最終的な答えなんて、今すぐ求めなくていいんだ

1ヶ月ほど前、Xjapanの10年ぶりぐらいの復活コンサートがあった。
そんなことは全く知らず、お茶の水でおりたら、髪の毛が逆立った人などがたくさんいた。
そして、Xジャパンの復活コンサートであることを知った。

そのときは、それで終わった。
数日たち、ネットで再び彼らのニュースを見た。
そして、ライブの映像を見た。

彼らの印象といったら、風変わりな服装をして金髪かつ長髪。
そんな髪を振り乱し、上半身裸で歌い叫び、破壊する。
僕の中ではそうだった。

今の彼らは、違った。
もちろん、過去の彼らを思い出すようなところもあった。
しかし、髪の毛は短く、いたって普通。
普通なのは髪の毛だけではなく、かなり落ち着いた感じがした。

それは、時が経ったからこそなのだろう。
人は変わる。当たり前だ。

当時の彼らは、当時あのようなことをしていたから人気があった。支持された。
しかし、時が経ったからこそ、今の彼らがあり、味が出てくる。

そう、時が経つことによって。

僕は、若いうちから、すぐに、時が経った状態を望んでいる、目指している気がする。
彼らでいうならば、髪の毛が逆立ったときを飛び越して、今の落ち着いた状態をいきなり目指している。
僕は、飛び越した状態、最終的な状態をいきなり求めている。
途中の過程をスキップしてゴール(らしきもの)目指しているのかもしれない。

それは、時が経たないと絶対分からないこと、感じられないこと。
それを無視している。

最終的な答えをすぐに求めようとするから、分からなくなる。
そして、難しい。

そんな、答えを求めなくてもいい。
そう、もっと身近な答えを、まずはつかみ取ろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です