月別アーカイブ: 2017年5月

マンガとスマホで読書

きっかけと習慣

マンガ
スマホで読書

どちらも今までなかった習慣

どちらも、はじめてやってみて習慣化した。
厳密にはどちらもかじってはいたが、習慣にはなっていなかった。

本ってスマホで読むと便利だよねやっぱり。
当たり前なんだけど、今までは紙の本がほとんど。

部屋の場所とるってのもネックだし、
移動時間などはついついスマホでニュースを読んでしまうので、紙の本を持っていても読む機会が減っていた。
じゃあ、スマホで本を読めば良いんじゃないかと思い、今更。

あと、マンガはページあたりの情報量が少なくて、ページめくる手間が多くなったりと、めんどくさくて読んでいなかったけど、ガッツリ本を読むほど気力がないときでも取っつきやすい。

学べるマンガも多いので、Kindleで読んでみよう。
きっかけは、インベスターズZが1円とか10円だったのでとりあえず買ってみた。15巻ぐらいまでよんだのだが、漫画は読めないと思っていたけど読めた。

ということで、スマホで本を読む習慣がつきそう。

ま、山とかでは電池をセーブしないといけないし、リアルな紙のボロボロの文庫本が似合うので、場面によるのかな−とおもいつつ、日常はデジタルに移行しそう。

ああ、家にある大量の紙の本もブックスキャンするか検討しよう。

いい子だねは、親にとって都合のいい子

いい子だねと、言うときがある。

周りの大人に言われることもある。
もちろん、自分で我が子のことをいい子だなと思うこともある。

例えば、長時間の電車とかで騒がなかったりした時。
例えば、はじめて会った人に赤ん坊が笑った時、
例えば、ミルクを最後まで飲んだ時。

これって、間違ってはいないんだけれど、いい子ではなくて、大人にとって都合がいい子と捉えられなくもない。
これって親の都合でしかないこともある。

いい子という言葉に込められた本当の意味を考えて、見極めていきたい。
大人にとって都合がいいからといって褒めるのはおかしなことだし、それを評価するということは親の考えを押し付けていたり、親が偉そうに子供を評価していることになる。

もちろん、社会で生きていくために一定の規範や常識を教えないといけない、一方でおとんにとって都合がいいことだけを評価しない、これらをごっちゃにして考えないように気をつけていきたい。

GW1週間ぶらり

とくにどこへ行くでもなかったので、夙川と岐阜に合計6日間の長旅。いや、大人にとっては長旅と言うほどではないが、はるかちゃんにとっては初の長旅。180日程度の人生で6日間だから、人生の3%以上の期間の旅だからすごいことだ。

新横浜まで行き、新幹線に。はるかちゃんは新幹線でも特に泣いたりせずに、ずっとおとなしくしていた。お弁当食べたりしていたら、すぐに到着。新大阪駅からは関空への電車「はるか」が走っていたので、記念撮影。

奥さんのおばあちゃん家の夙川まで電車を乗り換えてGO。家に到着して、すこし休んでから夙川沿いをお散歩。夜は近くのお蕎麦屋さんに。

翌日はお墓参り。の前に、中華ランチ。レモンソースがけの鶏肉だったが、家でもやってみたら面白そうな味。お墓参りが住むと、近くに御影とい高級住宅街があるのでお散歩。最近、高級住宅街散歩が流行りだwといっても、高級のレベルが違って驚く。すごい。夕方から、奥さん一家が幼少期に住んでいたお隣さんの家に。夕方は散歩で海まで歩き、夕日を見て、夜はすき焼きをごちそうになって帰宅。

3日目は北山緑化植物園へピクニック&ハイキング。青空のお散歩は気持ちがいい。山の緑もみずみずしい。帰りは相変わらず豪邸巡りをして、回転寿司の夕食。久しぶりの回転寿司w

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4日目は起きて、名古屋経由で岐阜へ移動。3日間いっしょだったので、ばあばが寂しがっていた。岐阜も良い天気、姉も帰ってきていた。みんな久しぶりのはるかちゃんにメロメロ。高校まで堤防を散歩して、夕方に再度夕日を見に堤防に。もしかしたら、はるかちゃんにとって初の夕日だったかな。

5日目は幼稚園、小学校、中学校と過去を遡るお散歩をして、午後からは岐阜公園へ。はるかちゃん初の顔ハメ看板も、離乳食は昨日は父、今夜は母がはるかちゃんにあげた。

いよいよ最後の日、俺は運転の練習を少しして、荷物をまとめてみんなにバイバイ。母が作ってくれたサンドイッチを食べて新幹線で東京へと向かった。そんなGW2017。

近くに住む遠くに住む、どんな町に住む

阿佐ヶ谷は、周りに友達がいた。歩いてたらよく友達にあったし、夜な夜な飯を食べていた。
このブログでも阿佐ヶ谷について、何度も書いていて、あんなに楽しい街は今までの人生であの町だけと言ってもいいほど。

ただ、1人じゃなくなると住む場所の意思決定も1人じゃなくなる。済みたいと互いに思える場所となると、自分の理想とは異なる。さらに、子供が保育園に通いはじめると、待機児童の問題でも分かるように、転園が不可能に近いので住む場所が保育園に入れた地域に縛られる。とまあ、なかなか思い通りには行かなかったりするのも現実だ。

先日、葉山に引っ越した友達の家に遊びに行った。うちからは2時間の距離、なかなか遠い。駅からも3キロということで、バスかチャリ。でも、3分で海があり、裏山のトレイルまでも5分ほどという好立地なのだ。さらに、3軒隣に友達ファミリーが住んでいたり、周辺にはたくさん友達が住んでいるようだった。

なぜ今引っ越したのか。それは、子供と遊ぶ時間が限られていて、その時間を自然に近いところでという思いから引っ越したということで、その理由はすごくしっくりくる。俺も、庭付きのマンションか家に引っ越したいなーと思っていたところだった。やはり、土とか芝生の上で遊べるというのは、子供にとっても、大人にとっても良い時間だと思う。(自然が好きなので特に)

葉山という街は、世田谷とは違い、街についた瞬間になんだか空気感が違った。都心のビジネス街と世田谷は空気感が違うように、世田谷の住宅街と葉山の住宅街は全く違った。なんだか、のびのびしている。リラックスしている街の雰囲気が流れていて、心地よいのだ。一方で、仕事モードにはならないなーとも思った。

うん、まあ、型は行動を規定するというのは事実である。だから、どんな地域に住むか、どんな家に住むかは非常に重要だなと、葉山を訪れて思ったのだった。自分は、自分と家族は、どんなところで、どんな家で暮らしたいのか、暮らすのが一番心地よく、幸せなのか、難しい問題だ。

以前から思っているのは、仲の良い友達ファミリーと一緒に住む。もしくは、近くに住む。そうすると、気軽に会って遊べるし、共同で子育てができる。何かと助け合えるし、子供にとっても社会との接点が増えるのが良いと思う。がしかし、仲の良いファミリーと近くに住んでいるという話は、あまり聞かない。それは、やはりお互いの事情があり、引っ越しにはお金もかかるし、職場の距離も違うし、学校の問題もあるし、家賃の負担の大変さも違うしと、いろいろな障壁はあるからなんだろう。

仕事場からの距離、自然との距離、友達との距離、まあ、理想と現実との距離をどう縮めていくか、ちょいちょい考えてみよう。