宇多田ヒカルと母

宇多田ヒカルが6年ぶりぐらいに歌手復帰したらしく、テレビに出ていて糸井重里さんと話していた。その内容が非常に興味深く聞いていた。宇多田ヒカルは去年、母になってそんな事もあって、彼女の歌は歌詞は変わったようだし、その経験を通した彼女の変化や気付きに基づく話もとてもおもしろかった。おそらく、この世界に我が子もお目見えするというのもあって、特に面白く話を聞いたのもあるんだろう。

どん詰まりのときに唯一できることはユーモア
本当にどん詰まりで、にっちもさっちもいかないような状況にできることはユーモアしか無い。その打開策というよりも、それでしか、自分を救えないし、他にできることはない。結果的に、ユーモアで拓かれることがある。

自分の根源の無意識さによって、自分がなんたるかを悩む
その人の世界観や、価値観、人格形成の一番大きな影響となる生まれてからの1,2年。このときに経験したことや感じたことなどで、人格の基礎が作られる。この影響は大きいのに、おとなになるとその当時に経験したことは、何も覚えていない。思い出そうとしても思い出せるはずもなく、何も記憶も記録も残っていることはない。だから、大人になって自分という人間について考えたり、悩んだり、もがいたりしたときに究極の答えが見つからない。いくら、自分を辿っていっても、生まれたことの幼い記憶はない。でも、そこに根源があるのだから。まあ、だからこそ人は悩む。そうだなと思う、だからこそ、小さい頃の映像が残っているとおとなになってから見れて良いなと思うし、俺が(無駄に?)ブログを書き続けているのもその理由。幼いときでなくても、おとなになっても結局記憶は薄れ、書き換えられるのだから。明確に残っている拠り所がある方が、自分を遡って解き明かすには好都合なのだ。

子育てで、自分が育った過程を値体験
親になることで子育ての過程で、自分がどのように育ってきたのか、成り立ってきたのか、それが追体験のように経験できる。だからこそ、改めて自分の成り立ちというものを理解できて、自分をより知ることができる。

宇多田ヒカルが「道」という曲を歌っていて、なんか、この曲を聞きながら、宇多田ヒカルは母になったんだな。そんなことが、自然と頭によぎった。そして、約1年間、自分の子供をお腹の中に抱え、いだいていた。そのことが、とんでもなく代替不可能なことだなって、思い、それが母と子の特別な関係と言うか、感情をうむんだろうなって。別々の人間なのに、一体となっていて、それも1年弱も。その経験って、生まれてからではありえないことで、母と子って不思議な何かでずっと繋がっているんだろうなと思った。おそらく、宇多田ヒカルの母藤圭子の死と、宇多田ヒカルと彼女の子の話が出たから、特にそんな印象を得たんだろう。

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