「旅」カテゴリーアーカイブ

神津島へ

そういえば、GWに神津島へと向かった。島好きなので、ちょっとした時間があると島へ行く。手軽なのが伊豆諸島で、竹芝から夜行フェリーでさくっと行ける。さらに、GWや夏休みでも値段が上がらないし、直前でも2等なら購入できることが多いから。

金曜日の夜に、竹芝桟橋に向かいいつものフェリーに乗る。東京の夜景を見ながら、眠りにつくとあとは朝を待つだけ。と、朝になってフェリーのデッキに出ると曇り空。天気予報も良くなかったので期待はしていなかったが、やはり残念なもんだ。島に降り立つと、予約していた宿までてくてくと歩く。よそうべえさん。宿に荷物をおいて、バスに乗って海上遊歩道に。晴れていれば、夏であればきれいで飛び込んで楽しかったのだろうけど、時期的にも天候的にもそんな気になれずw

ということで、再びバスで帰ろうと思ったが、バスの本数は少なく歩いて帰ることに。幸い雨はふらず、海を見ながらの散歩。途中にキャンプ場があって、もし銛突きに来たらここでテント貼るかなと想像。近くに商店がないことがネックだなと。海に面しているのは良いのだが。まあ、そんな妄想をしながら少し歩くと温泉に。日帰り温泉に入って、露天風呂も。お客さんがほぼゼロで、貸切状態。

宿に戻って、夕日を見に出かけたが雲にかくれてイマイチな夕日だった。夕食を食べて、いつの間にか寝ていた。翌朝はいい天気。昨日と反対の港にフェリーが到着するので、宿のおじちゃんに送ってもらった。こちらの岸壁は美しく、ついつい見とれてしまった。また、フェリーに乗り短い神津島滞在が終わった。

あ、そうそう田舎の民宿はご飯もおいしくてボリューム満点で、圧倒的に安い。個人的にホテルに泊まる価値とか分かってないので、安い民宿で十分だなーといつも思う。

銛突きは粟島へ

狩猟キャンプ第3回目。毎年恒例になり、去年から銛突きかつファミリーキャンプ化してきたこの夏の島旅。今年は三宅島から新潟県の粟島に行き先を変えたのだった。三宅島のフェリーが山の日が制定されたせいで取れなかったので、かねてから行ってみたかった粟島に。でも、遠かった。

8/11山の日の朝3時にタクジさんが来るまで迎えに来てくれて向かう予定が、ハルくんがまさかの風邪。ということで、始発に乗って新幹線で新潟に向かうことにした。お盆シーズンということで、始発の新潟行きの新幹線は満席かつ長蛇の列だったが、ちょっとした工夫で自由席を2席ゲットした。今回は剛さんも一緒に行くことになったのだ。いつもはスキーで越後湯沢まで行くことがあるが、新潟はそこからまだまだ先。思ったよりも遠いのだ。

さらに、新潟駅から特急に乗り換えて村上駅へ。ここも満席で1時間程度立ちっぱなしだった。さらに、村上駅から岩船港へとタクシーで向かう。と、あっ、忘れた。銛を新幹線の棚に忘れてしまった。やってしまった。銛突きに来たのに銛がない。。。おい、ガーン。急いで忘れ物センターに問い合わせたら、新潟駅の忘れ物センターにあるそうだ。。、今更取りにいけないので、諦めて岩船港へと向かったが、ショックは引きづった。結局、剛さんが一足先に新幹線で帰るので、ピックアップしてもらうことになった。

岩船港に到着すると、想像以上の人がいた。こんなに人気の島だとは。そして、ファミリーが多い。もっと寂れているのかと思ったら、日本海側には小さな島があんまりないので人気なようだった。このフェリーは車を載せれないので、みんなキャンプ道具を担いだり、コロで引っ張ったりという風景が見られるのだ。船が出ると、青い空と青い海。気持ちがいい。寝ていたり海を眺めていたらすぐに粟島に付いた。沢山の人が降りて、キャンプ道具などを下ろす。そして、衣装ケースほどのサイズの箱を3つとか4つゴロゴロ転がしながら、キャンプ場を目指す人が多数。いったい、ここは!?びっくりした。

1時間前の高速船で、シンヤさんファミリー、Qちゃんファミリーが来て場所をとってくれていたので、一番奥のエリアへと。テーブルがあり、水道が横にあるいい場所。もちろん目の前に海があって、すぐとなりにトイレとシャワー。完璧だ。お昼だったので、みんなが食事を作っていたのでそれをちょっともらうことに。テントを張って、とりあえずキャンプの準備をして、休憩。それから、とりあえず海に潜って魚影を確認。あんまり無いけれど、サザエとかはたくさんあった。

海を上がって、スーパーへ。ここでいろいろな食材を買い込み、帰りに酒屋でビールと氷を。剛さんが大きなクーラーバッグを持ってきてくれたので、ビールや冷蔵保存したいものが買えて便利だった。魚はカレイや小さなメゴチしか取れなかったが、それ以外の採れたものを網焼きにするなどして、夕食にした。

パスタも作れば、味噌汁も、刺し身も、浜焼もなんでもありの男の料理をヘッドライトをつけながら食べる。海でこんな風に食べるのはうまい。みんなカセットコンロ持参だったので、火にこまることもなく、快適な料理ライフが送れた。食事をして子どもたちが寝静まったら、ビールを持って港へ。ペルセウス座流星群のピークということで、おっさん4人で星を見に。寝転んで空を見ていると、星が流れる。あっ、流れた。おお。たまに流星痕が残るような大きな流れ星も。このまま寝てしまいたくなるような心地良い時間だったが、テントへと戻ってねることに。

翌朝は、日の出の明るさで目が覚めた。そして、夜は思ったよりも寒かった。三宅島とはだいぶ違う。長袖を着て寝袋で寝たほどだった。起きて、シンヤさんと釜谷まで走ろうということになり、2人で島の南を半周ぐるっと。意外と上り下りがありハードだった。釜谷にもキャンプ場があるのと漁場として最高という噂だったので来てみたのだが、この道程を荷物を持ってくるのは至難の業だと思った、子供がいたらなおさら。暑すぎるなかをなんとか走って、戻ることに。

するとタクジさんが向かっているという。ハルくんの熱は解熱剤で一時的に下がったタイミングで出てきたようだった。カッセさんも同じ高速船で到着するので迎えに。これでまた子供が増えた。みんながテントを張ってそれぞれゆっくり。そして、昼ごはんを食べる。魚をとりあえず突いて、足りないものは商店で炭水化物を購入。御飯のあとは、4人ほどでバスで釜谷集落へ。ここで魚を探すが、意外といない。サザエは無数にあるが、魚があまりいない。魚影が濃いという場所でも、場所がわからないとなかなか見つからないものだ。また、バスで戻り、再び海へ入り魚を調達。

タクジさんが参戦したので、沖まで行くと漁礁がありそこに魚がわんさかと。ここで銛突き開始。さすがは銛突き名人。いろいろな種類の魚をゲット。名前も知らなかったが、うまいと食べてから調べたら超高級魚だったりもした。今夜は全てのメンバーが集って総勢15人ぐらい。男たちばかりで、カレー、やきそば、焼き魚、つぼ焼きなどなど、こんなに食べれるかとおもったがペロッと食べ終わった。夜はテントの前の浜で寝転がりながら、夜空を見上げてみんなでお酒を楽しんだ。

そして、眠くなりいつのまにか寝ていた。翌朝も晴れ。眩しい一日の始まり。朝から銛付きに、するとタクジさんが超大きな石鯛を突いて、シンヤさんが海から上がってくるときに暴れる魚を抱えながら来た。え、サメ?と思ったら巨大なマゴチ。これは、すごい、そして面白い光景だった。沢山の魚を刺し身、煮付け、味噌汁などなどに調理してさっそくいただいた。やはりタイの刺し身はうまい!三宅島よりも魚種が多いので、この点は幸せだ。

剛さんはここで帰るので見送って、島の北側を回るバスに乗って観光。なかなか眺めの良い場所もあって、島を楽しむ。そして、また戻り銛突き。この島はサザエや牡蠣なんかも多い。が、禁漁なので、魚を取って食べる。夜ご飯を終わらせると、島の盆踊りへ。本当にこじんまりとして、ほんわかした祭だった。

さて、最後の日が始まる。最後の漁に出掛けて、3,4匹だけとって朝食として、テントを片付ける。さて、今年の狩猟生活も終わり。昼のフェリーで岩船港に戻って、タクジさんに乗せてもらって東京へ。ハルくんをタクジさんの実家に預けるので、立ち寄って帰還。来年はどこの島でどんなメンバーで銛突きをするのかと考えると、また楽しみだ。


◆装備

登山テントで必要なモノ以外


ウェットスーツ
ミニマスシューズ(ウォーターシューズ)
長いスパッツ
長袖のコンプレッション(日焼け防止)
捨てる靴下(フィンで足がすれる)
手のひらがゴムの手袋
スイムキャップ
水着
シュノーケル
水中メガネ
フィン
ナイフ
包丁
ボール
ざる

まな板
うろこ取り
アームカバー
スキンズのカーフ
耳栓
クッカー一式
GoPro
水中OKなコンデジ
コンタクト
サングラス
日焼け止め
虫除け
キンカン
帽子
サンダル
テントは広くてメッシュがいい(涼しい)
出刃包丁
ウロコ取り
魚を入れて腰につけるメッシュの袋(洗濯ネット、細引き、留め具)
カセットボンベがつけれるコンロ
網焼きできるセット
コッヘル
割り箸
醤油
みそ
わさび

折り畳みイス
レジャーシート

調味料
ニンニク
菜箸
割り箸
虫除け
ムヒ
日焼け止め
帽子
長袖
テント
包丁かナイフ
うろことり
まな板
ザル
ボール
サングラス
つり道具
ウエットスーツ
折り畳み自転車
七輪とセットで網があるか確認
大きくて丈夫なビニール袋
島内移動用の小さなザック
サングラス確認
銛先を研ぐヤスリ
生姜、ネギ、香草、ニンニク、味噌、カレールー、油、片栗粉、

何回目かの原始感覚美術祭

「8月の始まりは、木崎湖へ」というのが定番になってから何年かがたった。
今年もこの旅へ。

朝9時30分に新宿集合。植田さんからチケットを貰う。若いころは遅刻が多かったので出発30分前集合だったが、みんな大人になり時間通り来るので、到着してから出発までだいぶ時間があった。みんな集まり、あずさで松本を目指す。毎年お馴染みのメンバーから、初めて来る大学生まで、そういった若い人もジョインOKとする茂木さんのオープンなスタイルはいつになっても変わらずスゴイなと思う。

いつの間にか松本につき、みんなで蕎麦屋へ。そして、レンタカーを借りてから木崎湖へと向かう。この秋からドイツに招待されて制作活動を1年間行う蓮沼さんと同じ車で。蓮沼さんは、越後つまりトリエンナーレや瀬戸内芸術祭にも招待される売れっ子になっているので、いつもどおりイジってみた笑

ドイツ(フランクフルト)に行ったこと無いし、機会があれば行ってみたいなと思いながら。定宿のあたらしやに到着すると、信濃大町まで買い出しに。巨大なスーパーができていた。そして、宿に戻って、ワンマン列車に乗って、豚のしっぽへと向かう。稲尾駅は絵になる駅なのだ。僕の夏休み感が満点。いつきても、ここの風景は良いなと思う。

サムギョプサルを食べてから再び電車であたらしやに戻って飲み直し。いつものように夜な夜ないろいろなことを語りながら、夜が更けていった。翌朝も快晴。みんなで料理をして、散歩をして。

近くの作品を見に行き、本郷さんや杉原さんにも会って話した。その後、茂木さんと田口ランディさんの白熱した対談。茂木さんが言う「自分語り」を超越しないと、生ぬるいアートで終わるという話し。もちろん自分の中から湧き上がる感情や経験が元になる部分もあるが、そこだけにすがっていると自分語りの自己満足で終わってしまう。その自己満足と一般とのギリギリを常にいくことによってしか生まれえないものを作り続ける、常にそのギリギリで生きられるか。これって、ビジネスマンもアーティストもスポーツ選手もみんな同じ気がしている。

そんなトークを聞いて、久しぶりに色々と考えをめぐらしたら、もう帰る時間。みんなより一足先に日曜の夕方に木崎湖を後にした。来年は原始感覚美術祭がないようだ。北川フラムさんが行う新しい美術歳の一部になるようで、今後は3年に1回お休みとなるらしいけれど、来年の合宿日程はもう決まっている。

どうしてずっと情熱が続くのですか?

「何十年もどうして、情熱が続いているのですか?」

「情熱がずっと続いている、その源泉はなんですか?」

正確な表現は覚えていないのだが、switchの新井さんにタクジさんがいつか質問していたことが忘れられない。

人間の行動の源泉は、情熱だと思う。この情熱が大きなエネルギーとなり、人は行動する。

好きか嫌いかというものではなく、それを超える情熱というもの。

例えば、音楽が好きですかと聞かれたら大半の人が好きと応えるだろうけど、音楽を聞くことに情熱はあるかと聞かれたた一気に減るだろう。好きと情熱は全く別物だし、情熱の対象はより細かなものになると思う。音楽という拾い物より、◯◯というミュージシャンとか、音楽のジャンルとか、そういったものにたいして情熱は向けられる。

短期的に強い思いを持つこともある。一時的に熱を上げるというやつだ。あるミュージシャンを好きで5年ぐらいおっかけた、でも、いつの間にかその気持は冷めていく。これは、誰もが経験したことがあることで、永遠にあるミュージシャンを好きでいることは少ない。もし、そうあるのであれば、それこそが情熱に近いものなんだと思う。

人間にとって飽きるという感覚は元来そなわっているものだろうと思うし、それが否定されるものでもない。

好きでいたとしても、行動するかは別だ。行動には、常に時間がかかる、お金もかかる、睡眠時間とか他の何かを犠牲にする。好きという気持ちがあっても、行動しなくなる。これは明確に情熱を失ったという証拠なんだと思う。情熱がある時は、自分自身では情熱があるなんてことを考えることもなく、没入しているから時間がとかお金がなんてことはたいして問題ではないと気にも留めないのだろう。

そう、時間がかかる、お金がかかる、他にもやらなければならないことがある、体力がない、などなど、やらない理由は数多存在する。結果的にやらなくなったとしても、嫌いになったわけではない。ただ、情熱を失っただけ。情熱を失うと、そんな歯がゆい気持ちになるのだろう。

だからこそ、ひとつのことを思い続ける。ほとばしる、湧き上がる好奇心、情熱が続くということは、だからこそ偉大なことだと思うのだ。個人の感情によるものだから、情熱は無理やり続けるようなものではないかもしれない。ただ、情熱を失いかけた時に、もう一度その対象にしっかりと向き合う時間を作ることは、一時的な熱を上げたような情熱ではなく、その情熱をより熟成し深みのあるものに変えてくれる気もしている。

これこそが、人生をほんとうの意味でエンジョイし続ける秘訣なんだろうと思う。

深夜特急で沢木耕太郎さんが、旅に出るのに最適な年齢を26歳としていた。世の中を少し知っているけれど、知らないことも多い年齢。だからこそ、新しい発見の喜びと、その経験が過去の経験とリンクすると。年齢を重ねて行くと経験したことのほうが多くなり、新鮮味がなくなるという意味でも衝撃や興奮が少なくなる。これも、情熱の減退と似ているものだと思う。

とまあ、いろいろと書いたが、美味しいご飯を食べることに興味がほぼなかったが、最近は美味しいご飯を食べている時、ああ良いなと思うことがたまにある。言うなれば、ありふれた日常に。一方で、情熱、何かに対する思いが薄れていっている気がする。が、まあ、先のことはどうなるかわからないので、何かに情熱を燃やしている自分がいるかもしれない。

新しい場所、アウェイ感の大阪

アジアの裏路地を好んで歩いた。汚いと言われるような国や場所をよく旅した。別に何も気にならなかったし、むしろインドに行った時に、ホッとした。この国では、細かいことを気にしなくていいので、気楽に過ごせていいなと。未だにドミトリーとかゲストハウスに泊まるし、全然気にならない方だと思っていた。

しかし、仕事で大阪に行った。京都や神戸は何度か行っているが、大阪は小さいころを除くと殆ど行ったたことがない。多分25年ぶりとかそういうレベル。と、アウェイ感を感じたのだ。なんだか、洗練さというか品というかそういった観点での違いを感じた。偶然行ったエリアがそうだったのかもしれないが。

ふと、以前北千住に住んだ時も同じようにアウェイ感を感じた。学生の頃に似たようなエリアに住んだ時は全く感じなかったのに、そんなことを感じるようになっていた。いつの間にか。最近は世田谷に住んでいて、ちょっと感覚が変わってしまったのかもしれない。自分の中の水準が変わったのかもしれない。発展途上国と呼ばれる国に行く頻度もへり、ヨーロッパなど先進国のきれいな国に行くことも多くなった。そうしている間に、感覚が変わったのだろうか。

いつの間にか、新しい場所に対応しなくなっていた。もっと、いろいろな街に行こう。そう思った。品があるとかないとかにかかわらず、雑多な世界を見よう。多様な世界を見よう。どちらも世の中には存在し続けて、その両方を行き来するのというのが自分のポリシーなので。

でも、若いうちにいろいろなヘビーな海外などに行っておいてよかった。そういった地域はどんどん世界から減っていく。そういう意味と、やはり自分のマインドや体力ともに落ちるという現実はあるから。その後からでも行けるアメリカやニュージーランドなどを取っておいてよかったなーとつくづく思ったりもする。