月別アーカイブ: 2014年1月

ハラペコ登山隊 

アコンカグアに行くと決まったのは今年の7月ぐらい。
メンバーが集まり始めて7人で行くことに。
それから半年かけて準備をしてきた。
しかし、直前になるまでチーム名がなかった。

夏のPTLの時は結成直後(正確にはエントリーのときにTEAM JAPON)に決まっていた。

そこで、みんなでアイディアを出し合った。

はじめての、アコン♪
高所愚連隊
へなちょこ登山隊
おむすび探検隊
などなど

ただ、どれもしっくりこない。
そんな時、参加者以外から募ったアイディアでいいチーム名がでてきた。

ハラペコ(HOLA PICO)登山隊!

スペイン語で
HOLAは「こんにちは」
PICOは「頂上」

こんにちは頂上!なんていいセンス。
日本語のハラペコも、大盛り大好きな僕らに取ってはマッチしてるし。

でも、頂上には立てなかったけれど、スペイン語圏の山に行くには最高なチーム名。

送信者 Aconcagua&Patagonia

高山病対策メモ

水を4リットルは飲む

トイレは我慢しない

ピーボトルを絶対持つ。

とにかくゆっくり登り、ゆっくり降りる

休息日は絶対に高度を上げない。水平移動するのみ

事前に高度順応をできるだけする

スケジュールに余裕を持たせる

寒くないように、暖かくする。

食べ過ぎない。よくかんで食べる。

送信者 Aconcagua&Patagonia

2013年は仲間がいるっていいなと感謝した年

PTL
アコンカグア
仕事

昔は個人主義だった。
トレランも一人だった。
登山も一人で行っていた。
仕事も自分が完璧にできればいいと思っていた。

でも、いくつもの重なりがあり、考えは変わっていった。

仲間とできる喜び。
一緒にゴールへ向かって楽しいことも苦しいことも意見がぶつかることも共感することも含めて切磋琢磨できる喜び。

個人主義の時代があったから、一人で何でもできるスキルはついたと思う。
仲間と一緒にやっていっても、個人で完結できるぐらいのスキルをみんなが併せ持っていないといけない。
そうしないと、おんぶにだった子になる。
そう考えると個人主義の時代があってよかったと思う。

さらに、一人の時代があったからこそ、仲間と一緒にチャレンジする喜びをいっそう感じられる。

そんな風に思うのは、この1、2年だ。
仕事もトレランも登山も、そういった出来事が重なった。
特に2013年。

ただ、重要なのは一人じゃないと当事者意識が薄れることがある。
徹底的に調べて準備したりとかしないこともある。
誰かに頼る。
これは危険だ。
仲間と一緒に共同しつつ、自分ではしっかりと調べ上げ準備を怠らない。
この姿勢を常に持ち続けるようにしよう。

もしくは、明確な役割分担をして、お互い共有するようなフローや体制をしっかり作ろう。

これができてチームとして何かに挑戦できたら本当に最高だな。

送信者 Aconcagua&Patagonia

ゴールすることが目的じゃなくても、ゴールしなきゃならないという事実

ゴールすることが目的じゃなくても、ゴールしなきゃ”気がすまない”という事実。

ゴールが全てじゃないというのは強く納得する。
やろうと決めたことはやったに等しいとブログにも書いたことがあるぐらいだから。
やろうと決めて、実際に本気でチャレンジすることは、やりきった時と同様にいろいろと考えを巡らせて準備をして、その覚悟で挑むのだから。
何かをやったことによって学び取ることがゴールした時としない時、どちらも得られるものがあるからという意味において。

でも、結局はゴールしないといけない。
ゴールしなきゃならない。
ゴールしなきゃ気がすまない。

角幡さんは、著書「空白の5マイル」のエピローグとして、このように書いている。

『一人で行くこと』
『携帯電話など外部と通信できる機器を持たないこと』
を旅の条件としている。

当然、それらがあれば目的にたどり着ける確率は格段に上がる。
でもあえて、それをしない。
理由は、「目的地にたどりつくことが目的じゃないからだ」と言う。

『死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。』

『リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。』

『あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育・・・、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。』

この角幡さんの言及に関しては、全面的に同意する。

ただ、目的地にたどりつくことが、目的じゃないといっても、手段も含めて自分が設定したゴールにはたどり着きたい。
目的地を「単純に場所」という意味であれば納得するが、目的地というものは単純に場所を意味するよりも、そこにたどり着く手段も含めた目的地だと違うと思う。
それも含めた意味の目的地にはたどり着きたい。
たぶん、角幡さんも同じ意見だと思う。

富士山に登頂するのがゴールではなく、富士山に走って登るのか富士山にヘリで山頂に立つのか、そういった手段も含めての目的地(ゴール)にはたどり着きたいはずだ。
そこを踏まえての自分の納得感。自分の目的地、自分のゴール。

他の人から見たら些細な違いかもしれないが、自分で決めた自分のルールにしたがって成し遂げたい。これがゴール。

ゴールと自分で決めたものに対して、ゴールできないことほどじれったいことはない。
周りの人からしたらどうでもいい、社会の評価もどうでもいい、そこには自分の心の納得感、自分の気持ちに全てのゴールがあるのだから。

送信者 Aconcagua&Patagonia

新年にパタゴニアで思い返したこと

新年あけましておめでとうございます。
今年の年末年始は、地球のまうら、正確には日本の真裏のさらに先、パタゴニアで迎えました。

アコンカグアが終わってから、1人でいろいろ考えたりして、いくつか気づいたことがあった。

まずは、スマホとwifiで旅がかなり変わった。
さらに、英語が通じれば日本だろうとどこだろうと関係ない。
仕事のメールも日本にいるもの同士のようにやり取りできているし。
もう、グローバルとかあえて言ってる時代じゃなくて、そんなの当たり前ってことなんだなと。

それと少し関係して、もう1人海外の旅はしないだろうなと思った。
昔はたまにネットカフェで、家族と連絡するぐらいだった。
だから、非日常感があったが、もうない。
さらに、世界の全てを知った訳では全くないが、いろんな文化や価値観に触れさせてもらった。
だから、ある程度満足したし、1人で世界中どこでも生きていけると自信もついた。
振り返れば一昨年のUTMBから海外は仲間と一緒だ。昨年のPTLも今回のアコンカグアも。

そして、仲間と海外に行きチャレンジする過程で、自分が何を求めているかが分かった。
結局のところ、信頼できる仲間と同じゴールに向かって、ああだこうだと議論しながら何かを進めることが好き。
その対象は比較的なんでもいい。けど、自分にも、自然の流れにも反しないことであれば。
仕事でも趣味でもこのスタンスは同じで、だからこそ1番大切なのは、仲間だと強く思ったし、一緒にチャレンジできる仲間に本当にありがとう。

信頼できる仲間と一緒にチャレンジするってことが好きなのは昔からだったなと過去を振り返ると改めて思う。ディベートも、会社をやったのも、NPOも、芸大も、山も、仕事も。

この1番大切自分の軸を改めて気づいた旅でした。

それでは足掛け3日かけて日本に戻ります。