「art」カテゴリーアーカイブ

アラスカの夜。暖炉を囲んで矢野顕子さんの歌を聴く。窓からオーロラを見ながら。

雪降るアラスカの夜。
気の置けない仲間とロッジの暖炉を囲む。
おいしい料理とおいしいお酒。
自然と話しが弾む。
ふいに矢野顕子さんが歌を口ずさむ。
心地よく歌とお酒に酔いしれながら、
窓からオーロラを見上げる。

From ALASKA 2009

いつも妄想する幸せなひと時。

そんな妄想を思い起こさせてくれる時間を過ごして来た。
2009年に続いて、矢野顕子さんのさとがえる2011@鎌倉芸術館に。

大きすぎないホールでは矢野さんの声がそのまま伝わってくる。
体から溢れ出すものが、そのまま体の動きで表現される。
そして、あの何にも捕われることのない歌。

あの軽やかさ、
あのしなやかさ、
あののびやかさ。

心地よい時間。

「風を集めて」で始まり「中央線」でライブは終わった。
そして、共感し合う話しを友達としながら帰った。

From art

急遽出張で行けなくなった友達に代わり行った矢野さんのライブ。
とても幸せな時間でした。
ありがとうございました。
そして、出張お疲れ様。

2009年の矢野さんライブ

相変わらず行く

今年ももうすぐ終わり。
ことし最もつぶやいた言葉のランキング。
去年も同じことをしているから比較できるの面白い。

書いたテーマとかだと意識しているけれど、漢字レベルだと意識していないから思ったり感じたままが出ていて面白い。
一番の驚きはよく使う漢字は去年も今年もほぼ同じ。
語彙が少ないのか、興味関心が去年と変わっていないのか。。。
定点観測は面白い。

2011年よくつぶやいた文字(漢字)
1位:行(1位→1位)
2位:気(4位→2位)
3位:山(2位→3位)
4位:見(9位→4位)
5位:思(10位→5位)
6位:時(6位→6位)
7位:走(3位→6位)
8位:間(7位→7位)
9位:月(ランク外→9位)
10位:年(ランク外→10位)

2010年に10位以内で2011年ランク外(11位以下)
出(5位→ランク外)
楽(8位→ランク外)

From いろいろ

季節ごとにも、その時にあった出来事なんかを反映していてとても面白い。

From いろいろ

2010年よくつぶやいた文字(漢字)
1位:行
2位:山
3位:走
4位:気
5位:出
6位:時
7位:間
8位:楽
9位:見
10位:思

この1年間、何を?

いつもどこかで空を見上げていた

いつもどこかで空を見上げていた。

いつもどこかで星を見上げていた。

いつもどこかで月を見上げていた。

仕事帰りにふと見上げたビルの隙間に輝く丸い月。

ジョギング中に道標をしてくれた月。

山の中でテントから見上げた明るい月。

中国の砂漠で見た黄金のムーンライズ。

ボリビアのピンクの湖の地平線から昇ってきた月。

アラスカで見た1ヶ月で2回目の満月ブルームーン。

いつも繊細な美しさを二日月。

ベランダから思いで巡りをしながら見上げた月。

そして、地球の影に入った赤い月。

2011年12月10日は今年2度目の皆既月食。
今年の6月もあったが、天候が悪く見えずに終わった。
今回は条件が非常に良い。

地球の影に入った赤い月が見られるかもしれない。

週末で休みの人が多い。
始まりから終わりまでの全過程見れる。
それも日本全国で。
さらに、月食中の地平高度も高くビルの邪魔もない。

たまには週末だし、夜空を見上げてみてください。
いつかどこかで出会った誰かも、同じ瞬間に世界のどこかで同じ月を見ているかも。
そんな風に、月の奥に鏡を見る日。

今回は長崎の五島列島(上五島)で夜空を見上げて来ます。
月の鏡を通して、久しぶりな方とも出会えるかも。

2011年12月10日
皆既月食
半影食の始まり 10日 20時31.8分
部分食の始まり 10日 21時45.4分
皆既食の始まり 10日 23時05.7分
皆既食の最大 10日 23時31.8分
皆既食の終わり 10日 23時58.0分
部分食の終わり 11日 01時18.3分
半影食の終わり 11日 02時31.7分

送信者 燕岳登山心折れ部2011

我々は限りある永遠の中で生きている

我々は限りある永遠の中で生きている。

「限りある」のに永遠とは矛盾しているのだが、多くの人は限りある永遠の中で生きているのだと思う。

人は死ぬ。
ある人が持っている時間は終わりがある。

しかし、日々の生活からするとその終わりは遠くにありすぎて、本当にその時が訪れるということを強く認識するのが難しい。
阪神大震災などにあった方は、その時がいつやってくるか分からないと、切に思うようになったということも聞いたことがある。
ただ、大半の人にとって人生は永遠の長さを持っている。

人生が永遠ではなく、限りがあると本当に感じられた人は、人生の歩み方が本当の意味でかわり、自分の真に求めているものを追いかけるのだろう。

===

これは4年ぐらい前に書いていた内容だ。
だから、東日本大震災ではなく、阪神大震災の例えになっている。

つい先日に「エンディングノート」という映画を見て来た。
友達の大学時代の研究室仲間が監督さんと言うのがきっかけ。
この映画を見て、再び昔に書き残したことを思った。

奥さん
子ども3人
孫数人

67歳まで会社人生まっしぐら。
退職してすぐに末期がんが見つかり、死を迎える。

まだ元気なうちに自らの生前葬の準備をして、死ぬまでのエンディングノートを記す。
自らの終わりまでを記す「エンディングノート」。
エンディングノートを記す過程でどんどん弱って行く。

永遠の中で行きていたけれど、ある瞬間を境に限りがあることを目の前のこととして悟った。

そんな限りある永遠の中では、こんなことが際立っていた。

家族の大切さ
夫婦の絆
親子の信頼
孫のかわいさ

けっして辛いだけの映画ではなく、生きてるって愛おしいなと感じるドキュメンタリー映画。
近くでやっていればぜひ。

送信者 sports

===
上の内容とは関係ないけれど、「自分が死ぬなと朦朧と意識しはじめたときの感覚」ってどうなんだろうと思った。
漏水とか徐々に弱って行く場合の意識とか感じるものってどんな感じなのか?
表現では三途の川を渡ろうとしているというものだが、未知で不思議だな。

限りある永遠の中で
http://www.teratown.com/blog/archives/001913.html

今しかない
http://teratown.com/blog/2009/04/23/eoiioaioieoaioieoeeeceoiioeee/

coyoteと風の旅人の休刊と、紙と電子メディアに載る情報

僕が一番たくさん持っている雑誌はCOYOTEだ。
その次は風の旅人。

coyoteは僕の好きな星野道夫さん、植村直己さん、池澤夏樹さん、柴田元幸さんがよく出てくる。
風の旅人には水越武さん、野町和嘉さん、養老孟司さんや茂木健一郎さんも書いていたこともある。

今年の始めにcoyoteが休刊になることを知った。
そして、つい先日に風の旅人が休刊になることを知った。

coyoteに関して言えば、coyoteの新井さんがやっていたクリエイティブライティングにも通っていたし、とても愛着があった。
一番好きな雑誌だった。

新聞とウェブでは掲載されるニュースの種類が異なる様に、紙と電子書籍だと載る情報が少し違うんだよな。
そのあたりを埋める方法とかメディアって何なんだろう。
今までこれらに載っていた記事は一般的にはニーズも少ないし、消えるだけなのかな?

じゃあ、そもそも今まではなぜ成り立っていたのか?

・昔は広告の出稿がそれなりにあった
 →紙の場合は広告効果が見えずらく、広告出稿側も何となく広告を出していた。
  しかし、ネットの広告は効果が分かりやすいので、そっちに広告費が流れ雑誌が大変に。

・なんだかんだ売れていた。
 →コンテンツのニーズがどこまであったかは別にして、昔の方が売れていた。
 →読まなくても、置いておくだけでおしゃれというニーズ。
 →病院や銀行の待合室に。
 →スマホに金をかけるようになり、本を買わなくなった。
 
・本屋まわりの接触減少
 →本屋に行かなくなった。
  本屋が少なくなった。
  本屋が入荷しなくなった。

・雑誌を作る人はビジョンというかコンセプチュアルというか、伝えたいメッセージが強く情熱で作っていた
 →実は一般的なニーズはない情報だったが、情熱のある人がなんとか発行していた
 →情熱のある作り手の高齢化
 →若い世代はネット育ち。雑誌を作っていて育ったコンセプチュアルな感じがない人が多い。
  コンセプチュアルな世代は年をとり、やるエネルギーが少なくなり休刊

紙でも違った形態とか、ウェブサイトでもいいし、電子書籍でも何でもいいんだけど、これらの雑誌に載っていたようなコンテンツが成り立つメディアってないのかな?
ビジネスとして成り立たないのかな?
ビジネスとして成り立たないとなると、企業のCSRで出すとか、美術館が出すとかなのかな?

紙に載っていたような情報を得ることが出来なくなってしまい、その情報の元となっていた物や人、考え、文化、スポーツ、祭り、旅もだんだんと衰退して行くのだろうか。

送信者 小笠原