それもあるが、製造過程がブラックボックスで見えない。だからこそ、そのような虚の世界を見たのだろう。

冷凍食品コーンととうもろこしはまったく違うようなものに感じた。同じもののはずなのに、何か違う感じ。冷凍食品は滅菌された工場で作られ、それも機械から製造されるイメージ。土とかなんか自然っぽいものから作られるのではなく、無味乾燥な機械から作られるイメージを持っていた。

冷凍食品に限らず、なんか買ってきたものの多くはそんなイメージを持っていた。
幼稚園の給食袋も、親が作ってくれたのと買ったものでは、まったく違うもののように感じていた。作り方も違って、もとの素材や材料も違って、出来上がったものも似ているがまったく異なるもの。同じ次元に存在していない感じ。

僕の生きている世界とは違う、別世界で作られ、あたかもすごいもののように感じていた。なんか偉いものと言うのがいいのか、そんな感じがあった。

だからなんだと言われれば、なんでもないが昔そんなことを考えていたなと思っていた。

Posted by takeshi at 02:14 AM | コメント (215) | トラックバック (0)|
February 17, 2005
感性フィルターの種類と順序
電車に乗りながら、考える。

なにをって、好きなことしかやらない人ってなんだろうとか、そう言われるのは何でだろうとか、どういう人からそう言われるのだろうとか、なんでこの人は常につまらなさそうなんだろうとか。この人って堅苦しいよなとか、そう思われたり、そう感じるのはなぜか、とか考えてた。

もっと言えば、私に対して「本当にやりたいと思ったことなら、どんな理由があろうとやっている奴だからな。」といわれたことがきっかけだ。やりたいと思ったことに関しては、それをやることによる障壁を考えていないようなのだ。やりたくないことに障壁があったら、その障壁を理由にやめたりする。しかし、その同じ障壁がやりたいことに存在したなら、障壁とも感じていないようなのだ。

やりたいと思うことに対して、相手に説明するような論理的理由付けよりも、もっと深いところに何かしらあるような気がした。

で、ふと思った。人間には感性フィルターなるものがあって、それによって無意識に人間は判断し行動している。感性フィルターによって行動が定義付けられている。とか、思ったわけです。

で、この感性フィルターというものは楽しいフィルターとか、つまらないフィルター、嫌いフィルター、ワクワクする、理性フィルター、対人関係フィルター、安定志向フィルター、見栄はりフィルター、お金フィルター、時間制約フィルター、群れるの大好きフィルターとかあるのかなと思います。厳密に言えばレイヤーの違うフィルターを書いているので、僕の中では違うんだけど言葉でうまく説明できないのでこう書いておきます。まあ、どんな感性フィルターがあるか知らないし、数も種類も順番も人それぞれで、感度もそれぞれだと思います。

で、フィルターには順番があります。例えば、一番目に楽しいフィルターがあって、次にお金フィルターがあって、三番目に時間制約フィルターがあるとしましょう。この場合、何かをしたときや、話を聞いたときに、このフィルターの順にしたがって、人間は感じて生きます。

例えばこの場合だと、今度鳥人間コンテストに出るけど一緒に出ないといわれたとする。まず、人間の中で一番先に起動するというか、その言葉を聴いて一番先に反応するのが楽しいフィルター。とり人間に出ることが楽しいかどうかを感じるわけです。ここで、楽しいフィルターが反応して楽しいと思ったら、その後のお金フィルターと時間制約フィルターは感度が鈍くなる。楽しいフィルターが強く反応すればするほど、後から続くフィルターの感度は鈍くなると思うのです。

あるものやイベント、話が放つ絶対的なパワーは一定で(仮に100とする)、そのパワーがフィルターに分配される。楽しいフィルターが100だったら、後のフィルターは反応しないので、判断基準は楽しいということだけになる。逆に、楽しいフィルターは10だけで、お金フィルターが60、時間制約フィルターが20となれば、お金のことが気になって、気になってこれがボトルネックになり行動には移せないか、躊躇する気がする。

物事を判断するプライオリティの話でしょと言ってしまえば、当たり前のこと。(まあ本当に、言いたい事はそんなことじゃなくって、自分の意識下におけるプライオリティなんかよりも感性フィルターが無意識下において存在して、それが意思決定に大きな影響を与えている。しかし、無意識下のことなので自分では気がついていない。合理的に考えればこう結論を出して行動するんだけど、土壇場で180度違うような決断をすることもあると思います。理性フィルターによって論理的な答えを出していたが、楽しいフィルターの方が強くて、大逆転してしまったパターンなのかも)

少し切り口が違ったり、言葉の表現が違うだけ。しかし、何かしら新鮮さを感じずにはいられない。そこから、何かが生まれてくるような。

なんか、言いたいことがまとまってないな。まあ、また今度続きから考えるためのメモだな。

以下:携帯から送ったメモ
人間の脳というか感性感じるフィルターがあって人それぞれ起動する順番が違う 楽しいフィルター、理性フィルター、対人関係フィルターのように。楽しいフィルターが感知するとその後のフィルターは感度が鈍くなる。自分では我慢してやっているつもりのことが多く感じとも他人から見れば好きなかとしかやってなかったり、本当にやりたいことだったら飛び付いていると言われるのは楽しいフィルターが一番感度が高いから。人それぞれ持っているフィルターが違うかもしれないし順番もしかり。何番目のどのフィルターが一番に起動するかがその人の行動を無意識に規定する

Posted by takeshi at 12:57 AM | コメント (223) | トラックバック (0)|
February 16, 2005
宗教銀行
リバーヒュー・コミュニティ銀行

顧客のカウンセリングも同時に行ったり、銀行に来た人にお祈りしたりしている。
キリスト教の布教も同時にやってしまおう、ということらしい。

神への信仰をビジネスにしているらしいです。

敬謙なプロテスタントが職員みたいですよ。

今年中に130億円。支店も2つ増えるになるみたい。

WBSでやってました。言いか悪いかという話でもないし、そんなことは気にしないのだが、純粋に面白いね。切り口が。でも、まあ、社会の流れ自体がこうなってきている感じはしますね。

この流れのまま、予想通り社会は動いていくのか、一発ドカンと方向性が変わるのか楽しみでもあります。

Posted by takeshi at 12:22 AM | コメント (236) | トラックバック (0)|
February 15, 2005
僕の目には発着する飛行機が見えていますよ
いやー、この言葉。
ガイアの夜明けなる番組があります。

中部国際空港(?)セントレアと関西国際空港についてあーだコーダとやっていた。セントレアはトヨタのマネジメント層の人が社長で、関空は松下の改革を中村さんとやった人が社長らしい。セントレアはオープンだし、関空は第二滑走路建設でいろいろあるみたいだ。

まあ、第二滑走路の話は関空側から報道するか、国民側から放送するか、政府側から放送するかで、見ている人のイメージはだいぶ違うだろうなと思った。まあ、こんなことはどうでも良いことである。

で、関空の社長が言っていた。

「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」

とね。これだよな。一歩間違えば宗教です。しかし、この論理的思考力に基づいたイメージや想像力非常に重要だと思うのです。シュミレーションって奴ですか?先をイメージすることは、その後の行動に大きなメリットがあります。

ちょいとまてよ、ここでいう「僕の目には発着する飛行機が見えていますよ」はそんなシュミレーションとかいう次元じゃないのです。本当に見えるんだと思います。見えないものが見えるんです。こうでなくっちゃ、新しい社会を創造する人にはなれないと思う。世の中をがらっと変える、面白くする、まさにアップルの広告でいうクレージーな人だと思う。

まあ、この社長さんがこれに当てはまるかどうかは知りませんが。

Posted by takeshi at 11:31 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
トータス松本と人間
先日、某先生の家に行ったときにウルフルズの昔の曲をもらいました。

ウルフルズと言えば、ガッツだぜ、バンザイなどのテンションの高い曲を歌っている人たちです。で、そのメジャーどころをもらったのです。そして、今日道路を歩きながらMP3プレイヤーで聞いたいました。するとふと思うことが。

ガッツだぜなる曲が売れたときは、確実に一発屋だと思いました。いかにも、一発屋のにおいのする曲調、メンバーのキャラ、そして衣装。あの勢いだけの安っぽさを感じ、すぐ飽きられる感じがした。すごい失礼なことを書いたが、そう感じた。

しかしだ、しかし、ウルフルズって存在が薄くなったなと思うと「明日があるさ」が売れたり、なんだかんだと、売れに売れているわけではないが、それなりにメディア露出がある。

その中でも特に、トータス松本なる男。この男には不思議な魅力がある。別に、何がいいというわけではないと思う。でも、なんか魅力を感じる。何が人をひきつけているのかは知らないが、全身から染み出てくる雰囲気といってしまえばそれまで。その雰囲気とはなにをもとにしているのであろうか。

彼は実にいいポジションをとっている気がする。

まあ、第一印象とは変わるものであり、これは人を短時間で見極めれないことを意味するのである。しかし、人間はパッと見て何らかの他人のイメージを自分の中に作り上げる。それは外れていることがおおいにある。とは言うものの、一瞬でイメージが作り上げられるとなると大事なのはパット見たときの感じなのである。まあ、つまらんが第一印象は大きな影響与えるんだよなー。

人間なんて常に変化しているのだから、第一印象と変わったといっても、その人自体が変わっているからかもしれないし。猫かぶっていただけかもしれないし。なんともいえない。結局は常にそのときが第一印象なのであり、その第一印象の積み重ねなのである。

長期間知り合いになり、何度も会うということは毎回変化するその人の第一の積み重ねであって、その人の本心を知れたと言うよりも、その人の変化の過程を見れたと言うことなのである。その人の変化の過程を知ったから、良く知ったと思ったり、本心を知ったと思うのである。たぶんね。
Posted by takeshi at 11:12 PM | コメント (215) | トラックバック (0)|
使い勝手なるもの
どんなものにも使い勝手なるものがある。

使い勝手が良い、悪い。
アフォーダンスどうのこうの、という話もあります。
ユニバーサルデザインは人が物に合わせるのではなく、物が人に合わせるとか聞いたことがあります。

いまさら、はまったflickrは、感覚的にこう出来たらいいなという操作性抜群。
今までの経験則的に、出来ないだろうなと思っていた操作が、flickrでは出来たりするのです。今までの経験から、あきらめてはじめから操作しないのではなく、常に新しいものとであったときは試してみるといいのかも。でも、今までの経験を考慮して操作するから、効率的になると言う話もあるわけで。。

まあ、そんなことはどうでも良くて、使い勝手。とはいっても、使い慣れたと言うことは神業と言うことが分かりました。

何でかって、パソコンですよ。私のパソコンは熱暴走します。IEはウィルスかなんか知らんが、変な検索バーが出て消しても出てくる。などなど、問題だらけ。しかし、私はこのパソコンをそこまで苦にせずつかっている。何でかって、知らない間に、このパソコンの特性を理解して、問題が発生しないように使っているのだ。これは、ほとんど無意識のうちにフリーズしないようにやっている。(それか、私のPCの使い方の特徴をPCが理解し、パターン化して処理が簡略化・高速化しているから、私が使うと問題がおきないとか!?だったらすごい。)まあ、ということで、私が使うと問題は少ないわけです。というか、問題が起こることすらほとんど気がつきません。

しかし、ですね。パソコンを他人に貸して、作業する場合がある。その人は使い勝手が分からない。このパソコンの特徴をすぐに感じ取ることが出来ない。よって、フリーズしたり、電源切れたり、するわけです。でも、その使っている人は、いつも自分のパソコンを使うように普通に使っているだけなんです。でも、他人のパソコンだとフリーズしてしまう。うーん、なんとも不思議なことです。誰が使っても、ある特定の操作に対して同じ結果をだすパソコンがこんなにも違う結果に陥るのです。

使い勝手、使い慣れる、ってことはすごいことなんだなと再認識。人間は無意識にやる行動が一番洗練されていて高度であるのではないかと感じました。
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February 14, 2005
とうとう名古屋の時代
名古屋。愛知。

別に県の名前か、県庁所在地か。それだけの違い。
名古屋市出身の人は名古屋といい、愛知とは言わないぁ。
名古屋市以外の人は、話の流れで名古屋と出てきたら、さらりと愛知とかわす。

そんなのどうでもいいのだが、愛知県なんか元気だな。

トヨタにしろ、万博、セントレア国際空港、手羽先、味噌煮込みうどん、スガキヤ、味噌カツ、えびふりゃー、愛知の企業は調子がいいというし、千葉国の次は愛知国ですかね。毎日新聞さん?

名古屋がすきかといわれれば、分からないが、岐阜は名古屋に近いので食文化が似ている。言葉が似ている。距離も近すぎる。ということで、親近感はあります。この、名古屋の勢いに岐阜県もひょこっと乗って、いろいろ得を出来ないのかな?
天才クイズが東海ローカルだと知らない、東海県民が多かったり、天才クイズに出たことがある人がちらほらいたり。って、まったく関係ない。

名古屋のフラッシュもブーム再来か。

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February 13, 2005
みんな合理的を望んでいるようで、いないよう
みんな合理的を望んでいるようで、いないようで。

まあ、人間完全に合理的じゃないのはそうなんですが。

ちょっと頭を使って行動すれば、かなり環境がよくなったり、効用が大きそうなことでも、それを実行しない人が多い。それを考えられない人もいるかもしれないが、考えられる人でも、合理的な行動をとらない人がいる。まあ、常に合理的な行動をとらないのは分かる。私もその一人だ。ああ、こうしたらいいだろうなと分かるけど、その行動に移すのがめんどくさい。めんどくさいと言う表現とは違うのだが、なんというか行動に移す気にならない。

なぜだろう。明らかに少しの労力で大きな効果が生まれることが分かりきっているのにしない。人間とは現状維持がすきなのだろうか。何ですきなのだろう。

うーん、絶対的に 「合理的な行動をする労力<合理的な行動による効果」
の場合でも、合理的な行動をしないと言うことは、
「合理的な行動をする”気分”>合理的な行動による効果」
気分が勝っているのだろう。

気分ね。気分と言えば気分。しかし、何か違う。私と言う人間の中にある、中から生成される何かによって決まるんだけど、気分とは違う感じだな。そもそも気分って定義が分からないし、気分ってことすら分からない。

私は、本とかから学べない人なので、かっこいい理論の名前とか、あんまり知らない。
日々の生活から感じたことを、自分で考えると言うことをしないと身につかない効率の悪い人間なのである。

Posted by takeshi at 02:58 AM | コメント (214) | トラックバック (0)|
なんちゅうか
書きたいことがあったような、ないような。

記憶していたような、記憶しているような。

ぼんやり何か浮かんだような、浮かんでいないような。

時が流れているような、時が止まっているような。

驚いたような、驚いていないような。

世の中ではいろいろなことが起きているのだろうか?

日曜日は今日も明日もやってくる。

「路上で寝るくらいぶったおれたい」

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February 10, 2005
米が食いたいんだよ
松野頼三元衆議院議員が週刊アサ(秘)ジャーナル という番組に出ていた。

戦後、うまかったもので、1位銀シャリ 2位すき焼き 3位バナナ っていってた。

米が食いたかった、米だけで何倍も食えたと、感情こもっていっていた。戦後の時の銀シャリへの気持ちはすごかったんだろうと思う。僕も海外であまり食っていなくて、うまい物食うとたいしたものでもおいしく感じるから、それの究極バージョンなんだろう。

で、これを見て、今日ワールドカップドイツ大会の最終予選、日本vs北朝鮮を思い出した。日本はケッコウ苦戦していた。というか、ぎりぎりまで同点で、ロスタイムに点を入れ勝った。勝てば、最後に点をいれようとなんであろうと、勝ちは勝ちだ。

ただ、苦戦していたのも事実。で、それを見ながら思った。日本は先進的な科学的トレーニングを行い、栄養バランスの取れた食事をし、海外のトップチームで戦っている人もいる。北朝鮮チームはテレビなどで伝え聞くところによると、そうではないかもしれない。このような環境や条件の違いはあっても、互角だった。

良い、トレーニング機械、トレーナー、食事、すべて良いものを使ったからといって、勝つわけではない。それがないからこそ生まれるハングリー精神のようなものは、トレーニング機械や食事を超えるものになる可能性がある。このことは、絶対に心にとめておかないといけないと思う。

銀シャリもそうだ。銀シャリは決して高いものではないかもしれない。しかし、その状況や自分の気持ちによって価値というものは無限にも大きくなる。逆に極限まで下がることもある。高級だから良いというわけではないんだよなぁと実感。

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February 09, 2005
100円と1万円の
私の手帳を見たことがある人は分かると思うが、無印良品の線が引いてあるだけの手帳だ。それに、自ら日付を入れたものを使っている。100円だったので買ったというだけの理由だ。

で、今日手帳なるものをもらった。またまた、線の枠だけ入っていて日付が入っていない。うん、なんとも不便。しかし、そろそろ手帳がなくあるのでうれしいのである。おっと、手帳っていっていいのか?って何のこと言っているかというと、その手帳1万円也。一万円の手帳って。。。100円と機能は変わりません。さらに、日付は手書きの手帳です。が、本皮です。箱をあけてびっくりです。

まあ、僕にしたら100円でも1万円でも機能は一緒だから、どっちでもいいのです。さらに、両方とも日付は手書きと言う落ち着き。ものの価値を考えさせられます。はい。価値とは何なのか?機能って何か?ってありきたりのことを考えますね。

まあ、これはオークションで売って新しいのを買ってもいいんですけど、一生使えそうだし、たまには高級なものを持つのもいいかなと思っている次第です。

http://www.raymay.co.jp/bungu/products/davinci/davinci_products01b.html■聖書サイズシステム手帳 ¥10.000
KRAUSEゴールドリングを使用し、表、ポケット、中戸に至るまで惜しげもなく本革を使用した高級タイプ。

Davinci
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●リング:リング内径20mm
●高級ギフトパッケージ使用
Posted by takeshi at 08:30 PM | コメント (207) | トラックバック (0)|
地方企業はビジョナリーカンパニー
地方企業はビジョナリーカンパニーであると言うことです。

今日思ったんですけど、まあ、当たり前です。特に一代目の地方企業はビジョナリーカンパニーが多いのではないかと考えたわけです。

そもそも、ビジョナリーカンパニーとは何か?
まあ、私はかの有名なビジョナリー・カンパニーの2冊を読んだことがないので、この本に沿った定義は知らない。

しかし、この本に書いてあるビジョナリーカンパニーとは以下の条件を満たしているものらしい。
(1)業界で卓越した企業である。
(2)見識ある経営者や企業幹部たちの間で広く尊敬されている。
(3)社会に消えることのない足跡を残している。
(4)CEOが世代交代している。
(5)当初の主力製品やサービスのライフサイクルを超えて繁栄している。
(6)1950年以前に設立されている。

まあ、僕がいっているビジョナリーカンパニーはこのようなものではない。俺に言わせれば、上記の6点を満たしている企業をなぜビジョナリーカンパニーというか分からない。6つの条件を満たす企業がすべてビジョナリーカンパニーではないといっているのでもない。さらに、6つの条件が満たされている企業を批判しているわけでもない。こんな条件を満たしている企業は世界中探してもめったにないような素晴らしい企業であると思う。

まあ、これらの細かいことは本を読まないとなんともいえないので、特に触れないでおこう。今度、ビジョナリー・カンパニー1・2を出来るだけ早く読む必要があると思う次第です。また、読んだことがある人はいろいろ教えてほしいです。素晴らしい本らしいので。

で、僕がタイトルに書いたビジョナリーカンパニーは明確なビジョン・理念を持った企業のことで、まさに「読んで字のごとく」ってやつです。

話はそれるが僕の好きな会社は僕の言うビジョナリーカンパニーであったりします。まあ、なんで、地方に僕の言うビジョナリーカンパニーが多いか。

それはですね、東京で会社を作る人は安っぽい人が多い可能性がある。安っぽいというのは、周りに会社を作った人がいるから作ったとか、なんかカッコイイからとか、お金儲かりそうだからとか、そういう理由で作る。そんでもって、東京は地方と比べて会社設立の障壁が低いように感じます。さまざまなサポート体制があり、会社を作った仲間もたくさんいる。お金の面でも投資・融資を受けやすい。環境が恵まれています。このような環境による相乗効果で、コラボレーションが起こったり、相互補完ができるなどメリットも多いんですけど、ハングリー精神はなくなりやすいと思います。

逆に、地方で会社を作る人はかなり異端児です。環境やサポート体制も整っていません。自分が、このような社会にするために、これをやりたいとかなり強く思わないと会社を作らないと思うのです。会社を設立する障壁が高いからこそ、設立する人は強い思い・ビジョン・理念があると思うわけです。

そのような強い思いがあると、必然的にビジョンのある企業になると思うのです。会社のファウンダーがそのような理念をアピールすることにより、その理念に共感した人が集まり、組織としてビジョンオリエンティッドな会社になると思うのです。

まあ、なんとなく思っただけ。

別にビジョンがはっきりしているからすべて良いというわけでも、ビジョンがあるから儲けることが出来るとも思ってません。なんとなく会社を作ることも面白くて良いと思います。僕の言うビジョナリーカンパニーは、逆にビジョンに傾斜しすぎて、冷静な目で見えなくなると言う大きな問題があるかもしれません。
個人的に好きかどうかの話をしているだけですから、どっちが良い悪いではないですよと、最後に付け加えておきます。

Posted by takeshi at 01:37 AM | コメント (192) | トラックバック (0)|
February 05, 2005
脳とアウトプットとその評価
脳とアウトプットとその評価という、なんか意味の不明なタイトル。こんなことを言っていると、いつも君は文型か?と問われる。うん、くだらない。どうでもいい。高校から無理やりカリキュラムを文系と理系に分けているから、みんなそんな分け方をするのだ。

で、私は気になるから、どうしても気になるから書くだけ。いくつか思うこと感じることが重なったから書きます。

・ワーキングメモリとIQ
・話下手だけど仕事が出来る人
・本当にすごい人はすごいと認めれない

前書いた、脳の常駐ソフト理論もそれだな。

・ワーキングメモリとIQ
ワーキングメモリが優れている人とIQが高い人はイコールではないみたいなことが書いてあった。けっこう遅いのだが、このワーキングメモリと言う言葉が引っかかった。なんか興味深くて僕の中でキーワードになった。ワーキングメモリとは「情報を一時的に保持する、操作・統合して答えを導き出す、という一連の過程を含み、言語理解や推論など高次の認知機能のベースとなる重要な機能」とか書かれたりしています。短期記憶の拡張だとか。良く調べていないからなんともいえないけど、かなりおくが深そうです。なんか、ワーキングメモリの容量が大きい人はいわゆる(普段接していて)賢い人なのかなと思う。IQは知能指数であり、違うものなのであろう。そもそも、頭の良いとは何なのか?どう定義するのが一番話を進めやすいのだろうか。疑問だらけ。脳自体の問題。

・話下手だけど仕事が出来る人
すごい話が下手な人がいた。でも、その人の実績を見るとすごすぎる。まあ、実力勝負の世界で生きてきて、相当な外資企業の経営者としてヘッドハンティングされている。若いのにこうだから、実際に仕事は出来るのだろう。でも、話は下手。話がうまいからといって仕事が出来るわけではないが、うん、でも見極めるのって難しいですよね。ファーストコンタクトは話すぐらいですから。それと、あまり多くを話さなくても、どもっていても、立て板に水に話さなくても、ズシーンと心に伝わってきたり、感動したり、この人考えていると感じることがある。流暢に話すということには、そこまで価値がないのかも。まあ、大統領スピーチとかは、流暢なほうがいいような気がします。でも、原稿を用意していないときは除く。言葉としてのアウトプットと、仕事のアウトプットの違いの問題。
・本当にすごい人はすごいと認めれない
本当に凄い人は凄いと感じない。アウトプット(話し、文章など)は考えたり悩んだ何分の一しか現れないのは、良く分かる。それに、考えたことや、知ったこと、身に着けたことをすべて盛り込むと安っぽくなったりする。まあ、それはいいとして、本当に凄い人は相手のレベルを理解し、何の違和感もないように論理立ててはなす。それも難しいこと説明していると感じさせない。それでもって相手が心踊るポイントをついてくる。 だから聞き手は話し手(すごい人)のことを凄いとすら感じる隙がないのだ。ということで、僕が感じることの出来ないレベルのすごい人は、本当にすごいはずであるが、僕はそれに気づくことが出来ない。。。これはアウトプットの評価の問題である。

とまあ、難しい。それに、話がそれている。

これらを考えていると、頭がいいとか、仕事が出来る、と、その評価とは難しい問題である。ベースとしては脳のどの部分のどのような動きが関係しているのか。うーん、頭がぐるぐるする。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
僕の脳は文字ベース
今日は大学から家まで歩いたわけである。普段歩かないところを歩くからと思って、MP3プレイヤーで音楽などを聞かずに、町の音を聞こうと思った。

しかし、家に近づいていつもと同じところなどでは聞いた。そのときふと思う。

僕のMP3プレイヤーにはいろいろな曲が入っている。どんな曲かも知らないのも入っている。なぜなら、適当にダウンロードしたり、友達の家に行って適当にパソコンから音楽データをもらうからである。さらに、僕はシャッフルで音楽を聴いている。順番はばらばらで流れる。

で、新しく音楽が始まった。うん?!とおもった。音が流れてくるのを聞いて、なんだこの曲と思った?聞いたことはある感じだったが、ピンとこなかった。

で、僕がとった行動は、プレイヤー本体に表示されるタイトルを見たのだ。自然にそのような行動になった。聞いて分からなかったら、分からないはずである。さらに、見たからといって、なんか意味があるのか?音楽と言うのは聞くことに意味がある、効用があるように感じる。(まあ、ジャニーズとかアイドルの音楽は文脈を楽しんでいるのだが。)しかし、僕はタイトルを見た。なにを感じてみたかは知らないが。

その行動を通して思ったのは、僕は音よりも文字をベースに理解しようとしている。文字で理解することに最も慣れている。僕のiTunesやMP3プレイヤーに入っているほとんどの曲のタイトルや歌手名を知らないが、タイトルを見るという行動をとった。文字を見ることに落ち着きや安心を感じるのだろう。そして、文字で見ることによってさらに、音を理解しようと思ったのだろうか。

僕は文字で理解するのだろうが、音で理解する人、絵やイメージで理解する人、においや色などなど、人それぞれ理解するベースが違うのだろう。
Posted by takeshi at 09:42 PM | コメント (203) | トラックバック (0)|
一秒の世界
一秒の世界とかいって番組をやっていた。

山本良一東大教授と言う人が、一秒にすると何でも分かりやすいからといって、一秒に単位をそろえているらしい。

ビルゲイツは2000億円資産が増えて、一秒にすると、みたいなことは好きだ

チーターは1秒で、28メートル(訂正しました)
世界で一秒間、532人マクドナルド  
炭酸飲料1秒で1万6000カン 3分の1 アメリカ アメリカ人一人600缶年間
440メートル、A4用紙 一秒間
一秒間に天然林 テニスコート20面
一秒間に植林は5面
グリーンランド、氷河 一秒間に 25メートルプール4杯分

1秒0.3人餓死
1秒で軍事費 320万円

どこまで、本当か知らないし、言葉のあやっぽく、トリックを使って軍事費とか試算しているかもしれないが、ゲイツとかマクドナルドは好きだな。

Posted by takeshi at 08:49 PM | コメント (237) | トラックバック (0)|
なんとなく大学から家まで歩いてみた
タイトルどおり、なんとなく大学から家まで歩いてみた。
遠かった、以上終わりでも、良いのだが、自分のためにメモメモ。

・定期が明日で切れる。→使っておこう。
・土曜日で快晴。→どっかいこう
・時間があった。→どっかいこう。

二郎納めをしたかった。
大学で新聞を読みたかった。

上のような条件から、大学へ行くことにした。それで、二郎へ。
最近また、味が戻ってよくなった気がする。ぜひ、皆さんも行ってみてください。まあ、40ぐらいの夫婦が来ていたのですが、奥さんがラーメンに対してちょいとご立腹みたいだったんですけど、二郎を知った上で来いよボケと言ってやリたかったです。

まあ、それから大学の図書館で日経を2週間分ぐらい読んだ。小学生から読んでいて読み慣れているので、読み飛ばしをしまくり。今月から私の履歴書がドラッカーみたいだ。長生きだな。まだ、講義をしているらしい。あと、そこまでやるか 新エリート主義っていう夕刊の連載特集みたいなのが面白かった。

大学で、中等部の入試がやっていたのだが、子供が入試の間親がキャンパス内で待っていた。だから、おばちゃんおじちゃんばかり。はっきり言って、いかがなものかと。子供もかわいそうだし、親も子離れできていない。過保護すぎる。こんなんじゃ、日本人は本当の意味で強くならない。

心も頭も体も強くなければ、意味がない。かわいい子には旅をさせよといったものだ。
で、家に帰るか上野博物館へ行くか、古本屋へ行こうと思って駅へ。でも、なんとなく、家まで歩いてみようと思う。もちろん地図も何もないわけだ。北へ行けば着くだろうと思って歩き始めました。

とりあえず、田町駅前から歩き始める。いつも見ている、NEC本社。さあて、何時間歩けば家に着くのだろう。はたして、つけるのかと思いながら歩く。天気も良いし気持ちがいい。
02:34 PM

線路沿いを歩こうと思った。が、線路から離れたり、また線路に近づいたりの繰り返し。
地図とかないので、そうなります。第一京浜らしい。
02:42 PM

大門駅は浜松町とニヤリーイコールです。
田町の隣駅。
02:51 PM

ロープひとつでガラス掃除。
水が下に落ちてきた。今日はガラス掃除をいくつものビルで見た。
こういう仕事は土曜日に多いんだなー。そりゃそうだけど、初めて実感した。
02:53 PM

新橋(若い人が汐留というところ)の新しいいるです。
松下、電通、共同通信などなど
03:02 PM

ポルシェのお店。汐留シオサイトにあった。
03:07 PM

下水管ですか?大量に道路においてあった。
気になったパシャリ
03:08 PM
歌舞伎座らしい。聞いたことはあったが、はじめてみた。
東銀座駅からすぐなので、一度着てみるのも面白そう。
03:17 PM
フェデックスとキンコーズがあわさった店。
日本橋だったかな。うーん、いかにもな会社がコラボしてますね。
03:45 PM

日本橋にあった、五街道の起点かなんか。へーー。
歩かないと見つからないものだな。
03:47 PM

おお、神田まで来た。
けっこう、遠かった
03:59 PM

上野。いつもくる上野。
土曜日はにぎやかでした。
あと、秋葉原もすごい人だった。
04:23 PM

はい、千円でぇいいよ~。千円。
the AMEYOKO。
04:28 PM

国立博物館で唐招提寺展がやっています。
早く行こう。でも、すごい人だろうな~
04:39 PM

千駄木です。昔は(旧)駒込坂下町といったらしい。
家まですぐそこ。
だが、ブックオフとスパーに寄り道。
で、家に帰り着きました。
05:19 PM

Posted by takeshi at 07:38 PM | コメント (198) | トラックバック (0)|
若き国際的指導者
あまり、ニュースにならなかったが、世界経済フォーラム(ダボス会議)が「若き国際的指導者」237人を選出したらしい。日本人は10人みたいだ。

まあ、個人的に選出された人すべてがどうかって話はあるんだけど、まあ頭の片隅に入れておこう。
年齢を見ると、国際的ビジネスマンとして「若き」ってのは40歳までということなのかな。

これとは関係ないけど、日経の「そこまでやるか 新エリート主義」っていう夕刊の連載特集にも、いろいろな人がのっていた。
理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター上田泰己チームリーダーは、すごかった。27ぐらいでチームリーダになったらしい。大学で行ったら教授みたいだ。東大医学部5年のときに山之内との共同プロジェクトでリーダーしたり、バイオと言語をそれぞれ一年でマスターしたり、ソニーCSLの北野宏明さんに1年師事したとか。それで、東大博士課程を修了して理研のチームリーダー。すごいね。理研もそんなことする時代なのだな。

矢野 祥君もすごい。14歳で大学はいって、今はシカゴ大学医学部とか。ピアノも出来て空手かなんか武道もやっているらしい。

http://www.weforum.org/pdf/YGL/list05.pdf

楽天 三木谷浩史社長(39)、
中古車輸出会社アガスタ 松崎みさ社長(34)
伊藤忠商事法務部 社内弁護士 茅野みつるさん(38)
参院議員 浅尾慶一郎(40)
ファーストリテイリング 堂前宣夫副社長(35)
衆院議員 古川元久(39)
サイバード 堀主知ロバート社長(39)
東大 近藤正晃ジェームス助教授(37)
横浜市長 中田宏(40)
参院議員 鶴保庸介(37)。

Posted by takeshi at 07:24 PM | コメント (198) | トラックバック (0)|
BRICs
BRICsっていうじゃないですか。

前から、sはどっかの可能性があるのではと思っていたんですけど、South Africa
(南アフリカ)かもね。

G7にブラジル、中国、インド、南アフリカが呼ばれたらしい。
確かに、資源豊富だし、けっこう都市化していて、アフリカの重要な都市であるのは事実だ。

まあ、注目ということですな。

Posted by takeshi at 07:17 PM | コメント (232) | トラックバック (0)|
February 02, 2005
一本の意味のない線から始まる
暇なときになると、落書きを始める。暇といっても何もやることがなくて、と言うのではなく、時間とか場所が拘束されていて、そこから離れられないけど、退屈なときのことだ。

まあ、高校で言えば、授業中だったり、ディベートの好評だったり、するわけです。なんとなくイメージがわくかな?まあ、そんなような時が最近ありまして、いつものように紙にボールペンで落書きを始めるわけです。

べつに、特に落書きが好きとか、絵が好きかと言われれば怪しい。その場で話を聞くことと、落書きすることどちらが価値が高いかと言えば、話を利くことのような気もするが、落書きをする。人間の意思決定というものは、それほど矛盾を抱えたものなのです。そもそも、価値が高いものを選択することが、当たり前だと言う考えがあるけれど、それの本質的な優位性は証明不能なわけで。どんな説明を繰り返しても、どんどん、それはなぜかを問い続けられるわけで。

まあ、それはいいとして、落書きをするわけです。特に何を書くと言う計画もなしに。てきとうに線を引く。すると、自分が書いたその線から、勝手に線を延ばしたり、円を書いたり、人を書いたり、付け加えられてなにやら分からないが、何かしらの絵が出来上がる。

不思議なもんですよ。一本の意味のない線からなんかが出来あがる。その出来上がったものは、一本の線が、まさにその線であったからこそ生まれたものなのです。はじめから、何かを書こうとして書く場合は、一番初めの線が全体に与える影響は比較的小さい。でも、計画性のない落書きは一本目の線が命なわけです。まさに、その線であったからこそということなんだよな。恐るべし、落書きの一筆。

Posted by takeshi at 11:13 PM | コメント (225) | トラックバック (0)|
利き手、利き足、利きからだ傾き
利き手、利き足、利きからだ傾き

利き手があるのは皆さん知っているだろう。私は利き手を右から左手に変えようとした。中学のときは字も左手だかいていたが、今は書いていない。しかし、中学から左手で食事をするようになり、今でも左手だ。左手で食事をした年月のほうが長くなりそうだ。

聞き足があることも前のエントリーで書いた。

利きからだ傾きがどうもありそうだ。傾けやすい体の向きがある。僕は昔から洗面所で水を飲む癖がある。なぜかと言えば、冷たいと感じるからうまいのだ。で、コップを使う習慣がないから、手ですくうか顔を横に向けて水を飲む。そのときに、体の向きを変えて飲んでみると飲みにくかった。いつも自然と傾けていたのが、利き体傾きだったんだろう。

なんでも、「利き○○」があるんだろうな。

Posted by takeshi at 10:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
デースケドガー
デースケドガーらしい。

そろそろ、飽きたな。SEO コンテストキーワードらしい。

またひとひねりいれないと、面白みがないです。

世の中全てがどうでもいいわけで、世の中全てが気になるわけです。
まあ、そん時の気分次第と言うことです。

気分屋は批判されますけど、まあ社会で生きていくには他人に迷惑ですけど、その人は一番楽で楽しいと言う、大きなギャップがあるわけで、

難しい問題であるわけです。

Posted by takeshi at 10:17 PM | コメント (233) | トラックバック (0)|
February 01, 2005
受験シーズンらしい。
どうも受験シーズンらしい。

中学・高校・大学と。いろいろな受験があるわけです。

地方にいれば、高校選びまでは校風なんてあんまり意識しないと思う。学力レベルによって自然に決まる。しかし、都会の人は違うみたい。校風なる、本当か嘘か分からないもの、みんなのイメージと言うものが結構重要らしい。

大学選びも気にするらしい。この校風なる怪しいものを。

特にKとWの校風の話を良く聞く。僕は岐阜にいたからそんなもの知らなかったし、気にせず受けた。でも、最近なんとなく思う。ちょいと違うなと。それは入る段階ではあまり違いはなかったと思う。(まあ、イメージを持っていて、それを踏まえて受験するから、入ってくる人のキャラから違うのですが。たぶん)しかし、環境による相乗効果によって人は変わっていくのだと思う。それで、なんとなくWっぽいとかKっぽいとか。

僕は自分の大学の中ではKっぽくないと言われる。しかし、某大の関係者からみるとKらしい。うーん、知らない間に染まってしまったのか。怖い怖い。

しかし、結局その人次第だし、なんとも良く分からない校風なるもの。入ってその校風なるものに染まってしまえば、校風というものに自分では気がつかないし、入る前だと、実態を知らずたった一人から聞いた印象などで校風を想像してしまう。

結局校風と言うものは分からないのであろう。この、なんとも摩訶不思議な校風。

10年ぐらい前のマルチメディアという言葉のまやかしや、近年のユビキタスと言う実体のない、商業戦略だけの言葉に似ている。なんともあやしい。これらの言葉が死ぬのは早い。なぜならその技術が先進的でなくなったりするからだ。

しかし、学歴というものは人が死ぬまで、校風なるものはなくならないだろう。すなわち人がいる限り永遠に校風なるものはなくならない。校風がなくなるときは学歴がなくなるとき、すなわち人類が滅亡するときであろう。

なんか、地頭だとかコミュニケーション能力だとか起業家精神なることばも実態を持たないなんとなくそれっぽい言葉である。

なんとも怪しい。実体のないものである。

たしかに本質的に重要なのであることも多いのであるが、それは感覚的にしかわからないものであるから、一歩間違うと怪しい世界へと言ってしまいそうである。

Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (208) | トラックバック (0)|
うーん。
日々書きたいことがあるのだが、なんか書く気分じゃない。

まあ、気分次第なので。

昨日の夢はなんか夢の中で夢を見た気が。そんでもって英語で夢を見た。
英語にうなされていました。

ネパールで非常事態宣言らしい。国王が政治家に任せとれんといったらしい。
ネパールには400人の日本人がいるらしいですが、NHKのニュースでも動画じゃなくて写真なのはいかがなものかと。

Posted by takeshi at 07:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2005-01

http://www.teratown.com/blog/archives/2005_01.html

January 30, 2005
心躍るモルモット
昔ソニーがモルモットと馬鹿にされた。その切りかえしが井深さんのすごいところである。

「ソニーは、東芝のためにモルモット(医学などの実験用動物として使われる)的役割を果たしたことになる 中略 確かに『モルモット』かもしれないが、日進月歩の電子工業の世界にあって新しい製品を産み出していけるのは、ソニー自身がすぐれた技術力と社長以下全社一丸となったチームワーク、そして実行力を持っていたからだ。それを抜きにして、大会社と比較されたのではかなわない。 中略 私どもの電子工業では常に新しいことを、どのように製品に結び付けていくかということが、一つの大きな仕事であり、常に変化していくものを追いかけていくというのは、当たり前である。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ」

体が浮かび上がるような気持ち。
心躍る。

僕が望む、自分の姿は心躍るモルモットなのかなとも思う。
僕が思うかっこいい人は、近くにいたら困る人。結構原理主義的な人が多いと思う。自分を信じて、可能性を信じている人が多い。でもこういった人は、離れてみると夢を持ちやりたいことをとことんやり本当に楽しそうな人。実際にこういった人しか世界を変え、面白くしていく流れを作れない。で、その本人(かっこいい人)も楽しいかと言うと、本当に没頭しているときは楽しいかどうかすら分からなくなる。んだとおもう。

まあ、僕が望むのは心躍るモルモットと表現することも出来る、と思っただけ。
最強なものは、やはり最強だ。
何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。

Posted by takeshi at 11:05 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
オーダーメイド野菜
情熱大陸 浅野悦男 人の作らない西洋野菜しか作らない。それも料理人のためのオーダーメイド

17歳で親から譲り受けた農場。

愛情を注げば注ぐほど、野菜はうまくなる。

野菜自体が挑戦的

プロの料理人のために作られるオーダーメイド野菜

脇役にとどまらない

シェフの感性を刺激し、その一皿を作らせる。

ただうまいだけでは納得できない。

ごちそうを耕そう

手間隙を惜しまない。だからうまい。

周りには当たり前のことを、許せなかった。

次から次へ新しいことを、次は料理をやるという。
やっている本人は楽しい、遠くから見る人もかっこいいと思うけど、奥さんは大変みたいだ。

人がやっていないこと、それが気持ちよかった。

何も知らないものが、何かを追い求めるとき、何の恐れもないものだ。

ああ、だめかで終わっちゃだめ、それだただのおじさん。
夜寝ても眠れないぐらいのことがあったほうがいいの。
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体操服袋を道に落とした事件
体操服袋を道に落とした事件って小学生のときに体操服をいれる袋を持ち歩くじゃないですか。体育で使って、汚れた体操服を家に持って帰って洗ってもらう。

しかし、そんなことが出来ない小学生でした。体操福袋を道の途中で落とすのです。持っていたのに歩いている途中、それも信号とかじゃないところで落とす。もちろん気がつかず、家に帰って親に言われて気づく。

そんな頭の悪い小学生でした。

で、海外に一人で行くようになって自分の持ち物をチェックするようになった。今日は手に3個荷物を持っている。と確認して、いすから立つときなどはこまめにチェックするようになった。

しかし、人間そううまくはいかない。日ごろ持っているものなら習慣として、持ち帰る。が、いつも持ち歩かないものは忘れてしまう。去年もそれで迷惑をおかけしたことが会った。そのときは、徹夜明けだった。

今日も忘れた。飲み会の感じなる物をしたのだが、その飲み会であまった酒を袋に入れて持ち帰ったのだが、忘れた。完全に忘れた。徹夜明けだったり、酒が入ると普段持たないものを忘れる。。。

やはり、普通の意識のときはチェックするのだが、徹夜や酒などで頭が100%じゃないときは、子供のころの習慣がよみがえる。というか、本質的に小学校のときと何も変わってないんだな。

ただ、習慣と言うもので、上塗りしているだけ。例えば車の塗装で言えば、ベースとしてあったさび止めが小学校や生まれたときからある個人の特性など、その上に塗るカラフルな車体の色は大人になるにつれ社会適合性を高めるために身に着けたものなんだろう。

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January 29, 2005
ビルの隙間から見えた月の位置
ビルの隙間から見えた月の位置からいろいろ考えた。考えたと言うよりも、なんか違和感を覚えて考え始めたら、頭がぐるぐる。いろいろやることがあるのに、楽しくて考えてしまう。

とりあえず、メモがき。

ビルの隙間から見えた月の位置、違和感、意識外でも脳は動いている。

ぱっと月が見えた。そしてそんなことはたいして気にもならず歩いていた。そしてまた空を見上げると月の位置に違和感を覚えた。で、なぜか考えた。たぶん、人間の意識外でも人間は情報処理を行っている。それで、気にかけなかった月の位置をここにあると無意識のうちに記憶していた。さらに歩いているから、歩いた場所における月の位置を無意識のうちに推測していた。しかし、なにげなく空を見ると月の位置がその推測と外れていた。そのために月の位置に違和感を覚えた。

意識外でも脳はかなりの情報処理を行っているんだなー。

1,2日では変わらないもの、習慣化による。

習慣化の2面性問題。

頭のいい奴=偏見のある奴

フィーリングが合う人間は、この自分が考えていないところにおけるものがあうかどうか

感覚の鋭さや、頭が切れるなどは、この裏の脳の動き

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January 28, 2005
電話が苦手な理由
僕は電話が苦手だ。

なぜか考えると、意思疎通が正確に出来ないかもしれないという恐れがあるのが嫌だから。電話では普段のコミュニケーションにあるものがかけていて、意思疎通がしっかりと出来ないのではないかと言う不安がある。そのため、電話で話すのが好きではないのだろう。

ということは、僕は普段のコミュニケーションにおいて声や言葉よりも表情だとか、その文脈から多くの物事を理解しているのではないか。だから、声(言葉)だけの電話では絶対的な情報量が足りず、相手の真意をつかめないと感覚的に感じて、電話が嫌いなのであろう。

まあ、慣れってのもあると思うけど、それ以上にそれぞれの人が対話コミュニケーションにおいて何を重要視しているかが大きくかかわってきているのだと思う。

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脳の常駐ソフト理論
自分では意識していなくても、脳では常駐ソフトが起動していて、その人の思考パターンを規定している。

意味不明だと思うけど、時間がないので自分への目メモ

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January 25, 2005
風よ水よ人よ
「風よ水よ人よ」これは、日本酒の名前。
某先生の家で飲ませてもらった。

さすが、先生というほどの味。安くてうまいらしい。

やっぱり、「うまいもん」は先生に聞くのが一番だ。
「うまいもん」ってのはちょうしこいたフランス料理とか気取ったものや名前だけのものや値段もむっちゃ高いものじゃなく、「うん、うめー」っていえる、人間が一番うれしい瞬間を味わえる食べ物ね。

だって、肩肘張って高級なもの食ってもうまくない。やっぱ、なりふりかまわず食らいつくのがうまいよ。

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1月24日 晴れ
1月24日 晴れ

そこまで寒くなかった。普通の日だった。って、なんか小学生の夏の友みたいでいいね。
なんとなく。

某友達がこう書いていた。
Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn’t mttaer
in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht
the frist and lsat ltteer be at the rghit pclae. The rset can be a total mses
and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid
deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.

非常に面白い。たしかに、その通りです。もうすこし、読むという行為と脳が理解するという行為を詳しく知りたい。

あと、昨日の夜、音楽を聞いて寝た。音楽って、ボーカルの声と、ギター、ドラム、ベース、その他いろいろな楽器の音色が重なっているじゃないですか。

で、特定の音のみに着目してその音のみを集中して聞く。そうすると、そのリズムが分かるわけですが、ほかの音はほとんど聞こえていない。耳にはいろいろな楽器の音が入ってきているはずだが、ベースならベースの音しか聞こえていない。これは周波数かなんかを人間が勝手に理解して、その音を追っかけている。それで、聞こえる。これを本当に聞こえるとする。音を脳が意識的に理解しているというのが正しいのか?

で、これ2つの音を追おうとすると厳しい。少なくとも今の僕には厳しかった。二つの音を同時に聞くことが出来なかった。これを、どんどん繰り返すと本当に聞くってことなんだろうかな。

で、普通に聞いてみる。歌が入っているものだと、どうしても人間の声をきいてしまう。歌が入っていると歌を聴いていてバンドの演奏はほとんど聴いていないな。で、歌がなかったら、ほとんど聞こえていない。それがBGMなのだな。

本当に聞くと、絶対音感の人はどうやって聞こえるのかね。

BGM タイムマシーン CHARA
     空の下で  MY LITTLE LOVER
JOY YUKI
星のかけらを探しにいこう 福耳
    BLUE HEAVEN サザン

BGMというより最近聞いている曲

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January 24, 2005
旅の話が出てくるということは
旅に行く人がいる。
一人で旅に行く人がいる。
目的もなく行く人がいる。

そんな人もいつか帰ってくる。
旅人は一瞬の身分である。

日常の会話、日記に旅の話が出てくると言うことは、現状に物足りなさを感じていたり、切羽詰って現実逃避したいときなんでしょう。

そう思います。
純粋に、旅は楽しいです。

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January 23, 2005
指導者として、勝負師として
今日も情熱大陸を見た。

何とかしなければならないという信念があった

国見高校サッカー部監督&校長 小嶺 忠敏

奇をてらうことのない正攻法

楽をしてうまくなろうはありえない。失敗をして残念だ、悔しがる気持ち。与えられた条件で最大限の努力。

1年間200試合以上。
試合前にゲームプランを指示。試合が始まれば、指示はほとんどしない。しきりにメモを取る。いいプレーをしたらほめてあげよう。叱ると伸びる奴だからしかってやろうなど。

試合後は反省点をノートにつけることが義務づけられている。
経験は言葉に残すことで始めて自分のものになる。

物事をやる前に、それをやるのはなぜかを考える。どんなことを身に着けたいかを考えてから行動。

部員13人の弱小チーム、それでも優勝を誓った。20年が過ぎて初優勝。

自分の元を巣立ってから、子供の本当の人生が変わる。教え子であれ、元教え子であれ見つめるまなざしは変わらない。

宿舎には先輩が続々と、洗濯と買出し。たぶん、OBが自然と集まってこれるような組織ってのがいいね。それは一人の求心力がある人がいるってこともいいけど、文化としてそんな雰囲気があるといいなー。

毎試合が山。そして山の険しさが増す。
無慈悲な風をののしっていた。

この敗北を選手たちの糧にしなければならない。3時間選手たちにかける言葉が見つからなかった。

言葉の一つが子供たちの心を傷つけるかもしれない。全国大会で負けた夜は眠れない。畜生。そんな試合の夜も選手たちはすぐに眠っている。子供たちは幸せだな。

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January 22, 2005
無意識を意識でコントロールする
無意識は意識をコントロールする
無意識を意識でコントロールする
正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。

また、何を言っているのか伝わらなさそうなエントリーです。

意識を及ぼすことができないと思っていることに実は意識を及ぼすことができる。
無意識の状態は自分の意思によって行動できないことだと思うんです。
しかし、無意識の状態をコントロールできる。さっきも書いたけど、正確に言うと、無意識の状態を意識を用いて無意識的にコントロールできる。

たぶん、金縛りとかこの状態なんじゃないかな。(これで、さらに分からなくなったはず。。。)金縛りも、自分が無意識かにあると思っていつが、実は意識がコントロールしている。で、その意識をコントロールすることが可能であると。

なんで、こんな意味不明なことを思ったかと言うと、昨日寝ようとした。今日の朝早く起きる必要があったので、明日は朝7時30分に起きないといけないと言い聞かせた。なぜなら、経験則的に寝る前に自分に言い聞かせると起きれるから。これはみんなやっていることだろう。そんな、いいきかせをしていたら気になり始めた。こうなる眠れなくなってしまうのである。

寝ているときは自分のコントロールできる状況にない。無意識な状況であるが、寝る前に意識的に言い聞かせることにより、起きれる。すなわち無意識状態を意識でコントロールできているのだ。

意識的に人生や先のことをプラスにイメージすることは、明確に記憶しなくても無意識下のときにも大きな影響を与える。こういうことなんだろうな。

未来の無意識の状態は、過去の意識的状況によって決定ずけられる。

夢もコントロールできる気がするな。僕がいつも言う、昼間に何気なく考えたことが、夢になる確立が高いのも、そんな感じ。

なんか、言いたいことが伝わっていないな。自分でこの文章読んでも伝わってないと思った。

なんだろうね、無意識課の行動を意識化によって確実に決定付けることが出来る。これって、抽象的なことが言いたいんだよね。

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遅回し
ちょいと遅くまわしてみようと思う。

僕は何かをするとき一気にやってしまったり、倍速でやったりする。

話すのも早口、半ばあせるように。
書くのも、一気に書く。

でさ、何かをするとき遅回し、スローモーションでやってみようかなと思う。

やっぱり、時間をかけて考えたものは何か違うと思う。
目に見えるものの裏に何かが潜んでいる機がするのです。

確かに、一見効率が悪いかもしれないが、どうせ学生のときしか出来ないので、そうやって行動するのも面白いだろう。

じっくりやる、なんか大切にやるみたいな感じかな。
そうやって、物事をしたことがないから。

一本の線を描くのに5時間でもかけてみようと思う。
別に、考えるのでなくても、時間をかけてみたい。
ホカゴトするのではなく、一本の線と5時間ぐらい向き合ってみたい。
Posted by takeshi at 12:55 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
January 21, 2005
大統領就任式
まず、はじめに書くがアメリカを批判したいわけではない。基本的に十人十色とすべてに対して思っているので。

ただ、アメリカと言う国の、国民の根底を流れる思想というものを理解しておく必要があるのではないかと再認識しただけ。

昨日の夜BBCで大統領就任式を放送していたので、それを見ていた。たぶん、大統領就任式なるものは初めて見たとおもう。まあ、ニュースで以前にチラッと見たことがあるかもしれないが、気に留めていなかったのだと思う。

その、大統領就任式は、オペラ歌手がアメリカと連呼し、神よといい、アーメンといい、ブッシュは最高ですといい世界もブッシュがよくするといい、憎しみとかは自由の敵、アメリカにはすばらしい歴史がある、常識にもとづくと自由を広めないといけない、アメリカは神のイメージのもと作られている、我々が建国したときの理想を世界に広めないといけない、

こんな感じのことを言っていた。さらに舞踏会もやって30億円かけたらしい。
なんかこうやって書くと批判的に見えるんですけど、違いますから。ただ、驚いただけです。
別にこれがいい悪いではない、日本の考えと違いすぎるから、アメリカ人の考えのベースを知る必要があるなぁと思っただけ。

こういうイメージの国であると言うのはなんとなく思っていたが、なんか改めて日本と違うなと感じた。

今後、まだある程度の期間はアメリカが事実上の世界のリーダー的な役割を果たすと考えられる。となると、やはりアメリカを無視することは出来ない。となるとアメリカ人の考えのベースを知っていると相手のことも理解しやすい。扱いやすい。そう思うのです。で、理解するためには1,2年アメリカに住んでアメリカ人と話してみないと分からないんだろうなと思った。

Posted by takeshi at 11:52 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
January 20, 2005
ついでに、こっちも誉めておこう
アップルをさっきほめたけど、やっぱソニーもすごい。
短期的に業績下方修正のニュースなんて糞食らえ。

先日、採用方法を変えたと言うニュースがヤフーにのっていた。採用試験に受かってから2年間ならいつでも入社可能という制度だ。ようは2006年入社に受かったら2008年までの間ならいつ入社してもいいってこと。その間、好きなように人生送っていいぞと。

まあ、これに対する意見はいろいろあろうが、私は支持するね。まあ、ワークスがやっていたのですが、ワークスがやるのとソニーがやるのでは意味が違うのは自明です。影響力が違います。たぶん、来年以降この傾向が出てくるかも。

で、そんなことを一番最初に出来てしまうソニーはすごいです。

まあ、その話は横においといて、会社がこうしないといけないのは大学の制度がだめだからですよ。4年間のうち1年間は好きなように使っていい年を作るべきです。大学の単位なんて3年で十分取れます。集中してやって、1年間人それぞれの使い方をして経験値をアップしたほうがいい。旅をするにしても資格の勉強するにしても、バイトにしてもなんでも言いわけです。その点、私の大学は毎年単位の規則があるので、制約が多い。その点W大って、4年まで自動で進級できるなら、学生はもっと頭を使って4年間を過ごすべきだと思うのですが。単位の年間上限があるから無理なのか?今度Wの人に聞こう。
やはり、大学生と言う時間は貴重だ。無駄に人に会わず、本をひたすら読んだり、半年ぐらい旅に出るという経験をするべきなんだろう。そう、蓄積する、ひたすら考える時なんて今ぐらいしかないんだから。来年から、セメスター制に変わるらしいので少し考えるとしよう。
かなり無理な付け加えだが、電子マネーが暴れてるね。確実に5年後には現金使う人が減るな。
スイカにPiTaPaですか。まあ、思うのが関西と関東で電子マネーが違うね。なんか、ここまで分かれるのって、50,60ヘルツみたいな感じ。まあ、どうせいずれ統一されるんですが。

Posted by takeshi at 11:16 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
この時期に、あまり肯定したくないのだが、
アップルの製品が話題をさらい、売れまくっているときにあまり肯定はしたくないのだが、いいね。認めます。正直シャッフルはほしくないけど、あの会社はかっこいいね。
クレージーな人々へ。
 クレージーな人たちがいる。
 反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
 物事をまるで違う目で見る人たち。

 彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

 彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
 反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
 しかし、彼らを無視することは誰にもできない。

 なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
 彼らは発明した。創造した。
 人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
 彼らは人間を前進させた。

 彼らは人と違った発想をする。
 そうでなければ、何もないキャンバスの上に
 芸術作品は見えてくるだろうか?
 静寂の中に、今までにはない音楽が聞こえてくるだろうか?

 私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
 クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。

 自分が世界を変えられると
 本気で信じる人たちこそが、
 本当に世界を変えているのだから。
アップルコンピューター社

Posted by takeshi at 11:00 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
日本 歴史占い
日本 歴史占いなるものをやってみた。

非常に受けた。結果が笑えた。そのままだ。
あなたは「石川五右衛門」

何をするのも独創的で個性的

変わっているうえにマイペース。世の中の尺度なんて眼中になく、自分にとっての善し悪し、好き嫌いで生き抜くはぐれ者。五右衛門も並のワルじゃぁありません。強盗、殺人、おいはぎ等悪逆無道の果てに、時の権力者秀吉の命を狙って伏見城に忍び込み、あと一歩で御用に。しかも、「お前こそ天下を盗った大泥棒だ」と、啖呵を切りました。頑固で融通がききませんが、あなたの個性を磨くことでオンリーワンの存在になれます。

「頭脳・知性」
コピー不能な芸術的思考の持ち主。全部がオリジナリティーに溢れている。他の人が真似できない独創的な分野を切り開き、後にも先にも、その世界でオンリー1の存在となる。

「センス」
何が嫌って、他人の物差しで計られたり、一般的な常識に合わせて生きること。はなから合わせる気もない。一途で一本木なところがある。「孤高の人」でも、それはそれで男の美学を感じている。

「感情」
他人に影響されず、頑固なまでに自分の中のルールとテンポを崩さない。ふだんは物事を冷静に観察してクールだが、いざという時、内なる闘志をメラメラと燃やす。

「外見・言葉」
あまりにも個性的なので、「変わっている」と思われがち。無口だし表現力も乏しいし、初対面の人は取っつきにくいかもしれないが、気持ちは真っ直ぐで純情で、裏表がない。

「行動」
群れるのが嫌いな一匹狼。たいていは一人、あるいは気心が知れた身内と一緒に過ごすことが多い。一旦、「コレだ!」と決めたら、回りの視線や評価など気にせず、トコトン突き詰めていく。

http://uranai.artisthouse.co.jp/cgi-bin/uranai/apps/pc.cgi?act=result&mode=1&sex=1&year=1983&month=4&day=24

Posted by takeshi at 06:25 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 17, 2005
知らないとなんとなく思っていることの意味
人間、言葉の意味を知っていると思っているから、物事を理解していると思っているわけです。で、意味を知っていると思っているから、他人との話が成り立つ、社会が成り立つ。

でも、知っていると思っていると言うことは、新たに知る必要性がない。そう脳が判断し、新たなことを学ぼうと言う姿勢でなくなり、脳が受け入れを閉じてしまう。

知らないとなんとなく思っていることの意味=脳をオープンにしておくと言うことです。
知らないとなると、生活に不便になる。すべての言葉でつまずくから。しかし、「ああ、そんなこと知っている」と思うと、脳がクローズしてしまう。

何に関しても知らないとなんとなく思っている、知らないことあるかもみたいな感じに脳の状態をしておくと言いのかなと。

 
Posted by takeshi at 10:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
地位は人を育てる
一昨日テレビでユニクロの玉塚さんがテレビのインタビューに答えていたのを見た。

そして、昨日2000年にとった番組を見た。
テレビ東京の番組で、OH!NEWのことや、ユニクロのことなどをやっていた番組だ。

昨日そのビデオを見たわけだが、偶然これにもユニクロの玉塚さんが出ていた。当時38歳 フリース担当常務。2年前に入社した時だった。として働いていた。

その後、ユニクロのイギリス進出は玉塚さんが指揮を執ったが失敗、そしてユニクロ社長となっている。

見た目、話し方、話の中身も違っていた。社長として働いている今のほうが、どれも洗練されていた。風格があった。成功、失敗、挑戦。その連続なんだろう。何でもやってみなけりゃわからないし、だれでもはじめはやったことないに決まっている。今までやったことないことにチャレンジする、それだからこそ新たなことを知ったり、能力がつくのだ。

地位だってそうだ。社長になる前から風格があることは少ない。やったことないんだから、どうやるかは頭では分かっていても、それ以上でもそれ以下でもない。

地位と言うものが人を育てる。やったことがなければ心配だろうが、その地位についてやっていれば、周りの目も変わる、態度も変わる、仕事も変わる。まあ、立場上何とかしなければいけないことばかりで、それを何とかしていくそうしていくうちに、風格なり能力ナリつくんだろうね。自然と地位およびそれに付随するものによって育てられる。

まあ、板につくということなのかもしれないが、ちょいとニュアンスが違うかな。
それ以上に地位(社会的なポジション)が人を育てるのも事実だ。
Posted by takeshi at 05:31 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ペールとエクアドル
ああ、友達からメールが来た。

今月末からペルーとエクアドルに行くんだって。いいなー。

ガラパゴス上陸の予定らしい。

やっぱ、いい線ついてくるね。僕と嗜好が似ているのだろうか。

まあ、気をつけて行ってきてもらいたい。僕が行くときは情報を聞くのでよろしくね。

楽しそうだなー。

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January 16, 2005
岩と向き会う漢
情熱大陸で小山田 大さんについてやっていた。プロのクライマー。

あの平山ユージさんもほめてたよ。

このお方、本物ですは。すごい。楽しそう。やっぱ、極める人は、自分の軸があるなぁ。それにしたがっている。ただただ、そのものに向かっている。邪念なんてものは無いんだろう。

すごい日本人はたくさんいるな。このお方も28歳。いやーすごい。
以下メモ

強いほうが自由な気がする、
上に誰書いたり、ごちゃごちゃした中にいるといやなのだ。
宇宙一になりたい。

ボルダリング(自然の岩を道具(命綱)なしで登る。上る前に、ルート設計も自分で行う)
岩から両手両足を離して、飛ぶ。
5mmのところに手をかけて上る。まじ最強。

テレビもたんすもない部屋。ホールドと言う、クライミングの練習のでこぼこしかない。食べる、上る、寝る。筋トレはしない。汗とか根性とか好きじゃない。部活動とか苦手。スポーツマンじゃなくてクライマー。

難易度V16を去年上った。V14で世界トップクラスらしい。

かつては、賞金が出るワールドカップや世界主権に出ていた。しかし3年前に離れた。クライマーとしてより確かな存在になりたかった。コンペは、その場その場で決まりはするが、みんな上るもの。

岩は絶対一回登ったら、永久に残る。そこに誰も上らなかったら永久なんだ。ここで、名前を残したい。
コンペは水物。

楽しそうに上るから、本人が一番幸せなのがいいですから(実家の天井や壁にもホールドがある) by母親

20歳で日本一、でも喜ばなかった。かっこ悪いですよ、日本一なんて。チョロイですよ。国境なんてないのに、日本と言う枠を持ってくるのは卑怯。
7人のチームスタッフと、一軒家を借り切ってフランスで2ヶ月の合宿。

トポという岩場のガイドブックに心が踊る。登れるものはとにかく登る。宿の壁にも天井にも。フォンテーヌブロー@フランス

面白い岩があったが、湿気っていた。いくら上りたくても、危険だ。ここはやめる。プロだな。ちゃんと見極めて決断するのがすごい。

失敗には必ず理由がある。失敗した岩を見続ける。上るまでやらないといけない。何ヶ月も同じ岩で失敗し続けたこともあるらしい。右手中指第一間接だけで体を上げる。47回目にして成功。感想は立った一言、面白かったですよ。

クライミングなんてたいしたことじゃない、誰のためになるわけでもない、自分が楽しけりゃいい。子供の木登りと同じ。ただプロとしての意識はある、すごくて新しいことをやらないといけない。

140度、世界で9人しか成功していない岩に挑戦@スイス。世界最短記録での成功を狙っている。今のところ2002年にアメリカ人のシャーマが出した6日間。

指先からにじむ少しのあせも挑戦を妨げる。って、本当にすごい世界だな。

運命の振り子が不可能と可能の間を行き来している。時が来た。

うぉー、うぉーって登るときの体のそこから出てくる声がすごい。マジすげー。
登った、ドリームタイム敢闘。初日の練習を含め。2日で世界最速記録。

今日も名も無き岩を登っている。
まだ誰も上ったことのない岩。拍手も歓声も何もない。
己がただ懸命に生きた証が残ればいいのだ。

そして、名も泣き岩に名前がついた。

Posted by takeshi at 11:32 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
マルエツにおどろき
いやいや、マルエツで驚いた。

スーパーのレジで並んでいたんです。結構並んでいたので、店員さんのいないレジに店員さん来ないかなと思っていたら、「ご来店ありがとうございます。業務連絡・・・・」とアナウンスがあった。よくスーパーで聞こえてくる、あの声で。

で、ぱっと横を向くと、レジにいる店員さんが携帯に向かってしゃべっているではないか!もしかして、と思ったら、もしかした。レジの店員さんが放送していたのだ。事務室か、インフォメーションみたいなところで放送していると思ったのに。。。。

いや、コスト削減だし、レジの状況にすぐ対応できる。おお、すごい。マルエツやルナ。

まあ、PHSで社内通話は無料のやつなんだろうな。いやーでも、スーパーの放送システムも変わっていたのですね。気がつかなかった。

いやはや、世の中変化が早いな。

Posted by takeshi at 08:04 PM | コメント (5) | トラックバック (0)|
タイムカプセル ブログ版~10年後の自分~
先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

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January 15, 2005
別になんてことはないのだが
別に、特に気にもならないのだが、いろいろな人がセンター試験について書いていた。

そう、今日と明日はセンター試験らしい。

当時のことはあまり覚えていない。確かなのは岐高で試験を受けたことぐらいだ。テストの後にみんなわいわいがやがや言っていた気がするが、あまり記憶が定かではない。

もちろん、今年のように寒いとか雪だとか、天気の記憶もない。僕にとってはあまり興味のないことだったようだ。

今日や昨日は、すごい緊張をしている受験生もいるだろう、泣いている受験生もいるだろう、体調を崩した受験生もいるだろう、笑っている受験生もいるだろう、いろいろな気持ちを持った受験生がいるはずだ。

どんな気持ちだからって受かるわけでも、落ちるわけでもない。どんな状況にあろうとこなしていかなければならないことはあるのだ。うだうだいっているならやってしまったほうがいい。そう、自分に言い聞かせる。今できることは今やる。先においておいたらできないのだ。今やろうと思ったことは将来はできないのだ。そう、自分に言い聞かせる。

ただいえることは、少なからず社会的認知において自分がメインとして所属する組織が、どうなるか分からなくなると不安なものなのだろう。それを失ったときはさらにすさまじい感情に駆られるのであろう。自分ではそこまで感じたことはないのだが。

組織は人間の精神を守っている。まあ、自分が納得していれば、自信を持っていれば組織に所属してなくてもあまり精神的に不安定にならないのだろう。まあ、そのような段階になるには、そのような心境に達するには、自分が納得し、社会的にも認められる組織に一度は所属して、その組織に属していたと言う看板をもらわないとなれない場合が多いのであろう。

何にしても、振り子の理論プラスは成り立つ。
振り子の理論はビートたけしという天才が言っている。ものすごい静かなやつは、ものすごいうるさくはじける可能性がある。ものすごいつまらないやつは、ものすごく面白い可能性を持っている。僕もそう思う。いわゆる、極端なやつなのだと思う。1か0しかない。振り子の理論プラスっていうのは、極端な両極を体験した人でなければ中庸にはならない。その両極な人は中庸も分かる人であると言うのが僕が思う振り子の理論プラスだ。

そういえば、ジミー大西先生も好きだ。何も関係ないが。小学校の音楽の先生の感じがして非常によい。みんな、ジミーちゃん芸能人だから、自分の近くにいないから、彼のことを賞賛すると思う。しかし、実際、自分の近くにいたら嫌う人が多いと思う。まあ、当たり前なのだが。近くにいるといい人、遠くにいるからこそいい人ってものはある。でも、僕はジミーちゃんキャラが好きだ。多少ドンくさくて、常識がない、でも心はとてつもなく純粋だ。僕がそういう人間(心が純粋じゃないと言うこと)じゃないからかもしれないが、そういう人といると心が洗われるし、肩肘張らなくてよくって心が安らぐ。

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January 14, 2005
重なりある思い出
歌番組で、翼をくださいを歌っていた。

そして、中学や小学校のときを思い出した。小学校のとき音楽の時間は遊んでたなー。替え歌を即興で作ってでかい声で歌ったり、小学校の音楽の先生は教師としては相当問題ありだったけど、いい先生だったな。あの人の純粋さは大好きだ。

中学は合唱なるものをよくやらされたな。中学最後の音楽の授業で泣いていた人がいた。それは何だろうね。数学では泣かなくても、最後の音楽の授業は泣く。歌が持つパワーなのか。確かに、あの時が最後の合唱だったな。一生みんなと歌うことはないのだ。

で、中学の最後に合唱のCDを作った。サラマンカホールというところまで録音しに行った。そもそも、こんなCDなんていらない、と言って無駄だからやめろと職員室で大嫌いだった音楽教師と戦った記憶すらある。さらに録音の時は隣のやつが半端なく音痴で、隣の友達と大笑いした記憶しかない。小学校の時も文集でクラスのページをメモ帳にしようといったり。

小・中学時代は、その瞬間を生きていたのだろう。
将来も過去もなんて、その時の僕には考えられもしなかったのだろう。
ただその瞬間しか存在しなかった。
しかし、今となってみれば年を重ねることに少しばかりおびえ、過去の思い出に浸ることもある。
これが年をとったと言うことなのだろう。
そういえばかっこいいが、ただの天邪鬼か。

で、ふと思う。僕は昔は徹底的に写真を排除した。というのも、野外学習や修学旅行には卒業アルバムのカメラマンがついて来て、写真を撮り、戻ってきたら学校の壁とかに写真が張り出されてほしいものを購入するシステムだった。しかし、僕は小学校から高校まで一枚たりとも写真を買っていない。そうとう寂しいやつだ。思い出が何もない。まあ、その何もないのが大切な思い出なんだよな。

その反動で、今写真が大好きなのかな 笑

中学の教室で、あの時の友達と小さな机といすに座り、いろいろ語りたいものだ。

参考エントリー
タイムマシーンはもうこない

Posted by takeshi at 01:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
目が見えなくなったかもしれない
目が見えなくなったかもしれない。

相変わらず、真っ暗にして風呂に入った。これは岐阜にいたときからよくやっていた。あれは、心が落ち着くのである。見えないものが見えてくる。おいら流の座禅だななあ。

で、真っ暗な風呂でふと思う、目を開けても何も見えないのである。電気を消して暗いから当たり前といえばそうだ。しかしだ、実は電気を消した瞬間に失明して目が見えなくなったから、真っ暗闇なのかもしれない。その可能性があるのだけれど、自分が電気を消したという理由から、暗くて見えないだけと自分が勝手に思っているだけなのである。本当に失明してしまっているかもしれないのである。

で、自分は暗くて見えないから何も不安にならないが、真っ暗で何も見えないというのは失明した状況と同じなのである。もしこれで失明していたと自分が本当に思ったら不安で思い悩むだろう。何も見えないという同じ状況にあっても、自分が電気を消して暗くて見えないだけと思っているか、失明して見えなくなったと思っているかでまったく違ってくる。

人間とはそんな、曖昧で、実体のない自分の意識や考えによって成り立っているのである。

自分が変われば世界は変わる。
自分の気持ちが変われば、世界の見え方はかわる。
Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
四字熟語を三つ思い浮かべてください
四字熟語を三つ思い浮かべてください

一つ目は何ですか?
二つ目は?
三つ目は?

僕は
・十人十色
・弱肉強食
・才色兼備

一つ目は、人生観
二つ目は、恋愛観
三つ目は、仕事観らしいです。

考え方や好みなどが各人それぞれに違っていること
強い者が弱い者を餌食(えじき)にして栄えること
すぐれた才能をもち、顔かたちも美しいこと
Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 13, 2005
タイムマシーンはもうこない
相変わらず、レポートを書きながらテレビがついていた。

昔の音楽が流れていた。
96年とか良く知っている。
もう10年。

時間は逆戻りしないんだなと、しみじみ感じた。
あの過ぎ去りし日々の気持ちは、もう味わうことはない。
時間とは一回性の文脈なんだよな。

前から、某氏がCDを買うのが億劫だといっていた。それは、お金がもったいないとか、ダウンロードすればいいからではない。CDを買うとそのときの思い出がその曲に移るからだとという。CDを買えばそのときは良く聞く、もちろん同時に日々の生活を送っているわけだから、いろいろなことは起こるわけだ。その起こったことが曲にうつり、時がたってからその曲を聴くと昔の出来事や気持ちを思い出してつらくなったりするからといっていた。確かに、そういうことはあると思っていたが、そこまで実感としてはなかった。

でも、今日、歌を聞いていて昔のことを思い出した。ああ、あんなこともあったなと。

同時に思った。
たった10年で、ネットでほしい音楽をゲットして、あんな小さなMP3プレイヤーで簡単に持ち歩くなんて、あのとき思いもしなかった。
たった10年で。

もう10年、
たった10年、

そして、阪神大震災のテレビもやっていた。
小学校5年だった。岐阜は震度4。揺れで目が覚めた記憶が鮮明に残っている。
10年。

震災を機に人生が変わった人も多いようだ。商社から自衛官のパイロットになった人。楽天のみ木谷さんも、あの時に何が起こるかわからないんだから今を後悔しない人生を送ろうと決めたらしい。

そんな、激しいまでの決意、気持ち。
これは、すさまじいものだと思う。
ある意味、戦後復興の日本にも似た気持ちなのかもしれない。東京通信工業の設立趣意書に通じるような。

自分のやっていることに納得がいって、誇りを持って、自身を持っている。
そんな芯がある夢を夢を追いかける、
そんな人生が一番輝いている。
もう10年、
たった10年、
10年の重み。

BGM CHARA タイムマシーン

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寒いからこそ出会える、暖かな冬
レポートを書いていたら、「寒いからこそ出会える、暖かな冬」と耳に入ってきた。

なんでもないことなのに、「はっ」とした。
冬の暖かさを味わえる、あの喜びを感じられるのは、寒さゆえなのだなぁ。寒いのはあまり良いイメージでとらえられないが、それがあるからこそ温もりを感じられる。

当たり前だけど、なんか、こう感じるのもいいもんですね。

 
なんか、JR東にほんの北東北CMだった。

このCMいいです。

 

「澄色の冬へ」

どこまでも透き通って見えそうな、
そんな透明感

寒いからこそ出会える、暖かな冬
北東北、ここにはそれがあります。

冬へ。

 
Posted by takeshi at 07:13 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
January 12, 2005
モンゴルたまらんだろう!
パリダカ、いやー、毎年これに関して書いている気がする。

何度見てもいいねー。かっこいい。あの、無謀さがたまらない。本当に死ぬ気で勝負しているのにあこがれます。

前、パリダカに金をためて出た人にお話を聞いたんだけど、本当に楽しそうだった。本当に大変そうだった。砂埃、テント生活、などなど。でも、楽しいんだろうな。あの無謀な馬鹿さが男のロマンなんだろう。

優勝を重ねてきた日本勢も今年は苦労しているようである。一度、パリダカに出てみたいな。相当な体力と気力が要りそうだし、金も必要だろう。

で、パリダカの写真を探していたら、モンゴルの写真が偶然ヒット

http://www.sser.org/wallpaper/wallpaper_index.htm

このサイト、いいね。最高。モンゴルの写真最高。

前々からモンゴルは注目していた(過去のエントリー参考)わけですが、今回改めてモンゴルのすばらしさを知った。

ああ、やっぱモンゴルで寝転がりたい。
ただ、それだけでいいや。ボリビアも捨てがたいが、モンゴルは近いので何とかなりそうである。

こんなレースもあるそうだ。北京からウランバートル

Posted by takeshi at 12:29 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 11, 2005
他人鑑定-レポートつくよ-
他人鑑定なるサービスを友達のブログで発見。

みなさんが、僕にたいするイメージとかそんなのを選択式のアンケートで答えてもらいます。
他個紹介のようなものです~。

簡単にできるのでやってみてください。

http://tanin.hanihoh.com/index.cgi?id=20050111-0009b7de329e29300a138ed67f0916e3c74

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January 10, 2005
雪を乗せた貨物列車
家の近くに貨物の終点(倉庫)がある。駅へ行く途中に貨物倉庫の踏み切りで止まると、崩れかけた雪が積もっていた貨物列車が発車していった。この列車はどこからきてどこへ行くのだろう。

コンテナは色々なところでつまれ、そして下ろされる。運転手も変わっていく。列車は動き続け、線路は延々と続く。この雪とはどこで出会ったのだろう。

変わっていくもの変わらないもの
動くもの動かないもの
無くなるものなくならないもの
   雪をみてインドであった友達のメールを思い出した
彼は見た瞬間に、真のある男と感じた。インドも、南米へ行ったときも本当に小さなカバンだけ。飄々とした雰囲気で、メリハリのある、わきまえた男だった。インドからネパールへ行くジープで1日中、共に揺られ続けた仲だ。夜、僕と彼はいろいろ話した。彼ともっといろいろ話したいと思ったが、二人とも旅人だ。日本に帰ったら旅人ではない身分が待っている。

旅人通しの同じ立場、それだからこそ仲良くなれる。僕は、旅先であった人とは特に連絡を取ることはない。だいたい、人と細かい関係が好きじゃない人が一人で旅に来ているし、旅でしか味わえないから旅がすきなのだから。

しかし、僕は彼ともう少し話してみたいと思った。そして、一応連絡先と名前だけ聞いた。聞いたものの、やはり連絡を取ることはなかった。そして年が明けた。なんと、あけましておめでとう、とメールが来たのだ。あってから半年たっていた。彼が覚えていてくれたことがうれしかった。また、彼と会っていろいろ話してみたいものだ。

かれは正月、北海道にいたらしい。また、小さなカバンひとつ、18きっぷで回ったらしい。終着駅で野宿というなんとも、彼らしい。雪を乗せた貨物列車を見て北海道にいた彼からのメールを思い出した。

南米でも、インドでも、冬の北海道でも、フランスでも、彼の旅のスタンス、生きるスタンスは変わらないようだ。かっこいい生き方だと思う。彼はきっといい医者になるだろう。

彼はルンビニーへ行き、ぼくはポカラへ行った。

「月日は百代の過客にして 行き交う人もまた旅人なり」

Posted by takeshi at 09:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 06, 2005
コメントスパムすべて消した
コメントスパムが収まってきたので、一気に消す方法はないかと探していた。

MT2.6には禁止IPを指定することはできるが、それ以外の対策はない。デフォルトでついてくる対策なのでコメントスパム屋さんはそれの対策をしてコメントスパムを打ってくるから意味がなかった。

そこで、コメントスパムが収まったので、対策をぐぐった。

僕の基本方針はコメントを書く人を制限したくない。僕はある情報はすべてゲットするというスタイルだ。どんな情報でも来るもの拒まずだ。その後、自分で情報の取捨選択をしたいと思っていた。だから、コメントを制限するものはいやだった。

そこで見つけたのが、「編集画面に削除機能をつけるもの」表示数も変更できて、僕にとっては最高なものでした。Memo Leavesさまに感謝です。

ネットてこれだから、強いんだよな。うんうん。ネットのすごさをまた実感。

いやー、かなり効率的に削除できました。めでたしめでたし。
2355のコメントスパムを消したのだが、これはありえない量だな。
Posted by takeshi at 12:32 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
寝ると記憶が吹っ飛ぶ?
寝ると記憶が整理されるという。寝ているときに記憶するから睡眠をとれと言われるものである。

しかし、ちょいと待て。今朝起きて気がついた。起きて洗面台に行って顔を洗おうとすると何か変だ。髪の毛がない。もちろん、昨日きったから当たり前なわけだが。しかし、昨日、髪の毛を切ってから手を洗ったりするときに自分の顔を見ても違和感はなかった。しかしだ、朝起きて見ると違和感があった。

髪を切った、そして髪の毛が短くなっているという事実を無意識の記憶として定着していなかった。切った後、起きているときは記憶にあったからあれっという違和感はなかったが、寝ている間にその記憶は薄れていき、なくなったのだろう。

日々自分の髪の毛を見ていて、見慣れてしまい、髪の毛の長さが記憶として頭に染み付いているのだろう。その長い間かけて作られた無意識のうちの記憶は、髪の毛を切ったという記憶よりも強いものなのだろうか。

果たして、記憶が消滅したという言い方が正しいかはわからない。

Posted by takeshi at 12:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
日本語の新しい概念
別に何だってことなんだけど、なんとなく書く。

たまに、自分が知らない概念や、聞いたことはあるが良くわかっていない概念について知ることがある。それらの概念を表す言葉は英語がほとんどだ。それは、分野を問わずだ。

アメリカやイギリス発の新しい概念が多いことはわかる。新しい技術があったり、新しいサービス、新しい社会構造と共に新しい概念が生まれてくることが多いからだ。その技術やサービス、社会構造はアメリカを中心とする国々が先をいっているから。さらに、北欧なども先端を行っている分野が多いと思うのだがやはり、英語が世界語となっているから、世界ですぐ認められるために英語で新しい概念の言葉を作るのだろう。日本人でも英語で新しい概念を表す言葉を作るかもしれない。

新しい概念の言葉は日本語に翻訳される前に広まってしまう時代だし、そんでもって訳したら元々の感じが失われることも多い。だから、新しい概念を表す英語はそのまま使われる。

別にそれ自体はいいのだが、なんか日本語で新しい概念があると面白いなと。日本発で面白くって、今後の流れを作るような概念が生み出されないかな。日本発だったら日本語じゃなくてもいいかなと思ってきた。

僕が知らないだけで、日本発だったり、日本語の新しい概念はあるのだろう。それらを知ってみたいものだ。

Posted by takeshi at 01:40 AM | コメント (0) | トラックバック (1)|
January 05, 2005
マックホルツ彗星
マックホルツ彗星という聞きなれない彗星が地球に接近しているらしい。現在の明るさは3.7等級で肉眼でも観測可能らしいので見てみようと思う。

地球に接近中のマックホルツすい星が淡い尾をたなびかせた優美な姿を見せている。現在の明るさは3.7等級で、夜空の美しい場所なら肉眼でも観測可能だ。午後8時ごろには天頂のすぐ南側に上っている。10日ごろまでは、おうし座のすばる(プレアデス星団)のそばで輝く姿が楽しめる。 国立天文台によると、すい星は地球に6日最接近し、3.6等級まで明るくなる。その後は徐々に暗くなり、観測には双眼鏡が必要になるが、2月に入ると北の空で一晩中見えるようになる。
毎日新聞1月5日
国立科学博物館で夜間天体観測があるのを思い出した。誰か行く人いないかなー。
夜間天体観望は第1・3土曜日晴天の日暮れから約2時間
210円と格安。
マックホルツ見えるかな?キャンペーン
http://www.nao.ac.jp/pio/20050107machholz/index.html

毎日新聞
Posted by takeshi at 11:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人が成長する大きな意識変化-リミッターを切る経験-
正月のミーティングで、人が育つポイントと求める人物像とその人の見極め方のようなことについて話した。そして、今日髪を切られながらちょいと考えた。人間が成長するかどうかは、生まれ持ったスペックを別にしたらその人の考えや曖昧な感情だと思うのです。心の中で大きな変化、今まで「なし」だと思っていたものが、「あり」になったとたんに変化、成長すると思うのです。で、考えた。

「リミッターを切る経験」 
これは完全に自由に権限と責任を渡すのではなく、精神的にブレイクスルーしていない人と共に精神的にブレイクスルーをした人がプロジェクトを行い何でもありで、何をやっても良いことを知ってもらい、それから一人でプロジェクトを回して成長してもらう。

何でもあり、何をやっても良いということを経験を通して知ってもらうことが成長の第一歩だと考えたのです。人間は、これはやっていいのだろうか、これは絶対やってはいけないと考えているものがあります。さらに言えば、無意識のうちにこれはありえないと思い選択肢から排除している場合があります。これは可能性を捨て、成長を阻むという大きな損失です。

そこで、何らかのプロジェクトを丸投げ刷るのではなく、プロジェクトを通してこれから成長していこうと思っている人と共にリーダー(育て役)はプロジェクトを行うのです。で、リーダーは丸投げではなく、仕事を振るのです。それは、ちょいと無理っぽい仕事を。その仕事を達成しようとするときに、こんなことしてもいいのかよってことを解決方法に含んでおく。仕事ができなかったときにその解決方法を示す。すると何をしてもいいんだなという心境の変化が起こる可能性がある。

一回、なんでもありっていう感覚が心に宿ると、それ以降何かをするときに可能性を広げることができる。選択肢が広がり、チャレンジして成功していくのではと。それから仕事は丸投げするべきではないのかと考えるわけです。

世の中なんでもありってのを知るためには、一人で発展途上国に少ない金で行くとか、死にそうな経験、自分とはまったく異なるものが常識である世界を経験するのも効果的かとおもいます。
正月2日の朝から岐阜でミーティング。このミーティングが面白かったのです。その後のランチも面白い方が参戦して最高に楽しかった。

正月ミーティングのラフなメモ

人が育つポイント

イベントはいろいろなレベルの人が同時にかかわるため、自分の先を見ることができる
自分の仕事への当事者意識
組織に対する当事者意識
組織を自分のように感じること
自発的に質問をする(現場での問題意識)
なんかできそうな感じ
自分がいないと事業が回らなく感じる(全体の事業の中で自分の仕事の役割を明確に理解する)
仕事のきっかけとゴールをはっきりする。
一番中心になる人にアドバイスをうけたりほめられる
まずはゆるい役職をあたえる(入りやすい、やろうと思ったときにできる)
定期的に連絡を取る
信頼関係(自らの大切なことを話し、相手のことも聞く)
徐々にステップアップできるように、レベルごとの課題(ステージ)を提供する
責任感が生まれ仕事をすることにより、良いアウトプットを生み出そうと頭を使う→成長
求める人物像

やっている活動を理解し、質問者のストライクゾーンを見つけそこにボールを投げる能力
自責性 失敗の原因をどこに見つけるか、自らの問題点を見つけることができる→改善につながる
当事者意識を持っている人
常に学び成長する姿勢
可能性を信じるこころ
何事も楽しむ
マインド、アビリティ、スキル

やりたいこと面白いことを見つける「アンテナ」
何かを始める、一歩踏み出す「勇気」
何があってもへこたれずやると決めたことは続ける「根性」
希望格差の話とかもした。
そういえば、正月に絶望を希望に変えるということを聞いたなとも思い出した。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
意味飽和=ゲシュタルト崩壊
トリビアを一瞬見た。

そうしたら、意味飽和=ゲシュタルト崩壊についてやっていた。ゲシュタルトとはドイツ語で「まとまった全体としての形」という意味らしいです。これはある特定の文字を長時間見ていると、なんだかその字が変に見えてきたり、初めて見た感覚になったりすること。

これは、良く起こる。「あ」とかも僕は良くこの状態になる。

意味飽和は第一段階「意味のない記号のような感じがする」、第二段階「こんな字でよかったかな」、第三段階「はじめて見る字のような新鮮な感じがする」というの3つの順序で起こるらしい。

そんでもって、人間は動いているものを見ることは得意とするが、とまっているものを見るのは苦手らしい。
人間が生活するうえで、見るものといえばたいてい動いているものが多い。そのために人間の目と脳は動くものを見るのが得意になったのだろうか。

じゃあ人間を、とまったものしかない世界に閉じ込めると人間はどうなるのだろうかと思った。静止しているものを見るほうが得意になるのだろうか。それにしても人間の脳ってすごいな。限界がない。

脳の中には際限のない世界が広がっていることが面白くてたまらない。

それと、養老さんの情報(論文)はとまったものという話を思い出した。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (0) | トラックバック (3)|
新年の抱負か?
新しい年が始まったわけである。

空っぽ になる。
あいまい を受け入れる。
メリハリ をつける。
爆発 する。

大きなあいまいなゴールを見つける。そのために階段を一歩一歩上り始める。

思いっきり馬鹿で無駄なことをする。

思いっきり感じ取り、常に頭を使って考え抜く。

謙虚に生きる。

心躍る、わくわくする日々を送る。

すべてをかける、すべてを捨ててでも何かを達成してみる。

戦略的なコミュニケーションをとる

いまいちだ、思いついたら書き残そう

Posted by takeshi at 09:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
神経のないものに対する感覚
今日、髪の毛を切ってきたわけです。

正直、髪切屋は嫌いです。なぜかわからないけど大嫌いです。店に入るのに躊躇します。
まあ、そんなことはどうでもいいわけです。

僕の行くところは安いので、短時間できってくれるのですが、それでも髪を切っている最中やることがない。退屈。

そんな時、ふと思おう。髪の毛を大体どれくらい切られているかわかるのである。それは目を閉じていてもである。髪の毛には神経がないからわからないはずである。じゃあ、なぜどれくらいきられているか感じることができるのか。

毎回同じ人が切っていれば感覚的にわかるかもしれないが、僕はそれには当てはまらない。

じゃあ、何かといえば髪を切るときの音がどれくらいの距離かわかっている。自分が注文したものを推測している、髪をつまんだときの皮膚の感覚、何なのだろう。

ああ、そういえば、毛皮は冬に逆立つ、犬の毛もそうだと岐阜で聞いた。なぜだろう。

Posted by takeshi at 09:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
最近のCM変わったよなー
最近のCM変わったなーとふと思った。

はっきり言って何の広告なのかわからないCMが増えてきた。最後にちょっとだけ製品の名前が出てきたり、会社名が出るようなものが多くなった気がする。

そういったものは、かっこよく会社や製品のブランドイメージアップは達成されるだろう。

なんか前、こういうCMがなぜ今はやっているのかを読んだ気がするが忘れた。

まあ、個人的にはそういうCMが好きで、見ていて心地よいのでいいがCM効果の方はいかほどか気になるところだ。

Posted by takeshi at 07:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
新しい年が来た、
年末は非常に充実していました。

塩原温泉、モノポリー、京都(六波羅蜜寺、清水)、岐阜(カウントダウン、初詣、ミーティング、トークに岐阜観光)

あっというまだった、それにしても面白い年末年始でした。

学ぶことが非常に多かったし、おもしろいキーワードも頭の中にインプットされました。
天才というか、すさまじい人はいるものですね。
さっさと片付けて、修行しよう。

Posted by takeshi at 04:39 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
January 01, 2005
新たな時を迎え、過ぎ去りし時を想う
新たな時を迎え、過ぎ去りし時を想う

みなさま、今年もよろしくお願いします。
今年という年は、また何が起こるかわかりませんが、楽しんで生きていこうと想います。

 
Posted by takeshi at 12:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2004-12

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_12.html

December 31, 2004
足の向くまま、気の向くまま、六波羅蜜寺
そうだ、京都へ行ってきた。

塩原温泉に行き一泊して、東京へ戻りモノポリーをして、家へ。そして荷物をまとめて岐阜へ。しかし、18切符も指定席も持っていない。小田原攻めでもいいかと思っていたが、指定席が取れたのだ。やはりキャンセルが出た。そして、ムーンライト91号に乗るために品川へ。品川の緑の窓口で18切符を買えばいいと思っていた。東京駅の緑の窓口が23時30分までやっているので、品川もその時間までやっていると思ったら、違った。23時10分ぐらいに東京駅へ東海道線で戻る。そして18きっぷを買い、また品川へ戻るという時間ぎりぎりな行動。そして、ムーンライトで岐阜へ。朝5時過ぎの岐阜は寒かった。指すような寒さというやつだろう。

そして、家に戻ってしばし休み、電車でどこかへいこうと思う。駅について一番早く出発する電車に乗ってどこへ行くか決めることにした。相変わらずな行動である。駅に着くと、大垣行きが一番早く来たのでそれに乗った。大垣で降りると、米原行きが一番最初に出発だった。ああ、京都だ。京都へ行こう。ということでターゲットは京都に。

そんなこんなで京都に着く。ああ、もう15時だ。どうしよっかな。ということで、インフォへ行く。そしていろいろ物色。あんまり行きたいところが見つからなかった。が、安っぽくパソコンで作った一枚の張り紙に目が留まった。(デザインがかっこいいことも重要だが、デザインが悪くてもひきつけるものはひきつけるのだな。何か伝わってくるのだ。それは何がそうさせるのかはわからないが)六波羅蜜寺という寺で「空也踊躍念仏」がやっている。12月13日から30日までらしい。そう、今日は30日だし見に行ってみようと思う。バスで15分か20分。ついた。

空也踊躍念仏 – くうやゆやくねんぶつ
天暦5年(951)、疫病救済のため空也上人が始めた踊り念仏で「かくれ念仏」ともいわれ、夕方薄暗くなった頃から行なわれる。 一年間、私たちが人として世に生かされている中で知らず知らずに犯した罪業の消滅と、新しい年がよき年であることを祈る念仏である。

空也踊躍念仏は一年の罪を消滅と新年が良い年であるように祈るというなんともぴったりな念仏だ。さらに、宝物館では小学校の教科書に載っていた「空也上人立像」「平清盛坐像」があった。これらも良かったのだが、その横にあった、運慶・湛慶坐像の表情も良かった。

念仏は過去に弾圧を受けて格子扉を二重にして外から見えないようにして、さらに南無阿弥陀仏もわからないように言い換えて、さらに念仏はいつとまっても良いように作りかえられたらしい。そして、ずーっと続いてきたみたいだ。宗教ってどんなものでも排除されるのかなと思ってみた。時間がたつにつれて受け入れられていく。念仏を見て、お焼香をして厄払いのお守りをいただいて帰る。

すぐ帰っても良かったが近くに清水寺があったので行ってみる。てくてく歩いて清水へ。おお、小学校6年生の修学旅行以来だから、10年ぶりぐらい。駐車場を見た瞬間に思い出した。この駐車場だ!と。記憶が復活した。この駐車場を見なければ決して復活しなかった過去の記憶。駐車場を見て10年前のことを少し思い出して、おみやげ物やを通り抜ける。すると、この土産物屋が新しい。ナウでヤングでポップなかんじですよ。レンタルサーバー、ペーパーボーイな感じですよ。いや、本当に店が最近の若者がすきそうなつくりになっていた。実際着ていた人も若い人が多かった。へー、そうなんだ。と納得して、清水寺へ。清水の舞台だ。飛び降りよう。と思ったがネタになって死ぬだけだ(笑)

10年ぶりのとこを訪れるのもいいものだ。記憶がよみがえる。清水の駐車場を見なかったら、小学生のときに見た駐車場の記憶は決してよみがえらなかったと思う。自分の脳の中には小学校のときに見た清水の駐車場のデータが何かしらあるわけだが、自分の意思ではそれを引き出せない。しかし、清水の駐車場を見ることによってその記憶は復活する。なんで自分の中にあるのに自分の意思で復活させれないのか不思議だ。画像は画像として記憶していて、引っ張り出してくるから、実際の清水の駐車場を見ないと過去の記憶は引っ張り出されないのかな。ということは、もし、僕が何らかの理由で清水の駐車場をイメージしていたら、復活していたのかもな。

そう考えていると、寝ているとは何なのかがいきなり気になった。寝ているとは、自分の意識(意思)で多くのことをコントロールできないことなのかな。寝ているときとおきているときの脳の差は何なのだろう。どこの部分の機能がストップしているのか、逆にどこかの部分が機能しすぎて意識が吹っ飛ぶのか。寝ているとは何なのだろうか。起きながらにして寝た状態の脳を感じることはできないのだろうか?寝ているとはどんなことなんだろう。気になる。

ああ、清水から京都駅まで歩いて帰りました。

 
Posted by takeshi at 12:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
シリコンバレーってのは
いつかねー、シリコンバレーという場所をしったのは定かではない。

だが、知ったときから憧れのようなものがあったと思う。
現実とはそう甘いものではないと思うが、新しい技術やサービスを提供しようとする起業家、大学、VCやエンジェル、弁護士、会計士などのいろいろな人が助け合い、近くには海岸、テニスコートなどの施設もあるみたいなイメージ。インフラが整い、新しいことを有能な仲間と協力してがむしゃらにやる。妄想かもしれないがあこがれる。

でも、バブルとかで物価が高くなりすぎて仕事をしていても持ち家に住めなかったり子供を育てる環境としては悪くなるという話も聞く。

まあ、それは置いておくとして、やっぱりシリコンバレーは気になる。ということで、JTPAというシリコンバレーで働く日本人をサポートするNPOが開いた東京セミナーに行ってきた。

JTPA第2回東京セミナー
テーマ 「シリコンバレー・ベンチャーを通じたキャリアディベロップメント」
- シリコンバレー・ベンチャーから学んだこと -
2004年12月27日(月)

3名の方は三菱商事でシリコンバレーに駐在し、その人脈でベンチャーキャピタルを設立した方、銀行からスタンフォードのMBAに行きシリコンバレーに残りコンサルやビジネスディベロップメントをしている方、東北大学の助手で文部省からスタンフォードに派遣され、そのつながりでシリコンバレーのベンチャーに参加して、現在はNTTの研究者の方とそれぞれ異なるキャリアを積んだ方の話が聞けてとても面白かった。
メモ

・日本人であることがまったく意味を持たなくなる価値を生み出せるキャリアパンターン
・日本人であることを強みにするキャリアパターン

シリコンバレーで仕事をする、創業する人の目標のボトムラインは同じ、会社の株式公開やイグジット

日本の大企業だと、自分の将来が見えてくる。この大学、この部署出身で最高でこの人の役職、普通でこの人のような役職、最低だとこの人みたいなロールも出るがいる。それはつまらない。

ベンチャー創業時は資金集めで断られることも多く感情の起伏が激しい。それをどのようにとロースするかが重要。

もし、これができたらどのようになるのかを、価値・人脈などを具体的にイメージする。

「反省はしても、後悔ぁはしない人生」

成功するまであきらめなければ、進歩する。
細かい仕事を成功させて這い上がって行く

小さくてもユニークさを出していく。そうしないとビザが下りないという現実問題がある。
自分の価値を伝えて、わかってもらう

転職前に、ヒアリングに行く。自分が転職する業種や業界で成功している人、自分と似たキャリアを先に経験した人に自分でも成功できるか、やっていけるかを聞きにいく。

必要なスキルと足りないスキルを理解して、足りないものはうめる。

自分の価値を回りにいかに伝えるか。しゃべらないとわかってないと思われる。事実(実績)を積み重ねて見せる。肝になるところで、ツボを押さえてみんなをひきつける。勝負どころでキメ言葉を言う。聞く力をつけて、話を踏まえた説明。

自分の行っていることの説得力を増すためにMBAで習ったアカウンティングやロジカルシンキングなどを使う。実際は前線で学ぶしかない。

良いビジネススクールは多様な人が着ている。学部卒、コンサル、投資銀行出身、NPOにビジネスを持ち込みたい人、起業家、とりあえず行く人、キャリアを転換するため、黒人、アジア人、白人、年齢も幅があるなど。

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December 27, 2004
年末
昨日大掃除しました。

年末ですから、大掃除は基本です。
昔から年末になると大掃除。習慣化しています。

すっきりした気持ちで新年を迎えるのもいいものです。
掃除をすると、気分がすっきり爽快、気持ちいいのは何でだろうか?

掃除をするとほこりが立たなくなり、空気がきれいで気持ちいいのか?あと、視覚的にゴミがあると気分が良くない、汚いと感じる。汚いというのは雑菌などがたくさんあり、病気になる可能性があるから本能的に人間は好まないのであろうか。

まあ、よくわからないが掃除をしたということです。

今年もあと数日で終わり、新たな良い年を迎えましょう。

ああ、30から4日まで岐阜に帰ろうと思うのですが、岐阜に帰る夜行の指定席が買えてない。売り切れだからだ。

まあ、結局まだやったことのない小田原攻めというものを経験してみようか。

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December 26, 2004
「長い」という感覚
年末である。年の瀬である。

子供のころよりは季節感がなくなったのが自分でもわかる。昔は、年末とかだとソワソワしていた、というか年末という雰囲気の変化をもっと敏感に感じていた。年を重ね、何度も経験すればあまりなんにも感じなくなってきた。寂しいことでもあるが、自然なことでもある。

まあ、そんれとは別にして、昔よりも季節感がない気がする。店のセールとかも含め社会の年末シフトが少なくなってきた気がする。

まあ、年末ということで音楽番組を良くやっている。ベスト100みたいな感じで。そいでもって、いろいろな歌手の昔の歌も紹介していることがある。それをみてふと思う。いや、感じる。

この歌手はけっこう長い間続いているな。この歌手って最近デビューしたばかりだよなって。感覚的に感じる。

しかし、そのアーティストのデビューした年を見ると1,2年しか変わらなかったりする。僕の中では5年ぐらい違うイメージがあったのに。

下積み時代が長かったとか、さまざまな要因があるだろうけど、それを抜きにしても感覚的なずれがある。

はて、これはなぜかと考えたら、こうではないかという自分なりの答えは浮かび上がった。

僕が音楽に興味を持つ前に、たとえ1ヶ月前でも、すでに売れっ子になっていた歌手は長く売れていると感じ、僕が歌に興味を持ってから売れた歌手は短く感じる。こうだと思うのです。

自分が興味を持つ前に売れていた歌手は、その前どれくらい歌手の活動をしていたかは知らない。僕が興味を持ったときにすでに売れていたことは、その前から売れていることである。その前からというものを、感覚的に1ヶ月とか1年とかいう単位ではとららえず、3~5年ぐらい前から売れていたと自然に思ってしまうのだ。歌手への敬意ととらえるか、自分の知らないものへの評価ミスの根本的な問題か、、歌手のブレイクまでの期間の推測によるのか、自分が生きて感じてこなかった過ぎさりし時間的感覚の鈍さか、何かはわからないが。

人間が意識するという事と感覚はそんな関係だ。
BGM 森山直太郎 – 生きとし生けるすべてのものへ

Posted by takeshi at 02:14 PM | コメント (214) | トラックバック (0)|
昔書いたねたブログ 記録用
2004年12月26日
星の王子様
星の王子様を年末年始に読もうと思う。

なんか読みたい。読むぞ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4783400008/250-3040118-7421009

この本いいよ。さすが、ゆたぽん。

おいらが求めているものをわかってる。最高。

アツイ、ヤバイ、マチガイナイ。

 

 

Posted by secondlove1 at 03:04 │Comments(0) │TrackBack(0) 青い
俺は青い、中学生が考えることを、今考えている。そのレベル。

遅れすぎだ、

でも、一生こんなことを考えていそうだ。

一生子供で痛いと真剣に思っている。精神的な面で。

子供のころに味わった、あのわくわく感は失いたくない。

青くても、子供でもどんとこい、
哲学っぽいことを考えることは子供の証というが、僕はまさにそれに当てはまる。

子供だー、
やったー、子供だ

子供尊敬しています。
Posted by secondlove1 at 02:59 │Comments(0) │TrackBack(0) 芸術
原理主義のにも通じるが、いい歌があるとその歌ばかり50回は聞くな。

それはいかがなものなんでしょう?

歌とも関連するが、僕は芸術というものに対して憧れがあるんだと思う、
僕は、昔からピアノとかやってきていない。女のやるものだとか、そういう差別的考えを幼稚園のころ持っていた。

それで、絵とかにも音楽にも昔は興味がなかった。

しかし、大学に入ってから芸術に興味がありすぎだ。
でも、体系的に学ぶとかではないのだが、いきあたりばっかりで、芸術を体で感じる。そればっかりだ。

でも、純粋に感動して、その世界に入ることがある。

芸術家の友達は何人もいる。正直若い人の中ではトップクラスも何人も知っている。その人たちと、いろいろな物を作るのは面白い。

でも、僕は芸術というものを自分に書けたものとして捕らえ、それをあこがれている傾向があると思う。

本当に、好きだと思う。純粋に究極の心地よさがあるから。でも、この憧れという気持ちが邪魔をしているのも事実だと思う。それを排除したところに芸術はあるのか?

ああ、だから写真を撮りたかったり、ケーナを買ってみたりするのだ。
そういえば、2,3日前僕が尊敬する芸大生の人と夜中、話していた。すると、彼は僕に絵を描いてみればと進めてきた。

僕も、いいかもと思った。いろいろ書いて、彼に見てもらおうか。

肩肘張らずに、楽しもうじゃないか。

プロじゃないんだし、失うものはない。

失うものはないと追った人間は怖い。火事場の場家事からではないが、そのようなありえないパワーを出す。

がーーーー。
Posted by secondlove1 at 02:47 │Comments(0) │TrackBack(0) 原理主義
僕は、どうも原理主義らしいです。

これだ、と思ったらそれしかなくなります。

どうしてもそれだけしか見えなくなります。

正しいも間違いもないのに、それだけを正しいように見てしまう。

ほかを排除してしまう傾向にあります。

これはだめな部分が多いかもしれない。

でも、そうなってしまう僕がいるのもこれまた事実。
そうなんです。

どうしようもない部分があるのです。

原理主義って、どうですかね?
まあ、中庸というものがいいことは振り子の端っこに一回行かないとわからないのでしょうか。

釈迦が、贅沢のきわみを味わい、断食で限界を感じいい加減を見つけたように。

まあ、僕はそんなレベルには達しえることはないのかもしれませんが。
Posted by secondlove1 at 02:44 │Comments(0) │TrackBack(0) だいぶましに
自分でも思う、だいぶましになった。

幼稚園のころは給食を一番にくい、何でも一番で、鼓笛隊の指揮の子が好きでスカートめくったり、キスしてました。それに、隊長と呼ばれて幼稚園児を使ってました。ひらがなとか覚えませんでした。

小学校のころはいじめばかりしてました。先生をおちょくっていました。すいません。

中学は3年が伝説で。今までの人生で一番やばかったです。みなさま迷惑をかけました。完全にいかれたことをしていました。

高校は男子クラスで、みんな馬鹿でした。適当に生きていました。ディベートしていました。そればっかりで、勉強していなくて赤点。勉強していなくて、AOで受かればいいと思っていたら、罰が当たって12月の中旬から受験勉強というひどさです。

大学に入り、一人暮らしをして、しりました、世間知らずで人に助けられて生きていることを。周りのみんながいて僕は生きています。感謝の念でいっぱいです。

でも、自分の生きる規範というものだけはあってそれだけは守って生きてきました。

そんな人生です。

 

Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0) 押し競饅頭
押し競饅頭っておしくらまんじゅうって打ったら出てきた、

押し競饅頭って本当の漢字なのかな?

そうならはじめて知った。
がっはっは、知識ないのばればれ。

漢字も知らない、ゲームも知らない、トランプとかもしらない、漫画も読まない、アミューズメント施設も行かない。小説も読まない。ドラマも見ない。歴史を信じない。ひらがなもかけない、かなり重症だったとみんな言う。

だから、小学校の友達は今となっては一人もいません。

ひねくれた少年でした。

ぐへー。

 

Posted by secondlove1 at 02:36 │Comments(0) │TrackBack(0) 金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ
金沢ショボンヌ

ゆたぽんはこういった。

しかし、たけぼーも金沢ショボンヌと中学から言っていた。
ほかにも、まじでじまも中学から。
がーーー。

 

 
Posted by secondlove1 at 02:35 │Comments(0) │TrackBack(0) そうだ、彼女だ
忘れていた、彼女だ彼女、

彼女を作るブログだった、ちっかり忘れていた。

さっきのエントリーは暴走しすぎた。暴走天子だ。

ああ、ぽくちゃん、、わかった
このエントリーが彼女をできないことを物語っているのだ。

すぐ、忘れちゃう。面白いと思ったら、なりふりかまわずそれをやっちゃう。

だめなのかな、この性質が。

うっしっし。

がっはっは。

じゃあ、直そうか?って気持ちにならないのがだめなのか?

どうにかなるさって、どうにもならないことなんだなーこれが。

コレガって会社があったな。
Posted by secondlove1 at 02:32 │Comments(0) │TrackBack(0) 社会不適合
みんな、俺のことを社会不適合っていうけど、それなんだ?

不器用だー。

それが売りだ、

バナナの叩き売りだー。

俺は、古風だ。古風なところがあるけれど、新しいものが好きだ。

人と同じことが嫌いで、変な言葉かなことが好きだ。

天邪鬼だーーーー。
Posted by secondlove1 at 02:29 │Comments(0) │TrackBack(0) がーーがー
ピエロ。

ピエロ。

ピエロって何だ?

なんで、ピエロって生まれたんだ?

気にならないか?

ピエロが人に抱かせる印象って何だ?

ピエロは人間である是か非か?
これで、100時間は語れるな。
Posted by secondlove1 at 02:28 │Comments(1) │TrackBack(0) すべての人類に捧ぐ
実は、地球ってものはなかった。

あなたは僕です。

僕はあなたです。

そう、実体のないことが実態であり、

実態を失った社会こそが、今ある世界なのです。

あなたは、生きていないのです。

生きていると思っても、それはあなたではないのです。
こころってものはないのです。

心はないとおもったらあるのです。
心があると思ったらないのです。

そう、あなたは人間じゃないのです。

今のあなたと明日の朝起きたあなたは別人です。
それだけは確実です。

なにもあなたではないのです。

空虚な気持ちにならないでください。
それが真実でない真実です。
Posted by secondlove1 at 02:25 │Comments(0) │TrackBack(0) 祭り
祭りだ。

人生は祭りだ。
自由ってんんだよ。、楽しみって何だよ。

わかんねーよ、
ただ、ただ、おれは書いているよ。

タイピングが早いよ。
世の中わからないけれど、楽しいって思うことがあるってことだけはあるよ。

人生って何ぢょ。

おれは、生きているのか死んでいるのか?
定義だ、理論的だ、ロジックだ、数字で示せ、なんだそれ、

やってられるか、何が資本主義だ、何が社会主義だ、何が共産主義だ。

ばーかー

くそー。

何が、景気だ、
そんなもの知るか、
人間の原点って何ぢょ
そんなものあるのかよ

ねーよ。

進化論って何だよ。

ドリブンしてるよ。

脳内暴走だよ。

酒も、タバコも、「薬もなしで脳内暴走キター
Posted by secondlove1 at 02:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル拘束された自由を持つサル

拘束された自由を持つサル
拘束された自由を持つサル

これ、いいな。

たかが言葉だよ。
されど言葉だよ。

言葉のあやです、

なんだそれ。

 
Posted by secondlove1 at 02:21 │Comments(0) │TrackBack(0) 運と勢いと乗り
運と勢いと乗り

運と勢いと乗り運と勢いと乗り

そうだ、人生運と勢いと乗りだ。
僕は、自由だ、
拘束された自由を持ったサルだ。
わかったかー

まじ、勢いだ。

勢いから生まれるものもある。
たまに、原石もあるのだ。

怒涛のえんとりーいけー
Posted by secondlove1 at 02:19 │Comments(0) │TrackBack(0) なんぼのもんよ
なんぼのもんよ、

人生何ぼのもんよ

生きるということはすべて仮想なんです。
現実なんてひとつもないのだ。そうだ、すべては脳の中にしかない。

愛だって、美だって、喜びだって。
そう、仮想の世界で生きているのだ。

現実なんて、ないのだ。現実と思っているだけなのだ。
なんぼのもんよ。
Posted by secondlove1 at 02:18 │Comments(0) │TrackBack(0) そもそも、なぜかって言うと
そもそも論キター
エントリーしたいということは、話したい、たまっているものを吐き出したいということだ。

芸術はからだから吐き出すことだ。

そうだ、エントリーも話すことも芸術だ。

そうだ、爆発させるぞ。がーーーー。

しゃかりきに、全身全霊で表そう。
Posted by secondlove1 at 02:12 │Comments(0) │TrackBack(0) いくらでもできるが、
いくらでも、エントリーできるが、

今日は眠たいから無理だな
だって、だって、だって、えんとりーだから、意味不明。

ぽっけぺけー
しんめりとしたシンメトリー
しんめりとシンメトリー
しんめりシンメトリー
しめっぽいシンメトリー

靴下は確かに違うね。

人間、いきているんだよ。

 

Posted by secondlove1 at 02:08 │Comments(0) │TrackBack(0) ぬるい
ぬるい、ぬるい、なまぬるい。

ぬるすぎる。
ああ、おれってそんな社会不適合者かー?

どこを直したら、もてるんだ?
全部はなしね。

もてるとこってないのかー?

ねえ、教えてくれよ。

このブログを呼んでいる、5000万人ぐらいの人々よ。
Posted by secondlove1 at 01:52 │Comments(1) │TrackBack(0)
2004年12月10日
わかったど、わかったど
なんかわからんけど、わかったど。

 

 

どっちだ?お前。

 

 

 
やっぱ、究極的には同じようなところにたどり着くんだなあ。

 

 

そういうことが分かったど。

 

 

でも、これは同時に結局は分からないということも示しているのだな。
Posted by secondlove1 at 22:02 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月09日
おれは猛烈にうれしいんだよ
ほかっといてくれ、おれはもーれつにうれしいんだよ。

 

 

 
寺町っておとなしいだけかと思っていたら、面白いんだよなっていわれてうれしいんだよ。

 

 

もーれつにうれしいんだよ。

 

 

それが、その人の心のそこから出ている言葉だったからおれはもーれつにうれしいんだよ、

 

 

 
本当にうれしいんだよ。

 

 

先週も、握手して、ああ、握手がしぜんにでるなんて本当に認めてくれたんだとおもったよ。

 

 

モーレツにうれしいんだよ。

 

 

俺は単純さ。

 

 

他の人から言われるのとは、訳が違うんだよ。

 

 

おれは、本当に尊敬しているんだよ。そんな人なんだよ。

 

 

Posted by secondlove1 at 22:38 │Comments(1) │TrackBack(0) なんかよく分からないけれど
なんかよく分からないけれど、俺って、人間が好きだわ。

 

 

難しいこと分からないし、哲学とか、医学とか分からないけど。

 

 

人間ってなんかいいね。

 

 

 
ああ、自分がいかに安っぽいかを知るよ。

 

 

ああ、自分って結局流されているだけって知るよ。

 

 

ああ、自分って何だろうね。

 

 

 
でも、みんなの笑顔を見ているだけで、僕は幸せなのかもね。
Posted by secondlove1 at 22:12 │Comments(0) │TrackBack(0) アニキ
アニキ
aniki

こんな感じかな。

カマキリ

リュウジ

ソラ

ワタシ

キョウ

アナタ

スキ
Posted by secondlove1 at 02:04 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月08日
買ったど、買ったど
ああ、ボイスレコーダー兼MP3プレイヤー兼FMラジオ兼USBメモリを買ったど。

遂に買ったど。
これで、久しぶりに○○○ができるど。

がー、512Mだど。

安かったど。

わーいわーい。

Posted by secondlove1 at 18:41 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月07日
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。
PSPはやり方によってはライフスタイル変えるね。
ああ、でもどうだろうな。携帯とPSP今後どうなるかだな。
PDAも潜在能力はあったんだけど、インパクトに欠けていたよなぁ。

Posted by secondlove1 at 23:16 │Comments(0) │TrackBack(0) おお、
おなじ記事読んだな。

ああ、テンプレ変えよ。

あそこのテンプレが代わったから。
Posted by secondlove1 at 02:34 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年12月06日
単純
おいどん、単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。

単純すぎるバカです。

特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。

Posted by secondlove1 at 22:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月05日
ひさしぶりに、、、
いいもんだね。

良い響きだ。

ということで、来週までに準備いたします。

例の場所を、今日見たんだけど、良い感じでしたよ。

ベストポジションです。

Posted by secondlove1 at 23:06 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月04日
悪がきが
悪あがき、じゃなくて、悪がきが近くにいる。

本物の悪がきだぜ。

どうするよ。

ゆたぽんって言うらしいよ。

本当かどーかは知らないけれど。

Posted by secondlove1 at 22:29 │Comments(0) │TrackBack(0) そっかぁ
ユタポンが言っていた、

R4Lは1.1でした。
オイラは古くさくて、
しみったれているから低いのかな。

ということで、恋愛強制ギブスを発注しました。
これでハッピーになれること間違いなし。

 
Posted by secondlove1 at 02:39 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年12月03日
にゅるぽ
なんか、ゆたぽんが、いってるぞー。

オラのことを三日坊主っていってるぞー。

今日だって、男を磨いてきたぞ。

すごい勢いで。

剃った頭をヤスリでゴシゴシと。磨いたぞ。

Posted by secondlove1 at 01:41 │Comments(2) │TrackBack(0)
2004年11月29日
あのさ、
ひきこもりーた、せにょりーた。

今日は本棚を整理したよ。
ついでに9冊も買っちゃったよ。
あらら。

なんか、セニョリータだなぁ。
歩きながら思ったんだけど、
普通に予定が入っている日にこんなことしたらどうだろう。
財布も携帯も家において出かける。
もちろん、定期もだめだよ。自転車も車も。

OKなのは家の鍵と服だけ。
あとはすべて家において出かける。

そんなことしたら、どうなるんだろう。

どうもこうも、ただ不便で人に迷惑かけるだけだな。
でも、そんなことに面白みがあるんだよな。

Posted by secondlove1 at 22:22 │Comments(0) │TrackBack(0) 4様
なんか、ヨン様とかいう本名ペーって人が日本に来てたみたい。

バカみたいにテレビで騒ぎすぎ。

おばちゃん群がりすぎ。

でもね、あのおばちゃん連中って全員さくらみたいだよ。

さくら水産の派遣みたい。

そんなことをきいたよ。

Posted by secondlove1 at 14:05 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月28日
へー
ゆたぽんって人、昔はこんな顔してたんだ。

今は、黄色だったりピンキーだったりするんだ。

うらやましいな。
ゆたぽんって、カメレオンさんみたいぽ。

ってことは、人間じゃないんだー。へー。

Posted by secondlove1 at 00:31 │Comments(0) │TrackBack(0) あ、ネムタイ
ネムタイってムエータイに似てるな。

そう感じた、たけぼーです。

なんか、国際結婚って新しいらしいですよ。
どっかの、ブログで見ました。

どこかは、詳しく覚えていないですけど、「♪さきっちょ&はあちゅう♪の悪あが記」って名前が脳裏にあります。どうか、しらないですよ。

すいません、今日は酔ってて、意味不明です。
そいえば、ゆたぽんって誰なんだろう。
気になるなー。
ゆたぽんって湯たんぽに似てるね。

おーい、湯たんぽ。
湯を担保にするから金かしてけれ。

Posted by secondlove1 at 00:13 │Comments(0) │TrackBack(0)
2004年11月27日
たぶん、そう思う
絶対に、二番煎じだと思う。
ただのマネだと思う。

書いているやつら、かっこ悪いな。

うん

Posted by secondlove1 at 01:26 │Comments(4) │TrackBack(0) ☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み はじまりはじまり
ついつい、はじめてしまった。

☆ゆたぽん&たけぼー☆の悪巧み

完全なのりです。

まさに、悪巧み。

彼女が出来るように頑張ろう。
Posted by secondlove1 at 01:12 │Comments(0) │TrackBack(0)

Posted by takeshi at 02:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
本当かよー!?
最近、よくCMでオキシライド電池なる商品の宣伝をしている。

アルカリよりもパワーがあるという宣伝をしてみたり、がんばっているようである。

その宣伝のひとつに、こんなものがあった。

オキシライド電池を使ったポータブルプレイヤーで音楽を聴くと音が良いと。アルカリ電池との比較広告なんですけど、チェコ交響楽団の人にアルカリ電池とオキシライド電池で音楽を聞かせどっちが良いかを質問しています。

すると、オキシライドのほうが音質がいいと答えるのです。

これを見たとき本当かよとお思いましたよ。本当に。ソニーとかもウォークマン用の電池を出していたけど、それは長時間持つという意味でウォークマン用だったと思う。そうじゃなくて、音がいいってどういうことだよ。

ヘッドフォンとか元の音質が音のクオリティの決定要因じゃないのか?電池で何で音が変わるのだ?
わからん、ということで検索。

すると、こんなの(エントリーの最後にある)ありました。

詳しくはわからないが、アンケートの聞き方がどうであったかが気になる。こっちがアルカリ電池です、こっちがオキシライドですと質問する前に言ったとしたらお話にならない。

さらに、電圧が長時間使っても安定しているのが、オキシライドの売りらしい。というと、アルカリは長時間使うと電圧が安定しなくなると。するとだ、どちらも新品だったら両方とも電圧は安定しているわけだ。となると、使い始めは音質は変わらないが、長時間立つと音質の違いを感じるんだな。そこで、アンケートを考える。アンケートをするときは新品の乾電池使うだろう。すると、あんまり音質は変わらないんじゃないのか?まあ、2000人のアンケートだから使い終わるときに、聞いて判定した人もいるかもしれない。となると、そこの人たちはオキシライドに投票したかもしれないけれど、はじめの人たちは半分半分に投票してもおかしくないな。

まあ、パナソニックのサイトだけでは、いまいち信じれないわけです。自分で試してみたいな。でも、高いしなー。まあ、区別できるほど音にうるさいわけでもないし、まあいっか。どうせ、100円ショップの電池で聞いているわけだし。
オキシライドで聞く
オキシライドで聞くと音が違うのはなぜ?

音楽業界では電源が変わると音質が変わることが常識となっています。(多くのレコーディングスタジオでは電源にこだわり、いい音を追求しています)

例えば、一般家庭にある通常の100Vコンセントではクーラーや他の電気製品の影響を受け、電源が安定しません。そこで100Vの電圧が変動しないようにする安定化電源、さらには電圧を少しでも昇圧して使用する117V電源を設置するなど、電源に工夫を凝らしています。

赤:117V電源
黒:安定化電源100V
白:通常電源(電圧は変動し、不安定)

乾電池も同様の原理です。
オキシライド乾電池はアルカリ乾電池に比べ、初期電圧(1.7V)が高く、しかも長時間使ってもこの電圧が下がりにくいという特性があります。このアルカリを超えたパワーが再生時の音質に影響を与えるのです。

使用機種や条件によって音の差は異なりますが、実際にオキシライド乾電池とアルカリ乾電池を使って再生した音楽(※調査は、充電式電池をはずした状態で、乾電池の単独使用。また本体付属のインサイドホンではなく、別売りのステレオオーバーヘッドホンを使用しました。)を聞き比べてもらう実験を約2000名に対して行ったところ、約75%の人が音の違いを実感することができました。「音がクリアに聴こえる」「バックの音が出てくることで臨場感が高まる」「音のレンジが広がり、まるでエコーがかかったように聴こえる」というコメントが主流を占めました。(※国内外の音楽のプロ120名、音楽専門学校生82名、ノンプロ1765名に対して聴き比べ調査を実施)

http://national.jp/product/conveni/battery/oxyride/lab/music/kiku.html
Posted by takeshi at 01:14 AM | コメント (215) | トラックバック (0)|
December 25, 2004
過去を今生きる
世の中には過去を今生きる人々がいるのだ。

誰にもそのような面があるだろうが、すべてが過去を今生きている人もいるようだ。

今を今生きる人も、未来を今生きる人もいるように、過去を今生きている人々もいるのだろう。

Posted by takeshi at 01:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
過去を今生きる人々
過去を今生きる人々

世の中にはいろいろな社会がある。僕の知っているのがすべての社会ではない。それは、当たり前だが、日本にもたくさんある。そんな社会が。

別にそれを知るべきだとも思わないし、知らないなら知らないでもいい。でも、そんな社会に生きる人たちは、人間の原点となる問題を示してくれるのかもしれない。

今がない人、今が空っぽになっている人は過去を生きているのだろう。今生きているのだが過去を生きている。

Posted by takeshi at 12:41 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
天才の顔
なんか知らんが、賞をロナウジーニョという人がもらったらしい。

けっこう前見たときから、この人は天才だなと感じた。もちろん、練習とかも相当しているからこそ、認められるプレイヤーなんだろうということは承知しております。

テレビでちょっと見たことしかないけど、なんか天才かなと感じた。特に理由はないが、サッカーをしている映像とか、練習で戯れていたり、得点した後の行動を見てそう感じたんだと思う。
で、実際にあって、特に話さなくてもこの人は、とてつもない才能を持っていると感じることもある。それは何なんだろうね。何がそう感じさせるのだろうか。

たぶん、常識とはずれた(常軌を逸した)言動をするんだけど、そこに何かしら鋭さがあるのかなと思うが、これは何も言っていないに等しい。なんで、そう感じてしまうのか気になるところです。
Posted by takeshi at 12:40 AM | コメント (199) | トラックバック (0)|
December 24, 2004
コメントスパムは馬鹿がやることだ
コメントスパムは限りなくむかつくわけです。

MT3からはタイプキーとかで対策されている。あと、禁止IPとか海外からの書込み禁止などで対策している人もいるようだ。

まあ、それはいいのだが、最近のコメントスパムはひどすぎる。むかつくを通り越して、あきれた。

こんなにもコメントスパムを打つと、ブログを書いている人の気分を害してブログのエントリーをしなくなるぞ。そうしたら、彼らはコメントスパムもできなくなってしまう。コメントスパムを大量にやることによって、自らの首を絞めている。さらに、あまりにも同じコメントが多かったら、ブログについて詳しく知らない人でも怪しくてクリックしないし。

それに、ブロガーがコメント禁止にしてしまったら、コメントスパムできなくなる。限度を超えてコメントスパムを打つべきじゃないと、コメントスパムを打つ組織か個人に言ってあげたい。

適度に打つなら、知らない人が間違ってクリックするかもしれないけど、これだけ多く打つとまったくコメントスパムを打った意味がないと想う。悪いこと(?)も限度を超えると良くないよなぁ。悪いことはあまり派手にやらないことが鉄則です。派手にやった時点で、みんなが知ってしまうから対策が採られる。そうならないためにも節度を守って悪いこと≒コメントスパムを打ってくれ。

むやみやたらにやらないようにといってやりたい。

Posted by takeshi at 11:01 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人間って、
何でもありっちゃ、なんでもありなんだよな。

どこまでいってもプライドはあるし、人よりも勝っていることを主張したがる。

現在が最低だったら、過去の栄光を語り、見栄を張る。

結局、人間ってなんなのだろう。

Posted by takeshi at 09:03 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
1386件
コメントスパム、昨夜は1386件。
ありえない、この数は。。。。

読まないといけないメールも、埋もれてしまってみる気をなくした。。。
こんな勢いで毎日来るのかなーー。

ああ、やってらんねー。

Posted by takeshi at 09:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 23, 2004
コメントスパム 635件
朝起きて、メールを見たら受信メール700件以上。

おかしいぞ。昨夜もメールチェックしたのでこんなにくるはずがない。それに、祝日だからメールの数は少ないはず。なぜだ、とおもったら、ブログへコメントが来たという確認メールが大量に着ていた。

まあ、僕のブログにはそんなにもコメントがくるはずがない。そうなんです、コメントスパムです。

20,30ぐらいのコメントスパムはよく来ていたけど、635件はないだろう。それも、一気に。勘弁してくれ。

いまだ、増え続けているのでいったい何件繰るのだろう。

もう、やめてけれ~。

それにしても、コメントスパム打っても何の意味もないだろう。誰もクリックしないよ。(まあ、コストがかからず、クリックするやつがいるから成り立ってしまっているんだろうけど。。。)

Posted by takeshi at 01:11 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
December 22, 2004
学校という場は逆戻りできないがゆえ、はかない
今日は、今年最後の学校だった。
それ自体はたいしたことではないのだが、授業後図書館に行った。
階段を上り、2階の踊り場のようなところに行く。そこには新聞がおいてあるから。しかし、いつもほかの人が読んでいる場合が多い。それで、いつものように3階へ。3階にはソファーがあり、世界中の新聞と雑誌がおいてあるから。

そして、日経とHBRをさくっと読んでいた。
ふと、外を見る。と、何やら、この時間はもう二度と味わえないんだと思った。当たり前なんだけど、それで僕はこの今という時間を必死で忘れないでおこうと思った。そして、図書館から見える旧図書館や葉が黄色に色づいた木々を目に焼き付けようと努力した。努力したというか、なんかこの光景を覚えていたいと思い、そのようなことをしていた。

まったく同じではないが、明日もあさっても、半年後もこの感覚に似たものは味わえる。なぜなら学生だから。しかし、2年後にはこの感覚は味わえなくなっている。もっと言えば、卒業してしまえば一生味わえない。だからこそ、こんな日常もはかなく感じたのだと思います。

たぶん、なんでもない日常です。図書館で新聞を読み窓から外を見る。でも、この感覚をいつまでも味わいと思った。それは今の大学生という身分、今きている服、今の脳みそ、今読んでいる本、なにもかもを含めて、将来も感じたいと思った。

学校というものは、はかないものであると思ったのです。小学校にしろ、中学校にしろ、高校にしろ、大学にしろ。なぜなら基本的に逆戻りがないから。人間というものは小さい子供のころから学校というものに通い始める、そしてどんどん成長していくのです。学校という場を通して。そして、学び、学校から吸収できるものを吸収して巣立っていく。だから、高校から中学にいくということはないのです。たぶん、学校というのはそういうものです。だから、学校は逆戻りできなくて、はかないのです。だから、学校というのは寂しさが漂っているのです。

会社だったら、一回辞めてまた再入社という事はある、地元だって戻りたければ戻れる、NPOだってそうなんです。でも学校と名のつくところだけは違うみたいです。

学校だって戻りたければ戻れるが、学校は基本的に直線的に成長していく場であって、普通は再び戻るということはないのです。社会人大学院だって、卒業したら舞い戻ることなんてないんです。

別に、何が言いたいってわけではないけど、学校というものは卒業してしまえば逆戻りできないから、もうこの身分(学生)でここにたつことはないからこそ、はかないのだ。と、窓の外の旧図書館をみて思っただけです。

BGM the song of life ギターバージョン
    Instrumental – Kenny G – Amazing Grace
Posted by takeshi at 07:05 PM | コメント (6) | トラックバック (0)|
まともな人
養老さんの「まともな人」という本を読み始めた。

けっこう、ふむふむそうだなと言うところがある。細部では、なんか違うというところがあるが、まあ、なんと言うか、現代の社会一般の方向性に対してカウンターパートから書いてるから、あえて書いている部分があるからなんだろうけど。

まだ、読み終わっていないんですけど、おもしろいです。

不安と恐怖ってのが面白かった。
恐怖ってのは、何か恐怖の対象がある。
不安は、不安の対象がない。

その違いという書き方をしていた。
おお、今まであまり不安と恐怖を考えて使い分けてこなかったので納得。

不安は対象がないので、不安が不安を呼ぶ。不安のスパイラルが起こると書いてあった。これも面白かった。

欲望も一緒で、食欲は食べれば満たされる。再現がある。恐怖も恐怖の対象がなくなれば恐怖はなくなる。ある意味で有限なのである。しかし、金欲は欲望の欲望である。なんか、パソコンがほしいという欲望なら、パソコンを手に入れれば満たされる。これは有限。しかし、金欲は何かをほしいという、欲望である。欲望の欲望なのである。だから、際限がない。

うん、そういわれればそうかも。おもしろい、自分でもなんとなくこう思っていた感じはあるのだけれど、文字にしていなかった。さらっと文字でまとめられていると、おおっ、と思う。

Posted by takeshi at 01:18 AM | コメント (207) | トラックバック (0)|
December 21, 2004
二酸化炭素売買
ガイアの夜明け
「タダの空気が金になる」地球温暖化に商機あり▽カンボジア…南米チリ秘境の商人

丸紅 池島さん カンボジアで植林プロジェクトを手探りではじめる。
カンボジア 環境省に1万ヘクタール植林の許可を得る。 四国ほどの広さ。
クリーン開発メカニズム=途上国で持続可能な植林をすると、排出権獲得できる

46人の小さな村。モンドルキア。村長に挨拶。
村人には植林で働いてもらい、貨幣を稼いでもらう。
農民は一年で30,40ドルの収入。
3000人の雇用予定。=家族を含めると1万人。
ゴムの木、試験植林。中国で自動車の需要アップ=タイヤのゴム必要→ゴムの木。
300万トンの排出権取引の額に相当する予定。

@大阪 テイカへ営業
製造段階でどうしても二酸化炭素を排出してしまう会社。
炭素税は毎年かかり、商品の価格アップにつながるため、

@丸紅本社 未来の顧客へプレゼン
20社(2年で集めた。)

コスト
植林事業20億円
社会貢献15億円

排出権価格
1トン6.4ドル(市場価格6ドル)

市場価格より高いところに、ものいがついた。

ゴムの生育状況を確認に再びカンボジアへ。すると、日本企業が来るという話しがうわさで周り、地価が高騰すると予測して、土地の囲い込み。この状況ではプロジェクトを進められない。

囲い込みのくいを抜くように、州の副知事のもとに直談判。→くいは全部抜くと、取り付けた。

帰国→会議に呼ばれる。ビジネスとして成り立つか。
環境ビジネス委員会。プラント、エネルギーのエキスパートらがメンバー。→プロジェクトGOサイン。

苗付けから5ヶ月、ゴムの木は育っていた。

カンボジアの村の奥地に風力発電。投資回収を早めるために。さらに、村でも伝記が必要になるから。風力発電をおこない排出権を獲得。8万トン排出権獲得可能。
風力発電を学校につけて、電気がついた。

ビジネスにしないと環境を維持できない。これが現実。二酸化炭素は目に見えない。明日何かが起こるなら、対策するけど、100ね先だと対策しない。これは、仕方がない。でもビジネスにすると人はやる。これは、いいことだ。

商社マンって、まじで一人で奥地まで乗り込んで交渉して商売を作るのだな。なんか、バックパッカーじゃん。何でも食うし。商社も、儲からないビジネスやめて、彼らしかできないことをしたらもっと稼げるんじゃないかな。それに、ビジネスのプレゼンもして、営業もして、大変そうだな。
@南米チリ 三井物産、両祖さん
東京電力が排出権購入にうごきだす。アグロスーパー社と提携。200万トン、12億円相当を契約。
契約をまとめたのは三井物産。地理に駐在歴があり、スペイン語ぺらぺら、1年がかりにプロジェクト。
二酸化炭素を削減するのに、日本なら1トン2万円、チリなら500円。
アグロスーパー社は5つの養豚場をもっており、そのし尿からでるメタンがでる 
メタン 126ドル/トン CO2の21倍の価格

日本企業がこのメタンを獲得し、このメタンを削減することで日本企業の削減の代わりにする。大きな、ビニルバックのようなものにメタンをためる。
@フィリピン 200万人分のごみため場 
スカベンジャー=ごみから鉄などを探し、売って生計を立てる人
ごみため場からすカベンジャーが鉄を取っていくので、生ごみだけ残り、メタンがたくさん出る。
三菱証券 吉高さん
ごみのメタンを利用した発電所を作る。

年間8万トン、4800万円。村に、電気が通うようになる。
排出権=環境コスト
きれいな空気を吸うにはお金がかかる。
Posted by takeshi at 10:11 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
仕事
クローズアップ現代
変化する職場、変化する意識
会議が変われば会社が変わる

監視される社員たち ~進む情報流出対策~

派遣社員は製造業を変えるか

働く意味は何ですか

成果主義はどうであったか?
人間不信、信頼されていないかも。

あなたの”強み”はなんですか ~中高年・再就職セミナー~

マツダ復活~技術者たちの挑戦~

働く意味は何ですか

働くって何ですか~広がる中高生の仕事体験~

”働けない”若者たち
効率化+スピード→プレッシャー
部品のように使われている。

weak tiesらしい。前、おいらが言っていた、社外取締役ってのは weak ties(弱いつながりの仲間)と言うらしい。玄田東大助教授いわく。確かこの人は「働くということ」にも文章を書いていた気がする。

つぶしがきく会社、プロとしての能力を身につけられる、頭の切れが良い仲間、英語が身につけられる環境、責任と権限が与えられる会社

今年のキーワードは「仕事」「アメリカ」らしい。ってことで、明日は「アメリカ」みたい。

Posted by takeshi at 07:33 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なんか良くわからないけれど。
なんか良くわからないけれど。

しゃべっている時は、頭が働いているように感じない。
しかし、自分が今まで考えていなかったような新しいアイデアが出ることがある。
頭が働いているように感じないが、しゃべることによって脳が一番活性化されるとも聞く。
不思議なもんだ。
なんか良くわからないけれど。
何かを見たり、うれしい気持ちや悲しい気持ちになると、それにあった歌詞の歌が自然と出てきて口ずさんでいる。頭で考えて引き出してきたわけではないけれど、自然とその時にあった歌が口から出てくる。
自分では意識していないけれども、脳の中ではつながっているのだろうか。

なんか良くわからないけれど、前から「星の王子様」を読みたい。
この冬に読もうと思う。

Posted by takeshi at 01:36 AM | コメント (203) | トラックバック (0)|
旅にでたら、そこには空っぽだった
ああ、もうすぐ冬休み。空っぽな旅に出ようかな
どッかに行ってこようと思う。
久しぶりに18切符でぶらっとしてこようと思う。

冬の東北なぞに行ってみるのもいい。白神山地とか、田沢湖とか。でも人が多そうなので、特に行き場所を決めずに行くのもいいかな。田んぼの田舎道をぶらぶら歩いてみたい。

18切符のフレーズでいいものをピックアップ。
「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。」
2000年春
 
「『早く着くこと』よりも、大切にしたいことのある人に。」
2000年夏

「たまには道草ばっかりしてみる。」
2001年春

「なんでだろう、涙が出た。」
2001年冬

「自分の部屋で、人生なんて考えられるか?」
2002年夏

「この旅が いまの僕である」
2003年春

Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (222) | トラックバック (0)|
2004年という年は何であったか。
出来事で振り返る。

1月、成人式があった。ああ、成人式は防衛大の友達と意気投合したな。他の誰とも話した記憶がない。2月引越しをした。東京都民とやらになった。ここに引っ越したことがこの年の後半に大きな意味を持つとは考えもしなかった。ドメインをとったりなんかもした。4月、東京にいる岐阜の人たち(G-net)と関わり始める。そんでもって、この頃はソーシャルネットワークなどが盛り上がり始めIT屋さんの集まりに顔を出していた。

5月、初めて山登りをした。三頭山という山だった。実に新緑が綺麗だった記憶がある。ありとあらゆるところに顔を出していた気がする。良く動いていたな。

6月はソフトバンクの株主総会に行ってみたりした。さらに、今年は岐阜へも良く帰った。なんだかんだで10回ぐらい帰った気がする。

7月は「たびそら」「飛ぶ夢を見た」という写真に感動した。そして、7月25日には時間は取り戻せないことを知った。

8月の頭は毎年のようにディベート甲子園で時が過ぎ、岐阜の花火を偶然にも土手から見れた。かなり感動した。そして、グロービスの堀さんにお会いし、鼓舞された。そして、会津にも行った。そして岐阜でのイベントをやった。教育と地域に関しての。そして時は一瞬のうちに過ぎ去っていった。インドのビザを取り、いつの間にかインドにいた。そしてネパールへと行き、またインドに戻ってきた。案の定帰国して体調を崩した。その間に友達がフランスへ行った。そして、

10月。上野の芸大に通い始めた。とてつもなく面白かった。ワクワクした。後半はこの授業のおかげで日々楽しかった。11月には三田祭があった。そして、12月黒服行事が多い。そんな感じだった。
感じたことで振り返る。
今年の目標で振り返る。

Posted by takeshi at 12:24 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 20, 2004
情熱とプロ
このブログを読みに来ている変な人たちに、僕が情熱大陸を愛してやまないことは説明するまでもないだろう。

で、今日も見てさっきエントリーを書いたのだが、ウェブを見に行ってまたなんかメモりたくなった。ウェブサイトには「読む情熱大陸」というコンテンツがある。これは重松清という作家さんが月に一回書いている。いつもなかなか面白く読んでいる。

少し話がずれるが、この重松清と言う人の文章は僕にはさらっと入ってくる。僕になじむ文章を書く人だ。簡単に言えば、この人の文章は好きだ。僕は小説とかを全くといっていいほど読まない人間である。でも、ブックオフで1年以上前に買った「ビタミンF」という重松さんの本を秋ぐらいに読んだ。すると、なんか良かった。短編だったり、言葉遣いが現代語だから読みやすかったからなのか、文章のつくりが僕の脳が言葉を作るつくりと同じだったかはさだかではないが。まあ、内容もなんかほのぼのというか、現代の社会問題を書きながらも、えも言えぬ気持ちにさせてくれる本だった。

僕は情熱大陸が好きである、でもって重松さんの文章も好きである。重松さんは情熱大陸のウェブで連載を持っている。この連載は情熱大陸の製作側から依頼が重松さんにいったから書いているのであろう。なぜ重松さんに依頼にいったか考えると、情熱大陸を作っている人が重松さんの文章のことを好きだからか、情熱大陸を見ている人が重松さんを好きな傾向にあるか、重松さんが人間に迫った文章を得意とするからか、そのへんだろう。そう考えると、情熱大陸好き≒重松さん好きとなる構図が見えてくる。なにやら、両社を好きになる理由があるのか?両社には何か共通点があるのかなと考えてみたりする。

で、まあ、重松さんが書いている読む情熱大陸も好きということです。

そこに、あったプロという言葉が気になった。プロって言うとそのことを仕事にして、飯を食っている人というのが僕の中でプロだった。曖昧な定義ではプロかどうかの判別が不可能になるが、この定義なら比較的わかりやすいと思っていた。でも、しっくりきていなかった。なんか、そっけなくって。下の文章を読んで、いいなぁとおもった。「自分の足で世界に立ち、勝敗に関わらず戦いの場から去らないこと」これが、重松さんの定義なのだろう。なかなかかっちょいい定義だな。

自分でもプロとは何たるかを考えると、それでメシを食っているかってことと、責任をもてるかどうかかなと思った。表面的な責任じゃなくって、本当に責任をもつということは、自分が納得してやり、最大限のことをしなければ責任を持ったことにならない。とすると、責任を持つことはプロの証なのかなと。

まあ、どれも月並みッチャ月並みだな。そんなの知るかー。

 
 単身ヨーロッパに渡り、フランスの一部リーグで活躍する田場さんは、敗戦後のロッカールームで泣いた。負けた悔しさを噛みしめ、思い通りにプレイできなかった自分を責めながら、人目もはばからず涙を流した。
 恥ずかしくはない、と田場さんは言い切った。いままで自分は何度も負けてきて、何度も悔し涙を流してきて、だからこそいまの自分がここにいるのだから――と。
 一方、日本とマウイ島の往復をつづける佐藤さんは、物心両面での夫のサポートについて語るときに、泣いた。そして、番組のエンディングでも泣いた。歴史ある大会アロハ・クラシックで優勝したときの挨拶で、その喜び以上にウインドサーフィンの聖地ホキイパへの愛を語ったときに、また、笑い顔で声を詰まらせたのだった。

中略

やっぱり、涙、なのだ。そして、その涙をカラッと乾かしてくれる笑顔、なのだ。

中略

いわば、二人とも、なにかに頼ったりもたれかかったりすることなく、自分の足で世界に立っている――それこそが〃プロ〃の定義なのだとぼくは思っているし、そのバックボーンがあるからこそ、二人は素直に笑い、また素直に泣くことができるのだ。

中略

アマチュアなら一度の栄冠の記憶をいつまでも抱いていられる。敗北とともに戦場を去ることもできる。だが、〃プロ〃は違う。勝ちと負けを繰り返しながら戦いつづけること――戦いの場から去らないことが、〃プロ〃の証なのだから。

http://mbs.jp/jyonetsu/yomu/index.html
BGM Desperado Eagles
Posted by takeshi at 01:04 AM | コメント (230) | トラックバック (0)|
December 19, 2004
-情熱大陸-師匠とは
心の底から自分の師匠といえる人に出会ってみたい。

今日、情熱大陸を見た。荒木水都弘というすし職人の方を取り上げていた。身を粉にして極めるタイプで、まじめで、不器用そうな人っぽかった。でも、僕はこういう人が好きだ。

この人は4年前に独立したらしいが、それまでの師匠が店に久しぶりに来るシーンをやっていた。師匠は小林秀雄さんや現在の天皇陛下にもすしを握ったことがある人らしい。彼はその店で修行して、師匠が病気を期に職人を辞めるときに玉子焼きの鍋をもらったそうだ。コレをもらったという事は、師匠はこの弟子に期待をしていたということであろう。そして、今は常に予約でいっぱいの人気すし屋になっている。

そんなところに、師匠はすしを食いにきた。師匠はすしを見た瞬間に語り始めた。お金をとらないならばこのすしでもいいが、取っこのすしではだめだ。きり方がなってないというようなことを言っていた。寿司のネタにとって切り方は命なのであろう。

絵を書く人にとっては、一本の線がそこにある、そこでしかダメな場所があるみたいだ。腑に落ちるというか、まさにそこに一本の線がある、あるべくしてある。そんな感じみたいだ。僕にはまだわからないが、いろいろ見ていくうちにわかるのだろうか。これは、文章を書く人にとっては、単語一つ一つ。文章の繋がりがまさに、絵で言う一本の線であろう。音楽家であれば、その音が、その長さで、その時に流れるからこそ、しっくりくるのであろう。これらのことは、ビジネスとかにも通じる部分があるのかなとも思った。
話を戻す。その番組を見て師匠って人に出会ったことがないと思った。師匠というものがすべてではないと思う。すべて正しいわけではないと思う。しかし、師匠という人と出会いたいなと思う。なぜかはわからないが、現代人的言葉で言えばロールモデルになるというのか、メンターもかねているというのか。でも、カタカナを使うとバカっぽいのでやめよう。安っぽすぎる。多分、師匠ってそう簡単には出会えない人だと思う。心の底から師匠って思える人には、全員が全員出会えるものではないと思う。

単なる尊敬する人とは違う、もっと身近なんだけど本当に尊敬できて、自分がその人に意思を伝えて、弟子のことを愛し、本当に弟子のことを思い育ててくれる。そんな感じだと思うのだが、僕は師匠といえる人とはまだであったことがなく、どんなものなのかはわからない。

たぶん、一つのことに没頭して極める段階において師匠に出会うのだろうと思う。自分の生きる道がある程度決まり、吾人の任務的なものが書け、それでその道を極める過程において出会えたら最高だと思う。

そういえば、昔こんなことを書いたことを思い出した。

何事も奥深く。はじめはミーハーなやつも多いが最後には本物を理解できるやつしかいなくなる。2002/11/20
(本質を理解している人たち同士だったら面白いなということを書きたかった。)

僕は、いろいろなことに興味があり、さまざまなことをしてきたと思う。それ自体は自分の考えの下であり正しいと思っている。しかし、もう少し社会を見て、自分が進む道を見つけたら、(その道はある特定のことでもいいし、いろいろなことに興味がある今の状態の延長上のことかもしれない)、師匠という人に会いたい。自分に素直に、情熱を持って取り組めば自然と師匠に出会えるのかもしれない。それは、実際にいる人ではなくても、本かもしれないし、何かもっと他のものであるのかもしれない。

 

また、使えないログ

荒木水都弘-情熱大陸-

気の短い江戸っ子のファーストフード(すし)は文化になった。
荒木水都弘–あら輝–

こうでなければ気がすまない。そのようなものあある。
とにかく考えている。選び抜かれたネタ。さりげないが
今が旬って言われるのは最悪、今が最高ってことだから。

話がすしになったら負けず嫌い。

不器用なほどまじめ。

すべてを自分でやらないと気がすまない。

すしを握るということは自分を握るということ。

一律1万五千円

全身全霊必死に自分を追い込んできた、今時分のすしはどうなのか?

師匠は物静かだが、まなざしは鋭かった。

一流を追うものだけに見える、地獄が有る。

やると思いますよ、やるんですよ、ずうっと。
Posted by takeshi at 11:19 PM | コメント (3) | トラックバック (0)|
イチロー
何ヶ月か前にイチローが大リーグ記録を更新した。

あの時は、テレビを食い入るように見ていた。
とてもエキサイティングで、心の底から、体の底からワクワクした。感動していた。サブいぼが出来た。

で、最近年末で一年を振り返る映像が流れる。すると、当たり前だがイチローのあの記録達成のシーンが流れる。

すると、あの感覚が少しよみがえる。ゾクっとする。たまんないねー。
Posted by takeshi at 01:55 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夢とイメージと体で覚える
昨日も夢を見ました。

なんか、すごい高いところにある、すごい長いつり橋を渡っていました。アルミのような金属で作られていました。風で橋が揺れたり、僕以外にも数人渡っていました。が、その人の中の数人はバンジージャンプをするのか自殺をするのか知りませんが、飛び降りるようなしぐさでした。その人たちが邪魔で、通り過ぎる時に怖かった印象があります。手に汗をかいて、そんでもって欄干を手でつかみながら歩いていたので、滑ってこわかった。そうするうちに、陸というか、山に付いた。そうしたら、そこで僕の知り合いが宴会をしていた。なんだ?と思った所で起きた。

たぶん、フランスで世界で一番高いところにごっつい長い橋が出来たというニュースがもとでこの夢を見たんだと思う。

また、夢の話なんですが、夢ってカラフルで立体的である。でも、自分の意思で夢レベルのイメージをしようと思ったら無理である。少なくとも僕は無理である。ということは、自分の意思では動かせない、脳の作用があるのだ。そりゃたくさんありそうだ。それが顕著に現れるのが、夢レベルのイメージなんだろう。自分の意思では動かせない細胞か仕組みか組織があって、そいつは何らかの影響を受けて動くわけだ。ということは、その何らかの影響をどのように引き起こすかがわかれば、自分の意思で夢レベルのイメージや何なりを再現できると。

ふむふむ、そうすると、夢レベルのイメージを創造できる人がいてもおかしくないわけだ。何かしらの方法で、夢レベルのイメージを想像する方法を取得した人なら。

ちょっと、まてよ。実は俺だけが、夢レベルのイメージを自分の意思で作り上げれないだけで、他のほとんどの人が、カラフルで現実そっくりなイメージを作り上げているのかもしれない。とすると、俺が感覚的に使っている想像という言葉とはまったく違った質感を想像という言葉にたいして抱いているわけだなぁ。

って、そんな人いるのか?

過去の関連エントリー「見る」
関連エントリー「夢」

で、話は変わる。
また、真っ暗にして風呂に入った。いつものようにだいたい感覚的にはシャワーの蛇口がどこにあるかとか、シャンプーがどこにあるかはわかる。それはいつも使っていて、配置が脳の中に作られているからだろう。で、ふと思う。自分の体なら毎日一緒だし(当たり前)、毎日自分の意思で使っている。真っ暗でも、自分の目や足の指なら正確に探せる(触れる)のではないか?と。で、やってみる。すると、ピンポイントで触れる。目だろうと、足の親指の爪だろうと。

感覚的に覚えているのだろう。体で覚えるとか、そんな感じ。視覚的に覚えているのではない。多分脳で高度な処理をせずに、慣れによってわかるようになっている。

この前思ったのだが、脳は楽をしたがるというか習慣化をしたがる。というのも、脳は高度なことや新しく臨機応変に対応しなければならないことにしか使われない。というか、使わない。簡単なことも脳で処理していたら、やることが多すぎて脳がパンクしそう。で、習慣化するなどして、日常的なことは脳を使わなくよくして、どんなことにも考えて対応できる脳は、新しく高度なことだけするのだろう。

って、コレ当たり前だよな。というか、思っていたことがうまく文章になっていないから、何も伝わらないだろう。まあ、いいや。本を読んで知るよりも自分の経験からこうだと思ったほうが現実味があるし、自分の中によく残るから。

ふと思い出す。コレはボディイメージの一種じゃないか?と。違うか?

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December 18, 2004
トルコ
世界不思議発見はトルコだー 有線大賞ではハナミズキだ、明日の夜の用事がなくなったのでまったり見よう

 

 
Posted by takeshi at 02:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
一年たって、また一年
今年も終わるみたいだ。

早いのか遅いのか。
今年もいろいろあったなぁ。
いろいろあるのが人生で、とらえ方によっては奇跡の連続なんだよなー。

今年を振り返るのに、ブログと手帳はありがたい。手帳は具体的に何があったのかが書かれている。ああ、こんなところに行ったなとか。ブログ(僕の場合)はその時に何を感じたかを書いてある。振り返るのには最高なツールであると思う。
そういえば、アンケートで社長ブログを読みたいという人が4割(このアンケートの質問からここで、用いることは適切ではないですが。。。まあ、いいや)とあったが、へぇ思った。俺に言わせれば、某有名社長ブログなんて、その人の一日で公表できる部分を書いているだけ。どこでメシ食ったとか、誰にあったとか。そんなこと知りたくもないです。究極にどうでもいい。まあ、アフィリエイトで微妙に稼いだり、サイト集客だったりが目的で書いているんだろうけど。

有名な飯屋で食ったとか、ブランド物を持っているとかって、アピールする人の気持ちがどうも理解できない。だって、有名な飯屋の権威や、ブランド物の社会的地位を利用して、自分もそれによってすごく見られたいとかそう思っているんでしょ?金持ってるっていいたいんですか?それは、本当は金無駄遣いしていますとか、物の価値を見極める能力がありませんといっていることだと思うんです。

ルイビトンですか?よくわからないんですけど、あんなもの良く持って、待ち歩けますねー。僕なら恥ずかしくて、恥ずかしくて町を歩けないですよ。安っぽい人間ですよって顔に書いて町を歩いているのと一緒なんですよ。ルイビトンのかばんを持つくらいなら、Tシャツに「ルイビトン」って習字で書いて町を歩いた方がどれだけ、かっこいいかわからない。いや、本当にそう思うよ。

なんか、「ルイビトン」「グッチ」「プラダ」とか書いたカバンとかシャツとかを着て、10人とか20人とかで町を歩きたいねー。なんか面白そう。

自分に中身がないから、ブランド物とかでだましてるんでしょ。ああ、マジでそれは意味不明だ。

そんなの、どうでもいいや。持ちたい人はかってに持てばいいんだし。基本的に十人十色主義なので、どんな人がいてもいいし。

そんなことより、今年一年を振り返り、来年のテーマを設定しよう。

ああ、高校の文化祭のテーマは本当に意味がないといい続けて、潰してやろうかと本気で思っていた。
だって、生徒会のやつらが、自分たちは生徒会だみたいな特権意識をもって、無駄に時間をかけて文化祭のテーマを決める。無駄に時間をかけていかにも仕事をしたように見せかける。で、テーマなんか決まっても、誰も気にしない。そのテーマにそって出し物をするわけでもない。ああ、本当に文化祭のテーマは意味がない。

それ級に僕の一年のテーマが意味ないかもしれないが、たまにそれを思い出したりするのでちょいとは意味があるかな。まあ、すべての行動にそのテーマが染み出ているよな。

ああ、なんて天邪鬼。
まっすぐものが見れないのかな。斜に構えるというのか。

今度、今年の、記憶に残っているものベスト10とかやってふりかえってみよっかなぁ。

今日のエントリーも話が激しくとんだなぁ。

Posted by takeshi at 01:14 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 17, 2004
生きているということは奇跡の連続なんだよな
生きているということは奇跡の連続なんだよな、と思ってみる。

まあ、コレは考え方次第なわけですが。
体と心の底から吐き出したい気持ちでもあります。

具体的に何をとかいうわけではないですが。
Posted by takeshi at 12:44 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 16, 2004
夏だぁーーー
某氏が日本の夏が良いと書いていた。

私も夏が好きだ。

おまえ、冬だから夏が良いといって、夏になったら冬がいいというのだろう。
ないものねだりだろ!と突っ込まれることがある。

いや、違う。
夏でも夏がいいという。

だって、服が薄っぺらくていいし、洗濯乾くし、海とかプールいけるし、ギラギラした感じがパワーをくれるし、小学生の頃の夏の感覚を呼び覚ましてくれるし。

子どもには夏休みなんてものがあって、さらにたまんない。

なんていったって、夏だぜ、暑いぜ、カマキリリュウジですから。
(小学校の国語の教科書に載っていたはず)

Posted by takeshi at 12:38 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 14, 2004
来年フルマラソン走ります!?
お前、次は何を言い出したのだ?

っていわれそうですが、なんかフルマラソンを走りたくなった。

相当辛くて、鍛えていないと観想できないのは知っています。
僕が考えているないほど甘くはなさそうです。

とりあえず、フルマラソンの大会がどこでやっているのかを調べて、それまでにどんなトレーニングをすれば良いかを考えないとなぁ。

Posted by takeshi at 10:08 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夢がない人は地位に固執します
夢がない人は地位に固執します

って、書いてあった。
プレジデントの2004年8月2号 ウェザーニュース社長 石橋博良さん

いや、コレには衝撃食らったね。
言っていることは当たり前なんだけど、この表現と、人の心理の本質をさらっと言い抜いた言葉に。
まじ、衝撃食らったね。

人生考えさせられますよ。

「夢がない人は地位に固執する」
いやあ、そこらへんの安っぽい本を10冊読むよりも、この一言には価値があるね。

プレジデントなんか読む予定ではなかったが、HBSRを他の人が呼んでいて読めなかったので、偶然とった今年の夏のプレジデント。偶然の出会いです。セレンディピティか?って、そればっかだな。

そういえば、昔、こんなようなことを書いたな。
ある物事が起こったとする。そのことを期待していた場合は、喜びとか衝撃が、期待というものを基準に決まる。あらかじめ期待していると、頭の中でどうなるか予想しているということなので、衝撃度が小さくなる場合が多い。
一方で、期待していなかった場合は、想像もしていないことが起こり衝撃が大きい。喜びも大きい。予期していないことが起こると、期待してきた時よりも感じ方が大きいのだ。これは、人が隠れていていきなり驚かされた時と基本的に同じなのだと思う。

ということで、何も期待していなくてプレジデントのこの言葉に会えたので、衝撃が大きかったです。

昨日書いた「人生の座標軸」をさっそく読み終わりました。

吾人の任務と比べれば、読み応えはないですが、やはりこの方は本物だと思います。
芯があります。
ちやほやされている、IT経営者とは違うものを感じます。

BGM なしです

Posted by takeshi at 10:05 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
どうも早口らしい
僕はどうも早口らしい。

前々からいわれていた、普段も早口だが、興奮すると3倍速になるともいわれていた。

だが、あまり気にしていなかったが、やはり早口すぎると相手に伝わらないかもしれない。ということで、話し方とかについて考えてみようかと思う。

Posted by takeshi at 03:34 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 13, 2004
堀さんの出版記念パーティで、思わぬ方々と。
今日はグロービスの堀さんの出版記念パーティー。

「人生の座標軸」という本です。

前著の「吾人の任務」を読んで、堀さんに惚れて、以前に講演会に行った。そして、さらに堀さんを尊敬していた僕は、出版記念パーティのメールが来た瞬間に行くことを決めました。

吾人の任務との出会いと前回の堀さん講演会の様子はここです。

前回と同様、麹町駅で降りてグロービス本社へ。そういえば、数日前も麹町に来たなと思う。某コンサル会社の人に焼肉をおごってもらって情報交換をした。そんなことを思いながら、心脳問題の講義をMP3プレイヤーで聴きながら歩いていった。すると、あのグロービス本社が。今日気が付いたのだが、この本社、住友系列のビルなのです。住友って、住友商事の住友じゃないですか。堀さんは住友商事出身。こんなところまでつながるのか?とか思いながら、中へ。

受付を終えて新著をいただいて、席に着く。そして、堀さんの話が始まった。正直30分は短かった。それに、本に書いてあることをそのままさらっと流しただけ。まあ、出版記念なんだから仕方がないかもしれないが。そんでもって、本もいつものコラムがたくさん載っている。それにもちょっとショック。まあ、本質的な問題ではないからイイのだが。

でも、話の隅々に堀さんの信念を感じた。

で、すぐ懇親会に。いつものように、ドリンクとベーグルベーグルのベーグルがあった。けっこう、うまかった。このベーグルベーグルはグロービスを卒業した人が作った会社で、グロービスも投資している会社らしい。そんでもって近々上場するみたい。そんな感じで、乾杯。

すると、誰かが僕に声をかけてくる。ここには社会人しかいない。学生が多い場所ならわかるが誰かなと思う。すると、あのあのWillSeedの社長の船橋力さんでした。もう、驚きですよ。船橋さんとは岐阜のイベントの時にお話していました。というか、自分たちがやったイベントでした。そんでもって、岐阜駅から会場までタクシーで僕がお送りしたし、鵜飼や夜の飲みもご一緒してくださったので覚えていてくださったみたい。そして、岐阜の話を少しする。そして、ベーグルを食べながら、ビールを飲むと、また見た顔が。ななんと、フランソワです。彼は、作曲家・マリンバ奏者のフランス人。何で知っているかというと、慶應のキャリアなんちゃらという授業をしていて習っていました。そして、僕から話しかけた。彼は今、慶應では教えていなくて、アカデミーヒルズとかで一橋の米倉先生と授業をしたりしているみたい。この、一橋の米倉さんは、僕が高校の頃、サイバーエージェントの藤田さんと米倉さんの対談を聞きにいった時にお会いしている。ついでに、米倉先生と親しいらしいクララの家本さんとも土曜日に少しお会いした。話がそれたが、フランソワはグロービスの堀さんとも仕事をしているみたい。

で、フランソワには自分の道を踏み外さずにここで会えてうれしいといわれた。で、アシスタントの方とも話していたら、ちょいといろいろな人を紹介してもらえる話になった。楽しみだ。

そこに、船橋さんがいらっしゃったので、フランソワを船橋さんにご紹介する。お二方は意気投合したらしく、フランソワの次回の講義に船橋さんが参加する運びとなった。さらに、フランソワはウィルシードの授業を見に行くことになった。なんとスゴイ話。そこに、堀さん登場。船橋さんと堀さんは経営者同士仲がよいみたい。堀さんも船橋さんもダボス会議のアジアのニューリーダーに選ばれていて、YEOのメンバーという信念のある経営者の方です。堀さんとフランソワも。僕も堀さんと以前お会いしている。このメンバーすごすぎです。知っている人が見たら、ションべんちびります。堀さんは日本のプライベートなMBAのトップ。船橋さんは小学校とかの教育に関してはトップ。フランソワは心の面からキャリアを語るトップ。それに、みなさん信念がある。それを貫いて生きている方だ。それが僕をまた興奮させる。で、フランソワが堀さんに僕の授業を受けていた生徒だと紹介してくださった。

ああ、楽しかった。また気合が入ったな。出版の講演がちょいと期待はずれだったけど今回は懇親会で楽しめた。

これって、セレンディピティか?いや、セレンディピティってもっと抽象的なことなのか?

大学関係で知っていたフランソワ、岐阜関係で船橋さん、自分で勝手に行ったグロービスでお話した堀さん。全員ばらばらで知っている。でも、偶然、つながった。偶然今日再会した。そして、面白い話が出来た。偶然に幸運をひきつけたのか?それは、僕があるポリシーをもって行動をしていて、あった場所はどこであれ、その方たちには共通点があり、その方たち同士でもつながっていたと。まあ、偶然な幸運であってことには違いないな。
BGM 糸 bank band 
    サリーガーデンズ 伝説のイエイッツの詩が歌になったもの
    the song of life
 
出版記念パーティ記念講演ログ

コラムで恥ずかしながら、個人に関することを書き始めた。するといつもと違う人からの反響があった。そこで、自分の立場(経営者、父親、日本人など)によってギャップがあることを実感し、分類する必要を感じた。そして、今回の本が出来た。

吾人の任務という本を出した時、タイトルをどうしても吾人の任務にしたかったが、出版者が変えろといってきた。でも変えたくなかったので、売れ残ったら買い取ると契約して出版したらしい。かっこいい。
(ソニーの盛田さんが、トランジスタラジオをアメリカに売り込みに行った時、ソニーという名前じゃなくして売るなら何十万台買ってもいいといわれ、あなたの会社も設立した時は小さく名もない会社であったはずだ。ワタシの会社も今その時期なのだ。というような話をして契約しなかった話を思い出した。)

やりたいことを明確にして、ある期間一つのことに集中する。そうした方が何かを習得するには効率が良い。その間、犠牲にするものがあってもしょうがない。人生という長い期間でバランスをとればよい。

頭で感じるよりも、心で感じることが重要。ハーバードMBA留学中に頭で考え、得だから、効率がよいからやるべきだとしていたが、それでは面白みに書け、ワクワク出来ないことが多い。それでは、やっている意味がないと感じた。自分の感情をキャッチして、それを増幅する。自分に素直に生きる喜びがある。(決して論理的に全く考えないわけではない)

人間の頭には無限の可能性がある。ボトルネックは時間だ。時間配分のバランスを気をつける。心を開放して、頭ではフォーカスした方法論などを用いる。

家族人としては、ファミリープランをつくる。会社の事業計画のようなもの。ポイントは理念、哲学、教育ポリシーだ。教育ポリシーは「生命力」生き抜く力。ああ、大前研一さんや梅田望夫さんのサバイブって話ともにているなぁ。

組織人としては
・良い仲間
・やりがいのある仕事
・最大限能力を発揮する喜び
・社会貢献を実感できる
・やった分だけの成果がある

キャリアコミュニティ論

Posted by takeshi at 11:36 PM | コメント (241) | トラックバック (0)|
ふたご座流星群
なんで、アクセスが多いのかと思ったら、ふたご座流星群で着ていらっしゃるみたいです。

でも、トップにはその記事がないので、以前の記事へリンクを貼っておきます。

ふたご座流星群は見たらまたなんか書きます。

Posted by takeshi at 11:35 PM | コメント (188) | トラックバック (0)|
世界を駆けるヒーロー達
あまりにも使えないログです。
まあ、いいや。

「己を信ずること」って、確か中学2年生の時の国語の授業で、僕がみんなの前でいった気がする。その時から、この言葉は自分の基礎を成しているわけです。

今日出てきた人も、自らの信念を持ち、貫き通しているなと実感。

気になった言葉をピックアップ。

・世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。
・最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける。一切の妥協をしない。
・一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。
・リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。
・主義をつらぬき通せば最後には報われる。
・自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。

・舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

・すべてを受け入れれば自然に表現できる

・日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。
以下メモです。

世界を駆けるヒーロー達 日本テレビ 2004年12月13日

自分が何者であるかを確かめるために海を渡ったものの物語である。

中田英寿

凝り固まった現状から抜け出そう、
希望の新たな未来への一歩

フィレンチェ 偉大なる才能を引き寄せた、 ルネサンス

思想美術文学、

世界に広がり文明の基礎を作った

自分の中に芯を持って、それをやりぬく人生を送りたい

カターニャ空港

世界に出て感じたこと考えたこと

一番面白いのも大事なことも人との出会い。世界中の人と知り合いになることは目標でもあり、楽しみでもある

ケニア、モスクワ、ドバイ

人一倍強い好奇心、見知らぬ世界に飛び込んでいく。

今だから、日本の国を知りたいと思う。文化も言葉も食事も。
全く知らなかったなと気づかされることが多い。

21歳でセリエAに移籍

世界中の中でも厳しいリーグだが、自分で選んだ好きな道だから苦しいとは思わない。

サッカーは芸術だ

芸術は世界の共通言語

国際人としての新たな一歩

最高のプレイヤーであるために惜しみない努力を続ける

ピッチ上の芸術家であるからこそ、現在の地位になれた。だからこそ、一切の妥協をしない。

サッカーとは?・・・・現時点では、いい結果が出せることは生活がうれしくなる。そういう気分になれる。現時点では一番自分の大きな部分。人生の中にはサッカー以外にもいろいろなことがあり、サッカーが人生のすべてではない。
メディアと一定の距離を置くようになった。自分を伝えることにも考えを持っている。

98年に自らのページを持った。自分の意見を、誰からも干渉されずに言える場が必要だ。
この世の中は情報が氾濫している。何が本当で何が嘘か。出来るだけ情報がしっかり伝わるものが重要。

自分がホストを勤めるテレビ番組もある。

休日、あるブティックにて。

服へのこだわり。自分の気に入った格好をしていると、気分が良くなる。自分にフィットしていない時は気分が良くない。誰かに見せるより、自分の気持ちを高めるために。

HEROである条件。 優雅さ、ダイナミックさ。

一期一会 人は出会う、森の緑、風のにおい、町のざわめき 

21歳の時はおぼこかった、言葉もつたなかった。髪形も見かけも。言葉も、中身も。
人間って6年で全く代わるな。イタリア語も話せるようになってるし。

ペルージャに行く道はけっこう、印象深い。

ペルージャには懐かしい家族が待っている。久々似合うイタリアの家族。
夫がなくなったときに、中田が来た。
かけがえのない存在、暗闇から抜け出す助けをしてくれた。困った時は、電話してくれたり、会いに来てくれたり、日本に連れて行ってくれたり。
かけがえのない家族と過ごす日々。

(本当にスゴイ人って、人を地位とか見せ掛けの肩書きとかで、接し方に差をつけないな。スゴイもんだぁ。心のそこから、思っている人には誰であれ、大切にするんだ。)

ジョルジオ・アルマーニ 70歳
自分でゼロからはじめてここまでなった。知識と経験があるのでそれを知るのが楽しみ、どういう考えを持っているのか。アジアのどこに影響を受けたのか。

人見知りでめったに取材を受けない
@ミラノ

家は東洋的な視点で作る。東洋に絵にはムーだがある。
6年イタリアに住んで、

想像力を必要とする、毎日の生活が重要
どのように自分が行きたいか。

一度自分の道を決めたら、その道を進むべきだ。

リスクはあるが、孤立することで、アイデンティティが確立する。

そうするには、自分が強くなければならない。初めは批判もされる。でも、最後には勝つ。

主義をつらぬき通せば最後には報われる。

フォンテベッキオ 美術館
15世紀のフィレン ヴぁさリー回廊 特別に許された人しか入れない。

ルネサンスは古いけど、僕にとっては新しい。

知らないということは可能性を狭めている。

瀬絵会で何を学んだか。
自分のやり方を貫き通す。自分の芯を持って、最後まで遣り通す人間でありたい。
首藤康之 37歳

舞台を見れば、僕自身がわかる。あえて、語る必要はない。

19歳で主役デビュー

21歳 モーリス。ベジャールの指名を受ける。

ボレロで世界に認められる。

ロンドン 東京バレー団を対談し、今年4月ロンドンへ。

成熟する人生そのものを表現したい。
来年2月にスワンレイクを上演。スワンと王子を演技した初めての人物

国境は大きなことではない。何かしたい場所へ行くだけ。

肉体を鍛え、精神を鍛え、自らの内なるものと対話する。
松坂大輔

2004年10月1日 イチローに世界が注目
世界最多安打258本ヒットの日

この日に使ったボールをイチローから松坂大輔に送った。

メジャーとは
回りが出来ないことを常に自分が一番最初にやってやろう。
世界とは何かを自分の互換で感じ取る日を。
渡辺謙
その大陸は人生をかけるに値する魅力に満ちている。
しかし、大陸には常に厳しい現実が待ち構えている。約束の大地 アメリカ

ラストサムライ
アカデミー賞のまばゆい光の中にいた。

ロサンゼルス 映画産業の華やかさと冷酷さを併せ持つ町

マコ岩松 半世紀も前に海を渡り、助演男優賞ノミネート パールハーバー、セブンイヤーズインチベット

映画の中に生活があるのか、生活の中に映画があるのか。

ガツーと来る言葉の積み重ね。それが人間を作る。

迷いの根源。映画制作に関わるジレンマ
→初めは言葉の問題。しかし、撮影が始まれば問題ないとわかった。映画語があると思った。

すべてを受け入れれば自然に表現できる

安藤忠雄 大阪

原点、大阪の下町、公園と夜空があった。

自然との付き合い方、命あるものとの、年齢が違う人との付き合い方を学んだ。

テキサス フォートワース美術館
近つ飛鳥美術館

日本人だから世界に認められた。日本人は美意識、自然と共に生きてきたから持っている美意識がある。

誰に対しても、何人いても、大阪弁で語りかける。

日本人としての誇りを持ち、発信してきた。

自分が向かおうとしていることが、間違っていないな。自分を信じれるか、その日をエストを尽くせるか。

日本を離れたからこそ、わかる日本の良さ。

夢を持てば、世界へのたびの始まり

頂にたどり着けば戻るところに気づき、

夢のたびを繰り返す。

Posted by takeshi at 11:29 PM | コメント (202) | トラックバック (0)|
尊敬する大学生
尊敬する大学生ってのは、キョウセラが出した「ツーカーS」っていう携帯電話を使っている人だな。

何ていったって、説明書がいらないくらい簡単な通話専用携帯ですよ。

通話しか出来ないんですよ。

もちろん、複数携帯電話を持っていて、一台がこの携帯の人は尊敬には値しない。

この、通話専用携帯のみ持っている大学生がいたらカッコイイな。

男らしい。

Posted by takeshi at 12:47 AM | コメント (4) | トラックバック (0)|
December 12, 2004
オレのどこが常軌を逸しているか
オレのことを変という人がいる。

行動や発想などそのアウトプットもだが、その思考過程もおかしいということがある。
いやー、なんとなく普通と違うかなとは思うけど、何が違うかがわからない。

別に、普通の思考法になりたいとはさらさら思っていないが。

何なのかが不思議だ。

僕の行動や発言の一部や、表面上のことをそのまま理解して、
変だといっている人も多いだろう。

しかし、けっこう僕の心を読まれて鋭い突込みを入れる人も、
僕のことを変だという。

どこが変なのか気になる。
やっぱ、誰か分析して欲しいなぁ。
社外取締役が欲しい。

運と勢いとノリは重要です。
それが出来ないなら、場の雰囲気を壊さないように、さらりとかわす術を覚えるべきです。

このブログは、ブランド物が好きな人や、
権威、知名度などに振り回される人は好きじゃないだろうな。
だって、僕はそんなことに興味はないし、好きじゃないから。
普通は、僕が嫌いな人は、
その相手も僕のことを嫌ってくれるはずである。

しかし、僕が好きな人は、
その相手も僕が隙とは限らない。

Posted by takeshi at 06:00 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 11, 2004
批判の感じ方と、価値基準
純粋に評価されてもうれしくない奴ですから。まあ、ほめられることがすべて嫌いかといえば、そうではない。心のそこからいってくれていれば別。しかし、心のそこからバカとか頭悪いことするなと言われると、いわれるほうがうれしい。何でかって、誰だって他人をほめるじゃん。いきなりけなすことはないでしょう。心のそこからバカって言えるってことは、お互い信頼しあっている証拠だと思うのですよ。だから、うれしいんだと思います。まあ、それと僕は天邪鬼なので、普通にほめられるよりもバカにされた方が好きです。

あと、批判もケッコウ言われるとありがたいです。だって、ぼろくそに言ってくれる人が少ない。ただ単に死ねとか言われても意味不明なところがありますが(まあ、そういう時は放置)、ちゃんとした理由をつけて言ってもらえると心のそこから感謝します。

僕は見た目を気にしない方なのでついつい髪の毛が伸びっぱなしになる時がある。そんな時に、髪の毛が長くて気持ち悪いと言ってもらえるとありがたい。本当に髪の毛のことなんて忘れていることが多いから。人間は、始めてあったら、見た目、話し方、そして考え方で判断するだろ、と言ってもらったりとかすると本当にありがたいです。
そういえば、僕は怒らないとよく言われる。怒らせてみたいとか、怒ったとこを見たいとも言われる。何でだろう。昔は怒らないように感情を押し殺したこともあった。その時は感情むき出しで生きたいと思ったが、最近は感情を押し殺すこともなくなった。別に何が起ころうと、まあ、そういうこともあるよ。そういうものの味方をする人もいるよぐらいで終わってしまう。そんなちっちゃなことでごちゃごちゃ言うなよ。言ってもしょうがないよぐらいの気持ち。

僕は判断基準として死なないジャンとか、インドの裏ロジより綺麗ジャンとか言ってしまう。すると、みんなから日本だから、それを引き合いに出すなといわれる。まあ、そうだ。ごもっとも。でも、もっと最悪な状況もあるわけで、それでも人間何とかやってこれるわけで、小さなことでごたごた言っても仕方がないと思ってしまう。判断基準が死なないってことになると、相当ものの見方が変わるよ。小さなことでうだうだ言わなくてもいいし、そもそも考えなくてよい。最も最悪なこと意外は特にいやな思いをしなくてもいい。むちゃくちゃ楽観主義ですよ。
Posted by takeshi at 01:27 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
本質的満足
僕は、いくら評価を受けても、いくら金を持っても本質的に満足しません。
これは、いいきれます。

天邪鬼ですから。

でも、なんで東京に出てきたかといえば、一回成功したいと思うから。
成功というか、満足するまで一発どかんとやってやりたい。
でも、コレでも満足できないことは知っている。
そう、高校の時から思って東京に来た。

ずーっと岐阜にいて地味に暮らしても満足行かなかったと思う。
一回東京に行き、どかーんとやって、それでも満足できないと、実感できてから田舎で自由気ままに好きなことをやっている。たぶんコレが僕の理想パターンなのです。

東京という過程があることで、満足できるのです。自分がそれを体験して、納得した上で田舎で待ったり過ごしているから。ずっと田舎だと東京への憧れをずっと引きずることになるから。

釈迦もそうだった。
生まれはリッチ、それを体験して、そんでもって、死ぬ寸前まで断食して修行した。でも、違うと悟って中庸、いい加減ということを言った。やっぱり、そこなんですよ。一度体験しないとその悟りというものは生まれないんですよね。

Posted by takeshi at 01:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ
憧れと、好きと、得意は違うんだなぁ。

好きと得意は違うっていうけど、これと憧れも混同しやすい気がする。

何かにあこがれる。
何かが好きである。
何かが得意である。

憧れは、こんなのいいなぁと思う。まあ、理想ってな感じでしょうか。自分がどうのこうのというよりも、自分は意外と客観的に見ている感じ。

好きは、純粋に好きなんですよ。それをやっていて楽しいとか。

得意ってのは、好き嫌いとかは別にして、他人と比べて得意であると。

僕はこんなイメージですね。

コレをついつい混同することがあります。
好きなことをやるのがいいのか、得意なことをやるのがいいのか、あこがれることをやるのがいいのか。

別に、どれでも良いんですけど、僕の場合はあこがれるものをやって、でもそれは自分にむいてなかったと気がつき、得意なことをやってある程度の評価を受けれたら、それでは満足いかず好きなことをやるという感じっぽいな。

はて、はて、自分の価値基準はどこにあるのかってこと。

BGMはまだハナミズキ ひととようです 飽きないです。

Posted by takeshi at 01:05 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
December 09, 2004
なにがオンリーワンだよ
なにがオンリーワンだよ

何が、オンリーワンだよ。

ナンバーワンだよ。

ナンバーワンのところにはナンバーワンの奴が集まるんだよ。

だから、ナンバーワンはナンバーワンたりえるだよ。

勝負に妥協はいらないんだよ。

何でも一番とって来るんだよ。

とってこいよ、一番。

言い訳なんかして、負けてかえってくんなよ。俺。

攻めて、攻めて、突っ込んでこいよ。

へたなかっこつけづに。ダメなら大破すればいいんだよ。

自分へのメッセージでした。
別に、オンリーワンになってナンバーワンになればいいんですよ。
それと、僕がいつも言う発言には「今、僕が~~~と思う。」が省略されています。

Posted by takeshi at 10:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
Serendipity
セレンディピティ
「serendipity」
ser・en・dip・i・ty[srndpti]

〔名〕〔U〕《文》ものをうまく発見する能力,掘り出しじょうず;幸運な発見;〔C〕《-ties》運よく見つけたもの[Horace Walpoleがペルシアの寓話The Three Princes of Serendip(Ceylonの旧称)(1754)の主人公たちのもつ能力から造語]
プログレッシブ英和中辞典第3版

ああ、辞書って使えない。辞書なんて本当に意味を成さない。もっと微妙な感覚が伝わってこない。例えば、「赤」って辞書で調べても、全然意味分からないでしょ。辞書に書いてあることと、そしてそこから伝わってくることと、僕たちが日常その意味をどう捉えてるかって全く違うんです。だから、辞書を引っ張り出してきて、「赤」とはこういう意味だ。だから、お前の言っていることはどうのこうのって言っても話がずれまくりな訳ですよ。言葉って、もっとナイーブなものなんですからねー。知らない言葉に関しては辞書を鵜呑みにする傾向があるけれど、(まあ、これは仕方ないかもしれないけど)実は、普段使っている言葉のイメージと辞書の説明は全然違う。これは知らなかった単語も一緒なんですよね。だから、知らない単語の意味を辞書どおり鵜呑みにするのはどうかなと。

例えば、
「赤」
色の名。三原色の一つで、新鮮な血のような色。また、その系統に属する緋(ひ)・紅・朱・茶・桃色などの総称。

って、そんなことがいいたいわけではなく、セレンディピティというニュアンスがまだ分からない。インターネットはインターネットでしかないように、セレンディピティはセレンディピティでしかないようなイメージが僕にはない。(こう、なると専門家病になり、基本を忘れてしまう傾向にあることも忘れてはいけないのだけれど。)

で、今日、セレンディピティの話だった。

セレンディピティはまだ、その概念が全然つかめない。偶然幸運と遭遇する能力(性質・行動)ってな感じでしか捉えられていない。

セレンディピティは心にゆとりがないと気が付かないと思うし、関係ないもの・価値のないものなどを受け入れるような行動を日々とっていないといけないと思うし、さまざまな経験を通して直感を磨かないといけないと思う。そんでもって、物事がどうなるか先のこをイメージしてないとセレンディピティはおこらないと思う。

その直感がセレンディピティの能力なのであろうか?とか思ってみたり。じゃあ、その能力ってどうやって付くかというと、日々の経験の質と量な訳でしょ。さまざまな質の経験を多くするということは、そういう経験をしようと思う性格だったり、新たなことをしようとする行動パターンがもととなるわけじゃないのかと思ってみたり。結局わからない。(特定のことを集中的にやってもその分野のセレンディピティは磨かれるだろう)

なんか、結局日々の生活スタイル、行動の指針が大きな要因だと思うのだが、なんかしっくりこない。
もうちょっと、いろいろ考えるとするか。
僕にとっては木曜日が一番楽しい。待ち遠しい日だ。
なぜかっていわれても困るが、何か楽しい。そこにいる人たちが、いいのだ。
いいってなんだって話だけど、心が綺麗な人ばかりで僕の心も綺麗になるからだ。
今年は、芸大も残すところ一回だと思うと非常に寂しい。
BGMはいつものように ハナミズキ ひととよう

Posted by takeshi at 10:03 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
評価
人からの評価ってもうはいかにいいかげんか。
自分の他人に対する評価もいかにいい加減なものか。

例えば、僕が他人からどう見られているか。

おとなしいと見る人も、自分勝手と見る人も、バカと見る人も、口だけと見る人も、いつも常識はずれなこというなと思っている人も、うるさすぎると見る人もいろいろいるだろう。

たしかに、場所によってキャラクターが違うと思うから。別に装っているというわけではなく、自分が知らないことがおおい内容に関するコミュニティだったらいろいろ聞きたくなる。しかし、自分が知っていることだったらついつい話したくなる。そんなもんだ。ということで、コミュニティによって印象は違ってくる。

新しいコミュニティに属して、僕という人間がそのコミュニティの人たちに「ああ、あんな奴だ」と思われたとする。その印象はケッコウ深くその印象をベースにして接しられる。しかし、何か僕がしたとする。その行動は僕にとってはたいしたことなかった。しかし、それを受け止める人には大きな印象の変化を与えた。すると、僕の評価は一気に変わる。

僕がその行動をしたのは、突拍子もないことでもない。自分の普段の生活の延長線上でごく普通なこと。その行動の前後で、僕という人間が劇的に代わったわけでもない。でも、他人からの評価は劇的に変わる。

いたって、当たり前すぎる。日常いくらでも起こることだ。そして、コレを踏まえてみんな生活をして、自分を演出したりする人もいる。あえて、バカっぽい態度をとって後に知的な部分を見せそのギャップで他人にスゴイと印象を与えたり、初めからいかにもいろいろなことを知っていて博学な人なイメージでアピールしてくる人。

別にどうでもいいんだけど、自分の他人に対する評価はいい加減だなと。こうと決め付けずに、いろいろな角度から周りの人を見たい。そして、いいところを見つけて、他人を尊敬して付き合っていけば、相手も気持ちい気分だろうし、自分も幸せになれるんだろうな。と、当たり前のことを、当たり前のように感じました。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G – Everytime I Close My Eye
    掌 ミスチル

Posted by takeshi at 09:50 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
やっぱり感じ方が違う
今日は、Creative MuVo TX FM (512MB) で音楽を聴きながら、町へ出かけました。

町っておっさんくさいな。

まあ、いいや。六本木と上野です。

やっぱ、音楽を聴きながら街を見ると町の見え方が違う。
初めからそう思っていたからかも知れないけど、違う気がした。

なんか、町が広がって見えた。

これは聞いている曲によっても違うんだろうけど、町が広く感じた。

どうやって言えばいいかわからないけど。
まあ、いいや。

BGM Mariah Carey, Baby Face & Kenny G – Everytime I Close My Eye

Posted by takeshi at 09:27 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 08, 2004
人間の興味
人間の興味って、はかないねー。

歌の大辞典を見ていて思ったんだけど、昔の音楽が流れる。
ケッコウ知っているんです、中学ぐらいの歌でしょう。あの頃は、邦楽の売れ筋をよく聞いていましたから。

でも、今はやっている歌はほとんど分からないんですよ。どっかで聞いたことあるかなぐらい。

知らないのは、ただ単に興味がないから注目していない、よって耳に入ってこない。正確には聞こうと思わない。別に、どうでもいい。(まあ、そこまでではないが。)

これって、単純に興味がなくなっただけなんですよね。人間の脳でチョコット何かが変わっただけのはずなんです。興味ってすげーな。ただそれだけなんだけど、それが人間の行動の原点なんだろうな。

こういう、すぐ移り変わる興味もあるけど、半永久的な興味もあるよな。そこの違いは何だろう。

BGM 糸 中島みゆき

Posted by takeshi at 08:51 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
何年越しだろう、ついに買いました
ついに、買いました。

多分、ずっと昔から欲しいといっていました。ボイスレコーダー。
大学1年の頃は確実に言っていたな。

もっとさかのぼれば、中学の頃から欲しいといっていた。でも、この時はもっと原始的なテープのボイスレコーダーだった気がする。

なぜ欲しいかって、声を録音したいからですよ。それも自分の声を取るためですよ。こういうと、変な奴だなぁ。
自分が話していて、メモって取れないじゃないですか。でも、今まで考えていなかったようなアイディアが人と話していると出てくる時がある。これもったいない。ということで、ボイスレコーダーがほしかったのです。

録音しても聞かないという問題があると思いきや、違うんです。多分僕は聞きます。会議などで録音した後の、帰りの電車で聞きます。たぶん。

買った理由はいくつか。1万円のJCBギフトカードがあった。最近、自分の発した言葉を何度も聞き直したいと思う機会が多かった。ウォークマンとかを使わない人なので、たまには音楽を外で聴くのもいいかなと。音を聞きながら社会を見ると、見る視点が変わるから。その他にもいろいろと理由はあります。

一言で言えば、「日常の些細な一言が、人生を作る」ということです。

もちろん、MP3プレイヤー、FMラジオ、USB接続でデータストレージ。できます。便利です。512M。

値段がなんと、11,800円です。安すぎです。カカクコムの最低価格より2000円安いです。さらに、1万円はJCBギフトカードです。たまりませぬ。

これは、何かほかに面白い使い方が出来そうだ。
外国では、本の朗読をネットで落として聞くのがはやっているらしい。ニュースとかも使えるな。
USBでさしておくだけで、一定の時刻になると最新ニュースをMP3プレイヤーに自動ダウンロードしてくれるソフトないかな。するとかなり便利なんだけど。

 

BGM まだ ハナミズキ 一日で60回連続で聞きました。。。

Posted by takeshi at 06:20 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
火花が飛ぶ
真っ暗なところで、目をたたく。

すると、目の前に火花が飛んだ感じがする。
感じではなく、確実に光が見える。

フラッシュがたかれたような感じで。

真っ暗だから見えないはず。
なぜだ。

脳が認識しているのか?

脳で見ているのに、目が見ている感じになるのはなぜだろう。
目の部分でものが見えている感じになるということ。それはなぜか。
不思議だ。

BBCワールドで日本の自殺サイトについてやっていた。
インタビューとかも。
そんなものが、報道されるのかよ。
へー、ということはイギリスにはそういうサイトがないのだろうな。
多分、世界中探してもまれだからニュースになるんだよな。

Posted by takeshi at 03:24 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自分の好きな作家がどうとかこうとか
自分の好きな作家がどうとかこうとか、いう人がいる。

僕は、昔あまり本を読まなかった。
あまりというか、全く読まなかった。

ので、その感覚が分からなかったが、最近分かる。
この人の文章いいなと感じる。

ああ、この人の文章いいなと。読みやすいってのもかなり感じる。

大前研一さんとか、重松清とか茂木さんとか角田光代さんとか。

ブログを呼んでいてもそれを実感する。

Posted by takeshi at 03:16 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
なるようにしかならないのだが、なるようにはならないということ

何を言いたいかというと、世の中のすべての事象はなるようにしかならない。

しかし、世の中のすべての事象はなるようにならないのです。

そう思うのです。
Posted by takeshi at 02:32 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
December 07, 2004
ふたご座流星群と星の思い出
2004年ふたござ流星群を眺めようキャンペーンをやっているらしい。13日の深夜に見れるらしいです。僕も見てみよう。理想的には光が多くないところへ行ってみたいな。

そういえば、今年はまともな星を見ていない。富士山で見たが、驚くような星の数ではなかった。多分、満月に近かったからかも。インド行きの飛行機からも見えなかったし。

そんなことを考えていると、星にまつわる思い出が頭を掠めました。

星といえば、小学校5年ぐらいにフェリーで九州に行った時が一番最初の星との出会いだ。それまでも、星を見たことはあった。そりゃそうだ。でも、この時、本当の星を少し知った気がする。

その時は九州へフェリーで大阪から行ったのです。大阪を夜の7時とかに出た気がする。そして、瀬戸内海をフェリーで進んでいったのです。夕食も食べ終わり、フェリーの甲板にでて空を見上げると、そこは星が一面に広がっていた。首をグルットまわしても遮るものはなにもない。ただ、星があるだけ。あの時の驚きは忘れられない。世の中にこんなにも星があるのだと知った。まさにそう実感したのだ。

小学校で配られた星座版。これ、皆さん覚えていますか?時間と場所、季節などをぐるぐる回しながら調整すると、その時見える星が表示されるものです。学校でもらってぐるぐる回しながら、家で夜空を見ながら試した。でも、そんなにも星なんてなかった。星なんて見えなかった。

そんな矢先に、瀬戸内海のど真ん中から、夜空を見上げると星しか見えない。世の中にはこんなにも星があるのだと。少年の日の強烈な思い出です。その時、親と一緒に旅行していたら、また感じ方が違ったかもしれないけど、子どもだけだったから余計何か深い思い出なのかもしれない。かわいい子には旅をさせよ。ってことかな。
あと、記憶に残っているのは「流星群」を家から見たことかな。たまに何十年に一度の流星群というニュースがある。まさに、その時見たものだ。いつだったかは忘れたが、ちょっと寒かった記憶がある。

夜、風呂から出て寝る前にベランダに出てみた記憶がある。流れ星を見た。まさに、この時が初めての流れ星だったと思う。流れ星自体は一瞬で流れ去ってしまったのだった。この時の記憶は流れ星というよりも、家族で見たなぁという記憶が残っています。寒い時期だったのに、今となっては暖かい記憶の一つ。
上のと似ているけど、自分の部屋からボーっと見た星空。僕の部屋は大きな窓がある。ベッドでねっころがるとちょうど空が見えるのだ。カーテンを開けて寝ていた僕はよく星空を見ていた。たまに、窓を開けて見ていたこともあった。なんか、将来のことを他人事のように、どうなるのだろうと考えた記憶がある。不安と共に夢を見ていた。時は流れているのだなぁとか感じていた。あの岐阜の空はなんか気持ちよかった。

そういえば、日吉のころはたまに夜空を見ていた。しかし、今の家は星を見るには適していない。これは、大きな問題だなぁと思う。次の家の時は空が見やすいかも大きなポイントだな。どうせ、仕事が忙しかったら夜しか家にいない。となると夜空を見るというのは安らぎの時間だから。
あと、忘れられないのは飛行機から見た星。飛行機から見た星空は綺麗だ。本当に星しかない。あれを見たときも驚いた。

普通に窓から見ても大して見れないが、機内の電気が消えてから、毛布とかクッションで機内の光をさえぎり、窓から空を見る。はたから見たら怪しい。毛布を頭からかぶって窓にしがみついて外を見ている。でも、これがすごく綺麗に星が見えるのです。たまらんのです。スペインへ行った時はこうして何時間も見ていた気がする。何も考えず、というか脳が止まった感じ、空の闇に脳が覆われて、ただただ見入っていた。

そして思うのが、コックピットから星を見たい。180度パノラマで星が見えるのを想像するだけでワクワクする。でも、9・11以降コックピットには入れない。じゃあ自家用ジェットをみんなで借りればコックピットには入れるのでは?と思うのです。みんなで割り勘して、コックピットから夜空を見る。多分綺麗だろうな。これって実際可能なのだろうか?そして可能ならいくらで出来るのだろう?
コレを書いていて思ったのが、僕の人生の転機になった場所を大学卒業する前に再度訪れようと思う。行けそうで思い出に残っているところを2,3ピックアップして。理想的には、季節とか、昔一緒に行った人だとかもできるだけリアルに再現したい。そして、昔の自分、今の自分、将来の自分を見てみたい。

BGM ハナミズキ 一青窈 これけっこういいです。

Posted by takeshi at 10:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
おいらの社外取締役 募集 完全版
あのですね、おいらの社外取締役を募集いたします。

なんだ、お前意味分からないって話なので、少し説明。

僕は、僕が自分の脳で考えて、僕が行動しているわけです。このことを、自分という人間を一つの会社にたとえて、自分は自分のCEOであると表現される時があります。

僕もそう思うわけですが、自分というのはCEO兼執行役員であると思うわけです。CEOとして方向性を決め、執行役員として実行すると。でね、人間にも外部の取締役もいた方が良いじゃん、と思ったわけです。僕はメンターと社会一般で言われるような人のことを社外取締役と言っています。

何でかって、自分では浮かれてしまい地に足が付いていない時がある。でも、こういう時って自分では気がつかない。はたから見ると、すぐ気がつくことがある。人生運と勢いとノリが重要だと思っていますが、そういうこととは違う話で、外部からの客観的な視点が欲しいと思ったのです。

会社などでは、上司や同僚でメンター制度をやっているところもあると思いますが、それとは違った視点で見てくれるメンター(社外取締役)がいると良いと考えたのです。さらに、普通の友達とはまた違った感じなのです。

社外取締役なので、複数であっても良いのです。期間も短くやってもらっても長くやってもらってもOKです。

お互いがお互いの社外取締役(メンター)になるという感じです。

3ヶ月とか半年に一回ぐらいあって話す感じで。

タイムスケジュールで内容を話すと、

世間話、雑談(15分)
お互いに近況を語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)
将来について語る、そしてアドバイスをしあう(30分×2人)

その後、飲みに行くのもありです。その際はメモとかICレコーダーなんかで内容を記録すると良いと思われます。頭をフル回転させた後の、酒が入りリラックスした時には今までにないアイデアが出る可能性があるからです。

条件:頻繁に会っていない
    お互いに尊敬できる、信頼できる
    口が堅い(秘密厳守)

ああ、自分もこういったメンターが欲しいと思う方や、興味がある方はメールいただけるとうれしいです。

これは、たまに会う友達だったり、キャリアアドバイザーだったり、ヘッドハンターだったりするんですか?

Posted by takeshi at 08:52 PM | コメント (1) | トラックバック (1)|
December 06, 2004
俺ってなんて単純なんだろう
僕は単純です。

というか、精神年齢が成長していないです。
特に、感情面が幼稚園児と変わりません。

猛烈に良いと思ったら、いいし、
なんでも気になります。生きていると気になることだらけです。

なぜなんだ。なぜなんだ答えなんてなくても、なぜなんだと妄想します。

でも、体系立てて勉強しないところが悪いところです。
Posted by takeshi at 10:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

先日スゴイ風邪だった、らしい。

で、昨日、夜家に帰った。そしてテレビをつける。
が、映らない。NHKもフジもTBSも日テレも何もかも映らない。

ああ、風でアンテナがやられたのだろうか。と思った。
それで、コードを抜いて人間アンテナ。

何でそこまでするかって、情熱大陸と世界遺産が見たかったから。
平日なら、放置だったんだけど、情熱大陸と世界遺産のために、人間アンテナ。

金属の部分を手で握ったり、頭につけてみたり、金属をつけてみたり、コードを伸ばしてみたりといろいろ実験。

頭に当てると比較的綺麗に写った。骨の骨格がアンテナになったのか?いや、違うのか?よく分からない。ケーブルの芯みたいなの指で触っても比較的綺麗に写った。

そんな、実験結果です。

今日帰宅してテレビをつけたら普通に映りました。やっぱり、風のせいだったんだな。

台風とかニュース性のあるものだと気をつけるけど、ただの風だけだとニュースにもなりにくいし、台風の風でなければたいしたことないという固定観念がある。でも、台風よりも風は強かったんですよね。名前で気にするのではなく、その起こる現象を冷静に見極めたいものです。

そんな男に私はなりたい。
あ、漢だった。

Posted by takeshi at 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ああ、
エントリーが増えすぎて、整理しないと不便になってきた。

なんか、カテゴリーとか分かりにくいし。

カテゴリーを整理して、良いエントリーをいくつかピックアップしてリンクを別で貼ってみたりしようかな。

あと、写真も整理しておこうかな。

あとあと、便利だから。

Posted by takeshi at 02:37 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 05, 2004
やっぱ、ウユニだろう
今年の7月にも書いたけど、ウユニですよ。ウユニ。

ボリビアのウユニ塩湖ってとこなんだけど、ここがすごすぎるんです。
もうたまらんのです。

他にも、ものすっごいところがあるだろうけど、とりあえずボリビアのウユニへ行きたいですな。

昨日世界不思議発見でやっていて、あらためて思いました。

ボリビアのついでに、マチュピチュもいけるしなー。

Posted by takeshi at 11:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 04, 2004
見るって何だろう。猛烈に疑問
ああ、見るって何だろうね。完全に真っ暗にしたところだと何も見えないはず。しかし、何回かいったことある場所なら、何がおいてあるかとか想像が付く。それで、ものの輪郭とかが想像できる。すると、なにやら輪郭が見えるような錯覚に陥る。でも、見えていないはず。

あれ、人間って目から情報を入れて、脳で認識している(見ている)なら、人間が想像する時に目で見たときのように、はっきりとカラフルに想像できても(見えても)良いわけだ。目で見ていると言いながら脳で見ているということ。とすると、真っ暗だと何で見えない(想像できない)んだ?人間の想像力が弱いからか?脳の働く場所が違うのか?

いや、違うぞ。夜見る夢はカラフルだぞ。ほとんど目で見るのと変わらないぞ。ということは人間の脳にはカラフルで立体的に想像する能力がある。じゃあ、なんで真っ暗な場所(目を閉じている)だと、想像でものを描けないのか?

目を閉じて、真っ暗なところで、さらに起きている時にカラフルで立体的にものを見る(想像する)ことが出来ても良いはずじゃないか。

分からない。気になる。

Posted by takeshi at 02:52 AM | コメント (6) | トラックバック (0)|
アウラ
アウラという意味が正確にはどんな意味かはまだ分かっていない。
でも、授業の流れからすると一度だけ現れて消えてしまうもの。って感じかな。

文脈は繰り返さない。

その場はその場でしかない。

時は過ぎるということなんでしょうか。

僕は思うんですけど、アウラだからこそ「思い出」という言葉があるのだと思います。

「アウラ」出なければ思い出なんて生まれない。

その時、その場所で、その空気でしか味わえない何かがあるから、それを懐かしく思い、良い思いでとして、たまには苦い思い出として残るのだろう。

アウラじゃなければ、またその感覚を味わえるので思い出なんてないだろう。

なにか、あの初めて見た衝撃とか、はっっと気がついた瞬間はその時しか絶対感じられない感覚なのだ。

人間の気持ちとか感情ってのは人間自体を作り上げているといっても良い。見ることも、感じ方も。

Posted by takeshi at 02:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
心境にあった音楽を
ちょいと、長い文章をテキストで読んでいる。
まるまる本一冊分ぐらい。

その本を読んで考えることがあるのですが、その考えることはじっくりと考えたい内容。ぱーっと明るくという感じではない。

それとは別に、PCでテキストを読みながらヘッドフォンで音楽を聴いている。僕のiTunesにはありとあらゆる音楽が入っている。だからランダムに流れてくる音楽はばらばら。明るい曲も暗い曲も。洋楽も邦楽も。

さっき書いたように、本の内容はじっくり考える系であまり明るくぱっーと、という感じではない。なんか、ヘッドフォンで脳波を読み取って考えていることにあった曲を選択してくれるとありがたい。それじゃなくても、状況にあった音楽が流れないかな。

ミュージックリストみたいなのを作れば良いんですよね。それ以外の方法でないかなぁ。

Posted by takeshi at 01:54 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
謙虚になる
かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
自分というものが人間として最もかっこ悪いと感じました。実際に生きるという行動が美しくない。決して派手でなくてもいいんだけど、美しい生き方をしようと思います。

僕の場合、人間の生きる軸となるものが醜いです。悔い改めます。
謙虚に生きようともいます。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。
人生を本気で生きるということです。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番心踊る時です。

地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

Posted by takeshi at 01:13 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
虚心坦懐に
謙虚に生きようともいます。

真っ向勝負ということです。
下手な格好をつけても意味がないと思います。

あるがままの自分で、等身大の自分を丸ごとぶつけようと思います。

今のありのままの自分を謙虚に受け止めようと思います。

足らない能力、多少ある能力。

自らを律します。

自分の心に正直に素直に生きようと思います。

何のわだかまりもなく、素直な心で物事を取り組もうと思います。

「他山の石」この言葉を人生の指針とします。

ちょうしこきません。

未熟者です、何も分かっちゃいません、死ぬまでたっても何も分からないかもしれません。でも決してあきらめるということではないです。

かっこ悪い男です。もっと美しく生きようと思います。
われわれは平等ではないし、平等ではあり得ないことを、僕は知っている。しかしぼくは、尊敬を受けるためにいわゆる下層民から遠ざかる必要があると信じている人間は、負けることを恐れて敵に姿を隠す卑怯者と同様に非難に値すると思う。 「若きヴェルテルの悩み」より
「無人島に一つだけ持っていくとしたら何か?」という質問に対して、
自分は「人」と答えるような人間です。

僕はスマートな人間じゃありません。
泥臭い人間です。
そんな我武者羅で無我夢中で何もかも忘れ没頭している時が一番楽しいです。
地道に一歩一歩、歩んで生きてゆきたいと思います。

休むことは錆付くことだ エジソン

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
生まれることも、死ぬことも、また無常ということ。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし

世の中にある人の栖と、またかくのごとし

「方丈記」

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらはす

おおごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

「平家物語」

この二つが、美しく感じるのです。

Posted by takeshi at 12:31 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
December 02, 2004
たぶん、ちょいと違うんですが
上野駅の甘い臭い 公園口の近くでシュークリームを売っている。その店から漂ってくるあの匂い。甘くて、焼きたての香ばしいにおい。たまりません。これが上野のにおいです。多分一般的なイメージと違いそう。

マルエツ途中の家庭の臭い 

土曜日の午後の臭い、これは焼きそばのソースのにおいだ。
はたして、本当に焼きそばのソースのにおいか知らないけど、このにおいがする家の前を通った時、小学生の頃土曜日の昼間に学校が終わって帰ったときのことを思い出す。家に変えると焼きそばがあった。あのにおいというものは土曜日の昼という記憶をよみがえらせる。

 森の木の臭い 臭いからイメージする
Posted by takeshi at 10:34 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
独り言が多い理由が分かった。
脳で考える、その考え方。
それが独り言が多いかどうかを決める。
まあ、自分で何かを考える時にどうやって考えるかなってことです。

上野公園を歩いていてふと思いました。僕は、何かを考える時、話し言葉で考える。「これって何でだ?○○だからかな。なんで、いや、違うぞ。それは。じゃ、なんでだろう?」と、一人二役を演じて考えている。脳で考える時、会話形式で掛け合いをしながら考えを進めるタイプだ。

で、考えてみると僕は話しながら考えるタイプだ。この場合は他人と話しながら考えるタイプであるということだ。人と話している過程を通して、自分でも考え、自分の考えを膨らましていく。

話して考えるタイプ、書きながら考えるタイプなどいろいろなタイプがあると思う。僕が人と話して考えるタイプなのは自分ひとりで考える時も会話形式で考えるからかなと思った。

だから、独り言も多いのかなと思った。自分の脳で話しながら考える、だからそれが声に出てしまって独り言になる。こういうことではないか。

多分、話しながら考える人は文章も口語的になり、いわゆる硬い文章は書けないんじゃないかな。反対に、脳で考える時も書く感じで考える人はいわゆる硬い文章を書ける。書いてしまう。ということではなかろうか。

人間が考える場合どのように考えているのかは、その人しか分からないわけでなんともいえない。だが、それだからこそ、そこに面白みがあるのではないか。自分の脳でも話しながら考えるということを突き詰めれば、何か面白い発見がありそうな気がする。そんな感じが今の僕にはある。

Posted by takeshi at 10:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ことば
言葉って難しいですね。
何が難しいかって、特定の単語でも人それぞれまったく違ったイメージを持っている。

それを共有するって難しいな。たぶん、無理だな。
人によっても違うし、同じ人でも状況や周りの環境、いった人、抑揚によっても変わるし。年取れば同じ単語でも感じ方は変わるし。

定義をする云々という問題を通り越してることなんだと思う。

まあ、社会ではそんなこと言っていても始まらないので、殺伐と細かいことは忘れて生きていくしかないのでしょうが。

Posted by takeshi at 02:24 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
一年後なんて分からないですからっ
僕は一年後何をしているかは知らない。
当たり前だ、何度も書いているが、

僕という人間は、どうにでもなる。

人の予想を裏切るのがすき、天邪鬼です。

何をやっているか想像付かないらしい。

でも、先がどうなるかをいろいろな要素を踏まえて考えることは重要だ。

Posted by takeshi at 02:10 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
バカを装う
バカを装える人は頭が良い。
その人の本質を見抜くのが難しい。
バカを装い自分を下の立場に思わせ、その時に相手を見抜く。そんな作業をしている人が多い。

戦略的だな。
人の話を聞いていると、自分もいろいろな経験をしてきたのだなと気がついた。もっと、経験している人はいくらでもいるんだけど。

Posted by takeshi at 01:59 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
あれば食う
単純だ、目の前にあれば食べる。

正確には調理せずに食べられるものが手に取るところにあれば、ある分だけ食べる。
なければ食べない。

単純だ。

でも、こうでない人もいるらしい。

まあ、あれば食うって健康に悪いことでもあるんですけどね。

それに、一口がでかいらしい。全く気がついていなかった。たぶん今まで僕が生きてきたコミュニティの人は一口がでかいから気にならなかったのか、俺がどんくさくて気がつかなかったのか。

食べるのが早くて、食べる量が多いとは知っていたのだが。
まあ、すなわち、一口がでかいということを言っているのだと思った。

でも、そこまで考えていなかったってことだな。
バカだな俺。

Posted by takeshi at 01:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|

2004-11

http://www.teratown.com/blog/archives/2004_11.html  

November 29, 2004
写真
綺麗な写真を見ることが好きです。

その対象物は、山だったり空だったり海だったり、基本的に自然の写真です。

今日、なんとなく天空の旅人というサイトに行き着いて、あらためて写真の美しさに感動。
自分でも綺麗な写真がとりたくなりました。

そのためには一眼レフカメラをもってどっかいく、コレでしょうな。

実は、お気に入りが増えすぎてパンクしているので、自分のためのリンク確認エントリーでした。

好きなサイト

天空の旅人(ココのギャラリー)
たびそら(以前写真展に行きました)
花もて語れ(SFCの学生さんみたい)
Wandering the world(壁紙のコーナーにあります)

Posted by takeshi at 05:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 28, 2004
朝焼け 
日の出、日の入り見たことない 小中学生がケッコウいるらしい。
自分も振り返ると、なかったわけではないがあっても数回だな。その数回がないんだろうけど。

ちょいまて、日の入りも見たことないのか?これ本当か?

まあ、調査結果の信憑性はほかっといて、あの太陽ってやつはなんてくせモンなんだろうね。
いやあ、本当に思うよ。

太陽って奴はどこまでも人間をひきつけるのだろうか。

朝の太陽の神々しさと、夕日の淋しさ。

あの感覚を小さい頃に味わえるってものすごいことだよ。その思いでは、まさに一生の宝ものですよ。

思い出に残っている、日の出と日の入り。

日の出

今年の夏に登った富士山の頂上から見た日の出だな。すさまじかったよ。本当に。あれを見なかったら日本人としてだいぶ損をしてるぞ。そのときの写真はここそれに関するエントリーは大量にある。ここ、とか、こことか。

日の入り

フェリーでモロッコへ行くときに見たのかな。あの時の不安と沈む太陽が心と目に焼きついている。
大西洋に沈む夕日(2003/09/10)
関係ないが、国立科学博物館と、日本科学未来間に行きたい。けっこう猛烈に行きたい。よし、行こう。
日の出、日の入り見たことない 小中学生の過半数 乏しい自然体験

「親が連れ出して」
 自然体験の調査に、「生まれてから一度も日の出、日の入りを見たことがない」と答えた小・中学生が過半数にのぼることが、川村学園女子大の斎藤哲瑯教授(教育社会学)の調査で分かった。「海や川で魚釣りをした」「身長よりも高い木に登った」ことのない子供も四割強。いずれも前回調査(平成十二年)より未経験者が増え、過去最多。斎藤教授は「親が自然の中に子供を引っ張り出さなければ、太陽の動きを追う経験もできない」と危惧(きぐ)を抱いている。
 調査は今年六月、関東・東北の小中学生三千二百八十八人を対象に実施。その結果、日の出や日の入りを見たことがない子供が、市部の子供で52・6%、郡部でも45・9%にのぼった。
 ほかにも「木の実や野草をとって食べたことがない」子供は市部で60・7%、郡部でも49・4%▽「わき水を飲んだことがない」子供は市部55・3%、郡部48・8%-など、自然体験の貧困さが目立つ。
 体験の貧困さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない」49・8%▽「自分の服を洗濯したり干したことがない」43・6%▽「包丁やナイフで果物の皮をむいたことがない」21・5%-と続く。
 年齢の違う人と触れ合う機会がなかったり、お手伝いもしないなど、衣食住すべてで日常体験が不足している、今の子供像が浮き彫りになった。
 一方で、自然体験が多い子供は、生活経験も豊かな上に「家にいるのが楽しい」「学校が楽しい」と答える割合が高い傾向にあり、多様な経験と生活の満足度に関連性が見られるという。
 斎藤教授は「旅行やキャンプといった“行事”ではなく、日常の中でちょっとした自然現象に目を配ることが大切。生活体験についても同様で、お手伝いをさせたり、地域の人と触れ合ったりして、日常の中で経験できるよう、親が配慮すべきだ」と訴えている。
(産経新聞) – 11月28日2時44分更新
Posted by takeshi at 04:20 PM | コメント (208) | トラックバック (0)|
友達と出来事
たまに、友達と出来事で自分の人生を振り返ることがある。

そして、つくづく思うことがある。
僕は仲間に本当に恵まれていた。
仲間に育ててもらった。感謝の念でいっぱいである。

そして、要所でいろいろな出来事が起こったり、自らやったり。
その出来事を通しても学ばせてもらった。

それで思うことは、本当にやりたいことは、実はすべてやっている。ああ、これいいなぁレベルのことはやっていないことがたくさんある。これは、その時意識的にとった行為ではないと思う。結果的に本当にやりたいことは、自然に体が動いてやっていた。自分の意識の外でも、本当にやりたいことのためにさまざまな基礎を固めていたりした。と思う。人間とはこういうものなのかとも思う。

過去を美化しているだけなのかもしれないが。

Posted by takeshi at 08:26 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
November 27, 2004
広告
タニタという会社のヘルスメーターの広告が面白かった。

なんと、電車の床に実寸大のヘルスメーターの広告があるのだ。
ケッコウインパクトあるよな。

体重が量れるはずないけど、体重をみんなの前で量るのがいやな人はなんとなく広告の上に乗るのはいやなんだろうな。

Posted by takeshi at 12:07 AM | コメント (187) | トラックバック (0)|
November 26, 2004
バルセロナでの日々を思い出す。
あ、NHK教育で 世界美術館紀行 「スペイン・奇才ダリの不思議な愛の迷宮」

をやっていた。で、見た。

マドリッドのソフィア王妃美術館で見たダリの絵を思い出した。ピカソとかミロとかダリとか置いてあった。僕は、絵の分類も知らなければ、技法も知らない、歴史的背景も知らない。ただ見るだけだ。それが、果たして良いのか悪いのかは知らない。でも、まあ、今まで見たものはそういったことナシに見たことだけは事実である。

で、ダリを見て、その時の日記と写真を見た。こんなこと書いてたんだと思う。(ちなみに、海外へ行ったら大学ノート一冊は日記書きます。)ソフィア王妃ではミロの絵が一番好きだった。プラド美術館はでかすぎて疲れた。

ああ、一番スペインで好きなのはガウディの「カサバトリョ」と「グエル公園」です。グエル公園からサグラダファミリアを見たときは泣きそうになりました。

テレビの「おまけ」のコーナーとか言って、レストラン紹介してる。実に懐かしい。カタルーニャの海の幸とかいって、マジで食いたくなった。ああー、バルセロナで食ったあの飯がー、食いたい。

僕が今まで行った中で1年とか、それ以上のスパンで住んでも良いと思う町はバルセロナとイスタンブールです。
スペイン好きの人いないですか?特にバルセロナ。いたら、思い出を語らいたいもんです。

Posted by takeshi at 10:32 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
僕の人生と、親友と
僕の人生と、親友と

僕のことを一回でも心にとめてくれたひと
あなたのその心で僕は今の僕となれました
難しいこと抜きにして、心のそこから 
ありがとう

 

やりたいように、やりたいだけやってこいよ。
自分の聴きたい音を自分で奏でられるまで。
そして、お前のあの笑顔を、楽しみにしている。

俺も、そうするから。
お互い、爺さんになったら、
あの、でっかい餃子を食いながら、
懐かしい日々を語れる日を心待ちにしているよ
さっき書いた5000字以上の文章よりも、伝わるものがあると思うから。

Posted by takeshi at 06:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 25, 2004
「1000年後に残したい宝もの」とは何ですか?
宝もの(宝の上に「たから」とふりがな)

国立博物館の常設展示の端でこんな言葉を見つけたのだ。

この文字を見て、なんかこの言葉を久しぶりに聞いた気がした。宝ものって響きを久しぶりに感じた。宝ものって普段の会話であまり出てこない気がする。考えない気がする。でも、昔(幼稚園・小学生)は宝ものってあった気がするし、すごく大切にしまってあった気がする。僕は、何かのダンボールの空き箱にいくつものガラクタ(大人の表現で言えば)を入れていた気がする。ただの木の切れ端、ミニカー、きれいな色のビー球、今は覚えていないいくつもの宝ものがあった。

そんなことを思い出し「宝もの」という言葉にドキッとして、テクテク歩く。すると、壁に「1000年後に残したい宝物」と書いてあり、机の上には「宝ものの名前」と「選んだ理由」が書けるポストカードがおいてあった。そして、何人もの子が書いたポストカードが壁に貼られていた。

僕も、紙を取って書こうとするが、その瞬間、頭に宝ものが思い浮かばなかった。正直その瞬間ショックだった。その後、いくつかのものが浮かんだが、コレじゃないな、なんか違うと、理由をつけて考えていた。宝ものに細かい理由付けなんていらないんだろう。もっと、純粋に宝ものを、宝ものだと言いたいもんだなと思った。

皆さんにとって、「1000年後に残したい宝もの」とは何ですか?
Posted by takeshi at 11:04 PM | コメント (0) | トラックバック (1)|
大変な時代だな
インターネットをみんなが使うようになった時代。
うかうかしていられない。大変だ。

ブログの普及で簡単に自分の意見を公開できるようになりトラックバックなどでそれがつながりやすくなった。これって、相当なパワーを持つなと一連の事件(ブログの規約等)を見て再認識。

運営者として、ちょっとでもあまい考えを持っていると足元をすくわれる。自分(運営者)の中の気持ちは始めた頃と変わらなくても、一気に規模がでかくなっていて、そこで何か問題が起こると、ついついはじめた頃の気持ちで対応してしまう。しかし、それじゃダメなんだな。規模がでかくなっていたらそれなりの対応が必要なんだから。でも、インターネットにおけるユーザーの増加や情報の広まりはまさにマルチプルである。だから、運営者自体がそれだけ大きいものを運営しているという認識に欠けることが多々ある。刻一刻と変化していくものしっかりととらえ、それを運営者であるがユーザーの視点からも見て、対応していかなければならない。当たり前だけど、書きながらもう一度かみ締める。

ユーザーを敵にするような行動をとると大変だけど、味方につけてやっていけばスゴイ力になることも事実。ファイヤーフォックスとかも。それを感じる。

Posted by takeshi at 10:56 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
私は今ケニアにいます。
前のエントリーの続き。

僕の分身はケニアに行ったらしい。

お前、とうとう頭いかれたかと思われるので説明。

 

あなたの分身が、世界中を旅行して、旅行先からあなたにメッセージを送ってくる仮想旅行システムです。ユーザ登録を行うと、あなたの分身を旅行に出発させる事が出来ます。

分身は自分の意思で世界中を旅行します。そのため、旅に出しても、どこへ旅行するかは、分身が自分で決めます。ユーザーが決めることは出来ません。

分身は旅行先で体験した事や旅先で撮した写真をあなたにメールで送ります。
とまあ、こんな感じのものをやっていて、メールがくるのです。

アフリカのケニアのナイロビに到着しました。 
 アフリカ、ケニア、サバンナ....広大な大自然が私を呼んでい
ます!!が、まずは準備が肝心です。

 今日はこれから書いてもらった処方せんを使ってマラリアの予
防薬を買ってきます。とにかくケニアでは蚊に注意!!既に体に
は虫除けスプレーを塗布済みです。もちろん夜のために蚊取り線
香ももってきています。

 今日は薬を手に入れたらまっすぐ宿に行ってこれからの予定を
吟味したいと思います。
あ~、蚊、蚊、蚊にくわれた~。カヤもつって蚊取り線香も3つもたいたのに~、どうしてどうして~。予防薬だってすぐに効かないのに~、どどどどどど~ぢよ~。
 ま、まてよ、この食われた後は血を吸われた跡が二つ、それも食
われたあとが列を作っている.........って事は、あんぎゃー、
南京虫じゃ~!!!!!!!!!!!!!殺虫剤殺虫剤!!!
あ~南京虫に食われた~、か、かゆいよ~。

 はぁ~、しょうがないっすね。もう虫は無視して寝ます(^_^;)、でも、
かゆくて寝られないかも!。
ジャンボ!!健さん。ジャンボっていうのはスワヒリ語での挨拶の言葉です。
 結局昨夜はかゆくてろくすっぽ眠れませんでした。まだ強烈にか
ゆいです(南京虫にさされると、1ケ月位かゆみが止まらないそうで
す...どーしよ~(ToT))。

 何ともはや、アフリカの大地に強力な洗礼をうけたような気がしま
す、まあ正確にはアフリカの虫にですね(^_^;)。おっと、そうそう、昨
夜いろいろと情報を仕入れた結果、最初のサファリはサンブル国立
保護区に行く事にしました。ところで健さんはサファリの
意味をしってますか?サファリとはスワヒリ語で「旅」の意味だそうで
す。う~ん勉強になるな~この旅は(^○^)。

 

写真ナイロビ市内で見た野生動物です(鳥)。いくらケニアとはいえ、街中では鳥位しか野生動物はいません。でもこの鳥、スズメによく似ているのが気にかかります。
 何で鳥の写真を撮っているかというと、サンブル行きのバスが出
発しないためです。もう出発の予定時間から1時間22分が経過し
ていますが、一向に動きだす気配がありません。う~どーなってる
んでしょうか(T_T)。

 お、ようやく出発するようです。それじゃ、次のメールは明日出し
ます。

 

とまあ、こんな感じです。ケッコウリアルっぽい内容です。&スワヒリ語の勉強になったり、息抜きになったりします。

実はケニア旅行の宣伝だったりして。(笑)でも、この分身が旅行終わってケニアのツアー勧誘メールが来ても行く人少ないだろうな。それよりも、なんか、なんというか、イメージアップとかにこのメール手法は使えるんじゃないかな?短期的な売り上げではなくて、長期的なイメージアップや認知度アップに。
Posted by takeshi at 06:32 PM | コメント (4) | トラックバック (0)|
November 24, 2004
たった一言でも
別に、長けりゃいいてことでもない。

たった一言でも、1,2行の言葉でも、いや、たった一言でも、1,2行の言葉だからこそなのかも知れないが。

まさに本質を言い当てていることや、美しいことがある。

それは、こういうことだからですかね↓。

Imagination is more important than knowledge.
                         Albert Einstein
Posted by takeshi at 04:48 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
メールが届くのが楽しみ
といってもPCによって自動生成されるメールだ。
出会い系とかそういう類の迷惑メールと基本的に同じ手法で作られていると思う。

でも、そんなメールが速く来ないかと楽しみにしている自分がいる。

もちろん、スパムとかウイルスが付いているメール、出会い系などのウザイメールではありません。
どんな内容かというと、自分の分身が世界中を飛び回って旅行記をメールで送ってくるというサービスだ。その旅行記メール。数日前、僕の分身を出発させた。といっても、メアドを登録して「出発」ってところをクリックしただけ。

すると、
ごきげん最高で~す。旅行先も決まりました。さ
っそく出発といきたいところですが、旅行前に英語で書かれた薬
の処方せんが必要なんですよ。今回の旅行先は国内では購入
できない薬が必要な所なんです。その薬がないと命の危険もあ
るかもしれないのでちょっと時間はかかるけど、きっちり用意して
から出発します。

 それじゃ、用意が出来たらまたメールします。

 

こんなメールが来た。面白そう。

で、また数日たったら

 

処方せんも書いてもらってきました。これで準備OK!!チケットの
手配も完了したし、あとは荷物のチェックを残すのみです。そうそう、あ
れもっていかなくては、ぐるぐる渦巻いた緑色の物体を!!。よし、準
備完了、それではいってきま~っす。

 行き先ですか、それは行き先は着いたときに知らせます(^_^)。それま
で待っててね~と言おうと思ったのですが、ばらしちゃいます。行き先
はアフリカ大陸!!
テンプレートがあって、それにあわせて送っているんだけど、面白いねこれ。それも、行く場所がアフリカですよ。それが僕をさらにワクワクさせる。

自動生成メールでもこんなにも僕にとっての価値が違う。不思議なもんだ。ものは使いようですな。そう、今は全く意味がないような技術でもちょっと頭をつかって使い方を変えてやればスゴイ良いサービスとかができるのかもね。
Posted by takeshi at 03:41 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
「ら」
なんか、ギターを持って歌っている人がいた。
たいしてうまくもなく、誰も聞いていない。

しかし、ふと気になる。

「らー、ら、らーー、らい」とか歌っている。そんな歌きいたこともなければ、きれいなメロディーラインでもない。何が気になったかというと「ら」という音。

歌では、この「ら」がよく使われ、繰り返されることがある。大黒マキにしろミスチルにしろ。じゃあ何でだ?

発音しやすいのか?確かに、A Ka Sa Ta Na Ha Ma Ya Ra Wa は口の開け方が構造上楽でってのはあるというものがあると思う。

「ら」が他のことばでどのように使われているか、そしてその使われ方からくる「ら」の感覚からか?

「ら」という言葉がらららと繋がりが良いからか。ラ行はルンルンとか、リンリンとか、明るいイメージでつながるからか。

何かしら文化的、歴史的背景があるのか?

「ら」は声帯いためないから、歌の途中に入れるとのどを休められる?

「ら」
1 五十音図ラ行の第一音。歯茎弾き音の有声子音[r]と母音[a]とから成る音節。[ra]

2 平仮名「ら」は「良」の草体から。片仮名「ラ」は「良」の初二画から。
大辞泉

これをみると、「良」という感じからきており、良いイメージであることは確かだが、果たしていかなる理由があってらと歌うのか?
と、意味のない妄想を繰り広げるのでありました。

Posted by takeshi at 01:13 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
視点
先日、電車の先頭に乗って気がつく。

おお、かっこいい。かっこいいというか、なんか「すげぇーーー」ってな感じ。たぶん、幼稚園児のころの新しいものを知ったり、見たりしたときの感覚。幼稚園児が動物園で叫んでる感覚です。

僕は、昔、おもしれーとか、ワクワクどきどきすることがない人間なのかと思っていたけど、普通の人よりそんなことが多いらしい。簡単に言うと、子どもらしいです。はい。成長していないだけですね。まあ、一生子どもでいると宣言しているから問題ナッシング。

で、話は戻って、モブログに僕はこんなことを書いた。

「電車の先頭から見る喜び。普段見ない視点か、電車というものを全体としてとらえる感覚、いったい何が心をワクワクさせるのか。」

それに思ったのは、目の前に迫ってくる電車が、そして京浜東北は新幹線も横切るから、わくわく。

新幹線、飛行機、これってなんかわくわくする。たぶん、小学生とかそういう小さい頃に、新幹線乗ったことある?とか飛行機乗ったことある?という会話からも想像されるように、電車や車とは違う乗り物なのだ。違うレベルの乗り物なのだ。そうやって、脳にうえつけられた部分もあるだろう。

もちろん、電車と同じようなもので新幹線はスピードが速い。この現在あるものの中では最高のスピードに喜びを感じるのかもしれない。飛行機も空をあんなに速いスピードですすむ、その感じに。

こんなこと書いていると、僕は昔書いたブログというものを思い出す。ああ、あれと微妙に関連しているなと。それを感じると俺が文章を書いたんだと感じ、俺って人間は常に変わっているんだけどベースでは
同じなんだと再認識する。

たぶん、読んでいる人には決して伝わらないこの感覚が僕にブログを書かせている。
http://www.teratown.com/moblog/archives/001151.html

2003/12/2 テレビうつり
夜はNHKでスペインのトレドをやっていた。
こっちは、今年の9月に行った。

普通はテレビで見るとよい部分しか映さないので、よく見えることが多い。
カメラワークによってほんのちょっとしかない、小さな範囲しかきれいでなくても、その美しさが永遠に続いているかのように写す。今朝のズームインはその典型だ。

しかし、NHKのトレドはテレビを通したほうがしょぼかった。まあ、テレビで見たほうが価値が下がっていた
。あの町は、これだっと、いうものがない。まあ、あるといえばカテドラルとかいろいろあるんだけどね。あそこは、町全体として美。和みがある。落ち着く。そういう、雰囲気とか・人々の生活している時間の流れ、カメラでは吸い上げることができないものがある。その吸い上げることができないものによさを感じる。だからテレビではよさが半減する。

 

 

Posted by takeshi at 01:02 PM | コメント (200) | トラックバック (0)|
November 22, 2004
お金が気持ちをなえさせる。
思うこと。

「たいしたことでない、些細なことでも、それに価値が生まれることがある。その人のためだけなもの。他の人には意味がないかもしれない。その感動に意義がある。03/07/01 」

こんなことを昔記した。これをまた感じることが多い。
別にお金がかかっていなくてもいいんですよ。いわゆるマスターカードですよ。あのCMですよ。お金で買えない価値があるんですよ。

たとえば、尊敬する人に自分の名前を呼ばれる。「おい、寺町っ」と。これなんともいえないほどうれしいことですよね。認められたというか。覚えてもらえたというか。別に金を払ったわけでも何でもないんですよ。両者ともコストも払っていないし。でも、とんでもなくうれしいのです。

逆に、尊敬する人にお金を払って、(これは本人でも、裏で協力者などの他の人でもいいんですけど)名前を呼ばれても、うれしくも何でもないですよね。お金払ったことによってその価値は下がってしまうんですよね。金は人間の感情(ワクワク。どきどき。感動。うれしさ。)を取り去ってしまっているのです。

Posted by takeshi at 06:10 PM | コメント (210) | トラックバック (0)|
トイレットペーパを使うのを躊躇する
トイレットペーパを使うのを躊躇する。
ってまじかよ!?

インドに行って左手に慣れたからか?トイレットペーパーがいらなくなったのか?!

そうじゃないです。
この前、トイレットペーパーを買ったんです。スーパーで一番安い奴が、香りつきのトイレットペーパだった。まあ何でもいいやと思って買った。家に帰って使ってみるとホントに花の香り。まあ、それはいい。

問題なのはトイレットペーパーに花の絵とその花に関する言葉が書かれている。
その言葉が、また心に響くことが書いてあったりする。

そうするとですね、じっくり読んで見とれてしまう。ココまでは良いのだけど、なぜかそれで尻を拭くのをためらう。ためらうというか、何か悪いことをしているような、なにやら綺麗なものを汚すような感情を持つ。

もとはといえばただの紙ですよ。無地のトイレットペーパーなら何にも感じていませんよ。しかしそこに絵と言葉が書かれただけで全く人間の感情は変わるのです。それだけ、文字と絵には人間の感情に与える力がある。そう実感したわけです。

問題じゃないんだけど、この気持ちはなんだろうか。

ちなみに好きな花はひまわり、桜、コスモスとかです。
まあ、スペインで一面のひまわり畑を見るという夢は達成されなかったのですが。。。

BGMはミスチルの「花言葉」
ミスチル歴はかなり長いけど、やっぱいいわー。落ち着く。

Posted by takeshi at 06:09 PM | コメント (1) | トラックバック (0)|
1122
ブックオフの帰り、
カフェの前のミニ黒板に「1122の日」って書いてあった。

いい夫婦らしい。

あ、なんか心が和らいだ。

Posted by takeshi at 05:55 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ゆめ
「夢」ということばがある。

将来の夢

というときの「夢」の意味

昨日の夜、怖い夢をみた

というときの夜寝ているときにみる「夢」
違う意味であるのに同じ言葉。
現実離れした空想という繋がりの中で、なんかうれしい気持ちになる。

Posted by takeshi at 05:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
キター
ちょいと前、こんなエントリーを書いた。

「理想の家と近くにあると良いもの」

そう、家の近くにブックオフがオープン。やりましたよ。

いやーーホントうれしい。

あそこの100円コーナーはたまんないです。
距離的にも散歩コースに最適です!

では、行ってきます。

Posted by takeshi at 03:45 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
たぶん、たぶん
人間は曖昧なものを想像することが得意な時と得意でないときがある。少ない情報から特徴を読み取り、それが何であるかを判断する。

たとえば、人間の後姿。これは服も新しかったりしたら分かるのは背の高さとか髪形ぐらいか。歩き方とか。しかし人間はそれが友達であればだいたい判断できる。しかし、普段自分が見慣れていないもの、太郎というカモシカと二郎というカモシカは区別が付かないだろう。たぶんカモシカ君たちは区別が付くはず。それはいつも見ているから。

同じもの、同じ種類のものを見続けていればそれに付いて何か分かってくる。特に人間みたいに動いたり笑ったり、変化しながらあるものを見続ける。すると、それについて何かしらの判断能力が付くはず。

たぶん、いたって当たり前のことを書いているんです。世界中のほとんどの人が知っています。しかし、このことを応用している人は少ないかも。自然にやっている人はたくさんいそうだけどね。

なんかについて詳しく知りたかったり、感覚をつかみたかったらひたすら見てやるとか。どうしても、ひまわりの花の違いを判断したい人は、ひまわりをひたすら見てやる。右から見たり、左から見たり、上から下から。斜めから。時にはひまわり畑に埋もれてみるとか。食べてみたり、

 

 

Posted by takeshi at 02:01 AM | コメント (210) | トラックバック (0)|
なんか最近ブログのランキングがはやっているらしい、じゃあ、オレは
なんか最近ブログがはやっているらしい。

特にランキングとか。某野球参入で有名になった会社のランキングとか、その他のランキングで。

上位を争くらいなら、ほぼ毎日更新しているのにほとんど誰も見に来ないブログを達成してやるぞ。

前から言っているようにこのブログは自分のメモ。誰も見なくてもいいです。
じゃあ、公開するなって突っ込む奴がいるかもしれないけど、自分が外部から見るの便利だし。それに、公開するなって文句言うくらいなら見に来なくていいんじゃないのかと思うのです。

ランキング上位とか争うのなんてやってらんねー。このページのアクセス数下がるように意味不明なこと書いてやる。

もっと見に来るやつ減ってくれーーー。

よーし、もっと意味不明なこと書いてやるぞ。

と天邪鬼道をゆくのでした。ちゃんちゃん。

Posted by takeshi at 01:17 AM | コメント (1) | トラックバック (0)|
環境変化→心理変化-偶然を必然にする方法-
今日は朝から早い。最近、日曜日の朝が早い。ちょいと辛いが、すがすがしい。(夕方になると疲れるのだが)なんか、方向性とか、課題とかスムーズに話が進む。こんなにきれいにまとまっていいものなのかとも思う。たぶん見逃しているところがあるのかも。それから新宿で少し頭を使う。頭を使ったのは久しぶりかも。

ココから本題。

たぶん、若いうち(青年期かな?)には大きな環境変化と精神・心理的変化がある。大きなものは一人暮らし、経済的独立、結婚、親の死ではなかろうか。まず、一人暮らし。これは親から離れるという環境的変化。今までには全くない環境である。それによって精神的に自由が増える。経済的独立。自分で稼いで自分で食う。他人にどうのこうのほとんどいわれなくなります。さらに精神的自由が増える。結婚。これは精神的自由が減ると思われます。親の死は自分の支え、そして親の目がなくなります。

一概にこうとは言えないかもしれないが、こうではないかと。
で、こういう心理的な変化によってそれが行動という形で現れる。これの積み重ね。

で、問題は偶然を必然にしてしまう人。
そういう人は、環境変化が起こる前にその後の状態をイメージし、そのときの精神の変化を予測し、そのときに何をしたいかを具体的にリストアップしている。

大きな心理的変化がおこる前に、心理的変化後の状態をいかにイメージし、何をもとめゴールをみすえいかなる行動をとるかを列挙する 具体的行動を直接行わなくてもそのイメージしたものが日々の生活をとおして達成される可能性が高い 将来を映像としてイメージし夢をみるそして落とし込み これで人生の大まかな方向性がきまる それは一つ一つの行動が短期的意味を持っていなくても長期的にはつながる これが偶然を必然にする秘訣

これは、「環境変化の前」というのが重要で、その前にイメージする必要がある。
一人暮らし 親から離れる物理的に 自分で稼ぐ 金銭的に独立 精神面でのさらなる自由 結婚あらたな結び付き ここを期に人は大きな変化をとげる 物理的変化から精神変化になり行動という物理変化になる。それの積み重ねが精神信念をうみだす 東京には男が多く地方には女が多い マッチング 大学入学後10年計画 気付き共有仕事でスキル地元 大きな方向性を決めるのが得意 

一人暮らし、物理的に親から離れる
社会に出る 自分で稼ぎ経済的自立
結婚 家族が出来て、家族への責任感、どこに住むか子育てはどこでするか、どんな育て方かなど
親の死 親の目がなくなる。魂の中には届くかもしれないが。介護が必要になった時に自分はどうするか

これらの時は、人生の転機だな。

追記

結婚と親の死、さらには子供が生まれる。この三つをセットにして家族の増減とまとめることも出来る。転職とかも大きな変化だが、

これらの人生における大きな変化において結婚だけコントローラブル、自ら選ぶことが出来ることだ。だから、結婚は大いに悩むのだろう。

Posted by takeshi at 12:46 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 21, 2004
国立博物館
昨日行った三田祭はまだ続くらしい。でも、行かない予定。

で、国立博物館へ行こうかなとおもう。実は行ったことないし。

誰か一緒に行く人いますか?いたらメールでもください。

Posted by takeshi at 07:54 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 20, 2004
吉野家問題
吉野家さんが「角煮きのこ丼」販売終了するらしいですよ。

そんでもって、12月上旬に牛焼肉丼が420円で始まるらしいですよ。

ああ、吉野家の売上不振はニュースになるので、こんな無理なタイトルでニュースが出ていましたよ「吉野家が牛丼首位転落、売上高17%減…9月中間決」。そもそも今牛丼売っていないから牛丼首位じゃない(笑)じつは、ゼンショー(すき家)という会社に業界首位を明け渡したと。しかし、すき家はゼンショーの中で売り上げの3割しか占めてないです。でも、まあ、吉野家の売り上げが下がっているのは事実だと思います。

そんでもって、吉野家が牛丼を復活しても大して客は増えないですよ。吉野家&牛丼復活でニュース性があるので一時的な売り上げアップはあると思いますが、少なくとも前と同じレベルには戻らないとおもう。みんな、牛丼がなくなるときのフィーバーが頭に残っていて、みんながみんな牛丼を欲していると勘違いしているかもしれないんですけど、牛丼がなくなるときはイベント的要素で駆け込み需要があっただけですから。本質的に牛丼をそこまで求めているわけではないです。僕はそう思います。

Posted by takeshi at 01:49 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
雨の日と利き足-特にメッシュのスニーカー-そんなんで考える
今日は雨だったんですよ。
そんで、出かけた。
帰り駅からとぼとぼ帰る。そうしたら、俺のきき足は右だと分かる。というのも、地面が濡れているところをメッシュのスニーカーで歩くと、右足だけ濡れる。靴のつま先あたりね。多分、僕は手も足も右利きである。だからだ。ってコレではいまいちかも知れないので。ちょいと詳しく。僕は手が右利きである。意識がある頃から右で字を書いていたし、右手で飯を食っていた。力も右の方がある。コレを踏まえて足を考える。歩いていてスニーカーが右の方が濡れている。ということは右足の方が力が強い。けり返しとかが強い。だから、水がはねて右のつま先の方が濡れる。

この、右足の方が濡れるのを見てきき足は右だと気がつきました。

そもそも、利き手・聞き足って何だろう。
多分、生まれたときから右利きの人は右利きなんだろう。ということは、遺伝子にその情報が組み込まれているのだろうか。劣性遺伝とか優性遺伝ってあるのかな?

見た目は、右も左も同じなんですよね。指が五本あって。同じような色で、同じような動きをして。じゃあ、遺伝子に入っている情報の何が違うんですか?そもそも右も左も利き手・利き足の人はいないんですか?さらに言えば、なにをもって利き手・利き足が右とか左とかいうんですか?

利き手ってなんだろう。なんで利き手が生まれるんだろう。

僕は、生まれたときから右利きだったとおもわれる。でも、中学のときに左利きに変えようと試みた。それで飯は今でも左で食べる。箸は左手で使うということだ。中学までは右で飯を食っていたが今は左で飯を食う。初めはマメとかとりにくかったけど、今は左の方が端の持ち方がうまいといわれるほどだ。そのころ字も左で書く練習をした。しかし、字は左手で書くのが難しかった。うまく書けないし、さらに時間がかかって不便すぎた。それでも、左手で日記を2,3年書いたがそこまで上達せずにいつの間にか終わった。こう考えると、利き手というのは強制使用とおもってもそう簡単に出来るものではないことが分かる。習慣でも強制できないものであることが分かる。では、利き手・利き足とは何だろうとさらに分からなくなる。

たぶん、利き手利き足を考えると相当おくが深いし幅が広いことです。うーん、遺伝子の問題か?生まれたときに親がどちらのてに箸を持たせたかによって決まるのか?利き利き足がある意味って何だ?
誰かコレについて考えている人いないかな?
ついでに、今考えれば、左手で飯を食べ始めたことも、ケンダマをしたことも僕の人生を大きく方向付けているのだとおもう。ちなみに、小学校二年生の頃からケンダマやってます。今でも東京の家にケンダマがあってたまにやります。あれは、いいです。面白い、楽しい、という次元を超えていいです。

疑問のまま終わるブログでした。

Posted by takeshi at 01:29 AM | コメント (219) | トラックバック (0)|
November 19, 2004
ピタット一致する
まだ21年しか生きていないわけですが、ピタット一致することがある。
曖昧な、ぼやっとした2つのものが、だんだん輪郭がはっきりとしてきて、それがかさんる瞬間がある。無数の点が線になる時の感覚と似ている。

僕という人間は外部のものとの関係で生きている。僕の心とその外部の物の心が一致するのである。それは、音楽であっても、組織であっても、人であっても、学問であっても何でもなんですけど。前に書いたエントリーで書いたコレだって時の感覚です。

そういう時は、本当にワクワクする。心躍るって奴ですよ。そうすると、イメージがわく。そうなったらもう突き進むしかないんですよ。

そういう時を僕は探すために、そのことを楽しむために生きているのかもなぁ。
Posted by takeshi at 02:06 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ガラポン
なつかしい、ガラポン。
これは昔土曜日の午前中にやっていた大前研一氏の番組だ。

高校のときにこの番組を見ていた。(今はやってません)土曜日に家にいるとき、偶然テレビを見ていたらこの番組がやっていて面白いとおもい見たのがきっかけだ。そのとき、テレビに映っている態度のでかいおっさんが大前さんだなんて知らなかった。(少したって何者か少し知った)

で、この番組ビデオにもとってあって東京にも持ってきているのです。なんか偉そうな発言になってしまいますけど、なかなかいいことを言っているんです。純粋に情報量も多いし、それを踏まえた予測も鋭い。さらに、行動一つ一つに考え抜いた感がある。

でも、大学に入って、大前さんのことを一時期うさんくさいなーとおもって遠ざけていた。

でも、最近また、その評価が変わりつつある。
本を読んだのが理由なんだけど。確か、彼は僕が高校のときにエブリデイドットコムという事業を始めた。その時テレビで、オンラインショッピングが伸びないのは操作が難しいからといっていた。消費をする主婦には難しいと。それで、バーコード付きパンフレットを配って、ほしい商品のバーコードを読み取って購入できるようにすれば売れる。みたいなことを。このとき僕はこれはあんまり売れないだろうとおもった。

で、まだその事業は続いている。成功しているのかしていないのかは知らないが、まあ大成功はしていないだろう。個人的には失敗の部類に入るのではとおもっているのです。調べてなくて詳しく知らずに発言してます。

彼はマッキンゼーという会社の社長もしていた人です。マッキンゼーが本当にすごいのかは知らないけれど、多分マッキンゼーの人たちは世界でもトップ集団であると自負しているとおもう。そんじょそこらのプライドじゃないとおもう。経営の世界では右にでるものはいないプロだと。僕の勝手な想像なんですけど。

ここをふまえてですよ、で、ここからです。今までは前説です。
彼はこう書いていたのです。自分のやってきたことには成功も失敗もあると。「失敗なんてして当たり前、失敗して強くなる。失敗という経験はありがたいとおもう、恥ずかしくない」と言い切っていた。失敗だと自分の中ではおもったとしても、公言するってのはまた意味が違うとおもう。すごいな、本物だなとおもった。そして、その公言するという行為によって自らを引き締めている。

みんな失敗は怖いし、できるだけ避けたい、認めるのに抵抗があるものだと思う。僕もそうだ。でも、失敗してこそ人間は強くなり、失敗するからこそ成長できるし、失敗を恐れてばかりいたら挑戦できないと僕もおもう。失敗を受け入れ、自分の欠点を受け入れ、それを分析して、次の行動に生かす。これだよな。心がけよう。

それにしても、プライドが相当高いとおもう人が負けを認めてそれを糧に挑戦するといえるのはスゴイ。社会的な名声と地位を得た人が、失敗を認める。純粋に尊敬するなぁ。まあ、プライドが高いって言う認識が僕の偏見だったりとかするのかもしれません。

Posted by takeshi at 12:08 AM | コメント (228) | トラックバック (0)|
November 18, 2004
大学名って
大学、いまや行きたいと思えばどっかには引っかかる。昔の大学の価値(希少性)は今の大学院といわれるが、個人にとって、社会にとって大学名って今の世の中でどれほどの意味を持つのか?

最近、全然ばらばらなところで大学名というものが話題に出た。そこで、どうなんかなーと。

まず、先日、日経にたくさんの大学名がのっていた広告があった。それは何の広告かというと結婚斡旋会社。なにやら8月から10月の間に斡旋会社を通して結婚した人の男女それぞれの大学名と現職の業種が書かれていた。確かに、一般に有名とされる大学名の人しかのっていなかった。有名大学といわれるところを卒業した人しかターゲットにしていないのかな?

まあ、受験という勝負にかぎっては(これをやりたいといって大学を選んだり、この地方がいいといって選んだ人意外)東大に受かった人が勝ちだと思う。でも、東大だから一概にすごいとも思わないし、ボーダーフリーだからしょぼいとも思わない。単に受験という勝負だけの話。

金沢工業大学、はこだて未来大学、会津大学、多摩大学、高知工科大学とメジャーではないけれど面白い大学ってあると思うのに。。。

で、この話をしたら、大学名より現職だろといわれた。現在が三流大学と言われるところを出ていても電通だった、そっちの方がいいのではないかと?

そのほかにも、

学歴社会に疑問を感じたから、東大にいったという人も。

本を読んでいて、ペンシルベニアで投資家から金をもらおうという人はペンシルベニア大学を出ているだけで、投資家に信用されやすいとか書いてあったり。まあ、日本でも開業医を地元でやるなら地元の医学部にとかいうしなぁ。

アエラを読んでいたら、東大卒40歳の現在みたいな記事が。

たくさんの大学の人が集まっているところで、私の大学は・・・だけど有名大学の人ばかりで。。。っていっていた。

などなど。

高校の頃から言っていたのは、本当に何かをやりたいと思ったら大学なんて関係ない。本気でやればどんなことでもできると。大学を言い訳にするのはただの逃げだと。

自分の大学がいわゆる有名大学じゃない人の意識と有名大学の人の意識は違うんだろうなとも思う。

で、特に明確な理由があって大学を選ぶ人意外にとっては、有名大学か有名でない大学どっちがいいかといえば、有名な方がいいと思う。まあ、大学にも会社にも社風はある。その影響を多少受けているのは確か。初めて会ったときの話の種や、イメージ、信頼(表面的な)というものでは意味がある。逆にその大学のイメージで個人の性格まで想像されて誤解をよぶこともあるが。

結局のところ、あまり僕にとってはどうでもいいことなので、大学がどうであろうと気にしないので大きな問題として考えることが出来なかったと。そういうわけで、なんとも生ぬるいエントリー。

Posted by takeshi at 11:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 17, 2004
タイプ別性格診断
某ページで紹介されていたのでやってみる。
さあ、どうだろうこの結果?

みなさんは、本物の僕と結果をみてどう思いますかね。
INTP型:問題を解決したがる
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 考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。
頭の中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。

客観的(T型)なので、その新しいデータを分析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。
 論文、図面、計画、企画、提案、理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、その完成図がどんどん膨らんでしまう。

その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうのである。

これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラストレーションになる。
 完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。

完璧、有能、優秀であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。
 このタイプは女性の場合に葛藤を生む。

考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメージで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。

そこで少なくとも三つの問題が生じる。
 第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった。

だから、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反する。
 第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。

たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の哲学的な意味について述べたくなる。

そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときには「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。
 第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反する形で表れる。

INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほかの人もぎょっとしてしまう。

 

 

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親子関係

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 INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている。
一人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。

自分の進むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。

子どもの発達にあまり口をはさまない。

どんな考え方や行動をしたらよいか、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。

その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。

だが、ときには、反抗的だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。

そういう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。
 INTP型の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。

学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問をすると見られる。

そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。

必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いていくために、誰よりもよく勉強することになる。
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/

Posted by takeshi at 02:36 AM | コメント (222) | トラックバック (2)|
東京通信工業株式会社設立趣意書
よく、東通工の設立趣意書の「自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場」だけ引用されるが、この文章はそのほかの部分も非常に価値のある文章だと思います。

漢字とカタカナで読みにくいのですが、きにならないくらいです。

すごい、思いが伝わってきます。
HPのフィオリーナ社長は大勢の前でも一人一人に話しかけるように話すと聞いたことがあるが、文章でもコレが重要なんだろうな。

カタカナ言葉を使ってなんとなく分かった気にさせる安っぽさではなく、本質を見抜いた含蓄のあるものです。
東京通信工業株式会社設立趣意書 – 井深 大

 戦時中、私ガ在任セル日本測定器株式会社ニ於テ、私ト共ニ新兵器ノ試作、製作ニ文字通リ寝食ヲ忘レテ努力シタ、技術者数名ヲ中心ニ、真面目ナ実践力ニ富ンデイル約二十名ノ人達ガ、終戦ニ依リ日本測定器ガ解散スルト同時ニ集マッテ、東京通信研究所ト云フ名称デ、通信機器ノ研究製作ヲ開始シタ。

コレハ技術者達ニ技術スル事ニ深イ喜ビヲ感ジ、ソノ社会的使命ヲ自覚シテ思イキリ働ケル安定シタ職場ヲコシラエルノガ第一ノ目的デアッタ。戦時中、総テノ悪条件ノ基ニコレ等ノ人達ガ孜々トシテ、使命達成ニ努メ大イナル意義ト興味ヲ有スル技術的主題ニ対シテ驚クベキ情熱ト能力ヲ発揮スル事ヲ実地ニ経験シ、又、何ガコレ等ノ真剣ナル気持ヲ鈍ラスモノデアルカト云フ事ヲ審ニ知ル事ガ出来タ。

ソレデコレ等ノ人達ガ、真ニ人格的ニ結合シ、堅キ協同精神ヲ以テ思フ存分技術能力ヲ発揮出来ル様ナ状態ニ置ク事ガ出来タラ、例ヘ其ノ人員ハ僅カデ、其ノ施設ハ乏シクトモ其ノ運営ハ如何ニ楽シキモノデアリ、其ノ成果ハ如何ニ大デアルカヲ考ヘ、コノ理想ヲ実現出来ル構想ヲ種々心ノ内ニ書イテ来タ。

トコロガハカラザル終戦ハ、之ノ夢ノ実現ヲ速進シテ呉レタ。誰レ誘フトモナク志ヲ同ジクスル者ガ自然ニ集リ、新シキ日本ノ発足ト軌ヲ同ジウシテ我々ノ発足ガ始マッタ。発足ニ対スル心構ヘヲ今更喋々スル要モナク、永イ間皆ンナノ間ニ自然ニ培レテイタ共通ノ意志ニ基イテ全ク自然ニ滑リ出シタノデアル。

最初ハ、日本測定器カラ譲渡シテ貰ッタ僅カナ試験器ト材料部品ト小遣ヒ程度ノ僅カナ資金ヲ以テ出来ルダケ小サナ形態デ何トカ切抜ケテ行ク計画ヲ建テタ。

各人ハ、其ノ規模ガ如何ニ小サクトモ其ノ人的結合ノ緊密サト確固タル技術ヲ持ッテ行バ如何ナル荒波ヲモ押シ切レル自信ヲ持ッテ大キナ希望ヲ以テ出発シタ。斯様ナ小サナ規模デ出発シタ所以ハ、コノ国家的大転換期ニ於ケル社会情勢ノ見透シガ出来ズ、又我々ノ仕事ガ社会ニ理解サレ利用価値ヲ見出サレル迄ニハ、相当ノ期間ヲ要スルト考ヘタカラデアル。然ルニ実際ニ動キ出シテ見ルト我々ノ持ツ様ナ技術精神ヤ経営方針ガ如何ニ現下ノ日本ニトッテ緊急カクベカラザル存在デアッタカヲ各方面カラノ需要ノ声ヲ通ジテハッキリ自覚セシメラレタノデアッタ。

其レハ先ヅ逓信院、運輸省等ノ通信ニ関係アル官庁ノ活溌ナ動キニ見出サレタ。即チ全波受信機ノ一般ヘノ許可民間放送局ノ自由開始、テレヴィジョン試験放送或ハ戦災通信網ノ急速ナル復興、意図トソノ綿密厖大ナル諸計画ノ発表等他ノ低迷困惑セル諸官庁ノ中ニアッテ一人水際立ッタ指導性ヲ示シ一般業者側ガ逆ニ牽引サレタカノ感ヲ呈シタノデアツタ。

斯ル動キハ特ニ過去ニオイテ逓信院ト関係ノ深カッタ我々ニ対シ直接ノ影響ヲ及ボシ、早クモ真空管電圧計等ノ多量註文ヲ見ル結果トナリ。

 其ノ他短時日ノ間ニコノ方面ヨリ提案サレタ新製品ノ研究、試作依頼ノ種目ハ相当量ニノボル状態デアル。又間接的面カラ云ヘバ全波受信機ノ一般許可ニ依ル影響ハ終戦後ノ「ラヂオプログラム」ニ対スル新シイ興味ト共ニラヂオセット其ノ物ニ対スル一般ノ関心ヲ急激ニ喚起シ戦災ニ依ル「セット」電気蓄音機類ノ大量焼損モ相待ッテ我ガ社ノラヂオサービス部二対スル需要ヲ日ヲ追ッテ増加セシメタノデアル。其ノ他諸大学、研究所ノ学究、同ジ志ヲ有スル良心的企業家等ト特ニ深イ相互扶助的連繋ヲ持ツ我々ハコノ方面ヨリノ優秀部品類ニ対スル多種多彩ナ要求ニ当面シツツアルノデアル。

 以上ノ如キ各方面ヨリノ需要ノ増大ハ我々ニ新シイ決意ヲ促シタノデアル。即チ資本ト設備ヲ拡充スル事ノ必要ト意義ヲ痛感シタノデアル。

 我々ノ心カラナル試ミガ、カクモ社会ノ宏般ナ層ニ反響ヲ呼ビ起シ、発足ヨリ旬日ヲ経ズシテ新会社設立ノ気運ニ向ッタ事ニ対シ、我々ハ云ヒ知レヌ感動ヲ覚ヘル。ソレハ単ニ我ガ社ノ前途ニ赫々タル発展飛躍ヲ約束スルバカリデナク我々ノ真摯ナル理想ガ再建日本ノ企業ノ在リ方トハカラズモ一致シタ事ニ対スル大ナル喜ビカラデアル。

 

会社設立ノ目的 一、 真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設
一、 日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動
一、 戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用
一、 諸大学、研究所等ノ研究成果ノ内最モ国民生活ニ応用価値ヲ有スル優秀ナルモノノ迅速ナル製品、商品化
一、 無線通信機類ノ日常生活ヘノ浸透化並ビニ家庭電化ノ促進
一、 戦災通信網ノ復旧作業ニ対スル積極的参加並ビニ必要ナル技術ノ提供
一、 新時代ニフサワシキ優秀ラジオセットノ製作普及並ビニラジオサービスノ徹底化
一、 国民科学知識ノ実際的啓蒙活動
経営方針 一、 不当ナル儲ケ主義ヲ廃シ、飽迄内容ノ充実、実質的ナ活動ニ重点ヲ置キ、徒ラニ規模ノ大ヲ追ハズ
一、 経営規模トシテハ寧ロ小ナルヲ望ミ大経営企業ノ大経営ナルガ為ニ、進ミ得ザル分野ニ技術ノ進路ト経営活動ヲ期スル
一、 極力製品ノ選択ニ努メ技術上ノ困難ハ寧ロ之ヲ歓迎、量ノ多少ニ関セズ最モ社会的ニ利用度ノ高イ高級技術製品ヲ対象トス、又単ニ電気、機械等ノ形式的分類ハサケ、其ノ両者ヲ統合セルガ如キ他社ノ追随ヲ絶対許サザル境地ニ独自ナル製品化ヲ行フ。
一、 技術界業界ニ多クノ知己関係ト絶大ナル信用ヲ有スル我ガ社ノ特長ヲ最高度ニ活用以テ大資本ニ充分匹敵スルニ足ル生産活動販路ノ開拓資材ノ獲得等ヲ相互扶助的ニ行フ
一、 従来ノ下請工場ヲ独立自主的経営ノ方向ヘ指導育成シ、相互扶助ノ陣営ノ拡大強化ヲ計ル
一、 従業員ハ厳選サレタル可成小員数ヲ以ッテ構成シ、形式的職階制ヲサケ、一切ノ秩序ヲ実力本位、人格主義ノ上ニ置キ個人ノ技能ヲ最大限ニ発揮セシム。
一、 会社ノ余剰利益ハ適切ナル方法ヲモッテ全従業員ニ配分、又、生活安定ノ道モ実質的面ヨリ充分考慮援助シ、会社ノ仕事即チ自己ノ仕事ノ観念ヲ徹底セシム。
経営部門 一、 サービス部
 全波受信機ノ普及、家庭電化、テレヴィジョン受信機ノ現出等ヲ考エレバ今後コノ部門ノ活動ハ質量共ニ其ノ重要度ヲ加ヘル事ハ必至ノ事実デアル。従来我ガ国ニオイテハ「ラヂオサービス」ト云ヒ得ル程ノモノ皆無ニシテ只技術程度ノ低イラヂオ業者ノ片手間仕事ニ堕シテイタ現状デアルガ将来ハ高級受信機ノ出現ト共ニ斯カル業者ハ当然影ヲ消サザルヲ得ル運命ニアリ逆ニ其ノ需要面ノ広サト起業意義ノ大キサノ為一流セットメーカートタイアップセルサービス専門ノ大会社ノ出現スラ充分予想サレル所デアル。
 当社モソノ自覚ニ基ヅイテ技術ト測定機ヲ思フ様、駆使シ徹底シタサービス活動ヲ行フ計画デアル。其ノ一例トシテサービス専用ノ小形自動車設置案ガアル。即チ電気蓄音機ハ云フ迄モナク高級受信機テレヴィジョン受信機等ハ重量容積等ガ相当大ニナル事実ニ鑑ミ一切ノ測定修理サービス用具ヲ完備セル小形自動車ヲ常備シ電話一本ニヨッテ縦横自在ニ走セ廻リ迅速ニ己ガ任務ヲ遂行セントスルモノデアル。カクスレバ仕事ノ能率ハ元ヨリサービスニ従事スル技術者ノ数モサービス要具モ少クテ済ミ一般ノ便宜ニ利スル点大ナルモノガアルト信ズル。
 又地方ノ需要ニ関シテハ目下近接他府県ヨリ運搬ノ困難ヲ犯シテ当所ニ持チ込マレル高級セットノ数ノ少クナイ点ヲ考慮シ将来ハ地方ノ特定ラヂオ商ト契約期日ヲ定メテ一括修理ヲ行フ予定デアル。
 政府ニヨル全波受信機ノ一般許可ハ大小ノ無線会社ヲ刺激シ目下全波受信機ノ製造ガ盛ンニ行ハレツツアル現状デアルガ資材其ノ他ノ関係上尚コレ等ノ製品ガ市場ニ出廻ル迄ニハ相当ナ日月ヲ要スルモノト考ヘラレ、コノ時間的空隙ニ於ケル一般需要ニ応ヘテ当社ニ於イテハ目下従来ノ手持受信機ニ付加装置ヲ附スル事ニ依ッテ簡単ニ全波受信機ニ改造出来ル方法ヲ工夫創案シ鋭意製作中ナルモコノ付加装置ハ使用資材ガ少ク技術的ニ高級性能優秀ナル為既ニ一般及ビラヂオ商方面ヨリ予約申込ヲ続々見ツツアリ。当社ニ於イテハ大体明年六月迄ニ五◯◯台(価格四◯万円)ヲ製作スル予定ニテ以後ハ全波受信機ノ市場出廻リ状況如何ニ依リ態度ヲ決スル予定デアル。
 当社ヘノ修理依頼ハ戦災ニ依ル被害数量ノ多キ為ト高級セットヲ安心シテ託スルニ足ル信用アルラヂオ業ノ少キ為、日ヲ追ッテ増加シツツアリ、コレニ対シ当社ニテハ利益ヲ第二義トシ例ヘバ故障修理理由ヲ素人ニモ理解シ易キ様ニ解説シタルメモヲ与ヘルガ如キ親切丁寧ナル方法ヲ以テサービス精神徹底化ヲ期シツツアリ、一旦手掛ケタルセットハ最後迄其ノ責任ヲ持チ如何ナル煩雑ナル要求ニ対シテモ快ク応ズル精神的態度ハ我ガサービス部ノ本質ヲナルモノデアル。
 其ノ他数ハ少キモ絶対他社ノ追随ヲ許サザル最高水準ヲ行ク高級受信機ノ製造、当社独自ノ電気部品、家庭電化用品ノ製作モ種々企画シツツアリ。又海外技術ノ紹介、一切ノ無線史料、図書ヲ具備セル図書館ノ設置講習会開催ニヨル一般電気知識ノ啓蒙活動等モ将来ノサービス部ノ重要ナ課題トナルデアラウ。

(株主トサービスノ問題)
 尚将来株主ニ対スルサービス(電気一般)ハ特ニ重点的ニ之ヲ行フ予定デアル。即チ株主対会社ノ一般的関係ニ自由ニサービスヲ要求出来ル会員制度的性格ヲ持タセル事ハ意義アリ興味アル試ミト思考サル。
 新シイ機械、テレヴィジョン家庭模写電信(無線ニ依リ新聞ヲ伝送印刷スル装置)等ノ新製品ヤ家庭電化用品ヲ優先的ニ提供シ従来ノ一般的ナ関係ヨリ、特色アル緊密ナ形ニ結ビ付ケルデアラウ。
 家庭電化ガ日ヲ追ッテ盛ンニナル傾向ニアル今日特ニソレハ有効適切ナ方法ト思考サレル。

二、 測定機器部門
 現在ラヂオ製造者ノ数ノ多キニ比シテコレノ製作修理ニ必要ナル測定器ノ製作者ハ極メテ寥々タルモノデアリ又一般ラヂオ業者ニシテ調整修理ニ当リ測定器ヲ用フル者ハ皆無ニ近イ状態デアル。然シ従来ノ一般ニ普及セル程度ノラヂオ受信機ナラバ現在ノラヂオ業者ガ行ッテイルガ如キ所謂『カン』ニ依存シタ方法モ可能ナルモ今後高級受信機、全波受信機ヲ一般ガ使用スル様ニナレバカカル非科学的方法ハ其ノ存在ヲ許サレナクナル事ハ明白ナ事実デアル。過去ニ於テ測定器製造ガ活溌ニ行ハレナカツタ理由ハ技術ノ困難と多数ノ標準器ヲ必要トシタ為デアルガ何レニセヨ測定器製造業者ノ数ガ少イト云フ事実ハコノ方面ヘノ技術的経営的分野ガ未ダ多分ニ残サレテイルト云フ事ヲ物語ルモノデアル。即チ使用資材ガ少ク価格ガ高価デ競争相手ガ少イト云フ点デ極メテ経営的ニ有利デアリ高度ナ技術ヲ有スル企業家ニトッテハ真ニ絶好ナ進路ト云フベキデアル。
 我々ハ過去ニ属シタ日本測定器株式会社ハコノ数少イ測定機器製造業ノ内ノ屈指ノモノデアッテ僅カナ資本ト貧弱ナ設備ヲ持ッテ極メテ短日月ノ間ニ驚クベキ発展ヲ遂行シ得タノモ時局トハ云ヘ一重ニ測定機器部門ノ持ツ経営的特性ニ依ッタモノト断言出来得ルノデアル。
 日本測定器株式会社ノ主要製品ノ一ツタル超短波用ノ真空管電圧計ハ我々ノ十年近イ年月ト血ノ滲ム用ナ努力ノ結晶デアッテ、其ノ一般ニ於ケル絶大ナ定辞ハ云ハズモガナ正ニ我ガ国ノ世界ニ誇リ得ル測定器ノ一ツデアル事ハ今回米国進駐軍ガコレニ対シ異常ナ感心ヲ持チ参考ノタメ本国ニ持帰ツタ事実ニヨッテモ雄弁ニ物語ラレル所デアラウ。コノ真空管電圧計ハコノ度ノ新会社ニ於テモ其ノ儘踏襲シテ製作サレル予定デ既ニ逓信院ヨリ本年度トシテ百五拾台(約三十万円)ノ発注ヲ見、三月末マデニ完成ノ予定ニテ目下鋭意進行中デアル。尚逓信院トシテハ二十一年度ノ一括発注モ用意サレテアリ、一般ヨリノ需要モ相当量ニノボル事ハ必至ニテ又将来テレヴィジョン開始トナレバ欠クベカラザルモノニナルデアラウ事等ヲ考ヘレバ単ニ真空管電圧計一種ノミヲ製造品目トシテモ充分会社ノ経営ハ成立シ得ルモノト思考サル。
 其ノ他特殊ナ高級測定器ヲ順次製作スル計画デアルガ特ニ重点ヲ置キ度イノハ余リ技術的訓練ヲ受ケテイナイラヂオ商ニモ高級ラヂオ診断ガ自動的ニ行ヘル様ナサービス用測定器云ヒカヘレバセット分析器ト云ッタ如キ種類ノ測定具ノ製造デアル。カカル測定器ノ普及ニ依ッテ一般ラヂオ商ノサービスヲ真ノサースタラシムル事ガ社会的ニ充分意義ヲ有スルモノト信ズル。
 ソシテコレハ大セットメーカート連結シ其ノ適合シタ診断ヲ行ヘルガ如キ装置ニスル予定デアル。
 前記サービス部門ハ大衆相手ノ直接ノサービスヲ意味スルトスレバ街頭部門ト云ヘバ専門家相手ノサービス部門ト云ヒ得ルデアラウ。サービス精神ノ徹底化ヲ計ル事ハ前者ノ場合ト勿論同様デアル。

三、 通信機部門
前述ニ部門ハ大体会社ノ維持経営ヲ分担スル部門デアルガ、該当部門ハ当分ノ間新シキ特殊通信機ノ試作研究ヲ分担シ今日ヨリモ会社ノ明日ニ備ヘ将来ノ大飛躍ヲココニ期待シ得ルノデアル。逓信院、運輸省、内務省等ハ再建日本ノ重要課題タル通信網ノ能率上昇ヲ積極的ニ企画シツツアリ、当社モ其ノ要望ニ応ヘ全ク新シキ種々ノ試作ヲ実践中ニシテ其ノ内ノ主ナルモノヲ次ニ簡単ニ説明スレバ、
イ、 時分割多重通信方式
コレハ現在ノ有線或ハ無線ヲシテ簡単ナ装置デ三十、四十等ノ多重通話ヲ可能ナラシムルモノデアッテ東北帝大ノ通信研究所ニ於テ昭和十八年ヨリ研究ヲ開始、戦時中、特ニ発達シタ電波警戒ノ技術ヲ多分ニ取リ入レタル極メテ特色アル方式ニヨルモノデアリ逓信院、運輸省デモ其ノ成果ヲ非常ニ注目シツツアリ、鉄道省発注予定ノ試作セットガ完成シ成功スレバ現在計画中ノ青函十二重超短波無線電話装置(見積価格、約五六十万円)ノ註文ハ当社ニ来ル予定ナリ。
ロ、 簡易重畳電話装置
コレハ現在ノ電話線ニ尚一通話増シテ二十通話をヲ可能ナラシムル(現在ノ線路ヲ使用シテ倍ノ通話ヲ可能トス)非常ニ簡単ナ装置デ既ニ日本測定器株式会社ニ於テ全ク他ノ目的ヲ持ツテ多年研究サレタル或種ノ兵器ヲ若干改良スレバコノ目的ヲ充分果シ得ラレルノデアル。目下盛ンニ試作中ナルモコレモ又当社技術人ノ独壇場オ家芸ノ一ツデアッテ完成ノ上採用トナレバ其ノ需要度ハ恐ルベキモノデアラウ。
ハ、 録字通信機
コレモ戦時中航空通信ニ用ヒ操縦士ニ電信符合拾得ノ煩カラ脱セシムル目的ヲ持ツテ企画サレタモノデ完成ヲ見ズシテ終戦トナツタモノデアル。送信側ニ於テ電鍵ノ代リニ五十音ノタイプライターヲ叩ケバ受信側デハ通信文ノ五十音ガ順次テープ上ニ印字サレツツ出テ来テ通信ガ終レバテープハ停止スル。装置ハ簡単デアリ送信装置ハ大体携帯用タイプライタート同型、受信装置ハ手提金庫程度ノモノデ有線無線双方ニ使用出来、将来電信局デコレヲ叩ケバ加入者側デハテープノ電報ヲ受ケル事ニナリ又家庭デ電話ヲカケテ留守ノ場合等ハコチラカラ伝言ヲ叩イテ置ケバ何等ノ技術モ要セズ先方ヘ伝言ヲ書イタテープヲ残ス事ガ出来ルノデアル。又鉄道等ノ指令装置ニ用ヒテモ命令ノ内容ガ明瞭ニ印刷サレル為極メテ多ク電信機ノ当然到達スベキ理想ノ一ツノ型デアルガコレノ完成ハ非常ニ意義深イモノガアラウ。本機ノ製作ハ相当精密ナ機械装置ヲ必要トシ現在ノ状態デハ即時製品化スル事ハ困難デアルガ取敢ズ試作ダケハ完璧ナモノニスル為 設計進行シツツアル。
ニ、 プログラム選択受信方式
コレモ日本測定機器株式会社ニ於テ研究完成シタル兵器ノ応用品デアル。放送局ニ於テ其ノプログラム毎ニ異ツタ周波数ノ音(例ヘバニュースナラバ「ド」音楽ナラバ「レ」ノ如ク)ヲ放送前ニ一寸出ス(ピアノヲ叩ク程度ニテヨシ)ト受信側デハ其ノ音ノ高サニヨツテ動作スル周波数継電器ガ動作シテ受信機ガ働ク其レ故ニ聴取者ハ自分ガ聞キタイト思フプログラム丈ノボタンヲ押シテオケバ自動的ニラジオノスイッチガ入ツテ其ノプログラムノミ聞ク事ガ出来ル。其レガ終レバ矢張リ特定音ヲ出シ又自動的ニスイッチヲキル事ニナル。其ノ他コノ装置ヲ用ヒ自動的ニ時報ニ時計ヲ合ス事モ可能デアル。
ホ、 其ノ他特殊部品
音又発振器、濾波継電器、音又時計等ノ如キハ当社独特ノモノデ戦争目的ヲモッテ研究製作シ来レルモノノ内今後ノ通信技術方面ニ転換利用可能ナルモノ数多クアルヲモツテ各方面ノ要求ニ応ジ逐次製作シ行ク予定ナリ。

Posted by takeshi at 02:25 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 16, 2004
理想の家と近くにあると良いもの
ゲオとブックオフは近くにあると良い。

超ハイテクな部屋と純和風ですごい落ち着きのある部屋が欲しいな。

あと、理想は小さな美術館があるといいかも。

Posted by takeshi at 10:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
希望格差社会の到来
RHEOS REPORT の記事を見て。

僕は、小さいころ自分は何も出来ない人間だと思っていた。しかし、中学ぐらいのある日、思った。僕よりも物事ができない大人っているよな。その人たちが世の中で一人で生きていけるんだったら、俺もなんだって出来るジャンって。(この考えが、いかがなものかと今は思うが。)で、昔は本当に何も出来ないと思っていた。自分で世の中にインパクトのあることは出来ないとおもっていた。小さいころはテレビの世界はどっか別世界で、国を動かしているのはとてつもなくスゴイ人と。しかし、年を重ねるごとにやろうと思えば何でもできるというように思ってきた。ドンドン、希望が出てきた。特に高校・大学になってからはそれが顕著だと思う。いまや、超楽観的と言われてしまうほど、、、

しかし、みんながこう思っていないのが現実みたいだ。高校のときだったと思うがこんなことを友達から言われた。小さいころは夢があった。何でも出来そうな気がした。でも年を重ねるごとに何にも出来ないんだと気が付き始めたと。さらに、成人式のときに地元に帰って地元に残っている人と話しても同じようなことを言われた。

コレは大問題だ。特に地元に残った人がこのような思いの人が多い気がする。何をやっても意味がない。努力しても何も変わらない。そう感じていそうだ。もともと、そういう考え方の人が地方に残る気もする。希望を持っている人は東京に流れている気がする。このままじゃ地方の希望はまさになく、絶望だ。

僕の聞いた感じから推測すると、年を重ね絶望してしまった人でも、小さいころは希望があったり、夢があったり、何でもできると思っていた可能性が高い。しかし、生きていく中でさまざまな経験をして壁を感じた。その積み重ねにより希望をなくした。ココが問題だとする。

コレを何とかすれば、希望を持つ人が増えるのではないか?すると、やっぱり教育だろう。コレは無理だとか、それはやってはいけないとか、先生を神聖化した・絶対的存在とした教育をやめる、マイナス方式の教育をやめる。出来たらほめるとか、努力したら出来るレベルの問題を個別に出すとか、一つの答えを絶対とする問題ばかりをやめるとか、加点方式の教育をする。思いつきだけどこうすればいいんじゃないかな。

こういう教育をすれば、絶望する人が少なくなり希望を持つ人が増えそうだ。それに地方の状況も絶望から希望に一歩進みそうだ。

中央公論12月号の「希望格差社会の到来」は目を引いた。パラサイト・シングルの山田昌弘先生の論文である。
詳しくは一読をおすすめするが、この中で特に目を引いたのが「希望の社会心理学」という言葉である。もともとはネッセという社会心理学者の開発したものらしいが、「希望という感情は、努力が報われると感じるときに生じる。絶望は、努力してもしなくても同じだと感じるときに生じる」と規定しているそうだ。

現在の日本は、少数の「努力が報われる」と感じている層と何をやっても変わらず「努力が報われない」と考えている大多数に分化しているかもしれない。それが希望格差社会である。中核・専門労働者になれる可能性がある特定の学校で勉強できる者と、いくら勉強してもフリーターという「ステイタス」にしかなれない学校で勉強している者では、学習意欲がある生徒とない生徒に分かれるインセンティブ・デバイドが生じてしまうという。

インセンティブ・デバイドの問題を解決せずに、「がんばれ」を連呼しても意味がないのだろう。希望を信じている人には希望がない人に対する想像力が欠けてしまう。健康な人が不健康な人の気持ちがわからないように。酒が飲める人が酒が飲めない人の気持ちがわからないように。人の気持ちを踏み潰すのは、多くは想像力の欠如である。

山田先生は社会学の先生だが、投資の世界にはこれからは社会学の素養も必要になってきているように思える。フリーターやニートの問題から目をそらすわけにはいかなくなってきている。

 

 

Posted by takeshi at 01:57 AM | コメント (212) | トラックバック (0)|
情報の感染-曖昧な世の中を生きるということ-
今日、養老さんの番組を見て、そして昔のことを思い出し、シリーズ系のNHKスペシャルが頭をまわり、過去に読んだ本を思い出したり、自分の考えを頭でぐるぐるさせたり、ITやその他の技術進歩、芸術・仏教なんかも少ない知識と足らない頭で考えちゃったりした。

私は言いたい。「曖昧」これだ。コレだといっている時点で曖昧でないという突込みがくるだろうけど。まあ、少なくとも今僕はそう思う。まあ、コレだと正確には頭では感じていない。そう感じる、キターって感じの時になる、なんか不思議な脳の感じが起こっている。

「曖昧」というキーワードが頭に浮かんだ。で、なんとなく自分のブログで検索。すると相手には伝わってなさそうだけど、自分が何かしら感じたけど言い切れていないエントリーがいくつかヒット。そこで、自分の中で強い思いになった。

で、曖昧、曖昧って何がいいたいか。

僕が、生きる今後の世の中はこの考えがさらに大きな波として押し寄せてくる。そんな世の中をどう生きるか。そう、これは僕にとってすごいことです。今後の社会の生き抜き方を梅田さんや大前研一さんはサバイブという言葉で表現している。僕はそう短い言葉ではまだいえないが、この文章のようなことを踏まえた上での生き方ということが言いたいのです。

パソコン・インターネット・携帯電話などのデジタル製品の普及、いわゆるIT革命によってアナログ時代よりもモノの移動、情報の移動など、世の中のもののデータを取りやすくなり、それを集約して分析することなどが可能になり、より精度の高い分析になると思われていた。しかし、実際は違うと思う。ありとあらゆるところで、情報はうまれ、流れ、その情報は変化している。1年か2年ぐらい前一度僕が使った言葉「情報は感染する」こんな感じだと思う。まさに感染なのだ。どこでどう移ったかもはっきりしない。そして、ウイルスは変化もする。そしていろいろな場所で、また同時にどんどん増える。このようになっていては集約することも出来なければ、精度の高い分析も出来ない。今後なんてより情報量は増え、さらに今までの情報もたまっている。情報があふれている時代といわれる。同じ物事に対しても、さまざまな立場の意見、事実は一つなはずなのに証拠があるとされる事実とやらがいくつも出てくる。そんな時代だ。そんな情報があふれた次代を越え、その次にくるのはこれらを踏まえた「曖昧な時代」だ。同じものでも形を変え、どこにあるかも、その数も、分からない、そして定まらない時代だろうと思う。

よく言われることだが、お金というものが絶対的な指標ではなくなって来ている。この考えはより多くの日本人の中にやどるであろう。もちろん、いわゆる高偏差値大学が人間の価値も決めない。明確な順位が現れない、すると人間は何を指標にするのか、何を支えにするのか。

コレだと、明確なものが物質的にも、情報でも、自分の中の思いなどでも少なくなる、ほとんどなくなる、明確かどうかなんて分からず、判断が付かない、判断が付いたとしてもそれはすぐ別の判断に変わってしまうかもしれない時代。こんな時代をどう生きるのか。

量子論は答えを教えてくれるのかも知れないと思った。量子論は理論では分からない部分がある、しかし応用では実際に使えるものとして役立っている。じゃあ、理論は完璧に分からなくてもまあいいんじゃないかと。科学というものの中でこのような考えは珍しいというか斬新なのではないかと思う。

曖昧なものを、抽象的なものを、しっかりと定まらないものを、ほんのちょっとの変化を、自ら感じ、知り、受け入れて、見極め、行動する、こうすることが重要な時代になるのではないか。明確な答えを求めるのも良いが、そうしたら死ぬまで明確なものなんて見えてこないだろうから。「曖昧なものを曖昧なままでも受け入れる覚悟を持って生きる」ってことがポイントじゃないかな。

曖昧、抽象的なんだから結局人に伝わらないような文章になった。といって逃げるつもりはない。より、僕の脳の中のものを伝えられるようにしていきたい。この文章はただ単に人間が曖昧な不安をもって日々暮らしているってことが言いたいわけじゃないですよ。それだけしか伝わってないかもしれないけど。

「漠然とした不安」というのは、芥川龍之介が自殺の理由として残した言葉だとインドで聞いたのだが、先をいっていた人なんだろうなと再認識。
人間は固定した川ではないと養老さんが表現したが、人間は雲って言った方が分かりやすい気がする。雲なら形が変わるのも、流れているのも目に見やすいから。ああ、そういえば小学生のころ校庭に寝っころがって流れる雲を見たときの衝撃は今でも忘れない。南校舎の非常階段とボール置き場の間だったな。

曖昧の検索結果

Posted by takeshi at 12:25 AM | コメント (231) | トラックバック (0)|
November 15, 2004
バカの壁
ザ・ヒューマンD 「TV版“バカの壁”養老孟司」売上374万部大ヒット▽解剖学教授の不思議な頭の中と常識・非常識

テレビ東京 11月15日 22時~

養老さんに密着した番組、後半の方が面白かった。

昔、バカの壁を読んだ。そのときは当たり前のことしか書いてないじゃんと正直思った。ご本人も当たり前のことを書いたおっしゃっていた。著者の言いたいことが少しは分かっていたけど、読んだときはまだまだ未熟だったんだ。そうなんだろう、当たり前のことを当たり前と思える、そう。そこだ。

「日本の伝統的な思想」と自らおっしゃっていたが、そんな感じがした。仏教的な考え方なきがした。「無常」とか「空」とかそんな思想が伝わってきた。
以下メモ

講演の原稿を作ったら、話が死ぬ。
内容は考えるけど。

大阪のハローワーク「自分に合った仕事が見つかるかもしれない。」とあった。
こう書いてあるということは、まず自分があるはず。しかし、「自分」なんてそんなちょろい物でもない。

仕事は世の中に必要だからある。自分にあってるあってないは関係ない。あってないといってやらなかったら生きていけない。社会に必要だから仕事である。本気でやれ。

教育が大事。人間の本質的には教育がかかわる。
今は教育が人を変えることをまさかと思う。おかしい。
オーバーな例として教師が麻原だ。大人だってあそこまで変えられる。人を善導するのが宗教。

本とか読んでて違うだろう、と思う。それで、人に伝えようという意識になる。根本的に納得できないことがあると考えないといられない性格。あたっているかあたっていないかではなく、自分に納まるかどうか。

バカの壁、口述筆記
ニーズがあった。自分で書くと文体が古い。
メール的文体で書かれている。
日本の伝統的な思想。(今の人と正反対)
現代人は自分を川だと思っていない。今の人は自分を固定した川だと思っている。固定した自分があると思っている、思い込んでいる。アメリカから流れてきた。錯覚である。
固定した川は死体である。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中にある人と住みかと、またかくのごとし」

バカの壁は常識の本

意識中心主義、自分が分かっていることだけ中心で世界を理解しようとする。しかし、それでは視野が狭すぎる。知らないことの方が多いんだから。
養老さんがタバコを吸っていて、スタッフが体に悪いからやめないのですかと質問。
大気汚染の原因なんて山ほど、しかし分かっていないことのほうがたくさん。
タバコをすっていても、すっていなくても解剖した人の肺はすべて真っ黒だった。空気が汚いからだろう。

どうせ仕事をするなら、準備から最後のごみすてまで自分でやる。そうしないと仕事を飲み込めない。それをやめて分業するのが文明の進歩かもしれないが、胡散臭い。少なくともある時期は全部やらないといけない。

別に天地あり 人間(じんかん)に非ず

専門を解剖学にしたのは興味ではない、心理である。国民学校2年生。その世代は安心できることが少ない。そうすると解剖は安心である。

どんなに下手に解剖しても、どんなにうまく解剖してもお前がやったことあろう。
彫刻や絵もお前が彫ったんだろうで終わる。絵描きや彫刻家は作品が残る。解剖はばらばらになって売るものがない。そこが辛いところである。形あるものが消える。

山奥で1000日走って修行しても一切GDPに影響を与えない。だが、重要なことがある=自分が変わる。

年をとると責任を感じる。若い人が分からないことがある。伝えておかないと。と思う。

何とかしなければ。ダメといっても始まらない。 中庸にもとづいて。

すきなことしかやりたくない。でもその好きな仕事をやるためにやらないといけないことがある。

個性を心だと思っているが違う、脳だ。脳は体の一部なんです。

ボーっとしていることが出来ない。なんかしていないと。

科学者は客観没入、誰が見てもそうだということに陥る。

ともかく、私は還暦を過ぎるまで生きていました。そういう答えがあるのかということを分かっていただければ幸いです。また皆さんの答えが違うことを祈ります。

Posted by takeshi at 09:56 PM | コメント (212) | トラックバック (0)|
マジですか?
今日、二郎へ行った。
またかってのはどうでもいいんですけど、そこでびっくりすることが。

知らない人のために前提説明。
ラーメン二郎ってだいたい長い列が出来ているんです。それも常に2,30人。そんで、回転率も悪い。作るのにも、食べるのにも時間がかかるから。まあ、とにかく待ち時間長いんですよ。それだから、少しでも前に並びたいわけです。

昼の時間なんてぞろぞろ二郎めがけて人が歩いてくるんです。それで僕は、二郎に近づくと二郎に並びそうな人たちがいないかチェックする。二郎に並びそうな人がいたら小走りで彼らより前に並ぶのです。学生の男ずれか、サラリーマン、工事現場の人がだいたいの客層です。今日は、周りを見回しても歩いている人は40代半ばの夫婦とその娘ぐらいで並びそうな人がいなかった。それで、歩いて並ぼうとしたのです。すると、驚き。僕の前に40代半ばの夫婦とその娘が並んだのです!こぎれいな夫婦ですよ。明らかに来る店間違ってますよ。って教えてあげたかった。

しかし、ちょっと待てよ。並ぶんだし、こんなとこにある二郎だから、あえて来たのだろう。それもジャージとかじゃなくってちょっとおしゃれな格好をした家族なんです。想像ですが、多分父親が慶應を卒業した人だろう。そして、二郎を思い出して食べたくなって、そんでもって自分の昔の思い出の味を家族にも味わって共有したかったんだろうな。と。
並んでいるとき父親が娘に食べたら器をカウンターに置くことや、面を少なめ油抜きって言うんだとか教えていた。その父親の顔は得意げだった。うれしそうだった。ただ、母親と娘の顔は疑いの目だった。さらに、店内に入ってからは、こんな汚い店!器が汚い!量が多すぎる!犬のえさ!ってな感じで母と娘はしかめっ面だった。

男って自分勝手なのかなとか、思ってました。純粋だなとも思いました。幸せな家族なんだろうなとも思いました。僕はその父親の気持ちが少し分かった気がした。

Posted by takeshi at 07:48 PM | コメント (200) | トラックバック (0)|
November 14, 2004
平均より15年分、能力が低いことを知りました。
昨夜、寝る前に教育テレビをつけた。昔から教育テレビや地元の局をみる人間だったので、なんとなく。
なにやら小学校向けの教育番組がやっていた。国語の番組だった。
それは「にほんごであそぼ」という番組だった。(←色を変えたので前よりもリンクが分かりやすくなりました。)

その番組は、小学校の国語の授業関連の番組らしく、昔教科書で読んだような宮沢賢治などの文章を朗読していた。「くらむぼんはわらったよ」などと。なぜか知らないがこの言葉に反応。夜中なのにテレビを真剣に見てしまう。この音の響きとそれが与える印象がたまらなく心地よい。さらに、田舎のおじいさんが「アメニモマケズ」を朗読していた。それもなまって。これもたまんなく良かった。特に「サウイフモノニ  ワタシハ  ナリタイ 」という最後の部分にやられた。まさに、やられた。人間さを感じた。

雨ニモマケズはここhttp://www.mm-labo.com/culture/WiseSaying/a/amenimomakezu.html

この番組を見て、日本語ってきれいだなとしみじみと感じました。「ふるさと」などを好きだったので日本語が美しいとは感じていましたが、小学校教科書に乗っているものがこんなにも良いとは今さら気がつきました。小学校3年生ぐらいの教科書のよさを今頃知る。15年ぐらい遅れていますね。はい。

ここに、昔の教科書がのっています。光村の。表紙を見たら懐かしくなりました。
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/data/travel/index.asp

その後に、やっていたのが秋の童謡「赤とんぼ」「烏」など。いやあ、これも名曲ぞろいですな。前から童謡は好きだったんだけど、秋の童謡を聴いていると、現代日本の季節感のなさは寂しくなる。今はスーパーや企業が季節を無理やり作り出しているだけだから寂しい。というのは、秋になればマツタケがある、柿がある。季節の野菜、季節の行事に関連させたものがある。しかし、それらはその季節に自然に育ったものではなく、ビニルハウスで時期を調整して作ったものであったりする。行事も地元の人がやるのではなく企業が販促のために行う。そういう季節感しかない。作り出した季節感は僕になじまない。で、話は戻って四季を感じるような生活はいいものだなと実感した。秋特有のぬくもりを感じながら生活する。

Posted by takeshi at 04:32 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
iTunesで性格分析-
iTunes曰く、2日分音楽があるらしい。
全く違う音楽を、2日間聴き続けれるのか。
そう思うと多いな。

CDRに焼いてあるのもあるからもっとなのかなぁ。

2日分566曲とりあえずiTunesの中に入っている。だいたいシャッフルか1曲リピートで聞くことが多いです。すると、偏りが出てくる。何で分かるかっていうと再生回数Top25なるものが表示されるから。iTnesに変えてから日が浅いので再生回数自体は少ないが、そこを見ると、

1位86回 2位79回 3位66回 4位36回 5位35回 5位35回
7位32回 8位25回 8位25回 10位22回 11位21回 11位21回
13位19回 13位19回 15位18回 15位18回 17位13回 17位13回  
20位12回 20位12回 20位12回 23位11回 23位11回 24位10回 25位8回

非常に見づらいのですが、1位から3位までが圧倒的に多い。4位からガクンと再生回数が下がる。コレを見ると、特定の曲を聴きまくっているということになります。そう思えば、ああいいなと思ってゲットした曲は一曲リピートをしてずーっと聞いている。

シャッフルでしか聞かない曲はほとんど聴いていないのだな。そっか。そっか。
ほとんど同じ曲しか聞かない。コレと思ったらそれしか聞かない。僕の性格自体がコレだと思ったらそれに特化する傾向があるのかも。いい面もあれば悪い面もある。そんな自分を知っておこう。

iTunesからせ性格を見るのもありだな。

Posted by takeshi at 02:06 AM | コメント (3) | トラックバック (0)|
November 13, 2004
緑から青へ
僕の好きな色。緑と青

木々や山の緑
空や海の青

今までは緑色ベースのデザインでした。トップの画像に葉っぱがあったしね。
で、今回は空と海の青。左のエントリーリストなどの水色が明るすぎるかな。

ということで、なんとなくブログの色を変更。

どうですか?

Posted by takeshi at 04:15 AM | コメント (2) | トラックバック (0)|
逆を向いている?
先日話をしていて、なんか、感覚が逆のときがあるという話に。(この書き方では誰もわからないと思います)

手を前に出して右と左手をクロスして手のひらを合わせて胸元に引き寄せて、組んだ手をグルットイッ回転させて前に出す。その状態で、他人に、適当な指を上げるように指示してもらう。すると、指定された指を上げることが出来ない。見たいな話。(まあ、コレでも分からないと思いますが、僕は分かるので、自分のメモには十分です。)
しかし、これ一回ミスをして気がつくと、後からは問題なく指定された指を上げることが出来る。人間はその場で学習し、クロスした状態を補正認識したのだ。

南半球の人の北の感覚と北半球の北の感覚は違うのかという話にも。
そんな話をしながらこんなことを考えていた。

僕は、世界中どこへ行っても、こっちが西とかこっとが北とか感じる。それは太陽の向きとかそういう情報を使わずに感じる。あっているときも間違っているときもあるのだが。コレはなぜだろうか?そんなことを考えたりしていた。

で、また、僕がふともう。
話はとぶのだが、朝起きる。目を開ける。なんか感覚的にいつもと違う向きで寝ているよう。いつも東を向いて寝ている。その夜も東を向いて寝た。朝も東を向いている。コレは紛れもない事実。しかし、なぜか感覚的に西を向いている感覚がして起きることがある。その時なぜだ、と不思議に思う。起きて目に入ったものが西向きに寝たときの物であるというわけではない。感覚として西を向いているのだ。しかし、30秒ぐらい立つと、いや東向きに寝ているとしっかり認識できる。脳はこのときどうなっているのだろうか?

まあ、不思議な話でした。
Posted by takeshi at 01:33 AM | コメント (240) | トラックバック (0)|
November 12, 2004
やっと手にした
新札というものを今日始めて手にしました。
遅すぎです。発行後12日たっています。

千円も五千円も一万円も見たことはあったんですけど、新札がが自分の財布に入ったのは今日が初めてです。はい。

野口さんのみです。樋口さんnew福沢さんは私の財布デビューはまだしていません。

小さいころだったら、新札とか見たら相当ショックを受けただろうけど、その事実を淡々と受け入れてしまう。まあ当たり前なんですけど。それがいろいろなことを経験した、成長した、常識をしった大人なんでしょうね。精神年齢は幼稚園児ですが (爆

子供のころなら新札をどう受け止めたのか、感じてみたいです。

Posted by takeshi at 06:39 PM | コメント (337) | トラックバック (0)|
検索の先にあるもの
Yahoo!がだいぶ前に登場し、googleが数年前に登場し、ありとあらゆる会社が検索サービスをやり、さらにデスクトップ検索でこれまたありとあらゆる会社がデファクトを取ろうとする。

それは、ネット上の情報が増えたり、PC内の情報が増えたから、すばやく仕事をこなすにはてきぱきと見つける必要がある。有益な情報を早く見つける。このためだ。

しかし、SEOなどによって本当に有益なものが上位に検索結果として現れるか分からない。
http://www.teratown.com/blog/archives/000732.html

このまま数が増えたら検索では間に合わなくなるのではないか。

もっと、曖昧な記憶、情報を検索できないか。

なんか、検索の先にあるものがあるんだろうけど、それはなんだろうか。
実は、まず自分の情報を整理して保存することから始まったり。その保存のhow toが重要になったり。

Posted by takeshi at 03:29 AM | コメント (349) | トラックバック (0)|
実は「絵」を見たことがない
もちろん、絵は見たことがあります。いまいちと言う絵も、なんでこれが評価されてるのっていう絵も、ふーんって感じで終わる絵も、いいなと言う絵も。ただ、”これだっ”っていう絵を見たことがない。

写真、音楽、建物、町並み、風景でこれだっって感じのものは見たことがある。

・建物で言えば、ガウディのカサバトリョ。特に内装。

・写真は何枚かあります。「飛ぶ夢をみた」
とか自分で撮った写真にもいいものがあります。

・風景で言えば、モロッコのカスバってところから見た海。コレはすごかった。ここのページにもあります。ここで海を見て、何時間も付きまとってきたが無視し続けた偽ガイドにお金を払ってしまった。なんか、この海を見て、そんなことどうでも良くなって払ってしまった。そこまで気持ちを変えさせる海だった。

・町並みはネパールのダルバール広場 なんか昔にタイムスリップした感じがして良かった。

・音楽はやはり the song of lifeがいいですね。あと篳篥、バイオリン、サックス、ピアノなどの音色。

これは、その写真を見たり、音楽を聴く時の前後に何があったかとか、どんな心境だったかによっても違うかもしれない。でも、モロッコで海を見て不意にお金を払ってしまったように、それらをどうでもいいと思わせるくらいのものがあるのかも。

別に、風景画でも自画像でも抽象画でもなんでもいいんですけど、これだっと思える絵に出合いたいなと思う今日この頃です。書道とかオブジェとか詩などの文章でも。まあ、美しい言葉にはたまに出会いますな。

実は昨日、鳩が円になっていて一羽ぐらいはみ出ている、(←表現が下手ですいません)を見せてもらったんだけど、あの絵が今、頭に残っていて気になっています。

Posted by takeshi at 01:38 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
googleでランキング
有名人度 googleテストというエントリーを見つけました。

そこで、前から僕が言っていたgoogle検索結果による大学ランキングを書いておきます。

「大学名で検索した結果のヒット数÷学生数」
この数値でランキングすればだいたいの学校のレベルは分かります。IT化の進みまくった大学など例外はありますが。

「大学名 pdfのアンド検索結果数÷教授人数」
これで、教授のレベルがどれほどかが分かります。どれほどかというか論文の発表数や引用数などとも関連しているので。

どんなランキングであろうと、なんだろうと、自分がよいと思い納得したところに行くのが一番なんですけどね。まあ、指標の一つとして。
Posted by takeshi at 01:31 AM | コメント (336) | トラックバック (0)|
トップ・ランナー
「信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた」で書いた神田真吾さんについてトップランナーでやっていた。

やっぱり、人間的魅力がありますね。

オーストリア国家公認キュッヘンマイスター
神田真吾

年間数人しか合格しない
16科目筆記試験、5日間の実技試験。
経営学、フランス語、英語、ワイン学、食品法規、従業員教育、観光学、火気取り扱い法規、衛生学、論文、チーズ学、簿記、栄養学、ハーブの知識、など
栄養バランス、料理中の立ち振る舞い、助手への指示の出し方、盛り付け、とすべてを問われる。
320品目の食材

実技試験の食材は事前に知らされていない。分量表などを作り、見習いの人にドイツ語で教える。

資格を持っていると5つ星クラスのレストランで料理長がOK。

試験のとき、見習いの人がソースを捨ててしまった。頭真っ白。臨機応変に対応しないと。フライパンに残っていたものでソースを作ってなんとかなった。
一生に一回しか受けられない試験。
緊張、寝れない。しかし、落ち着いて状況判断しなければならない。小さいころから剣道をやっていた。そこで剣道素振りで精神統一。集中できた。

合格

ノイエ マイスター 新しいマイスター
と、試験管が肩をたたいて教えてくれた。

小学校3年生のときに友達から料理の本をかりて、シュークリームを作った。初めから成功した、べチャべチャの生地がさくっと中が空洞になるのを見て理科の実験より楽しいと思った。小学生のころの夢は料理人だった。

高校のクラスで文化祭実行委員。お好み焼き屋。女の子がキャベツをゆっくり切っていた。それで時間がない。そこで神田さんが切った。「スゴイ」そこで、男が料理できても恥ずかしくないと思った。その前は男が料理を出来ることを恥ずかしいと思っていた。

大学進学に向けて勉強。高校のころの夢は研究員。浪人した。浪人時代微分積分のテストが帰ってきて、僕の道じゃない。料理人になると決めた。料理人になりたい。自分の道は料理人しかない。夏期講習の授業受けながらフランス語の勉強。それをいった両親は、父は猛反対、母は泣いたが半年かけて説得。それから料理学校。その後ホテルで修行。知人の紹介でオーストリアの名門ノイエポストで修行。フランス料理をやりたかったが、オーストリアへとりあえず行って足がかりにしようと思った。ドイツ語が分からなかった。

ルーキー師匠、初めは壁があったがご飯に誘ってくれてその壁がなくなった気がした。ホームシックになる。お祭りが開かれたときに、おばあちゃんがスープを作ってくれた。&おばあさんの笑顔と暖かさが伝わる。これでホームシックがなくなった。そんなオーストリアに興味を持つ。

愛情って本当に大事。やる気のない料理人が作った料理はうまくない。

忘れられない料理
・母のハンバーグ、どんな料亭や高級食材のものよりも忘れられない。
・子牛の内臓、肺と心臓 煮込み料理、味は繊細、先輩と同じ味を出せたとき、オーストリア人になった気がした。

この方、来年4月日本に戻ってくるらしい、自分の店をもってオーストリア料理を広める。
名門ホテルや、5星レストランから声がかかるが行かなかった。
マイスター試験を受けたのは自分が日本人で、日本にオーストリア料理を持ち帰りたかったから。それが自分の仕事であり夢だから。

オーストリア料理とは自分。自分が変化すればオーストリア料理も変化する。
芯(心)は変えてはいけない。オーストリアの格式や名誉があるから。

オーストリアの地方料理の研究をしている。

Posted by takeshi at 12:02 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 11, 2004
マチュピチュに行けなくなる!?
なんか、マチュピチュにいけなくなるという噂を聞きました。

遺跡を保護するとい言う観点から非観光地化するという話みたいです。いつごろ行けなくなるのかとか、そもそもこの情報自体信じていいものなのかはわかりませんけど。
Posted by takeshi at 09:13 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
1111
今日は11月11日。

朝テレビでやっていたけどいろいろな日であるらしいです。
電池の日だったりポッキープリッツの日だったり配線器具の日だったり、、、
ジュエリーデー、ピーナッツの日、チーズの日、サッカーの日、くつしたの日、おりがみの日、西陣の日、下駄の日、鮭の日、もやしの日、煙突の日、きりたんぽの日、磁気の日、カリントウの日、ライターの日、国祭日 (アンゴラ)

いろいろな記念日なんだな。ぞろ目だしインパクトあるからなぁ。
そして、今日誕生日の皆さん、おめでとうございます。

Posted by takeshi at 02:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 10, 2004
世界遺産写真展III
世界遺産写真展III@新宿高島屋に行ってきました。

この写真展は11月10日[水]→15日[水]しか開催していない。
チャンスを逃したら行く機会がなくなるなと思い、初日に行く。

まあ、初日に行った理由は鳥山雄司さんの「the song of life」ギター生演奏を聞くために何ですけどね。実に良かった。この曲大好きで、どれだけ聴いても全く色あせない曲です。体の奥底からゾクゾクした感じがしていました。聞きほれた。同じ金を払うなら写真展+「the song of life」生演奏の方がお得ですからね。

鳥山雄司さん、実は大学の学部の先輩だったりします。なんでもないことだし、いくらでもいるけど親近感が沸きます。

それと、やっぱ写真好きです。自然の写真とかたまんないなぁ。空とか海とか山とか。
何気ない町の風景や建物の写真も好きです。
自分も一眼レフで写真を撮りたくなります。

ああ、最近乾燥しているので気をつけて!
Posted by takeshi at 08:52 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 09, 2004

夢を見た。

明らかに、昨日の夜考えたことから夢は来ていた。

自分の誕生日に岐阜にいた。
なぜか、親から駄菓子のプレゼント。
それもネットで3,000円(送料込み)、定価で2100円分入っていた。

それから、大学にあるはずのない映画館で映画を見た。
小さかった。日吉記念館の地下の演劇場っぽかった。
内容は覚えていない。

後ろを振り向くとインドであった人がいた。
その直後映画は始まった。

なぜか、場所はトルコ。
2度目の旅行だと自分でも認識していた。
空港からバスに乗った。
記憶していた近くでバスが止まったが、もっと宿の近くに行くと記憶していたので降りなかった。
すると、バスは停車せず、山のほうへ。
まずいと思い、運転手にいっておろしてもらう。
バスから降りるとき、屋根に山賊が乗っていて拉致されそうになる。
が、屋根に一人山賊いるのを知っていたので、前の出口から降りた。
でも、山。
刀を二本持った変な人が何人もいる。
僕の前に来て、しゃがんで刀をクロスさせる。
僕は、何もしないよー、助けてというと、にこっとしてくれた。
その横は川が洪水。
ゴムボートにその刀を持っている人が乗せてくれた。

その後、変なビルに入った。
迷った。日本建築だった。
靴をどこで脱いだか忘れた。
何かに襲われて逃げていた。

そして、グランドフロアと書いてある、回で降りると、インドであった人とその家族に会った。
トルコに1泊2日らしい。
ギリシャで友人の美術展か映画を見てきたと行っていた。

僕も誰かの展覧会か舞台を見た後だったと思った。

そしたら、目が覚めた。
ここまで鮮明な夢も久しぶりだ。

ここからは現実の話。
僕は昨日、どこか遠くへ遊びに行きたいと思ったから、こんな夢を見たんだろう。
行くなということなのかな。

Posted by takeshi at 09:47 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
信念のあるカッコイイ日本人が増えてきた
情熱大陸で神田真吾さんが取り上げられた。

この方は欧州人以外で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになったかただ。「それもこの試験一生に一度しか受けられない。」
言葉も話せない状態で海を渡り、7年の修行。どのような心境で試験に臨んだのか。

「一生に一度しか受けられない試験」
これは味わうことが出来ない心境だと思う。自分が本気になっていることで、その試験が一生に一回。いつ受けるかとかもそうだけど、当日の心境とか、計り知れない。

あの顔の表情とかはすごかった。

カッコイイ。この人もみているとサブいぼが出る。感動する。「漢」だ。
イチローにしろ田臥にしろあげればきりがないほど信念を持ち、輝いている日本人が最近また目立ってきているような気がする。日本も元気になるよ。そんなかんじがする。いや、確信を持っていえる。私もその一翼を担いたい。

7月26日に小泉さんと会っているみたいです。そのときの質問に対する返答がスゴイ。

「プレッシャーはあったが、自分の夢で乗り越えられました」

自分の夢でプレッシャーを乗り越える、困難を乗り越える。そんな人生を送れるようにしよう。

トップランナーで神田真吾さんの回が再放送されるみたいだ。
11月11日(木)
NHK 「トップランナー」(再放送) 夜24時~
関連URL
http://www.jtc.at/cmsjtc/cms/front_content.php?idcat=338
情熱大陸ウェブサイトより

料理人・神田真吾、29歳。今年、日本人で初めてオーストリア国家公認料理マイスターになった。
まだオーストリアに来て7年。ドイツ語もまったく話せない状態からスタートしながらも、名門ホテルで修行を積み確実にステップアップしてきた。
 そんな神田に、この秋大きなチャンスがやって来た。インスブルックという山間の町にある、ハプスブルク家の末裔が住む城。そこで、2,3年に一度ヨーロッパじゅうのVIPを招く大晩餐会が開かれるのだが、その総責任者として神田が選ばれたのだ。
 大舞台に臨み、溢れてくるのは期待とプレッシャー。秋が深まりつつある頃の、神田のまだまだ熱い日々を追う。
Posted by takeshi at 02:21 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
美しい言葉を使う人
美しい言葉を使う人になりたい。

「きらめく海」という言葉を聴いてふと思った。

僕は語彙が少ないと思う。発言が幼稚である。
的確な表現が出来ない(←性格には違うと思っている)とか、一般的にいわれる問題があったり、馬鹿に見られる、ことがある。

まあ、これも問題といえば問題なんだけど、それよりも美しい言葉を使いたい。すごく深く考えてひねり出されるような響きのある言葉ではなく、さらっと美しい言葉。

日々の生活が豊になりそう。

Posted by takeshi at 01:11 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 06, 2004
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学  11月2日(火)~5日(金)NHK教育 

「宇宙論~宇宙の始まりと未来を探る」
「脳科学・脳はどう意識を生むのか?」
「量子物理学・目で見えた!量子の世界」
「言語学・なぜ人は言葉を話すのか?」

4回のシリーズで科学についてかいつまんで紹介する番組をやっていた。けっこう面白くて楽しく見させてもらって、好奇心をくすぐられた。初日だけ見逃してしまったのが残念だ。

量子物理学の回がケッコウ興味深かったです。
どっちにしろ、いまだ解明されていないものってのはワクワクする。

量子物理学の回を見て気になった疑問のエントリー「頼む教えてくれ」と、そのお礼「ありがとうございました」

小柴さんの意味は視聴率のためだけなのか?という疑問はおいておこう。

番組を見ながらメモったものをアップしたのでリンクを貼っておきます。誤認識しているところがあるかもしれません。

Posted by takeshi at 12:52 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 05, 2004
言語学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「言語学・なぜ人は言葉を話すのか?」

宇宙論、脳科学、量子論、言語学の4回シリーズ。

科学は自分で五感を総動員して楽しむものだ。by小柴昌俊

言語学 11月5日23:30~
なぜ人は言葉を話すか
東京大学 酒井邦嘉 助教授

科学的に言語学をどう扱うか?

脳がどのように言葉を生み出すか?

歴史はとても古いが、究極の難問。

言語はなぜ難問か?
・人間しか言語を持っていないため動物実験できない。
・言語は脳の機能の頂点。動物にも意思があり行動している。チンパンジーも考えている。人間は言語を使って思考や意思を生み出している
・言語だけ切り離して研究するのは難しい。知覚、記憶、意識と絡まっている。どこで線を引くか。言語とはいったい何か?

・言語は人間だけの能力か?
ボノボは記号を使って意思を伝える。チンパンジーに手話を教えることも出来るとされている。これらと言語は何が違うか?手話(手の動作を言葉に変換)「ちょうだい、オレンジ。」「わたし、ちょうだい」「たべる、オレンジ」これら類人猿の言葉は順番がない。人間なら「私はオレンジを食べる」で意思が伝わる。「私は、主語」「オレンジを、目的語」「食べる、述語」に分解できる。この順番が決まっている。人間の言語には文法がある。

例:マザーグース、いくらでも長い文が作れる。人間の分は自然なもので、創造的で、新しいものを作れる。自由に作れる背景には法則性があるから。

Q人間にももともとサルなのに、なぜ人間だけ言語を持ったか?
Aコミュニケーションは進化の過程と全く別だという仮説がある。ミツバチのみのコミュニケーション手段がある。他の種のハチは使わない手段がある。

6,500もの言語がある。中国語、英語、スペイン語の純で使われる。メキシコでは240以上の言語が使われている。

古典的な言語学。
歴史性 言語の分類 例:ゲルマン言語、イタリック言語などからの派生

BUT言葉の派生、多様性は歴史性では説明できない。なぜそうなるか、次にどうなるかは歴史性だけではうまくいかない。

ノーム・チョムスキー1928-
言語に対する見方を変えた。説明する仕組みがある。チョムスキーが言う言語は法則。
抽象化:桜の種類が違い花びらが微妙に違う。花びらの枚数は5枚。5枚とも同じような花びら、だいたい正五角形。ここには法則がある。花びらは正五角形であるという抽象化。抽象化は科学の基礎。

理想化

言語の骨(法則性)
__________
↑       __↑___   
↑ ↑      ↑
私は  オレンジを  食べる
S O V

結びつきはOとVが強い。それとSがつながる。

普遍文法 人間後には普遍的な文法の共通性がある。
人間がもとから持っている、主が固有に持っているもの。

プラトンの謎
赤ちゃんのときに家族が話しかけてくる。赤ちゃんのコロは何を言っているか分からない。けれども、1歳ぐらいで分かり始め、2,3歳で話し始める。文法として習わなくても、話し始める。なぜ、誰も教えていないのに、分かるのか?→もともともとあるのではないか。人間に備わっている。

言語獲得装置。
日本語の多くのデーター → 脳 → 日本語の文法
日本語を処理して、文法に当てはめる、言語を獲得するような装置。

言語を科学する4つの方法
・言語学的アプローチ
 抽象化、理想化、骨を明らかにして、普遍的に説明、子どものときからどう知ったか
・脳科学的アプローチ 
 脳の働きから解明
・工学的アプローチ 
 コンピューターで 人工知能 話せるロボット 人間の脳のを抽象化して簡略化してシュミレーション
・遺伝的アプローチ
 ブローカ野をつかさどる遺伝子は? 言葉を話すための遺伝子はあるのか?

ポール・ブローカ 
人間の脳の一部に言語に関する部分が局在 失語症から発見。前頭野のブローカ野がきづ付くと離せなくなる
脳の機能のイメージング
→→→→→→→→→→→→→→→→より細かく見ることが出来る
脳波、脳磁計測、PET、放射能の量から測る、fMRI脳の機能を見る

fMRI fはファンクショナル。機能を見る。電磁波を読み取る。x線より体への影響が少なく、自由な角度から見れる、血液の集まる場所を見ることが出来る。

脳のどこが働いているかを測る。脳の構造を見る。

テレビのモニターをゴーグルの中で見て、英語と日本語を聞かせて脳の働きを見る実験
英語のマッチング課題 (EM)
初めの画面catch
2回目の画面catch cotch
左が同じ
英語が分からなくても解ける問題

英語過去形課題(EPi)
初めの画面close
2回目の画面closed clost
左が正しい
英語が分からないと解けない問題

初めの画面catch
2回目の画面catched caught
右が正しい
英語が分からないと解けない問題

過去形は規則動詞と不規則動詞があると学んだ後の脳
ブローカ野が活動している。英語を学ぶと

日本語に関しても過去形のテストを行ったらブローカ野が活動。英語も日本語も過去形を学ぶと同じ場所が活動した。よって、普遍文法。

実験から分かったこと
・言語の学習によって、脳が変化している。
・英語でも、日本語でも過去形の場合、同じ場所が使われる→普遍文法がある。

ブローカ野
記憶?単語の運用?文法の中枢?実はまだはっきりと分かっていない。
おそらく、文法の中枢

言葉が出てこない
単語が出てこない、文法が使えないと言葉が出ない。あごや舌の問題かも、

言語学は人間の科学。
どういう意味で人間はユニークなのかを言語を通して研究している。

Posted by takeshi at 11:28 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
ありがとうございました
昨日エントリーした。「頼む教えてくれ」で、量子論のテレビを見て分からなかったことを書いたんですけど、さっそく教えていただきました。真にありがたいです。

完璧になぞが解けたかといえばそうではないんですけど、より知るためには物理学や量子論を基礎から学ばなければならないので、そういう意味で完璧になぞが解けてないということです。これは僕の問題なので。

それに、「量子力学概論」という本の該当箇所をコピーしてさらに重要なところを蛍光ペンでチェックしてもらって、解説まで書き加えてもらって。もう、どうやってお礼を言っていいやら。

コメントを下さった皆さんもありがとうございました。

とりあえず、量子論の本を読んでみます。

理論のベース自体はほぼ正しいと証明されているようなので、量子論がどう応用されるかが注目です。量子テレポーテーションも量子コンピューターもまだ時間がかかりそうですが。。。まあ、情報処理とコミュニケーションには大きな変化がありそうですな。
それと、純粋な量子論をやっている方からすれば邪道かもしれないんですけど、量子論の経済への応用と、脳や意識への応用も気になるところです。
以下参考図書 いつも通り自分用
・「「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!
佐藤 勝彦 文庫 」
・「ペンローズの量子脳理論―21世紀を動かす心とコンピュータのサイエンス
ロジャー・ペンローズ (著), その他 単行本」
・「経済・情報・生命の臨界ゆらぎ―複雑系科学で近未来を読む
高安 秀樹 (著), 高安 美佐子 (著) 単行本(ソフトカバー)」
・「経済物理学の発見
高安 秀樹 (著) 新書 」
・「世界が変わる現代物理学 ちくま新書
竹内 薫 (著)」

Posted by takeshi at 10:12 PM | コメント (219) | トラックバック (1)|
田臥勇太
イチローをちょっと前「漢」だといったが、田臥勇太って人間も「漢」だ。

身長は170cmちょっと。バスケの選手なんて2m近くあるじゃん。多くの人間は、その絶対的な差だけでNBAをあきらめるだろう。

それを、彼はあきらめない。ナイキの彼が出ているCMがあった。そこでは一万回パスの練習をして、一万回シュートの練習をして、バスケットシューズを何十足も履きつぶし、、、とっいった感じでいっていた。本当にそうだろう。練習して。練習して。ひたすら練習する。

ハンディがあっても、それを出来ない理由にして逃げない。そんなハンディがあることすら忘れさせるってのがかっこいい。見てる側からすると、ハンディを越えてでっかい奴に勝つのがワクワクするね。

こりゃすごいよ。日本人に勇気を与えるよ。
世界を舞台に体のギャップを乗り越えて活躍する日本人。
ほれるね。

スポーツ界ではこういう男が増えてきた、政治の世界、ビジネスの世界、文学、音楽、絵画などなどいろいろな分野で更なる活躍をし、そういう信念があり、努力し、達成した人間が評価され、報道される日本になることを願うし、そうしていきたい。

彼の言葉にも重みがあるよ。このCMもズシーンときた。
CMのリンク
以下、CMで田臥勇太が語っている言葉。全文。

何回も能代弁で叱られ、
何回も英語でも怒鳴られ、
そのうちの何回かは理解できなかったけれど、
何回も小さいから無理だといわれ、
何回も大男が落ちてきて怪我をし、
何日も眠れない夜をすごし、
何回も人のいうことに耳をふさぎ、
何回も逃げ出そうと思った。

けれど、

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何万回も速攻を出し、
何万本もシュートを打って、
何十足もバッシュを履き潰し、
僕は アメリカのコートに立った

日本人初ということはすごくうれしいですし、

でも、僕のたびは終わりじゃない

これは始まり

何万回もパスをし、
何万キロもドリブルをして、
何万回も相手をフェイクし、
何回も、何万本も・・・・
Posted by takeshi at 01:19 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
頼む教えてくれ
さっきのエントリーで書いたんだけど、量子力学の番組を見ました。そうしたら、すごいことを言っているのです。

観測しない限り、状態が決まらない。それは知らないだけじゃない。らしい。量子の世界では、観測するまで決まっていない。知らないだけではなく決まっていない。
どういうことだ?コレに付いて教えてください。お願いします。

その例として出ていたのは以下の2つです。

・干渉の話で、スリットのどちらを通ったかは観測するまで決まっていない。

・原子が2つの光子をだす。例:左に飛ぶ光子は上向き、右に飛ぶ光子は下向き。原子から光子がひとたび出ると決まっているはず。しかし、人が観測していなければ決まっていない。我々が知らないだけではない。観測していれば決まっている。左だけ観測したら、決まる。すると、右を観測しなくても決まる。片方を観測すれば、観測していない方の状態も決まる。

これって、哲学的な意味で話していた、俺がいなくなったらこの世はなくなるって話と似てますね。

それと、量子テレポーテーションはこの理論を応用しているんだよね?たぶん。推測なんで分かりませんけど。

そういえば、かなり身近にUTで量子力学について知っている人がいるじゃないか!
教えて頂戴。

今度会うときは、量子力学の講義してください。
みすどさんよろずさんお願いします。出来るだけ早いうちに教えてください。

Posted by takeshi at 12:56 AM | コメント (228) | トラックバック (0)|
量子物理学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「量子物理学・目で見えた!量子の世界」

上田正仁 東工大教授

ボース・アインシュタイン凝縮

量子の不思議な世界

量子とは何か?
「量」は量を
「子」は小さいものをあらわす
量子は最小の単位

古典論
電子は粒子、光は波
量子論 
電子も光も粒子であり波である

粒子としての光
薄暗く光る程度に電球をする。同じくらいの高さの振動が間隔をあけて出てくる。
さらに暗くすると、間隔が広くなるだけ。光の最小の単位が存在する。

光子=光の最小単位

波紋や音など波には共通の性質がある。スリットが2つあると別れ、重なる。高いところはより高く。低いところは重なりより低く。干渉。縞模様になる。

干渉と波

光はミクロに見ると光子、光子を集団としてみると波

スリットを一つにすると縞模様は出来ない。

どちらのスリットを通過したかを観測した時点で、波の性質は消える
スリットのどちらを通ったかは観測するまで決まっていない。

量子の不思議

粒子と波の統一

古典論
粒子
運動量P/エネルギーE


波長/振動数

量子論
P=h/λ
E=H×f
アインシュタイン・ドブロイの関係式

原子の場合は?
ネオン原子の干渉実験 スリットを同時に通過して干渉

すべて、量子力学においてミクロに統一している。

ボース・アインシュタイン凝縮
超伝導と深く関わりあう。

たくさんの粒子が集まると
2つの種類に分類
集まらない粒子 電子、陽子など
集まる粒子 光子など

原子は温度が高いと原子は粒子でばらばらに振舞う。温度が低くなって量子の振る舞いをすると波。すべての原子が集まって巨大な波になる。巨大な物質の波=ボース・アインシュタイン凝縮

長さは一ミリの楕円っぽいもの。ドラ焼きの形

2001年ノーベル物理学賞
MITケタレ教授

絶対温度1千万分の一度。原子を冷やす=原子の速度を落とす。

原子にレーザーの光子を当てて速度を遅くする。6つの方向からレーザーをあてる。真ん中に原子が集まる。磁器を作った器を作り、下に落ちないようにする。きわめて温度の低い動きのほとんどないものだけ残る。それがボース・アインシュタイン凝縮。
1000万分の4ケルビンではまだ温度が高いものが動くので散らばっている、1000万分の2ケルビンになるとほとんど飛び散らなくなる。1000万分の1ケルビンになるとほぼ完全にボース・アインシュタイン凝縮。

巨大な原子の波は本当に波か?
実証。重ね合わせて波になれば波。

2つのボース・アインシュタイン凝縮体を重ねると干渉する=波。

ミクロな現象がボース・アインシュタイン凝縮でマクロに見える。

ボース・アインシュタイン凝縮の崩壊
磁場を少し変えて引力にする。
崩壊して収縮する。そしてとても小さくなる。小さくなりすぎて見えなくなる。そして崩壊。見えなくなった直後のボース・アインシュタイン凝縮は光る。そして爆発し始める。
崩壊して、自分の力で爆発する。ボース・ノヴァ。

宇宙の星は重力崩壊で、爆発する。超新星爆発。中性子星が残る。上記と類似。さらにでかくすればブラックホールになる。

原子が2つの光子をだす。例:左に飛ぶ光子は上向き、右に飛ぶ光子は下向き。原子から光子がひとたび出ると決まっているはず。しかし、人が観測していなければ決まっていない。我々が知らないだけではない。観測していれば決まっている。左だけ観測したら、決まる。すると、右を観測しなくても決まる。片方を観測すれば、観測していない方の状態も決まる。

量子の世界では、観測するまで決まっていない。知らないだけではなく決まっていない。
量子の分野では観測はとても重要なこと。

月は私が見なければ存在しない。byアインシュタイン

粒子であり波である。

量子の特徴を利用
光通信→量子暗号
二人の間で通信。誰かが情報を盗んでいるかもしれない。紙だったら見ても何も変化しないが、量子力学の世界では見たら状態が変わる。この性質を利用して暗号化。

情報科学→量子コンピューター
量子並列制。100億年の計算が1週間で出来るかも。まだ、理論段階。

Posted by takeshi at 12:05 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 04, 2004
働くということ
某氏がいいといっていた本を読んだ。

新聞の連載を本にしたものだったので、知っていることもいくつか。
個人的には、一つの内容が短すぎて物足りなかった。いろいろな人の「働く」ということを読めたのは良かったのだけど、一人一人について内容が薄かった。最後のへんはなんかよい感じがしたが。

まあ、人間働くということについていろいろ悩んでるわけです。世のため私のため、猛烈スローライフ、汗とバーチャル、自立と歯車、安定とリスク、などなど比較してありました。社会・環境の変化による社内システムの違い、意識の違いによる若者と年配の確執なんてのも。

まあ、正解なんてないんですよ。自分がよいと思った道、納得した道を歩む。

これってのがなくて悩んでいても時間が過ぎるだけなんで、見つからなかったらそれなりの決断も必要なときもあるわけですよ。やってみて初めて見えてくることも多いですし。
そう思います。

働くということ
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Posted by takeshi at 09:49 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
難しいことを忘れて
童心にかえる。
無我夢中になる。
腹のそこから笑う。

うまいものを食べて、
十分寝て、
自然を感じて、
好きなことをして、
空想にふけり、
美しいものを見れば、
生きてて良かったと思うはず。

たまにはこんなときもあったほうがいいと思う。

Posted by takeshi at 08:54 PM | コメント (244) | トラックバック (0)|
1994
1994年

この年が何だって話なんだけど、特に何もないんだけどなんか1994って響きから何か記憶がある。小3か小4年。

この年ぐらいから年号というか、そういうものを気にし始めた証拠なのだろうか。
それにオリンピックもあったから年号を良く聞いたからかな。

同い年の人は19??年から明確な年の記憶があるのかねぇ。

Posted by takeshi at 08:12 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
小学生の会話
スーパーに行ったら小さな兄弟が床に座り込んでお金を数えていた。
スーパーを一周して戻ってきたらちょうど数え終わったらしく、1221円と兄の方が言った。すると、小さな弟は210円の菓子パンを指差して、これ買える?と兄に聞いたのだ。すると、兄は買えるよ。と答えた。

普通の会話でした。終わり。

何ですけど、子どものころって数字というものをばらばらに覚えている。一つの数字はただそれだけのものとして理解しているのかな。だから210円と1221円の大小が分からない。僕たちはいくつかの数字を聞くと自然と否応ナシに大小を思い浮かべてしまう。数字という物を関係性の中で認識しきっている。

夢は何ですかといったら、「死の感覚を感じること」「赤ちゃんの感覚を感じること」これらって体験しようとも出来ないからねぇ。

あと、スーパーの帰り道小学生ぐらいの奴が信号に引っかかって「クソ、ムカつく」といった。待つことがいやなんだろう。急いでいるときだったら確かに待ちたくない。しかし、特に急いでいる様子でもない。じゃあ、なぜ待つことはムカつくのか?何か体を動かしていないとうずうずしてくるのだろうか?エネルギーに満ちた子どもだからなのだろうか?それとも、何かしら「待つ=無駄なこと」というような認識があるのだろうか?とどまるということは何もしないこと、何もしないことは時間の無駄とかそうなのかな?保守的な人は守りに入る、何も変わらないほうが楽で好きなはず。そういう人も待つことがすきなのだろうか?

僕は待つことが特に苦にならない。こうなったのは小学生のときにふと思ったことがきっかけ。何かを待つ誰かを待つ、そんなときは暇だ。だから文庫本などを持ち歩く人もいる。しかし、何も持たないで待たなければならないこともある。そんな時僕は思った。何もなくても、自分さえいれば暇つぶしが出来ることはないか。それなら、答えのない、答えが見つかっていない問題を考えればいいじゃん。と。それから、待つときは生きるとは何か、人間とは何か、幸せとは?などと考えるようになりました。それとか、周りを見渡せば今まで気がつかなかったことや、同じものでも視点を変えてみたり、じっくり見ると違う発見がある。そんなことしていた小学生は、10年たつとこうなるのです。
Posted by takeshi at 05:04 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
自らが感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。
自らが感じたことのない感情は、他人が感じていても自分は感じれない。

これ、わかっていそうで分かっていないこと。
とある人の話をきいて思いました。

Posted by takeshi at 01:29 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
黄色い線の内側?
ズーット前から気になっていた。
これは何度聞いても違和感がなくならないこと。
何百回と聞いているはずなのに、違和感が残るフレーズ。

「黄色い線の内側にお下がりください」

どこかで聴いた記憶はありませんか?駅のプラットフォームです。
電車がプラットホームに入ってくるときに、電車に近づきすぎるとき読んだから、駅員さんがアナウンスするのです。まあ、それはいいんです。

言いたいのは「内側」?ってところです。

僕にとっての黄色い線の内側は「線路」の方なのです。電車に近づけって事かよ!って、いつも突っ込みたくなる。しかし、駅員さんの言う黄色い線の内側はプラットホームの真ん中の方なのです。

なんで、僕が黄色い線の内側を線路だと思ってしまうか?
多分電車を中心に考えているからです。一方駅員さんは客を中心に考えているのです。
その違いによって解釈の仕方が異なるのだと思う。

僕が自分自身を中心に考えないで電車を中心に考えるか。それは紛れもなく電車の駅という場所にいるからだ。普段は自分を中心に考えているが、駅では電車がメインだ。みんな電車に乗りにくる目的できているのだし。だから、電車を中心に考える。

しかし、駅員さんは毎日駅で働いている。それが日常だ。だから、駅というのは電車に乗るという目的でもなく電車がメインであるという発想にならないのではないか。だから自分中心で考えるから、黄色い線の内側がプラットホームの真ん中のことをさしているのだろう。

そんな理由じゃないのかな?
普通の人は、僕みたいな認識の仕方はしていないのだろうか?

普通の人は瞬時に脳で補正がきくから、普通の認識が出来るのかもなぁ。おれは、そのものをそのまま捕らえすぎているのか?
Posted by takeshi at 12:47 PM | コメント (2) | トラックバック (0)|
脳科学
小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学 「脳科学・脳はどう意識を生むのか?」
21世紀で一番重要かも。心は科学の対象となりうるのか?

茂木健一郎さんは面白い視点

ソニーCSL、品川にある、ガラス張りのビル

立体はなぜ立体と感じ、透明なものはなぜ透明と感じるのか?

脳の話、脳科学

科学はどのようにして生まれたか?
ニュートン 万有引力の発見。なぜコレが意味を持つのか?

手にあるものは落ちるが、空にあるものは落ちないのが当たり前だと思っていたが、その常識の不思議に気がついた。

脳、1000億の神経細胞。複雑なネットワーク。化学物質の放出と吸収。
りんごと脳もニュートンのりんごと月と同じなのでは?

脳は意識を作り出す。朝起きると、太陽の光が入ってくる。意識が生まれる。作り出される。胃は消化するためにある、意識を生み出すことを考えないで脳を研究しても意味がないのではないか。脳がなぜ意識を生み出すか?意識の主体である私はどのように成り立っているのか?は分かっていない。

錬金術師がしらないように、脳も物質なのに意識が生まれるのか?コンピューターやロボット、石にも意識があるのか?

研究の手がかり、「クオリア」生活する中での質感。水を飲むと冷たく感じ、バラの赤を赤と感じる。

今までの科学で、方程式は数で表さなければならない。しかし、クオリアは科学でかけない。チョコの甘さとバナナの甘さは数値で表せない。クオリアは数で表せない。

すごく小さな情報から、なぜ人間は情報を補って理解することが出来るか?外界から入ってくる情報を、解釈を持って理解する。想像力が豊だと、

感覚的クオリア=感覚的な情報
志向的クオリア=解釈で補う、何かを認識する

外にワイングラスとかバラがあると思っているが、実は脳の中にある。(情報を得る段階で見てはいるが。)

外界からの刺激がなくても脳はクオリアを作り出すときがある。それはなぜか?

脳は3つの器官

脳幹 生命維持
小脳 運動支配
大脳 視覚、意識、
大脳皮質 神経細胞の集まり 

限られた体積で表面積を大きくする

後頭葉 視覚やで情報処理
側頭葉 形色を解析
頭頂葉 体のイメージをつかさどる、ボディイメージ、自分の姿勢など
聴覚野 聴く
運動野 手や足をコントロール
前頭葉 脳のさまざまな部位を調整
前頭前野 私が私である中枢

過去100年は脳のどこがどう役割をしているかを究明 機能主義

コンピューターは脳になれるか?
どこが同じで、どこが違うか?

人間の脳の能力の背後には「私」が常にある。

ロボットに私を組みこめれるのかが重要な問題。

クオリアを感じるのは私である。バラの香りを感じるのは私である。コンピューターにデジタルとして情報が入ったら、感じられないのではないか。なぜなら「私」がないから。

私と他人

他人との関係が重要。他人との関係で脳が作られてきている。生まれたときから他人とコミュニケーションをしたいという脳の欲望がある。

ないたらミルクをくれる。赤ん坊は母親のことを自分の延長だと思っている。しかし、泣いてもミルクをくれないと、母親は自分でないときが付き始める。

自分が自分であると気がつく年齢=自分の心と他人の心の発見=4歳ぐらい

感じたことのない感情は他人が感じていても自分は感じれない。
相手の心を読み取ること=心の理論

相手の心を読む
顔の表情は非常に重要。怒り、喜びなどは分かる。顔は表情から一瞬で感情が伝わるインターフェイス。ポーカーフェイスの時は、今までの関係や、その状況を踏まえて感情を読み取る。

1996年、ミラーニューロン神経細胞10年後には教科書に載るかも
自分がある行動をしているときにも、他の人がある行動をしているときにも働く細胞。Aさんがアイスを食べれば、それを見たBさんもアイスを食べたときに働く細胞が働く。

人間と人間の関係
脳への報酬。人間の脳は何を一番うれしいと思うかといえば、他人からほめられること。小さいころは見てもらっていることが報酬。学芸会で親(大切な人)が来て見ているかどうかが気になる。親が見ていないと、何もしない。

アイコンタクトが成立したときに、ドーパミンを放出する細胞が活動する。好意を持った人と目が会うときほどドーパミンが出る。意識していなくてもこのように神経細胞が活動する。

人間は相手との関係によって人格を使い分ける。
学校で友達と話すときと、親と話すときは違う。人間の脳のもっている最大の能力はTPOにより人格を使い分ける。人間の脳の持っている頭の良さはコミュニケーション能力。場に合わせたコミュニケーションが出来る。これはコンピューターには出来ないことである。
コミュニケーションから自我が生まれる。
チェス コンピュータ対人間
ディープブルーは先の手を読んで、勝った。しかし、これは人間の知性を超えたといえるか?
人間らしいコミュニケーションはできていない

チューリングテスト
人間がコンピュータの画面に向かってテキストをコミュニケーションをして、スクリーンの前には人間がいるのか、コンピュータがいるのか区別できないとき、人間とコンピュータは差がないといってもいいのではないか。しかし、まだテストに合格したコンピュータはない。

コンピュータはあらかじめ決まったことをするのが得意。人間は相手との会話によって臨機応変に行われている。チェスはルールが決まっているものをやっている。

他人の心を読み取る。他人の心が何を考えているか分からないのに

コンピュータは与えられて物しか出来ない。人間は感情を持ち、自らの欠点を見つけたり

一つの能力だけを暴走させず、抑制し、人間の能力をバランスとっている。カレンダー計算をやろうと思えば出来るが、バランスをとっている。

Qコンピューターが人間の脳に追いついたらどうなるか?
A人間はうまく、それを乗り越えていくのではないか?ITの影響で発想の能力が重要になってきた。人間の脳は環境が変われば適応できる。コンピュータが脳に追いついたら、そのコンピュータが出来ないことをやるようになる。
意識と向き合う科学

今までの科学は、数式を組み立てたりしてきた。
今まで科学が無視してきたクオリアを考えなくて人間型ロボットや今後の科学は語れない。

我思うゆえに、我あり デカルト

空間を数式で表すことを(近代科学の基礎)デカルトが言った。

この世の中で唯一つ疑えないことは私がいること。 デカルト

「私」のなぞに挑む。
今まで、これは解けないという問題も解いてきた。しかし、私が私であるということも分かるのではないか。コレが解けたとしても、新しい問題が生まれてくるのだから。

人間が考える背景には何があるか、意識が生まれるとは何か、これらを考えるためにはデカルトの考えに戻る必要があるのかもしれない。

現代の科学に残された最大の問題。

意識、私、クオリアはどのように生み出されるか。これを解決したら、ニュートンやアインシュタインと同じぐらいの価値がある。

科学に興味を持つすべての人が、科学にはミステリーがあるということを実感してほしい。
当たり前だと思っている減少を見直す・違った見方をすると、新たな発見があるかも。

小柴さん
量子力学観点からすると、私は表現できないと思っていたが、実はあらわせるかもしれないと考え直さなければならないかもしれない。今後脳科学がどう発展するか楽しみ。

Posted by takeshi at 12:08 AM | コメント (215) | トラックバック (0)|
November 02, 2004
中国
NHKスペシャル 「63億人の地図(8)中国豊かさへの模索」上海ドリーム光と影▽学校に行きたい

これまたメモです。

昨日の「夜回り先生」のまとめをしたいと思いつつ出来ていません。。。

中国はやっぱり注目の国ですし、チェックしとかないと今後の世界を読むことが出来ない。やっぱり、大学の間に中国に行こうと思う。中国にはまだビジネスチャンスはあると思った。中国語と、中国の事情が分かっていればチャンスはあるな。でも、昔と比べればかなり厳しくなっているだろう。

格差が広がってどんな問題が生じ、それをどう乗り越えるか。賃金が高くなり他国との差別化が図れなくなった場合、どう乗り越えるか。

メモ

上海、北京と、内陸部の格差。GDPはシンセンと最下位は171倍の格差。

「上海」
富人区は2億円~10億円の住宅が並ぶ。ゴルフ場もある。上海の企業の社長。次男を10年間イギリス留学2億円。高卒。ペンキ塗りなど。27歳転機。先富論、先に留めるものから。銀行から金をかり、投資会社を作った。今は年商360億円。学校設立=貴族学校。金を持ったら、親は教育に金をかけることを見越して。入学金50万円。平均年収の倍。
小学一年生ぐらいの人が、ハーバード大学に絶対入るといっていた。
経済成長率11.8%(2003年)
農村から来た出稼ぎ労働者「民工」、地域間格差を利用して儲ける

1980年代から都市に移動。1億人。今後も毎年500万人増える予想。
上海の3人に1人が出稼ぎ。

教育格差
民工学校、農村戸籍で公立学校に受け入れてもらえず、地方からの出稼ぎ労働者の子どもで行き場のない子どもが行く学校。都市戸籍の子どもが公立学校に優先して入れる。民工学校は上海に400以上ある。田舎の子どもは公立中学に入ることが厳しい。民工小学校(中学)も入学が厳しい。

地方から出稼ぎに来ている親は子どもに、「会社員や公務員になってほしい。」

中学で出稼ぎの親と離れ地方に戻らなくてはいけない小学生の作文。「上海の生活は短かった。上海で学べるなら、コンピューターと英語を学び海外に行きたかった。でも、農村に帰っても学び、また上海に戻ってくる」

93年で少し、GDP格差が出てきた。しかし、大きな差ではない。93年以降この10年で急激に格差が広がった。
内陸部 中庄村

上海と比べると村は原始時代のよう。900円の教科書代が払えず小学校5年生で中退。年収8,000円の家庭。その子の夢は先生。学校に通えない子が村に50人。

村が食べていくためには、教育しかない。中学卒以上でなければ、都市に出稼ぎにもいけない。
入学金8万円、一家の年収の7倍。大学卒業すると都市戸籍に変えることが出来る。そうすれば、都市で安定した暮らしが出来るようになる。幸せになるには大学に行くしかないが、入学金を払えない。牛一頭2万円。村のトップたちで一人の子どもを大学に進学させるための金を工面する会議。村が保証人となり金融機関から金を借りて大学進学。卒業後本人が返済。「村に帰ってきて、みんなのために働きたい。」

西部大開発
内陸部のインフラを開発する。そこに工場などを誘致する。

先富から共同富裕へ

経済成長だけでは、中国が発展できない。一人一人の幸せ、人間としての尊厳、平等が保たれることが必要。

本当の豊かさとは何か?
明日への手がかりを探して生きている。

Posted by takeshi at 01:44 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
禅の極意
NHKスペシャル「永平寺104歳の禅師」迷いの時代を心安らかに生きる禅の極意とは

うーん、禅ってすさまじいな。どうのこうの言う前に黙って坐禅をひたすらする。まだ僕は禅の考えは分からない。まだ、という表現が正しいかどうかは分からないが。とりあえず、今は分からない。今無理やり分かる必要もないと思うし。

でも、禅の考えは美しいとは思う。

以下は番組を見てのメモ

禅はよき人を作る
よき人は、地位とか名誉とかがない
欲は克服すべきを覚えんといかん
それが禅だ

天があり地があってその恵みを受けて人間がその正しい真(まこと)を実行していく
大法則のもとに生かされている
真は名前を変えたならば真理
まず第一に正しい真を持って先祖に挨拶。

3、5分でも坐禅

11歳のときから93年間欠かさず毎朝坐禅

坐禅
何も考えない、前後裁断、その時その時、一息一息しかしない、
何か考えたら余分や。

人間は地位名誉、わがままでいっぱいだ
欲は克服するすべを覚えないといけない。
それが坐禅だ

息と一つになる
坐禅とはまっすぐということ
背筋を、首筋をまっすぐ、右にも左にも傾かない
まっすぐとは正直

体をまっすぐにしたら心もまっすぐになる
人間はわがままが自由だと思っている
型にはまったものが日常でなければならない

長い間培われてきた型を守ることが修行である

日常生活のすべてが修行、少しでもいたらなければやり直し
すべてがみな禅だ
禅とは一つになっていくことが禅
歩くことは、歩く禅、しゃべったら、しゃべる禅

スリッパがいがんでおることは自分がいがんでいること。
心が表れている。

11歳のコロはいやいや坐禅をしていた。他にしたいことがあった。坐禅や厳しい作法がいやだった。
転機は29歳のとき、82歳で老師が亡くなった。
老荘の暖かい死骸を見たとき、偉い人だったと思った。私(わたくし)のない生活をする。
やっぱり日常の生活が基本。老師は運僧(修行僧)と同じ食事を食べ、同じ生活をした。
口だけでない実行で示した
老師のようになりたい。
学ぶということはマネをすることからきている。
一生まねをしたら、それは本物だ。

坐禅の意味を考えるのをやめ、ただひたすら座るようになった。
釈迦の教えを今後に伝えていくのが永平寺の住職の仕事

大衆に範を示さなければならない。現代は地位にあるものが範を犯したりしている。、教えというものが何のためにあるかといえば、実行するためにある。そのために黙って真理を実行するところの坐禅を進めた。黙って実行すること。

肺結核のときでも、坐禅をしていた。3年4ヶ月の入院生活

正岡子規 病状六尺(病寐六尺)

平気で死ぬことが悟りだと思っていたが、
平気で生きておることが悟りやった
平気で生きておることは難しい

死ぬときが着たら死んだら死んだらいい
平気で生きているときは、平気で生きていればいい

命がけやったら何でも出来るなとおもった。

自分分より大事なものはない。
永平寺は自分だ。環境も自分だ。
永平寺を大切にすることは自分を大切にすること。

自然は立派だ

日記をつけている。何月何日に花が咲いた、虫がないた。ほとんど違わない。規則正しい。そういうのが法だ。法にかなったのが大自然だ。
自然の法則を真似て人間が暮らす。
人間の欲望に従っては迷いの世界だ。

真理を黙って実行するのが大自然だ

誰にほめられることもない、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえることもない。時が着たら、花が咲き、すべきことをして、黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

自分の人生を一本の梅ノ木とたとえ、
「103歳になる老梅も花を咲かせることが出来る。
これもただ坐禅をしてきたからだ。」

命が続く限り禅の修業を続ける。

Posted by takeshi at 12:38 AM | コメント (3) | トラックバック (1)|
宇宙論
「宇宙論~宇宙の始まりと未来を探る」
 宇宙は曲がっているのか? 平らなのか? この「宇宙の形問題」は、宇宙の年齢~どれくらい前にこの世界は始まったのか~を直接決定してしまうために、科学者たちの間で長く議論が戦わされた。昨年NASAのWMAP衛星は観測から宇宙の形を決めることに成功。宇宙の形は平らであることが分かった。 

[出 演] 杉山 直 (自然科学研究機構 国立天文台 理論研究部 教授)

こ回は見ていないので、nhkの番組紹介です。

このパワポが番組とほとんど同じ内容みたいです。15Mぐらいあるので気をつけてください。
http://th.nao.ac.jp/~naoshi/uchu_marukajiri.ppt

Posted by takeshi at 12:28 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
November 01, 2004
イェイツとアイルランド
サリーガーデンズという曲を聴いた。かなり良くて繰り返し聞き続けている。繰り返し聞いても色あせない、心地よい曲です。

で、調べるとイェイツという人の詩らしい。この人はノーベル賞もとった人みたいで有名人っぽい。初めて知った。でも、とりあえずこの人の背景を知る前に、詩などを堪能したい。その後イェイツについて知ろうと思う。文脈を越えた美しさを味わうためにはこの順番がいい。

で、ついでにアイルランド民謡にイェイツの詩がのるとまた美しい。たまんないですよ。アイルランドでこの詩や曲を聴きながら旅したいと思い、調べると、いい国じゃないですか。

http://www.tourismireland.jp/index.htmlスライドショーなんかもうたまんないですよ。

http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/27.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/02.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/06.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/13.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/14.jpg
http://www.tourismireland.jp/images/slideshow/15.jpg

中国、アメリカ・ボリビア・ペルー、フランス・アイルランドですかな。
Posted by takeshi at 06:44 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
何かがある
ウェブページがしょぼい会社、やる気のなさそうな社員、誰でも出来そうなビジネス、はっきり言ってダメダメな会社って感じです。このような会社で本当に業績が悪いところもあるが、しっかり利益を出しているところもある。どうしてだ?どうやって儲けているのだ?

見栄えだけかっこよくて、無駄に力んでいる企業で利益を出せない会社よりすごい。
それは、犯罪チックなことを裏でやっているとか、人脈がすごいとか理由はあるんだろう。でも、こんな理由じゃない部分もあるはずだ。

何が違うのだろう。ビジネスセンスというものはそういうものだろうか?
組織としての何かしらの強さ、会社の習慣、雰囲気いろいろあるんだろうな。
それを掴み取りたいな。
Posted by takeshi at 12:40 PM | コメント (0) | トラックバック (0)|
逆上がりが出来る瞬間に何が起こるか
逆上がり、 小学校のときに出来なかった経験がある人も多いと思う。練習して練習して、やっと出来た。そんな思い出があるのではないか。

で、出来なくて何回も繰り返して、やっとはじめて出来た!時があるはずだ。

初めて出来た時と、その一回前の出来なかったとき、何が違うのか?体力もスキルもほとんど同じはず。

何か変化があったはずなのだ。しかし、すべてほとんど変化はないはず。

なんだろう、その瞬間に小さくとも、大きな変化があったのだ。この違いが気になる。

人間が、なんとなく気持ちが変わる瞬間も不思議であると昔書いたが、それと似ているのかも。

Posted by takeshi at 04:15 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
色あせないもの
最近書いた気もするが、とりあえず書く。

人間は、同じことを繰り返せば飽きる。つまらなくなることがほとんどだ。いくらうまいものでも毎日食べていれば飽きるし、王様のような生活も毎日だったらつまらなくなる。ありがたみなんてなくなる。

しかし、色あせない気持ちもあるようだ。
先日とある質問をした。舞台の上にたつ人に。年間に何百回も舞台に立つその人は毎年何百回も拍手を受ける。その喜びも薄れるものだと思い、僕は「舞台に立つ原動力や一番うれしいことは何かとたずねた。」するとお客さんの拍手だという。そうかとおもい「毎回拍手をもらうとそれに対する感情は薄れ、原動力としては弱いものになるのではないか?」とたずねると「全くそれはない」と。正直びびった。全く色あせないようだ。色あせない思いがあるようだ。同時に研究者の人も、自分の研究テーマを何年もやり続けてもその思いは全く弱くなることがないといっていた。

やられた。全く色あせない思いがあったのだ。

これが、自分の生きる道という奴だろう。まさに吾人の任務だ。

Posted by takeshi at 04:12 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
人間のベースとなる思想の共有とは何か
人と話していると思うことがある。それは、本質的に共感しているときには起こらない感情や思いである。いや、自分と違う意見であっても、起こらないときもある。

じゃあ、何に対してその思いはあるのか。

「何か違う、通じない」と思ったときに起こる感情だ。
それは生きる思想の根底が違うからじゃないかと思う。人間のベースとなる思想が違うってことだ。それは、育ってきた環境が違うから、それまでの経験、その人が社会でとってきたポジション、人にとられた態度、その人が生きることについてどれだけ考えたかなどに関わってくる。言ってしまえば人生のすべてに関係するのだ。

こういうと、すべての人が違う環境で育っている。双子だって違う。みんな違う環境なのだが、分かり合える人と分かり合えない人がいる。通じる人と全く通じない人。なぜだ?それはファーストインプレッションで拒否反応を示したとか、ステレオタイプ的なものがないわけではないと思うが、そう簡単には片付けられない。

自分の考えと違っても、腑に落ちることがある。

しかし、違った考えで腑に落ちなくても、この「何か違う、通じない」と思ったときに起こる感情が起こらないこともある。それは、その相手と長い付き合いでお互いのベースを分かっているからかもしれない。

じゃあやっぱり、ベースを流れる思想が共有できるか出来ないか、ここに行きつく。で、これがあまりにも違う人のことは理解できないのかもしれない。

「人間のベースとなる思想」とは何なのか?

人間はすぐに形あるもの、はっきりと見えるもの、はっきりと分かるものを求めたがる。それはお金でも、偶像崇拝でも、経典でも、座右の名でも、肩書きでも、ブランド物、何でもそうなのだが、そういうものを求める。しかし、それらは僕の考えで言えば「抽象的な考え」と「具体的な例」理論と同じだ。人間は分かりやすかったり、説明しやすいのですぐに具体例で示す。確かに分かりやすいが、自分の思いというのは具体例とは違う。もっと抽象的なのだ。抽象的な思いに本質があるのだ。具体例というのは僕に言わせればブランド物と一緒だ。

僕も、形のあるものを全く求めない人間ではない。形あるものはっきりしたものを求める。しかし、それがすべてではないと思っている。ブッダガヤで今まで僕は何でこんなにも形あるものを求めて、それによりすがってきたのだと思った。この話は誰にもしていないと思うが、僕はブッダガヤにいった。行く前に、釈迦が悟りを開いたところだし、数珠とかお経とかなんか買おうと思っていた。考えるきっかけの思い出として。それも、マハボディ寺院という悟りを開いた菩提樹のあるメインテンプルで。なんか、悟りを開いた寺で買うと「ありがたみ」があるというか、そんな感情を持っていた。しかしだ、実際に行ってみると数珠もなければ、お経もうってない。あーあ、買えないと物足りない感じだった。これは一日目の素直な感想だ。2,3日行って菩提樹の下にすわっていると気がついた。おれは形あるものに頼りすぎていると。それに気がついた時、正直愕然とした。何か自分の今までの人生はなんだったのかと思うくらい。何という安っぽい考えをしていたのか、そんな考えをした人生なんてなんというむなしい人生なのか。衝撃が走った。もともと、ブランド物などに興味のない僕でもそこまでショックを受けた。

目に見える数珠というものを手に入れることのみで満足しようとしていたのだ。それは、何も考えないことにつながる。すぐに手に入って満足して、何も考えなくなってしまう。しかし、そうじゃない。
具体的なものとしての数珠を買うことにより、目に見える思い出を作る。これは、ツアーで観光地まで連れて行かれて、そこを10分でみて、一瞬で忘れる解説を聞いて、写真だけとって返ってくるのと変わらない。ただ、行ったという記録を残すため、そこへ行ったと周りの人に示すためだけに行く。自分の本当の思いと外れている。こんな海外旅行とブッダガヤで数珠を買うことは同じなのだ。

僕は、ブッダガヤで物に頼らないことを知った。自分で考え、自分で感じるそれが大切なんだと思った。しかし、それは目には見えないし、はっきりと一言でいえないかもしれない。そんな不安、それを乗り越える。そこにしかないものがある。

「曖昧なものを曖昧なまま受け入れることの出来る心」コレが出来る心はすごいものだと思う。安っぽい強い心といわれるものよりも、数段と不安だ。しかし、それらを越えたところにこの心があると思う。

で、この共有できるベースを流れる思想は一言では表せない。無常であるし、曖昧なものだ。はっきりと分からないから人間は不安だ。暗闇は物がはっきりと見えないから不安なように。

自分の考えやを一言であらわすなんて不可能だ。そうできないからといって自分がたいしたことないと思うのはおかしい。ただ、文字にしたり、言葉にすることで気づくこともある。そう、吾人の任務を書けばいいのだ。
言いたかったのは、この曖昧なものを曖昧なまま受け入れるそこに意味を感じれるかどうかが人間のベースとなる思想ではなかろうか?「曖昧なものを曖昧なまま受け入れる」ということを少しでも、ある一部分に関しても出来る人は僕と人間のベースとなる思想の共有が出来ているのだろう。
(関係する組織によって、人間のベースとなる思想の共有が出来ない人との関わり方は変わってくる。会社、サークル、クラスメイト、友達、NPO的な活動、旧友など。)

(仏教も昔は偶像崇拝禁止で、お経も釈迦が死ぬまで紙に残されていないらしい、それまでは口頭で説いているだけだったようだ。)
Posted by takeshi at 03:59 AM | コメント (0) | トラックバック (0)|
夜回り先生
このエントリーは完全に下書きです。まとまった文章でもなければ、話も飛びまくりです。

教育者というものは、ものすごい仕事だと思っています。世の中にある職業の中で一番大切じゃないかと思うくらいです。特に小学校~高校までの教師です。前から僕はこう思っていきているわけです。信念をもって本気でやらなければ勤まらない職業だと思っています。答えのない、終わりのないもので、本気で問題に取り組めばと取り組むほど、問題の大きさを感じ、簡単には解決できない地道な努力が必要だと思います。そして、そう取り組む教育者というのは自分の時間も少なくなり、自分の体もオーバーワークでがたが来てしまうのではないかと思います。(僕は何も知らないのに、こんなこということは大変失礼だと思っております。)

ETV特集 「いいもんだよ、生きるって」▽夜回り先生・水谷修の感動の講演会に密着▽薬物乱用・リストカット・援交…眠れぬ子たちの悲鳴と向き合った半生▽「心の闇を越えて」相次ぐ少年少女の事件その背景には一体何が▽ネットいじめに悩む米国▽“群れ遊び”で子どもは変わる▽大人の責任とは

この番組を見て、改めて思いました。この人の言葉には魂がこもっています。この人は本物です。イチローの時も書きましたが、自分で考え、行動し、ある物事に対して思いがある人は、話すと伝わってきます。話すという一連の行動を通して伝わります。まあ、学校の先生が生徒に語りかける口調なので多少オカマくささはあるのですが、そんなことどうでもいいです。含蓄のある言葉ばかりです。ここまでの教育者がいることに感動した。本気で子どものことを考えているなと。こういう人が

この方についてちょっと調べたら、最近学校を辞められたらしい。子どもを思うあまりオーバーワークだし、精神的にもそうとうつらいのだろう。本を書き、ドラマ化され注目を浴びれば講演や相談も増えるし、社会の目もあびる。体にガタがきてしまうだろう。自分に厳しいから体にガタが来てしまうのだろう。そうしたら、救える子どもも救えない。そんなに自分に厳しく、徹底的にならなくてもいいのにとも思う。しかし、もしそうだったら、こういう行動をとる人にはなかったのだろう。非常に難しい問題だ。
人を育てるこれは、相当難しいことだと思う。一人一人違うし、大人の視点から言えば(もちろん、大人以外からも子どもは学んでいます。社会や友達など)、子どもがしていることをすべていっているわけではない、大人の育った環境とは技術進歩、その他社会全体としての大きな思想的流れからしても違っている。大人が育ったことを前提に話しても、子どもには全く通じないことがある。もちろん、育てるということに答えはないし終わりはないし、こういう人間という思い描く人間もそう簡単にはいかない。

死ぬまで育っている、社会では人を育てるという側面の方がメインになるかもしれないが、コレも重要である。組織においても人が重要だから。いくら年をとっても、人から学び育っていく。老人になり介護することもある意味、育てているといってもいいのではないか。もちろん、年下から育てられることも多いにある。

 

秀才、天才、こころの繊細な人、いわゆる普通の人、ある特定の能力に欠ける人を育てるという分類があるのかと思った。人間なんて分類できないし、一人一人違うというのは分かっています。でも、物事を考えるために、分類訳をします。こういう分類訳をすぐにしてしまう僕は教師には向いていないと思います。って、そんなことはどうでもいいです。

家族的視点、学校、地域社会、これらがベースになると思う。

上記に記した「人の性質別」と「育つ場」の分類でいろいろ考える必要がある。現状の問題を踏まえ、これからどういう社会が訪れるか、作って生きたいか、というのも踏まえて考える必要がある。これについては、また書くときがくるだろう。
先週の木曜日、生物学的視点から人間の発展を話した。UTの助手や博士課程の方々なのでやはり科学的視点というか発想だった。人間が生まれてくることに見る、人の育て方とか、人間の

昨日の夜も面白い話だった。子育てについて、これはどうやって行うべきなのかという話になった。非常に難しい問題であるが、話し好きとしては面白かった。自分で考えたり、敏感に感じ取ることが出来る人と話すのは面白い。

そういえば、2週間ほど前に教職の教育実習に行くといいよといわれた。彼は教職を採っていなかったが、教育実習にいったらしい。彼は、自分の信念をつらぬきとうしたようだ。マニュアルになくても正しいと思ったことをやった。そうしたら、先生からはマニュアルどおりやれと指導を受けたが、盲目的には従わなかったようだ。そうしたら校長のハンコがもらえなかったといっていた。しかし、彼はそれでも納得がいっていた。僕は彼はマニュアルに反抗しようと思ったわけでもないと思うし、彼は常識はずれなことをしたわけでもないと思う。彼はそんな安っぽい人間ではない。しかし、マニュアルどおりには出来なかった。当たり前だ。教員だってマニュアル通りなんかやってない。やっているのは教育実習できている教師になることしか考えなかった学生や、保険として教員免許がほしい学生。そして、こういう人が免許をもらい教員になる。コレじゃダメだ。本当にまずい。
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