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時間の変化、人生の変化。原始感覚美術祭2015

東京芸大に通っていたのは10年以上前のこと。
そして、木崎湖に通い始めたのは5年ほど前かな。

大学院の授業に潜り込もう、それも東京芸大という多くの大学とは異なる世界に。今思えば、ちょっと無茶なことをした。まあ、結果的にあの一瞬の判断が、これだけ長く続く関係になるのだから人生のきっかけは面白い。

当時の芸大で一番ぶっ飛んでいたスギさんが、長野の木崎湖周辺で始めた芸術祭。5,6年たち町にも根付いてきたし、多くの作家が参加し、観光客も増えている。続けることの重要性を改めて思う。

いつもの夏に、いつもの場所へ。
木崎湖の周りは、いつ来てものどかで良い風景だ。

でも、変わったなと思う2日間だった。

いつものように、新宿発のあずさに乗り、松本まで。3時間ほどの電車では、久しぶりに会った仲間と盛り上がる。茂木さんの研究室メンバーが中心なので、東京芸大と東工大出身者ばかり。松本につくと、東京と同じように暑く、蕎麦屋へ行き、レンタカーを借りる。1時間ほどドライブして、信濃大町のオープニングイベントで杉原さんに顔を見せ、定宿である稲尾のあたらし屋さんに到着。

今回は茂木さんが遅れてくるのと、幹事役の植田さんが原稿の締め切りに追われていたこともあり、みんな近くをぶらぶらしたり、昼寝したり、買い物行ったり、のんびり気ままな時間。芸術祭を見に来たはずなのに、何も見に行かないw

夜はカレーを作り、だらだらと飲み始める。哲学者の塩谷さんもいらっしゃって、囲炉裏を囲って、ああだこうだと。茂木さんも到着し、再び乾杯。アートや哲学、サイエンスに関して話す姿は同じだけれど、昔みたいにバトルがなくなった。大人になって、受け入れるようになったということなのか。

翌朝、1000年の森へと足を運ぶ。雪解け水が流れる小川でビシャビシャと遊び、パフォーマンスを2つほど見て、いつもの神社へ。今回は、茂木さんと塩谷さんのトークの間に、植田さん、蓮沼さん、杉原さんの芸大3人組の、アートバトル。1時間という制限時間で、作品を作り観客による投票で1位を決めるというもの。

植田さんはマリア様を、蓮沼さんは鳩を、杉原さんはキャンバスを石で殴りつけ、ぶっ壊した。10年以上の付き合いだけれど、3人が同時に作品を作っている姿は初めて見たし、その時の顔の表情は真剣そのものだった。3人共アーティストとして生きているが、顔を見たら改めてアーティストなんだなと妙に納得した。いつもは、飲んで話している位だから。

そして、あたらし屋へ戻って、乾杯をして東京へと戻った。大半のメンバーはもう1泊して、宴会をして東京に戻ってきたはず。今年も夏の儀式が1つ終わったな、と。毎年、これが最後かなと思っているので、また、集まれて嬉しかった。

見ると落ち着く風景になった木崎湖だけど、なんだか今年はいつもとちょっと違う気もした。それは、一言で言うならば「時間は変化だなと、変化は人生だな」と思ったということ。

今年は、東京芸大物語を茂木さんが書いてくれた。あの時代が1つの本という形で記録された。

みんな、いろいろなコンペで賞を取り、日本でも有数の芸術祭に呼ばれたり、連載を持つようになったり、芸術祭の総合アートディレクターとして大きく育てたり。普段の生活でも結婚し、子供を授かり、性格が丸くなっていく。大切な仲間であることは変わりないけれど、それぞれに抱えるものも大きくなってきた。多くの日本人からすると、そうなるのは遅かったかもしれないし、今でも自由なのかもしれない。でも、抱える物が大きくなる経験をし、受け入れるという心が育ってきたのかもしれない。

いつもと同じ木崎湖の風景を眺めながら、ああ、人生って面白い。でも、変わることって、すこし寂しいもんだなと思いながら、夕日に染まる空を眺めながら、この地を後にした。

送信者 原始感覚美術祭2015

手に入りにくいものが宝ものになる。そして手に入りづらさは時によって変わる。世の中が求めるものの大きな潮流

もう10年以上の友達に会いに、先日沖縄に行った。彼とは、10年ぐらい前にイベントで同じテーブルになったのがきっかけで、その後いろんなことをしてきた。3年ほど前に沖縄に引っ越し、そして何度も会いに行っている。

二人で初めて会ったのは、新宿の思い出横丁にある居酒屋。オニオンスラシスというメニューがあった店で飲み、その7,8年後かに再び懐かしいねと、思いで横町で飲んだ記憶を思い出した。

そんな友達に会った沖縄から帰りの飛行機ではミスチルの特集が流れていた。さらに十年前に好きで聞いていた。すなわち20年前。イノセントワールドが流れる。アルバム予約して買ったなとか、プロモーションビデオを録画して見たなとか、ラジオで聞いてたなとか。カセットに録音してたなとか。それが大切で、当時は宝物だったな。と思い出す。

でも、今は思い出だけ。それらのカセットやアルバムは今は、宝物ではない。当時は永遠の宝物だと思ってだけど、宝物は変わりゆく。時を経てその事実を振り返ると、ああ、不思議だな。なんだか、人生というものを考えると、全てがいとおしくなる。

今は音楽はネットで探せば見つかる。ラジオから録音、テレビをビデオ録画、それがMDに変わり、パソコンでダウンロードしてCDに焼いたり、MP3プレイヤーが出て、iPodが出てきた、iTunesで音楽を買ったりyoutubeで聞く時代。そしてLINEmusicやapple musicなど、いつの間にかクラウドで聞く時代。いつでもどこでも手に入る。手に入るというか、所有しない時代。それは、大賛成。

でも、ありふれたものだから、大切な宝物にはなりづらい。音楽の価値が相対的に低下した。もちろん、音楽好きな人にとっては変わらないが、希少性が減り、いつでもどこでも聞けるという意味で、相対的に価値は低下した。

だからこそ、この現代社会はより不便で手に入りにくいものが、僕らの宝物になる。不可逆的な時間、今この瞬間にしかあらわれないもの、写真でも動画でも伝わりにくいもの。偶然の奇跡、自然の奇跡、人間の出会い、努力の結晶、無駄なこと、不便なこと、手で触れること、目で見ること、物語性があるもの。

体験とか、ストーリーとか、ありふれてるけど、不便で、めったに巡り会えない、めったいに手に入りにくいものが大切になる時代。もちろん、ビジネス的にも。不便だけれども、そこにストーリーがあったり、感情移入できるものが存在する何かが宝物になり商品価値がつく。

闘牛を見ても、体験だと思ったな。本気のぶつかり合い。舌だしは、辛い証拠。牛も、はやし立てる男たちもアドレナリンマックスで、戦う。動かない拮抗した戦い。その末の、勝負が決まるドラマ。食い入るように見た!次は徳之島で、闘牛見たくなった。

そして、2年前は小さかったうりちゃんは、大きくなってた。言葉を話すようになって、女の子らしくなっていた。すべては変わる、未来はわからないし、でも、いろんな生き方があり、そこには全て宝物になる種が存在している。
 

本当に価値あるものと市場価値が高いものは反比例すると昔書いたブログ

見えない世界を見る

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

もう10何年前から知っていたが、一度も行ったことがなかった。真っ暗な世界を視覚障害の方のガイドで体験する場。確か、芸大に通っている時に講演に来てくださって、知っていたのだが、なんだか機会がなかった。千駄ヶ谷から少し歩いたところに常設の場ができて数年ほど。R卒業祝いで友達のタクさんの会社のSOWギフトをもらって、その中のひとつがダイアログ・イン・ザ・ダークだったので、予約して行ってきた。

そもそも、暗い場所が好きで、リラックスできるのでお風呂の電気を消して入るのは小学生ぐらいからやっていると思う。そして今も。アウトドアが好きになってからは山とか島に行って夜の自然も好き。静かな暗闇にいると心が安らいで落ち着くのだ。

ガイドである視覚障害の方の最初のインストラクションで、お客さんに不安だと思いますが安心してくださいねという言葉に、ああ、そういう気持ちになる人もいるのかと勉強になった。暗くなると不安という発想が自分の中にはなかったので。

まずは白杖という視覚障害の方が使っている棒をもらって、徐々に暗い部屋へと移っていき、目を慣らす。おお、行き届いたおもてなし。徐々に暗くなっていき、全く何も見えない世界に。おお、真っ暗だ。隣の人も誰も見えない。目を開けていても目を閉じても一緒ですから、頑張って見ようとせず、好きな方でリラックスしてくださいねと。まあ、当たり前なんだが、見えることに慣れているので、ついつい見えないはずなのに見ようと頑張ってしまいそうだった。

6月ということで、梅雨をイメージした部屋があった。地面には土があり、水の音やカエルの鳴き声が聞こえる。縁側に畳。そこに座って、寝転がる。見られていないと思うと、好き勝手な姿勢ができる。気楽だ。逆に視覚って重要なんだなと思う。いろいろと話す。芝生のエリアに座る。

暗い場所にはなれている。風呂とか山とかで、と思っていた。でも、山はなんだかんだ明るい。月とか星とか。風呂は窓がないので、ほぼ完全に暗くなるのだが、狭い。行動範囲が限定的なので、場所も全て覚えているし何の問題もない。広い範囲で、今まで見たことのない場所を完全に暗い場所で歩くとなると、慎重になる。白杖を持って、地面を探りながら。当たる音や反発の度合いでそれが何かを想像しながら。目が見えないから、もっと聴覚とか触覚が敏感になるかと思ったが、それほどでもなかった。

畳に座り、知らない6人が集まった会だったが暗い世界だと会話が弾む。ガイドのユカさんも話がうまいのだが、それだけじゃなく見えないと会話が弾むのは、変なコト言ってしまっても見られていないから恥ずかしく無いという作用があるからなのだろうか。

それから、カフェでビールを飲む。もちろん真っ暗なカフェ。瓶ビールとコップとおつまみが出される。ビールを暗闇でコップに注ぐ。こぼしてしまいそうで、ドキドキするが重さとコップに指を入れて量を判断。けっこうなんとかなるもんだ。

それにしても、視覚障害の方は見えなくてもコップを歩いて運ぶ際に水をこぼさない。平衡感覚が優れていることに驚く。次々と気になることが出てくる。自分が見えない世界を実体験すると、いつも見えない人たちはどんな感覚なのだろうとか。生まれた頃は見えたけどあとから事故などで見えなくなった人と先天的に見えない方との感覚の違いとか。

例えば、見えないから、形とかを立体的に想像する力が長けている?立体の算数のクイズとか得意なのだろうか?とか、聞いてみたが、特別そうじゃないと思うと。ただ、比較したことないので分かりませんと。目の見えない方にとっての色の概念とはなにか?これも、なかなか無茶な質問だった。明るいとか暗いとかそういうイメージは持っていて、それぞれが認知しているっぽかった。

また、顔とか見えないので、声を聞いただけで、イケメンだなともうこともあるのか聞いたら、視覚障害者友達とカフェに行って、声を聞いてイケメンそうだねと話たりするとか。

再び、少し明るい部屋へと移動する。普通の明るさからすると圧倒的に暗い部屋。ぼんやりとしたほのかな明かりがあるだけ。でも、そんな些細な明かりだけでも、真っ暗に慣れていたのですべての物が把握できる。完全に見えないという世界とハッキリではないが少しだけ見える世界。そこには大きな差があるんだなと気づいた。

最後に、ダイアログ・イン・ザ・ダークじゃなくて、ダイアログ・イン・ザ・サイレンスとかダイアログ・イン・ザ・タイムとか色いろあるらしい。面白そう。音のない体験や年をとった体験などなど。そして、聴覚障害の方がダイアログ・イン・ザ・ダークに訪れることもあるという。視覚も聴覚も完全に閉ざされた世界。果たしてどんな世界がそこにはたちあがってくるのだろうか。今回ガイドしてくれてユカさんは、目が見えないから、音がない場所に行く勇気はまだないと話していた。

送信者 記録

【色鮮やかな国へ11】キューバの時間を惜しむように

【色鮮やかな国へ11】場違いに誘われて一人でリゾートへ

朝起きると、眩しいくらいに輝く海と空。さわやかな風が部屋を抜けていく。こういったリゾートはいつも青い空と青い海がある、雨なんてほとんど降らないんだろうなと思いながら、今日この日も晴れてくれたことに感謝しつつ、せっかくだから昼のチェックアウトまでこのリゾートを満喫してやろうと、早速部屋を出る。

送信者 キューバ201503

まずは、朝ごはん。朝もビュッフェスタイル。とりあえず、いろいろな種類を食べまくる。昼ごはんがいらないぐらい食べておこうと笑それから、ビーチへ。カヤックをしたり、ビーチバレーをしたりいろいろと遊んでいる人を見ながら、本を読み音楽を聞く。のんびり読書をするには贅沢だが、2日もいたら十分な性格なのだ。せっかちが故に何かしていないといられない。

送信者 キューバ201503
送信者 キューバ201503

昼も近づき、チェックアウト。タクシーでバスのりばまで行こうと思ったが、時間もあるしこの街も見たいので歩いて行くことに。バラデロのメインストリートはおみやげ屋とホテル、レストラン、たまにレンタサイクルやダイビングショップってな感じ。特におもしろみもないが、ホテルの中と比べると人は少ない。やはり、大きなリゾートホテルで完結して遊ぶスタイルなんだろう。

バスターミナルから再びハバナへ。何度この街に来たのだろう。それだけで無駄だなと思ってしまう性格。バスを降りて歩いていると、音楽が聞こえる。ボロボロの建物の中で地元の人達の演奏会がやっている。プロじゃないかもしれないけれど、こうした人達の歌や踊りは力強い。そして、ハバナの定宿である10クックの超激安宿へ行く。明日の朝の飛行機が早朝でタクシーだから、ここにこれば一緒に行く人に出会えるかもという理由で。偶然にもドミトリーに一人男性がいて、英語で話しかけてきた。彼も翌朝の便で帰るらしく、タクシーで行かないかと。俺はすでにタクシーを予約していたので、5時30分に宿の下だよというと、5時のほうが安全じゃないかと言われ、じゃあ5時に変更するね。20クックだよと話して、時間を変更しにいった。

送信者 キューバ201503

って、実は彼は地球の歩き方を持っており、日本人だと知っていたのだが流暢な英語だし、とりあえず英語でいいかと話したのだった。その後、日本語で旅の話をして、彼はカヨラルゴという島のリゾートに一人でいったらしい。キューバにこの時期来る人は変わっている。彼は医師で病院が変わるタイミングだったとか。その後もずっとキンドルで英語の論文を読んでいた。

送信者 キューバ201503

街にでて歩き、最後のハバナをふらつく。おっちゃんに話しかけられて、モヒートをおごったら1杯5クックと高くてビビったり。この国ではモヒートが高いということを忘れていたwとか、レストランもいまいちいいところがないし、露天のハンバーガーを食べ納め。部屋に戻って、明日も早いしシャワーを浴びて寝ることにした。

東京藝大物語 茂木健一郎とデコボコな仲間たちの青春

一気に読みきった。

後半になるつれ、湧き上がる感情。
芸大という青春が終わりを告げる。

僕にとって、あの2年間は、
ありのままの姿が集まった場所だった。
それは、ひとりひとりの。

もともとこの世界がなんたるかを、本当に知りたくて、人間の意識ってなんだよと19,20歳ぐらいの時にずっと考えていて、行き着いた芸大の大学院のモグリ授業。茂木さんの意識系の本を読み、科学的アプローチとアート的というか感情的な両側からのアプローチや、その問題に対する捉え方、そして同しようもないものを、やさしく包み込む言葉に魅せられたのだ。

それまでは芸術なんて興味もなく、ピカソの絵なんて俺でも描けるぐらいのことを言っていた。芸大には潜ったけれど、意識について学ぶためという気持ちで出向いた。そうしたら、そこは芸大で、油絵科などを中心とした学生さんばかりいた。そんな仲間と時間を過ごしていくうちに、芸術というものにいつもまにか興味を持ち、以前とは全く違う捉え方をするようになっている。

俺は、結局この世界が何たるかを解き明かしたくて、そのためにいろんな経験してきた。でも、振り替えるとそんな方法だっただけで、当時はただ好奇心の赴くままに、いろんなところに飛び込み、いろんなことをしていただけだった。

そうして、21,22歳の2年間を芸大で過ごすことになった。木曜の夕方16時15分だったけかな、16時35分だったかな、いや15時だったかもしれない。その時間になると、決まって上野の東京芸大のキャンパスへと歩いて行った。

一番最初の日だけは明確に覚えている。上野のキャンパスに行き、ウェブで調べた時間に調べた教室へ行く。扉を開けると、えっ。この教室、小学校の半分サイズじゃん。2,3人が座っていた。これは、モグリがバレる。そうおもって、階段を降りて、キャンパスをあとにした。色々考えながら歩いていると、潜っているのがバレても、殺されるわけでもないし、ダメだったら帰るだけ。そう思って、再びキャンパスに戻り、階段を戻って着席したことを覚えている。そんな授業で、一番最初に指名されて発言を求められるなんて、思ってもいなかったけどモグリなんですがと話し始めたら、なんの問題もないよという感じで快く受け入れてくれた。これが、芸大の自由さであり、芸大の懐の広さであり、芸術が生まれる土壌であり、これが芸大なんだとその時痛感した。

アートなんて全く関係なかったのに、潜っていた2年。茂木さんの講義を元にディスカッションしたり、海外の論文を紹介してもらったり、アーティストなどが外部講師として来てくださったり、どんどん茂木さんが有名になり、教室に入りきらなくなって教室が変更したりと。もちろん、授業の後の飲み会は忘れられない。上野公園の砂場を囲んで夜な夜な飲んだこと。冬は車屋まで行って飲んだこと。

この世界の多様性を教えてもらったし、芸術というものが何かを考える切っ掛けや、本物の芸術に触れる場をもらった。それは、かけがえのない時間だった。本当にあの空間が好きで、あの仲間が好きで、今でも続いている。あれから12年の時を経て。

そんな12年前の出来事が、ありありと描かれた東京藝大物語。まるでその時にタイムスリップしたかのように、没入して一気に読み終えた。

この本は、まるで茂木さんの恋文のように感じた。
青春、芸術、そしてあの上野公園を囲んだ仲間に対するラブレター。

青春のはかなさを感じるけれど、それは誰にもあって、そんな青春を味わえたことを噛み締めて、次の世界へと羽ばたく心のエネルギーになる物語。

なんだか、心の奥底からえたいのしれないエネルギーが溢れだして、夜の闇に走りに駆け出したくなった。

過去に芸大について書いたブログ

http://teratown.com/blog/2011/06/10/iiueaoe/
http://teratown.com/blog/2011/01/29/aadhai/

10年前はモブログでこんな洗い写真をアップしていたのか、ということにも驚き。
http://www.teratown.com/moblog/archives/001979.html

心に残った言葉

P91
「人間にはさ、あまりにも昔に諦めてしまって、諦めてしまったことさえも忘れている、そんな夢があるんだよなあ。」

P127
科学とは、実は、他人の心を思いやることに似ている。科学の正反対は、「無関心」である。たとえば、空の月は、なぜ、そこにあるのか。月なんて何か知らないけど勝手にそこにあるのだろう、と思っていると、科学する心は生まれない。 中略 すべての動物の中で、人間だけが、「心の理論」を持っていると考えられている。もしかしたら、人間が、ここまで科学を発達させてきた背景には、「心の理論」の普遍的な働きがあるのかもしれない。人間には宇宙という大いなる絶対的他社の「心」を、推定しようとしているのだ。あるいは、科学者スピノザの、万物に神が宿っているという「凡神論」に従うのならば、人間は、「神の意志」を推し量ろうとしているのだ。

P160
そんなところに、もう、企て、体験した者だけが持つ「特権」の構造が生まれている。

P161
幸福と、才能は、似ているところがありませんか。

P163
「まとめれば、幸福には、二種類ある、ということです。自分の才能を、最大限に発揮している、フロー、ないしはゾーンの幸福。一方で、自分の足りないところを直視せず、これで大丈夫だと勘違いしてしまう、偽りの幸福。みなさんには、ぜひ、前者の幸福を目指して欲しいと思います。才能のフルスイングによってしか、到達できない至福の幸福と、才能を小出しにして、送りバントを繰り返すことで、達成される幸福と。君たちは、どっちを選ぶのだろう。」

P166
ふと、ジャガーに言いたくなった。
「あのさ、こういう時間が、ずっとあると思っているだろう。もう、ないぜ。この時間は、二度と戻ってこないんだ。」
「へいっ。」
「居場所というのはさ、ある時は当たり前だけれども、失われるのは、あっという間だからなあ。」
「へいっ。」
「水たまりは、やがて干上がる。ひだまりは、つかの間の輝き」
「へいっ。」
「だから、この光景を、よく覚えておこうな。」
「へいっ。」

P174
アーティストの卵たちは、芸術の「自由」を「空気」のように吸って過ごしている。しかし、その自在の空間から、いかに「作品」という地面に着地するか、その間合いが難しい。 中略 卒業制作とは、ふわふわと空を飛んでいた学生たちが、卒業という大地に着地する、そのランディングの姿勢を競う場なのだ。

P187
アーティストは、良い絵を描くためには、不道徳なことさえやりかねない。凡庸な作品を作るいい人であることと、悪い人でも傑作を描くことのどちらかを選べと言われれば、芸術家の答えは決まっている。
問題は、選ぼうとしても、心とカラダの自由が、案外利かないことだ。
どんないい人の中にも、悪い人が潜んでいるものだとするならば、着ぐるみを脱がせなくてはならない。ところが、着ぐるみは、しばしば、自我と一体化してしまっている。
うまく皮を剥ぐことは、むずかしい。美は、往々にして、皮一枚にすぎないからだ。そして、着ぐるみは、油断をしていると一生つきまとう。

P203
振り返れば、その夕暮れが、間違いなく青春の一つの「頂点」だったと感じる。
青春とは、浪費される時間の中にこそ自分の夢をむさぼる行為ではなかったか。
偉大なる時間は、この上なく輝かしい生命の光にも通じる。
芸術のゆりかごは、その薄暗がりの中に、こっそり、ゆったりと揺れている。

送信者 art
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