「写真」カテゴリーアーカイブ

【色鮮やかな国へ7】何もない日常

【色鮮やかな国へ6】宿の親父がミュージシャンに変わる街

朝一のバスということで、真っ暗な時間に起きる。そして、頼んであったタクシーが家の前まで来てくれているので、乗り込む。真っ暗な街をタクシーで進む。街中ではすでにゴソゴソと人々が動き出している。果たして何をしているのだろう。タクシーのおっちゃんはノロくて、時間がけっこうギリギリだったので、焦った。この街を歩いて知っているので、なんでこんな道を通るのだと突っ込みたくなるが、ほんの少しの遠回りなので、もめる方がタイムロスだ。

バスターミナルに着くと、すでにバスが来ていて乗り込む。向かうはカマグウェイ。

今回の旅で最もマイナーな街の一つ。そもそも、ここに行こうと思った理由は、予定よりも早く進み過ぎていて、ハバナに3日とか滞在してもやることがなさそうだったから、牛歩作戦みたいなもんだ。何にもないだろうと思いながら、行くことにしたのだ。もう一つや夜行バスに乗りたくなかった。疲れるのだ。地理的に、カマグウェイに行けばトリニダーまでの昼に走るバスがある距離だろうというそんな三段。

送信者 キューバ201503

真っ暗なサンチアゴデクーバを出た。まだ、音楽祭は続いていたので、もう1泊して3泊でも良かったのだが、楽しいうちに去るというのが、一番良いと経験上知っている。どんなに楽しいことでも、永遠には続かないのだ。どんなことでも2回目は1回目の衝撃や感動がないのと同様に、過去の楽しさにすがりすぎると、新しい世界は「ようこそ」と迎え入れてくれない。

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サトウキビ畑の一本道をバスは走る。いつものように、何度か休憩。そこでサンドイッチとハンバーガー、そして炭酸のジュース。もう、これがパターン化され始めた。まあ、ハンバーガーのハンバーグはそこそこうまいので、特に問題はないのだ。カマグウェイにつく。地図もないし、はてさてと。バスターミナルを出ると、街は離れているっぽい。タクシーの運ちゃんに聞いても3キロだとか。うーん、どうしよう。

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ここは何もない街、かつ今日は日曜だった、魔の日曜だ。やることもなく、休むのに適した場所のない街で日曜というのは辛いもんだ。これは、キューバに限らず、旅をしているときはいつでも。まるで、知らない国に夜中に到着する飛行機で降り立ったような気分。追い打ちをかけるのは、トリニダーまでの昼のバスはなく、真夜中の2時だかに出発するバス1本のみ。。。なんてこった。まあ、旅とはこんなもんだと思っているからいいが、ガビーンという気持ちであることにはかわりない。

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リクシャーに乗って、街の中心部に。人影はまばら。ってか、人がほとんどいない。昨日までの祭りの活気とは対照的。中心部とされるところをほっつき歩き、教会を見たり、あっちに行ったりこっちに行ったりひたすら歩いて時間を潰す。すると、何やら広場にアンプの準備をしていたので、ジュースを買って眺めていたら、人が集まり始めショーが始まった。人形の謎の舞台や子供達のダンスなどなど。学芸会のような感じ。これを楽しんだあとは、食事を食べに。お店も少なく、空いているところで鶏肉とジュース。

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泊まるのは、いいや、次の街に行きたいと思い、バスターミナルへリクシャーを走らせる。夜中発のバスまで時間があったが、バスターミナルでうたた寝。こういったときに、金持ちと外人専用のバスだと安全な待合室が用意されているから楽なのだ。キューバ自体は治安がとてもいいが、よりこういった環境の方が安全は確保されているから、寝やすい。

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真夜中も各地から到着し、またバスは出発する。その繰り返し。トリニダー行きのバスが到着して、乗り込む。席は指定だが、みんな無茶苦茶なので、空いている席に座る。すると、まさか!後ろの席にハバナ出会った2人組が乗っていた。驚き。すこし、話してすぐに寝た。

【色鮮やかな国へ6】宿の親父がミュージシャンに変わる街

【色鮮やかな国へ5】このリズム、この夜がきゅーばそのものだ

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朝目を覚まして、朝食の前に散歩。サンチアゴデクーバは坂の町。どこもかしこも坂ばかり。坂があると、朝日や夕日が差し込んで、上から見下ろしたり、下から見上げたり、光の具合によって、街の雰囲気が一変する。そんな、この時間しか味わえない町を楽しむ朝の散歩。

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ここの朝食もキューバスタンダード。フルーツとパン、そしてガヴァジュース。ここの家族は本当によくしてくれる。いい家族だ。部屋も広いし、きれいだし、屋上からの夕日もきれいだし。でも、別の旅行者がドイツから来るから、今日は別の宿を探さないといけないと言われていた。荷造りをして宿を出ようとすると、親父さんがちょっと待ってと。ドイツ人が来るか確認するからと。はてさて、どうやって確認したかは定かではないが、20分後ぐらいに、明後日から来ることになったので、もう1泊OKとのこと。荷物を部屋に置いて、街へ出かけることに。

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特にやることはない、Pepe Sanchez Festival(ペペサンチェスフェスティバル)は今日も続く。夕方になれば、この祭りを楽しむのだが、日中は特にない。キューバはこれといってみるような観光地もないし、ということで街をぶらぶら歩きながら、バスターミナルまで行って明日のバスの時間でも調べることに。

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一人でぶらぶらと旅しない人に、海外に一人で行って何するのと聞かれたりすると、ぶらぶら歩いていると話してもなかなか理解されない。けれど、こうやってぶらぶら、ひたすら街を歩くことが一番面白い。その国の習慣とか、人々の性格とか、全てが見えて来る。歩いていると、話しかけられたり、話しかけたりして、一緒にお茶したり、どこかに連れて行ってもらったり、たまには家にお呼ばれしたりとか。

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まあ、今回もバスターミナルを目指しながら、街を歩く。日本でもキョロキョロしていると言われるが、いろいろなものを見て歩くため、普段よりもキョロキョロしながら歩いている。革命広場の前にあるビアスールまで。町の中心部は活気を帯びている。露天にサンドイッチが並び、公園では花を売っている、空を見上げるとキューバの国旗がたなびく、にぎやかだと思えば学校へ向かう子供達、キューバの日常の朝がリレーされていく。

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大通りには車が行き交い、ビアスールの近くにはキューバ人しか乗れないとされるバスが集まるバスターミナルがあった。やはり、外人向けのバスターミナルとは活気が違う。どちらかというと、こっちのバスに乗りたいが外国人はNG。学生の頃なら、意地でも乗ろうとしていろいろ交渉したり、試みたかもしれないが、そういった気力がなくなったのは、経験を重ねたからなのか、年のせいなのか。

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予定よりも早いペースで旅は進んでいた。ちょっと寄り道していかないと、やることがなくなってしまう。行く場所がなくなってしまうということで、カマグウェイという町に行くことに。チケットを買い、革命広場に。その向かいの芝生では、何やらラップっぽい歌をうたう歌手が二人。そして、彼らを子供が囲んでる。ついでなんで、覗いていくことに。中学生ぐらいの子供たちがノリノリだ。なぜだか、キューバ人のおばちゃんが、前に行け前に行けと、いい場所をあてがってくれた。さらに、パフォーマンスが終わると、歌手二人を俺に紹介してくれた。この感じ、この謎のおもてなしは海外を旅している時しか味わえない。

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また、てくてく歩くと、学校の遠足で来ている子供たちとはしゃいでみた。みんな元気だし、無邪気だ。そして、先生に怒られるというお決まりパターン。おれは再びてくてくと。この街にも大きな野球場がある、キューバ人の心。野球。それを強く感じる。近くにこの街で最も高級なホテルがあったので、入ってみた。wifiは使えなかったが、PCがあって10クックぐらいでネットをする。facebookとかも普通にログインできた。宿に戻って、お昼寝タイム。

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夕方になり、街の中心部へ。もちろん、おめあてはペペサンチェスフェスティバル。宿を出るときに、宿の親父が20時からブカネロでライブやるから来てくれという。はて??このおっちゃんはミュージシャンなのか?ただの宿の親父じゃないのか?まあ、行くよと伝えて街へ。日が落ち始めた街は、すでに盛り上がっている。街角にアンプを出して演奏し、人々は踊る。酒を飲む。いろいろな人が声をかけてきて、仲良くなる。片言のスペイン語と英語でなんとかコミュニケーションをとる。この瞬間も楽しいが、もっと言葉を喋れるようになりたいと思うのが、この瞬間。

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有名な太鼓の奏者なんだとか、おれはボクサーだとか、ビールをおごれとか、CD買ってくれとか、一緒に踊ろうとか。他の町であった外国人旅行者も多く集まっていた。エレキギターを使ったポップミュージシャンもいれば、オーケストラもいる、ソンとかトローバと呼ばれるサルサの原型になったと言われるキューバの音楽も。街角や公民館みたいなところ、広場、もう全てが音楽と踊りで溢れている。なんて陽気な国なんだ。

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リズムが良くて、こっちの体も自然にリズムを取り始める。オーケストラの演奏も立ち上がってやったり、おばちゃんが狂ったように踊ったり、かと思えばよちよち歩きの2、3歳の女の子が踊っていたりと。もう、小さい頃からこのリズムが体に刻み込まれているんだと、痛感した瞬間だった。そして、70過ぎのおばあちゃんがピンクのドレスを着て、30ぐらいのにいちゃんとダンスをする姿とか、老若男女という枠を超えて音楽を楽しむという、この文化がとても魅力的だ。

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この国は、社会主義だ。食料とかが今も配給されている。平均給与は月間2000円と言われている。ネットも不自由だ。社会主義で、これだけ不便で経済的にも豊かでないと、国民は楽しく生きられないかと思う。でも、この暖かい気候、そして音楽、踊り、豊かなフルーツ。これらが、この国の人々を幸せにしている。そう思えてくる。

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街を歩いていると、音が流れている方向へと自然と足が向く。バーみたいなところに入ると、宿の親父がマラカスを持って歌っている!おお、ここだったのか。写真を撮りながら聞いていると、うまい。声が伸びる、そしてリズム感がちがう!あの宿の親父に、こんな一面があったとは。別に、音楽の練習とかしてなさそうだったけど、音楽と踊りの遺伝子がこういう表現を可能にしていた。最後の演奏まで聞いて、握手をして店を出る。

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路地を歩いているとグアンタナメーラという、ブエナビスタソシアルクラブの映画で有名な曲が聞こえて来る。ホールに入って聞くよりも、赤色灯に照らされた路地で聞く、合唱が心地よかった。明日の朝も早いバスだ。街中のミュージシャンも減り始めたので、宿に戻って寝ることにした。

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自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生きている。

人生、同じようなチャンスが何度も訪れそうだけど、滅多にチャンスなんてない。だから、その目の前にあるチャンスを掴むこと。気になったら、後回しにせず行動すること。

こう思いながら、これって昔から自分の中で変わらないなと思う。

一通りの自分の価値観というか信念というか、生きる上での意思決定の軸というかが一通り出来上がったのが25,26ぐらいだと思う。それまでは、具体的な経験からエッセンスを抽象化してより本質的なことを理解しようとしていた。それをさらに別の具体的な経験に当てはめて実証みたいなサイクルを。

世の中のエッセンス、生きていく上でのエッセンス、いかに生きるか、いかに生きるかってのは社会の流れにも影響される。自分の性格を踏まえて、感情と出来事と合理性(経済的なものも含む)をどうやって、折り合いをつけるか、うまくやっていくか、渡り歩くかという秘訣みたいな方法みたいなもん。

なんだか、そういうといかにも考えて生きているようだけど、そうでもなかったりする。どこか、そういった合理的で未来を見ている部分もあるけれど、それは、最低限の部分にすぎず、それより重きを置いていることは自分の納得というもの。自分の言葉で一言で表すと、美学。全ては美学による。

でも、この数年はそういった新たな価値観に気づくとか、新たな意思決定の軸、新たな概念に気づくことが少なくなっていたけれど、様々な経験をすることは変わっていない。そうすると、25,26までに気づいたことって、本当に大切だなと改めて思い、自分の中で重みが増していく。若さという最大の価値。そして、その時に何を経験し、何を感じ、何を考え、何が自分の美学となるか。

運と勢いとノリが大切
えいやっと飛び出すには、きっかけといいわけが必要
人生は納得と覚悟
やるかやらないか迷ったらやる
ピンチになれば、なんとかする。なんとかなるではなく、なんとかする
背水の陣、火事場の馬鹿力
チャンスを作って、チャンスを生かす
人生万事塞翁が馬
どんなピンチでも、その状況を楽しむ
継続することの重要性
環境や人のせいにするのではなく、すべて自分が改善できることから取り組む
ロジカルとクリエイティブをいったりきたり
世界には流れというものがあり、それを踏まえることも大切
楽しまなきゃ人生じゃない
グレートバンテージポイントの大切さ(朱に交われば赤くなる)

人生を経験すればするほど、納得感が高まること。これらを、そう思い続けれるようにするためには、常にチャレンジし続けなければならないことだけは事実。慎重に、でも、やらないのではなく挑戦は絶対にする。このスタンス。

でも、こんな調子に乗った偉そうなことを言っていられるということは、それだけでありがたく幸せなこと。

振り返ってみると、本当に色々な経験をしてきた。自らの意思で飛び込んで、ドキドキして、でもワクワクして。それから副産物みたいな、ギフトに出会い、そっちの方がどっぷりはまり。そんな過程で、いろいろな生き方をしている人と出会った。出会っただけじゃなくて、そういった仲間と色々な貴重な時間を共にした。チャレンジであったり、真剣に議論したりと。地味に情熱大陸みたいなテレビとかcoyoteのような雑誌、そして本からも。

新たな世界に自分から飛び込むわりに、自分から飲みに誘うことはほぼないけれど、毎日のように誰かと飲んでいて、そうして誘っていただけて感謝ばかり。こんなことの積み重ねが自分を作り上げている。

全てはこの経験の積み重ねとその時の思考。あとは、自分では努力と思っていないけれど、はまって継続してやっていることが、結果的にいつの間にか果実になっていたりと。

こういった生き方をするとは思っていなかったし、こうなるなんて思ってもいなかった。でも、自分が思い描く世界とか生き方というものがあって、いつもどこかでそれを思い、考え、こうして書き残し、時には行動に出てみて経験する。答えがなく、悩み考えることもある。もちろん、まわりの仲間にも語り、いろいろツッコミをもらって、そうしたら世界はどんどん違って見えてくるし、ふと後ろを振り返ると全然違うところにいる。とどきそうで、ギリギリとどかない場所。いつもそんなところによじ登ろうと、ジャンプしようとしていた。そんな生き方をしていたら、こうなっていた。

最近は年をとったなと思うし、年をとるのが嫌だなと少し思う。年を重ねないと絶対に見えない世界があるのだけれど、疲れるということを未熟でまだすんなりと受け入れられていないのだろう。そんなことも思いつつ、まあとりあえずは、今しかない。過去も未来もない。過去にすがっても、憧れめいた未来に夢を見ても、それは現実ではない。やっぱり、今なんだと思う。今しかないという結論に至る。だから、つべこべ言わずに、また今日、明日を最大限楽しんで、納得して、未練のない時間にしようと思う。

そんな31年間であり、32年目です。

大学の親友が、「自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生きている。」こんなことをずっと前に言ってくれた。僕という生き物は、永遠にこの言葉につきるのだろう。

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http://teratown.com/blog/2009/11/01/iaauoeeoceaaaeaeaee/

【色鮮やかな国へ2】ハバナの町を歩き、野球を楽しむ

【色鮮やかな国へ1】あの時代のキューバを見たくて滑り込み

朝起きると。目の前がマレコン通りですぐに海が見える。朝食の前にちょいと散歩。ここがマレコンかあ。クラシックカーも走っている。ミドリにピンクに黄色にオレンジに赤にと、色とりどりのカラフルなクラシックカーが当たり前のように走っている。絵になるな。もちろん、建物の壁もパステルカラーだったり。何から何まで鮮やかだ。

送信者 キューバ201503
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クラシックカーだけでなく、新しいヒュンダイや日本メーカーの車もちょくちょく走っていて、60年前と現代が混在する不思議な場所だなーと思った。宿に戻って朝食は、ガヴァジュースにパパイヤにバナナ、パンにコーヒー。この後も朝食はだいたいこのパターンが多かった。毎日フルーツをよく食べた。ガヴァはそのまま食べるよりジュースがうまかったなー。

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荷物を全て持って、とりあえず町歩き。荷物が小さいので持って歩いても苦にならないのがいい。というか、大きい荷物だと不便だからいつも小さな荷物で旅しているのだ。マレコンを歩き、革命広場とかヘミングウェイが通った店で彼が飲んだお酒でも飲もうかと思って、ぷらぷらと歩いていく。

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なんの目的もない町歩きだけど、歩くスピードだと周りがしっかり見れて、話しかけられて、この国がどんな国かが知らぬ間に理解できていく。どんな国でも、最初はつかみどころないけれど、いつの間にかこうして歩いていると、この国がどんな国かというイメージの骨格が出来上がっていく。

送信者 キューバ201503
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マレコン通りを歩いているとクラシックカーが横を通り過ぎる。ついついカメラを向けてしまって、前に進まない笑。旅の始まりは、何が本当に珍しいのか分からない。60年、70年前のアメ車なんて見ることはないから、ついついカメラを向けてしまうのだ。まあ、結果的にキューバにおいてクラシックカーはいつでも観れるのでそんなにもがむしゃらに写真を撮る必要なんてなかったんだけどw

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ハバナ大学を超えて、革命広場へ。あの有名な内務省だか外務省だかの建物の壁にゲバラの顔がオブジェ的にある場所だ。ゲバラは絵になる顔をしている。おお、観光客も多い。さて、どこへ行こう。旧市街へ行ってみたかったけど、歩くのも遠いなと思っていたら、2回建てのオープンデッキバスが来たので飛び乗った。5CUC(クック)で乗り降り自由。

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ぐるぐると街中を走っていく。視線が高くなるので、また街の見え方が変わる。墓地の横を通り、海の近くへ行くと少しばかりリゾートっぽいホテルが。そして、また革命広場に戻り、次はマレコン通りへ。海の風を浴びながらマレコンを走り抜ける。そして、国会議事堂の前の旧市街へ到着しておりた。ヘミングウェイが通ったというフォロリディータとメディオの2軒をはしご。パパヘミングウェイというお酒とモヒートを飲む。やっはり、観光客であふれていた。が、カウンターでヘミングウェイが座っていた席の横で飲む酒もいいもんだ。

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すると、空港であった日本人の青年にばったり。ふらっとハバナクラブの資料館に行き、メディオでモヒートを飲み、カテドラルなんかを眺める。そういえば、昼飯を食べていなかった。道端でピザを買う。これは、現地人通過で買えるので50円ぐらいと安い割に、ボリューミーでお腹いっぱい。宿を決めてなかったので、国会議事堂の近くの10クックという安いドミトリーへ。カサプラクティカルという民泊なんだが、ドミトリーというスタイル。

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夕方から野球があるというので路線バスに乗って、てくてく歩いて野球場へ。ハバナの地元のチームとどっかのチームの試合。なんだか、日本シリーズ的な試合かリーグ戦の優勝が決まるか決まらないかの試合だったようで、すっごい混んでいた。キューバといえば野球が有名で、この国の人々がどれぐらい熱狂的なのか見れて面白かった。

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暗くなるとほぼ満席。みんな、一喜一憂していた。ここでも陽気に踊りながら応援していたり。それにしても打撃は強いという印象。でも、守備とかはイマイチだったかな。球場で食べた米と肉の弁当がうまかった。帰りはバスもないので、宿までとぼとぼと歩いて帰ったら、眠たくてすぐに寝た。辛かったのは、蚊だ。夜中じゅう蚊が飛び回り、刺されまくり。。。うおーーーって、発狂しそう。本当に蚊はいやだと久しぶりに感じた夜だった。

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【色鮮やかな国へ1】あの時代のキューバを見たくて滑り込み

アコンカグアへ行った仲間と妙高へ滑りに行き、翌日の昼に1つ打ち合わせをして、そのまま羽田へ。今回はキューバの帰りに極寒のカナダ・ナイアガラの滝へ立ち寄るので若干荷物が多く、20Lのリュックがパンパンだ。

都心から羽田はやっぱり近くて便利だ。すぐについてしまって、18時50分の便までは時間があった。もしかしたら羽田から海外へ行くのは初めてかもしれない。ということで、羽田の中をうろちょろ。といっても、やることはさしてあるわけでもなく、セキュリティを通って出国。

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羽田からこの時間に飛ぶ飛行機が少ないのか、人もまばらだ。実家に電話をして、飛行機に乗り込む。まずはトロントまで13時間ほどの旅。とりあえず行きは寝る、そして帰りの飛行機で映画を見るというのがいつものパターン。今回も、速攻で寝たが食事が運ばれてきて、食べた。

大学生の頃は、機内食ならなんでも美味しく感じていたが、そうも感じなくなってしまったここ数年。贅沢になってしまったのか、美味しいの基準が上がってしまったのはいいことなのか、なんでも心の底から幸せに感じるチャンスが減ったのかと思いながら、とりあえずカナダのビールを飲み異国感を味わい始める。

とは言っても、すぐに寝る。眼が覚めるとキューバのガイドブックでも読んで、また眠くなって寝る。この繰り返しですぐにトロントに到着。トロントはAirCanadaのホームエアポートだけあって、大きいし綺麗だ。ハバナ行きの飛行機まで1時間しかなかったので、心配して急いだが何もかもスムーズに進み余裕だった。ハブ空港ではこれが超重要だよなと思う。そして、wifiもバリバリ繋がって、スマホでネットを楽しんだ。

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ハバナへ。トロントからハバナは真南に行くと到着する。すなわち時差がないのだ。さらにアメリカを縦に越え3時間ほどで到着。ほとんど国内線扱いで、軽食とソフトドリンクだけ。日が沈み、羽衣のようなオレンジ色の雲が漂う。北米大陸を越えると海に浮かぶ島が光っている。あれが、キューバか。

飛行機は高度を下げ、明かりはよりハッキリと見え、家々が立ち並び、車が行き交う。どこか、飛行機の中も暖かくなった気さえする。さあ、旅の始まり。夜の空港に着く旅の始まり。これは、何度経験しても不安を覚える。

入国手続きをして、上着を脱いで出国。おお、それなりに客引きがいる。けど、小さい空港だな。まずは、両替と明日のバスViazul(ビアスール)の予約をしなければならない。日本円から現地外国人通貨のクック(CUC)に。大金かつ日本円は空港を出て外の両替所しか無理と。。。人目につくとこだと嫌だなと思いながら、並ぶ。日本人の男性がいたので話しをして時間を潰す。うーん、オペレーションが実に悪い。全然進まない。まだまだ東京のビジネスモードというか時間感覚でラテンの時間感覚になっていない。これがキューバなのだと思い、次に何をしようか考え事。

8万円ほどを632CUCに。キューバを旅するのは金がかかる。現地の人は安く生活できるが、外国人旅行者は何かと高いのだ。それから、infoでバスの予約を聞くがここじゃ無理と。いろんな窓口で聞いたら、Viazul(ビアスール)はあそこに人がいるんだけど、今日は夜遅くて担当が帰っちゃったみたいだから、明日だねと。まあ、しかたない。

日本でViazul(ビアスール)のサイトから翌々日のバラコア行きは予約してあったので、翌日にはハバナを旅立ちたかったが、諦めることにした。空港の前でタクシーを捕まえる。ホテルまで25CUCと言われたが、20CUCにすぐ下がった。クラシックなバンのような車でホテルへと向かう。

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今回は初日の宿を日本で予約していたので、そちらへ。夜遅いこともあって、人もまばらだし、よく町の雰囲気がつかめない。ノリノリなDVDが流れ、ボリュームもいい具合だ。もちろん運転手さんはリズムを取りながら踊って運転する。最初は慎重にと思ったが、どうやら良さそうな人なので、俺もその音楽に合わせてリズムを刻む。おっちゃんはより気分を良くし、ボリュームアップ。ああ、ラテンだな。こういう国かと感覚をつかんでいく。

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革命広場のゲバラの像はライトアップされ、自分がどのあたりにいるのか感覚がつかめるとやはりほっとする。高速のような幹線道路を降り、スラム街かなと思うようなボロボロの家が並ぶエリアを抜けマレコン通りに。あの有名なマレコン通り近くに泊まってみたくて、この宿にしたのだ。もう夜遅く宿の人は寝ていたがベルを鳴らすと起きてきた。マンションの一部を宿にしたという感じで、ホテルといレベルではないが、特に問題ない。知らない場所で宿が決まっていないことほど落ち着かないことはない。ああ、移動疲れだなと思い、着いてすぐに寝た。

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