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文化が生まれ、文化が根付く

こんなにも多くの人が、シャモニーの町へ行くのかと驚いた。
もちろん、目的はUTMB、そう、Ultra Trail du Mont Blanc

やはり、景色は美しいし、なんだかんだ有名選手は出場するし、華やかだし。USの古くからあるメジャー大会もあるが、これらはローカル色を売りにしている。それとは違ってUTMBは最高のエンターテイメントとしての100マイルレース。

そう、そんな、仲間の写真を見て、やっぱり美しいなーとか、みんなワクワクしてるんだろうなと思いながら、UTMBがあったから、日本はこんなにもトレランが浸透したのだろうと思った。

さて、俺がトレランを初めてやったのは2007年だか2008年のハセツネが最初。UTMBに行ったのは2012年。少なくともハセツネに初めて出た時は、トレランという言葉を知らなかったし、あまり使われてなかった気がする。WEB申し込みじゃなくてハガキで応募したし。そして、アウトドアショップの店員さんも詳しくなく、小さい靴を勧められたという苦い記憶もある。

ということで、なんでこんなに流行ったのかという背景と、流行る過程、文化として根付くまでにどんなことが起こったのかを時系列(個人の曖昧な記憶ベースw)で書き残す。たぶん、ここには他の文化が浸透するときのエッセンスもあるはずだからという、個人的なメモなだけなんだけど。

■流行の背景

・マラソンブーム
 →マラソン人口は圧倒的に多く、東京マラソンで火が突いた。マラソンに飽きた人が次の世界ということでトレランに流入

・アウトドア、登山ブーム
 →山ガールという言葉も生まれるほどの登山ブーム。一般人にも、特に若者にも山が身近なものに。

・装備が少なく始めやすい
 →お金がかからないし、準備が楽というエントリーのハードルの低さ

■文化として根付く過程で起こったこと

・富士登山競走、ハセツネといった老舗大会は継続的に行われていた
・石川弘樹さんは、ブームの前から世界の大会を開拓したパイオニアとして存在

・アウトドアブーム、マラソンブーム、トライアスロンブームから徐々にトレランをする人が増える
・古くからある、ハセツネなどの大会がすぐに定員オーバーになる
・主要大会で常に結果を出す鏑木さんなどが、有名になっていく

・信越五岳110キロやおんたけ100キロなど100キロオーバーのレースが誕生
・一般人が100キロに挑戦し始めること、トップ選手は海外の100マイルレースに参戦
・UTMBの鏑木さんの参戦がNHKで報道されるなど、トレランがテレビで取り上げられる
・UTMB3連覇だっけ?の伝説キリアン・ジョルネの誕生

・twitter、Facebookなどのソーシャルメディアでの拡散(大会の盛り上がりや山の美しい景色がどんどんシェアされた)
・ソーシャルメディアで仲間が増える
・ウェア、ザック、ジェルなどの機能的進化、おしゃれ化も拡散を加速
・サークル的なノリでトレランをする仲間のコミュニティがあちこちでうまれる

・有名な選手などが主催し練習会・講習会がいろいろなところで開催
・大会が全国的に増え続ける
・エントリー合戦が始まり、0次関門という言葉も

・トレラン専門の雑誌がいくつも発行される
・トレラン専門のウェブメディアが生まれる。
・様々な人がトレランに関して本を書く。
・洋書も翻訳される。(BORN TO RUNはじめ)

・大会エントリーのRUNNET、参加選手の写真販売オールスポーツなどの派生ビジネスがメジャーになる

・国内で実質的な初の100マイルレースUTMFの誕生
・UTMFのマスメディアでの報道、情熱大陸にヤマケンさんがでるなど

・おしゃれで先を行く人がやっている遊びの一つとしてのトレランの認知が生まれ始める
・トレラン友達などがトレランウェアのブランドを始める
・女性参加者が増える

・仲間内で主催する草レース大会が全国で増える
・一般人がトレイルランニングという遊びを認知し始める
・アウトドアショップにはトレラングッズがあふれる

・そしてちょっと最近ブームはひといきついた感じ?

こうして、トレランという文化が生まれて、根付いていったのかなと。2007年ぐらいからしか知らないけれd、当時はまだそんなメジャーじゃなかったから、ある程度はカバーできている気がする。その前の時代はかっこいいスポーツというよりは、一部の変わった人がやっていて、おしゃれでもないスポーツというぐらいの認識だった気もする。

そんな時代は山岳耐久レースとかそういった言葉だったが、トレランという文化の概念を表すカタカナ言葉が作られた。これは、流行らせるには大きなきっかけだったんだろう。

そして、憧れのキーワード。
それが、UTMBである。

わかりやすい憧れブランド。

例えば、UTMBはフェラーリみたいなもん。それぐらいのいつか手にとって見たい象徴。こういったものがあったほうが、ブームは作りやすい。でも、フェラーリは高すぎて庶民には変えないから、国産のレクサスで我慢しますみたいな、身近なあこがれを作る。ギリギリ手に届くあこがれを作った。その象徴がUTMF。でも、UTMFも100マイルというハクライ品の甘美な響き「マイル」は保っている。

まあ、マイナースポーツで終わるなら違うが、トレランがここまで普及し文化に根付くにいたったのは、いろいろな背景があるが、UTMBというわかりやすい、華やかな、あこがれが設定されたことは大きく寄与したんだろうなと思ったのだった。

ほとんど、トレランをしなくなった俺が、いまさらこんなこと書くのも変だが、写真を見返すと鳥肌が立つ。やはり、シャモニーでのあの瞬間の連続はとてもいい時間だったし、やっぱりUTMB好きだし、また行きたいなと思えてきた。そんなこんなで、毎日トレランのエントリーしてるのかもなーw。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

キリアンは飛ぶし、世界は数字に踊るし、この世はいつもメリーゴーランド

人生って、多様だし、何があるかわからないし、世界はつながっているし、変わるし、変わらないし、本当にこの世界は面白い。生きていて飽きない。俺みたいな、飽き性な人間が常に満たされるほど、世界は驚きと、笑いと、悲劇と、つかの間の平凡さであふれている。

facebookにJust another dayというテキストとともにアップされたGopro動画。そこで、キリアンはナイフリッジを飛び回ってるけど、世界の99.99%の人は飛べないし。飛び跳ねたいとも思わないし。けれど、彼の身体性と、恐怖心を抱かない感覚があれば、岩と雪のナイフリッジだって、ピョンピョン飛び跳ねる。

UTMBウィークの始まりで、多くの仲間がシャモニーへと出発していく。飛行機は今日も明日も世界を飛ぶ。

一方で、同じタイミングでfacebookのタイムラインには、自転車で事故をして、体が全く動かなくなってしまった人がいる。

もちろん、生きている人は自分も含めて、死へ1秒ずつ近づいていることは変わりないし、でもそれぞれの個人が引き受けている今という時間の感覚は全く異なる。

株価は世界的に暴落し、円高に一気に振れる。叫ぶ人がいれば、日々の生活は大して変わらない人が大半だし。

全く知らない人たちが売り買いをした総体の数値、例えば株価とか世界経済の指数に影響されあって、世界の同調性によって連鎖的に株は下がるし。でも、大根の値段は今日も明日も変わらない。

なんにしろ、逆張りと時間差がものをいうが、それはなかなか頭でわかっても実行は難しい。今を切り取ると総合でプラスでなくても、逆張りをしておくと時間差で利益をそれぞれ確定できる。これは、株も人生も。ただ、未来は分からないから、逆張りはなかなかできないという不安心理。

結局、世界はロジカルでない意思決定であふれていて、ロジカルでない人の意思決定の集合体が世界だから、ロジカルに考えて正しいことがうまくいかない。

未来は楽観視しているが、悲観視もする。でも、起こったことは、いいように考える。反省から学ぶことはあるが、後悔をして引きずりはしない。

この世は成功すれば賞賛するし、失敗すれば避難される。同じ行為をしたとしても。結果で周囲の評価はくだされる。

それが、世の中だし、過程プロセスというのは、個人にとっては意味がスゴイある。言い訳でもなんでもなくて。でも、他者にとってはプロセスなんて、ほとんど価値がなく、結果だけ。それは、他人のことまでプロセスもしっかり見て評価するほどヒマじゃないから。

そんなこと全く知らず、絵を描き続ける人も、狩猟生活をする人もいる。それは、アトリエで死にそうになっている友達の顔をfacebookで見て痛感する。

と、どうでもいいけど、たった1日。2015年8月25日(日本時間)だけで、世界はこんなに、面白いと実感できた。

これもすべてインターネットの産物。

取り留めもない文章だけど、そんな世の中が好きだなと思う。全ては、インターネット。全ては、エンターテイメント。

退化を受け入れ対策を打つことと、最後は経験と精神論

9月に4,5年ぶりに信越五岳トレイルランニングレースに出る予定だ。距離は110キロ。昨年4月のUTMF以来なにもレースに出てないから、1年半ぶりのレース。他にもエントリーしていたが、なんだかんだ休みが合わなかったり、モチベーションが上がらなかったりで出ていなかったから。

うーん、振り返るとPTL、そしてアコンカグアなどの失敗があり、何度か100マイルも走りきったし、という一区切りが自分の中で出来たのだろう。トレランを徹夜で走るとかってのは、アドレナリンが出て面白いが、どちらかと言うと景色を楽しみながらのんびり山を縦走するほうが好きだ。

一番の自分の好奇心は、知らないことを知りたい、経験したことないことをやってみたいというところにある。その次は、美しい景色を味わいたい。それは、朝日、夕日、星空、海、空、森、砂漠、とかとか。その次に、アウトドア・スポーツってな感じ。なんだかんだ、アウトドア・スポーツは習得するのに時間がいるし、継続しないと衰えるので、なかなか大変だ。

が、やはり、100キロぐらいのトレランがいつでもできるぐらいに、日常的に運動することは重要だと最近思う。100マイルは走れなくてもいいけど、100キロのトレランはできるぐらいの体にしておく。何か非常事態があっても体力ある体で安心だし、友達にこんな遊びしようと誘われても100キロぐらい走れればだいたいの遊びはチャレンジするベースは整っている。そして、適度に運動している方が、心身ともに健康になるし、仲間とも遊ぶきっかけになるから。

まあ、それはさておき、レースが1か月後にせまり、今の肉体では完走が難しいと思い、少し走り始めた。しかし、朝6時のバスに乗るってのができない。友達となら、6時集合ができるが、1人だと、まあいいかとなってしまう。昔なら、一人でいつも始発でいろいろな山に行っていたのに、そのモチベーションがわかない。困ったもんだ。ということで、俺は本質的に走ることが好きというわけではない。

以前、毎週のように山に通っていた頃は、何かを成し遂げたい、楽しい、とかっていう欲求が強かったから突き動かされていたが、今はそれが弱い。そして、当時は練習すればするほど、長い距離が走れるようになったし、疲れなくなっていったという、できないことができるようになる喜びがあった。そして、体力がついていて、疲れ知らずで、山をピョンピョン走るのが、爽快だった。今は、どてどてと走るようになり、それがない。

とは言っても、練習は必要だと思い、土曜に15キロほど山を走り、今日はロードを25キロほど走ってみた。一言で言うと、衰えを感じた。でも、新たな気付きで、いい勉強にもなったなと思う。人は年をとると、肉体は衰える。でも、若い頃に、あんなこともできたし、こんなこともできた。だから、30年経った今でも、あれもこれも昔と同じようにできるのだ!と思っている老人が多い。人間の記憶は、昔のままで止まってしまっているから。これってやっかいで、いろいろな事故とかの原因にもなっている。

で、しばらくやっていなかったことを、適度な期間をおいてやってみる。すると、できなくなっている。これは、退化だ。すなわち、老化と似ている。今回、自分が退化している事がわかり、これは老化と同じ。今の現状の自分の体力が分かったのはいいことで、それをそのまま受け入れた。今回の経験から自分が年を重ねたら、しっかり老化というものを受け入れることを肝に命じた。

まあ、老化した、うれしい!なんて人は世の中少ないだろうけど、その老化をある程度受け入れて、受け入れたからこそ対処できる策が生まれてくるし、実行することができる。現状の自分を正しく知ることが、改善の打ち手につながっていく。まあ、そんなこんなで、残り1ヶ月は適度に運動しようと思う。

おそらくキーワードは、精神論、慣れ、経験の3つ。

一般的に言われる精神論は、根性だ、もっと頑張れと闇雲にやることを言うっぽい。たぶん、日本人が精神論って言う時はそう。でも、精神って、何かを成し遂げるか否かって時には非常に重要だと思う。合理的な練習方法だったり、肉体に基づいた練習方法だったり、練習頻度だったり、論理的な補給は大前提。その上で、やる気をマックスに持って行くこと。これは、マインドコントロールに近いところもあるし、自分で思い込んだり、適切な難易度の小さなゴールを設定するとか、友達を巻き込むとか、テクニックはいろいろ。今はおそらく110キロ完走できないゴールを、うまく1ヶ月で走れる体にするというゲームをするつもりでやってみる。特に持久系の競技は、この精神(気持ち)が非常に重要なスポーツだから。というのも、100メートル走だったら、全力で走ればすぐ終わる。もちろん、筋肉疲労とかすごいが、歩こうって気持ちにはならない。でも、持久系の競技は、長い。時間が長い。肉体的にどうしても歩くしかできないこともあるが、だいたいの時は走れる。でも、疲労が溜まりまくって歩きたくなる。だからこそ、精神でその甘えた気持ちを封じないといけない。封じるか、気を紛らすかはいろいろだけど。

次に、慣れ。慣れと経験って似てるけど、ちょっと違う。どちらかと言うと、短記憶というか、短期感覚記憶をつけるって感じ。プロスポーツ選手がメインの試合の前に、小さな大会に出るみたいなもん。レース本番までに50キロぐらいのトレイルを10時間ぐらいかけて1度走っておくと、体が長い距離に慣れる。これが、けっこう重要。

最後に、今までの経験。100キロ以上のレースは何度も走っているし、100マイルも何度か。ということで、最初飛ばし過ぎないとか、登りで頑張り過ぎないとか、全体のペース配分。気力が落ちてきた時のモチベーションアップ方法、補給。ヘッドライトなどの装備、膝とかに負担のかからない走り方などなど、経験がある。そういった経験(感覚で理解していること、および知恵)でなんとか乗り切りたい。

なまったからだで、どうなるかというゲームが始まった。

送信者 sports

同じ日に同じ船、同じ仲間と同じ島

本格的な銛突きをしたのは去年の夏。
三宅島で3日ほどキャンプしながら、魚を突いていた。

the夏休みという日々だったし、とても充実した時間でぜひまた銛突き狩猟旅に行きたいと思っていた。テントを持って山の上でテントを張って夕日や星を眺めることが大好きだが、もしこの夏に山か銛突き旅のどちらかを選択しなければならないとしたら、銛突きを選んでいただろうと思うほど。

ということで、去年一緒に行ったタクジさんと話し今年は8/14から行くことにした。行き先は粟島か伊豆諸島のどこかか迷ったが1週間ぐらい前に再度三宅島に決定。タクジさんも僕も同じ場所に何回も行くよりも、新たな場所に行きたがるキャラクターだが、三宅島がそれだけ良かったということで。

朝タクジさんから、「同じ日」とメールが来た。
はて?、なんのことだ。と、寝ぼけて思った。

もしかしてと思い、facebookで調べたら、そうだった。

去年も8/14に竹芝からフェリーにのった。
今年も、全く同じ日程。

面白いものだ。

9/11にどこにいたかとメモをする癖があるが、そういった特別な日しか覚えてられない。けれど、facebookが過去の同じ日にこんなことありましたねとリマインドしてくれる。ただの偶然だけど、偶然に価値を感じる性格でなんだか嬉しくなった。

金曜の夜のフェリーに乗る。多くの荷物をダッフルバッグに詰め込み、21:30頃に竹芝桟橋に。ぞろぞろとメンバーが集まる。今回は子供4人と子供心を持ち続けている大人5人の大所帯。ハラペコ登山隊のタクジさん親子、かっせさん親子、アウトドアマガジンの編集長親子、そしてタクジさんの元同僚Qちゃん。

送信者 三宅島2015

去年の同じ日にこの橘丸に乗ったけど、相変わらず新しくきれいなフェリー。荷物をおき、デッキへ出て東京の夜景を見ながら出港、そして乾杯。元気な子どもたちははしゃいでいたが、いつの間にか寝て、それにつられて大人も寝た。朝目を覚ますと、もう三宅島。5時に到着。三宅島に降り立つと、雨の降った形跡があったけど、今は止み、朝焼けが綺麗だった。波が高かったのか、メインのフェリーターミナルではなかった。バスに乗り込み大久保浜へ。同じバスにはキャンパーがいなそうだった。

送信者 三宅島2015

大きなテントも含め、6,7張りあったが、ちょうどまとまってテントが3,4張り張れる場所が開いていたので、そこを陣取る。そして、朝食を食べながら、ダラダラ、テントを張ったり、朝寝したり。すると、2,3針のテントを残して、みんな今日買えるようだった。俺達はこれからなのに。昼飯を取ろうと、目の前の海岸に。1年ぶりということもあって、腕が鈍っていた。タカノハダイやブダイ、カワハギなら100発100中だと思っていたのに。何突きかしているうちに、感覚が戻り始めて、昼ごはんゲット。大きなふぐを突いたが、腰に巻いた網に入れれず、刺したまま海の上に銛を出して泳いでいたら逃げてしまった。残念。

送信者 三宅島2015

たくさん取れすぎた。歩いて10分の商店に買い物。そして、スマホタイム。去年命名された、濃厚なスマホタイムというやつだ。刺し身、鯛めし、鯛味噌汁、焼き魚という去年から続く鉄板メニュー。鯛めしはしょうがを入れると臭みが取れるし、焼き魚は鱗がついたままがいい。蒸し焼きになってうまいのだ。今回はカセットコンロを持ち込んだので、とっても便利だった。昼飯が終われば、昼寝。いつの間にか、みんな裸で寝ていた。

送信者 三宅島2015

まあ、昼寝もして、次は夜飯の漁に。慣れてきて、今までとったことないレアな魚を取りたくなるが、そこは難しい。動きが早い。岩陰にタコを発見!こりゃうまそう。ゴムを引いて、銛を突く。命中!きた。しかし突いた瞬間に吸盤を岩にくっつけて、引っ張りあげれない。くそー。これは息ができなくなる。と思い、思いっきり銛を引っこ抜いたら、銛からズルっと抜けてしまった。く、悔しい。

送信者 三宅島2015

それで、とりあえずカワハギを突いて帰った。今年は、ブダイとかカワハギが少なかった気がする。その代わり、タカノハダイ祭りw疲れて浜に上がると、Qちゃんに銛を貸した。ガタイが良く、思いっきり銛を突いたらしく、片方の銛先が折れてしまった。。。まあ、仕方ない。折れた銛先をヤスリで研いで、尖らせて、一応返しも作っておいた。

送信者 三宅島2015
送信者 三宅島2015
送信者 三宅島2015

夕食も、鯛めし、鯛味噌汁、刺し身、焼き魚。あれ、さっきと同じメニュー。まあ、狩猟生活はこんなもの。うつぼとか、岩ふぐとか、メジナとかじゃっかんバラエティはあるけれど。ということで、商店でつまみとビールを買って、だらだらと夕食。こののんびりとした時間がたまらなくいい。飲みながら、いろいろと話して。偶然、隣でバーベキューして三宅島島民の人たちが去年と同じメンバー。びっくりした。島の人の楽しみなんだろうな~。がしかし、大雨が。おれは、山でも使えるテントだったので浸水しなかったけど、みんな浸水して大変そうだった。

送信者 三宅島2015

あついし、外で寝てたら虫さされまくり。痒い、痒いということで、テントで寝ることにした。翌朝起きると、みんな起きて朝食。朝食は、魚じゃない。ちょっと、この時間が楽しみだったりする。みんなで、テトラポットのある港へ。ここで、ドボンドボンと子どもたちと一緒にジャンプ!4,5歳の少年たちも、俺に慣れてじゃれあってくる。元気な男の子はいいな。周りが見えてないので怖さもあるけど、あの無邪気な笑顔はいいもんだ。そして、みんなキャラが違うな―と。個体差って面白い。兄弟でも飛び込むのを怖がったり、全然怖がらなかったり。でも、9歳ぐらいになると安心だし、12歳だとばかみたいに暴れまわることがないので特に気にしなくても大丈夫だとわかった。

送信者 三宅島2015

Qちゃんとマツダさん親子は日曜の午後便で帰るので、テントを片付けて、昼飯もちろん同じメニューを食べて、帰っていった。1泊2日でも十分楽しめるな―と話していた。土用が朝5時着だからなんだろうなー。それから、もちろん昼寝。そして、残ったのはハラペコ登山隊メンバーだけ。

送信者 三宅島2015

目の前の浜で、波に流されてザブーンと浜に打ち上げられ、また波にさらわれ、そしてまた波に打ち上げられという、波に身を委ねる遊びを大人も子供もする。ああ、単純なのに、この波に乗っかる感じが心地よくてハマる。サーフィンが楽しいのもこれなんだろうな。あっという間に夕方近くなったので、暗くなる前に、テトラの港へ。そして、お魚キラーをしかけて、夕食の魚を突いて帰った。

本格的にテントは俺達だけ。隣ではまた違う島民がバーベキューをしている。ケンさんという三宅島の飲み屋の店主がお客さんを連れてきていて、ケンさんといろいろと話す。そして、子どもたちはさすがに1日遊びまくって疲れたのか、すぐに眠りについた。今日は雨もふらないし、タクジさん、カッセさんと3人で飲みながら、ダラダラと話していた。

送信者 三宅島2015

タクジさんと話していた。魚釣りをする人は、同じ魚をクーラーボックスいっぱい釣って帰る。それは、何が釣れるか分からずに、糸を垂らす方法だから。でも、銛付きの場合は、食べる量しか魚を取らない。これって、面白い違いだ。

銛突きは釣りよりも、明確に自分の目で見て、この個体の魚を俺が突き刺して殺して取るというのがはっきりしている。ある意味残酷で、手に衝撃もある。目の前で魚が激しく抵抗して暴れる。刺した瞬間の暴れまわったりとか、死ぬ瞬間も目に見える。だからこそ、魚の命は無駄にはしないし、余分には取らない。

これって、何でも一緒で、産地の人が見えるとか、製造業でも作り手が見えるって、そこに感情が宿るから愛着が湧くし、大切にするんだと思う。当たり前だが、それが人間。

送信者 三宅島2015

うー、眠気の限界ということで、そのへんの地面で寝ようかと思ったけど、虫に刺されるのでいちおうテントに潜り込んだ。

送信者 三宅島2015

天気予報だと月曜は雨で心配した。それで、3人共すぐにテントを片付けたが、快晴!まあ、ありがたいのだが、こんなに張れるならもっとテントを干したかった。またまた港へ。子どもたちもジャンプを怖がっていたが、次第にパパと飛んでいると慣れてきて、みんなで飛び込みまくり。the 夏の日。帰らなきゃならない時間が迫ってきた。キャンプサイトに戻って、荷物を持ってバスに乗る。

送信者 三宅島2015

今年の三宅島リゾートは、子供たち4人と大人5人だった。こんな経験できて、子供たちがうらやましい。大人になったとき記憶に残っていなくても、思い出せない記憶の体積として、彼らのどこかに刻まれる気がして。といいつつ、そんなんは大人の思いだけで、みんな最高に楽しんだからそれでよし。まあ、今回来た子どもたちはお父さんがワイルドなのでw、こういった生活は普通かもしれないけれど、普通の日本の子供達は島で時給自足生活の夏休みなんて経験ないだろうし、この年齢で食べることを目の前で見るって、どんな風に映るのだろうか。

タクジさんが、一人旅でベネズエラに行こうかなと思ったけど、こうして子どもと旅をするのが楽しいから、一人で行くのはまあいいかって思ったって話していて、今回少年たちと旅して、彼らの視点とか反応、動きも面白いし、なんだかその気持が少しわかった気がした。他の友達の子は女の子が多いので、そのファミリーの旅行とはまた違って。

送信者 三宅島2015

フェリーに乗る。島を離れる。見送る人がいる。ああ、船旅はいい。飛行機や車、電車の旅よりも船旅が一番好きだ。帰りは席なしで、デッキで過ごす。確か去年もこのパターン。子どもたちと遊んだり、ラーメン食べたり。すると、大雨が。風も強く、俺らは偶然反対サイドで助かったが、逆側だったらすぐに避難してた。そして、日も落ち、東京湾に入る。漁師&農家&富士山ガイドのかっせさんは、東京の明かりを見て、欲望の塊だねと話していた。そうだなと思う。自分も、こうした欲望の塊の東京で暮らしている。田舎と都会はやはり住んでいる人の性格が圧倒的に違うよなって。

少年たちの三宅島銛突き狩猟生活はこうして終わった。来年は行くのかな?実は、テントを担いで山を縦走するか、島で銛突きキャンプするかのどちらか一つを選択しないといけなかったら、銛突きだなと思っていたので、今年も行けてよかった。そして、やっぱり島と山が好きだなと思った。それは、時間の流れと人と自然の景色と。

送信者 三宅島2015

後日談。
恒例になったが、虫さされが20箇所ぐらい。膨れるだけじゃなくて、水ぶくれみたいになったので、タクジさんおすすめムヒアルファEXを買った。これが最高に効く。これからは、キンカンとかやめて、ムヒアルファEXに乗り換えだなw

http://teratown.com/blog/2014/08/25/yiyeyuyuuoaaioaeiinadhac/

時間の変化、人生の変化。原始感覚美術祭2015

東京芸大に通っていたのは10年以上前のこと。
そして、木崎湖に通い始めたのは5年ほど前かな。

大学院の授業に潜り込もう、それも東京芸大という多くの大学とは異なる世界に。今思えば、ちょっと無茶なことをした。まあ、結果的にあの一瞬の判断が、これだけ長く続く関係になるのだから人生のきっかけは面白い。

当時の芸大で一番ぶっ飛んでいたスギさんが、長野の木崎湖周辺で始めた芸術祭。5,6年たち町にも根付いてきたし、多くの作家が参加し、観光客も増えている。続けることの重要性を改めて思う。

いつもの夏に、いつもの場所へ。
木崎湖の周りは、いつ来てものどかで良い風景だ。

でも、変わったなと思う2日間だった。

いつものように、新宿発のあずさに乗り、松本まで。3時間ほどの電車では、久しぶりに会った仲間と盛り上がる。茂木さんの研究室メンバーが中心なので、東京芸大と東工大出身者ばかり。松本につくと、東京と同じように暑く、蕎麦屋へ行き、レンタカーを借りる。1時間ほどドライブして、信濃大町のオープニングイベントで杉原さんに顔を見せ、定宿である稲尾のあたらし屋さんに到着。

今回は茂木さんが遅れてくるのと、幹事役の植田さんが原稿の締め切りに追われていたこともあり、みんな近くをぶらぶらしたり、昼寝したり、買い物行ったり、のんびり気ままな時間。芸術祭を見に来たはずなのに、何も見に行かないw

夜はカレーを作り、だらだらと飲み始める。哲学者の塩谷さんもいらっしゃって、囲炉裏を囲って、ああだこうだと。茂木さんも到着し、再び乾杯。アートや哲学、サイエンスに関して話す姿は同じだけれど、昔みたいにバトルがなくなった。大人になって、受け入れるようになったということなのか。

翌朝、1000年の森へと足を運ぶ。雪解け水が流れる小川でビシャビシャと遊び、パフォーマンスを2つほど見て、いつもの神社へ。今回は、茂木さんと塩谷さんのトークの間に、植田さん、蓮沼さん、杉原さんの芸大3人組の、アートバトル。1時間という制限時間で、作品を作り観客による投票で1位を決めるというもの。

植田さんはマリア様を、蓮沼さんは鳩を、杉原さんはキャンバスを石で殴りつけ、ぶっ壊した。10年以上の付き合いだけれど、3人が同時に作品を作っている姿は初めて見たし、その時の顔の表情は真剣そのものだった。3人共アーティストとして生きているが、顔を見たら改めてアーティストなんだなと妙に納得した。いつもは、飲んで話している位だから。

そして、あたらし屋へ戻って、乾杯をして東京へと戻った。大半のメンバーはもう1泊して、宴会をして東京に戻ってきたはず。今年も夏の儀式が1つ終わったな、と。毎年、これが最後かなと思っているので、また、集まれて嬉しかった。

見ると落ち着く風景になった木崎湖だけど、なんだか今年はいつもとちょっと違う気もした。それは、一言で言うならば「時間は変化だなと、変化は人生だな」と思ったということ。

今年は、東京芸大物語を茂木さんが書いてくれた。あの時代が1つの本という形で記録された。

みんな、いろいろなコンペで賞を取り、日本でも有数の芸術祭に呼ばれたり、連載を持つようになったり、芸術祭の総合アートディレクターとして大きく育てたり。普段の生活でも結婚し、子供を授かり、性格が丸くなっていく。大切な仲間であることは変わりないけれど、それぞれに抱えるものも大きくなってきた。多くの日本人からすると、そうなるのは遅かったかもしれないし、今でも自由なのかもしれない。でも、抱える物が大きくなる経験をし、受け入れるという心が育ってきたのかもしれない。

いつもと同じ木崎湖の風景を眺めながら、ああ、人生って面白い。でも、変わることって、すこし寂しいもんだなと思いながら、夕日に染まる空を眺めながら、この地を後にした。

送信者 原始感覚美術祭2015