「人生」カテゴリーアーカイブ

変化

たった数日で顔も変化するが、肌の質感も変化する。
まあ、生まれて2週間だとすれば、その人生において1週間の変化は人生の半分であるんだから、大きな変化なんだろう。

顔はどんどん輪郭がはっきりしてくるし、肌のハリが出てくる。泣き声も強くなる。

例えば、ほっぺたのスベスベ。このすべすべは死ぬまでに自分の子供の生後1週間しか触れないかとと思うと、2人子供がいたとして人生で2週間のみの至福。生後1週と2週では、ほっぺたのスベスベと柔らかさがぜんぜん違うのだ。1週目は何にも触れてないかと思うほどの柔らかさとスベスベさ。これが2週目には張りが出てきている。肌の変化を証明するかのように、自分で引っ掻いた顔の傷が朝あったのに夕方にはなくなっていたりする。

泣き声も。特に生まれた日はか弱い声だった。が、2週目にもなると全力で泣くので、顔は真っ赤。こんな小さな体が、ココまで泣いたら血管切れるんじゃないと思うほど。

そして、生後8ヶ月の子と並んだのだが彼は8キロだった。これで標準の成長。かたや生まれて2週間だと3キロで、標準より少し小さいくらい。並ぶとその差に衝撃を受ける。生後0〜10ヶ月ぐらいが最も成長速度が速いので、同じ0歳でも本当に大きさが違う。これにはびっくり。こうして、日々変化をして大人になっていくのだ。そう、そして我々大人も、子供と同じように今とは違う自分が、明日には待っているのだ。

あの頃、ホームレスになりたいと言った

テレビで大阪のドヤ街を取材した番組をやっていた。すると旦那さんが昔、一度ホームレスをしてみたいと言っていて驚いたという話を聞き、俺も小学生ぐらいに同じことを両親に言ったことを思い出した。

街によって色がある。それは国単位でもそうだし、ひとつの国の街ごとにも。人が移動する行動範囲によって色が出るので、電車の沿線沿いごとにも色が出る。

若い人が多くおしゃれな街もあれば、古くからの金持ちの街も、貧しいエリアもあれば、下町もある。

横浜の寿町はアートの町になっているようだし、南千住の山谷あたりも外国人旅行者のたまり場となり、外部に対してオープン化し綺麗になっている。
この社会は一般的に綺麗であることが良いとされている。もちろん、綺麗か汚くないかで言ったら、綺麗な方がいい。一般的には、衛生的であるし。ただ、すべての人にとって、それが心地よいかといえば、違うと思う。日本という国は、汚い場所を排除して、すべてを綺麗な街にしてきた。昔、汚いとされていた街も再開発して、本当に綺麗でオシャレに変わってきている。

ある種の価値観の強要だろう。これは、行政による価値観の強要とも言えるが、まあ、国民の総意(総意ではないが多くの人がそうだと思う価値観)によって、推し進められていることなんだろう。

ホームレスになりたいと言った。
それは、楽そうだからと。
たしか、母は、一度やるとお前は病みつきになるから止めなさいと言った。
今思うと、なんと的確な教えだったのだろうと思う(笑)。
自分ながらそんなこと言う小学生もどうかと思うがw

まあ、そんなちょっと汚く、だらしがない人が居心地の良い街が、世界に社会にあってもいいんじゃないかと思う。いろんな人がいて、いろんな場所があればいい。それを全部ひとつの色で染めてしまうことは面白くないよなって。

HARUKA

2週間という期限ギリギリまで粘ったと思えるかもしれないが、粘ったという感覚はない。

直感的に良いなと思う漢字があった。偶然にも、夫婦揃っていいと思っていた名前だった。ただ、直感で決めるのも微妙と思い、いろいろ「思い」や「願い」とかを列挙して辞書で漢字を調べてみたりもした。けれど、結局直感で思いついた漢字に落ち着いたのだ。

それにしても難しいよね。
名前って。
この瞬間に決めたことが、ある1人の人生80年ぐらいをずっと共にするのだから。

でも、決める必要がある。

名前を決めた。
出生届を提出した。
婚姻届を出したときと同じく、時間外で同じ場所に。

子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。
(「長い旅の途上」文春文庫)

こんな星野道夫さんの言葉がある。この言葉が大好きなのだが、今回名付けてみて、この言葉とは違うことを思った。

人生の岐路に立った時、人生に悩んだ時、困難にぶち当たった時、自分の名前をふと振り返り、励まされたり、勇気をもらえたりすればいいなと。そう願って名前をつけた。

ようこそ「悠HARUKA」
この世界とteratownに(笑)

はるかはどんな人生を歩むのだろうか。
はるかかなたを一緒に見据えながら、家族で楽しく生きていこう。

アラスカの自然に憧れ、この土地に移り住み、根なし草のように旅をしてきた自分が、家庭をもち、父親になった。それは家を建て、アラスカに根をおろしていった時と同じように、まわりの風景を少しずつ変えている。うまく言葉に言い表せないが、たとえば木々や草花そして風やオーロラのなかにさえ、自分の子どもの生命を感じているということだろうか。同じ場所に立っていても、さまざまな人間が、それぞれの人生を通して別の風景を見ているのかもしれない。
(「長い旅の途上」文春文庫)

名前の持つ意味 名前を考える

飽きがこない

飽き性か否かと言われれば飽き性だと思う。
せっかちでもある。
そんな性格だ。

でも、ずっと見ていても飽きがこない。
飽きるということすら、頭の片隅にもなく、飽きないねと言われて気がついた。
いつのまにか、ずっと立ちっぱなしで何時間も見ていた。

普段は飽き性で、大好きな山も旅もできるだけ新しいところに行く。

赤ん坊は動くし大人より顔は変わるが、話せるわけでもない。寝てるかボーッとしてるか泣いてる。

なのに飽きない。

不思議だ。大人はどんな美人やイケメンでも3日で飽きるというほど。

これは、不思議で、単純に親のこころの持ちようというか、心の前提の違いな気がするのだが。
自分を見ているように、赤ん坊は自分の鏡のようだからか。自分の分身だからなのか。
もしくは、言葉を話せないからこそ、言葉でコミュニケーションできないからこそ、全身から発せられるもの全てから理解しようとしてみているのか。

うん、不思議で愛おしいものだ。

新しい世界へ

全く初めての経験だった。

長いはずなのに、あっという間の出来事だった。

同じような時間が流れるのに、なぜかそう感じない。

遮光カーテンが引かれた室内は、時間感覚を失い時の流れすら忘れていた。

そして、何もできない自分がいるのに、ここまで自分のことのように感じる不思議な感覚。

この時間を共にするなかで、女性の精神と肉体の特異さ、自分との絶対的な違いを一層強く感じ、尊敬と感謝の気持ちで溢れ出す。

未経験すぎて、今まで見たことなさすぎて、次に何が起こるか分からない。

少しの不安がありつつ、冷静に心を落ち着ける自分、それなのにどこか自分ではないという感覚が残る。

頭では分かっているのに、人の中から人が出てくるという不思議を全身で味わった。

髪の毛を見、頭を見、体を見、泣き声を聞いた時、こみ上げてくる安堵感と感謝の気持ち。

今、始まり、これからどんな時を一緒に過ごすのだろう。

そして、彼女は僕の知らない世界をどれだけ見るのだろう。

いいもんだね。

ありがとう。

父ちゃん、早口で、いろいろ話しかけちゃうけど、いろいろ気になってなんでも質問しちゃうけど、仲良くしてね。

たとえ親であっても、
子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。
ただひとつできることは、
いつまでも見守ってあげるということだけだ。
その限界を知ったとき、
なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。
星野道夫