人間はきっかけと言い訳が欲しい生き物である。

人間はきっかけと言い訳が欲しい生き物である。

何かをする理由。
良くないけれどやりたいことをする理由。

きっかけも言い訳も同じこと。

きっかけ。

そもそも知らなかったので知るきっかけだったり、
思いつかなかったことを思いつかせてくれたり、
義理だったり、
友達に誘ってもらったり、
偶然テレビや広告で知ったり、
一枚の写真との出会い、
道ばたでの出会い、
好きな小説に出てきたり、
偶然に2度連続で何かを目にしたり。

きっかけは、理由の説明だ。
「知らなければ、愛せない」ということを昔書いたが、知るのがきっかけ。
自分自身に対する説明であり、周囲に対する説明材料。
説明なんて極論しなくてもいいが、説明できると社会では何かと便利だ。
まあ、きっかけが運命のように感じることもある。

それは偶然の重なりだったりとか。
人はきっかけがあって、行動する生き物だ。

一方で、いいわけ。

人間は成功したい生き物である。
人間は他者から認められたい。
人間は一貫性をもたせたい生き物である。
人間は自己肯定をしたい生き物である。

だから、いいわけが必要だ。
そもそも社会も自分も変わり続けているので、完璧な一貫性なんてないと思う。
でも、一貫性というか、論理の正しさとされるものへの無意識での執着はあるんだろう。
だから、いいわけをできる余地を残しておくことが重要だ。

いいわけは消極的な気持を潰す理由だったりするかもしれない。
いいわけはその人が潰れないようにする理由かもしれない。
いいわけは今までとは異なる新たなことをする理由かもしれない。
でも、いいわけをする余地がないと、その人は生きづらい。
自分に対しても、周囲に対しても。

いいわけやきっかけを提供する。
それらの余地を常に残し続けることが、一番重要なんじゃないか。

仕事も趣味も人間関係も何もかも、きっかけといいわけはセットなんだろう。

なんか、まとまっていないけど、きっかけといいわけをセットで考えてた。

送信者 徳島巡り2014

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