「人生」カテゴリーアーカイブ

とりあえずセブに

マイルの期限が切れそうだったので、どこかのチケットに引き換える必要がある。さてと、どこに行くか。2万マイルで行ける海外だと近場で、行ったことある国が大半だった。が、フィリピンだけなかったので、マニラ行きのチケットに交換することにした。オンライン英会話の講師もフィリピン人が多く、一度行ってみたかったのだ。ただ、フィリピンのどこに行くかは決めていなく、さてどうしようかと思っていたが、出発の直前にセブにした。一番はコルディエラの棚田に行きたかったが、ちょっとスケジュール的に厳しい。パラワンとかタガイタイもよかったが、心折れ部の友達と前職の先輩がセブで仕事をしているので、会いに行くのを兼ねてセブにしたのだった。

最近便利というgoogle flightsでチケットを探すと、air asiaが安くて、往復で9000円ぐらい。マニラからセブの往復だ。直前にこのチケットをとって。金曜の朝、早く起きて家を出る。成田についてJALのカウンターでチケットを発券。預ける荷物も特に無いので、そのままセキュリティゲートを越えて、出国して出発待ち。

JALの国際線は前の席との幅が10センチ長くなって快適。とりあえずフィリピンは沖縄より少し長いぐらいなので、すぐついてしまう。映画を見始めるが、朝早かった成果すぐに寝てしまった。そして、機内食を食べてと、するともう到着だ。空港に着くと、入国審査を経て、まずは空港の外に出る。

マニラからセブへは同じ空港なのだが、広いので移動が大変。T1とT4の移動。で、とりあえず100ユーロをフィリピン・ペソに両替。日本円でも良かったのだが、使わないユーロがあったし、しばらく使わなさそうなので。と、バスでも移動できたのだが、30分待ちだったので外に出てタクシーを拾う。空港を出て、マニラの町中を眺めながら。マニラは急成長中らしいが、まだまだ発展途上といったイメージ。正直、もっと発展しているかと思っていたが、やはりタイとかそういった国とはかなり差があるようだった。

チケットを発券して、エアアジアのセブ行きを待つ。国内線ターミナルは小さく、人でごった返していた。機内に入ると、JALとの座席の幅の違いに驚く。やはり狭い。まあ、1時間ちょっとなので、特に問題ないが。新しい飛行機っていいなーと。セブに着くと、タクシーを捕まえる。マクタン島に空港があって、メジャーなリゾートホテルもこちらのマクタン島にあるのだが、前職の先輩であるジャックさんはセブシティに住んでいてAirbnbで宿もやっているので、セブシティに行くことに。心折れ部のともさんはマクタン島の高級ホテルで働いていてそちらに泊まるという洗濯しもあったが2万だったので、ジャックさんのドミトリーにお世話になることに。

タクシーはけっこうな渋滞。タクシーの運転手さんが攻めるキャラだったので、そんなにストレス無く。信号がスゴイ少ないのと、マクタン島とセブシティの間に橋が2本しか無いのが理由だった気がする。町中はマニラ同様に発展途上な感じ。家もバラック小屋的な物が多く、ゴミなども散乱している。個人的にはこういった環境もあまり苦にならないので、まあ楽しみながら。

タクシーで到着すると、ゲートがあった。どうやら高級住宅街らしく入り口に警備があって、その中はセキュリティ上安全っぽかった。この中は大きなお屋敷ばかり。外人もけっこういるらしいが、現地のフィリピン人の金持ちも住んでいるとの事だった。ジャックさんは外出中とのことで、部屋に荷物を置いて、近くをぶらぶら散歩。町中は東南アジアって感じの町並みだが、ミニストップやセブン-イレブンがあった。その他は、雑多な感じ。

家に戻るとジャックさんが帰宅して、数年ぶりに。そして、寺町、お前ドミトリーかよとジャックさんに何度も突っ込まれたw学生みたいに金をケチってドミトリーにすんなよとwそして、折れ部のともさんにも連絡して、夕食に。AARONバーベキューという地元の店に。さかなや肉をチョイスして、焼いたり炒めたりして持ってきてくれた。数年ぶりの再開に乾杯。ともさんはジャックさんのBarにかよっていたらしく、そこでジャックさんにも面識が会ったとか。数年ぶりなので、近況を話したりと盛り上がる。薄いビールのサンミゲルを飲みながら。1人だとBBQとか食べに来ないので、いいもんだ。

そこから、ジャックさんがオーナーのバーに。ここは日本人1人とあとは現地のフィリピン人で運営されていた。静かなバーで、こういう店はフィリピンには少ないようで、現地に住む日本人や外人がよく来るようだ。とは言え、日本のお酒の調達とか含めてなかなか大変そうだった。さらに、そこから、ともさんおすすめなディープソーンに。マクタン島にタクシーで移動してぼたんという店に。ここは50歳を過ぎてからフィリピンに移住したおじさんが15年ぐらい経営しているお店。日本人のおじさん以外は、若いフィリピン人の奥さんとその弟なんだけど、妹になったオカマちゃん。

それだけでもディープだが、このぼたんという店があるエリアは観光地でも、外国人が住むエリアでもない。現地の人が住むエリアでどちらかというと貧困層のエリアなのだ。タミヤと呼ばれていた。なのに、日本人のおじさん2人が客としていた。現地の工場でもう何十年も働いているのだとか。旅をしないと出会えない人と場所。いろいろな人生、いろいろな背景があって、いろいろな場所で、いろいろな生き方をしている。それって、とても興味深いし、人間というものの不思議さを感じるのだった。

最後にバロットというアヒルの孵化直前の卵をいただいた。18日目かなんかで、卵を割ると少しだけ形が見られるようだったが、味はまあ普通だった。夜も遅く、再びタクシーに乗り帰宅。明日は7時30分ぐらいからアイランドホッピングツアーだ。そんな直前になって、なんと、南部のオスロブでジンベイザメと泳げるらしいと聞いた。こっちに行きたかった。。。でも、12月から成田セブをバニラエアが飛ぶらしいので、今度はジンベイザメと泳ぐために来ようか。

オスロブではかなりの数の自然のジンベイザメがいて、その餌付けに成功したらしく、いついっても会えるとか。これは、ぜひ時間あるときに行っておきたい。あんまり事前に調べてないのもあるけど、こういった情報は現地に行かないとわからない。また、来てみたくなった。ジンベイザメと泳ぎたい。そんなことを思いながら眠りについた。

日常になった911だけれど、過去の911を振り返るとどれも非日常で再現の無いものなのだなと

911を記録するようになってから10年ちょい。今はFaebookのon this dayやgoogle photoが自動的に写真をアーカイブして過去のこの日を毎日リマインドしてくれる。

そんな機能ができるずっと前から911をメモるようになった。明確な理由はないが、定点観測とは面白いもので、あのテロが起こった日という意識もだんだん薄れていき、日常になった911だけれど、過去の911を振り返るとどれも非日常で再現の無いものなのだなと。

911はもちろん大きな出来事だけれども、何事もなかった平凡な一日を過ごした自分の911を振り返ってみても、実は再び訪れることのない日だったんだなと改めて思う。今年は1日速いけれど、週末は実家の岐阜で過ごすので、あらかじめメモ。

さて、来年の今日はどこで、誰と、何をしているのだろうか。今日(9/10)は晴天の良き一日、パンを焼いて、洗濯をして、音楽を聞きながらブログを書いている。ああ、洗濯をしていたら英会話を忘れてしまったが、そんな日が始まるのだ。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜
2015/09/11 岐阜の実家に。結婚したのともうすぐ子供が生まれるからまた来年は違う911だろう

下手でもまずやれ、そして発表しろ

下手でもまずやれ、そして発表しろ。
と当たり前のことを思う。

どんどん失敗すればいい。失敗しなければ上達しない。

最初から最高のものは作れない。
他者からの評価は最高に良いこともあるが、後から当事者が最初の作品を振り返れば稚拙な点が多いと思う。
当たり前だ。
やっている間に成長していくのだから。

ヘタでも発表する。でもヘタで発表したくないからその前に努力する。
でも、うまくいかないこともあって、指摘を受けたりアドバイスを貰う。
次回に、それが活かせるし、ヘタだったら悔しくて次のエネルギーになる。
このサイクルが何よりも大切なのだ。

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最終的な答えなんて求めなくていいんだ

神津島へ

そういえば、GWに神津島へと向かった。島好きなので、ちょっとした時間があると島へ行く。手軽なのが伊豆諸島で、竹芝から夜行フェリーでさくっと行ける。さらに、GWや夏休みでも値段が上がらないし、直前でも2等なら購入できることが多いから。

金曜日の夜に、竹芝桟橋に向かいいつものフェリーに乗る。東京の夜景を見ながら、眠りにつくとあとは朝を待つだけ。と、朝になってフェリーのデッキに出ると曇り空。天気予報も良くなかったので期待はしていなかったが、やはり残念なもんだ。島に降り立つと、予約していた宿までてくてくと歩く。よそうべえさん。宿に荷物をおいて、バスに乗って海上遊歩道に。晴れていれば、夏であればきれいで飛び込んで楽しかったのだろうけど、時期的にも天候的にもそんな気になれずw

ということで、再びバスで帰ろうと思ったが、バスの本数は少なく歩いて帰ることに。幸い雨はふらず、海を見ながらの散歩。途中にキャンプ場があって、もし銛突きに来たらここでテント貼るかなと想像。近くに商店がないことがネックだなと。海に面しているのは良いのだが。まあ、そんな妄想をしながら少し歩くと温泉に。日帰り温泉に入って、露天風呂も。お客さんがほぼゼロで、貸切状態。

宿に戻って、夕日を見に出かけたが雲にかくれてイマイチな夕日だった。夕食を食べて、いつの間にか寝ていた。翌朝はいい天気。昨日と反対の港にフェリーが到着するので、宿のおじちゃんに送ってもらった。こちらの岸壁は美しく、ついつい見とれてしまった。また、フェリーに乗り短い神津島滞在が終わった。

あ、そうそう田舎の民宿はご飯もおいしくてボリューム満点で、圧倒的に安い。個人的にホテルに泊まる価値とか分かってないので、安い民宿で十分だなーといつも思う。

どうしてずっと情熱が続くのですか?

「何十年もどうして、情熱が続いているのですか?」

「情熱がずっと続いている、その源泉はなんですか?」

正確な表現は覚えていないのだが、switchの新井さんにタクジさんがいつか質問していたことが忘れられない。

人間の行動の源泉は、情熱だと思う。この情熱が大きなエネルギーとなり、人は行動する。

好きか嫌いかというものではなく、それを超える情熱というもの。

例えば、音楽が好きですかと聞かれたら大半の人が好きと応えるだろうけど、音楽を聞くことに情熱はあるかと聞かれたた一気に減るだろう。好きと情熱は全く別物だし、情熱の対象はより細かなものになると思う。音楽という拾い物より、◯◯というミュージシャンとか、音楽のジャンルとか、そういったものにたいして情熱は向けられる。

短期的に強い思いを持つこともある。一時的に熱を上げるというやつだ。あるミュージシャンを好きで5年ぐらいおっかけた、でも、いつの間にかその気持は冷めていく。これは、誰もが経験したことがあることで、永遠にあるミュージシャンを好きでいることは少ない。もし、そうあるのであれば、それこそが情熱に近いものなんだと思う。

人間にとって飽きるという感覚は元来そなわっているものだろうと思うし、それが否定されるものでもない。

好きでいたとしても、行動するかは別だ。行動には、常に時間がかかる、お金もかかる、睡眠時間とか他の何かを犠牲にする。好きという気持ちがあっても、行動しなくなる。これは明確に情熱を失ったという証拠なんだと思う。情熱がある時は、自分自身では情熱があるなんてことを考えることもなく、没入しているから時間がとかお金がなんてことはたいして問題ではないと気にも留めないのだろう。

そう、時間がかかる、お金がかかる、他にもやらなければならないことがある、体力がない、などなど、やらない理由は数多存在する。結果的にやらなくなったとしても、嫌いになったわけではない。ただ、情熱を失っただけ。情熱を失うと、そんな歯がゆい気持ちになるのだろう。

だからこそ、ひとつのことを思い続ける。ほとばしる、湧き上がる好奇心、情熱が続くということは、だからこそ偉大なことだと思うのだ。個人の感情によるものだから、情熱は無理やり続けるようなものではないかもしれない。ただ、情熱を失いかけた時に、もう一度その対象にしっかりと向き合う時間を作ることは、一時的な熱を上げたような情熱ではなく、その情熱をより熟成し深みのあるものに変えてくれる気もしている。

これこそが、人生をほんとうの意味でエンジョイし続ける秘訣なんだろうと思う。

深夜特急で沢木耕太郎さんが、旅に出るのに最適な年齢を26歳としていた。世の中を少し知っているけれど、知らないことも多い年齢。だからこそ、新しい発見の喜びと、その経験が過去の経験とリンクすると。年齢を重ねて行くと経験したことのほうが多くなり、新鮮味がなくなるという意味でも衝撃や興奮が少なくなる。これも、情熱の減退と似ているものだと思う。

とまあ、いろいろと書いたが、美味しいご飯を食べることに興味がほぼなかったが、最近は美味しいご飯を食べている時、ああ良いなと思うことがたまにある。言うなれば、ありふれた日常に。一方で、情熱、何かに対する思いが薄れていっている気がする。が、まあ、先のことはどうなるかわからないので、何かに情熱を燃やしている自分がいるかもしれない。