日別アーカイブ: 2010/5/24 月曜日

100キロマラソンの感情

薄れていってしまう前に、感情の表現を書き留めておきたいと思う。人生でたった一度しか味わうことができない、初めての100キロマラソンで沸き上がってきた感情なのだから。12時間29分41秒、100.2キロの旅の中で考えていたことや感じていたことを書き記したい。

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◆1流と5流の違いはたった1%の違い

僕は99%は走った。99キロは走ったと言える。でもそれは100%ではない。村上春樹は少なくとも最後まで歩かなかった。言い換えれば100%走り続けたと言うことだ。僕は99%走り、村上春樹は100%走った。この違いをたった1%と感じるか、1%でも歩いたら何の価値もないと思うか。ここに大きな違いがあると思う。もちろん段階としては「走りつづけた」、「少し歩いたけど完走した」、「挑戦したけどリタイアした」、「挑戦しなかった」。それぞれの間に大いなる意味の違いがあると思う。

僕は「少し歩いたけど完走した」。1%歩いてしまった。もちろん言い訳はいくらでもあって、全身に疲労が溜まっていた、足がパンパンだった、足が言うことをきかなかった。とは言っても、走ったら死ぬというレベルでは全くなかったのも事実だ。それにも関わらず1%歩いた。村上春樹はその時も走った。100キロ走っていれば誰にだって、色々な問題が発生し、痛みが伴う。疲れて歩きたくなる。でも、歩く人と走り続ける人がいる。

この歩いたといことは精神の弱さそのものだと思う。走れたのに走らなかったのだから。この精神の弱さは走ることだけにとどまらない。全てにおいて自分に甘いという証拠である。これは何も完璧なものを求めているというよりは、最善を尽くしていないということを問題視しているのだ。どんな時も最前を尽くせないということは、最終的なアウトプットに雲泥の差が生まれる。歩かなかった村上春樹は1流で1%歩いた俺は5流か10流ぐらいだと思う。この1%が大きすぎる違いだと痛感した。念のために、特に村上春樹という人物にこだわっているわけではないが、最後まで走りつづけた人の例として上げている。

◆元気な体に生まれたことへの感謝

100キロ走り切るには精神と知力も必要だが、何と言っても肉体は最も重要になってくる。脚力はもちろんのこと全身のバランスも必要になる。ある程度トレーニングをして体を作っていないと、走りきることはできない。そんな走りきる体を作るためにも健康な肉体が基礎となる。僕は運動を始めたのは大人になってからだけれど、それなりに持久力もついてきた。これは小さい頃に、栄養のバランスとかを考えて育ててくれたから、体がしっかりと出来上がっているのだろう。何よりもこんなことができるだけ健康に生んで、そして育ててくれてありがとう。ただただ両親に感謝しながら走ってた。100キロの道のりの中で、「今」走れていることは、名前の通り「健」康に育ててくれたからだと、つくづくありがたいなと感謝していた。さらに、健康な体だけじゃなくて、走るにしてもそれなりにお金がかかるので、それぐらいは稼げるように教育を受けさせてくれてありがとうとも感じた。いろんな楽しみを味わえて僕は幸せです。

肉体の話しで言うと、胃腸も大きなポイントになる。僕はあまり胃が荒れない。ウルトラランナーは胃が荒れて食えないと聞くことがしばしばある。けれど俺は全く荒れない。走っている最中に驚くほど食える。走るためにはエネルギーが必要だから、食べるという行為は非常に重要なのだ。まあ逆にトレランなど食料持つときは重すぎるほどだ(笑)。ついでに下痢になることもほとんどなく、そういった心配もほとんどない。

そして、今回のウルトラマラソンでマッサージの重要性を知った。走っている間にアキレス腱を伸ばしたり、足のストレッチをこまめに行った。大きなエイドでは服を着替えて、液体サロンパスやエアサロンパスなどを塗り付け、足の裏、ふくらはぎ、太腿と入念にマッサージをした。すると、足が軽くなった。マッサージによって足の状態が大きく改善した。以前、お風呂の大切さを知ったことがある。それは、東京から岐阜を目指してい歩いていた時に、途中で足が動かなくなるぐらいに筋肉痛になった。その時に、お風呂に入ったら足が急に軽くなったのだ。それからは時間がなくても湯船につかるようにしている。マッサージはお風呂と同じ効果があるのだなと、気づいた。

◆美しきこの世界
朝もやの湖と富士山は最高に美しかった。ゆっくりと旅できたいと思った。天気も良くて青空だったから、特に素晴らしい景色だった。今回は走っていたので、こんなにも美しい景色を写真に収めれなかった。写真が好きなので、いつも美しい景色を見ると、すぐにカメラを取り出す。けれど今回は物理的に無理だった。でも、写真に撮らない贅沢ってあると実感した。あんなに美しい風景なのに、目で見て心で感じるだけの贅沢さ。走って高揚してるからさらに美しく見えた気がする。

ちょうど花の時期でもあって、沿道に咲く桜の花や菜の花も美しかった。この世界は美しいと思いながら、走った。こんな美しい世界を満喫できることに感謝。

◆この世には「今」の判断しかないということ
全ては「今」の判断だけなのだ。今この瞬間「前に進む」のか「諦めるのか」、その絶え間ない連続で全てのことは成り立っている。それに気づいたのも東京から岐阜を目指して歩いていた時のこと。長距離を歩いたり、走ったりしていると、様々なことを感じ考える。こうした経験を通して、実感を伴う発見をいくつもしてきた。こうしたこともあって歩いたり走ったり、初めてのことに飛び込むことをしつづけているのだろう。そして今回のウルトラマラソンでも「今」しかないことを痛感した。辛くなってきて「今」歩くか、あと1歩だけ走るかという葛藤の連続だった。限界だと感じても何とかゆっくり走っていると、また辛さが和らぐことがある。そして走り続けることができた。決して諦めない。人生とはこの今に打ち勝つ、ただそれをし続けるのみなんだよな。

最後に、どーでも良いことをひとつ。今回のウルトラは人生で一番塩を出した気がする。汗をかき、それが塩の塊になる。帽子とかに白い粉が付くことは今までもあった。でも今回は顔に塩の塊ができていた。塊になってたので、自分の顔から塩をとってなめて塩分補給した時もあった。普通の塩より味が濃かった感じがした。

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走る前後の文章が残っているのも心境の変化が読み取れて面白い。

走る前のエントリー
チャレンジ富士五湖100キロウルトラマラソンのイメージを膨らます

走った後のエントリー
チャレンジ富士五湖100キロマラソン完走12時間29分41秒。悔しいけど、うれしさも強いからとりあえず書く。

フルマラソンを過ぎて見える世界「チャレンジ富士五湖100キロウルトラマラソン」完走記

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肉体が全てを吸収してくれる