月別アーカイブ: 2017年3月

パソコンなに選ぶ

パソコンなに選ぶと聞かれて、別に何でもいいなー、何でも一緒だなと思った。ちょっと前に、スマホについて話していて、スマホはまだどれが良いかなと考える余地があった。

そう、パソコンはコモディティ化して、何でも一緒になっている。できることはもう数年変わらないし、スペックも変化がない。だから、macとかブランドで勝負して、クールさを売りにして高単価で売っている。まあ、電子レンジとか洗濯機とか出た時はそれ自身に価値があったけど、だんだんコモディティ化してしまう。その中で機能で高付加価値にいくか、ブランド化にいくか、安さにいくか。プロダクトライフサイクルとは、まさに。

そう、はじめてパソコンを買った20年ほど前の中学生の頃は、どのスペックでどのメーカーを買うかを必死に考えて比較してワクワクがあった。確か10年ちょい前ぐらいもその感覚は少しは残っていたと思う。

スマホも出た頃は、同じようなワクワクがあったが、この2,3年は比較的なんでも良いやと思うようになった。スマホもどんどんコモディティ化してきている。プロダクトのライフサイクルって本当に短くなっているんだなと実感しながら、教科書に書いて有ることが目の前で起こっていて、後から見ればそういった変化に今まさにいるんだなと、実感したのであった。こういう経験をすると、あらためて認知すると勉強になるな~。

家族の風景

春が近づいてきた3連休、はるかちゃんの首も座り、4月からの保育園も無事に決まったということで、岐阜のじぃじとばぁばに会いに行くことにした。昨年末に東京に来て会ってくれた以来だから、約3ヶ月ぶりかな。この3ヶ月で人間らしくなった。こういう言い方も変だが、感情を理解し、意思を持つようになった、その意思を泣き声や身体の動きで表現できるようになったことが、大きな変化だろうか。大人の掛け声とかにも反応して、大人は嬉しく、楽しませてもらえるようになっている。そして、体も産まれたときの2倍程度になり、大きくなってきたので抱っこしても不安がなくなり、ちょっと太ってぽちゃぽちゃでいい感じなのだ。

3連休ということもあり、前週に新幹線の指定席を予約したけれど、2席のシートは埋まっており、3席の通路側2席を押さえておいた。土曜日の朝、食事をして、洗濯を回して、10時過ぎに家を出た。バックパック2つ、スーツケース、そしてベビーカーと、なかなかの荷物。1人や大人だけなら、小さなザックひとつでどこへでも出かけていた。時間もギリギリに家を出ていたが、それも変わる。駅に着けば、ベビーカーを引いているのでエレベーターを探してウロウロと。ああ、こういった状況にならないと、分からない不便さだったり、幸福もあるんだなと思いながら、品川駅へ。

お土産やお弁当を買って、新幹線に乗り込んだ。はじめての新幹線、興味津々で目をキョロキョロさせていた。新しいものに対して、反応がよい。はじめての旅行、はじめての帰省、はじめての新幹線、どんな風に感じていたのだろうか。新幹線の中ではずっと静かにしていて、親としては助かったが、騒ぎたかったら騒いでもいいんだよ。大人が助かるとかは、まあ大人の事情なんだしさとかも思いつつ。名古屋は本当にあっという間について、東海道線に乗り換えて岐阜に。結婚してから帰る頻度が上がったな−と思いながら、いつもの見慣れた風景を車窓から眺めていた。

駅を降りると、いつものように父親が迎えに来てくれていて、家まで送ってくれた。いつもと違うのは、1人多いこと。さっそく、父親がうれしそうな声で迎え入れてくれた。家に着くと、母もおばさんも来て、はるかちゃんフィーバーが。赤ん坊がいるだけで、これだけみんなを幸せにしてくれるのかと思った。そして、本当に両親が幸せそうで、楽しそうで、孫が嬉しいんだろうなと伝わってきて、その姿を見ることが自分も幸せな気持ちになった。ひとりの赤ん坊をきっかけに、幸せの連鎖がうまれる、そんな光景があった。

俺が使っていたという30年以上前のベビーベッドが組み立てられていて、掛け布団を買って準備してくれていたそうだ。こうして、代々受け継がれていくものがあるんだろうなと思いながら、父の仕草を見ながら、ああ、俺って親父と一緒の発想だったり、同じことしてるなーと思ったり。ああ、親子なんだな、親子って似るんだなと。そんなことを思いながら、ふとはるかちゃんに目をやると、この子はどんな子に育つんだろう。どんな光景が30年後に広がっているんだろうと、ぼんやりと思い描いていた。

親戚の家に行き、家族で食卓を囲み餃子を食べ、食器洗いをささっと済ませると、みんなではるかちゃんを囲む。みんなの中心にはるかちゃんがいた。お風呂は父親が入れてくれたんだけど、30年ぶりの赤ん坊の風呂入れは、忘れていて、ドキドキしたようで、はるかちゃんにも伝わって泣きながら。でも、途中から慣れたら、はるかちゃんも気持ちよさそうにお風呂に入っていた。

翌日は、長良天神神社へ。ここは俺のばあちゃん家のすぐ近くで昔何度も通ったところ。父親は小さい頃よく遊んでいたとか。天気もよく、結婚式が行われていて、そのすきにお宮参り。青空のもと梅も咲いていて、ちょっと遅くなったお宮参りだけど、偶然にも大安で良い時間になった。すぐ近くの父親の畑に。去年からいろいろと野菜を送ってもらい食べていた。ここの無農薬野菜を奥さんの体を通してはるかちゃんは食べて育ったのだ。これから、離乳食になり、野菜を食べるようになったらはるかちゃんも食べるになるであろう畑を見学。

せっかくの帰省、じぃじとばぁばにお洋服を買ってもらおうということで、西松屋へ。じぃじが選んでくれた白と紺のボーダーシャツと、紺色のパンツ。ボーイッシュでなかなかいい。もう1着もボーダーのワンピース。はるかちゃんは、スカートよりズボンが似合うのだが、女の子っぽい可愛らしい1着。ついでに、冬用のつなぎのアウターも。かなり大きくて来年着れるかなという程度。でも、岐阜にこの服を置いといて、来年の冬まで保管してもらうことにした。この服がちょうどよいぐらいに大きくなったかななんて、服を見ながら生活するのも楽しそうじゃないか。

お昼を食べてから、近くのユニクロに。ただ、あまりベビー服がなく、かつ花粉がひどくそそくさと帰宅笑。また、みんなでご飯を囲む。おばさんも、はるかちゃんに初対面して幸せそうだった。あっという間に時間というものは過ぎていく。とてもよい時間を過ごしたのだけれど、もう最後の日の朝。俺は車の運転の練習に父親と出て、女性陣は家にいた。はるかちゃんが出る前にうんちを漏らしたり、ドタバタしながら新幹線の時間を迎えた。

今までは岐阜とLINEで、テレビ電話だったけど、実際のはるかちゃんは、よりかわいいし、お肌スベスベだし、泣き声の声色も様々だし、表情も豊かだし。このたった3日。でも、この3日ではるかちゃんはいろいろ変わった気がした。あれ、こんなにも大人の声に反応良かったっけ?とか。可愛がってもらって、はるかちゃんも嬉しくて、新しい刺激を受けて、できることが増えたのかななんて、親バカなことを思いながら、いろいろな人にかわいがってもらって、コミュニケーションを取るって大切なんだなと。

3日間で思ったことは、ああ、家族ってこうして繋がっていって、家族が同じ空間をともにすることでみんなが幸せになるんだなって、そうしたことは当たり前なのかもしれないけれど、なかなかにして代えがたい、とてもいいもんだなと。ああ、いいね、こういう時間を過ごすことって。単純なことだけど、純粋に家族の繋がりっていいねと思った。もちろん、いろいろな知らない場所に旅したり、1人で山に行ったり、そんなことも大好きだし、これからもするんだろうけど、こうした時間はまったく別次元でいいものだなと。

なんだか、ハナレグミの歌声が聞きたくなる、そんな時間だった、

■家族旅行&帰省でのポイント
・大人が2人いればベビーカーはなくても良い。あるとけっこう不便。
・1人ででかけるなら、ベビーカーがあったほうが便利かも。
・泣いたり、うんちを漏らしたりと想定外のことがあるので、時間に余裕を持つ。
・両手が塞がると大変不便。
・1泊2日だとかなりハードなスケジュールになりそう。
・岐阜に帰るなら2泊3日の方がゆっくりできる。

白馬八方尾根スキー場

今シーズン最後のスキーという話になり、白馬へ。タクジさんもかっせさんも今シーズン最後という、こんな早い時期に珍しい。最後になるので日帰りだけど、ちょっと遠出しようということで白馬になったのだ。

前日土曜夜8時に家まで迎えに来てもらって、双葉SAへ。ここで静岡から来たかっせさんと合流して、カッセさんの車に乗り換えていざ白馬へ。夜中の0時頃に駐車場に到着して、社内で寝る体制を整えてからの宴会。車中泊は久しぶりだが、やはり白馬は寒かった。ステップワゴンの後部座席におっさん三人が互い違いになって眠りについた。

朝の5時30分ぐらいに寒さと明るさで目を覚ますと、窓ガラスは凍っていた。やはりエクスペディションのシュラフが良かった。外に出ると、空気がキリッと冷たく、目の前には白い北アルプス。昨夜は真っ暗だったからこんな近くに山があるとは。目隠しされてたときのサプライズのようで喜びが倍増する。それにしても、美しい。気持ちいい朝だ。

朝、外に出ると白い北アルプスの山々。スカッ−と気持ちが良い。だらだらして、大阪から来ているべっちさんと名古屋から来ているもんちさんと話して、白馬八方尾根スキー場の国際リフトの駐車場へ。

はじめて白馬のスキー場に来たが、白馬八方尾根スキー場の上部からは、北アルプスが目の前に。本当に気持ちがいい。スキー場からこんなにきれいな山が見れるなんて幸せだ。やはり上越方面や水上あたりのスキー場とは違う。そして、広い広い。こりゃいいなー。白馬最高だな。東京からはちょっと遠いけど。

天気も良くて、青空。そして、白い山。久しぶりにこんな山みたな。落ち着くな。やっぱり最高だ。夕方までガッツリ滑って、帰路に。松本のスキーショップに寄り、東京へ。途中みどり湖サービスエリアの食堂で夕食を食べたが、ここがSAと思えないほど安くてボリュームたっぷり。渋滞もなく帰り着いた。

6年目の311

6年目の3月11日に保育園説明会へ行ってきた。4月から入園する保育園に行き、事前にいろいろ聞き手続きをするという会。赤ん坊や子供が一同に会するとカオスだなということも実感できたし、保育園を経営するということは、本当に細かなことまでケアしないといけないから大変だなということも把握できた。あちらこちらで子供は泣くし、遊ぶし、親はその対応で説明会なんて聞いちゃいられない。一方で、子供にムヒを塗っていいかとか、階段を使わせていいか、喧嘩になるからおもちゃは持ってこないでとか、保育時間の延長料金で揉めないためにカードリーダーでタイムスタンプを忘れないでとか、とかとかいろいろと。そこまでケアしないといけない保育園側も大変だな−と。保育園の先生疲れちゃって大変だよなーと。

そんなことありつつ、一番印象に残ったのが、災害時の対応だった。説明会を受けたその日は311だった。理事長かつ園長先生が、6年前の今日のことを話してくれた。その日地震が起きた。鉄筋コンクリートの建物なので、保育園の施設自体は大丈夫だった。一方で火事が起きたらどうしようもないので、その対応を早急に検討した。系列の保育園が2つあるので、どちらかで火事が発生すればもうひとつに移動することが確認されたとか。食料や防寒具は十分に確保してあるから大丈夫だったようだ。そして、強い意志を持って、ご家族がお子さんを迎えに来れるまで、私たちはお子さんを大切に見守りますので、安心してください。そして、ご自身の安全を確保して迎えに来てください。そんな言葉を伺った時に、ああ、この園長先生は信じれる方だなと思ったのだった。

そして、6年前のこの日、自裁に品川のオフィスから歩いて迎えに来たご両親がいたとか。到着したのは夜中の1時過ぎ。無事にお子さんに会うことができて、ホッとして帰宅したという話も聞き、防災対策や事前シミュレーションって本当に大切だなと思って、さっそく防災バックを準備し始めた。

もう3週間後には保育園。まだ、5ヶ月なのになと思う気持ちもあるが、速いタイミングからいろいろな大人と触れ合ったり、同世代の友達と接する方が経験という意味では良いのかなと思ったり。一方で、働きながら子供を育てるという世の中の大半の人がやっていくことを、そんな普通のことをするだけなのに、苦労したり不満が産まれたりするのも変な世の中だなと思いつつ、こうして家族でどんどん新たなステージへと歩を進めていけることに喜びを感じている。

2017年 東京&夜から白馬へスキー
2016年 東京
2015年 東京 数日後からキューバへ行った
2014年 麻布十番で飲んでたっぽい
2013年 伊豆トレイルジャーニーの翌日
2012年 東京
2011年 東京

http://teratown.com/blog/2016/03/12/5%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE311/

見えないものを予測すること

赤ん坊が、布で遊んでいた。ハンカチみたいなんだけど、中にセロファンみたいなのが入っていて、ガサガサと音がする。だから楽しいらしく、このハンカチみたいなのを手で握ったり食べたりして遊んでいた。実に楽しそうに。

ふと、その布を目の上にかぶせてみると、布を手で払って視界を確保するのではなく、両手をバタバタするだけで、布を触ることすらなかった。すなわち、目で見えるものを触って楽しむことができる。一方で、目の前にあっても、肌でその存在を感じていても、その布がどこにあるかを理解していない。だから、布が目にかぶさってて見えなくて邪魔なのに、取り払うことができない。

目で見えないものがどこに存在するかを予測して、手を動かすことができないのだ。まあ、身体感覚の延長がまだできていないんだな−とおもった。これができるようになった時に、見えないものを予測することができるようになった瞬間なんだろう。

以前、腕が腕の位置にあることがわかったとブログに書いたことがあったり、歩いていて見た月の位置の変化を予測できなかったことについて書いたことがあるんだけど、それと似たこと。どんな風に覚えていくんだろうなーと思いながら、手を舐めるようになったり、物をつかむようになったり、不安定な場所では何かにしがみついたりするようになっている。ちょっと前は、しがみつくとかそんなことなかったのに。そういった行動の変化を見ていると、日々の細かな経験を通して身につけていっているんだなと思う。何かが起こって、それに対して自分が行動した際のフィードバックを得て、何度も自分の中でそれを繰り返していくことで、正しい反応(行動)というのを学んでいく。ああ、やっぱり何でも経験して、失敗して、出来るようになる。すべての学習はこれなんだなと思う。大人はいつの間にか失敗することを恐れてチャレンジしなくなるけれど、いつまでも学ぶためには失敗をたくさんすること、それが一番なんだなと毎日教えてもらっている。

有から無になることの感情とボディシェーマ

ボディイメージ

月の奥に鏡を見る

ビルの隙間から見えた月の位置