大人になることと情熱と感情と持続力の変化、そして事を成し遂げる可能性

最近は結婚式が少なくなっていたが、2日連続で結婚式があった。

土曜日は信濃大町で旅仲間かつ元阿佐ヶ谷仲間の結婚式。
日曜日は鎌倉で東京芸大時代の友達の結婚式。

どちらの友達も10年近い付き合いで、それなりに若いころ、例えば20代前半ぐらいから知っていた。

久しぶりに会う友もいれば、年に数回会っている友も、頻繁に会っている友も様々。

ただ、一同に会する事は本当に久しぶりで、稀な出来事だ。
コミュニティは違うけれど、友達が一同に会して、いろいろな話をした。最近やっている事、興味のある事、当時の事を語ったり。

そんな時間を過ごしながら、なんかもやっとした感覚がずっとあった。それって、何だろうと考えたり、考えるというよりも、汚れてかすんで見えないガラスをきれいに掃除して、ハッキリ見えるようにする。例えるならば、そんなような作業を脳の中でやっていた。

そのもやっとしたものを言語化すると、こんな感じだなと思った。

10年ぐらい前はみんな元気だった。元気というか、溢れ出す感情や衝動、俺はこう思うんだ、こうしたいんだ、これが正しいと思うのだ、俺の持てるすべてをぶつけたいんだ、こんなものクソだそれなのになんで評価されるんだ、俺はこう思うなぜなら、、、なんかそんな感情や情熱にあふれていた。今もあふれているのかもしれないけれど、昔の方が、話していてもすぐに、そんなような話になった。それで、ぶつかる事も多々あった。よく噴火していた。

それが、振り返ってみると最近少なくなった。これは、情熱量が減ってきているのだろうか。それとも、いろいろぶつかってきて、ぶつかっても仕方ないと思い始めて、あえてぶつかる事をしなくなったのか。それは、定かではない。けれど、溢れ出す情熱や衝動のぶつかり合いは減った事だけは事実だ。いろいろ経験してきて、いろいろな見方はあるし、自分の知らない背景、影みたいなもんを抱えながら生きている。それを分かったからなのだろうか。

理想ばかり言っても、学生でもないし、お金を稼ぐ必要もあるし、妥協も必要だと考え始めたのだろうか。なんか、マイナスな表現に聞こえるかもしれないけれど、単純にそういう捉え方ってわけでもない。

というのも、情熱とか衝動とかいったものが、表出されることは少なくなった。でも、それぞれがやりたい事、信じる事を続け、事を成し遂げる人も出てきているからだ。もちろん、昔の夢や理想から離れた者もいる。成し遂げた者たちは瞬発力になるような衝動や感情は表に出なくても、秘めた想いを抱き続けているのだろう。

そう考えると、感情的になってそれをすぐに表に出す事ってどんな意味があるのだろうと思う。自然とわき上がっているものをそのまま表現しているってことだから、我慢して自分の中にためる事なんて意味ないし、それ自体はいい事だと思うのだが、そのエネルギーって事を成し遂げるには絶対に必要でないのかもしれないなとか。

見た目的にエネルギッシュな人の方が、パワーがあって、なんかやってくれそうな気がしてしまうが、それって要素の一部で、そういったことを表に出さずに、想いを持続し続けている人がたくさんいるってことだ。でも、こんなこと言いたかったわけじゃなくて、みんなの心の中で、物事に対する情熱ってものがどのように変化していって、それをどう捉えているんだろう。そこが気になった梅雨入り初の週末。

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