「音楽」カテゴリーアーカイブ

ああ、大人な子供「1999年、夏、沖縄」byMr.Children

先日CD屋に行った。
渋谷のタワレコだ。
中学ぐらいのときはCD屋へよく行った。
ラジオで音楽を聴くことと、CD屋へ行くことはセットのようだった。

しかし、大学(高校?)ぐらいから音楽はネットで落とすか、ネットで買うようになった。
最近はyoutubeも多くなってきた。
データだけではなく、CDのジャケットなど実際に存在するということにうれしさを感じつつ、CDからは離れた生活だ。

小さい頃は毎日ラジオで音楽番組を聞いていた。
NHK FMのミュージックスクエアなんて番組を聞いていた。
小学校や中学時代にラジオで聞いていた歌手を今でも覚えている。
しかし、その時ラジオで聞いていただけで、その後も追っかけている訳ではない。
だから、今も歌手として活動しているか、解散したかは定かではない人たちが多い。

CD屋には、たくさんのCDが並んでいた。
CDの販促用にポップもたくさん作られている。
そんなポップに、当時ラジオで聞いたミュージシャンの名前が何組もあった。
目に入っただけで4、5組はあったと思う。
新しい曲を出して活動しているのだろう。

ああ、俺が全く知らなかっただけで10年ちょっとの間も、もちろん活動していたのだ。
曲を作り、CDを発売し、ライブをして。
その間にどんな曲を作ったかは分からないが、色々な人のそれぞれの日々が平行して進んでいっている。
そして、時がたちまた一点で交差する。

そんな時、僕の全く知らない世界が、動いている。
そんなことに、喜びを感じる。
僕は全てを知り得ない。
そんな当たり前のことに気づき、世界の圧倒的な存在に自分の小ささを感じ、喜びを味わう。
どんなに自分ががんばっても、たどり着きようのない世界、分かりようのないこと、成し遂げれないことがあることに気づくとうれしい。
圧倒的な存在を知ることで、ほっとする。

小学校の高学年頃から高校ぐらいまでだろうか、ミスチルが好きだった。
発売日にCDなんかを買ったり、テレビを見たり、ラジオで彼らのを聞いていた。
そんな思い出がある。
かといって、どの曲に思い入れがあるという訳でもなく。
この曲を聞くと、あの時のある出来事を思い出すということもない。

youtubeでwe are all aloneという曲を聴いていた。
その流れで、なぜだかミスチルの曲に流れ着いた。
その曲は、「1999年、夏、沖縄」だった。
物悲しさのある、この曲を夏の終わりの夜中に聞いた。

ああ、あれから9年経ったのか。

僕が初めて沖縄に行ったのは、今年の5月。
沖縄はもう暑かった。
Tシャツが汗で体にへばりついた。
そんな、沖縄だった。

この曲を聴いた、当時が漠然と思い起された。
ああ、なんだろう。
夏の終わりの夜。

とりあえず、夏を伸ばしたくて、また明後日から沖縄へ行く。

送信者 八重山2008

[西表島 船浮きの夕暮れ](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/8 sec 絞り: f/4.0 焦点距離: 16mm)

「つながる旅の記憶~寺町健 写真展~」
期間:9月30日(火)~10月5日(日)
   12:00~20:30(Fri ~22:00、Sun ~20:00)
場所:ウナカメラリーベラ
   中野区中野2-12-5 メゾンリラ101
   最寄り駅は中野駅になります。
   お茶やランチもできます。
   詳細はこちら

聞こえない音が聞こえる

聞こえない音が聞こえる時がある。

静まり返った時、普段は聞こえないような、ささやかな音に気づくことがある。
その時、なにやら時間の流れがゆっくりとなった気になる。
その音に集中する。その音に意識が向かっていく。
自分だけが聞こえる音のような気がして、なんかうれしかったりする。

一方で、そういった音ではない音に気づくこともある。
机の上に外付けハードディスクを置いてある。
その音だ。
普段もハードディスクから音は聞こえている。

でも、普段聞いているハードディスクの音ではない音が聞こえた。
ひじを机に突き、手を両耳に当てた。
すると、今までは聞こえなかった低い音が手を伝って強く響いてきた。
なにやら、聞こえる世界が変わった。
視点の変化ではないが、「聴点」が変わったとでも言うのか。

まあ、たいしたことなくて骨伝導とやらなんだろうけど。
視点が変化すると言うが、それ以外にも「聴点」など五感は全てそういった変化をもっている。
同じものでも異なる見え方があったり、異なる聞こえ方があったりする。
それら五感の点の変化を感じて生きたい。

五感の記憶に関するエントリー
http://teratown.com/blog/2008/07/18/aadhaeu/


[バスの行き先はアメリカ(USA)ではなく宇佐(USA)なのだ@大分空港](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/15 sec 絞り: f/11.0 焦点距離: 45mm)

モノは人を変える

モノは人を変える。
金を持つようになって、いろいろな物を手に入れると、人は変わるとよく言われる。
僕の場合は、金もないし、モノもそんなにない。
家にきた友達は口を合わせて、何かが足りないと言う。
モノがないという。
だから、そういった意味で僕は変わらないのだろう。

でも、阿佐ヶ谷に引っ越して、モノによって自分がかわることを知った。
みんなはそんなことずっと前から知っているから、モノ(家具であり、文房具であり、服であり)に対して、こだわりを持っているのだろう。
そうだと言葉では知っていたが、自分の中で実際のこととして捉えていなかった。
だから、身の回りのモノに無頓着だった。

僕は何かと気づくのが遅い。極端な出来事によってしか気づかない。
それはお風呂に入ることによるリラックス効果であり、音楽の大切さであり、食べることの意味など。
これらは、東京から名古屋まで歩いたときや無人島に行ったことによって気づいたのだった。
ただ、気づくと、体で感じる実感として理解するので、本当に大切にするようになる。

そう、そして阿佐ヶ谷に引っ越して気がついたのだ。
モノは人を変えるということを。

僕はそれまでの一人暮らしで、デスクを持っていなかった。
ずっとちゃぶ台だった。阿佐ヶ谷に引っ越してデスクを友達から譲り受けた。
デスクで本を読むようになった。

そして、家というモノ。
これも大きく人を変える。
自炊なんてしなかったのに、家がかわり自炊を進んでするようになった。
以前の家と比べると、台所は比較にならないほどショボクなったのにもかかわらずだ。
自炊が楽しい。毎回違うものを作りたくなる。

もっと言えば、町も僕を変えた。
銭湯に通うようになったのだから。

巣鴨に住んでいたときにご近所さんだった友達が2人いる。
その友達が阿佐ヶ谷の家にも来て、前と生活が全く変わったねと。
その言葉を聞いて、改めて自分の変化を感じた。

ある機能を持ったモノのその機能によって、自分が変えられるというのではない。
例えば、一眼レフカメラを買ったから写真を撮るようになった。
そういうことではない。
モノがもつ直接的な機能によって自分が変えられるのではなく、機能による変化とは違う、想像し得ない変化を自分に巻き起こす。

僕は、自分が世の中を決定づけると考える傾向にあって、モノには影響されず、僕という人間が、感じ考えたことによって、自分ができあがっていると思い込んでいた。
もちろん周りの全てのモノに影響を受けているとは分かっているのだが、無意識的にモノからの影響を軽視していた。
それはそれで正しいとしても、僕の周りにはいろいろなモノがあり、日々それらに触れ生きている。

そんなモノに影響を受けないはずがない。
そう、僕はモノに影響され、自分自身が築き上げられている。
そんな風に思うと、自分の周りのモノを選ぶときに自分に与える影響まで考えて買うようになりそうだ。
そして、モノを大切にするのかなとも思う。

[suicaじゃnなくて、スイカでジュースを買う](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 45mm)