超越した建造物はもうできない

夜飯を友達と食いながら、テレビ番組の制作の話しになった。
ここ最近はお金がなくて、いかに制作費を安くして、視聴率をとれる番組を作るかが一番考えていることだと言う。
もちろんテレビ業界は以前とはかなり変化があったのだろう。
別にテレビ番組に限らず、何かクリエイティブなものを作り上げる時において、情熱と時間とお金は切っても切れないものだと思う。

安いから全てダメな番組だとは思わない。
でも、いい番組を作る時にはお金がかかることがある。
お金がないと作れない番組もある。

これって、もっと大きな視点で言うと現代社会では超越した建造物が出来ないんだろうと思う。
情熱と時間があって、とても素晴らしい絵画は生まれるかもしれない。
彫刻も写真も本も生まれるかもしれない。

けれど、建造物にはお金がかかる。
生きている間に必ず評価を得る芸術家は建築家だと言われるように、その時代に評価を得なければお金がかかる建築は出来ないのだから。
(もちろん金をかけない建造物で興味深い物もある。例:自分の住処

現代と言う世界では、だからもう超越した建造物はもうできないんじゃないのだろうかと思う。
サグラダファミリアが出来たら、それが最後の超越した建造物になるのだろうか?

From Spain
From イラン

4年ほど前に書いて草稿にしてあった文章。

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タージマハルを見てふと、思う。

25年ぐらいかけて、大理石であれだけのサイズの建造物をつくる。
現代社会では考えられない。
たぶん、投資対効果が見合わないからだ。
現代社会でも、利益を生み出せたりするものはある程度の建造物が作られるが。

芸術作品でも、そんなに長い年月や人を使った作品は知らない。
美術館でも集客ができるものはすごいゴージャスなものとかあるが、それも程度があるレベル。
あとは、企業のCSR活動というかメセナっぽいもの、社長のどうらくもあるが、あそこまでの建造物はできるとは思えない。

当時は貨幣経済じゃなかったから、資本主義バリバリじゃなかったからこそ、ああいった建造物がいくつも作られたんだろうな。

圧倒的な建造物というのは、当時から宗教とか王が作ってきた。
結局の所、いろいろな文化圏を旅して超越した建物は宗教的な建造物ばかりだった。
教会、モスク、神社、寺などなど。
やっぱりそういったものってすごいな。

こういったことに関しては詳しくないが、今あるのはサグラダファミリアぐらいかな?

2008/1/2

From インド

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