ゴールすることが目的じゃなくても、ゴールしなきゃならないという事実

ゴールすることが目的じゃなくても、ゴールしなきゃ”気がすまない”という事実。

ゴールが全てじゃないというのは強く納得する。
やろうと決めたことはやったに等しいとブログにも書いたことがあるぐらいだから。
やろうと決めて、実際に本気でチャレンジすることは、やりきった時と同様にいろいろと考えを巡らせて準備をして、その覚悟で挑むのだから。
何かをやったことによって学び取ることがゴールした時としない時、どちらも得られるものがあるからという意味において。

でも、結局はゴールしないといけない。
ゴールしなきゃならない。
ゴールしなきゃ気がすまない。

角幡さんは、著書「空白の5マイル」のエピローグとして、このように書いている。

『一人で行くこと』
『携帯電話など外部と通信できる機器を持たないこと』
を旅の条件としている。

当然、それらがあれば目的にたどり着ける確率は格段に上がる。
でもあえて、それをしない。
理由は、「目的地にたどりつくことが目的じゃないからだ」と言う。

『死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。』

『リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。』

『あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。いい人生とは何だろう。カネ、オンナ、権力、健康、ささやかな幸せ、心の平安、子供の健全な発育・・・、現実的には別々のかたちをとりつつも、本質的に求めているものは同じだ。いい人生。死が人間にとって最大のリスクなのは、そうした人生のすべてを奪ってしまうからだ。』

この角幡さんの言及に関しては、全面的に同意する。

ただ、目的地にたどりつくことが、目的じゃないといっても、手段も含めて自分が設定したゴールにはたどり着きたい。
目的地を「単純に場所」という意味であれば納得するが、目的地というものは単純に場所を意味するよりも、そこにたどり着く手段も含めた目的地だと違うと思う。
それも含めた意味の目的地にはたどり着きたい。
たぶん、角幡さんも同じ意見だと思う。

富士山に登頂するのがゴールではなく、富士山に走って登るのか富士山にヘリで山頂に立つのか、そういった手段も含めての目的地(ゴール)にはたどり着きたいはずだ。
そこを踏まえての自分の納得感。自分の目的地、自分のゴール。

他の人から見たら些細な違いかもしれないが、自分で決めた自分のルールにしたがって成し遂げたい。これがゴール。

ゴールと自分で決めたものに対して、ゴールできないことほどじれったいことはない。
周りの人からしたらどうでもいい、社会の評価もどうでもいい、そこには自分の心の納得感、自分の気持ちに全てのゴールがあるのだから。

送信者 Aconcagua&Patagonia

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