「大人になっても、飛ぶ夢を見る」鳥人間コンテスト観戦記

遡れば二宮忠八までいくのだけれど、今回は前振りを短めにして、数年前の出来事からにしよう。

「飛ぶ夢を見た」という写真を見たのは、ちょうど6年前だった。それは、2004年7月25日。この日に特別な意味合いが付加された後だったから、写真に対する印象が変わったこともあるだろうけれど、それを抜きにして考えても、印象深い写真だった。真っ青な空に、真っすぐに昇っていく飛行機とその雲。そして、何よりもこの写真のタイトルから、空への憧れを膨らませたのだった。そして、それからちょうど6年後に、鳥人間コンテストをこの目で見るとは思ってもいなかった。

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本気で鳥人間コンテストに出場したいと思ったのは去年からだ。それまでも、小学生の頃にワクワクしてテレビを見ていた。ただ、自らが機体を作り、飛びたいとまでは思っていなかった。けれど、昨年、飛びたいと思った。明確なきっかけを説明しようとしても、それは出来ない。でも、小さい頃にみた鳥人間コンテストやスカイダイビングをした経験、山の頂から空を眺めた経験、カラスが飛ぶのに自分は飛べないと言うことに気づいた瞬間などと言ったことの積み重ねだろう。

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飛びたいと思い調べた。そして、昨年は大会の説明会に参加するためにわざわざ琵琶湖まで行った。ただ、出ようと思って1年で準備できる物でもないことも知った。それは時間的、技術的、人的、場所的な要因から。ただ、それからも、知り合い経由で設計図をもらったり、経験者を紹介してもらったりしていた。

ただ、なかなか前に進まずにいた。まずは見ないと始まらないと言うことで、今年の鳥人間コンテストの日程を調べて見に行くことにしたのだ。富士登山競争を終えて、東京に戻り、水泳をして、飲み会をして、そのまま夜行バスで行くと言う何とも素敵なスケジュールで。

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24日、土曜の朝、米原駅に着いた。1年ぶりにくる米原駅は相変わらず殺風景だった。タクシーに乗って会場まで行こうかとも考えたけれど、時間もあったので1時間ほど歩いて会場に向かうことにした。上空にヘリコプターが飛び、会場が近づくにつれてモーターボートの数が増えていった。湖の上にポールも立っていた。ついに来た。

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会場周辺では関係者や近所の人などが観戦していた。湖上には、高さ10メートルの発射台が設置されており、心をワクワクさせた。僕が到着したときはちょうど、プロペラ機のタイムトライアル部門が始まったときだった。プロペラのタイムトライアル部門は、(確か)1キロ先にあるポールを回って戻ってくるまでのタイムを競うもの。確実に飛行することと、無駄なく旋回すること、飛行スピードがでることが勝利の条件になる。これを実現するにはかなりの技術と経験と資金とメンバーと時間がいる。それにも関わらず、どのチームもレベルが高かった。素晴らしいフライトは風を捕らえ、空を楽しそうに飛んでいた。見てるだけで僕も気持ちが良くなるフライトだった。

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メンバーが一生懸命に押し出して発射台から飛び立つと、緩やかに落ちるもののふんわりと浮かび安定した。そしてパイロットがプロペラを必死でまわし、前進していった。折り返し地点を周り、再び戻ってきた。高度が低くなり着水しようとすると、パイロットがまた必死にペダルを踏み、持ちかえすということが何度もあった。見ていて思ったのが、パイロットの操縦テクニックが非常に重要だと言うこと。高度の保ち方、体力の配分、風向きを読んだ上でどのコースで飛ぶかなど、非常に大切で難しいことが多いようだった。戻ってくると、ゴールし着水した。着水すなわち水に突入し大破だ。ただ、優秀なパイロットであるほど、ゆっくり着水し機体へのダメージが少ないようだった。

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一通り見終えると、場所を移動して発射台の後ろに移動した発射台は浜から続いており、次に飛ぶチームが並んで待っていた。そして、湖畔には全てのチームが場所を決めて機体を組み立てたり整備したりしていた。大きなトラックで琵琶湖まで機体を運び、湖畔で組み立てていたのだ。それらの機体の形はさまざまだったが、翼の大きさ、流線型のボディは共通するようだった。

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お昼を過ぎて、暑さが増してきた。とても強い日射しが降り注ぎ、機体をアルミ箔で覆ったり、濡れぞうきんで拭いたりするチームもいた。僕は、鳥人間コンテストのTシャツをついつい買ってしまった。それから彦根ビューホテルでバイキングのお昼をとった。午後からは滑空グライダー部門。この競技は荒削りのチームも多く、ドボンのチームと数百メートルのチームに差があった。プロペラ機よりも簡単に作成できるし、サイズも小さいため初めてのチームも参加しやすい。俺が出れる可能性はやはりグライダー部門と確信した。だからこそ、ほとんど飛べないチームも多かった。さらに、チームによって機体の形も異なっていた。そこで、各チームの機体を撮影し参考にさせてもらうことにした。

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飛び立つ機体に夢を乗せ、毎回離陸を見ていた。気持よく飛ぶと、僕も夢が広がった。もちろん僕なんかよりもパイロットやチームメンバーは、大きな夢を機体に預けていたのだろう。そして、お応援団の元に戻ってきたパイロットはみんなから祝福されていた。

次は僕も夢を乗せて大空を飛びたい。

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飛ぶ夢を見た

2 thoughts on “「大人になっても、飛ぶ夢を見る」鳥人間コンテスト観戦記

  1. teratownさん、こんにちは。

    鳥人間というと、沖縄は南風原町の「飛び安里」を思い出します。
    世界で初めて人力飛行に成功した人物ともいわれるので、
    ちょっと調べてみるのも面白そう。

  2. momomoさん

    飛び安里は知りませんでした。
    検索してみたのですが、かなり興味深いです。

    昔から人は空に魅了されつづけているのですね。

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