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新たなスター誕生

もっぱら音楽はyoutubeで聞く。レースに向けて今回も聞いていた。

ふと、気づいた。
特に洋楽でだが、有名な曲を若手がカバーしてる。それも、かなり歌唱力がある人。そして、キャッチーなアレンジ。

有名な曲だし、アレンジがライブっぽかったりと、ついついいろんなパターンを聞く。

そっか、若手の歌手が、自分を売り出す方法が、有名な曲のカバーをする。そして、yotubeにアップする事なんだ。

理由を考えれば簡単だった。メインのプラットフォームの仕組みを知り、それを踏まえて先手でやることが重要。

yotubeは、関連動画をレコメンドする。有名な曲はたくさん再生される。カバーは、有名な曲と同じ曲なんで、レコメンドされる可能性がたかい。無名の新人でも、有名な曲のカバーならレコメンドされる。

すると、聞いてもらえる可能性がたかくなる。上手ければ、さらに聞いてもらえる。そして、名前が知れ渡り、オリジナル曲も聞いてもらえる。売れる。

面白いなー。洋楽は、やけにいいカバーがあると思ったら、こんな理由なんじゃないかな?邦楽はそんなにカバーがない気がするが、そのうち増えるかな。

CDが売れなくなった時に、コスト削減でカバーアルバムがたくさん出たのとは違う理由だ。

面白いなー。型は行動を規定する。メインプラットフォームの仕組みを踏まえて、先手で仕掛けることがビジネスの基本だなとつくづく思う。

メアドも電話番号もなくなる時代

メアドも電話番号もない時代が、手の届くところにある。
というか、もう電話番号もメアドもいらない。そして、実際に俺はあまり使ってない。

データベースを作るときに、一意の数字なりなんなり、個人などを特定するものといったら電話番号かメアドだった。携帯がなく個人で電話番号がなく、メアドもなかった数年前はどうしていたかといえば、名前と住所だったんだろう。そして、その次代はデータベースがしっかりあった時代ではないので、それでも成り立っていたのかなと思う。

余談だが、大学4年の時にマンションを引き払って荷物を貸し倉庫に入れていたことがある。すなわち住所がない。海外を旅していた。日本に帰国したらドヤ街と呼ばれている1日単位で借りれるアパートに住んでいた。住所もなかったのだ。実家の住所に郵便物は転送していた。

家なんていらないと思っていたが、なんだかんだ不便なのだ。充電とかの電気、そして公的な資料とかは郵便だし。何かあった時に住所を書こうとすると東京じゃなくて、岐阜でなんで??って思われたり。

それは、さておき。このIT化が進むタイミングで、メアドや携帯が普及し、個人が一意の数字を持ち始めた。これは、すごくIT化を支えたと思っていて、だからこそECサイトの購入とかが会員登録して、スムーズにできるようになったのだし。

でも、FacebookやLINE、SMS(ショートメッセージ)がキャリアを超えて遅れるようになり、障壁がなくなりよりシームレスなコミュニケーションが可能になった。クラウドもそうだし、AirDropを始めとしたbluetoothなどが発達し、ファイル(写真)もメアドなどなくても共有できるようになった。これって、メアドがいらない世界。さらに、追い打ちをかけるようにキャリアが乗り換えしたら割引というセールをしたり、格安スマホ(MVNO)が流行ると、メアドがコロコロ変わり、変更を伝えることもなくなり、メアドはないに等しくなる。もちろんPCのメアドも同じで、大きなファイルもメールでやり取りする必要ないし、スマホでメールをみるならLINEやfacebookでとなっていく。

ああ、メアドがいらなくなった。電話もそう。LINEでもfacebookでもできる。そして、無料だし。電話をすることもなくなった。田舎や島に旅をするときに宿を予約するときぐらいしか、電話をしない。そういったところは、ネットの予約サイトには掲載していないから。

ああ、メアドも電話番号もみんなが持たなくなる時代が来ている。そして、持たない人は俺も含めて増えていて、もしくは見なくなった人が増えて、実質的に持ってないのと一緒で。そうすると、一意に人を判断する方法は何になるのであろう。

サイトに登録するのに指紋とか虹彩を登録するのだろうか。それはハードルが高いかな。マイナンバーかな。転職サイトやホテルの予約、不動産サイトに登録するのにマイナンバー登録?なんか、現実味がない気がする。

フェイスブックがほぼ認証代わりになれば、FBのアカウントになるのだろうか。googleのアカウント、teitterのアカウントぐらいを網羅しておけば、ネットな人はだいたい網羅できそうな気もするし。95年ぐらいにネットを始めたときは、携帯もなかったから、そういえばメアドがないと登録できないサービス多かったな。それで、とりあえずメアドだけ作るサービスが当時は多かった。短縮メアドでかっこいいのを取る時代があった。

そんな感じで、とりあえずメアドだけはメールを見る手段ではなく、各種サイトに登録するようにみんな持ち続けるのか、そもそもFBに登録するために持ち続けるのか。メールは見ないけどとか。それか、メアドは使われなくなり、他の一意の判別ができるものが生まれるのかな―。このあたり、興味がある。

TOEICを受けてみて

なんでも振り返りが必要だ。
ということで、今日TOEICを受けた。

12:30までに受付を済ませるということだった。思ったより遅めのスタート。場所は北千住駅から15分ぐらいの帝京平成大学千住キャンパスの7号館。家から歩いて20分ちょいぐらいかな。もちろん歩き。

で、コンビニでシャープペンと消しゴムを買っていく。写真を貼るようにノリも買ったが、やはり会場に置いてあった。まずは、受験番号とか名前をマークシートに記入。それから説明とか受けるが、基本暇。

テストが始まったら、リスニング、リーディングが続けて2時間。休憩なし。

あえて、今の実力を見るために過去問とか参考書は一切見ていなかったので、どんな問題が出るか分からず、戸惑ったりした。まあ、これは当初の予想通り。

分かったのは、TOEICは考えちゃいけない。バッティングセンターのように、考えず来た珠をひたすら打ち返す。そうしないと、次から次へとリスニングが流れていく。

ちょっとトリッキーかなという回答もいくつかあったけど、それはサクッと忘れるのがポイント。そして、受験勉強のせいか、ついつい時間とか金額とかそういったものを注意して聞いてしまう。その辺りが質問されそうで。ただ、あまりそれらを聞く質問は少なく、理由を聞いたり、おかれている状況を答えたりする質問が多かった。数字系に気を取られて、そっちばっかり頑張って覚えているとほかがおろそかになるので注意。

まあ、そんな感じかな。10年以上前に受けた時は730ぐらいだったはずだが、今回はそれより悪い気がする。一方で、当時よりも英語で会話していても、今のほうが聞き取れてるし、話せるし、リーディングも、facebookのタイムラインは半分ぐらい英語で毎日ニュース見てるから、トータルではスキルが上がっていると思っていたのだが。

で、なぜTEICができなかったか考えてみた。まあ、何点かは1か月後ぐらいしか分かんないので、どれぐらいの点か分からないのに悪いと決め付けるのも、微妙なんだが。

・フィリピン人の発音とのちがい

オンライン英会話は、フィリピン人が半分、セルビア人2割、ボスニア・ヘルツェゴビナ1割、残り2割は各国。そんなイメージ。各国はボツワナ、ナイジェリア、ブルキナファソ、ギリシャ、ルーマニア、ドミニカ、ジャマイカなどなど。ということで、ネイティブではないブロークンイングリッシュなのだ。発音もネイティブとはやはり違う。

まあ、non English native人口のほうが多いので、別に気にはしていないのだが、English nativeの発音もすらすら聞けたほうがいいなーとは思う。TEDとかかな。

・問題のパターン、矢継ぎ早にくるリズムに慣れていない

これは慣れ。大学受験にしろ、過去問をやればパターンに慣れる。点数とりたかったら、それように勉強しろと。ただ、ただ点数がとりたいわけではないので、次回受けるにしても専用の勉強はしない気がする。

・集中力
特にリスニング。45分ぐらい、次から次へと問題が読まれていく。どんどん頭を切り替えて、回答しないといけない。この集中力が続かない。もともと、自分一人で考えたり、一人で作業するときは集中できるが、誰かの話を一方的に聞くのが続かない。。。学校の授業も聞いているだけだと、どうしてもダメだった。これは、仕方ないので、いったんスルー。

・語彙力はそこまで問題ない
正直語彙力はそこまで問題にならなかった。全体で知らない単語は5個ぐらいかな。まあ、文章の中で類推できる。

・文法は少しやるべき
もともと文法が苦手。日本語も。たぶん、文法とか、スペルとかなんてどうでもいいと思っている性格。これは幼少期から。それが出ている。ただ、より適切に伝えたり、ビジネスシーンで信頼を得るにはしっかりした文法が必要かなとは思う。ちょっと復習してもいいかなって思った。

で、なんだかんだ書いたが、ここ。

English nativeがTOEIC受ければ、おそらくやる気なくても、事前に問題パターン知らなくても900点を下回ることはない。(満点990)ということは、上記の言い訳抜きにして、普通にコミュニケーションできるレベルに達していれば、900点は取れるだろうと。極論、目指すところは、まあ、てきとーに受けて900点取れるぐらいのコミュニケーション能力。

TOEICはスピーキングもライティングもないから、英語の能力を測るのに適してないという人もいるが、TOEICためだけに勉強して点をとっているとコミュニケーション能力を適切に評価できないが、対策せずにパッと受けに行った場合は、それなりにコミュニケーションスキルを適切に評価できる試験な気がする。

そもそも、オンライン英会話始めた理由ってなんだっけw目的は?ゴールは?って、毎朝30分ぐらいグダグダしてるくらいなら、なんかやろうかな。家で気軽にできる。うーん、プログラムは学びたいが性に合わないのを知っているし、もう少し長い時間を取りたい。手軽なのは英語かなー。そういえば、アウトドアにしろ旅にしろ、趣味で英語が必要なんだよなー。前の仕事でも、アメリカ人に伝えるの苦労したなー。毎日、知らない国の人と話して、その国のことを知れたら楽しそう。まあ、肩肘はるより、このスタンスで、楽しみながらまずは1年やってみようと思ってる。

あれから何年目かの911

911という、365分の1。

2003年のこの日、911を意識したことを鮮明に覚えている。あの日から2年後のこと。僕は一人で旅をしていて、船でモロッコに入国した日だった。それは、あからさまに不自然な入国審査を目の当たりにしたからだった。

それ以降は、9月11日だなと思い、こんな風にどこで何をしていたかを毎年メモをして十数年の時を経た。そして今日、10年ぶりに911を再び考える日になった。

タクジさんに誘ってもらって、「百年愚行」の展示記念のトークイベント。
池澤夏樹さん。

かれこれ、池澤夏樹さんは10年ぐらい本を読ませてもらっている。星野道夫さんに興味を持ち、池澤夏樹さんに流れ着いた。そして、新井敏記さんに。巡り巡っている。

池澤夏樹さんの思想の拠り所というか、何をもっとも考えの根底の軸としているか、思想の偏りがどうかという話は、好き嫌いが人によってあるのだろう。ただ、どんな考え方をしているにせよ、歴史や文学などを知り、それを元にした深い洞察があるということには変わらないと思う。どんな思想であろうとも、その軸、スタンスをぶらさない姿、そして自己否定を含めて自問自答し続ける姿勢。

直接、話を聞くのは2回めだったが、やはりその思考の広さと深さ、そしてそれがあるからこその視点が僕には、とても新鮮で、考える切っ掛けをあたえてもらったし、なんだかすぐには消化しきれないモヤモヤが残っている。

知識を得、行動をし、考え尽くす。それを繰り返し、繰り返し、自己の中で反芻した結果、生み出された言葉。決して、難しい言葉ではないが、そこには繰り返された結晶としての言葉だったような気がする。

国公立大学の人文系を廃止するという話しから。

人文、理工について。
人文は全体観を捉える人&ちょっと突飛な発想をする人。理工は論理で考える人。どちらか一方では物足りない。アンバランス。両者がいるからこそ、世界はうまく成り立つということ。どんどん日本の人々は組織やエスタブリッシュメントに飼い慣らされていく。そして、大学もその流れに侵される。でも本来大学とは、いかに突飛な発想を提供できるかが価値だと。その発想をする人文はやっぱり必要だと。

メディアが抑圧される。それは、政治という面もあるかもしれないが、内部の人たちの妄想による自己抑制も。

SNSなどのソーシャルメディアは感情を発するメディアで、新聞などはすぐに発言できないからこそ理性や思考を伴うメディアになりやすい。

イラクに行った。現地の人が本当に優しかった、いい人だったから、一人反戦運動をした。

人間は愚かだし、知性がある。両方を兼ね備えているが、愚かな部分も永遠につづく。それが人間で、愚かさを含めて世界を考えなければならない。愚かであるのが当たり前だし、歴史を見ても人間は永遠に愚かなのだ。単純に徳を積むことがいいことなのか。それは、本当の姿なのか。

人間の知性は総和では変わらないかもしれない。サイエンスは、積み上げられる。が、人の感情や行動は積み上がらないということ。
ただ、絶対犯してはならない、重大なミスはやらない程度の知性は必要。そこまで愚かになってはいけない。

世界がより良く慣ればと考える。なってほしいが、現実は何もできない。それでもなお、考え続ける、悩み続けることが唯一の道だと思う・

いろいろな地域に住んで、そこから見た日本。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜

責任をとるってナンダロウ

「責任を取るから大丈夫」

こういう言葉を聞くことは、多々ある。
曖昧だよなー。この責任って。

簡単に「責任を取るから大丈夫」っていう人ほど、この言葉を軽く使う傾向にある。それは、責任というものを突き詰めて考えるとなにか不明確で、相手がどのように捉えるかが分からない。すなわち、聞いた相手にとっての責任がすごことを想定しているかもしれない。それにもかかわらず、曖昧な「責任を取るから大丈夫」というってことは、責任とは何かを具体的に考えていない証拠。

そんなことを、ふと考えた。まあ、責任を取るっていうのは、周囲に対しての覚悟を示す言葉という風に単純に捉えるのもありな気がする。けど、責任を取るって言ったけど、この人はいったい何を指して責任を取ると言っているのだろうと。選択肢として、何があるかを考えてみる。

・責任を取るって言葉を言うことが、責任を取る行為だと思っている

・起こった問題を最後まで主体的に対策を打ち解決すること

・お金を払うこと

・職位を辞すること

・何らかの評価が悪くなること(社会的評判や人事上の評価や給与等も)

・法の裁きを受けること

・自害すること

・誠心誠意、謝罪すること

・金銭的、時間的、精神的な損失をすべて補填し、もともとやるはずだったことを成し遂げること

でも、どれも正しくてどれも腑に落ちない。うーん、難しい。まあ、責任なんて取らずに、気楽に生きている方が楽しいかもしれないが、責任を取ると腹をくくって勝負するほうが喜びが大きいのだろうとも思う。