月別アーカイブ: 2014年4月

長い旅路へ

4月はバタバタした。
毎時間次から次へといろんなジャンルの話を聞いて判断して。
めまぐるしくて、インプットをし続けて、分からないなりにベストだと思う意思決定をし続けた。

そんな中、仕事以外もいろいろあるのが日常で。

明日の朝6時の便で宮古島にトライアスロン。
4日ほど滞在して、東京に戻り来週の木曜の夜から河口湖へ。
金曜の昼スタートで2回目のUTMF100マイル。

からの京都いったり、四国に行ったり、岐阜でキャンプしたり。
できれば京都の前に長野である友達の結婚式にも行きたいのだが、はてさてどうなるやら。

日常というなの非日常を楽しんできます。
まあ、宮古島での4日間晴れるといいな。

そして、宮古島トライアスロンは制限時間ギリギリでゴールして体に負荷をかけずにUTMFに望めるといいな。
それが最大の目標。

佐渡のロング以来3年ぶりのトライアスロンロング、どうなるやら。

【地球の裏のその先へ10】荷物との再会、メンドーサとの別れ

【地球の裏のその先へ9】メンドーサの安宿で一人もがき続けた日

やっと、やってきた月曜日。月曜日がこんなに待ち遠しかったのはいつ以来だろう。初めてに決まっている。いつもと同じ朝が、なぜかとてもまぶしく見える。登山エージェントのオフィスは10時に開くとのことだったので、ぴったりに到着するつもりで行った。そして、この1日のスケジューリングをしていた。荷物を受け取り、宿に戻り、片付け、そしてチェックアウトしてアルゼンチン航空のオフィスでチケットを買う。もう、年末でチケットは少ないし、オフィスでしか買えない。そのオフィスのオープン時間も短いと昨日に調査済み。

さあ、怒濤のようにタスクをこなすぞ。こうして、やることがあるとアコンカグアの憂鬱を忘れることができる。忘れるというか、タスクをしている間はアコンカグアの憂鬱が頭を支配することはない。気がまぎれるのだ。ただ、ザックやスタッフバッグが本当にエージェントのオフィスに届いているのか、無事に戻ってくるのかが心配だった。ヘリで降ろされてから全くコミュニケーションを取れていないし、俺の鞄をちゃんと降ろすインセンティブなんて業者にはない。土日を挟んでいるし、どこをさまよっているのか。手元に届くのか。もし、届かなかったらどうしよう。また、手ぶらでの旅か。イランみたいだなとか、思いながら。そして、登山道具が一式なくなると、再び買うことになるが、そうすると多額の出費だなとか。

とりあえず、エージェントへと向かった。期待と不安を胸に。オフィスは開いていた。事情を説明すると、ここで待っていてと言われ、電話を誰かにかけた。今、50ドル払えば、すぐにバッグを渡すわよ。そんな感じで。マジかよ。50ドルぐらい払うけど、先払いかよ。ちょっと不安w。でも、支払ってしばらくすると、一人の男性がオフィスにやってきた。ハイ、タケシぐらいのノリで。ザックは外にあるから、一緒について来いと。外の車に入っているからと。えっ、マジで?

一緒についていくと、乗用車があった。そのトランクを開けると、まぎれもなく俺のバックパックとダッフルバッグがあった。ただ、どちらも中身が少なくスカスカな印象でとんでもなく汚れていた。まあ、見た目はどうでもいい。オフィスに戻り、中を見ると亡くなっているものも少しあったが、大半は残っていた。感謝の意を伝え、タクシーに乗って宿に戻った。

送信者 Aconcagua&Patagonia

ここからはスピード勝負。午前中しかやっていないアルゼンチン航空のオフィスでチケット購入だ。すでにパタゴニアに行くことを決めていた。ネットでだいたいの金額は調べていた。メンドーサからブエノスアイレス、カラファテという便を買う。10万ぐらいかかるけれど、この際、気にしてはいられない。

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宿に戻って、荷物をダッフルバッグ1つに詰め込んだ。テルモス(水筒)には、まだベースキャンプで入れたミルクティーが残っていた。荷物をまとめてチェックアウトして、すぐにアルゼンチン航空のオフィスへ。かなり混雑していた。整理券を取り待ち。既に持っているメンドーサからブエノスアイレスのチケットをキャンセルして、新たな便を取り直して。もし、満席だったらどの便にしてとかパターンシュミレーションを繰り返す。

順番が回ってきた。空席があったようで、無事に目的のチケットが買えた。メンドーサを旅立つのは今夜。当初の予定よりかなり速い旅立ちだが致し方ない。メンドーサを離れることは、みんなを見捨てることかとも思って、心が痛んだ。でも、このままいても、やることはないし、メンドーサという町にいるのがつらかった。仲間もいつ降りてくるかは分からないし。旅立つ決心をした。

時間ができたので、町中のオープンカフェでランチ。久しぶりにしっかりとした食事をとった。食べると元気になる。少しずつ自分自身が回復しているのがわかった。月曜日でにぎやかな町を散歩しながら、時間をつぶす。宿に戻って荷物をピックアップして、空港へ行くことにした。宿の前でタクシーを捕まえて。空港に着くとやることがないので、ワインで有名なメンドーサということでぶどう畑に遊びにってみたり。

送信者 Aconcagua&Patagonia
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大きな荷物を預けて、飛行機に搭乗。タラップを歩きながら、今までのことが走馬灯のように巡っていく。そして、今現在、仲間はどこにいて、どんな状況なのだろうか。登頂できたのか、天気でとどまっているのか、全員元気かな。もちろん、自分がなんでここにいるのだ。自分の軽率さと人間のレベルの低さを痛感しながら歩いていった。そして、最後にどうしても仲間を見捨てるような気がしてつらくなった。一緒に行動をともにしてくれ、僕を助けてくれた仲間を置いて一人でパタゴニアに行く。自分勝手なやつだ。そう思うと申し訳なさが。その申し訳なさもエゴなのだが。そんなことを思っていると、自然と涙がこみ上げてきた。

送信者 Aconcagua&Patagonia
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飛行機はそんな感情とは関係なく、いつものように飛び立った。大きくそびえ立つ山を見ながら、落ちていく太陽を見ながらブエノスアイレスに到着した。明日朝イチの便でカラファテに飛ぶため、空港で寝ることにした。何年ぶりだろう空港の床で寝るのは。良さげな場所を見つけ、場所取り。水などを買い、山で食べる予定だったアルファ米に水を入れて、夕食とした。外では、雷が鳴り響き、稲妻が空を切り裂いていた。僕は貴重品だけ身につけ、いつの間にか寝ていた。

【地球の裏のその先へ9】メンドーサの安宿で一人もがき続けた日

【地球の裏のその先へ7】元気が戻り悔しさだけの病室

朝、目を覚ますと、体がかゆかった。着替える服もないし暑くて裸で寝てたせいもあるが、ダニにやられたのだろう。朝から嫌な気分だ。今日は日曜日、荷物を取りにいきたくても登山のエージェントはクローズと言われている。街に出てもほとんどの店は閉まっているはず。やることがない。ホテルの部屋で暇をつぶすしか。暇すぎると、アコンカグアの失敗のことだけを考え続けてしまう。着の身着のままでヘリで降ろされたので、暇つぶしの道具になるようなんてものはない。こんな精神状態の日に、一人宿の部屋で暇になるのは良くない。考え詰めてしまう。でも、町にでても何もやっていない。

残りのスプライトをごくりごくりと飲み干した。気分転換にホテルでも変えようかと思って、近くのホテルに行ってみた。するとべらぼうに高かったり、部屋が空いていなかったり。ついていない。10時ぐらいまで部屋で待つことにした。やることもないので、洗濯をして干した。すぐに乾く暑さだ。

送信者 Aconcagua&Patagonia

暇になると考えてしまう。なんで俺だけ失敗したのか。どこの判断がダメだったのか。なんで俺はいつも軽率な行動をとってしまうのか。ダメダダメだ。みんなは今ハイキャンプに着いただろうか。すると、あと2、3日でアタックだろうか。天気はどうかな?全員一緒にいるのだろうか。好天に恵まれて頂上まで言ってほしい。でも、自分だけいけないのは悔しいので、登れなかったら来年一緒にいけるかもと、嫌らしい気持ちもわいてくる。すると、本当に自分は自分勝手で、小さな人間だなと思えてくる。だめだだめだ。

トラベルエージェントがやっていないと知りつつも、念のために確認しようと思い、宿を出た。町中に人影はまばら。まあ、日曜日だ。天気のいい休日なのに、どこか寂しげだ。こんな心理状態だと、世界のすべてが負に見えてくる。当たり前だが、トラベルエージェントはやっていない。行く当てもなく、宿に戻る。

でも、結局考えることはアコンカグアの失敗。なんで自分だけ高山病になったんだ。元気すぎて、登ったのがいけなかったんだ。でも、本当にゆっくり登って順応したはず。事前の富士山もみんなより多く登った。なんでだ、どうしてだ。でも、すべての責任は自分。本当に見栄や強がりだけで生きているダメなやつだ。どうしたら、もっと人として徳をつめるのだろう。ああ、でもそんなことより、悔しい、もどかしい、落ち着かない。

送信者 Aconcagua&Patagonia

誰とも話す相手がいなくて、つらい。発散すらできない。スマホのwifiがつながったので、facebookに書いたり、ブログを書きなぐったり、理解してくれそうな友達に連絡したり。何人かとメールのやりとりをして、少し落ち着いた。やはり、人間はコミュニケーションがないと生きていけない。救われた気がした。

昼が過ぎて、もう1度とラベルエージェントに行ってみた。やっぱりやっていない。当たり前だが、ついつい来てしまう。帰りにランチを食べた。そして、水を買ってまた宿に。

堂々巡り。でも、悔しい。一人でベッドのシーツを握りしめて、悔し涙が出てきた。頭が狂いそうになる、一番残念だったのは、あんなにも素敵な仲間6人と一緒にともに時間を共有できなかったこと。苦楽をともにして、けんかもして、飯を一緒に作って食べて。そんな時間を一緒に味わいたかった。その時間が何物にも代え難いすばらしい時間になることは容易に想像できる。なんで自分は、それを捨ててしまうような軽率な行動をとったのか。そして、大切な仲間にも迷惑と心配をかけてしまったのか。愚かな人間だ。

送信者 Aconcagua&Patagonia

この無限ループは続いた。夕方にもう一度トラベルエージェントにいき、帰ってくるときにサンドイッチを軽く食べて夕食を終えた。日が落ちても考えることは同じ。ベッドの上で、スマホを触りながら、悔しさともどかしさの無限ループ。寝れない寝れないと思っていたが、いつの間にか眠りについていた。ダニにさされるベッドの上で。

声にならない声を聞く

僕は言いたいことを言う人間だ。
誰に対しても。
そのスタンスは、それはそれでいいと思っている。

ただ、なかなか言えない人もいる。
それは、立場、年齢、まあ、いろいろな理由で。
個人的には、それを気にせず声を出してくれるとうれしいなと思う。
そんな制度があったり、風土というか文化の組織を作れたらなと思う。

しかし、そうもいかないのが現実。

実際の現場において、そういった声にならない声が本質をついていることはよくある。

どうやって、そういった声に耳を傾けるのか。
そんな声スルーしてしまっても、仕事は回る。
でも、違うと思う。
そういった声を少しでも聞きながら仕事をしたい。

俺は声がでかいし、言葉が汚い、感情がないと思われがちなので、声なき声な人が声を発するのを躊躇させてしまう可能性も大いにある。
それを忘れないようにして生きていきたい。
裸の王様にならないように、自戒を込めて。

送信者 Aconcagua&Patagonia

【地球の裏のその先へ8】元気が戻り悔しさだけの病室

【地球の裏のその先へ7】突然の終わり。救急ヘリそして入院

夜中に2、3度目をさまし、尿瓶におしっこをした。点滴をずっと受けているから、飲み物はほとんど飲んでいないけど、おしっこが出るのだろう。睡眠時間とかも不規則だったが、久しぶりにしっかり寝て、疲れが抜けている気がした。でも、朝起きると、病室のベッドの上。

かなり回復してきており、ヘリで運ばれてから初めて自分で歩いた。行き先はトイレ。こうなると、やることがない。もう寝れないし、ベッドの上で周囲を観察するぐらい。ヘリに乗るときに詰めてもらったザックを開けた。それまでは、ザックを開ける気力すらなかったのだが、ついに元気になり。

スマホで今の心境をメモったり、どうすれば退院できるか、退院してからどんな流れで荷物を取って、宿を探して、その後はどこに旅に行くか。いろいろ考え始めた。でも、一番気になるのは山にいる仲間のことだった。今日は高度順応かな?それとも荷揚げかな?全員元気かな?天気はどうかな?とかとか。なんでみんなが山にいるのに、俺だけここにいるんだろう。そんな気持ちにも苛まれた。そう考え始めると悔しくて悔しくて、遣り切れなくて。ベッドのシーツを握りしめた。

朝食がやってきた。ビスケット数枚と紅茶のみ。ひもじいが、そんなに食べる気にもならず。窓から朝の涼しい風が入り込み、カーテンがひらひらと揺れている。ベッドの上からただ、それを眺めていた。この動きはどんな法則があるのだろうかと、無意味な想像を膨らませながら。

看護婦さんや若いドクターが出入りする。夜勤の方々との交代もありつつ、病室の病人もころころと入れ替わる。空きのベッドが少ないのだろうか。面会にくる家族や親戚も増えてきて、今日は何曜日だろうと考えながら。でも、やることがない。暇で暇でしかたない。早く退院したい。

すると、いかにもできそうな顔をした女医さんがきた。若手のドクターを引き連れて。これが総回診か!日本もアルゼンチンも同じ仕組みか?若手ドクターがそれぞれの患者の説明をしていく。そしてボス女医さんが聴診器を当てる。ついに俺の番がまわってきた。頼むからOKだしてくれ。そう祈りながら。しかし、完璧に治ってない。まだ、肺に水がたまってるとのこと。チーン。

点滴と酸素吸入が再び新しいものに取り替えられた。。。先は長そうだ。そして、看護婦さんに身寄りの人はいるかと聞かれた。仲間と山に登りにきたけど、みんなまだ山の中だし、メンドーサの町に友達や家族なんかいないよと。でも、身寄りの人がいないと退院できなそうな空気だったので、1軒目の病院で通訳をしてくれた登山ガイドさんがくれた、メンドーサ在住日本人の電話番号のメモを見せた。どんな関係かと聞かれて、会ったことないけど紹介してもらったといったら、それじゃダメだと。。。

送信者 Aconcagua&Patagonia

元気になると悔しさが生まれてくる。そんな悔しさに全身を包まれながら、一方でヘリで助けてもらえて本当にありがたかったという気持ちを抱きながら、ただひたすら時間が流れるのをまった。やり過ごした。昼食はいつもと同じ、鳥の丸焼き。もちろん味なしが出てきて、ほとんど残した。午後になっていく。早く退院したい。そうしないと暗くなってから放り出されても宿探しも大変だし、襲われたりするリスクも高まる。退院するなら明るいうちに、できないなら翌朝にと思っていた。そもそも自分がなんという病院にいて、どこに所在しているかも知らないのだから、不安でしかない。

夕方になり、再度病状チェック。ついにOKがでた。しかし、もう夕方早く宿を見つけたりしなければ。とりあえず、退院して病院を出る。退院はあっさりだった。特に手続きもなく。タクシーを見つけて、とりあえず登山前に泊まっていた宿まで連れて行ってもらう。しかし、満室。なんでこうなるのか。という嘆き。次どうしようと考える考える。ぐるぐる考える。

送信者 Aconcagua&Patagonia

まずは、wifiにつないで、山の仲間からの連絡を見た。荷物は登山エージェントであるアイマラ(アコンカグアトレック)オフィスに届く予定だった。まずは、荷物を受け取ろうと思い、再びタクシーに。しかし、厳密に場所を覚えていない。しまった。近くの公園は覚えていないので、そこを告げて出発。しかし、まったく違うところで降ろされた。ここが公園だと。もうひとつないか?と聞くがここだと。らちがあかず、降りることに。そして、町の人に聞きながら。

方向は分かったので、歩き出した。住宅街を歩いていると、怪しい2人組の兄ちゃんがこっちを見ている。あ、狙われてる。そう感じた。旅をしている者の直感だ。まずいから、適度に振り返り牽制しながら、早歩きで差を広げる。もちろん、着いてくる。あとは、ダッシュ。しかし、肺水腫で心肺機能が衰えていることにダッシュして気づく。走れない。。。どうしようと思ったときに、横をタクシーが通った。飛び乗った。セーフ。

そして、公園まで連れて行ってもらった。ここは、観光局があり、パーミットを取ったところ。観光案内所で登山エージェントの場所を聞き以降としたら、同様の午後と日曜は休みと。。。マジで。でも、とりあえず行ってみると、やはり休み。これはまずい。何もすることのないメンドーサの町で一人2日間もぼーっとするのか。つらすぎる。安宿があるエリアを聞き、そこを目指した。

送信者 Aconcagua&Patagonia

安宿があり、宿泊。普段ならドミトリーでいいのに、なぜかその気にならずシングルにした。何も食べる気にならず、外に出ても店もないので、フロントでスプライトの大きいやつを買い、それだけ飲んで寝た。疲れていたのかあっと言う間に眠りについていた。