月別アーカイブ: 2013年9月

PTLのコツ

PTLが想像とは違ったレースだったので、何が違ったかをまとめておく。

◆コース

かなり難しい。メジャーな登山道はほとんどなく、設置されている看板もほぼなしの道ばかり。もちろん、大会のコースマーキングもない。GPSを頼りに行くしかない。

牧草地をぐねぐね走ってみたり、川を渡ってみたり、雑草の中をかき分けたり、岩場を張って行ったり、想像を超えるかなり急登のガレ場だったり、ドロドロぐちょぐちょで滑りやすいところ、切れ落ちた超不安定な足を置く幅すらないトレイルだったり、ズルズルと滑り落ちる石のガレ場を横切ったり、全くルートが分からないトレイルだったりとかなりハード。

◆エスケープルート
 正規ルートが厳しそうだったら、大会がルート変更のアナウンスをしなくてもエスケープルートを行ってゴールしてもいい。完璧なゴールにはならないが、フィニッシャー扱いにはなる。

◆地図読み
 地図をみるよりもGPSを頼りに進んで行く感じ。あとは、タイムスケジュールとポイントごとの解説を読みながら。

◆GPS
数メートルずれることもあるので、先に走っていってGPSがずれたら引き返すといった感じ。
iPhoneのmotionXが使えた。もちろん、GARMIN eTrex30も使えたけれど、ヨーロッパの詳細地図がなかったので、ちょっと不便もあった。電池の持ちは良かった。どのエリアでもGPSはキャッチできた。GPS(ガーミンとiPhoneアプリ)は2つもって、正しいかダブルチェックが重要

いつでも取り出せるところにGPSを入れておき、落ちないように紐でザックにつけておく。

◆タイム
遅い人のタイムが制限時間ギリギリでゴールできる目安。ただ、この時間をキープするだけでもかなり難しい。最初はゆっくり目じゃないと筋肉が後半死ぬが、前半から走れるところは小走りをしないと絶対にタイムアウト。コースを探すのに時間を取られるため。

特に前半が厳しいため、第1チェックポイントを何とかクリアするのがポイント。そのため、初日のスタート直前まで寝ていることが重要。その後は睡眠時間2,3時間で進むとゴールできそう。

下りでもスピードが上がらない場所が多く、下りでも時間を詰めれないので注意。

◆水
水がもらえるとなっているエイドしか水はもらえない。沢がたまにあるので、そこで補給できるが、ちょっと多めに持っていると安心。ハセツネの2倍以上の時間(35キロで14時間)がかかるので、それを踏まえた水を持つ。ハイドレかボトルを前において、水をいつでも飲めるようにしておく。

◆エイド
エイドにはパン、サラミ、チーズ、水ぐらいしかなく、持ち運べる食料はない。それを踏まえてデポに食料を置いておく。また、その前提で多めに食料を持って走ること。水と同様に通常のトレランの2倍の時間がかかるので、それなりの食料が必要。

◆小屋
公式の小屋は24時間泊まることができる。毛布などはないので、そのまま横になる。ただ、多くの選手でベッドが満室だとすぐに寝れない。エマージェンシービビーとマットがあるとどこでも寝れそう。小屋の中は比較的温かかった。標高の高いところでは、寝れたもんじゃないぐらい寒い。

◆食料
 食べ物はいつものトレランのもの、ようかん、スニッカーズ、ビスケット、ソーセージ、カフェインジェルなど。いろいろなものがあると飽きない。
 デポは緑茶の粉、サバ缶(カンじゃなく真空パック)、バーナーとラーメン、セブンイレブンのフリーズドライが良い。

◆装備
 装備はいつものトレラン+防寒。
 ストックの取り外しが歩きながらできるようにザックを改造しておく。
 ストックは先が尖っている方がいい。突き刺して、バランスをとるため。

◆服装
 靴下の予備を常に持ち歩く。
 寒いし天気が悪いので、レインウェアはしっかりしたものを。

◆シューズ
 第2チェックポイントのデポや第3チェックポイントのデポには2サイズ大きいシューズでもいいぐらい。
 岩場はHOKAだと危険な気がする。プレートの入ったシューズかマゾヒストに硬いインソールを入れる。

◆眠気対策
 カフェインジェルをいろいろな種類。トメルミンの錠剤、カフェインの錠剤、ミンミン打破、iPodで音楽、

◆事前準備
 コースのポイントごとの詳細を書いたメモがあるので、それを熟読する。全て日本語訳して、いつでも読めるように。そして、これを訳したものと地図でコースを徹底的にイメージして頭に叩き込んでおく。それを踏まえてタイムスケジュール計画を立てておく。
 時間があれば、早めにシャモニーに入って、コースの試走をしておくとよい。

◆気温/天気
 今年は天気が良かったが例年大雨も多い。その前提で、ウェアとシューズ、靴下を準備しておく。
 夜中は冷えるため、歩きながら脱ぎ着しやすいもの。ベンチレーションが大きいものがベスト。

◆敗因
 想像していたコースよりもハードで時間がかかった。ルートファインディングに時間がかかった。コースを徹底的に調べ上げておく。
 岩場などにも慣れて、スイスイと行けるように練習しておく。
 当日入りで睡眠が足りなさ過ぎた。

◆リタイア
 リタイアしてもゴールまで送ってくれるバスがある訳ではない。下山の仕方も自分たちで探し、バス、電車のアクセスも自分たち。
 このあたりの体力を残してリタイアする必要あり。

◆注意すること
 水を飲むこと、食べること、暖かくすること、濡らさないこと、眠ること、足に負荷をかけないように走ること。

あまり騒がれなくなった12年目の911

なぜだか9月11日にどこにいたかをメモる用になって10年以上。

言うまでもなくNYでのテロの日なのだが、12年たつとあまり騒がれなくなった気がする。
時間の経過というものは、他の様々な事件を抱えることを意味し、人の脳を上書きしていく。

まあ、個人的には一度始めたので継続して書いているだけなのだが。

ということで、

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修

12回目の9月11日の記憶

いつもそばにいてくれたカメラを失った

今回のPTLの旅で、長年使っていた一眼レフカメラを失った。

旅をするようになってから、そこで出会う美しい風景を少しでも鮮明に記憶しておきたい、その時を後からより生生しく思い出したい。
そんなことを思って買った一眼レフ。

世界中、日本中、
いろいろな国を旅した。
いろいろな山に登った。

そんなとき、いつもこのカメラがそばにいた。

何十万枚撮ったか分からないけれど、自分が撮った写真はだいたい覚えている。
レンズを向ける時、いろいろな思いがその対象に向けられていた。

1枚の写真を出されれば、自分の写真かどうかはすぐに分かるし、その写真がいつどこで何を思って撮ったのかもありありと思い出せる。

風景ばかり撮っていた時も、人の笑顔ばかり撮っていた時も、日常の何気ないスナップばかり撮っていた時も。

イランの盗難でも何とか死守したカメラ。
アラスカに行ったり、様々な極地に行き調子が今ひとつだった最近のカメラ。

買い替えようかとも思っていた。
でも、結局買い替えずに使っていた。

そして、このカメラで撮った最後の写真は夕焼けに染まるモンブランだった。でも、この写真を見ることは永遠にないだろう。

その写真がないことも残念だが、愛着のあるカメラ自体がなくなったことが物悲しい。

さよなら、今どこにいるのだろう。

いつか新しい一眼を買うのだろうけど、なんだか、すぐにはそんな気にならない。

送信者 青空と雪の硫黄岳20130104-05

目標を正しく捉えることと誤認によるチャレンジ

今回のPTLは目標(レースの内容)を間違って捉えていた。
どんなコースなのか、どれぐらいの制限時間の厳しさなのか、エイドはどうなのか、といったことを正しく認識していなかったことが、最大の敗因だと思う。

間違ったゴールをイメージして、それに向けた準備をいくらしても、ゴールには近づかない。
正しくゴールを認識すること、いかにこれが大切か。

レースじゃなくても、仕事でも、人生でもそうだと思う。
ゴールを正しく把握するために使う時間は大切だ。ここをおろそかにしてはならない。

一方で正しく認識していたらPTLにチャレンジしていなかったかもしれない。
誤った認識(甘い認識)だったからこそ、スタート地点に立った。
それによって、普通じゃ出来ない非連続の成長可能性もある。

非常に難しい塩梅だけれども、この辺りが何をするにしても肝だなと思うし、ここのラインのせめぎ合いが面白い。

時間も、金も、情熱も、命もかけた勝負に負けた

PTLというレースに挑戦することを決めてから1年間、真剣に準備をした。
体力をつける練習、3人の呼吸を合わせるための合同練習、GPSなどの装備の使い方の練習、服装やシューズ、食料などの調達まで、どれも今まで以上に真剣に準備をした。

時間も、金も、情熱も、命もかけた。
そんな勝負で負けた。

それは、PTLというレースが今までで最も未知の大会だったからだ。日本人の過去の出場者は1組。UTMBと一緒に行われるレースとは思えないほどのマイナーさ。情報はフランス語中心、過去の参加者の情報も少なかった。

そんな中、過去の日本人出場者に話しを聞いたり、英語を解読しながらレースのイメージを作り上げて、それに向けて準備を重ねた。

いろいろなアクシデントがありながら、レース当日にシャモニーに入り、盛大な応援の中スターした。天気も良く好条件だった。長いレースだし、最初は抑えめにスタートした。真夜中の山を登って行く。最初は先行するランナーのヘッドライトを頼りにすればルートを探す必要はないが、慣れておくために自分でGPSを見ながら進んだ。

最初は制限時間に対して貯金があった。しかし、さらに進むと貯金は減った。休んだ訳でもペースを緩めた訳でもなかった。そこでペースを上げてみた。この時一番驚いた。制限時間に対して貯金がなくなり借金が出来ていた。ペースを上げたはずなのに。。。このレースの恐ろしさを感じた瞬間だった。ただ、そのことを口にしても焦るだけなので、増田さんと「もしかして、あれですよね」という会話で終らせた。

天気はよかった。一晩目をくぐり抜け、朝を迎えた。モンブランの夜明けは美しかった。この世とは思えないほどの広く美しい世界で、音のない、別世界だった。ただ、日本からの移動の疲れと徹夜の疲れがたまっているのは事実だった。小屋で元気をつけようと、温かいパニーニを食べた。さらに進んで行く。何度も何度も分岐で迷いながら、道を確かめながら進んで行った。ルートが示されていないと言うのはこんなにも困難でペースが落ちるのかということを実感しながら。

30キロ過ぎから危険地帯があると事前に記されていた。想像を超えるような場所で、リッジを歩き、岸壁をつたって降りた。岩場で選手の渋滞が出来ていた。なんとかして、クリアした後も急な下りや岩場などが続いた。こんな場所が多いとは。いっこうにペースは上がらない。焦りが出てくる。

37キロのエイドに着いた時、スタートして14時間以上たっていた。こんなことになるとは、考えてもいなかった。通常のトレランの大会の2.5倍以上の時間がかかっていた。UTMBの2倍の距離プラス地図読みプラス危険地帯が数カ所という認識だったがPTLは大きく異なっていた。

このエイドでたくさん食べて、食料ももらってスタートするつもりがパンとチーズとサラミ、そしてジュースしかなかった。ザックに入れて持って行くビスケットやチョコがなく計画が狂った。しかたなく、パンとチーズをジップロックに入れて持ってスタートした。

この後も、道が不明瞭な場所や廃道を行くルートなどが続く。そして、雨も降り始めた。下りのトレイルは小走りで進んだ。そして、マグラントという町に着いた。雨と雷があった。この先は山岳地帯が続くので、この先の小屋と大会本部に電話をした。小屋には夜中でも泊まれるかの確認。大会本部にはエスケープルートに変更にならないか。小屋は泊まれ、コースは正規ルートのままとのことだった。

先へと進んだ。急な登りが続き、眠気が襲った。その後、また大きな岩壁が現れた。ここを鎖をつたって登って行く。鎖があるので安全なのだが、高度感はある。ここを抜け、牧草地帯へ。岡野さんが低体温症っぽくなり、急いで服を重ね着した。そんな広く続く牧草地帯で夜がやってきた。どこがルートなのか分からず、いくつものチームがそれぞれの思う方向へと走って行った。他のチームに着いて行くのが正解でもないので、3人でルートを確かめながら。

ドロドロでぐちょぐちょなトレイルで、靴がたっぷり水を含み、ソールはドロをまとった。重く自由に動かない足を引っ張り上げながら進む。暗くて気づかなかったが、横は切れ落ちていた。慎重に慎重に。危険そうなところはストックを強くさして、支えてから進んだ。僕が足の置き場に迷っていると、増田さんが「いくら時間がかかってもいいから、慎重に!」と声をかけてくれた。

さらにドロドロのトレイルを進んで行く。怪我をしたのか選手が一人座り込んで、チームメイトが支えていた。僕らは先に進んだ。またドロドロの超急登が現れた。ストックを強く地面に刺しながら、スピードを上げて勢いで登って行く。ゆっくりだとずり落ちる。すると、その先にヘッドライトの怪しい動きが。道を迷っているのか、慎重に移動しているのか不思議な動きだった。すると、石がザアッーと落ちる音とともに人の声がした。少し滑り落ちたようだ。どうやら、砂利のガレ場を横切らないと行けないらしい。

岡野さんもここで少し滑り落ちたが、這い上がって登山道に辿り着いた。そのとき「こんなの、おかしいよ」と、か細い声で本音がぽろっと出た。俺も慎重に慎重に進んで行った。この先に小屋があるはずだった。しかし、ルートが分かりづらく見つからない。何度探しても見つからない。僕はうとうと寝てしまった。すると、増田さんが叫んで起こしてくれた。ヘッドライトを交換する増田さんも、電池パックの位置を間違えるというありえないミスをするほどの意識レベルだった。

後からきたチームがこっちだというので、ついって行った。するとトレイルが現れた。山小屋はそこから遠い場所にあった。一度寝ないといけないということで、小屋で寝ることにした。しかし、この小屋で寝ることは、制限時間をオーバーする、すなわちリタイアを意味していた。それでも、ここで寝なければ危険だという判断を3人でして、寝ることにした。増田さんは「行くか、生きるかの判断」だったと後から話していた。

翌朝小屋にいた大会関係者に起こされると6時30分。20キロ先の関門までに5時間30分のみ。今までの距離と時間を考えると無理だった。ただ、遅くてもいいのでとりあえず第1関門まで行こうとしたが、そこに行っても到着する頃にはすでにデポバックもないし、そこからは自力でシャモニーに戻らないといけないとしった。しかたなく、小屋の人に聞いて近くの集落に降り、バス、バス、電車、電車という乗り継ぎを重ねてシャモニーに戻ることにした。バスの本数も分からないため、シャモニーに戻るのに2日ほどかかるかもとのことだった。

近くの集落への道も分からないので、人がいたら聞きながら進んで行った。途中に大きなアイベックスがいた。2時間ほどで集落に到着した。そこから、バスを乗り継ぎ電車を乗り継ぎシャモニーへと戻った。足が動かなくなった訳でも、実際の関門に引っかかった訳でもないのに、こうして、考えもしなかっ結末でPTLが終った。

シャモニーに戻り、ゴールを見るととんでもないくらい悔しい気持が込み上げてきた。今回のレースの経験は今までにないコースや地図読み、そして三人での参戦、結果として想像もしていない地点でのリタイアと、とても学ぶことの多い経験だった。とはいいつつも、実際はただただ悔しい。歯がゆい。どのようなレースかをもっと把握して挑まなかった自分がじれったい。ただ、PTLというレースに対する思いは以前とは比べ物にならないぐらいに強くなったのは事実だ。いつの日か。

送信者 TEAMJAPON