月別アーカイブ: 2016年12月

最後の一人暮らしと旅

阿佐ヶ谷には思い入れがあったが、北千住にはない。
なぜだろう。
巣鴨もそんなになかった。
ただ、なんとなく寂しさがあった。

町に暮らすと、町が好きになる。
ただ、寝に帰るだけだと、この街に愛着がないから、さっと離れられるのかもしれない。
住んでみないとわからない。

一人暮らしを続けるとわがままになる。
僕は14年と半年ほど1人で暮らしてきた。
そんなに長く?って、思うがたぶん、数字で振り返るとそういうことらしい。
随分とわがままになった。
そして、随分といろいろなことがあった。
そりゃ約15年なんだから。
何もなかったら、そのほうが驚きだ。
表面的には人生で一番変化の大きかった15年だ。
って、その前の15年は幼稚園から高校だから、当たり前か。
内面的には小さい頃の方がより大きな変化があったんだろうが。

一人暮らし最後の日なぜだか、youtubeで深夜特急を見た。
知らぬ町の雑踏を歩く。
自分が何者でもないこと、
どんなことが起こるかわからない不安
でも、未知の世界に触れるワクワク感。

旅だけが持つ唯一の鼓動。
そんなものを感じながら、一人暮らしを終えた。

===

こんな文章を書いたのがちょうど1年前、すなわち一人暮らしを終えて1年がちょうどたった。なにも気にせずに生活できるから一人暮らし最高だと思っていた。人と暮らすのなんて不便と思ってきたのだが、食わず嫌いだった。一緒に生活してみたら、別になんの不便もない。逆にメリットの方が大きかった。結局自分の性格含めて分かっていないんだなと、やってみないと気づけ無いことばかりだ。そして、偶然また一人暮らしをしている。ただ、もうすぐさらに1人増えて、3人ぐらしが始まろうとしてる。想像するだけなのだが、買い物にいったり、近所を散歩したり、公園にピクニックに行ったり何気ない日常を今から楽しみにしている自分がいる。

youtubeで深夜特急を見て寝るとするか。

日常で当たり前の生活を書き残す

冷蔵庫は電源が入っていない。
なぜならゴミを出さないため。ゴミ出しがめんどくさいからだ。
朝はコンビニでおにぎりかパンを買って歩いて食べて、ゴミは駅のゴミ箱に捨てる。
だから、家では水道水しか飲まない

そして、食事は全て外食。
すぐ食べれるのと油っぽくないし、食べ始めてから量を決めれるので回転寿司が圧倒的に多い。
待たなくて良いのもせっかちにはありがたい。

冷暖房はいっさい使わない。夏の暑い山とかに体が適応するために。

って、そんなことを書きたかったわけではなく、これらは自分のなにげない以前の生活。そういった生活もあまり記録に残っていない。毎日のことだから、あえて文字に残さないし写真にも動画にも残さない。当たり前だったのに生活が変わればもう永遠にやることのないことばかりなんだろう。10年ぐらい同じような生活をしていても、一度やらなくなれば、それは一瞬の出来事であったかのように、何の記録にもなく、自分の記憶というものに頼るしかなくなる。

大人の時間感覚でもこれだとすると、小さな赤ん坊の日常は一瞬で過ぎていく。大人の時間と赤ん坊の時間では変化のスピードが圧倒的に違う。今は本当に今しか無く、明日でもということはありえない世界で赤ん坊は生きている。だからこそ、今という時間を日常を大切に噛み締めながら過ごしていきたい。そして、文字、写真、映像などで残しておきたいという気持ちが強くなる。