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【色鮮やかな国へ8】キューバがギュッとつまった街

【色鮮やかな国へ7】何もない日常

狭い石畳の道だな、この街はなかなかいいかもしれない、そんなことを思いながらバスを降りる。この街はトリニダー。朝一番の街はにぎやかで、客引きたちが群がってくる。次の街へのバスの時間を調べたけれど、いくつかバスが出ていたので、特に予約せずに街中へ。

送信者 キューバ201503

こじんまりとした街のようだ。でも、観光地っぽさも漂っている。小さな街なのに、露天のおみやげ屋が並んでいたりと。石畳の街は風情があるし、ぶらぶらするには楽しそうだ。バスが同じだった関西2人組と民泊先を見つけて、とりあえずシャワー。汗を流して、さっぱり。さて、この街を歩こう。

送信者 キューバ201503
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売店を覗いたり、高級ホテルを見てみたり、露店でサンドイッチを食べたり。それから博物館に。アフリカから奴隷で連れてこられた人たちの事を知った。そうとう劣悪な環境で、さとうきびなどの農園で働くために。そのために、この街はブラックアフリカのmusicも混じっていて、また面白い文化になっているのだが、その背景には辛い歴史があるというのも皮肉なものだ。とっても狭くボロい螺旋階段を上って、屋上に。トリニダーの街が一望できる。

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小さな町には旅行者と地元の人が混じっていて、活気がある。露天のお土産屋もずらっとならび、ちょっとだけ見て宿に。小さな町で、ほぼ見終わってしまった。さてと、宿で寝ていると、二人組が近くにビーチがあっていくと言う。リゾートホテル併設のビーチだとか。まあ、興味ないけどせっかくなんで、タクシーに乗って行ってみる。

送信者 キューバ201503
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the resort!って感じ。大きなホテルと西洋人。まあ、特段リゾートに興味はないんだけど、きれいな海を見ながらのんびりと寝転がる。そして、ビールを飲み音楽を聞く。たまには、こんな時間もいいもんだ。西洋人のキューバの遊び方は、こうなんだなとつくづく思う。そして、西洋人に限らず、日本人もハワイとか行って、ビートとショッピングだから、多くの人間はそういったことが好きなんだろうな。

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宿に戻って、夕食へ。ロブスターが安く食べられるというので、マリーンという店に。キューバにしてはこじゃれている。スローテンポな歌を歌うミュージシャンなんかもいたりして。久しぶりに日本人といっしょだったので、いろいろ話しながらゆっくりと食事を楽しんだ。洞窟の中で音楽が聴けるライブハウスがあるというので、夜道を歩いていると今はやってないよと、地元の人が教えてくれた。。。残念。

送信者 キューバ201503
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そこで、広場の階段で歌って踊っているところがあったので、そこに。サンチアゴデクーバとは違う。黒人の人がアフリカっぽさが溢れる音楽と踊りを。リズムが非常に良くて、モヒートを飲みながら。みんな、踊りうまいな。本当に小さい頃から、体にリズムが刻まれている感じ。

送信者 キューバ201503

resortも音楽も、街並みも、いろいろなキューバが一つの街にギュッと詰まっている。そんな街がトリニダーだった。明日の朝はシエンフエゴへ向かうことにした。

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知るということが人を変える世界を変える

情報距離とでもいうのか、インターネットで世界はコミュニケーション距離が圧倒的に縮まり、ほぼ距離という概念がなくなった。日本も海外もない。国家が違うし法律も違うが、そんなもの気にならないでやり取りできる。

すぐ近くで起こった事件でも、ネットで知る方が早いこともあるし、近くにいる人ともネットでやり取りしたり、遠くにいる人と変わらなかったり。唯一違うのは、一緒に顔をあわせる頻度だが、ネット上で遠くにいる友達の写真なんかを頻繁に見ていると頻繁にあっているような気さえする。一度、何かを共にして、分かり合った仲間なら、その後物理的距離が離れても、ずっと近くで頻繁にあっている気になるのが、この世の中。

もちろん、交通機関の発達で物理的距離も縮まったのも事実だと思う。人間という生き物自体が物質として存在するため、その制約からは逃れられないと思うから、移動手段の発達は今後もっと進むだろうし、それが進むとまた一段世界が変わっていく。

世界のこの流れは止められない。世界はひとつになろうとしている。世に言うフラット化するというやつか。資本主義という概念があり、お金があるとやりたいことができる、やりたいことに変えられる。それを世界の人は知ってしまった。お金なんて、ただの紙切れで絶対的な存在でもなんでもない、けれど資本主義という概念は、それ以外の概念などを全て包み込んで、自分のルールを適用させるぐらいの構造になっている。

もちろん、そうではない生活を思考する人も一定数存在するし、ある程度の存在感を示していくことになるだろう。

ただ、学問をする、人と人がつながる、新たに商売をする、医療を受けるといったことには、外貨が必要だ。ここで外貨というのは、資本主義バリバリじゃない生活を思考する人たちでも、学問を受けようとすると学費でお金がいる。医療を受けようとしてもお金がいる。新たなことにチャレンジしたり、何かしようとするとお金がいる。このお金のことを外貨と言っている。自給自足でも生きていけるが、そこにお金というネックが生じる。

この資本主義という構造の、さらに根底を流れるエネルギーは、知るということ。知ってしまうということ。これが全ての根源であると思う。人間の最も大きなエネルギーの源は知るということ。知るということは、人の欲求を掻き立てる。その欲求たるものが、人間を最も突き動かす。だからこそ、この「知る」という行為を根本から変えてしまったインターネットは革命なのだ。これに、資本主義というものが掛け合わさると、最強のエネルギーを持ち始め、世界をひとつの価値観というかひとつの構造に覆い被せられ、世界は収斂されていく。

昔の帝国とかもそうだったから、それが地球という規模で起こっているだけとも言える。というのは、鎖国していて、外国の暮らしを知らなかったら、あれしたい、これしたいなんて思わない。今の現状の生活に不満も抱かなければ、政府にだって反発することもない。昔の人も全て、ここを統制すれば、なんとかなると知っていた。だから、江戸時代も国を統治しやすいように鎖国したんだろうし、社会主義・共産主義国家なども情報統制をするんだろう。今知っている範囲で、幸せに暮らすのだ。何も知らなければ、もっとあれしたい、これもしたいという、欲求のスパイラルには向かわない。そして、この欲求スパイラルと資本主義の相性が抜群なのだ。

となると、今後はそ世界がシームレス、ボーダレスなコミュニケーションになっていくなかで知るということをどうやって統制するか、もしくは知ったあとに人々が抱く感情や欲求をどうコントロールするか、どのような行動を促すかが世界を統治する上で鍵となる。これって、悪く言えばマインドコントロールっぽいことだし、よく言えば企業のブランディングとかだ。知り、資本主義の構造をうまく扱うものが勝ち抜いていく。

まあ、うまくまとまらない。このことを1ヶ月ぐらい前に考えていて、こうなっていくんだ世界は!と思ったのに、しっかりと書き残さなかったのが反省だ。まあ、自分が考えたことの3分の1も伝えられないのが常なので、諦めずに考えていこうと思う。

そんなことを思ったのも社会主義国家キューバへ行ったから。あの国の人々の価値観、ネットなどの情報コントロール、そして西洋人が来ることによって知る彼らのライフスタイル。それらが合わさって、変わっていく国民。国民の変化と世界の変化が押し寄せ、そろそろ国が回らなくなるという危機感から、政府・国も大きな政治的決断をして国を開こうとしているという今。

技術の進化や発展途上国が先進国化していく中で、いろいろな国を旅したり、仕事で行ったり、海外にいる人たちとネットで簡単にコミュニケーション取ったり、まあ、いろいろな経験を重ねていく中で感じ、考えてきたこと。実体験として国境なんていう概念が薄れていっている。そして、音楽もビジネススタイルも食事も似たり寄ったりになっている。お互いの前提となる文化が似てきて、相互理解が早くなるともいえる。

この流れは止められない。そうなっていく中で、自分はどんな価値観を大切にして、どうやって生きていくか。それだけだ。

ただ、全く想像もつかない文化や価値観の人たちが世界には存在している、多様性という表現よりも、バラバラで未知があり続けることに喜びを感じる自分としては、どこか寂しさが常にあり続ける。

送信者 キューバ201503

知らなきゃ、愛せないということばブログに昔書いたことを思い出した。

絵はがきが持つ不思議な力

絵はがきが好きだ。
それは小説を書くとしたら、絵葉書をテーマにするぐらい。

いや、そんなに好きではないかもしれないが、何か気になる存在なのだ。だから、絵葉書について何度も書き残している。

そう、このブログを読んでいる珍しい人は、何度も絵はがきネタが、このブログに登場することを知っているかもしれない。

3月にキューバにいった。いつものように、街で絵葉書を買い、日本へと送る。今までの経験上、ロストする確率は低いのだが南米は怪しい。過去の経験上そんな感覚を持っていて、このキューバも届くか怪しいなと思っていた。

ひとまずキューバから、絵はがきを実家へと送った。届かないかもという第六感をもとに、現地で書いたけど送らず日本に持ち帰った。キューバから送った絵葉書が届かなかったら、日本で切手を貼って送ろうという思いで持ち帰ったのだ。

案の定、届かなかった。何度か届いたか母にメールで聞く。本人はとっくに日本だし、なんなら岐阜の実家にも帰っている。キューバから送ってから2ヶ月ほど届かないので、自分で持ち帰った絵はがきに日本の切手を貼り、東京の郵便局から送ったのが先週のことだ。

ちょうど昨日、不思議な絵はがきが届いたと母から連絡があり、事情を説明。そりゃ不思議だ、中身はキューバのことだし、2ヶ月前の日付も書いてあるし、でも日本の切手。なんじゃこりゃと。状況がつかめたようで、それで、まあ、気長に待とうという感じで終わった。

仕事とか短期の海外旅行を除き、自分が旅だと考えて出掛けたときは、いつも絵はがきを送っている。なんだろう、その国で書いたものがどんぶらこどんぶらこと、日本まで時間をかけてやってくる。その国の空気を吸ったものが、届くってなんだか想像力を掻き立てて好きなのだ。

すると、今日キューバからの絵はがきが届いたよと、メールが来た。えっ!?嘘っ!?本当!?

なんだろう。偶然に過ぎないのだが、あれだけ届かなかったら絵はがき。諦めて、日本からもう一通を送った。それが届いた翌日、キューバからの絵葉書が2ヶ月の旅を終えて届く。すこし、長旅が好きなのだろうか。迷子になって、楽しんでいたのか、不安がっていたのか。

この時間が、タイムスリップして、その絵はがきを書いた瞬間に僕らを連れ戻してくれる。そんな力が絵はがきにはある。まるで、日本から送った絵はがきが呼び水みたいにして、翌日にキューバから絵葉書が届く。

ただの偶然に過ぎないのに何か絵はがきに、不思議な力を持っているように感じてならない。

送信者 Aconcagua&Patagonia

そんな、不思議な時間のマジックを絵葉書はアコンカグアの時も起こしてくれている。

同じ時間をどんぶらこ

絵はがきにつて過去に書いたブログ

送信者 ドロップ ボックス

【色鮮やかな国へ7】何もない日常

【色鮮やかな国へ6】宿の親父がミュージシャンに変わる街

朝一のバスということで、真っ暗な時間に起きる。そして、頼んであったタクシーが家の前まで来てくれているので、乗り込む。真っ暗な街をタクシーで進む。街中ではすでにゴソゴソと人々が動き出している。果たして何をしているのだろう。タクシーのおっちゃんはノロくて、時間がけっこうギリギリだったので、焦った。この街を歩いて知っているので、なんでこんな道を通るのだと突っ込みたくなるが、ほんの少しの遠回りなので、もめる方がタイムロスだ。

バスターミナルに着くと、すでにバスが来ていて乗り込む。向かうはカマグウェイ。

今回の旅で最もマイナーな街の一つ。そもそも、ここに行こうと思った理由は、予定よりも早く進み過ぎていて、ハバナに3日とか滞在してもやることがなさそうだったから、牛歩作戦みたいなもんだ。何にもないだろうと思いながら、行くことにしたのだ。もう一つや夜行バスに乗りたくなかった。疲れるのだ。地理的に、カマグウェイに行けばトリニダーまでの昼に走るバスがある距離だろうというそんな三段。

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真っ暗なサンチアゴデクーバを出た。まだ、音楽祭は続いていたので、もう1泊して3泊でも良かったのだが、楽しいうちに去るというのが、一番良いと経験上知っている。どんなに楽しいことでも、永遠には続かないのだ。どんなことでも2回目は1回目の衝撃や感動がないのと同様に、過去の楽しさにすがりすぎると、新しい世界は「ようこそ」と迎え入れてくれない。

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サトウキビ畑の一本道をバスは走る。いつものように、何度か休憩。そこでサンドイッチとハンバーガー、そして炭酸のジュース。もう、これがパターン化され始めた。まあ、ハンバーガーのハンバーグはそこそこうまいので、特に問題はないのだ。カマグウェイにつく。地図もないし、はてさてと。バスターミナルを出ると、街は離れているっぽい。タクシーの運ちゃんに聞いても3キロだとか。うーん、どうしよう。

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ここは何もない街、かつ今日は日曜だった、魔の日曜だ。やることもなく、休むのに適した場所のない街で日曜というのは辛いもんだ。これは、キューバに限らず、旅をしているときはいつでも。まるで、知らない国に夜中に到着する飛行機で降り立ったような気分。追い打ちをかけるのは、トリニダーまでの昼のバスはなく、真夜中の2時だかに出発するバス1本のみ。。。なんてこった。まあ、旅とはこんなもんだと思っているからいいが、ガビーンという気持ちであることにはかわりない。

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リクシャーに乗って、街の中心部に。人影はまばら。ってか、人がほとんどいない。昨日までの祭りの活気とは対照的。中心部とされるところをほっつき歩き、教会を見たり、あっちに行ったりこっちに行ったりひたすら歩いて時間を潰す。すると、何やら広場にアンプの準備をしていたので、ジュースを買って眺めていたら、人が集まり始めショーが始まった。人形の謎の舞台や子供達のダンスなどなど。学芸会のような感じ。これを楽しんだあとは、食事を食べに。お店も少なく、空いているところで鶏肉とジュース。

送信者 キューバ201503
送信者 キューバ201503

泊まるのは、いいや、次の街に行きたいと思い、バスターミナルへリクシャーを走らせる。夜中発のバスまで時間があったが、バスターミナルでうたた寝。こういったときに、金持ちと外人専用のバスだと安全な待合室が用意されているから楽なのだ。キューバ自体は治安がとてもいいが、よりこういった環境の方が安全は確保されているから、寝やすい。

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真夜中も各地から到着し、またバスは出発する。その繰り返し。トリニダー行きのバスが到着して、乗り込む。席は指定だが、みんな無茶苦茶なので、空いている席に座る。すると、まさか!後ろの席にハバナ出会った2人組が乗っていた。驚き。すこし、話してすぐに寝た。

【色鮮やかな国へ6】宿の親父がミュージシャンに変わる街

【色鮮やかな国へ5】このリズム、この夜がきゅーばそのものだ

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朝目を覚まして、朝食の前に散歩。サンチアゴデクーバは坂の町。どこもかしこも坂ばかり。坂があると、朝日や夕日が差し込んで、上から見下ろしたり、下から見上げたり、光の具合によって、街の雰囲気が一変する。そんな、この時間しか味わえない町を楽しむ朝の散歩。

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ここの朝食もキューバスタンダード。フルーツとパン、そしてガヴァジュース。ここの家族は本当によくしてくれる。いい家族だ。部屋も広いし、きれいだし、屋上からの夕日もきれいだし。でも、別の旅行者がドイツから来るから、今日は別の宿を探さないといけないと言われていた。荷造りをして宿を出ようとすると、親父さんがちょっと待ってと。ドイツ人が来るか確認するからと。はてさて、どうやって確認したかは定かではないが、20分後ぐらいに、明後日から来ることになったので、もう1泊OKとのこと。荷物を部屋に置いて、街へ出かけることに。

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特にやることはない、Pepe Sanchez Festival(ペペサンチェスフェスティバル)は今日も続く。夕方になれば、この祭りを楽しむのだが、日中は特にない。キューバはこれといってみるような観光地もないし、ということで街をぶらぶら歩きながら、バスターミナルまで行って明日のバスの時間でも調べることに。

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一人でぶらぶらと旅しない人に、海外に一人で行って何するのと聞かれたりすると、ぶらぶら歩いていると話してもなかなか理解されない。けれど、こうやってぶらぶら、ひたすら街を歩くことが一番面白い。その国の習慣とか、人々の性格とか、全てが見えて来る。歩いていると、話しかけられたり、話しかけたりして、一緒にお茶したり、どこかに連れて行ってもらったり、たまには家にお呼ばれしたりとか。

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まあ、今回もバスターミナルを目指しながら、街を歩く。日本でもキョロキョロしていると言われるが、いろいろなものを見て歩くため、普段よりもキョロキョロしながら歩いている。革命広場の前にあるビアスールまで。町の中心部は活気を帯びている。露天にサンドイッチが並び、公園では花を売っている、空を見上げるとキューバの国旗がたなびく、にぎやかだと思えば学校へ向かう子供達、キューバの日常の朝がリレーされていく。

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大通りには車が行き交い、ビアスールの近くにはキューバ人しか乗れないとされるバスが集まるバスターミナルがあった。やはり、外人向けのバスターミナルとは活気が違う。どちらかというと、こっちのバスに乗りたいが外国人はNG。学生の頃なら、意地でも乗ろうとしていろいろ交渉したり、試みたかもしれないが、そういった気力がなくなったのは、経験を重ねたからなのか、年のせいなのか。

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予定よりも早いペースで旅は進んでいた。ちょっと寄り道していかないと、やることがなくなってしまう。行く場所がなくなってしまうということで、カマグウェイという町に行くことに。チケットを買い、革命広場に。その向かいの芝生では、何やらラップっぽい歌をうたう歌手が二人。そして、彼らを子供が囲んでる。ついでなんで、覗いていくことに。中学生ぐらいの子供たちがノリノリだ。なぜだか、キューバ人のおばちゃんが、前に行け前に行けと、いい場所をあてがってくれた。さらに、パフォーマンスが終わると、歌手二人を俺に紹介してくれた。この感じ、この謎のおもてなしは海外を旅している時しか味わえない。

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また、てくてく歩くと、学校の遠足で来ている子供たちとはしゃいでみた。みんな元気だし、無邪気だ。そして、先生に怒られるというお決まりパターン。おれは再びてくてくと。この街にも大きな野球場がある、キューバ人の心。野球。それを強く感じる。近くにこの街で最も高級なホテルがあったので、入ってみた。wifiは使えなかったが、PCがあって10クックぐらいでネットをする。facebookとかも普通にログインできた。宿に戻って、お昼寝タイム。

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夕方になり、街の中心部へ。もちろん、おめあてはペペサンチェスフェスティバル。宿を出るときに、宿の親父が20時からブカネロでライブやるから来てくれという。はて??このおっちゃんはミュージシャンなのか?ただの宿の親父じゃないのか?まあ、行くよと伝えて街へ。日が落ち始めた街は、すでに盛り上がっている。街角にアンプを出して演奏し、人々は踊る。酒を飲む。いろいろな人が声をかけてきて、仲良くなる。片言のスペイン語と英語でなんとかコミュニケーションをとる。この瞬間も楽しいが、もっと言葉を喋れるようになりたいと思うのが、この瞬間。

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有名な太鼓の奏者なんだとか、おれはボクサーだとか、ビールをおごれとか、CD買ってくれとか、一緒に踊ろうとか。他の町であった外国人旅行者も多く集まっていた。エレキギターを使ったポップミュージシャンもいれば、オーケストラもいる、ソンとかトローバと呼ばれるサルサの原型になったと言われるキューバの音楽も。街角や公民館みたいなところ、広場、もう全てが音楽と踊りで溢れている。なんて陽気な国なんだ。

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送信者 キューバ201503
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リズムが良くて、こっちの体も自然にリズムを取り始める。オーケストラの演奏も立ち上がってやったり、おばちゃんが狂ったように踊ったり、かと思えばよちよち歩きの2、3歳の女の子が踊っていたりと。もう、小さい頃からこのリズムが体に刻み込まれているんだと、痛感した瞬間だった。そして、70過ぎのおばあちゃんがピンクのドレスを着て、30ぐらいのにいちゃんとダンスをする姿とか、老若男女という枠を超えて音楽を楽しむという、この文化がとても魅力的だ。

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この国は、社会主義だ。食料とかが今も配給されている。平均給与は月間2000円と言われている。ネットも不自由だ。社会主義で、これだけ不便で経済的にも豊かでないと、国民は楽しく生きられないかと思う。でも、この暖かい気候、そして音楽、踊り、豊かなフルーツ。これらが、この国の人々を幸せにしている。そう思えてくる。

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街を歩いていると、音が流れている方向へと自然と足が向く。バーみたいなところに入ると、宿の親父がマラカスを持って歌っている!おお、ここだったのか。写真を撮りながら聞いていると、うまい。声が伸びる、そしてリズム感がちがう!あの宿の親父に、こんな一面があったとは。別に、音楽の練習とかしてなさそうだったけど、音楽と踊りの遺伝子がこういう表現を可能にしていた。最後の演奏まで聞いて、握手をして店を出る。

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路地を歩いているとグアンタナメーラという、ブエナビスタソシアルクラブの映画で有名な曲が聞こえて来る。ホールに入って聞くよりも、赤色灯に照らされた路地で聞く、合唱が心地よかった。明日の朝も早いバスだ。街中のミュージシャンも減り始めたので、宿に戻って寝ることにした。

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