自分の住処

布団を頭からかぶって、自分だけの閉ざされた空間を作る。
これが、一番最初の自分の住処だった。

たぶん幼稚園の頃、冷蔵庫が入っていた大きな段ボールに入って生活していた。
中には座布団を敷いて、おもちゃなどを持ち込んでいた。
段ボールの内側にはテレビをペンで書いた。
20年以上も前に超薄型テレビが俺の段ボールには設置されていた。

公園のジャングルジムのような遊具の外から見えない奥の場所に、入り込んで秘密基地として遊んだ。

それから、小学生ぐらいになり、木の枠で囲まれた荷物を置く三角のエリアを住処とした。
夏休みなどの限定だったが、そこに机を起き、勉強道具なども置いて、生活いしていた。

冬は勉強机の下に毛布などを設置して、自分の空間を作ったりもした。

中学生の頃だったか、母親にホームレスを体験してみたいと言った。
純粋にホームレスの人の生活スタイルを経験してみたかったのだ。
そうしたら、母親にお前は一度やったら病み付きになるから止めなさい。
そんな風に言われたことを思い出す。

大学に入ってからも、一人暮らしの家は秘密基地の様で面白かった。
芸大の友達と寿町に訪れて、泊まったこともあった。
芸大の友達が作った、苔の家などを作るのを夜な夜な手伝ったこともある。
それに、大学4年生の卒業間近なタイミングでは家を引き払い、レンタル倉庫だけを借りてしばらく過ごした。

そんな記憶を蘇らせてくれた本が、坂口恭平さんの「ゼロからはじめる都市型狩猟採集生活」と「TOKYO 0円ハウス 0円生活」だ。
かなり前から、坂口さんの名前は知っていたり、coyoteなどの雑誌でチラッと見てはいた。
そして、気になってはいたのだが、本をじっくり読む機会がなかった。

年末に「ゼロから・・・」を読み、今日「TOKYO・・・」を読み終えた。
とても興味深くて、どんどんと読み進めた。

家と言う物に対するスタンスが非常にしっくりきた。
ホームレスの人の家というだけでは説明がつかない、身近にある物をフルに活用して、かつ移動可能であったり、自然災害にも対応できてしまう家。
人が生活することに必要な面積、機能ありきで、家ができるという発想。
そして、自分が自分の住む場所や住んでいる家の事を全て把握していると言うこと。
だからこそ、修理も出来るし、災害があっても対応できると言うこと。

とても共感する部分が多かった。
やっぱり、自分で家を造りたいなと思う。
知らぬ誰かが設計して、知らぬ誰かが建築し、どんな構造かなんて自分では分からないするマンションを、都会で何千万もだして買う気にはどうしてもなれない。
たいそうな物でなくても、不便なく住んでで生活できる、ただそれだけでいいのだ。

坂口さんの他の本も読んでみよう。

From パプアニューギニア2011

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