エデン、それは「この世でいちばん過酷な楽園だ」

先日、伊豆大島に自転車の練習に行った際に、エデンという本を頂いた。この本、面白いよと。

ツールドフランスを舞台にして書かれた小説だとは知っていたけれど、読んだことはなかった。そもそも、小説はあまり読まなくてエッセイばかり。ちょっと読みはじめたら、面白く小説なのに、ドッグイヤーを着けてしまうほど。ロードバイクは個人競技だけれど、実はチームで勝負するスポーツで、ちょっとトレランにも通じる物を感じた。特にフランスを舞台に3週間と言う長い時間を個人なんだけどチームで戦うというレースは、今年の夏に参戦予定のPTLと近い物を感じた。同じフランスで300キロ、トレランと言う個人競技ながら3人で走る。なんだか、重ね合わせずにはいられない。

感情の変化とか、レースに向かう姿勢、仲間との関係などなど、学ぶべき物が多かったし、こうなるのかなと思うことも多かったし、共感もできた。ついでに、ロードレースにも出てみたくなったのと、北海道などの雄大な自然を自転車旅行してみたくなった。

送信者 ドロップ ボックス

エデン
近藤 史恵 (著)
新潮社 (2010/03)

以下は、気になったフレーズ。

スポーツは精神だ、というような論調の人から見ると、苦手だからと言って力を抜くのは不真面目に思えるかもしれない。だが、三週間のグラン・ツールは世界で一番過酷なスポーツだ。休める時に休まなければ、きれいごとだけではやっていけない。
それに、勝てる可能性のないところで力を使って、このあとのピレネーまで疲労を引きずってしまう方がよっぽどまずい。
ときどき思うのだ。人生だって似たようなものかもしれないと。
P91

勝てるかどうか分からない。だが、初めて知った。そのわからないことが希望なのだと。
P117

状況を多角的に判断できる思考と、とっさに最良の手段を選ぶ勘はレースの中で養っていくしかない。若い選手はその点、あきらかに不利なのだ。
P159

集団はまるで生き物だ。選手ひとりひとりの意思では操れない
P159

「無茶はしない。自信があるからやるんだ」
そう、下りのブレーキングには自信がある。未だかつて、下りで落車をしたことはない。どうすれば危なくないかは、とっさに判断できる。
自分がうぬぼれた性格だとは思わない。どちらかというと慎重なほうだ。
だから、根拠のない自信ではない。ぼくにはできるのだ。
P203

デビュー一年目の選手にしては、傲慢ともいえるつぶやきだったのに、ひどく自然に聞こえる。たぶん、選手の格というのは年数で決まるものではないのだ。
P208

ぼくは知っている。日常と非日常の境目がひどく曖昧だということを。
慣れ親しんだ心地よい日常に身を委ねていると、世界はぼくの足下からぱっくりと裂け、赤い内蔵のような非日常が顔を出す。
逃げる術もないし、目をそらすこともできない。
ぼくたちは、世界が望むままにその裂け目に巻き取られていくことしかできない。
衝撃や痛みの中にも、救いは存在するはずだと虚しく信じながら。
P219

死の匂いは、日常に簡単に忍び寄り、そして世界を簡単に塗りつぶしてしまう。
P223

同じ行為を繰り返すことは、どこか祈りに似ている。戦略など封じられてみれば、こうやって集団でひとかたまりで、ただ進んでいくこの時間も、祈りの代わりになるのかもしれない。
P227

ぼくは思う。
ここは、この世でいちばん過酷な楽園だ。過酷なことはわかっているのに、自転車選手達は楽園を目指し続ける。
P219

たぶんぼくはどうしようもなく、そう、どうしようもなく日本人なのだろう。
ヨーロッパで何年走ろうが、その感情を変えることはできなかった。たぶん、この先十年走り続けても、フランス人になることはできないはずだ。
それはなかなかやっかいで、でもほんの少しだけ誇らしいことだと思う。
P245

送信者 ドロップ ボックス

余談、同じ週末に自転車で世界一周した友達も伊豆大島にいたと連絡をもらった。それも、自転車旅行の記事の取材だったとか。ニアミスだったけど、偶然会ってたら面白かったのに残念。

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