「人生」カテゴリーアーカイブ

100マイルの最後の数十マイルを練習することはできない

100マイルの最後の数十マイルを練習することはできない byジェフ・ブラウニング

これって、トレランの100マイルにかぎらず、人生のいろいろなことに言えるのだけど。

100メートル走も、大きな大会の場はその時しかないし、そのプレッシャーとかは他では体験できないかもしれない。ただ、100マイルは、練習で100マイル走ることは実質的にできない。時間的にも精神的にも肉体的にも。だから、はじめての100マイルレースは、過去に経験のない大きなチャレンジを本番でするということ。

もちろんエベレストに登ることも、練習で登ることができないから、ぶっつけ本番だし、そのぶっつけ本番が今までで一番難易度が高いことをすることになるのだ。

こういった、練習できないことにチャレンジすることは面白い。

分からないからこそ、練習できないからこそ、想像する、練習できないからこそ、うまくいかないこともある。
だからこそ、その場でなんとかしてクリアすることを頭と体と精神を使って考える。

とっさの判断力、肉体と精神との対話とコントロール、自然環境の変化の読み取りと予測などなど、フルに頭と体を使うしかない。今まで経験もないから、ベストな解も分からないまま、出来る限りイメージし、今までの類似経験や知識を集約してベストと考える選択肢をchoiceしていく。

まあ、気合入れれば、100キロまでは個人で練習できるんだよな。
でも100マイル、それも山となるとなかなか練習できない。個人的に1人でも100キロまでは山を走ったことがあるが、100マイルという距離をそして山となると一度もない。不可能ではないが、実質的にはできない。だからこそ、頭でイメージを必死でするし、準備をする。でも、実際とは異なる。だから、レース本番では、その場で瞬時の対応を重ねないといけない。まあ、そこが楽しいのだ。

そして、だからこそ価値がある。普段できないからこそ。100マイルの最後の数十マイルは、70マイルを走ったからこそ感じるものが、残り30マイルにはある。最後の30マイルにしか訪れない体の変化精神の状態というものがある。30マイルを走ったからといって、100マイルの後半30マイルとは全く意味が異なる。そこなのだ。

当たり前だけど、あらためてこのように書かれて気づくことが人間には多い。100マイルは旅のようだし、人生をぎゅっと凝縮したようなもんだと思っている。練習できないから、ひたすら想像する。イメージを徹底的にして、シミュレーションを繰り返し、対策を考える。できないからこそ、考えるのだ。でも、実際は全くイメージしなかったことが起こる。

--100マイルレースの魅力って何?

「例えば、100m走だったら、練習で100mを何回も走ることができるよね。ところが、100マイルはそうはいかない。たとえば、100マイルレースの最後の数十マイルをシュミレートすることはできないんだ。それが、50kmとか100kmと別物である理由だね。最後の40マイルは全てが揃わないと走りきれない。はまる理由はそこなんだ。最後はどうなるか判らないからね。
それと、100マイルは多くのランナーにとってはレースではなく、旅に近いものだと思う。誰かと競いあうというよりは、自分との戦いさ。『100マイルは人間が持っている感情をすべて味わえるすべてのレースだ』なんだよ。人生で味わうすべての感情を凝縮しているんだ。すごいよね!」

ジェフ・ブラウニング

UTMF2015 3位 ジェフ・ブラウニング(USA)インタビュー

送信者 UTMF2014

10年前の自分、10年後の自分、そして今

10年後って、どうなっているのだろう。

42歳

植村直己さんも星野道夫さんも、42,43ぐらいで亡くなっている。だからって話だが、男の厄年もこのくらいだった気がする。お二人は事故だが、気をつけないといけない年齢だなと思う。一方で、それぐらいの年齢の友達もたくさんいるけど、俺と同じぐらい元気だし、まあ年齢だけ無駄に気を使う必要はないとも思う。

この世界はどうなっているか。

と、2005年ちょうど10年ぐらい前に、2015年の自分と社会について書いたメモがあった。それにしても10年以上もブログを書き続けているのも面白いなと思うが、記録しているからこそこんなことができるのだ。当時は大学3年で芸大に通い始めたり、友達と会社を始めたりとしていた頃。スマホがこんなに普及するとは想像もしていなかったし、リクルートという会社に入り、やめているとも思っていもいなかった。東日本大震災が起こるってことも想像だにしなかったわけだし、世界は未来は未知だ。

まずは、10年前に書いた予測の振り返り

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
 →予想通り。
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
 →あんまりアーリーアダプターではなくなったが(ガジェットを買うという点では)、新しいことには常に興味あり
・結婚している
 →結婚はしていない

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
 →うーん、道半ば。ただ、世界の捉え方、自分の信念というものはしっかり基礎が固まってきた感じ
・英語はぺらぺら
 →ペラペラではないが、毎日30分オンライン英会話で勉強中。
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。
 →気にはなっているが、特に活動はしていない

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
 →現金の利用は減った。電子マネーとクレカがほとんど
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
 →確かに進んでいて、今後もこれは続く
・マスコミがインド、インドと叫んでいる
 →中国の勢いに陰りが見えて、インド投資が盛んに。

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?
→これは10年前も今も変わらず。

続いて、2015年の今、10年後の2025年を予測してみる。10年前と同じ切り口で。

<<プライベート>>
・今までの経験と思考をもとに、世界をどう捉えるかを体系的にまとめ始めている(本でも、HPでも)
・定期的に旅と運動は続けている
・子育てに奮闘中

<<社会人として>>
・1,2年ぐらい海外で働いている(10年の間に1回ぐらい)
・心地よい場所に安住するのではなく、常に挑戦者としてチャレンジしている
・互いに尊敬し合える仲間と仕事をし、社会に新しい風を届けている

<<未来社会予想>>
・ビットコインが普及(ビットコインでなくても、政府が発行する貨幣以外が一般化)
・自動運転カーが走り始めている
・遠隔医療、オンライン診療などが一般化
・さらに所有しない社会になって、スマホから電子ペーパーに変わり、ほとんどそれだけで完結している
・個人移動用ドローン(タケコプターみたいなやつ)が技術的に可能になっている(利用の是非が議論)

<<一言>>

日本は圧倒的に元気を失っているかもしれないが、未来は自分たちで作るものであり、その瞬間を徹底的に味わいつくしていたらいいな。味わいつくすのは、単純に楽しいだけでもつらいだけでもなく、そうした全てを受け入れながら人生を自分のものとして生きているってこと。まあ、笑っていられたら最高だ。

BGM:Katy Perry – Roar (Alex G Cover)
BGM:OneRepublic – Counting Stars

January 16, 2005

タイムカプセル ブログ版~10年後の自分~

先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

http://www.teratown.com/blog/archives/001321.html

考えれば理解できることだけど、想像もしない仮定で世界はあふれている

推論というものがある。

状況を理解し、そこで起こることを筋道立てて考え、経験のないことをイメージする。推測する。
これは、人間が持つ重要な能力の一つだと思っている。

でも、考えれば分かるけれど、考えるきっかけとなる状況の前提(仮定)が世の中には無数にあって、その状況の前提(仮定)を認識することがないものが大半だ。そのため、結局のところ考えれば理解できるけれど、想像もできないことばかりで世界は溢れている。

ただ、考えれば理解できちゃったりもするので、結論を聞いてそんなん当たり前じゃんと、自分がその仮定を思いつかなかったことを棚に上げて、そういった発言が多々飛び出すのだと思う。

本来、自分が想像もしなかった新たな前提(仮定)に出会うと、人間の脳は活性化する気がする。仮定を言われて、そんなん当たり前ジャンというのではなく、その仮定を前提に、どんな事が起こるのかと考えを巡らすことの楽しさ、脳の刺激は、そこにある。

どれだけ多くの前提(仮定)に出会えるか。これが、楽しみでもあったりする。

出会うだけじゃなくて、より多くの前提(仮定)をほんとうの意味で理解できるようになるために、多様な経験、ひとつの物事の深い経験を積むかが鍵となる。

仕事でもそう。やったことある仕事は、いつも限られている。常に新しい状況の連続。だからこそ、今の状況を短期間で把握して、その状況を自分の頭のなかで整理する。それらを踏まえて、成し遂げたいことにいかに近づけるかを考え、施策を決めて実行、実行、愚直に実行しつづける。みたいな。

先日、5人姉妹という人にあって、お風呂が3時間待ちだと話していた。まるでテレビに出る大家族のようだ。5人もそれも女子ばかりいたら、確かに大変そうなのは想像できるが、自分の普段の生活とはかけ離れているので、そんな家族構成という前提(仮定)を想像もしたことがなかった。

同様に、トレランで100マイル40時間以上も走るって、日常の生活をしている一般の人は、この前提(仮定)を想像すらしないだろう。ノーベル賞を受賞した後の、自分を取り巻く環境の変化を想像すらしないし、まあ、そんな仮定で世界はあふれていて、自分にとっては仮定の世界でも、この世界に生きる誰かにとっては仮定でも何でもなく、それが目の前の現実なのである。だからこそ、より考えもしない仮定をイメージしながら、いろいろな人と接していきたいと思う。

http://teratown.com/blog/2012/11/27/naiaeeoaeyaectheiinai/

興味ありなしではなく、興味なしでも根源的に価値のあること

清潔であること。

例えば、部屋をcleanに保つこと。
こまめに掃除をして、清潔にすること。

正直、そんなに得意ではない。

山とか、遊びにはワクワクするが、部屋を掃除するという行為に興味がそこまでない。
だから、常に綺麗とは言いがたい。
最低限やるぐらいだ。

ただ、北千住周辺に住んでいるリクルートの友だちがいて、彼が周辺のOBOGを集めて飲むというので誘ってもらった。
なんと2次会はうちでやるかもと連絡が来た。
まあ、そりゃ掃除をするw

で、夜、家に帰ってから掃除をして、ゴミを出す。
そこそこ綺麗になったとおもい、いつもの様に寝る。

翌朝、起きて歯を磨こうとすると、なんだか気持ちがいい、さわやかな気持ちだ。見てみると、洗面台がピカピカ。視覚的に意識するまえに、空間の雰囲気として気持ち良いなと感じた。オーラというやつか、なんといっていいか分からないが、空間がプラスの雰囲気を持った感じ。

人間は、本能的に清潔であることを望むのだろう。人間が病気にならないためとか、単純にそういった理由が背景かなと思う。

まあ、そんな清潔でなくても、特に気にしない。海外を色々旅して、まあ汚くても特に問題なかったし、それを気にしていると旅ができないし。
ただ、興味がないからといって、清潔であることに価値がないわけではなく、本能的に清潔であることに価値を感じている。
価値を感じているというよりも、清潔であることに気持ちよさを感じている。

って、ことは、常に清潔に保つことが、人間の精神にプラスに働くんだなと学んだ。

食べることが重要、お風呂に浸かることが重要、運動が重要、睡眠時間を確保することとか、今まで当たり前のことを大切だと学んできたことのひとつかな。

keep clean

美しさとか服装ってのもそうなのかもなーと思う。
赤い服は戦闘的になるとか言うけど、無意識的にそうなるんだろうし。

プライベートなことは、興味ありなしで決める。
基本的に間違っていないと思うが、興味がなくてもやるべきことがある。そのひとつが、清潔に保つこと。無意識の中で、それに価値を感じて精神的にプラスに働いている。そんな当たり前のことをこの歳にして学んでいく、そんな未熟な人間である。

送信者 三宅島2015

職業としての小説家ではないが、趣味としての小説家になってみたい

村上春樹『職業としての小説家』

村上春樹さんとの出会いは、走り始めた頃に、「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んで感銘を受けたことだ。普通は小説から入ることが多いかもしれないが、僕は走ることについて語ったエッセイが出会いの一冊だった。走ることにハマり始めたタイミングということもあって、村上さんが走ることに対する思いや理由、そして走っている時に感じる感情の機微を、細かに表現されていて、強く共感したことを覚えている。その後、いくつかの小説やエッセイを続けて読んだ。が、僕の中で「走ることについて語るときに僕の語ること」を超える作品はなかった。

数年、村上さんの作品を読んでいなかったが、ずっと気になる存在であることは変わりなく、新作が出ると気になっていた。

2,3ヶ月ほど前、クリエイティブライティングでお世話になった新井さんと食事をしていると、社運をかけて村上春樹さんの「職業としての小説家」という本を作り上げた。と話してくれた。本や雑誌不況の中、新井さんはSWITCH、coyoteの編集長をし、MONKEYという雑誌もSWITCH PUBLISHINGから出している。単行本も毎年いくつか。20年前のように雑誌が売れる時代でもないし、広告もつきにくい。coyoteも一回休刊している。しかし、新井さんの思いが復刊へと導いたほど。

そんな時代背景の中、村上春樹さんの本を出すという。出版業界の中では、村上春樹さんは大御所で前払い制というのはよく知られているし、普通の作家よりも取り分が多いというのは周知の事実。ただ、そんな目先のお金のことよりも、新井さんは村上春樹さんの「職業としての小説家」を世に出したかったのだろう。もっと私的な視点で言えば、新井さんが小説家としての村上さんの考えを聞いてみたかった、知りたかったということなのかもしれない。

新井さんと話しながら、新井さんの編集者、インタビュアーとしての強い思いを感じたのだった。出た際には、すぐに買って読もうと思っていた。

しばらくして、茂木さんが、職業としての小説家を献本されて、非常に良いとFacebookに書いていた。あまり、この本が良いと書く人でもないので、本当にいい本だと思ったのだろう。茂木さんもしばらく前から、小説を書きたいと話していたから、ちょうどこの本が刺さったのかもしれない。

販売初日に本屋へ買いに行ったら、帯に柴田元幸さんのコメントが。ムーンパレスなど大好きな小説の翻訳者だ。ああ、揃った。これだけ、好きな人が揃う本ってないなと。

さっそく、楽しく読ませてもらった。

改めて思うのが、村上春樹さんの世界の捉え方が好きだ。この世界をどのように見ているか、どのように解釈しているか、そしてどのようなスタンスをとるか。自分の価値観、考えに基づいて独立しており、でも世界の強い部分も弱い部分も含めて、等しく捉えてやさしく包み込む。いがみ合うのではなく、妬み合うのではなく、正々堂々と前を向いて生きていこうじゃないか。そのためにも、そして口だけじゃなく、自らを律している姿勢がなんとも清々しい。

だいたいにおいて、人をの好き嫌いは世界の捉え方、そしてそれを踏まえてどう行動しているか。これが、素敵な人や共感できる人を好きになるんだなと、この本を読んでいて思った。

そして、僕は小説家ではないが、小説を書いてみたいと思い始めた。本を3分の2ほど読んだ頃、ふと小説というスタイルで表現してみたいと突然ふってきたのだ。

どんなことであろうと、なかなか考えていることが伝わらない。仕事でも趣味でも、プライベートでも、これは、誰しもそうで、永遠に自分の思いは伝わらないものだ。そんなことは、分かっている。具体的な例や喩え話をつかって伝わりやすくする。手段としては正しいが、これでも伝わらない。何をしても伝わらないのは分かっているが、僕の表現のような説明的な文章だけではなく、ストーリーや世界観を醸成したうえで、メッセージを伝える小説的なアプローチも試してみたいな。そう思ったのだ。

もちろん、絵やスポーツ、音楽も同様にアプローチのひとつではあるが、この本を読んで小説というものを書きたくなった。

ドッグイヤーを無数につけたので、気になった文章を引用しきれない。。。ということで、ぱっと開いたページの言葉

P42

しかし、理由はともあれ、とにかくそれが起こったのです。それは、なんといえばいいのか、ひとつの啓示のような出来事でした。英語にエピファニー(epiphany)という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによって物事の様相がいっぺんしてしまう」という感じです。

P98

これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何かを自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、かたっぱしから放り出していかなくてはなりません。

P141

長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。かけるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません、だからタイムカードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。

P187

僕は生きて成長していく過程の中で、試行錯誤を重ねつつ、僕自身のやり方をなんとか見つけていきました。

P238

だからこそ僕は、いろんなサイズの自分のものではない靴に自分の足を入れ、それによって、今個々にある自分を総合的に検証していることになるのかもしれません。

P285

現実社会のリアリティーと物語のリアリティーは、人の魂の中で(あるいは無意識の中で)避けがたく通底しているものなのです。どのような時代に会っても、大きな事件が起こって社会のリアリティーが大きくシフトするとき、それは物語のリアリティーのシフトを、いわば裏打ちのように要求します。
物語というのはもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の現実のシステムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らの内なる場所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。その2つのシステムを上手く連結させることによって、言い換えるなら主観世界と客観世界を行き来させ、相互にアジャストさせることによって、人々は不確かな現実をなんとか受容し、正気を保っていくことができるのです。

P304

ちなみに僕の場合の「悪魔祓い」は走ることです。かれこれ三十年ほど走り続けているんですが、毎日外に出て走ることで、僕は小説を書くことで絡みついてくる「負の気配」をふるい落としているような気がします。

P304

僕らが会って話をして、でも何を話したかほとんど覚えてないと、さっき申し上げたわけですが、実を言えば、それは本当はどうでもいいことなんじゃないかと思っているんです。そこにあったいちばん大事なものは、話の内容よりはむしろ、我々がそこで何かを共有していたという「物理的な実感」だったという気がするからです。我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。