日別アーカイブ: 2016/12/11 日曜日

人は勝手に理解する生き物である

1ヶ月ちょっとたって、体重はどんどん増えていき、おっぱいを毎日頑張って吸うので、ほっぺたは筋肉がついてきた。今は一番やわらかい部分が足の裏というのが意外だが、歩けなくて一番筋肉を使わない部分だからなのかと理解する。

泣いた。
笑った。
キョロキョロした。

まあ、いろいろな表情をするようになった。大人というのは、赤ん坊の少しの表情変化を見て、自分を見て笑ってくれたとか、うんちしたから泣いているとか、いろいろ理解しようとする。もちろん、時間を長くともにすると、そういった非言語のコミュニケーションができるようになるんだと思う。言葉というのも、もともとそうやってできたのだから。

でも、これって、赤ん坊の思いをなんとか理解しようとする大人が自分でかってに解釈しているだけで、赤ん坊の意図とは違うかもしれない。そもそもなんの意図もないかもしれない、もちろん意図があるかもしれない。こうして、大人は勝手に相手を理解しようと務める。なんとか分かろうとする。そういう生き物のようだ。

大人も一緒だろう。大人は言葉で分かり合える。もちろん、そうなんだけれど、言葉以外の部分に関しては、やはり相手を自分なりに勝手に解釈していることが多いのだろう。

でも、声を出して微笑んでくれた。笑顔というのは万国共通で、人間という種にもともと備わっている行為な気がしていて、そんな笑顔を見せてくれるだけで、心を通して分かり合えた気がする。まあ、どうか分からないが、一方的にでもそう思えるということは幸せなことである。