月別アーカイブ: 2014年9月

赤石岳から北岳まで縦走

南アルプス南部といえば不便。なかなか行く機会がなかったが、昨年のTEAM JAPONの練習で光岳へ。それ以外でも行こうと話して、車で出発したのに雨で
途中で解散とか、なかなかご縁がなかった南アルプス南部。ただ、北アルプスの槍ヶ岳とか剣とか穂高みたいにブランドはないけれど、静かで我が道を行く感じが好きだった。

飛び石連休で4日あるのと、長いトレイルを歩いてなかったので久しぶりに歩きたいということで、南アルプス南部へ縦走。毎日あるぺん号が毎日新聞本社から出ていて畑薙第一ダムまで夜行バスで行けるのを知ったのと、アコンカグア友達のハラペコ登山隊の面々が赤石岳避難小屋の主と仲が良いという話を聞いて、行ってみようと決めた。

送信者 赤石岳から北岳縦走

竹橋にある毎日新聞本社にはザックを背負った登山客がわんさか。北アルプスへ行くバスよりも一回り小さなバスに乗り込み出発。目指すは畑薙第一ダム。寝ている間に着くのだが、山道をぐねぐね。バスが左右に振れるので熟睡できず。畑薙第一ダムからは東海フォレストのバスで椹島へ。東海フォレスト関連の小屋に泊まる人だけ、小屋代金の前払い3000円で乗れるバス。

送信者 赤石岳から北岳縦走

もともとは、聖岳に行こうと思ったが、そうすると赤石岳避難小屋に泊まれない。悩んだあげく、コースも短くなるし、椹島から赤石岳に直接登ることにした。なんだか、赤石岳避難小屋のドンドンさんにあいに行くのが楽しい気がして。

椹島は、小屋とかもしっかりしていて、山の中にしてはかなり発展していた。お水をもって、登山開始。1週間前の天気予報だと雨だったが、休みが近づくにつれ天気予報は良くなり、初日は曇りで二日目から晴れの予報に変更していった。で、予報は当たり曇り空のトレイルを歩く。普通のトレイルだが、人は少なく同じバスで降りた人たち3パーティーぐらい抜くと誰もいない世界に。

送信者 赤石岳から北岳縦走

ただ、途中の標識が面白かった。4/5とか今の場所を表示する木の標識がおしゃれなのだ。そして、赤石小屋に着くと、玄関に同じテイストのマップなどが。センスを感じる素敵な演出。小屋の方とも話して、再度歩き出す。赤石岳の頂上に避難小屋があるが、ここで一気にペースが落ちた。時間的に余裕だなと思ったのと、初日はペースが出ないのはいつものこと。おそらく夜行バスでしっかり寝れていないから。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

14:30過ぎに頂上に到着すると、ポツンと小屋が建っていた。外で灯油をポリタンクに移している人がいたので声をかけてみると、やはりドンドンさんだった。小屋に入ると、ここもセンスを感じる張り紙など。こういうのを見ると、ホッとするし、心が和む。さっそく、ビールを飲むかと言われ、いただきながら話した。昨日もお客さんはゼロだったようだ。今日は2人が先に来ているとか。9月に入ってからずっと曇りで、雨は降らないのだとか。だから、お客さんが今年は少ないようだ。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

その2人と赤石のグランドキャニオンと呼ばれるところを見に行き、小屋に戻ってこたつで宴会。ハラペコ登山隊の仲間と友達だとい話をしたり、山や自然の話し、この小屋の管理人の歴史なんかを教えてくれた。小屋のこたつに入りながら、小屋の主人と4人で話す。これぐらいのこじんまりとした感じと、人里離れた場所というのが、雰囲気を醸し出し、この世界にひたる。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

夕暮れ時になって、部屋の窓から外を覗くと空が少し染まってきた。今日は夕焼けが見れるかもとみんなで、外に駆け出した。西に沈む太陽は紅葉し始めた草を燃えるように照らしだした。この力強さといったら、すごいものだった。部屋に戻り宴会の続き。岐阜の人と名古屋の人で、南アルプス南部は東海地方の人が多いのだろうか。まあ、地理的なもんな気もするが。それぞれが持ってきたお酒や食事を少しずつ交換して、いろいろ楽しんだ。山の上でのこうした食事も楽しいもんだ。やはり、4、5人という人数が一番いい。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

夜も更けたので宴会終了、そして外に星空見学。見上げれば満天の星空。空気もひんやりしている。冬の訪れを感じながら、明日も晴れそうだと、うれしくなった。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

ぐっすりと寝ていると、ドンドンさんが朝焼けだっ!と起こしてくれた。着替えて外に飛び出すと、淡い桃色に東の地平線が色づいていた。だんだん空はオレンジになり、太陽が顔を出した。ありがたい。暖かく、明るく、世界がハッキリ見えることが、どれだけありがたいことなのかと、いつも日の出の時に思う。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

朝食を軽くすませ、出発。長い長い2日目が始まる。当初の計画では三伏峠まで行きテント泊だったが、赤石岳避難小屋に泊まったので、もう少し先まで行けそうだ。塩見岳前後かなと予想しながら歩いて行く。地図と計画したタイムを見ながら。快晴で半袖で問題ない気温だ。景色も抜群で、樹林帯を越えているので、遠くまで見渡せ、南アルプスの山々が連なる。そして、大きな富士山がいつもそびえ立っている。このすばらしい景色。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

登りがきついなと。最近は運動量が減ったからなのか。ただ、小刻み歩幅でペースを一定にしたり、深く呼吸をするようにして、ペースを整える。すると、荒川岳の頂上で佐藤さんに遭遇。びっくりだ。昨日、椹島で実は見かけていたのだとか。2、3年前の北岳でも会っているので、かなりの高確率。今年は、農鳥でも富士山でも雲ノ平でも山の友達に会っており、遭遇率高し。

送信者 赤石岳から北岳縦走

崩落した稜線があったり、樹林帯に入ったりと、景色は変わるので飽きることがない。ただ、それは稜線歩きじゃないということを意味し、アップダウンがあるということ。これはこれで、辛いのだ笑。

送信者 赤石岳から北岳縦走

時間とマップをにらめっこ、そして行動食を食べながら。ひとり鼻歌を歌ったり、いろいろと考えを巡らせたりと。晴れているから、気分もよく山を存分に楽しみながら歩いた。塩見岳を越えた旧キャンプ場で泊まろうかと思ったが、間に合わなさそう。塩見岳は岩場もあるということで、疲れがたまっている夕方ではなく、朝イチで登ることに。そこで、暗くなる少し前に塩見岳の手前でビバーク。この日はガスが上がってきて、夕日も星空もお預け。ただ、雨は降らなかったのがよかった。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

翌朝は寒かった。テントの中はいつも寒くなく、ぐっすり寝れたのだが、朝になってテントを片付ける時は手が凍てつくようだった。雲の切れ間から朝焼けが見え、パンを食べて出発。塩見岳は、すぐに登頂した。他にも4、5組ぐらいが登ってきた。ここから熊ノ平を目指す。水場があると地図にあったが、見つからず。。。水が少なくなったので節約して熊ノ平小屋まで行くことに。ここのトレイルも田舎の果樹園みたいな風景や枯れ葉のトレイル、砂漠のような大地などなど。見ていて面白い。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

熊ノ平小屋で水をもらう。冷たくておいしい。水って最高。うまくてガブガブ飲み干す。山で飲む水は命の源という感覚を体が感じ取る。間ノ岳へと。ここも人がいないけれど、見晴らしは最高だ。それぞれの山の頂上付近には登山客がいる、これは1つの山だけ登る人が多いからだろう。縦走している人は1日に2、3組ずつすれ違うが、ほぼ全員1人での登山者だった。南アルプス南部に来る人はそういった、1人が好きだったり、自分一人でも行くという価値観の人が多いのだろう。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

間ノ岳は頂上が広いので、のんびりできる。ゆっくり食事をしている人も多数。そして、俺も。ここまで来ると、後半戦だ。なによりも、何度も来たことあるし、人も多いエリアになるから、ホッとするのもあった。北岳山荘を通り越す。テントは2、3張りでお客さんは少なかった。飛び石連休だったけれど、休みにする人は意外と少なかったのかもしれない。これなら北岳肩ノ小屋も空いているだろうと、目指す。北岳へ登り返す。ここもなかなかしんどい。2500mから3200mぐらいを毎日いったりきたり。ペースもつかめてきたので、初日よりはらくだが。

送信者 赤石岳から北岳縦走

けっこうはやく北岳肩ノ小屋に到着。そのまま行けば明るいうちに広河原に降りれる時間だが、降りてもバスがないし地上でテントよりも天空でテントの方がここちよいので、北岳肩ノ小屋に泊まることに。テント場も空いていて、好きな場所を選び放題。日が落ちるまで本を読んだり、音楽を聴いたり。この日もガスってきて夕焼けは見れず。

送信者 赤石岳から北岳縦走
送信者 赤石岳から北岳縦走

暗くなって寝る。夜中に眠れず、外に出て音楽を聴きながら星を眺める。霧は晴れ、満天の星空。見上げていると、星が流れた。最後の夜に今回の旅のご褒美をもらったような気持ちになり、眠りについた。

山では目覚ましは使わない。日の出とともに自然と目が覚めることが心地よいからだ。寝過ごしても仕方ない、もし寝過ごしたとしても、それよりも目覚ましなしで自然に起きたいという気持ちが強いから。と言いつつ、寝過ごしたことはないが。富士山の横から太陽が顔を出す。何層にもなって、空がグラデーションしている。ああ、きれいだな。時間とともに変化して行く空を美しいと感じる。なんでこんなにも美しく思えてしまうのか不思議だなと思いながら。子供の頃に刷り込みとか文化的、教育的にそうやって教えられなければ美しいと感じないのか?でも、子供の頃は朝焼けなんて美しいって思っていなかったから教育は関係ないのかとか。。。いろいろ考えながら、朝焼けのショータイムは終了しテントを片付けて下山。

送信者 赤石岳から北岳縦走

北岳は一気に下る。すぐに樹林帯に入るので、この高い山々の景色ともお別れ。4日間ありがとうございました。天気も良くて最高の夏山を楽しませてもらった。下山して、汗臭くて、べとべとしたので、冷たすぎる川だったけど、からすの行水をして、さっぱり。汗を流すだけで気持ちが違う、周りの世界も違って見えるほど。広河原からバスに乗り、甲府へ、そして東京へと戻った。

送信者 赤石岳から北岳縦走

■行き

2014/09/19(金) 毎日あるぺん号 22:40竹橋発
2014/09/20(土) 畑薙第一ダム夏期臨時駐車場6:30頃着

            畑薙第一ダム8:00発 椹島9:00着
            山小屋宿泊者専用バス 前払い3000円 予約不要 
            http://www.t-forest.com/alps/pdf/2014_sawara_bus.pdf
            http://www.t-forest.com/alps/bus_sawara.html 
    
■帰り

 バス 広河原発 10:20 甲府駅行き

 http://yamanashikotsu.co.jp/noriai/2014hirogawara.htm

1日目
椹島・・・赤石岳・・・赤石岳避難小屋 泊 素泊まり+2500円

2日目
赤石岳避難小屋・・・小赤石岳・・・大聖寺平・・・荒川前岳・・・高山裏避難小屋・・・板屋岳・・・大日影山分岐・・・小河内岳・・・烏帽子岳・・・三伏峠・・・本谷山・・・塩見小屋・・・塩見岳の手前でビバーク

3日目
塩見岳・・・北俣岳分岐・・・北荒川岳・・・熊ノ平小屋・・・三国平・・・三峰岳・・・間ノ岳・・・中白峰・・・北岳山荘・・・北岳・・・北岳肩ノ小屋 テント泊

4日目
北岳肩ノ小屋・・・小太郎尾根分岐・・・白根御池小屋・・・広河原

秋のひっそりとした山の時間

南アルプス南部

赤石岳から入り荒川岳、塩見岳などを越えて、北岳から広河原に降りた。3泊4日。

3000メートル級の山が連なるけれど、アクセスが不便でひっそりとした場所。

秋のおとずれにふさわしい静かな山、そして秋晴れ

初日は赤石岳避難小屋に。アコンカグアに一緒に行ったハラペコ登山隊の仲間が仲の良いドンドンさんがご主人ということで、めずらしく小屋に泊まることにした。旅は道連れ世は情けというか、僕という人間は偶然という出会いによって、育ててもらっていて、今回もこの日からスタートしたことで、残りの旅が意味付けられた気がする。

ドンドンさんと飲みながら、日が沈む頃には小屋を出て夕日を眺め、また飲みながら話し、寝る前に夜空を見上げに行く。そして、朝になれば、起こしてもらい日の出を見る。そんないい時間。

ドンドンさんとこたつで飲みながら、こんな話を聞いた。

===

朝はなんで、新しい気持ちになって、拝みたくなるか知ってるか?

朝という漢字を分解すると十月十日

そう、体育の日

晴れの日

でも、他にも読み方があるだろ?

とつきとおか

そう、子供が生まれること

朝は生まれ変わること

新しい命だから、拝みたくなるんだよ。

===

ツガの木をしってるか?

ツガの木は、大きく育って、倒れて土に還ってゆく。

そのツガの倒木の上に新たな木の命が芽吹く。

ツガは倒れてからも、新たな命の礎になるんだよ。

だからツガは木の母(栂)とかくんだよ。

===

静かな山小屋でこたつに入って飲みながらこんな話を聞くと、東京で聞くそれとは違った気持ちに包まれる。

こんな時間を過ごした後、3日間ほど山を歩く。

時には肌寒さを感じ、山の木々も色づき始める。
このエリアは人も少なく、ひっそりとしている。

なにか考えたいテーマがあるわけではないが、ぼんやりといろいろと考えを巡らす。禅問答のようなことも、仕事のことも、将来のことも、仲間のことも、家族のことも、山のことも、アコンカグアに行ったことも、星空をなぜ美しく感じるかとか、星野道夫さんの言葉とか。。。ドンドンさんの話をきっかけに。答えはないし、答えも求めていない、そんなことを考え、感じながら過ごした4日間。

最後の日の夜、テントで眠りにつけずスマホを見ていた。アコンカグアを失敗し、1人パタゴニアへ行った時に撮った本の一部があった。星野道夫さんの「旅をする木」

「人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。」

「一人だったことは、危険と背中合わせのスリルとたくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた」

「ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ。」

「町から離れた場末の港には人影もまばらで、夕暮れが迫っていた。知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない……それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。」

何年後かに、ふと思い出しそうな、とってもいい時間を過ごさせてもらった。ありがとうございました。

送信者 赤石岳から北岳縦走

数年前に、阿佐ヶ谷で聞いた話しも思い出した。

http://teratown.com/blog/2011/11/12/eiaeeeaaeiocaciucaeu/

時間の流れを踏まえた旅する場所

いろいろな場所に訪れてきた。

白地図を塗りつぶすように。自分の訪れた場所は、その地名が色付けられたようにイメージが形作られる。見聞きした想像だけの世界から、実感を持った肌感覚とでも言おうか。

行き先を決める。出かけるということはそういうことだ。あてのない旅もあるけれど、それはゼロに近い。ここに行きたい。そんな気持ちから旅の一歩は始まる。

自分の感情に素直にしかなれない。興味がないとどうしても体が動かない。まあ、義務でやっているわけでもなく、完全なる自分の自由意志なのだからそれでいい。そして、趣味とはめんどくさいことだ。やらなくてもいいことだ。それをあえてやるのが趣味だと思う。それだから、行動するにはエネルギーがひつようだ。そのエネルギーが興味、そう好奇心。

そんな旅先選びも、興味、お金、時間、体力などなどいろいろな要素が関わるが、時代の流れも大きい要素だ。それは、政治であったり、環境の変化、インフラの変化、社会・文化の変化。

例えば、チベット鉄道ができる前の車でしか行けないチベットに訪れてみたい。鉄道ができた後は中国から世界からより多くの人が流入するし、チベットからも出て行く。その前のチベットを感じたい。世界遺産になるまえの小笠原諸島に行きたい。政治体制が変わる前の中東、ブータン、キューバに行ってみたい。

世界は常に変化するし、変化するから成り立っているし、それを闇雲に止めたいとも思わない。ただ、変わる前の世界を目で見て、肌で感じたい。そう、時間は不可逆であるからこそ、もう味わえない世界を味わっておきたい、そう思うのだ。

送信者 いろいろ

夕暮れのひとときを楽しむ尾瀬ヶ原

北千住から便利な場所。

せっかくなら、その土地に住んでいるから行きやすい場所ということで、尾瀬へ。

北千住から夜行列車で尾瀬まで行ける。

尾瀬夜行2355に乗り、会津高原尾瀬口駅へ。ここでバスに乗り換え、沼山峠に翌朝6:10到着。

送信者 登山

山に登らなければ木道ばかりなので、あんまり山っぽくない人や日帰りの人も多そう。気軽にこの自然を味わえるのはいいもんだ。沼地の草も色づいて、秋の気配を感じる。青空と黄金色の葉がそよそよと揺れる。

送信者 登山

俺は燧ヶ岳へ登って、そして見晴キャンプ場へ行くルート。燧ヶ岳の登りはかなり辛かった。斜度があるし、石がごろごろで。見晴新道が土砂崩れかなんかで閉じているので、沼尻から往復。頂上ではガスって景色なし。。。

送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山

てくてくと木道を歩いて行く。アフリカのサバンナのようなだだっ広い草原のような気さえする。見晴キャンプ場に着くと立派な小屋が立ち並ぶ。小屋にはおみやげとか生ビールとかソフトクリーム、さらにはお風呂まで着いたホテルのような施設にびっくり。キャンプ場のテント場もきれいだし、トイレも水洗でびっくり。人が来る場所ってすごいな。

送信者 登山

山に登らない友達とうまい食べ物をたくさん担いで宴会をしにくる場所だな、こりゃ。まあ、早く着いたので課題の資料を読んだり、本を読んで過ごす。それから、散歩で湿原を歩いて寝転ぶ。ザックがないので気楽だ。やっぱり身にまとわないミガルな方が心地いい。

送信者 登山
送信者 登山

夜はスパゲティを茹でて食べようとしたら、ゆでた麺を地面にこぼしてしまった。チーン。汚れてないところを拾い、幸いにも水場がしっかりしていたので、麺を洗い食べた。。。こんなこともある。

送信者 登山

日が沈む頃に再び湿原に。スパゲティ事件で、消沈モードだったが、湿原から立ち上がる霧と西の空を茜色に染める太陽。何とも言えない世界。こういった光景は初めて見る世界だった。ただただ、その場のマジックアワーに心奪われた。尾瀬って気軽に来れるのにいい場所だなと、スパゲティ事件から一転、心躍る。ポイントは見晴キャンプ場という場所。ここが、尾瀬の入り口から一番不便な場所だから、比較的静かなのもいい。

送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山

夜は寒いかと思ったら、暑かった。ダウンなんかを脱ぐくらい。昼間は秋だなってくらい寒かったのに。夜中にテントを抜け出れば満天の星空。明日も晴れる。

送信者 登山

目を覚ます。紅に染まる東の空。朝が来た。朝ご飯を食べて、テントを片付け6時30分に出発。再び木道を歩く、朝露に濡れる木々の葉が生き生きとしている。太陽の光に輝き揺れる姿が美しい。

送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山
送信者 登山

至仏山へと登る。ここもけっこうな斜度で、足の筋肉にはいい刺激。みんなが登りまくって、石が削れてツルツル、嫌な感じ。老人には危険だなと。登りながら振り返ると尾瀬ヶ原と燧ヶ岳がドーンと。いい眺め。頂上では風が吹いて寒かったので、さくっと下山。鳩待峠について、乗合タクシーで尾瀬戸倉に。日帰り温泉で汗を流して14時30分のバスを待つ。その間に、テントを干して家に帰ってからの仕事を省いた。帰りのバスは新宿行き。3連休最終日で渋滞。帰りも北千住が良かったが、2日前までの予約しかなかった。。。

送信者 登山
送信者 登山

想像していなかった景色に出会えた尾瀬だった。

できることとできないこと

組織の風土を楽しくして、結果をだすことは得意だと思う。
それは、5人とか10人程度の組織を先導する場合において。

5人の組織と50人の組織は違う。
たぶん、50人の組織と500人の組織も違う。
500人と5000人の組織も違う。

5人であれば、すべての人と深く関われる。何をしているかも細かく把握できるし、サポートも手厚くできる。

50人の組織になると、名前とやっていることを把握することはできるが、すべての人に対して同じぐらいのコミュニケーションをとることはできなくなる。5人から10人の小さな組織にして、その組織を誰かに任せるということになる。自分の影響は直接的なものが減り、間接的なもの5人とか10人のリーダーを通してということになる。

500人となれば、全員の顔を覚えることも難しくなる。業務は何をやっているかなんて、一部しかわからなくなるだろう。もちろん、接する人は限定され、1年で1回も会わない人もでてくる。こうすると、組織を人ではなく、組織として捉えるようになるんだろう。組織や制度をどう変えていくか。個人の楽しさとかスキルアップではなく、組織全体として雰囲気がどうかとか、どんな傾向な人が多いかを理解して、制度を変えたり、打ち手を打つ。任せるということが非常に重要になるので、信頼できる人が何人ぐらい組織にいて重要な仕事を任せられるかがポイントになりそう。

5000人となると、想像がつかないが、ありとあらゆるジャンルを超えた情報や問題が入ってきて、それぞれにおいて瞬時に意思決定していく能力が試されるのだろう。大いなるビジョンを掲げたり、覚悟をもった意思決定が必要になってくる。4999人の一人ひとりを自分は知らないが、4999人は自分のことを知っているという、そういった存在になっている。さらに、社会的な目も自分に向けられるような存在になっているはずだ。すなわち、瞬時の判断をいくつも行いつつ、広い視点と深く先を見据えた洞察力を発揮して、ビジョンと制度を作り上げなければならない。その時には、社会的な存在における自分と組織も考慮にいれる。

まあ、想像でしかないけれど、今自分の見えているレベルだとこんな風に考えている。

何を書きたかったかというと、50人レベルになった組織をうまく運営していくって難しいなと思う。自分の発言や行動、作り上げた制度がどんな影響をあたえるの与えるのか。それを考え、組織の一人ひとりを感じ取りながらやらないといけない。

さらに、同じ職種や雇用形態であればもう少し簡単なんだろうと思う。例えば、全員営業マンとか全員企画屋とか全員オペレーターとか。全員正社員とか全員派遣とか。でも、デザイナーもいれば、開発もいれば、アナリストもいれば、プランナーもいる。同じ業務なのに正社員もいれば、業務委託もいれば。派遣や男女も年齢もバラバラ。そういった時に、どんなメッセージが一番届くのか。

自分が細かいことまで知って、入り込まないと組織をよくできない人間なので、自分がいなくても、誰かに任せたとしても楽しく結果の出せる組織にするためには、間接的な手段で影響力を及ぼし、組織を変える方法を身につける必要がある。

それが何かを考えると、こんなかんじじゃないかと思う。

■明確なビジョンを示す
 自分たちの組織が将来どうありたいか、どんな世界を作ることに貢献したいか。どんな理念を大切に日々の業務を行うか。将来の希望の光と日々の判断の指針みたいなもの。ここであえて「明確な」と書いたのだが、分かりやすさも重要だと思うから。No1になるとか、どこどこに勝つとか、世界初とか。そういったことは単純だけど、エネルギーになるのも事実。

■制度を作る
 評価の制度だったり、インセンティブのキャンペーンだったり、勤務時間や会議の時間や進め方だったり、学ぶ機会の提供だったり、目標設計の方法だったり。制度とか建物とか、そういった型があると、人間はその型にいつの間にか合わせて考えたり、行動するものである。だからこそ、人の考え方や行動がどう変化するかを踏まえた制度づくりが大切なのだ。

■人材配置(人に任せる)
 誰にどの業務をお願いするか。どの業務にどれだけの人を配置するか。それによって、組織全体が生み出す成果は変わる。適材適所もそうだし、重要な業務に貼り付ける人の数によっても。もちろん、教育目的でチャレンジミッションを与えたり、イノベーションを起こすために人を変えてみて、ぜんぜん違う視点から改善されることを期待したり。逆に引き継ぎミスを無くすために人を固定化したり。また、権限の移譲をして、より早い意思決定を促したり、現場感のある施策の実行を促進することもあるだろう。権限の移譲はモチベーションを上げるのにも活用できるし、ひとつ上の視点から意思決定をする成長機会にもなる。

■目標とかゴールの軸の設定
 目標やゴール、評価のされ方が変われば、人の行動が変わる。目標になる指標を何とするかは非常に重要で、不公平感ができるだけなく、数値的に良し悪しが判断つくものがいいだろう。売上なのか、利益なのか、新規数なのか、何に置くかは非常に重要。

■モチベーションアップのコミュニケーション
 すべての人と同程度コミュニケーションできるわけではないから、頑張ってそうだけど目立たないことを見つけたら声をかけてみるとか、表彰してみるとか。あとは、自分から直接言うだけじゃなくて、あの人が評価していたよ、と誰かに話してもらえるような仕込みをしてみるとか。

偉そうに書いたけど、できていないことばかりだから、意識してやっていきたいと思う。人が何人であろうと、楽しくやって結果を出せる組織が一番いい。時には苦しいこともあるけれども、その苦しいタイミングすら味わいつくしながらやっていけたらいい。さらに、ビジョンがあって、それにみんなが賛同していて、そのビジョン実現に向けて日々邁進していたら最高なんだろうなと思う。別に組織のリーダーが偉いわけでもなんでもないので、フラットな関係でいられたらいいなと。そんなことを思う上期の終わり。

あ、別に5000人の組織を率いていきたいなんて思ってもいないし、一般的な意味での偉くもなりたくない。正直な気持ちとしては、やったことないことをやりたいので、そういった立場も経験して、どんなもんか知りたいという気持ちはある。ただ、自分に向いているのは小さな組織だということを強く思うのだ。そっちのほうが自分の思考や行動パターンからしてうまくいく。

送信者 ドロップ ボックス