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死の中にも生が内包されている

昨日、日比谷公園のオクトーバーフェスで芝生に座りながら、話しながら、飲んでいた。

空には、満月かと思うような大きな月が輝いていた。
でも、満月になる1日前の月。
真ん丸くないからこそ、真ん丸よりも美しく感じる月だった。
それは、三日月にならない、二日月のぎりぎりの存在感と似ていた。

帰りの電車で、考え事をしながら、ふと思いだすことがあった。

生の中に死が内包されているのは分かるが、死の中にも生が内包されていること。

というのは、生きていても、いつ死ぬかもしれない。
町を歩いていても、車が飛び出してひやっとしたり、突然の病気だったり、自然の中での危険だったりと。
寝ている時間というのも死に近しいものかもしれない。

生きていながらにして、死は身近な存在としてあり、かつ自分の心の中に死がつねにある。

一方で、死の中にも生があるんだと思った。気づいた。
生死の共存。

例えば、100年という長寿の方がいた。大きな病気もなく、元気に暮らしていた。
しかし、ある朝、突然、死を迎える。
ただ寝ているだけのような、睡眠の延長で死を迎えたような死。

こういった死をみていると、死んだ人であろうとその人の中にまだ生が宿っている気がしてくる。
それは死ではなく、生の状態が少し変化しただけなのではないかと。
こういった感覚は身近な人の死でより深く感じるようになるのだろう。

茂木さんの本のタイトルをもじるとこんな感じかな。

生きて死ぬ私
死んで生きる私

送信者 大分、熊本、宮崎

振り返ると、色々な経験をさせてもらっている人生だと思う

過去の自分のブログを引用しようとした。
書いたことの概要は覚えていたが、キーワードで検索しても見つからない。
そこで、1記事ずつ順番に見ながら遡っていった。

全て自分の書いた文章だし、自分が考えていたことだし、自分が感じてきたことだし、自分が経験してきたことだ。

それにも関わらず、すこし他人事のように、色々な経験をしているなと思った。
言い方を変えれば、色々な経験をさせてもらっている人生だと思う。
さまざまなことを経験している渦中にいると見えないけれど、こうやって振り返ってまとめて見ると、改めて感じる。

当事者としてまっただ中にいると、特にいろいろなことをしているという認識はなかったが、ブログと写真を見返してみると、いろいろ経験して、いろいろ考えてたんだなと思う。
ありがたい。もう、これは周りに感謝するしかない。

そして、思うのがブログを書き残し、写真を撮ることを初めて、思いで巡りをする楽しさをもらったと思う。
まあ、まだまだこれからの人生なんで、過去だけ見ている訳じゃないけれど、未来も過去も今も楽しみながら生きていけたらと思う。

思い出をより彩り豊かに再現してくれる写真と文章を残しておいて良かったなと思う。

でも、経験を重ねることによって、見えなくなることがあることも忘れてはならない。
経験した人しか分からないことがあるということは、経験していない人は分からないということ。
経験していない人の気持ちが分からなくなってはいけない。
一度経験すると、していない時のことを想像するのは難しいが、なんとかその感覚をもっていなければ。
それだけは肝に命じておこうと思う。

送信者 小笠原

無意識の処理能力が脳の回転速度を決定する

この人は地頭が良いとか、頭の回転が速いっていうけど、それは何なのか。

一般的に言われる頭の回転が速いってことは、以下のような可能性があると思う。

・経験が抱負で過去に同様の経験があり、対応方法が分かっている。
・タグ漬けというかレッテル(思い込み)があり、意思決定が速い
・具体的な経験を抽象化して脳にストックできており、新たな具体的事象にも類似の出来事を当てはめて考えられる
・1を聞いただけで様々な可能性を予想して展開をイメージでき先に打ち手が打てる
・無意識の情報処理能力が高い

で、今回は無意識の情報処理能力について思うことを。

習慣化することによって、意識でコントロールする脳の部分を使わなくても良くなる。
そうすると、無意識でできることが積み重なる。

意識で動かせる脳(処理)はある瞬間で(同時に)ひとつ。
一方で、無意識で処理できることは2つ3つ・・・無限な感じ。

様々な経験をしたり、職人のように体が覚えたり、習慣化することによって無意識にできることが増える。
すると、無意識で処理できることが増える。

意識で処理できることは皆1つだから、無意識の処理数が増えれば増えるだけ、短時間でより精度の高いアウトプットができるはず。
さらに、同時に3つのことを脳が処理した場合と、1つ1つ処理して3つのことを脳で処理した場合では、かかる時間が長くなるだけではないと思う。
無意識も使って同時に処理したときの方が、3つのことの関連性も踏まえてベストな解をアウトプットできる気がする。
まあ、根拠はないが感覚的にそう思うのだ。

イメージとしては以下のような感じ。
みんな【意識】処理は1つだけだが、無意識処理できる数が違う。
ここではCさんが一番、脳の回転速度が速いと言われるはず。

A:”無”意識処理1+”無”意識処理2+【意識】処理1
B:”無”意識処理1+”無”意識処理2+”無”意識処理3+【意識】処理1
C:”無”意識処理1+”無”意識処理2+”無”意識処理3+”無”意識処理4+【意識】処理1

まあ、無意識って本当にスゴイと思う。
無意識で処理できることを増やしていきたいと思う。
そのためには、経験を重ねたり、習慣化したり、感じたり、考えたことを、自分の中にしみ込ませる必要があるんだろうな。

※ちなみに、深い思考と頭の回転が速いってのは別だと思う。

送信者 五島列島(上五島)と軍艦島

30年を振り返る。そして、これからの30年

未来は分からなくても、自分がやってきたことは分かる。
過去も未来もない、あるのは今、この瞬間だけ。

そんな風な考え方な自分ですが、ついに30になったらしいです。
その実感は全くなく、なんだかバタバタしているうちになっていたっぽいです。
正直、こんな風に迎えるとは思っていませんでしたが、まあ、これはこれでありなんだろうと思う今です。

で、せっかくなんで、これまでの30年とこれからの30年を記しておこうと思う。

◆小学校時代
 ゲームも漫画も読まない小学生。
 田んぼでサッカーをして遊んでいたけれど、運動は苦手だった。
 勉強はできる方で、困ることはなかった。
 けん玉をやった。けん玉は面白く、ハマった。没頭できる遊びだった。
 当時はたぶん優等生なのだが、自分の信念に反することは誰がなんと言おうとゆずらなかったと思う。

◆中学時代
 人生で最も記憶に残っていない時代。
 水泳部に入ったが幽霊だった。
 高校入試のために塾に通って勉強した。
 優秀な人に出会い、自分は馬鹿だと知った。
 自分がたいしたことないと気づけたのは、とても貴重で今にもいきている経験。
 インターネットを初めて、この世界は面白いと感じた。
 当時から日経新聞を読んでいて、世の中のことに興味があたし世界を作り上げることに興味があった。

◆高校時代
 ディベート部
 世界が広がった。
 視界がフラットになり、広がった。
 こんな見方があるのかと。
 プレッシャーに負け、胃潰瘍になった。
 こんなぐらいで胃潰瘍じゃまずいと、性格を変えた。
 死なないんだから大丈夫、気にすることはないと。
 ディベートの大会で何度も夜行列車で東京へ
 全国大会でも優勝したディベートの仲間は個性的だったが、強い絆。
 東京や海外への憧れがあった。たぶんそれはコンプレックスや夢を見ていたんだと思う。
 ITの次ぎにくるのは人工知能だと確信した。
 しかし、自分の能力の足りなさと、慶應SFCにオープンキャンパスに行き、ここを第1志望にした。
 AO入試で受かると思い込んでいたら、まさか落ちた。ショック。挫折だったと思う。

◆大学1、2年
 慶應の経済に受かり、一人暮らし。
 とにかく東京に行きたい気持が強かった。憧れだった。
 趣味もなく、物足りない日々。
 とりあえず色々なことに首を突っ込んでいった。
 ディベート組織の運営、サークルも少し、バイトも少し。
 そして、大学の親友のインド旅行に刺激を受け、旅に出会う。国内外を1人で。
 旅との出会いは大学で同じ暮らすになった親友2人の影響。
 1人で考え事ばかりしていた。自分の哲学、真理を求めていた。
 それを記録しておこうと、ブログを始めた。

◆大学3、4年
 旅をした。
 もっともっと広い世界を見て、自分で経験して、感じたかった。
 友達と会社をやった。
 東京芸大に通いはじめた
 地域活性のNPOをやった 
 会社をやった友達からは、商売の種を見つけ、どんなピンチでも何としてでも解決する方法を見つけることを学んだ。
 芸大の友達からは、たった1本の線だけれども精度を高く描くことの大変さ、美しさ、自分の沸き上がるものを表現するということを。
 そして、茂木さんと言う師匠と思える人にであえて、うれしかった。
 岐阜つながりの仲間からは地域を愛し、土地に根付いて生きていくことを、
 そして、旅で出会った多くの人からは、価値観の多様性、そしていろんな人生があって、それでいいということを教えてもらった。
 海外を1人で長旅をすると、日本語が恋しくなり本を読みはじめた。
 旅行のエッセイや冒険ものが多かった。中でも植村直巳さん、星野道夫さんは圧倒的な存在となった。

◆社会人1~3年
 大きな組織で働きはじめた。
 分からないことばかりだったので仕事メイン。
 仕事ばかりに捕われているつもりはなかったが、振り返るとそうだった。
 うまくいくことよりも、うまくいかないことの方が多かった。
 ただ、同期の仲間に恵まれた。
 もともと旅しか趣味がなかった。でも、旅をすることを忘れていた。余裕がなかったのかもしれない。
 趣味もない。
 何をやろうか。楽器がいいか、陶芸がいいか、鳥人間コンテストにも出たい、絵も描きたい。
 結局は写真を始めた。
 旅で撮った写真の個展をひらいた。
 素敵な文章も残したいと、大好きな旅雑誌のcoyote編集長のクリエイティブライティングの講座に通った。

◆社会人3~5年
 仕事にも慣れた。
 阿佐ヶ谷という町に引っ越した。
 旅の仲間が多く住む町で、平日の夜もご飯を食べたり飲んだり、語り合った。
 まるで、昔の苦学生のような生活。
 走りはじめた。
 水泳を始めた。
 山を登りはじめた。
 山を走りはじめた。
 トライアスロンも始めた。
 そして、旅を再び。
 日本の島を中心に、海外一人旅も。
 自分の価値観や人生観など、核となるものが定まってきた。
 アミニズムと言うか、自然であること。それがベースとなった。

◆社会人6~7年
 山を走ることがメインになった。
 はまった。
 徹底的にやった。
 山を走る仲間が増えて、遠くまで遠征した。
 ついに、モンブランまで走りに行った。
 素敵な仲間と最高に楽しい時間を過ごした。
 そして、今年はPTLという大きなチャレンジを控えている。
 山を走るのは好きだが、更なる高見に挑戦するトレランはPTLが最後になるだろう。
 そして、また仕事が盛り上がってきた。
 
過去を振り返るとこんな感じ。
こんな人生を歩んできて、これから30年をどうやって生きるか。

◆30代前半
 今の仕事で全力を出し切って勝負したい。
 仕事に感情をすこし持ち込みたい。
 もっと自然から知恵を得たい。
 ちょと長めに海外を旅したい。
 多様な価値観、人々に合い、自分目線を捨てて向き合いたい。
 

◆30代後半
 自分の意志と行動で飯を食っていけるようになりたい。
 本当に尊敬し、信じ合える仲間と仕事をし、周りの人々に意味あるものを提供したい。
 子育てをしてみたい。

◆40代
 より自然に近い場所で生活していたい。
 20代と変わらない好奇心をもっていたい。
 そして、新しいことにチャレンジし続けていたい。
 自分で家を建てたい。

◆50代
 自分の今までの経験や考えなどを体系化して、伝えられるようになりたい。それは概念、学問、テラマチ版人類学っぽいもの。
 自然学校をやりたい。
 実践者、挑戦者であり続けたい。
 次の世代に残したいものがある。

◆60代
悟りというものがあるか分からないが、その境地に達したい。
仏教について深く知り、その教えを心と行動で実践したい。
 悟りとはまた別で、お坊さんになっている気がする。
 

◆70代
 お寺なのか自然学校なのか分からないが、子どもや大人が気軽に出入りできる場を作りたい。
 図書館やカフェのように人が気軽に出入りできて、そこに集う老若男女が自然と会話し、何かがうまれてくるような場。

◆80代
 自然な時の流れとともに、安らかに眠りたい。

送信者 ALASKA 2009

負け戦をするという経験

負け戦をするという経験。
ホームだけではなく、アウェイに行くということの意味。

ホームでいつもぬくぬくしていては、何の面白みもなく、よどんでいく。

自分の今までの蓄積が直接は活かされないようなアウェイ。
ゼロリセットで始めると言う場のアウェイ。

アウェイでも勝つかもしれないし、負けるかもしれない。
でも、サッカーのホームとアウェイの勝率を見ても分かるように、アウェイは圧倒的に不利だ。

そんな負け戦にも思えるアウェイでの戦い。
難しすぎる事に挑むから楽しい。
ガムシャラの中に夢を見れる。

人生なんて予定調和なことをしてることに意味はない。
そして、そんな悠長なことを言っている時間はない。
困難すぎる、答えの見えないことに挑むから楽しい。

と、数年前に茂木さんに言われたことを思い出す日々。
クオリアのように。

送信者 パプアニューギニア2011