ヤビツ峠

丹沢には何度も行ってるが、ヤビツ峠ははじめて。

ヤビツ峠といえば、ロードバイクのヒルクライム練習という印象だった。

ロードの坂道なんて走るの嫌いだし、あえて行くこともしない。

が、午後から近くで予定があり、4人で走った。

最近走ってないので、ノロノロだが、セブンイレブンのある名古木交差点からヤビツ峠まで1時間22分ほど。そこから、そのまま6キロ下って、またヤビツをまで登り返し、ヤビツ峠からトレイルへ。蓑毛にでてまたロード。

往復4時間。もう来ない気がするけど、足にはいい刺激だった。ロードでも山の近くだし、運動自体は気持ち良く、心にも良いので、今年は月1くらいはこれぐらいの強度の運動したいなと思う。

たまごの味噌汁

食へのこだわりはあまりなく、仕事の合間のランチは毎日同じものだったりする

料理を作ることはよくするが、食べるのが好きというより実験的な意味合いで楽しんでいたりする

そんな風な気持ちで料理を作っているのだが、たまにおいしいねと言われると嬉しい

が、正直、普通の人と比べると褒められても喜びが相当少ない方だと思う。

そんな僕が言われて嬉しかった、印象に残ったことがあった

奥さんに、たまに作るたまご入りの味噌汁好きだわぁ、と言われたこのひと言だ。

奥さんに言われたからとか、頑張って作ったからとか、手の込んだ料理だからというわけではない。

僕が小さい頃、料理はいつも母が作ってくれていた。

でも、なんの理由だったか覚えてないが、母が不在で父が料理を作ってくれたことがある。

当時、父はそんなに料理が得意なタイプではなかったと思う。メインの料理も覚えてない。

でも、作ってくれた味噌汁が印象に残っているのだ。

普通の味噌汁にたまごを落としただけなのだが、普段の味噌汁と違って、少し豪華な感じがして味に深みが出ていたのだ。

当時はおいしいなぐらいしか思わなかったが、記憶にはしっかり残っていた。

なぜ父がたまごを入れたか分からない。

料理が得意じゃないし、品数をたくさん作らないから、豪華に見えるように、満足度が高くなるようにと考えてくれたんじゃないかと、勝手に思っている

そんなたまご味噌汁を僕が作ったのは、子どもができてからだ

うちの子は好き嫌いが多いから、なかなか野菜などを食べない

あの手この手で工夫している

そんな時に、たまご味噌汁を思い出して

これなら飲んでくれるかなと思って作ったのがきっかけで、たまに作るようになった

実際はたまご味噌汁だからといってうちの子は飲んでくれない

でも、自分が作った料理のなかで、自分の子供にもそんな思い出に残る味が1つでもできたらなと思う

設計思想の大切さ

パソコンが遅くなったので買い換えようとしたが、タブレットで代用するという話も最近聞くのでiPadを買い、薄いキーボードとケースを買い、タッチペンも買った。

ディスプレイを斜めに設置できるケース?カバーなので見た目はほぼノートパソコン

しかし、不便で使えなかった。

スマホだとそんなに不便を感じない。

違いは何か。

それはスマホの機能を経験的に分かっていて、それの範囲内で無意識的に使っているから。スマホに期待していることは、そもそもスマホで出来ることのみ。

ノートパソコン代わりと思ってタブレットを使うと、不便に感じるのだ。

特にマウスのクリック、ドラッグアンドドロップ、そしてアプリだと機能制限があり不便と言ったところ。

もともと、タブレットはタブレットとして使われる想定で設計されているから当たり前なんだが。

だからこそ、物を作るときの設計思想はプロダクトを左右するから大切だなと改めて。

近くに住むこと

インターネットや交通手段の発達で、距離は関係なくなったという側面がある。

実際に、比較的どこにいても仕事はできるし、遠く離れていてもリアルタイムにビデオチャットが無料でできる。

海外に行くというのも、ネットで航空券を予約して、スマホだけあれば両替すらいらない時代。

でも、地理的に近くに住むことって、やっぱり重要だなともう。

ネットでいくらでもコミュニケーションは取れるが、近くに住むことでできることがある。

それは、人と人が近くに住むというのもそうだし、自然にしろ、都市にしろ、そういった場所と近くに住むということも。

どこに住むかによって、人間の行動が変わる。

人と人のつながりが生まれて、新たな展開へと広がりを見せる。

自分の住む場所で、そういったコミュニティとの関わりがかわる。

子供がいると、子供を連れて近所でいろんな遊びができる場、つながりがあるといいのになって思う。

子供を持つ仲の良い友達同士で近所に住んじゃえば、いいのにと昔から思うのだが、意外とみんなそうならないのは、大人の事情がいろいろあるんだろうか?

自分の原体験としては、阿佐ヶ谷という街や芸大に行ってた頃の日暮里が良いコミュニティで、どんどん繋がりが広がっていったから、あれのファミリー版が実現できるといいなと思うのである。

砧公園とか羽根木公園とか近くにあるから、そういったゆるいコミュニティってないかな。

2019を振り返る

2020年になった。
ということで、19年を振り返る。ついでに、2010年代も。

2009年末と言うと、アラスカにいた。

アラスカへの強い思いというのは今考えると異常なほどで、やっとアラスカに行く気持ちになれたから行ったという感じだった。

その前後はトレランや登山、旅などよくしていた。

それから10年。

そのさらに10年前というと、16歳とかだから高校生になったばかりか。

1999年からの10年間は高校生から、大学生で一人暮らし、社会人だったので生活の変化という意味では非常に大きく、2010年代はもう少し変化という意味ではマイルドだったかも。

とはいえ、結婚して、子供が生まれたりという点では大きかった。
2010年代は大人になったなという10年。

で、2019年は2010年代をすごくよく締めくくれた。

それは、出来事から振り返ると。

年始はウガンダのルウェンゾリ山登頂

夏には第二子の男の子誕生

冬には上場

これ以上求めて何があるという感じさえする。
確かに、よかった、いろいろ大変なことももちろんあったけれど、よかった。

しかし、この、心にぽっかり空いた穴みたいなものがある感じはなんだろう。なにか物足りない、ハリがない。

まあ、出来事的に満たされているからこその贅沢な悩みなのは間違いない。

その理由は2つだと思っていて、1.情熱の欠如、2.時間のなさ

情熱の欠如はこの数年のことで、いろいろ経験してしまい、新しいことが少なくなったり、新しいことでも想像できるようになった。だから昔みたいに何が何でもやるという衝動が湧き上がりづらくなった。これは、悲しい。

時間のなさは半分言い訳だったり、情熱の欠如に起因することもあるのだが、子供が二人いて共働きだとなかなか時間が取るのが難しい。一人の時間をとるのが難しい。ゆっくり考え事をしたり、一人で走ったり、一人でこもって本や勉強したりという。

これらの理由から、インプットもアウトプットも少なくなっている。だから、明確に衰えているのだ。

ブログを書くことも少なくなっている。

人に会う数も減っている。

これを解決するには、まず、行動だ。行動しなければ情熱は生まれない。やりたいとか知りたいという気持ちもまず動くことから。

・週1運動

・月1アウトドア

・本を月3冊読む

・自分の時間を作って考える

・ブログ・SNSで週1発信する

・2年で英語を本気で習得する

・大学院に行ってみる

何をするかは決めてないけど、まあ、こういった行動を開始してみようと思う。