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飽きてきたところで、新たな施策を投入できるかが勝負の分かれ道

以前にも書いているのだが、何にせよ長い間継続してやってくると飽きる。
その期間の差こそあれ、大体の人が飽きてくる。

これは、人間の脳が学習し、頭を使わなくてよくなり、惰性でできるようになるからである。逆に、この能力があるからこそ、人間は物事の処理が早くなる。なんでかって、無意識下での処理能力が、より高度な思考を実現するから。

まあ、その一つの例として、オンライン英会話も5ヶ月ぐらい続いている。まあ、飽きてきた。講師として登録しているすべての国の人とコミュニケーションをとったためだ。このままやり方を変えずにやると、苦痛になる。我慢して努力して続けることになって、それだと面白くないし、脳が積極的じゃないので学習速度も遅くなる。

ココラで一発、ゲーム性をもたせたり、仲間と一緒にやったり、目標を持つといった新たなスパイスが必要だ。

例えば、日本語が話せない人とのフェイス・トゥ・フェイスでの会話機会を作るとか、non nativeなonline 英会話じゃなくて、ENglish native personとのオンライン英会話に変えるとかまあ、そのあたり工夫してみよう。ということで、9月にTOEICを受けてみることにした。わかりやすい数値目標になるからだ。

仕組みとか、ゴール設定とかで、自分の脳をだます戦略。これ、生きていく上での重要なノウハウ。

別にTOEICは何点でもいいのだが、今回の点数を基準にしてさらに勉強を継続したら、次回何点とれるかといゲームをしようかという考え。

確か10年以上前に一回だけ受けていて、その時730だかそれぐらいだった記憶。上がってんのか?下がってんのか?そもそも、テスト中に集中力が続くのかとか、どんな問題が出るかも見てないとか、別の問題もありつつ、9/13のテストが少し楽しみだ。

無意識の処理能力が脳の回転速度を決定する

マンネリ化したところで、いかに姿勢を正すか

太り気味だと気づいた時でも、体重計に乗れるか

ブランドを感じる出来事

大人の遠足

これって何か。

・仲の良い仲間と一緒
・遠くにでかける(海外)
・ちょっとリッチ(学生じゃ払えないお金がかかる)
・1週間以上の長旅
・ただのレジャー旅行ではなく、明確な共通のゴールがある

こんなイメージ。
すなわち、海外にまで行って、山のレースに出て、祝杯上げてって。贅沢だよな。って、UTMBでシャモニーに行っている仲間の投稿を見て改めて思う。

UTMBは完全に大人の遠足だし、アコンカグアも大人の遠足。たまには、大人の遠足に行きたくなる。

それにしても、俺のタイムラインはUTMB一色である。世の中の半分ぐらいはシャモニーにいるみたい。まあ、UTMB以外で行っている人や住んでる友達もいたりはするが。みんな地獄のように辛い顔した後、いい顔でゴールしていて、見ていて心地よい。

今年は、エントリーしていたものの行けなかった。PTLに出た仲間とTDSに出る予定だったが、2人の仲間は無事にTDSを完走した!さすがだ。

実は、今年からスポンサーがノースフェイスからコロンビアに変わっている。

最初、そのニュースを聞いた時、ああ、なんか有り難みが減ったなと感じた。ノースのほうが、格上ってほどでもないが、ノースのほうがいいな感じていた。それはブランドとしてノースのほうが上ってイメージもアレば、いままで第1回からずっと10年以上ノースだったことから、変わることへの嫌悪なのかもしれない。まあ、そんなものに、上も下もないのだが、じゃあ、パタゴニアやアークテリクス、マムートが開催する大会のほうが格上なのかってなる。

そもそも、運営主体は別なわけだし、あくまでスポンサーなのに、そんなことを聞いた瞬間に感じた。これがブランドってやつで、人間の行動に大きな影響を与える。

ただ、実際にコロンビアがメインスポンサーでUTMBが始まってみると、コロンビアだろうが、ノースフェイスだろうが気にならなくなっていた。というか、どうでも良くなっている。UTMBはUTMBだし、あの景色の圧倒的な美しさは変わらないし。

多くの人が参加しエンジョイしている、そして美しい景色。こういったものによって、さらに俺のイメージは変えられた。全くと言っていいほど、ブランドは気にしない性格だが、なんだかんだブランドが気になる人間だなと実感した出来事。

そして、ブランドイメージもそれを上回るもの、今回で言えば参加者の笑顔や美しい景色で、塗り替えることって可能だなと痛感。まあ、ユニクロも昔は、CMでおばちゃんが服交換してって裸になるのを放送してたぐらいで、今なんて超おしゃれ路線で、昔のおばちゃんのイメージなんてないんだし。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

文化が生まれ、文化が根付く

こんなにも多くの人が、シャモニーの町へ行くのかと驚いた。
もちろん、目的はUTMB、そう、Ultra Trail du Mont Blanc

やはり、景色は美しいし、なんだかんだ有名選手は出場するし、華やかだし。USの古くからあるメジャー大会もあるが、これらはローカル色を売りにしている。それとは違ってUTMBは最高のエンターテイメントとしての100マイルレース。

そう、そんな、仲間の写真を見て、やっぱり美しいなーとか、みんなワクワクしてるんだろうなと思いながら、UTMBがあったから、日本はこんなにもトレランが浸透したのだろうと思った。

さて、俺がトレランを初めてやったのは2007年だか2008年のハセツネが最初。UTMBに行ったのは2012年。少なくともハセツネに初めて出た時は、トレランという言葉を知らなかったし、あまり使われてなかった気がする。WEB申し込みじゃなくてハガキで応募したし。そして、アウトドアショップの店員さんも詳しくなく、小さい靴を勧められたという苦い記憶もある。

ということで、なんでこんなに流行ったのかという背景と、流行る過程、文化として根付くまでにどんなことが起こったのかを時系列(個人の曖昧な記憶ベースw)で書き残す。たぶん、ここには他の文化が浸透するときのエッセンスもあるはずだからという、個人的なメモなだけなんだけど。

■流行の背景

・マラソンブーム
 →マラソン人口は圧倒的に多く、東京マラソンで火が突いた。マラソンに飽きた人が次の世界ということでトレランに流入

・アウトドア、登山ブーム
 →山ガールという言葉も生まれるほどの登山ブーム。一般人にも、特に若者にも山が身近なものに。

・装備が少なく始めやすい
 →お金がかからないし、準備が楽というエントリーのハードルの低さ

■文化として根付く過程で起こったこと

・富士登山競走、ハセツネといった老舗大会は継続的に行われていた
・石川弘樹さんは、ブームの前から世界の大会を開拓したパイオニアとして存在

・アウトドアブーム、マラソンブーム、トライアスロンブームから徐々にトレランをする人が増える
・古くからある、ハセツネなどの大会がすぐに定員オーバーになる
・主要大会で常に結果を出す鏑木さんなどが、有名になっていく

・信越五岳110キロやおんたけ100キロなど100キロオーバーのレースが誕生
・一般人が100キロに挑戦し始めること、トップ選手は海外の100マイルレースに参戦
・UTMBの鏑木さんの参戦がNHKで報道されるなど、トレランがテレビで取り上げられる
・UTMB3連覇だっけ?の伝説キリアン・ジョルネの誕生

・twitter、Facebookなどのソーシャルメディアでの拡散(大会の盛り上がりや山の美しい景色がどんどんシェアされた)
・ソーシャルメディアで仲間が増える
・ウェア、ザック、ジェルなどの機能的進化、おしゃれ化も拡散を加速
・サークル的なノリでトレランをする仲間のコミュニティがあちこちでうまれる

・有名な選手などが主催し練習会・講習会がいろいろなところで開催
・大会が全国的に増え続ける
・エントリー合戦が始まり、0次関門という言葉も

・トレラン専門の雑誌がいくつも発行される
・トレラン専門のウェブメディアが生まれる。
・様々な人がトレランに関して本を書く。
・洋書も翻訳される。(BORN TO RUNはじめ)

・大会エントリーのRUNNET、参加選手の写真販売オールスポーツなどの派生ビジネスがメジャーになる

・国内で実質的な初の100マイルレースUTMFの誕生
・UTMFのマスメディアでの報道、情熱大陸にヤマケンさんがでるなど

・おしゃれで先を行く人がやっている遊びの一つとしてのトレランの認知が生まれ始める
・トレラン友達などがトレランウェアのブランドを始める
・女性参加者が増える

・仲間内で主催する草レース大会が全国で増える
・一般人がトレイルランニングという遊びを認知し始める
・アウトドアショップにはトレラングッズがあふれる

・そしてちょっと最近ブームはひといきついた感じ?

こうして、トレランという文化が生まれて、根付いていったのかなと。2007年ぐらいからしか知らないけれd、当時はまだそんなメジャーじゃなかったから、ある程度はカバーできている気がする。その前の時代はかっこいいスポーツというよりは、一部の変わった人がやっていて、おしゃれでもないスポーツというぐらいの認識だった気もする。

そんな時代は山岳耐久レースとかそういった言葉だったが、トレランという文化の概念を表すカタカナ言葉が作られた。これは、流行らせるには大きなきっかけだったんだろう。

そして、憧れのキーワード。
それが、UTMBである。

わかりやすい憧れブランド。

例えば、UTMBはフェラーリみたいなもん。それぐらいのいつか手にとって見たい象徴。こういったものがあったほうが、ブームは作りやすい。でも、フェラーリは高すぎて庶民には変えないから、国産のレクサスで我慢しますみたいな、身近なあこがれを作る。ギリギリ手に届くあこがれを作った。その象徴がUTMF。でも、UTMFも100マイルというハクライ品の甘美な響き「マイル」は保っている。

まあ、マイナースポーツで終わるなら違うが、トレランがここまで普及し文化に根付くにいたったのは、いろいろな背景があるが、UTMBというわかりやすい、華やかな、あこがれが設定されたことは大きく寄与したんだろうなと思ったのだった。

ほとんど、トレランをしなくなった俺が、いまさらこんなこと書くのも変だが、写真を見返すと鳥肌が立つ。やはり、シャモニーでのあの瞬間の連続はとてもいい時間だったし、やっぱりUTMB好きだし、また行きたいなと思えてきた。そんなこんなで、毎日トレランのエントリーしてるのかもなーw。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

キリアンは飛ぶし、世界は数字に踊るし、この世はいつもメリーゴーランド

人生って、多様だし、何があるかわからないし、世界はつながっているし、変わるし、変わらないし、本当にこの世界は面白い。生きていて飽きない。俺みたいな、飽き性な人間が常に満たされるほど、世界は驚きと、笑いと、悲劇と、つかの間の平凡さであふれている。

facebookにJust another dayというテキストとともにアップされたGopro動画。そこで、キリアンはナイフリッジを飛び回ってるけど、世界の99.99%の人は飛べないし。飛び跳ねたいとも思わないし。けれど、彼の身体性と、恐怖心を抱かない感覚があれば、岩と雪のナイフリッジだって、ピョンピョン飛び跳ねる。

UTMBウィークの始まりで、多くの仲間がシャモニーへと出発していく。飛行機は今日も明日も世界を飛ぶ。

一方で、同じタイミングでfacebookのタイムラインには、自転車で事故をして、体が全く動かなくなってしまった人がいる。

もちろん、生きている人は自分も含めて、死へ1秒ずつ近づいていることは変わりないし、でもそれぞれの個人が引き受けている今という時間の感覚は全く異なる。

株価は世界的に暴落し、円高に一気に振れる。叫ぶ人がいれば、日々の生活は大して変わらない人が大半だし。

全く知らない人たちが売り買いをした総体の数値、例えば株価とか世界経済の指数に影響されあって、世界の同調性によって連鎖的に株は下がるし。でも、大根の値段は今日も明日も変わらない。

なんにしろ、逆張りと時間差がものをいうが、それはなかなか頭でわかっても実行は難しい。今を切り取ると総合でプラスでなくても、逆張りをしておくと時間差で利益をそれぞれ確定できる。これは、株も人生も。ただ、未来は分からないから、逆張りはなかなかできないという不安心理。

結局、世界はロジカルでない意思決定であふれていて、ロジカルでない人の意思決定の集合体が世界だから、ロジカルに考えて正しいことがうまくいかない。

未来は楽観視しているが、悲観視もする。でも、起こったことは、いいように考える。反省から学ぶことはあるが、後悔をして引きずりはしない。

この世は成功すれば賞賛するし、失敗すれば避難される。同じ行為をしたとしても。結果で周囲の評価はくだされる。

それが、世の中だし、過程プロセスというのは、個人にとっては意味がスゴイある。言い訳でもなんでもなくて。でも、他者にとってはプロセスなんて、ほとんど価値がなく、結果だけ。それは、他人のことまでプロセスもしっかり見て評価するほどヒマじゃないから。

そんなこと全く知らず、絵を描き続ける人も、狩猟生活をする人もいる。それは、アトリエで死にそうになっている友達の顔をfacebookで見て痛感する。

と、どうでもいいけど、たった1日。2015年8月25日(日本時間)だけで、世界はこんなに、面白いと実感できた。

これもすべてインターネットの産物。

取り留めもない文章だけど、そんな世の中が好きだなと思う。全ては、インターネット。全ては、エンターテイメント。

天津爆発事故とドローンと世界の情報非対称性

天津爆発のニュースをネットで見た。かなりの大規模で、映像や写真を見るとその被害の大きさがわかる。

テレビもないし、新聞も取っていないので、基本的にネットで情報を得る。それも80%スマホ、20%PC。
日本のニュースをある程度網羅的に知るためにyahooニュース、あとはfacebookでタイムラインに流れてくるニュース。これは、国内のメディア、海外のメディア、個人ジャーナリスト含め見ている。あとは、NEWSPICKSのアプリぐらいか。

まあ、それはいいとして、このニュースはちょっと詳しく知りたいなと思いyoutubeにアップされているテレビ番組を見た。それは日本の番組も海外のものも。そこで報道されているのは、微博が映像ソースだったり、ドローンで撮影されたものもあった、そして、google mapで地図情報は示される。

別に、ここ数年はよく見る情報ソースだし何の変哲もないのだが、ああ、世界のジャーナリズムってこうなるよなって思った。おそらく、特にドローンに対してそう思ったのだと思う。

まあ、ネットが発達したタイミングから個人が発信できるようになり、個人ジャーナリズムというか、個人が世界に発信できるようになって、ジャーナリズムが変わったと思う。そして、今後もその流れは続くのだろう。戦地での取材とかも、個人のジャーナリストが力を発揮し、現地から個人が報道できる。それにかぎらず、wikileaksとか、Ustreamやyoutubeやニコ動のライブ配信も含めて。この流れ(モメンタム)は、続く、それは変わらない。

で、ネットによってジャーナリズムが変わってきた。ネットというプラットフォームに乗っかって変化してきた。けれど、ドローンはモノである。このテクノロジーの進化が、またジャーナリズムの変化を加速するだろうな―って。IoTとか語り尽くされているし、微妙な話だがネットが進化し、デバイスやモノが安価になり、進化する。その融合って大きな変化をもたらす。

いくら政府などが報道規制をかけたとしても、ドローンはどこへでも飛んでいける。そして、隠したい情報も明らかになる。東日本大震災の福島原発はドローンで撮影されて、映像が出回ることはなかったと記憶している。だから、この1,2年の変化。

もう少し時が経てば、宇宙の衛生から撮影だって可能になるだろうし、まずは企業がそれを使い、個人でも衛生から撮影できる時代だって来るんだろう。

情報の非対称性は常にあるし、今後もあり続けるけれど、世界のどこで起こったことも一気に拡散する可能性を持っていて、よりまっとうにやることの重要性がましていく社会なんだな―と、すでに分かっていたことを、今回の天津爆発事故ニュースを見て思った。