月別アーカイブ: 2013年2月

私をスキーに連れてって再び。

昨年のスキーに続いて、今年もスキーに行ってきた。昨年は苗場だったけれど、今回は石打丸山。

阿佐ヶ谷を朝の8時に出発して、目指すは新潟。みんなで楽しく話しながら向かっていくと、徐々に外気温が下がっていき、関越トンネルの少し前から高速の脇に雪が。そして、11キロの関越トンネルを抜けると、もうそこは完全に雪国。関越トンネルは谷川岳の下を通っており、この山の北と南でまったく気候が異なることが目に見えて分かる。

高速を降りて、お魚センター?みたいな所で、翌朝のご飯などを買い、昼ご飯は道の駅 南魚沼 雪あかりへ。ここで、地元の米を食らい、サバを食らい、角煮を食らい、うどんを食らい、サーモンを食らった。どれもとても美味しく、満腹満足。そして、併設する道の駅の売店で、またまた物色。甘酒の試飲をしたが、これがうまかった。あと、夜のために日本酒をゲット。

送信者 苗場スキー2012

お腹を満たしたら、石打丸山へ。昨年の6月にも泊まらせてリゾートマンションに今回もお邪魔する。ここに荷物を置いて、着替えをして石打丸山スキー場へ。見事に天気が悪く、雪が舞っている。視界は悪いけれど、風はそこまで強くないので、リフトは全て動いていた。まずは、スキーブーツ(26.5cm)、スキーの板、ストックを借りて、さあ、ゲレンデへ。1.5日のリフト券を買って、まずは一番ゆるい斜面のゲレンデから。

送信者 苗場スキー2012
送信者 苗場スキー2012

1年ぶりだったけれど、少しは体が覚えていて、最初から転けることなく、力みすぎることなく滑れた。恐怖心とか心配すると上手く行かないので、気楽な気持で楽しむイメージで滑った。肩の力を抜いて、重心を低くして、膝のクッションを使う。まあまあ、いい感じ。同じ斜面を何度か滑ったら、より高い場所かつ急な斜面のゲレンデへ。斜度が急になると、一気に体がこわばる。足に力が入りすぎてしまうが、遠くを見て、ゆるい斜度の時と同じイメージで滑るように。ぎこちないけれど、一度も転けることなく滑れた。やはり経験はものを言う。そして、意識的に問題を改善しようとすると、いつの間にかよくなる。

送信者 苗場スキー2012

何度かこの急なゲレンデを滑ると、だんだん楽しめるようになった。そして、再度ゆるいゲレンデに戻ると、リズミカルに滑ることができて、自分が上手くなったような錯覚にさえ陥る。気分がいいまま、17時になりリフトがストップ。15時ぐらいから滑ったから2時間ぐらいの心地よい時間だ。

送信者 苗場スキー2012

マンションに戻り大きなお風呂で雪を見ながらゆったり。こんなスキーリゾートマンションは贅沢でいいもんだ。欲しくなるが、そんなにも使わないので買わないけれど、本当に買いたくなるほど。夕食は石打ドライブインという焼き肉。ここに来たら、この焼き肉に来なけりゃ始まらない。やっぱりうまい。うまい。肉もうまいし、キムチもうまい。もう満腹というぐらいまで食べて、戻る。今回は赤ん坊も一緒に来ているので、一緒に遊んだりして楽しむ。それにしても赤ん坊はムチムチでかわいい。ちょっとお酒を飲んだらいつの間にか寝ていた。

送信者 苗場スキー2012

翌朝起きると、猛吹雪。無茶苦茶風が強い。これじゃ無理だろうと思った。実際、リフトは半分ぐらいしか動いていなかったが、とりあえずゲレンデに向かって滑ることに。風は強かったが、まあ耐えられるレベル。ただ、ゴーグルが曇るので、顔に雪を浴びながらw 午前中は新雪が積もって、スキーの板がそこにハマるとコントロールが難しかった。1回転んでしまった。まあ、怪我とかなければ失敗してコツをつかみ上達するので、失敗を恐れてはならない。

送信者 苗場スキー2012

昼になったので、スキー場をそれて雪の中を移動してユングパルナスという温泉施設へ。ここは食堂もあるので、すぐ近くまでスキー板をはいていった。そこで、ソースカツ丼やピザなどたらふく食べて、午後に備える。午後はさらに風が強くなり、リフトに乗っていると寒すぎる。風が冷たい。リフトに乗っているだけで雪が降り積もる。雪だるまになってしまうwさらに、左側から風が吹いていたので、リフトの一番左に座るとツライ。みんな右側を取るために、熾烈なバトルを繰り広げた。友達三人で大人げないが、無言で争ったw

送信者 苗場スキー2012

午後もリフトは大半が止まっており午前中と同じ場所を滑った。重心を変えてみたり、足をそろえてみたりといろいろな滑り方を試しながら、どの滑り方がベストかを探っていった。GOPEOで写真や動画を撮りながら滑った。上手い人の滑りはフォームが美しいし、速いし、何だか完璧だ。3時過ぎに終えて、マンションに戻る。天気も悪かったし、日曜の午後だしということもあって、人が徐々に減っていって最後は人も少なく滑りやすかった。

送信者 苗場スキー2012

風呂に入って汗を流したけれど、関越自動車道は通行止め、下道はトラック横転で大渋滞。そこで、部屋でのんびりして仮眠して、夜に出発することに。19時30分にマンションを出たら渋滞で全く進まず。当初はおいしいうどん屋に行く予定だったけれど、昼飯と同じユングパルナスの居酒屋でご飯。そして、9時過ぎに店を出て出発。しかし、やっぱり渋滞。湯沢方面の方が混雑していたので、石打ICから高速に乗ることに。高速は混雑していなかったが、路面は雪が凍っていた。これが高速?と思うほどの路面。あれだけ渋滞していたので、湯沢でたくさん車が来るかと思ったがほぼゼロ。たぶん、インターの手前で事故かなにかでふさがっていたのだろう。俺たちは運がよかった。その後も比較的スムーズに進み、深夜に阿佐ヶ谷着。今回もとても楽しいスキーだった。今回は前回よりも慣れて楽しめたので、またスキーに行きたいな。

送信者 苗場スキー2012

日時:2013/02/23-24
場所:石打丸山スキー場

◆忘れそうだけど、持っていくもの

リフト券を腕に巻くケース
ゴーグル
曇り止め
ネックウォーマー
バラクラバ
コンタクトレンズ
サングラス
メガネケース

完全なに力を抜くことはできないのか

今年もスキーに行って来た。
高校1年生に1回、去年1回、そして今回。
人生で3度目だ。
1回目と2回目では10年以上のブランクがあるので、去年はほぼ初めて。
しかし、今年は去年にやっていたので、体が覚えていて、去年よりも緊張感なく滑ることが出来て、楽しめた。

テクニックがないので、ついつい力んでしまうが、本当はリラックスして力を抜いた方が上手く滑れるはずである。
でも、なぜか人間はそんな時についつい力が入りすぎてしまい、パワーでなんとかしようとする。一般論として脳では分かっていても、自然と体がこわばってしまうので、意識的にリラックスリラックスと言い聞かせて実践する必要が出てくる。

一般論として分かっていても、かなり意識をしないと出来ないことって多い。我武者らな時ほどついつい忘れがちだけれど、そんな時こそ冷静になって意識的に行動や意識を変えたい。

送信者 苗場スキー2012

ということで、思い出したので数年前に書いたエントリー。
ドラフト状態の物を掘り起こし。

===

完全なに力を抜くことはできないのか?

風呂につかっていた。
腕が湯船の中にあった。

ああ、完全に力がなかったら、プカーンと浮くはずだ。
ということは、意識はしていないけれど、腕に力が入っているからお湯の中につかっている。

意識をして、力を抜いてみる。
あ、腕が浮いた。
でも、ちょっと待てよ。
腕が水面に上がるとき、ほんの少しだが意識で力を入れて上に上げようとしていた気がする。

そんな若干の力も加えないと、腕は水面に上がらない。
それは、完全に腕の力を抜けていない証拠。

ああ、肉体の力を完全に抜いて、究極のリラックス。
虚脱ぐらいには生きている限りできないのだろうか。

走っているときも泳いでいるときもどこか力が入っている。
まあ、力が入っていないと運動は出来ないけれど、もっとリラックスして無駄な力を抜いて動けたらと思おう。

でも、完全に力を抜いた状態って寝てても無理だし、死んだ状態ぐらいなのかな?

いつも忙しい人、いつも余裕のある人。

人間とか人類という単位では興味があるけれど、あまり他人に興味が沸かない。もちろん、この人はすごいとか、面白いとか、気が合うとかはあるけれど、それ以外の人に関しては全く興味が沸かない。でも、最近はいろいろと個人という単位で、いろいろと観察するようになっている。

すると、こんな風に人々が別れて見えた。

いつも忙しい人、いつも余裕のある人。
いつもトラブルに巻き込まれる人、いつも物事がうまく進む人。
いつも楽しそうな人、いつもつまらなさそうな人。

なんだか、正のスパイラルの中で生きている人と負のスパイラルの中で生きている人がいる。どちらの人たちも、自分の人生をより良く生きたいと願っているのは共通だろう。さらに、そのために意識的に考えたり、努力したり、働きかけたりしているのも同じだろう。でも、最終的な結果が残念ながら違う。

で、忙しい人はいつも忙しい。今、短期的に忙しい人もいるけれど、大半の人はいつも忙しいと言っている。余裕のある人はいつも余裕があると言っている。

これは何による違いかと言う風に見ていると、「行動パターン」と「思考パターン」が最も大きな要素ではないかと思えてきた。

行動パターンとは枠組みのようなもので、ある物事に対して自分がどのように対応するかだ。

例えば、決まりきったタスクなのに、フォーマット化していなくて無駄な作業になっている。一番最初に仕組みを整えれば後から時間が永遠に削減されるのに、その最初の手間を惜しんで無駄なパワーをかけているとか。基本的にルーチンワークは出来るだけ頭も使わず、手も使わないようにして、考える必要のあることだけに集中すべきだろう。頭では分かっていても、実際の日常となると、出来ていない人が多い。

忘れ物を良くする人、時間に遅れる人、物をなくす人もこれに該当する。毎日持って出歩く物であれば、常に置く場所を決めて、毎日そこから持っていけば良いだけだ。

それ以外でも、適期的にやらないと行けない作業とかでめんどくさい物は、めんどくさいなと心で思わないように、やる時間を毎週○曜日○時とか固定で決める。そして、感情も持たずにさっさと済ませる。そうして、自分の行動習慣をつけて、頭を使わなくて良くする。

さらに、単発だけれど1ヶ月後にやらないといけないタスクとかは、それを忘れないように記憶しておく手段を決める。例えば、手帳を使っている人なら該当する先の日にすぐに書き込む、オンラインのスケジューラーを毎日使っている人はそこに書き込む。など日常的に使う物に書き込んでおいて、頭から抜けても絶対に漏れないようにしておく。

当たり前なんだけれど、自分の頭に記憶しておくとか、忘れそうだから心配といった風に思うと、どこかで脳が使われている。すると無駄に脳のパワーを使ってしまう。そんなことに使うと、大事なことに使う容量が減ってしまう。そのためにも、脳から抜けても大丈夫のように、習慣化したり、忘れても絶対漏れないような仕組みや行動パターンを決めておく。

もうひとつの思考パターンは、物事の捉え方だ。

例えば、
悩まなくてもいいことを悩む。 (すぐにあたふたして、混乱して、解決策を見いだせない。)
自分でコントロールできないことで悩む。
嫌なことを後回しにして、塩漬けにする。
物事を判断する自分なりの判断軸がない。
本当に重要な物を見極めず、優先順位をつけて取り組めない。

基本的にたいしたことでもないのに、悩んでいる人が多いと思う。大変な問題なんて滅多にない。基本的には人間が死ななければ大丈夫だ。それ以外の問題はたいしたことない。その心構えでいれば、まず悩まなくて済む。問題だっ!とあたふたすれば混乱して解決できる問題も解決できなくなる。悩まないと冷静に物事を判断して、解決に導きやすい。

さらに、コントロール可能なことにたいしてだけ取り組むべきであって、自分がコントロールできないことをどうにかしようと努力してみたり、コントロールできないことに対して悩むといったことはやめた方がいい。

嫌なことや苦手なことを後回しにする人がいる。自分がやらなくてよいように済ませれるのであれば、それでもいいかもしれない。けれど、絶対にやる必要のある物ならば、さっさと済ませるのがいい。残しておくと、あれをやらないといけない。。。と脳の片隅に常にあって、他のタスクの妨げになる。そんなことに脳の一部を使われていると、大切なことに脳を100%使うことが出来ない。さっさと嫌なことを片付けてしまえば、気分もスッキリしてメリットしかない。

自分の判断軸がない人も意思決定に時間がかかり答えがでない。別に何でもいいが、何を元にジャッジするかがないと、毎回判断の結果が変わって信頼されないし、問題の原因にもなる。軸なんて、より儲かるでも、より簡単とか、よりかっこいいとか、客観的なことでも主観的なことでもいいと思う。

最後に、これも問題、あれも問題といって、いろいろなことに手を出すと忙しくなってしまう。重要な物、一番インパクトのでかい物を見極められず、思いついたことから片っ端に手を付けたり、ただ頑張っていろいろやればいいと思っているのも最悪だ。インパクトのあるもののみ改善を行って、そしてその結果を見た上で、次の打ち手を打つべきなのだ。

なんだか、この内容は安っぽいビジネス書みたいになってしまって、イマイチだなと思う。こんなものをアップするのも恥ずかしいが、いつも忙しい人といつも余裕のある人。これの違いはちょっとした行動パターンの違いとちょっとした物事の捉え方の違いなんだと思う。忙しい状態の渦中にいると、ちょっと引いた視点で見ることが出来なくなって、負のスパイラルに陥るが、そんな時でも第3者的な視点で見て、行動と思考パターンを修正できるような人でありたい。

送信者 パプアニューギニア2011

歴史は繰り返すってことと、グローバルって話

お店のトイレの中に「ハロウィン」って書いてあり、ハロウィンって実際のところ何なのさ?とふと思う。
まあ、クリスマスと似たような感じで日本に輸入されたんだろうと、一人で納得する。

お祭りごとは地域を超えて伝わっていくんだな、と再びふと思う。
そういえば、昔のお祭りも地域ごとに似た祭りが多い。
仮面をかぶる祭りは沖縄や鹿児島に多い。
東南アジアや南の島から伝わったとも。
神田道夫さんが乗っていた気球が太平洋に落ち、その後悪石島に流れ着いている。

獅子踊りは東北地方。
もちろん少しづつ異なるけれど、地域で似ているということは、伝わっていったのだろう。

ワタリガラスや熊の類似した神話は、北海道、ロシア、アリューシャン、アラスカと続く。

そう考えると、昔と比べて伝わる距離が長くなり、伝わる時間が短くなっただけ。
それがグローバルってやつなんだろう。
本質的に起こっていることは、昔おこっていたことと変わらない。
表面的なことは変わっていても、その原理だったり、枠組み(骨格)だったりは同じ。

昔に今よりも狭い範囲で起こっていたことをしっかりと読み解けば、今の世の中でも何が起こるかがわかるのだろう。

と、考えていたら、歴史は繰り返すなーと。つくづく思う。

言葉面だけではなく、実感として最近やっとその意味がわかってきた。
自分はまだ若いし、歴史が好きで勉強しているわけでもないから、どれだけかはわからないが、経験を通して感覚で歴史は繰り返すという意味がわかった。
ブログ、SNS、ツイッター、スマホのアプリの流行方とその普及、衰退のサイクルを見ていると、同じようだと思い、そこには人間の基本的な感情が根底に存在している。
リーマンショックなどの金融危機を見て思い、エコだなんだというグリーンニューディールを見て思う。東日本大震災と原発、そして自然エネルギーの話しも。アベノミクスにしても。

もっともベーシックなこと、自然のあるがままを元にして物事を考えれば、大きく道を踏み外すことはない。冷静にものごとを見ていたい。

送信者 岐阜

すれ違う船の出会い

フェリーがすれちがう。顔もはっきり見えないけど手をふりあう。

なんだか幸せだ。知らないけどお互いの旅を祈る。

こんなんで幸せを感じるのは旅人なんだろう

船旅が好きだ。
大きな船にのり、まだ見ぬ地へ向かう。

港を出ると、手を振る人。
そして、小さくなっていく、人、車、家、山。

いつのまにか、周りは大海原。
太陽が照りつける。

潮風が心地よい。
全身で風を浴びながら、ああ、旅の中にいると。

デッキで寝転んだり、音楽を聞いたり。
そして、夕日、星空、朝日。

心地良い時間の連続。

何もしていなくても、目的地に移動しているという安心感。
何もかも目的を見いだしたくなる現代病だけれど、何かしているという充足感は確か。
そんななか、のんびりできる。

誰にも邪魔されない。
ちょっと隔離されたような空間。

そして、また新たな地に到着する。

送信者 小笠原