月別アーカイブ: 2014年9月

911にここにいる

まだ、メモは続く911

ビルに飛行機が突っ込んでから14回目の911

今となっては、ニュースにもならない9月11日は、普通の1日でしかない。
別に、自分にとっても特別な日でもなんでもないが、定点観測という遊びを続けている。

さて、来年の911はどこで、何をしているのか。
当たり前だけれど、いつも未来は未だ来ずだから分からない。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2013/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常

こんな履歴書の職歴が可能な社会

稼ぐことと支出を抑えることは同じ価値がある。

日本では経歴に空白があると良くないという。
転職に向かないとか、どうとか。
そんなの、枠にはまった考え方に過ぎないのだが、現実として、そう判断する会社や人がいるのも事実。

でも、この空白期間は自分で家を作ってました。
それで年間で実質二千万の価値を生み出してます。
なんてことが、当たり前のように理解される世界になればいいのにと思う。

もちろん、子育てを自分でしてて、ベビーシッター200万分の価値を生み出してますとか。

いろいろな経験をした人が集まっているほうが、新しいアイディアとか生まれてくると思うのだ。

そんなことを中国・大連にて思う。

中国の人たちの仕事を見たりとか、
日本を出て、ここに住んで仕事を見つけた日本人とか、
いろいろな人を見て思う。

3ヶ月ぐらい前に書いたことを再び思う。

送信者 パプアニューギニア2011

夏の終わり、御宿の浜にふたたび

千葉県の御宿

5年ぐらい前に、初めてのオーシャンスイムをした場所

送信者 sports

これがなければ、トライアスロンはしていなかったと思う。3キロ泳いでもまだまだ元気だった、これなら自転車もランもいけそう。そう思ったのがきっかけだったから。

そんな、場所でオーシャンスイムのリレーに出る。御宿駅に降りると、ああこんな町並みだったと記憶が連なるように思い出された。

送信者 sports

ビーチに到着すると、みんなすでに到着していた。着替えて、アップをしても、まだ時間がある。

マジックでゼッケンナンバーを書いてもらえないらしいので、ボールペンで書いてみたw

送信者 sports

さらに時間があるということで、砂に埋めてもらったw

送信者 sports

そして、背中にサンドアートさながらの、「泳」という文字を刻む。

送信者 sports

体についた無数の砂が、風でハラハラと飛んで行く。今まで味わったことのない感覚。今までとは違う風の流れを感じた。砂が落ちて行く感覚は、まるで自分が空を飛んで、砂が落ちて行くような。そして、砂という服を着ている感じも面白かった。

ついにリレー。3人1チーム。岸さん、石田さん、俺の3人チーム。沖の方へ泳ぐ。波に逆らうのでけっこうハードだった。水も濁っているので先が見えなくて、トライアスロンと違って人がばらつくので、参考にする人がいなくコースからそれたりと。

送信者 sports

でも、無事にバトンを繋げた。浜に上がるちょっと前に、大きな波が来た。これだと思って、タイミングを見て波に乗る。人間ボディーボードみたいに、スーーーーッと波に乗って、進んだ。もう沈むと感覚的に思っても、うまく波に乗ったので、滑るように進んで行く。気持ちいい。楽しい。

岸さんにスイムキャップを渡して任務完了。あー、疲れた。思っていたよりもハードだった。みんな無事に帰還し、さー宿へ。浜を歩いていたら、沼の用に足がズブズブと沈む場所があったり、なんでもエンターテイメントになる楽しさ。

送信者 sports
送信者 sports
送信者 sports

今夜は「まみや」さんに、泊まる。まずはお風呂に入って、夕食。お酒は隣の売店で買って持ち込んでということだったので、安くつくしありがたい。かなりボリュームたっぷりでおいしかったけど、特にさばの味噌煮が一番だった。

送信者 sports

ここに来たら、夜のビーチを散歩。誰もいない静かな海に月明かり。音楽を聴きながらビーチを駆け回って、海に流れる川に入ったり。なんだか不思議な感覚になる。

送信者 sports

夜の海って吸い込まれる。海の上に輝く月と波の満ち引きが呼んでいる。そんな感じ。いつの間にか海の方に歩いている。自殺願望とかではないんだが、夜の海にはそんな力があるんだなーと思った。

いつの間にか、みんな熟睡。おやすみなさい。早く寝て起きた真夜中に錦織くんが、USOPENで日本人初の決勝進出を決めた。

http://teratown.com/blog/2010/09/12/54e34eaiii/

時間と肉体の有限性が生み出す世界の面白さ

キレイごとを言う人より、発言はどうであれ行動する人を信じる。

飲み会でも、引っ越した遠くの友達でも「行くよ」と言って来ない人よりも、何も言わなくても来た人。

地震の時に東北のことを思うと本当に心が痛むと言う人よりも、ひどいことを言っても実際に現地へ行ってボランティアをしてきた人。

もちろん、いろんな事情があって足を運ぶことが全てではないにしろ、どちらかと言えば行動した人を信じる。

でも、行動の部分が地味なことだったり、その人が行動したことを言わなければ、キレイごとを言った人が評価され、口が悪いが行動した人は批判される。

世の中はそういうものだと言えば終わりだけれど、俺は行動者を信じる。

でも、なんでだろう。

タイムマシーンが存在しないことに答えのきっかけがあると思う。今この場で人が存在している。だから、タイムマシーンで過去に行った時、この場に別の何かが存在してしまったら、存在が重複してしまう。時空のゆがみとかなければ、それはあり得ない。って、言っても表現が下手で伝わらないので、具体例を書いてみる。

僕ら人間は物体だ。肉体という物理的に存在するものであり、それから切り離して考えることはできない。いくら優秀な人であろうと、いくら金持ちであろうと、その逆の人であろうと、自分という物理的なものが存在する。時間と同様に、全ての人にあまねく肉体という物理的な存在が1つだけ与えられている。死は、その物体が消滅することを意味しており、死を迎えない限り物体としての自分が存在する。

そう、この時間と物理的な存在での自分は切り離せないのだ。有限な時間と有限な存在である肉体。行動とは、その有限な時間と有限な肉体を捧げるという行為なのだ。言い方を変えれば貯金を切り崩すような行為。有限の人生の中で、そこに自分の命の一部を捧げる行為なのだ。

そんな行為が行動である。行動とは、自分の命の一部を捧げること、だからその行動をしてもらった側には、気持ちが伝わるのだと思う。言葉は行動を伴わず、ほとんど自分の時間も肉体も捧げていない。だから、何の代償も伴わないから、信じていいのか悪いのかが分からないのだろう。

この絶対的にかかってしまう時間と肉体というのは、究極的に人間という生物が行き着くところだと思う。いくら天才でも、いくら金持ちでも関係ない。だから、そこから飛び出したくて、人工知能とかクローンとか、再生医療とか、脳科学とか、タイムマシーンとかそういったものに人間が挑んでいるんだと思う。でも、これはなかなかブレイクスルーがないと思う。だから、面白いし、俺も興味あるし。

なんだけど、行き着くところは時間と肉体の有限な存在だ。これは時給系スポーツも同じだ。いくらお金を積んでも、100キロ走れるようにならない。効率的なトレーニングや食事方法はあるけれど、やっぱり絶対的な時間を確保して、日々の運動を積み重ねなければならない。そうしなければ、成長しない。絶対的に時間も自分の肉体も使わなければならない。それらと切り離せないからこそ、みんなが同じ土俵での勝負になる。いろいろ考えて行くと、こういった時給系スポーツにはまる理由はここにあるのではないだろうか。

そして、迷ったら物に立ち返れ。これは、数年前に茂木さんが芸大の友達に言った言葉。そう、物は存在する物体だ。揺るぎない存在だ。存在しないものは、解釈によっても違うし、言葉というものも解釈による。でも、存在するものは揺るぎない。もちろん、物も解釈によって変わるが、その存在自体は揺るぎなく、そこにあるもの。

まあ、長々と良く分からないことを書いたが、有限な時間と有限な肉体(物体)というものが、人にとって究極的によりどころというか、面白い存在だということです。

送信者 いろいろ