月別アーカイブ: 2015年2月

自ら終わりを決めること

自分で終わりを決めることは難しい。
最初から明確な終わり(ゴール)があれば、別だ。

100メートル走であれば、100メートル先がゴールだ。
マラソンであれば42キロ先にゴールがある。
頂上を目指す登山であれば、ゴールが明確だ。
試験なども、それをパスすることがゴールだ。

でも、そうじゃないものが生きる根幹であったりする。
ゴールがないもの。

例えば、
絵の最後の一筆をどこで終えるか。
大きな経営の意思決定をいつ行うか。
世界を旅する旅人がいつ旅を終えるか。
料理人が最後の味付けをどこまでするか。

ただ長い時間かけて料理をすれば美味しくなるとも限らず、手早く作るからこそ美味しい料理になることもある。手を込めるということは、時間が経過するということ。それによるプラス面とマイナス面。

もちろん、100メートル走にはゴールがあるが、100メートルの選手をいつ引退するかは自ら決める終わりだ。

その終わりを決めること。
自分で終わりを決めること。

どうやって決断するのか。

論理的や経済合理性などで解がでるもことは簡単だ。答えの出ないものに、いかに答えを出していくかが生きることそのものである。そこに、その人の人間性というか、人間の深みがでるんだと思う。

井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と言ったが、さよならをすることにより、人生が積み上がっていく。

そして「大切なことは、出発することだった。」と星野道夫は語った。

逆説的だが、スタートするにも終わりを決めることが重要なんだと思う。終わりを決めなければ、次の始まりはない。

送信者 奄美大島と加計呂麻島

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ただ、終わりを決めるという意思決定も大きいけど、終わりを決めないということも意思決定なのだ。終わりを決めないことによってリスクが高まることやチャンスを失うこともある。もちろん終わりを決めないで良いことがあることも。慣性というか慣れて続けていることも、本来は意思決定なんだという意識を常にもって生きていきた。

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終わりのない最後

認知バイアスとマジック

つい先日、マジックを見た。

マジックを見たあとで、トリックが分からないということから、こんなことに考えを巡らせていた。

結局のところ人は、言葉とか、表面的に見えるものとか、目立っているもの、動いているものに注力が向く。

でも、トリックというのは、そこではなく、見えない部分や別のタイミングで行われている。

それは、核心が見えていないということ。

マジックだから当たり前なんだが、日常でも同じぐらいのことがあるかもしれない。

そんなことを思った。

人間はすべてを見ているとか、把握している、理解していると思いがち。
でも、マジックのように、現実の世界では見えてないことがたくさんある。
いや見えていないことの方が、ほとんどだと思う。
それも、その見えていない部分に本質的なものがあったりするのだ。

そして、現実はマジック同様に種明かしがない。
だから、核心部分が何かに気づいていないまま、時間が過ぎていく。
そう核心を見逃しているということにすら気づかないから、人は自分がすべてを把握して、核心部分や重要なことを把握していると勘違いし続ける。

そういうサイクルなんだろう。
これが大いなる認知バイアスだ。

マジックの隠された技に気づかないように、日常にもその可能性があることを常に意識していたい。
そして、人の言葉やメインで動いているものだけで納得するのではなく、その背景にあるものを常に考えながら、物事を捉えていきたい。
本当に重要なことが見えていないことを常に意識しながら。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

移動にかかってしまう時間

旅は移動時間に意味があると思っている。
それは瞬間移動じゃ旅の意味がないということだ。
どうしても移動にかかってしまう時間、それがありがたい。

3年ぐらい前のPTL、昨年のアコンカグア、そして今年の4月にウガンダに行く話が現実味を持ち始めた。

仲間と旅に出る。

事前に準備をして、同じ夢を見て、旅を共にする。

一人旅も楽しいが、そんな仲間との旅が最近は面白い。

ウガンダ人の友だちがいる友だちが、ウガンダへと半ビジネス半遊びで旅に行くというので、乗っからせてもらうことにした。

偶然それが4月ということで、まあ、タイミングが良かった。

ウガンダにどうしても行きたいわけではないのだが、その友達がイケてるな、かっこいいなと昔から思っていたので、瞬間的に行くと決めた。そんな友達と一緒なら面白いに違いない、何か新しい偶然に出会えそう、その直感だ。

PTLに出ることを決めた時もアコンカグアの時も同じだ。結局、人が好きで、イケてる人と旅に行くこと、同じ時間を共有していくことに興味というか価値を感じる人間なのだろう。

大学の2個ぐらい先輩なのだが、大学うんぬん関係なく、なぜだか知り合ってセンスがいいなと思っていた友達。もっと言えば、高校ぐらいの時から、彼のことはネットで知っていた。

彼の会社に遊びに行き、ランチをしながらウガンダの話をした。ウガンダへのトリップについて、背景とか聞くとますますワクワクしてくるし、現地で企てようとしていること、テーマを決めていろいろな人に会うなど、アイディアが膨らんでいく。

何もないものから、徐々にアイディアが湧いてきて、準備を重ねていく、この時間が楽しい。

行くまでの時間

帰るまでの時間

行く前にワクワクして、
現地で現実を見て、想像しない世界に触れ刺激を受け、
帰りに頭を整理する

そう、特に帰りの移動時間は貴重だ。

旅であったことを、色々と振り返りながら、考える。感じたことを考える。

旅で出会った具体的なことを抽象的にとらえ直して、他の日常の日々にあてはめてみる。

そうした、実益面での意味だけじゃなく、旅先で高揚した自分の気持ちを日常にアジャストするための時間。心を冷静に落ち着かせるにも、移動時間はありがたい存在だ。

送信者 三宅島手銛漁

どこでもドアは使わない
http://teratown.com/blog/2011/08/24/ecayeycieie/

場所と視点(a great vantage point)

MITのメディアラボで働いている友達が、帰国していたので昼から上野で飲んで色々話した。
大学は違うけど、大学時代からの友達なので、10年ちょいになるのかな。

研究の話やらビジネスの話やらアートよりの話やら。
国が違うので文化や価値観、行動基準も違うので話していて新しい発見があって面白い。
世界の頭脳と呼ばれている一握りが集まっているとされているので。

研究者といっても日本とアメリカではかなり違うなと。
同じ東大を出たポスドク研究者の友達とも感覚が違う。
どちらの友達も僕とは天地の差があるほど非常に優秀なんだが、物事の捉え方が違う。
それは、研究領域がより基礎研究に近いのか否かにもよっているとは思う。

が、やはり、場が違うと入ってくる情報が違う。
見る視界が違う。

どっちが、良い悪いではなく場が視点やスタンスに大きく影響しているなと感じる。
朱に交われば赤くなる。

東京で出会った友達でも、世界中、日本中に住んでいるが、「どうせやるなら、世界を取るという気概」「技術を知っている経営者の有無」「なんだかんだ言って優秀な人とお金の総額」あたりが、大きな差のように感じる。国内にも世界を取ると言っている人もいるが、その本気度と周囲にすでにそれを実現した人がゴロゴロいるという現実を踏まえた上での発言には大きな差がある気がする。

そして、日本の大手企業も優秀な人材確保のために動いているようだった。けど、結局メディアラボに行く人たちが求める環境があるかというと違うかもしれない。

潤沢な資金と自由な研究風土

Facebook,apple,Microsoft,google,Samsung,とかとか、いろいろあるけれど、彼らとの比較において。

あとは、やはりスタートアップも多いとか。大学側も支援するし、学生や研究者のスタンスも。まあ、やって失敗しても死ぬわけじゃないし、成功したら面白いじゃん、そんなスタンスを感じた。去年の10月だか11月にシリコンバレーへ仕事で訪れた時の感覚とも通じるものがある。

その感覚。

自分がこうなりたいという自分像があれば、それにマッチした場所に行く。それは、大企業とかスタートアップとか関係なく。

例えば、

本気でgoogleを超えたいならシリコンバレーがいいだろう。

自給自足したいなら、田舎の自然豊かなところがいいだろう。

これだけだと、当たり前。

なぜなら、極端な例だから。

こんな極端な例じゃなくても、会社選びとかも同様だなと。
まあ、これも当たり前か。

類は友を呼ぶし、類は友を呼ぶのさらなる連鎖が発生する。
そして、その場はどんどん明確な特徴を持った場になっていく。
そして、文化が生まれ、当たり前に感じる水準が高くなって、さらなる高みへと昇華していく。

ちょうど10年前に、こんなことを書いていた。
確か、シリコンバレーにいる梅田さんのブログかなんかの発言だったと思う。

a great vantage point

未来のgoogleを作るにしても、自給自足するにしても、絵を描くにしても、それぞれのa great vantage pointがあるはずで、そこに身を置くことが重要だし、将来的にはそういう場が作れる人間になりたいと思う。

さらに、つい最近、上海のスマホアプリ事情を見せてもらったり、聞いたけど、日本よりも先を行っていた。a great vantage pointは常に変わるということも忘れてはならない。

送信者 奈良田から農鳥岳ピストン