日別アーカイブ: 2013/3/8 金曜日

ナンセンスなことを言うときはナンセンスだと言う明確な意識を持って

ナンセンスなことを言うときは、最低限ナンセンスなことを言っているという明確な意識を持って伝えるべきだ。

センスとは自分の感覚だ。だから偏りは必ずあるし、それでいい。

ただ、偏りすぎていても問題なのも事実。周りのセンスの良いと感じる人と照らし合わせながら、見習いながら、自分のセンスを核にして磨いていく必要がある。

ただ、一人で生きている訳ではないから、ナンセンスなことにぶち当たることもよくある。基本的には、ナンセンスなことを言う人や組織に、なぜナンセンスかを明確に説明する必要があって、センスのある方向に正すべきである。もしくは、自分がセンスの良いと思っていたこたが、実はナンセンスだと分かるまで、お互いの理解を擦り合わせるべきである。

しかし、組織の原理だったり、今までのナンセンスな習慣にどっぷり浸かった人たちは、それがいかにナンセンスか本当に分からなくなっている。それに対抗するのはなかなか困難だ。こうしたときに、どうしてもナンセンスな方向に歩みを進めなければならないこともある。そんなときは、自分がいかにナンセンスなことをしているか、具体的に何がダメでどうしたらいいか、ハッキリと意識した上でナンセンスなことをするべきだ。

そうしないと、いつのまにか自分も組織のナンセンスな習慣が染み付いて、おかしな感覚になる。これがどんどん広まっていけば、組織は崩壊する。ささやかな抵抗だが、感覚を麻痺させないためにも、ナンセンスなことをしなければならないときは、ナンセンスなことをしている、いけてないと明確に意識し続けるべきだ。

例えば、目標というものは、人を頑張らせるためのツールで、それを達成させるための指標だ。達成すれば、任務完了だ。しかし、個人が達成しても、周りが達成しなくて、その分を達成した人に目標を安易に上乗せすることがある。

組織の原理からすれば、選択肢としてありだ。ただ、個人からすればおかしさがある。達成すれば終わりという約束の目標を達成したのに、達成したらまた上乗せで降ってくる。いったい、最初の約束はなんだったのか。

もちろんお互い様だから助け合おうという気持ちもあるだろうし、同じ組織の仲間だからというのはある。だから、ただ単に上乗せしたりせず、明確な共感を伴う理解をした上でやるべき何だと思う。そして、目標をクリアした人が、将来的にも不利にならないような工夫をして。

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