「思うこと」カテゴリーアーカイブ

銛突きキャンプに子どもと佐渡島へ

恒例行事の銛突きキャンプ、今までは1人だったけど、今回は上の子と2人で佐渡島へ。娘との2人旅も3回目で慣れてきた。

8月の最終週の週末、まだ外は暗いうちに家を出る。目を覚まして、玄関でママがいい、行きたくないといったが、子どもを抱っこ紐に抱えているので、なだめて家を出た。抱っこなので、ほぼ大人のペースで行けるから時間が読める。(来年はもう抱っこ紐が無理だから、朝早起きしてくれなかったらどうやって連れて行こうか)

今回は初めて荷物の往復宅急便を使った。キャンプ道具を背負って子供も抱えてはかなりヘビーなので、ラクをしてみた。結果的にかなり楽だったんだが、自分の荷物は常に自分でもって旅するから、依存せず自分の旅に初めてなると考えてたりもするので、少し消化不良なところもあったが、子供と2人で新幹線and船キャンプなのでと割り切った。

東京駅に着くとしんやさん親子と合流。はくたか新幹線ははじめての乗車な我が子は楽しそう、そして、tomくんとすぐに打ち解けて、仲良く新幹線ではしゃいでいた。すぐに上越妙高駅に到着し、バスで直江津港へ。フェリーの時間にはギリギリで到着。残りのメンバーも港に集まっていた。

今回も大人子供合わせて20人弱の大所帯。早速フェリーに乗り込む。子供が揺れで酔わないか心配だったが、さほど揺れず、子供たちで騒いで遊んでいた。フェリーの乗客もそんなに多くなかった。

佐渡島の小木港に到着すると、キャンプ場へ向かう組とスーパー組に分かれた。我々は買い出し後にキャンプ場について、早速海へ行く子供たちとテントを張る親たち。

海の目の前で綺麗な芝生。トイレとシャワーも綺麗でバッチリだ。ささっとお昼ご飯を食べて、海へ。海の家が前週に閉まり、でも管理人さんが片付けしつつ開けていているみたいな状況で、人も少なく店の人によくしてもらった。

娘は初めてのライフジャケットで、海もそんなに慣れてないので、ずっと一緒にいた。だから銛はほぼやってない。1度銛を持って潜った時に、小さなフグを突いて上がると、はるかちゃんのパパすごいんだよと、まわりに言っている姿がとてもかわいくて、父の感情を持ったんだなと、自分自身を思った。

竹で作ったブランコ、シーソーなんかもあり、遊んだ。すぐに夕暮れ。シャワーを浴びて明るいうちにご飯を作る。ほぼレトルトカレー、焼きそばと言ったメニューだったが、外で食べるだけでうまい。

ご飯をストップして日本海に沈む夕日をみんなで眺めに。このゆったりとした、心が開いた感覚が好きだ。日が沈むなんて毎日起こっている出来事だけど、都会の子はそれを見る機会もあまりない。

子どもたちはそんなことも気にせず、はしゃいで遊んでいる。いつの間にか同年代の子が集まるグループができて、ご飯を一緒に食べたり、遊んだり、海で泳いだり、喧嘩したり、ブランコしたり。子供にとって同年代の子とフィールドで遊ぶことは、非日常で楽しそうに写った。

かき氷をガリガリ回して作って食べたり、和太鼓の鼓動のチームの近くの街だからか、夜は太鼓を叩いて踊る人たちがいたり、魚を突いて食べたり、最後の朝はちょっとランニングしたり、銛突きと料理だけじゃなくて、いろいろと楽しめた。あと、友達が自分の子育てや子との接し方について指摘をくれたりと、それも面白かった。
2泊して、一足先に2人で島をあとにした。旅の余韻に浸りながら東京へと戻った。キャンプだけじゃなくて銛突きみたいな、ひとつテーマがある旅だと面白い。あと、子供が他の友達と想像以上にすぐに仲良くなって楽しんでいて、さらにお兄ちゃんお姉ちゃんのやっていることを真似したいとなり、結果的に良い機会だったのかなと思った。

2020の911

18,19年は災害が多いと書いていた。今年も多いがそれほどでもないようだ。

誰も予想さえしなかった新型コロナウイルス蔓延による世界的な変化が起こっているから気づいてないだけかもしれない。

コロナ禍と言われるが、もう半年以上経つ。ライフスタイルは大きく変わり、リモートワーク、集団でのイベント、海外旅行などがほぼなくなった。

視覚的インパクトが大きかった911と比べると、コロナは視覚的インパクトはあまりない。そして、世界中の1人1人に直接影響があり、かつ長期間に渡る。気づかないうちに多くのことが変わっており、また多くのことは変わらないのだろう。

昨年12月にニューヨークの911メモリアルミュージアムに行き、強い衝撃を受けた。自分の人生で記憶があり、社会が分かり始めて初めて起こった世界的な出来事。

歴史の、変化の中にいる。生きているということは現実が歴史になり、世界が変化して行くことなんだと思ったし、それは人の意思、人の手によってどんどん変えられるんだと感じたのだった。

911から20年。
世界は変わる。何が起こるか分からない。何が起きてもそれが現実。今を楽しみ、未来を楽しむ一歩を踏み出そう。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜
2016/09/11 岐阜岐阜の実家に。結婚したのともうすぐ子供が生まれるからまた来年は違う911だろう
2017/09/11 東京 朝は保育園に送り、夜はお風呂に入れる。去年はここまで具体的なことは想像してなかったが、今の日常を今日も。
2018/09/11 東京 初めておまるでうんちができた日、子供の成長を実感した日
2019/09/11 東京 2人目の男の子が誕生して、夜泣きとともに生きている
2020/09/11 東京 家族が増え広い家に引っ越した、家を自分が買うのかと、人の考えは変わる、それはその時々の、状況に置かれてみないと分からない。

2019の911

他者視点の指摘

歳を重ねると、どんどん自分の考えが強くなりがちで、それは普通のことだ。

経験していくことを通して、これがベストということが増えていくのだから。自分個人の中ではその方法がベストであろうとも、それが他者にとっても同じとは限らない。

で、自分の考えを述べると、それおかしいだろうと指摘してもらえるととても助かる。

ああ、その視点抜けてたとか、他の人はこう思うのかと学べて変えられるから。

どんどん、そういった指摘をして欲しいし、してもらった方が自分にとってもメリットがある。

一方で、指摘されるのが嫌な人も一定数いて、面白いなと思う。否定された、ムカつくとなってしまうのだろう。

いずれにしろ、指摘してくれやすいようにするためには、指摘してもすんなりと受け入れるという風に周りに思ってもらう必要があるので、そういうキャラでいきたいなと思う。

9年目の311

311,911の日に何をしていたか定点観測

そういえば、昨年末にニューヨークの911メモリアルミュージアムに行った。個人的には大きな出来事で、今という歴史の中にいることを実感した。

311も大きなできごとだし、それ以外にも社会的な大きな出来事は不定期に発生する。ただ、自分が認識できるようになって最初の出来事が911だった。

高校生の時で、少し大人になり、社会の仕組みなども知り始めた歳だ。もし、小学生の時だったら、映像的なインパクトでしか脳に刻まれなかったと思う。

しかし、911は高校生であり、ネットが発達し始めたころだった。もちろんメディアで流れる見た目のインパクトもあったが何が起きたのかと自らネットで調べまくった記憶がある。

自分から主体的に参加したというか、情報を取りに行ったという意味で、はじめてのできごとだった。

そんな意味で自分の人生で初めての大きな社会的できごとだった。

5年ぐらい前にニューヨークへ立ち寄った時は、911メモリアルミュージアムは建設中だった。

それを見た時は、ここであの出来事が起こった地なのかとは思ったが、ミュージアムができるんだなと言うぐらいの印象だった。

しかし、実際に行って見て、ビルの折れ曲がった鉄筋や燃えた消防車、オフィスの備品、家族のメッセージなどを目の当たりにすると、当時自分が見た映像、主体的に調べたことと重なり、自分が当事者のような気持ちで、見入っていた。

911の背景やその後の戦争などについても説明されていた。アメリカのミュージアムなので視点はアメリカ側だが、改めて多面的に歴史を社会制度を、世界を、宗教を、経済を、科学技術を学びたいなと思った。

ベースとなる背景を理解してないと、物事の本質が何も見えないから。

って、311なのに911の話になってしまった。

今年の311はコロナウイルスで、世界が非日常の中だ。そして、初めて家というものを買った。

2020年 東京 世界はコロナウイルスで今もまた歴史の中にいる
2019年 東京 同い年の友達の東大准教授就任祝い
2018年 東京
2017年 東京&夜から白馬へスキー
2016年 東京
2015年 東京 数日後からキューバへ行った
2014年 麻布十番で飲んでたっぽい
2013年 伊豆トレイルジャーニーの翌日
2012年 東京
2011年 東京

知覚と脳の判断

下の子のウンチでオムツを変えるとき

くしゃみが出た

昔からウンチのオムツ換えではよくくしゃみが出る

俺は臭いが臭い時にくしゃみが出る体質なのだ。

でも、先日ウンチのオムツを、かえていたが臭いは感じていなかったが、くしゃみが出た

花粉の時期で鼻がつまってて、臭いを、感じなかったのだが、くしゃみが出た

面白いなーと思った

知覚としては嗅覚が働いていて、その対応としてくしゃみが出た

しかし、鼻がつまってて脳が反応せず臭いは感じなかった

すなわち知覚とそれを人間が臭いと理解するにおいは別で動いているってことの証明だなと。