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代替物に答えを求めるのをやめようと思う

7,8年ぐらい前に書いてあって、draftのまま放置してあったもの。最近、これについて話したので、ああ、昔書いたなということで、publish.

何をきっかけに、この考え方をするようになったかは覚えていないが、今でも重要な自分の考えの一つ。物事をなーなーで済ませない。ひとつひとつのことで、白黒結果を振り返る。妥協しない姿勢と、結果を正しく評価し、次に活かすには非常に重要な考え方だと思っている。

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代替物に答えを求めるのをやめようと思う。
代替物と言うか、代わりのものごとに逃げ道や答えを求めるのをやめようと思うということだ。

僕の性格上、代わりのもので一時的に解決したと思っても長期的には全く納得できず、より許せないという気持ちが強くなる。
真正面からぶつかり、答えを見つけたい。

例えば、仕事が忙しくて時間もなくて疲れた、だからリフレッシュのために休んで沖縄にという考え。こういった人はよくいるし、俺も似たような発想をすることもある。(最近は、代替物に答えを求めないと決めて習慣化して、7,8年経ったから、こういった発想をすることが非常に少なくなった。)

これはいたって普通の考えで、実際にリフレッシュできて、また仕事をやるパワーも復活する。
コレはコレでいいのだが、僕個人の感情と言う面では納得できない。

この場合だったら、その仕事をやる意味が本当にあるのか。価値ある仕事をして忙しいのか?無駄なことをしていないか?効率的に仕事をする方法はないか?仕事を楽しめていない理由は何か?自分が本当に求めていることなのか、自分がもっとも好きでやりたいことか?

といったことを、自分自身に問う。そして答えを見つける。

こうしたほうが絶対に納得できるし、満たされる。もちろん、かなり大変なことが多いと思うが。
さらに、社会の枠組みの中で上手く生きていくのとは違い、自分に対してシビアにならないといけなく大変だ。

ただ、長期的にはこうした判断をした人生のほうが、納得度が高いと思う。課題(問題)に対して、その原因を特定し、原因が解決されるような解決策を見出し実行することに価値があり、一時しのぎや、他に目を向けて忘れるってような方法には何の価値もない。

他の例でいくと、Aで損したけど(金銭的にでも、時間的にでも)、Bで得したからプラスマイナスゼロでOK。これも同じ、プラスマイナスゼロって考えた時点でAはなぜ損をしたのか、失敗したのかを振り返ることがなくなり、次にいかされない。AとBは独立して考える。Aは失敗したのは事実であり、それは素直に反省する。そして、振り返って改善施策を実行する。Bはうまくいったなら、それ単体で喜ぶ。上手くいった理由も振り返る。

とりあえず、その場しのぎではなく、真の答えを常に求めたい。それが、より良く生きるために重要なことだと思う。せこい生き方ではなく、真正面から全ての課題に取り組むという生き方。

文法を無視する性格であることの背景

Just watch out for grammar mistakes.

こんなような指摘をよくうける。文法に気をつけろと。
確かに、俺は文法を無視する。

そういえば、スペイン語も男性名詞とか女性名詞とか全く覚える気がなかった。

日本語だと、意識的に学んでおらず感覚で意味を把握している。だから、意識していなかったが俺の言葉は間違っていることが多々あるっぽい。というか、エレベーターとエスカレーターは未だに分からないし、&は逆向きにしかまだ書けないし、

そういえば、幼稚園の頃だったか自分で言葉を作って、それを話していた記憶がある。人には伝わらないのだが、俺だけはわかっていた。まあ、当たり前だw

確かに正しい文法の英語を話したり、日本語を話したほうが、信頼されるし、この人はしっかりした大人だと判断される。確かに、そうだ。一方で、あまりそういったことに興味が無い。

細かいことに興味が無い。全体として、どうなのかということがわかったり伝わればいいと思っている。もっと言うと、自分が理解したいという欲求が強い方で、周囲に的確に伝えるという意志があまりない。そのために、語彙のチョイスなどが適当になっている。

まあ、大雑把な性格ということだw

というのも、昨日はインド人と話したら、巻き舌でインド人英語だと感じ、今朝はメキシコのてきとーな兄ちゃんで、文法間違いまくりwでも、彼は20年もアメリカに住んでいたらしい。面白いな―と思い、こんなエントリー。

ソラへ、ワクワク。宇宙を撮りたい、風船で。

おとなになって、子供のようにはしゃぐこと。
主に社会の目によって、そんなことがなくなる。

あの人ちょっとおかしいという社会の目。(周りの人に変なふうに見られないようにしなければならないという社会の目)
もうひとつは、いろいろな困難を経験して、夢を実現することは難しいと知る、社会の目(社会の厳しさを知るという意味での社会の目)

まあ、ある程度は重要なのだが、それに振り回されすぎると人生を謳歌できない。自分の人生なのに、自分の人生じゃなくなってしまう。

俺の場合は、旅やアウトドアというものに出会って、社会の目の外に出るということを知った。海外に行けば知り合いもいないし、文化も違うからひとつめの社会の目は気にしなくていい。さらに、アウトドアは未経験だったし、困難もあるけれど、できないことを純粋にクリアして夢を追いかけることができた。もともと得意だったり仕事だったり、プライドがあることだとふたつ目の社会の目ってのがあってできなかったかもしれない。

そんなふうに思う。

岩谷圭介さんが情熱大陸で取り上げられていた。数年前に初日の出を宇宙から撮影した時も話題になっていた方だ。個人的にも宇宙には興味が非常にあり、なんどかウェブで拝見していた。そして、海外でもJP aero spaceなどのプロジェクトがあって、それもウォッチしたり。

今回、情熱大陸を見て、さっそく岩谷圭介さんの本、宇宙を撮りたい、風船で。を読んでみた。つくづく思うのが、まずはやってみること。そして、試行錯誤すること。諦めないこと。やりたいことは徹底的に周りに話すこと。すると、いろいろな人やアイディアがつながって、夢に近づくこと。いつも思っているし、当たり前だし、出来る限り俺もそんな風に動いているけど、その大切さを改めて思った。

それにしても、自分で作ったものが、自分の手から飛び立って宇宙に行って帰ってくる。ロマンだよな。そして、本当に美しい世界を見せてくれる。双眼鏡で見る行為と体験的には近い気がする。ちょっと便利なツールを使っているけれど、自分の目を通して宇宙を見ているような。自分の分身が宇宙に出かけてきてくれたような。いろいろノウハウものっているし、岩谷さんのサイトにも飛ばし方が載っているのでやってみたいなーと思う。

読み終えて強く思うこと。日々の生活で埋もれていることが、見えることに夢がある。見えない世界を見てみたい。この気持が全てのはじまりなんだな。

送信者 art

ふうせん宇宙撮影
岩谷圭介さん

トップページ

アメリカだとこんな風にやってる。
http://www.jpaerospace.com

記憶に残った言葉

P7
本当に些細なことでも、「やってみる」から、はじめてみる。すると、何かが変わっていくと思うのです。そうすれば、宇宙ですら、手を伸ばせば触れることができるかもしれないのです。
まずは、「やってみる」から、はじめよう。
これが夢を追いかける合言葉なのかもしれません。

P23

自分の手から放たれて飛んで行くというのも、風船の特徴です。自分と地上と雲と宇宙が連続的に体験できるのです。
宇宙と地球と自分とーーー。風船によって、宇宙という非現実の世界だと思っていたものが、実は自分のすぐそこにある場所であること。

P27
商品は買うことで、使うことができます。単にお金を出すだけでいいのです。そこに創意や工夫はいりません。そんなことにならされてしまっていると感じるのです。
たとえば、スキーがやりたい。けれど、スキー板がない、お金がない。中略 お金を稼ごう、バイトしよう、と発想してしまいます。中略 明治時代の開拓当時、中略 木を削って作られているのです。なんだはじめのスキー板はこんなものだったのか、これなら作れそうだ、と思うのです。

P28
僕達の身の回りにあるすべてのものは、もともとは商品ではありませんでした。誰かが考えて、ハリボテのような試作品から、改良されて進化して、便利な商品になっていったのです。生まれてからずっと、便利で進化した製品に囲まれていると、商品を与えられることに慣れてしまっていて、自分の力でなんとかやってみようという発想を忘れてしまっていることに、たびたび気づかされます。

P36
失敗には取り返すことのできるものと、できないものがあると思っています。
お金の損失は取り返すことができる失敗です。お金をかければ済むことです。しかし、命に関わる失敗や体が不自由になる失敗は取り返すことができない失敗です。

P49
自分のもやもやと持っていた夢らしきものを、どうにか形にすることで、将来、自分のものに落としこんだり、掴むことができるようになります。
その険しい段階を試行錯誤していくことの大切さを、知ってもらいたいのです。

P70
お金に縛られることから解放されるには、循環、つまり、消費のサイクルを管理することが大事だと思いました。
そこで僕は、大学を出てからも大学生の頃と同じ生活費でずっと生活を続ける努力をしてみました。社会人になっても生活のレベルを変えず生活すると、収入は増えますが出て行くお金は変わりません。そのためお金はそれほどなくても、お金のために働かなくては!という状況から脱することができ、結果として自分がしたいことをする時間を増やすことができたのです。

P76
風船が空に向かって飛んで行く速度は、僕らのこぐ自転車と同じくらいです。
中略
こののんびりした速度で、自分の手から離れた風船が、少しずつ宇宙に近づいていく。それを感じることで、身近な風船を通して、宇宙に行くということ、風船でも行けるくらい宇宙が近いのだということ、そして、”等身大の地球と宇宙と人間”が見えるのではないかと思うのです。
そこから何かを受け止め、考えるのはそれぞれ、いろいろです。

P83
自分がどんなにすごい夢を見ていて、それがいかに魅力的なものだと思っても、まずどんな形でもやってみないと、人の心には届かず、ついてきてくれないのです。
失敗してもチャレンジして、また失敗してもまたチャレンジしてを繰り返していると、人の子ことに響き、やがてついてきてくれるようになるのだということを、この活動を通して僕はほんとうによくわかりました。

P88
秘密にしているより、公開することでたくさんの人達とつながっていくことができ、結果的に新しいフィードバックがどんどん増えるからです。そして、自分だけの力でしか見えなかった世界がどんどん広がっていくんです。
広がっていく世界は、自分で秘密にして抱え込んでいる世界よりじっと魅力的です。

P117
失敗は、自分のダメだった部分と向き合わなくてはなりません。自分の足りなかった部分と、真摯に向き合うための機会をもらえます。ですから、まぐれの成功より、失敗のほうがいいものだと思うのです。

P148
文字がないので、どうしてその作業をしなくてはいけないのかを考えてもらうことができるのです。何を目的に作業するのか、その作業が何に繋がるのかを考えてもらうためには、言語は不要だったのです。

冬の訪れを感じる凛とした空気の仙丈ヶ岳

体育の日3連休

晴れの特異日のはずが、中日が全国的に雨。初日か最終日が雨ならまだ休みを有効に使えるのだが、中日が雨だとプランニングしづらい。直前まで天気予報を見て、晴れ、すくなくとも曇りで雨が降らないエリアを探したがない。

土曜の新宿発ムーンライト信州の指定席券だけ購入。白馬行きだから北アルプスにもいけるし、甲府で降りれば南アルプスも行けるので。そして、指定席券520円なので、もし行かなくても損はたいしてしない。結局、仙丈ヶ岳あたりに行くことにした。アクセスがちょっと不便で行ったことがなかったのと、運良く日曜も晴れてれば朝から仙丈ヶ岳に登り、両俣小屋まで行き、月曜に北岳方面に降りようと思った。天気予報通り日曜は昼すぎまで雨なら、甲斐駒ケ岳にサクッと登り、月曜に仙丈ヶ岳に登ろうと。その場合は、北沢峠にテント。

と、夜中の2時30分ぐらいに甲府駅に到着。外は雨。すでに。。。甲府駅発のバスが4時30分ぐらい発なので、甲府駅で野宿。ちょっと寒いので、ダウンの上下を着て、ベンチで横になる。駅前のファミマで食料を買って、真っ暗な甲府駅をバスは出発。広河原に6時30分頃に到着。もちろん、ここでも雨。待合所でレインウェアを着る。そして、北沢峠行きのバスに乗って30分ほどで到着。やっぱり雨。それも、小雨の予報だったが、しっかりと降っている。もちろん登山はやめて、北沢峠にテントをはる。雨の中テント張るのも濡れるしやだなーと思いながら、テキパキと。

テントの中をタオルで拭いて、すこしばかり快適にしてから、寝た。やることないのでw

12時前に目を覚ますと、雨は止んでいた。どんよりした曇だったが。午後は曇りという予報だったし、雨はふらないかなと思い、トレランザックに荷物を入れて甲斐駒ケ岳へ。甲斐駒ケ岳はすでに行ったことがあるし、暇つぶし程度に。まあ、曇で景色が見えないし、稜線に出ると風が強いのなんのって。せっかくだし頂上まで行こうと思ったが、まあいっかとおもって下山した。

送信者 仙丈ヶ岳2015

テントでやることないし、寝れないし。ということで、山野井泰史さんの本を読む。山で山の本を読む。熱中して読んでいたら、一気に読み終わりちょうど5時過ぎ。そろそろ食事を作って食べないと暗くなってしまう。毎度のことだが、野菜にキムチにラーメン。体が温まるし、コンビニで全て揃うし、準備がいらないし、これがいいのだ。

送信者 仙丈ヶ岳2015

そして、真っ暗になり、シュラフに潜り込む。モンベルの0度までOKなシュラフとSOL(Survive Outdoor longer)の何度も使える筒状のエマージェンシーシートをカバー代わりに。ダウンにフリースにと着込んで寝たがそれでも寒かった。この日、富士山で初冠雪だったらしいし、やはり相当冷え込んだのだろう。途中でホッカイロも投入した。この時期は、モンベルのexpeditionのシュラフがいいなと痛感。かさばるが、快適な方を選びたい性格なのだ。

朝の4時30分に目がさめてしまいテントを開ける。真っ暗だが、天気が気になるのだ。空を見上げると満天の星空。ホッとした。これで明日は晴れる。うっすらと明るくなったので、温かいミルクティーを飲む。そしてパンを食べる。荷物をある程度片付けて、テントはそのままで出発。

送信者 仙丈ヶ岳2015

最高の青空。昨日は何も見えなかったが、テント場からは紅葉の山と甲斐駒ケ岳が見える最高のスポットだった。てくてくと登山開始。樹林帯を抜けると、青空!そして、山、山。気持ちいい。富士山もすぐ近くに見える。これが好きなんだなーと空気を吸い込んで歩く。人も少ないし、静かだ。風も強くなく、空気は凛としている。紅葉の木々もありながら、2700メートルを超えると3センチぐらいの新雪が積もっていた。夏には感じられない、このひんやりとした張り詰めた空気。自分の身も引き締まるし、好きな季節だ。

送信者 仙丈ヶ岳2015

グリップのよいシューズを履いてきてよかった。まあ、新雪だし滑ることはないが、もう夏山は終わって冬が来るのだなと実感した。小仙丈ヶ岳を超えて、仙丈ヶ岳の頂上に。ぐるっと360度のナイスビュー。のんびり、おにぎりを食べて、下山。行きとは異なるルートが良くて、仙丈小屋、馬の背ヒュッテ方面へ。こちらのルートはほとんど雪がなかった。そして、カールが美しく見上げれる景色。登りのルートは北岳や甲斐駒ケ岳などを見ながらの華やかなルートだったが、こっちは地味なルート。でも、この地味な景色がまたいいのだ。しみじみといい山だなと感じられる景色。

送信者 仙丈ヶ岳2015
送信者 仙丈ヶ岳2015
送信者 仙丈ヶ岳2015

薮沢から大平山荘方面へと行き、仙丈ヶ岳を折り返してぐるっと1週のルート。薮沢からは甲斐駒ケ岳がズドーンと目の前に。この景色は圧巻。そして、北沢峠に戻ると、テントを乾かしてから片付けることにした。家に帰ってからテントやシュラフを干すのがめんどくさいから。昨日の雨でいろいろ湿っているので、徹底的に乾かすことに。1時間ぐらい干して、片付けてを行って、宿題を早々に片付けた感じで気分もすっきり。

送信者 仙丈ヶ岳2015

広河原へのバスに乗るため、バスのりばで待っていると、歩いてくる人が。あれ、池さん。偶然にも友達が一人で歩いてきた。こんなところで会うとは。車できて甲斐駒ケ岳に登ってたらしい。お互い一人だったので、帰りは広河原から芦安駐車場までバスで行き、温泉に入り来るまで送ってもらった。

送信者 仙丈ヶ岳2015

視点を変える価値

先日、キリアンがウルトラピレネーのレースで動画を撮りながら走った映像が公開されていた。
世界一のトレイルランナーだけしか見れなかった視点を世界の人が見れる。重力がないかのように走る視線、キリアンだけが得られる多くの人からの声援・賞賛。

マムートの360というプロジェクトで、アイガー北壁を登るクライマーの背中に360度撮影のカメラを搭載して撮影した映像も公開されていた。この臨場感も、ただものではなかった。

リコーのシータは全天を写す。
Googleストリートビューも。
GoProも。
ドローンだってそう。

カメラは今までもあったが、その見せ方、撮り方が変わっただけ。しかし、それが価値。

視点が変わると全く違う世界が見れる。新たな価値に気づく。そうすると、新たな活用方法が見いだされ、新たなビジネスが生み出される。実は、今までもあったものでも、見せ方を変える、見方を変える、使い方を変えるだけで世界は一変するのだなと、つくづく思う。

ふと、マムートの映像やキリアンが撮影した映像を見ると臨場感を感じ、バーチャルリアリティの世界も近づいたのかなと思う。技術的に進歩したり、より通常の人間と同じ視点に近づくバーチャルリアリティ。そして、こうした映像を何度も見てその経験を重ねていくとバーチャルリアリティが人間の中で一般化して、バーチャルリアリティが生々しさを持つようになる。そうして、スタンダードになりそうな予感がしてきた。

何が言いたいかって、バーチャルリアリティの技術の発展だけではなく、人間がバーチャルリアリティを何度も体験していくと、人間の脳や感覚がバーチャルリアリティに合わせていく、そうして、バーチャルリアリティをより生々しく人間が感じるようになるんだなってこと。

いつかはバーチャルリアリティが、一般人の生活に入り込んでくると思っていたけど、ふとそれも近いなと感じたのだ。オキュラスとかも、10年後とか当たり前のように普及してるんだろうなーと思う。

いきなりバーチャルリアリティに話が飛んだが、完全に作られたバーチャルリアリティとこうした人が撮った異なる視点の映像は、大きく異なる点がある。

以前ブログで、友達の撮った写真は身近に感じると書いたことがある。同じ場所を撮影した写真でも、自分がとったもの、友達が撮ったもの、知らない誰かが撮ったものだと、全然感情の入り方も違うし、頭に描くイメージも違う。あくまで、写真を見ていても、実際に見ているのはその写真を元に作り出された自分の中のイメージであるためだ。

こうした人間の慣れや人間の感情をうまく活用しながら、技術は人々に馴染んでいくのだろう。

http://project360.mammut.ch

身近なこと、人の目線(street view)

http://www.teratown.com/blog/archives/001538.html