月別アーカイブ: 2014年6月

マスメディアが弱くなり、社会が小さな集団に分かれる

今日は朝昇龍が勝ったかなと、知り合いが話した。
ああ、今相撲やっているんだと知った。

テレビや新聞などをみんなが読んでいた時代は、みんなが知っている情報というがある程度はあった。誰でも共有できる情報があった。しかし、どんどんマスメディアを見なくなると、自分の好きな情報しか見なくなる。すると、マスメディアが発達していたころは普通だった情報を興味がない人は全く知らなくなる。

みんなで共有できる情報が少なくなる。すると、自分の興味と会う人としか話が合わなくなり、そういった人だけで話をするようになる。するとどんどん個別化していき、少人数の集団でしか話があわなくなる。それぞれの興味を持った無数の集団が存在し、その中で個別性を強めていく。結果として、それぞれの集団が分かり合えることが難しくなっていく。

そんな社会が出来上がる。

マスメディアが弱くなり、社会が小さな集団に分かれる。

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ずっと前、に書きかけて放置してあった。

今、中国の大連にしばらく滞在して、フェイスブックが使えない、グーグルがつかえないとか不便な日々。
そんな生活の中で、そういったメディアから、僕は自分の好きな情報だけを得ていたんだなと、身をもって気づいた。

そして、中国の人たちと話して、ワールドカップの話し、日本のテレビドラマの話、アニメの話、アイドルの話をされる。
日本にいてもテレビがないし、そういった情報は何も知らない俺は、中国のみんなよりも遥かに疎い。
これも、個別集団化、ソーシャルメディアなどのパーソナライズ化、受動的メディアは使わず、能動的メディア(自分で検索するとか)を使うようになった結果なんだろうなと。

そんなことを大連にて思う。

相手の時間をどう捉えるか

相手の時間

遅刻は相手の時間をつぶす事だ。
これは取り返しのつかない問題だと思う。
相手の時間を無駄にしてしまったら、どうしようもない。
弁償という問題でもないし、いつ死ぬか分からない時間を台無しにしてしまう。
取り返しのつかないほどの罪だと思う。

でも、一緒に遊んでいる時は気にしない。
お互いが楽しいと思って、完全なる本人の自由意志で使っている時間。
お互いが価値があると持っている時間だから気にならない。

仕事での無駄な時間は特に問題だ。
まあ、納得の上で仕事をしているからいいんだけど、現代の日本社会では、納得いってないけれど働いている人も多い。
お金という対価があるから、それに価値を感じているから、いいのかもしれないが、そうも割り切れない。
一部のベンチャー操業メンバーみたいば場合はちょっと違うかもしれない。

組織に命令される仕事
上司が部下を評価するとか
そういった制度下における時は、相手の時間を無駄には絶対できない。

最後は本人の自由意志なのだが。

相手の死ぬまでの貴重な時間を無駄にはできない。
無駄にさせてしまうかもしれない。
自分の判断ミスで。
それは避けたい。
明日死ぬかもしれないのに、無駄にさせるわけにはいかない。

その想いがベースにある。

自分が、そうされた時も同じように思う。
この人は時間を大切にしていない人だなと。
さらには、相手のことを大切にしていない人だなと。

送信者 UTMF2012心折れ部&金環日食

【場を作る新しい旅1】場を作るきっかけと家との出会い

場を作りたい。
ずっとそう思っていた。

阿佐ヶ谷の商店街沿いの場所が空かないかなとか、ちょくちょく見ていて、2年ぐらい前に空き物件を見つけて問い合わせたこともあった。
そんな想いとは裏腹に、なんといっても金銭的な面と時間的なネックがあった。しかし、今年の夏はモンブランのレースPTLに出ることを辞めた。そんなこともあって、時間ができた。

阿佐ヶ谷の家も長くて6年半もたち、荷物がたまり続け、一度整理しないと大変なことになるというのもあった。もちろん、この阿佐ヶ谷という町は大好きで、初めて人間的に住むということを実感した町で、仲間も町も大好きだ。好きすぎるぐらい、好きな町だ。初めての一人暮らしの日吉も、続く西日暮里も巣鴨も自分で選んでいなかったり、交通の便だけで決めた家だった。阿佐ヶ谷はそうではなく、住みたい町に住んだ初めての場所。そんな思い入れも強く、居心地が良かったことの証拠に長く住んだ。

今回の引越&場作りは、町よりも、この家に住みたいと思った。町というよりも、家に惚れたのだろう。阿佐ヶ谷時代は、家には住んでいるというよりも、荷物置き場。家にいること自体は快適ではなかった。そんなことも重なり、引っ越して、ついでに場を作ろうと思ったのだ。

なんで、そんなにも場を作ることにこだわるかと言えば、自分が場に出会い、育ててもらったという気持ちが強いからだろう。そして、その場をきっかけに世界は広がっていった。

そんな場とは、世界中を旅していた時に泊まった宿のオープンスペースであり、東京芸大に潜っていた教室や上野公園の砂場での飲み会、岐阜の活性化NPOをやっていた時の六本木のNPOハウスや岐阜のORGANの事務所、ベンチャーをやっていた時のオフィス、山に泊まった時の山小屋、クリエイティブライティングで学んだRainy day cafe、阿佐ヶ谷の友達の家、写真展を何度かしたあの場作りといろいろな人が集ってくれる感じ、などなどあげればきりがない。金を稼ぐとか、やらないといけないから、そんなことで集まったのではなく、個人のやりたいことや好きなことで集まる場。それも集まった人たちの出会いは偶然性が高い場所。

こういった経験が非常に大きいし、その場は心地よく、いろいろな偶然の出会いがあり、そこでアイディアが生まれ、新たなモノやプロジェクトが生まれていった。その過程はとても躍動的で、面白い瞬間の連続だった。

また、家を自分の手で作りたいというのもある。建設会社じゃなくて、自分の手で。ただ、空間を作り出すのは、そんな簡単ではない。イメージを立体的にしても、出来上がったものとの差は大きい。だから、小さな空間を作るということが練習になると思っている。

さらには、だいぶ先の将来には学校というか自然から学べる場を作りたいという気持ちもある。そういった学びの場を作るためにも、どうやってコンセプトを設計し、それが実現する場をどうやって作り、演出し、それが実現するコンテンツをどう入れこむか。もちろん、対外的にどう伝えるかも重要だ。そうしたことの参考にもなると思っている。

まあ、なんだかんだ理由を後付けで書いてみたが、すべてはやってみたら面白そうだと直感的に思ったのだ。具体的な未来像が描けているわけでもなく、見切り発車なのは違いないが、場を作ることを考えている時はワクワクする。そして、できた未来は楽しいだろう思うし、そんな想像を超えることが起こると心の底から思えるので、やってみた。それだけなんだ。

送信者 場を作る@北千住

アコンカグア&パタゴニアまとめ

アコンカグアにいくと決めてから、準備をして、トレーニングをして、飲み会して、アコンカグアにみんなで行き、俺は敗退してパタゴニアに。日本に戻ってからも反省会と称して飲み、妙高にスキー反省会、そして雑誌にも載り、トークイベントでも話し、最後にこのブログで紀行文を書き終わるまで約1年。

このひとつのアコンカグア登山という行為を通して、いろいろな楽しみを味わわせてもらったし、辛い事も味わったし、いろいんな感情が渦巻いていたし、感じながら考え考え考えた。そして、なによりも仲間との出会いと絆が一番の宝物。

◆概要

きっかけ:チーム名:ハラペコ登山隊 (HOLA PICO、スペイン語でこんにちは頂上!)
期間:2013/12/20-2014/01/06
場所:アルゼンチン メンドーサ、アコンカグア、パタゴニア
メンバー:7人、タクジさん、カッセさん、シンヤさん、弘樹さん、玉ちゃん、村さん、俺
コスト:100万ぐらい?

◆事前準備
アコンカグアへの想い
アコンカグアのスケジュールと装備
アコンカグア ヒアリングまとめ
絶対得なのに、なぜか損した気持ちになること

アコンカグアに向けて
アコンカグアトレーニング 富士宮口から
今年最後の富士山とシュラフ購入

◆紀行文

【地球の裏のその先へ1】旅は6ヶ月前から始まっていた
【地球の裏のその先へ2】青空のブエノスアイレスを町歩き、そしてメンドーサへひとっ飛び

【地球の裏のその先へ3】メンドーサの町であれやこれや、登るまでの道のりは長い
【地球の裏のその先へ4】モーターサイクルダイアリーズ 赤茶けた大地を歩き始める
【地球の裏のその先へ5】ベースキャンプへの長い道のり
【地球の裏のその先へ6】休息日に休息できない人の過ごし方
【地球の裏のその先へ7】突然の終わり。救急ヘリそして入院
【地球の裏のその先へ8】元気が戻り悔しさだけの病室
【地球の裏のその先へ9】メンドーサの安宿で一人もがき続けた日
【地球の裏のその先へ10】荷物との再会、メンドーサとの別れ
【地球の裏のその先へ11】広大無辺なパタゴニアの大地との出会い、頂の見えない大晦日の夜
【地球の裏のその先へ12】届かない手紙。テントを借りて、フィッツロイへと続く道
【地球の裏のその先へ13】青空のパタゴニア、フィッツロイとの出会い
【地球の裏のその先へ14】地響きとともに崩れ落ちる氷河、悠久の時間の流れ
【地球の裏のその先へ15】旅の終わり、偉大なる大陸との別れ

◆現地からの更新

新年にパタゴニアで思い返したこと
サヨナラアコンカグア

◆雑記

一万回悔しいと叫んでも
めぐりめぐりめぐりあい~いつまでも終わらない旅の続き~
アコンカグア下山直後のメモ
アコンカグアその後~山と渓谷とForget me not~
アコンカグア大反省会@妙高杉ノ原でサイドカントリー
同じ時間をどんぶらこ
同じ世界を違う目で見た別の世界。
あの時のことを振り返る
ハラペコ登山隊 
2013年は仲間がいるっていいなと感謝した年
1本の電話
仲間と歩んで行くこと

送信者 Aconcagua&Patagonia

忙しいが嫌いだ。自分の問題を他人にもアピールするセンスのなさ

忙しいという言葉を好まない。
僕は忙しいという言葉が嫌いだから、ほとんど使ったことがないと思う。

すぐに忙しいとか言うのが好きじゃない。
僕が言わない理由としては、僕が忙しいということは、周りにしたら関係ない。
忙しいのは自分の問題であって、周りにしたら関係ない。忙しいことはお前の中で解決しろと言った感じ。

仕事とかで、忙しくて引き受けられないというような場合なら、使うことはありだと思う。
不可能なのに引き受けて周りに迷惑をかけるのはよろしくない。

ただ、上に立つ人間は忙しいと言ったり、忙しそうに見せるべきではない。
何か聞きたい事があっても、忙しそうな人には相談しづらい。邪魔するかも、機嫌悪くて怒られるかもと。
些細な質問でも、それが解決しないともやもやしたり、それがネックになって仕事が何時間もスタックする事がある。
それは、もったいない。だから、上に立つ人間は常に暇そうにしているべきだと思っている。常々。

仕事以外でも、何かを誘ってくれたときに、僕が忙しいかは僕がどうにかする問題であって、友だちには関係ないのだ。
さらに、忙しい忙しいといって、面白いことに出会うチャンスを逃したくないという気持ちもある。
忙しぶっている人を誘おうとは思わない。
なんでもやってみたい性格的には、これが大きい。

忙しい忙しいと言っている人も好きではない。
そりゃ、忙しいときもあるだろう。
でも、常に忙しい忙しいと言われても、知ったこっちゃない。
お前がどうにかしろと。
たいして忙しそうでもないのに、忙しいと言いたがる人は無視だ。
さらに、常に忙しいなら、忙しくなくする方法を考えればいい。
常に忙しいのが好きであるならば、ずっと忙しくしてれば良いと思う。
だが、いちいち周りに忙しいというのはナンセンスだ。

まあ、時間にゆとりがあるように見える方がいい。
チャンスはそこにしかやってこない。
そして、チャンスはいつ来るか分からないから、常に暇なように見せている事が大切だと思う。

送信者 いろいろ