「思うこと」カテゴリーアーカイブ

2020の911

18,19年は災害が多いと書いていた。今年も多いがそれほどでもないようだ。

誰も予想さえしなかった新型コロナウイルス蔓延による世界的な変化が起こっているから気づいてないだけかもしれない。

コロナ禍と言われるが、もう半年以上経つ。ライフスタイルは大きく変わり、リモートワーク、集団でのイベント、海外旅行などがほぼなくなった。

視覚的インパクトが大きかった911と比べると、コロナは視覚的インパクトはあまりない。そして、世界中の1人1人に直接影響があり、かつ長期間に渡る。気づかないうちに多くのことが変わっており、また多くのことは変わらないのだろう。

昨年12月にニューヨークの911メモリアルミュージアムに行き、強い衝撃を受けた。自分の人生で記憶があり、社会が分かり始めて初めて起こった世界的な出来事。

歴史の、変化の中にいる。生きているということは現実が歴史になり、世界が変化して行くことなんだと思ったし、それは人の意思、人の手によってどんどん変えられるんだと感じたのだった。

911から20年。
世界は変わる。何が起こるか分からない。何が起きてもそれが現実。今を楽しみ、未来を楽しむ一歩を踏み出そう。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜
2016/09/11 岐阜岐阜の実家に。結婚したのともうすぐ子供が生まれるからまた来年は違う911だろう
2017/09/11 東京 朝は保育園に送り、夜はお風呂に入れる。去年はここまで具体的なことは想像してなかったが、今の日常を今日も。
2018/09/11 東京 初めておまるでうんちができた日、子供の成長を実感した日
2019/09/11 東京 2人目の男の子が誕生して、夜泣きとともに生きている
2020/09/11 東京 家族が増え広い家に引っ越した、家を自分が買うのかと、人の考えは変わる、それはその時々の、状況に置かれてみないと分からない。

2019の911

他者視点の指摘

歳を重ねると、どんどん自分の考えが強くなりがちで、それは普通のことだ。

経験していくことを通して、これがベストということが増えていくのだから。自分個人の中ではその方法がベストであろうとも、それが他者にとっても同じとは限らない。

で、自分の考えを述べると、それおかしいだろうと指摘してもらえるととても助かる。

ああ、その視点抜けてたとか、他の人はこう思うのかと学べて変えられるから。

どんどん、そういった指摘をして欲しいし、してもらった方が自分にとってもメリットがある。

一方で、指摘されるのが嫌な人も一定数いて、面白いなと思う。否定された、ムカつくとなってしまうのだろう。

いずれにしろ、指摘してくれやすいようにするためには、指摘してもすんなりと受け入れるという風に周りに思ってもらう必要があるので、そういうキャラでいきたいなと思う。

9年目の311

311,911の日に何をしていたか定点観測

そういえば、昨年末にニューヨークの911メモリアルミュージアムに行った。個人的には大きな出来事で、今という歴史の中にいることを実感した。

311も大きなできごとだし、それ以外にも社会的な大きな出来事は不定期に発生する。ただ、自分が認識できるようになって最初の出来事が911だった。

高校生の時で、少し大人になり、社会の仕組みなども知り始めた歳だ。もし、小学生の時だったら、映像的なインパクトでしか脳に刻まれなかったと思う。

しかし、911は高校生であり、ネットが発達し始めたころだった。もちろんメディアで流れる見た目のインパクトもあったが何が起きたのかと自らネットで調べまくった記憶がある。

自分から主体的に参加したというか、情報を取りに行ったという意味で、はじめてのできごとだった。

そんな意味で自分の人生で初めての大きな社会的できごとだった。

5年ぐらい前にニューヨークへ立ち寄った時は、911メモリアルミュージアムは建設中だった。

それを見た時は、ここであの出来事が起こった地なのかとは思ったが、ミュージアムができるんだなと言うぐらいの印象だった。

しかし、実際に行って見て、ビルの折れ曲がった鉄筋や燃えた消防車、オフィスの備品、家族のメッセージなどを目の当たりにすると、当時自分が見た映像、主体的に調べたことと重なり、自分が当事者のような気持ちで、見入っていた。

911の背景やその後の戦争などについても説明されていた。アメリカのミュージアムなので視点はアメリカ側だが、改めて多面的に歴史を社会制度を、世界を、宗教を、経済を、科学技術を学びたいなと思った。

ベースとなる背景を理解してないと、物事の本質が何も見えないから。

って、311なのに911の話になってしまった。

今年の311はコロナウイルスで、世界が非日常の中だ。そして、初めて家というものを買った。

2020年 東京 世界はコロナウイルスで今もまた歴史の中にいる
2019年 東京 同い年の友達の東大准教授就任祝い
2018年 東京
2017年 東京&夜から白馬へスキー
2016年 東京
2015年 東京 数日後からキューバへ行った
2014年 麻布十番で飲んでたっぽい
2013年 伊豆トレイルジャーニーの翌日
2012年 東京
2011年 東京

知覚と脳の判断

下の子のウンチでオムツを変えるとき

くしゃみが出た

昔からウンチのオムツ換えではよくくしゃみが出る

俺は臭いが臭い時にくしゃみが出る体質なのだ。

でも、先日ウンチのオムツを、かえていたが臭いは感じていなかったが、くしゃみが出た

花粉の時期で鼻がつまってて、臭いを、感じなかったのだが、くしゃみが出た

面白いなーと思った

知覚としては嗅覚が働いていて、その対応としてくしゃみが出た

しかし、鼻がつまってて脳が反応せず臭いは感じなかった

すなわち知覚とそれを人間が臭いと理解するにおいは別で動いているってことの証明だなと。

近くに住むこと

インターネットや交通手段の発達で、距離は関係なくなったという側面がある。

実際に、比較的どこにいても仕事はできるし、遠く離れていてもリアルタイムにビデオチャットが無料でできる。

海外に行くというのも、ネットで航空券を予約して、スマホだけあれば両替すらいらない時代。

でも、地理的に近くに住むことって、やっぱり重要だなともう。

ネットでいくらでもコミュニケーションは取れるが、近くに住むことでできることがある。

それは、人と人が近くに住むというのもそうだし、自然にしろ、都市にしろ、そういった場所と近くに住むということも。

どこに住むかによって、人間の行動が変わる。

人と人のつながりが生まれて、新たな展開へと広がりを見せる。

自分の住む場所で、そういったコミュニティとの関わりがかわる。

子供がいると、子供を連れて近所でいろんな遊びができる場、つながりがあるといいのになって思う。

子供を持つ仲の良い友達同士で近所に住んじゃえば、いいのにと昔から思うのだが、意外とみんなそうならないのは、大人の事情がいろいろあるんだろうか?

自分の原体験としては、阿佐ヶ谷という街や芸大に行ってた頃の日暮里が良いコミュニティで、どんどん繋がりが広がっていったから、あれのファミリー版が実現できるといいなと思うのである。

砧公園とか羽根木公園とか近くにあるから、そういったゆるいコミュニティってないかな。