「食」カテゴリーアーカイブ

目の前の快楽とすぐに見えない快楽

スマホと読書

エレベーターと階段

スポーツ観戦とロングトレイル

マヨネーズと薄味料理

牛肉と山菜

ついつい目の前の快楽に流される。
遠くにある快楽は、遠ざけてしまう。
いいわけをして、安楽な選択肢を選んでしまう。
自分のせいではなく、他人のせいにして逃げてしまう。

だれしもこんなことがあるのは事実だと思う。
そして、生き物はより楽をして、より大きな果実を得たいものだと思う。

目の前の快楽だけでは、深みのある喜びは味わえない。
一方で、すぐには手の届かない喜びだけを追い求めては、日々の楽しみが減り、なかなかツライ。
その両方を味わえてこそ、素敵な時間を過ごせるんだと思う。
どちらの快楽もあってこそだと思う。

ついつい目の前の快楽に走りがちだ。
目の前の快楽はほかっておいてもやるんだから、あえてすぐに見えない快楽をチョイスし続けて、深い喜びの世界に踏み入れるのがいい。

送信者 鎌倉070212

腰を落ち着けて食べる行為

腰を落ち着けて食べることは、戦闘意識を欠落させる。
さらに満腹感も戦闘意識を欠落させる。

少し前のこと、山へ走りに行く前に、朝飯を店でゆっくり食った。
荷物も全て持って、駅の近くだったのに、やる気を失った。
トレランに行く気をなくした。

その時、気づいた。
腰を落ち着けて食べることは、戦闘意識を欠落させる。

ってことは、トレラン中も腰を降ろしてゆっくり食べると次の戦う気持が萎える。
さらに、満腹まで食べずに、少し足りないぐらいが戦闘意識も維持できて、食べ過ぎで腹が痛くなることもなくていい。

逆に言えば、腰を落ち着けて食べるという行為は安らぎであり、心地よいことだということ。
満腹に満たされることも同様なんだろう。

逆説的だが、腰を落ち着けて食べることの大切さも感じた。
可能な限り、腰を落ち着けて、満たされる食事をする機会を多くしたい。

送信者

想像を遥かに越えたおもてなしに満たされた奥久慈トレイル 

ということで、久しぶりのレース。かなりハードと言う噂だけは以前からきいていたが、今までは出ていなかった。今回はTEAM JAPONの友達に誘われて参戦。

送信者 sports

奥久慈トレイル50kという名前だが実際は62キロあると知ったのは、レース前日ぐらいwどんなコースかも調べず、オフィシャルツアーに申し込み集合場所と時間だけ調べてレッツゴー。オフィシャルツアーは何かと無駄が多いので微妙だったが、帰りのバスは楽だった。

前日に受付会場兼ゴール地点につくとけっこう寒い。風も吹いて。。。東京とは気温が違った。5時30分の競技説明まで時間があったので、ノートPCを広げて竜神大吊橋を眺めながらカタカタと。前夜祭は地元の方が用意してくれた、焼き肉、鮎、そば、唐揚げ、チキン、漬け物などなどをいただくなかなか素敵な前夜祭。やっぱりトレランは田舎でやるんだから、地元の食材を地元の人が振る舞ってくれるといい。

バスで宿に移動して、準備をして寝た。翌朝は3時起き。迎えのバスは4時15分なんだからギリギリまで寝ていたかったが、相部屋の方々がゴソゴソ。オフィシャルツアーで来る人は真面目なんだろう。

朝に、バスでスタート地点に移動。スタート地点でTEAM JAPONの二人と合流。

送信者 sports

袋田の滝を見れたり、観光もできるコース。ただ前半の登りはかなりの渋滞。。。一方で、最初はかなりのゆっくりペースだったから、最後まで足がもったかも。地元のおもてなしがスゴくて、私設エイドでは、いろいろな地元の食べ物をいただいた。

送信者 sports

東北の山のように、けっこう山深いなーとおもったのと、新緑が綺麗だった。そして、神流トレイルレースに似た感じがした。後半コースは川を渡ったり、倒木だらけのトレイルとか、崩れているようなトレイルとか、なんだかワイルドな感じが楽しかった。整ったトレイルよりもワクワクする。後半20キロぐらいはひたすら登り、下り、登りの連続で、耐え忍ぶ時間が続いたけれど、男体山頂上からの景色は最高だった。これは、元気をくれた。

送信者 sports
送信者 sports
送信者 sports

◆今回学んだこと
丁寧にやさしく走る。どしどし足を置かない。
リズミカルに走る。
背筋を伸ばして、姿勢よく。
足をけり上げすぎず、すり足走法。
急な登りでは、膝を手で押しながら。(膝がブレない)
無理なスピードは出さない。
前半ゆっくりめで入る。
入念なストレッチ、左膝外側のストレッチは左足を後ろに、右足が前に来るようにクロス。腰を少し曲げて、尻をつきだして外に突き上げるように。息を止めずに10呼吸ぐらい
大きめサイズの靴27とかハーフサイズ大きめ。足が痛くならない。

これら今回学んだことをすると、筋肉や間接のダメージが少ない。
PTLのように長い期間の場合は、ダメージを最小限にして翌日を迎えるのが重要なんで役立つノウハウ。

奥久慈トレイル 
天気;晴れ
距離:62キロぐらい
ゼッケン:367
タイム:11時間48分38秒
総合順位:124位
2013年6月2日

肉体性と性格と生み出すもの

先週、芸大時代の友達の植田さんのアニメーションの個展に行った。
1年間RISE GALLERYで続いていた、一連の展示も今回が最後。それと、ずっとアニメーションを作りたいと話していた植田さんのアニメーション展示ということで。

植田工 個展 
「背景が人物より近くへ 人物がより遠くの風景へ」

胸に釘の刺さった少年のアニメーション。かわいらしいんだけど、なんとも物悲しさを抱え、やるせなさが伝わってくるような少年。なんだか重松清さんの小説の空気感に通じるものを感じた。

そこで、植田さんと話していた。この少年のラインがやわらかくて、植田さんの体のようだと。すると、昔は陸上の長距離の選手をやっていて、体が引き締まっていたとか。その当時も絵は描いていたけれど、その時は硬い線しかかけなかったとか。人間の肉体性と作品は似てくると。

なんだか、そうなんだろうと思う。精神と肉体はかなり強い関係性にある。肉体が元気であれば精神も元気であることが多い。逆に言えば、精神が弱った時に、たくさん食べたり適度に運動すれば精神も元気に戻る可能性が高い。

精神というものは、人間と言う肉体の上にのっかっているものだし、その人から生み出されるものは頭でなにか処理が行われ、そのイメージを肉体を通して自分の肉体の外に出す。だから、肉体と性格(精神)とアウトプットはやはり強く関係するのだろう。

勝手なイメージだけど、長距離向き、すなわち遅筋の人はおだやかな気がするし、短距離向き、すなわちソッキン(早筋)の人は短気なのかな。

まあ、それよりも芸大に通った2年間があったからこそ、あれから10年たってもこうして友達の作品を見に行ったり、友達の作品の変化を味わわせてもらえるのはありがたい。

そして、今年も夏の長野へ行くことに。もう、何年目だろうか。あの青い空が楽しみだ。

送信者 記録

30年を振り返る。そして、これからの30年

未来は分からなくても、自分がやってきたことは分かる。
過去も未来もない、あるのは今、この瞬間だけ。

そんな風な考え方な自分ですが、ついに30になったらしいです。
その実感は全くなく、なんだかバタバタしているうちになっていたっぽいです。
正直、こんな風に迎えるとは思っていませんでしたが、まあ、これはこれでありなんだろうと思う今です。

で、せっかくなんで、これまでの30年とこれからの30年を記しておこうと思う。

◆小学校時代
 ゲームも漫画も読まない小学生。
 田んぼでサッカーをして遊んでいたけれど、運動は苦手だった。
 勉強はできる方で、困ることはなかった。
 けん玉をやった。けん玉は面白く、ハマった。没頭できる遊びだった。
 当時はたぶん優等生なのだが、自分の信念に反することは誰がなんと言おうとゆずらなかったと思う。

◆中学時代
 人生で最も記憶に残っていない時代。
 水泳部に入ったが幽霊だった。
 高校入試のために塾に通って勉強した。
 優秀な人に出会い、自分は馬鹿だと知った。
 自分がたいしたことないと気づけたのは、とても貴重で今にもいきている経験。
 インターネットを初めて、この世界は面白いと感じた。
 当時から日経新聞を読んでいて、世の中のことに興味があたし世界を作り上げることに興味があった。

◆高校時代
 ディベート部
 世界が広がった。
 視界がフラットになり、広がった。
 こんな見方があるのかと。
 プレッシャーに負け、胃潰瘍になった。
 こんなぐらいで胃潰瘍じゃまずいと、性格を変えた。
 死なないんだから大丈夫、気にすることはないと。
 ディベートの大会で何度も夜行列車で東京へ
 全国大会でも優勝したディベートの仲間は個性的だったが、強い絆。
 東京や海外への憧れがあった。たぶんそれはコンプレックスや夢を見ていたんだと思う。
 ITの次ぎにくるのは人工知能だと確信した。
 しかし、自分の能力の足りなさと、慶應SFCにオープンキャンパスに行き、ここを第1志望にした。
 AO入試で受かると思い込んでいたら、まさか落ちた。ショック。挫折だったと思う。

◆大学1、2年
 慶應の経済に受かり、一人暮らし。
 とにかく東京に行きたい気持が強かった。憧れだった。
 趣味もなく、物足りない日々。
 とりあえず色々なことに首を突っ込んでいった。
 ディベート組織の運営、サークルも少し、バイトも少し。
 そして、大学の親友のインド旅行に刺激を受け、旅に出会う。国内外を1人で。
 旅との出会いは大学で同じ暮らすになった親友2人の影響。
 1人で考え事ばかりしていた。自分の哲学、真理を求めていた。
 それを記録しておこうと、ブログを始めた。

◆大学3、4年
 旅をした。
 もっともっと広い世界を見て、自分で経験して、感じたかった。
 友達と会社をやった。
 東京芸大に通いはじめた
 地域活性のNPOをやった 
 会社をやった友達からは、商売の種を見つけ、どんなピンチでも何としてでも解決する方法を見つけることを学んだ。
 芸大の友達からは、たった1本の線だけれども精度を高く描くことの大変さ、美しさ、自分の沸き上がるものを表現するということを。
 そして、茂木さんと言う師匠と思える人にであえて、うれしかった。
 岐阜つながりの仲間からは地域を愛し、土地に根付いて生きていくことを、
 そして、旅で出会った多くの人からは、価値観の多様性、そしていろんな人生があって、それでいいということを教えてもらった。
 海外を1人で長旅をすると、日本語が恋しくなり本を読みはじめた。
 旅行のエッセイや冒険ものが多かった。中でも植村直巳さん、星野道夫さんは圧倒的な存在となった。

◆社会人1~3年
 大きな組織で働きはじめた。
 分からないことばかりだったので仕事メイン。
 仕事ばかりに捕われているつもりはなかったが、振り返るとそうだった。
 うまくいくことよりも、うまくいかないことの方が多かった。
 ただ、同期の仲間に恵まれた。
 もともと旅しか趣味がなかった。でも、旅をすることを忘れていた。余裕がなかったのかもしれない。
 趣味もない。
 何をやろうか。楽器がいいか、陶芸がいいか、鳥人間コンテストにも出たい、絵も描きたい。
 結局は写真を始めた。
 旅で撮った写真の個展をひらいた。
 素敵な文章も残したいと、大好きな旅雑誌のcoyote編集長のクリエイティブライティングの講座に通った。

◆社会人3~5年
 仕事にも慣れた。
 阿佐ヶ谷という町に引っ越した。
 旅の仲間が多く住む町で、平日の夜もご飯を食べたり飲んだり、語り合った。
 まるで、昔の苦学生のような生活。
 走りはじめた。
 水泳を始めた。
 山を登りはじめた。
 山を走りはじめた。
 トライアスロンも始めた。
 そして、旅を再び。
 日本の島を中心に、海外一人旅も。
 自分の価値観や人生観など、核となるものが定まってきた。
 アミニズムと言うか、自然であること。それがベースとなった。

◆社会人6~7年
 山を走ることがメインになった。
 はまった。
 徹底的にやった。
 山を走る仲間が増えて、遠くまで遠征した。
 ついに、モンブランまで走りに行った。
 素敵な仲間と最高に楽しい時間を過ごした。
 そして、今年はPTLという大きなチャレンジを控えている。
 山を走るのは好きだが、更なる高見に挑戦するトレランはPTLが最後になるだろう。
 そして、また仕事が盛り上がってきた。
 
過去を振り返るとこんな感じ。
こんな人生を歩んできて、これから30年をどうやって生きるか。

◆30代前半
 今の仕事で全力を出し切って勝負したい。
 仕事に感情をすこし持ち込みたい。
 もっと自然から知恵を得たい。
 ちょと長めに海外を旅したい。
 多様な価値観、人々に合い、自分目線を捨てて向き合いたい。
 

◆30代後半
 自分の意志と行動で飯を食っていけるようになりたい。
 本当に尊敬し、信じ合える仲間と仕事をし、周りの人々に意味あるものを提供したい。
 子育てをしてみたい。

◆40代
 より自然に近い場所で生活していたい。
 20代と変わらない好奇心をもっていたい。
 そして、新しいことにチャレンジし続けていたい。
 自分で家を建てたい。

◆50代
 自分の今までの経験や考えなどを体系化して、伝えられるようになりたい。それは概念、学問、テラマチ版人類学っぽいもの。
 自然学校をやりたい。
 実践者、挑戦者であり続けたい。
 次の世代に残したいものがある。

◆60代
悟りというものがあるか分からないが、その境地に達したい。
仏教について深く知り、その教えを心と行動で実践したい。
 悟りとはまた別で、お坊さんになっている気がする。
 

◆70代
 お寺なのか自然学校なのか分からないが、子どもや大人が気軽に出入りできる場を作りたい。
 図書館やカフェのように人が気軽に出入りできて、そこに集う老若男女が自然と会話し、何かがうまれてくるような場。

◆80代
 自然な時の流れとともに、安らかに眠りたい。

送信者 ALASKA 2009