すぐそこにある安らげる場所 「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」藤原新也 最高に素敵な一冊

夜の闇を走る列車に腰掛け、本をひらくと、
胸の奥から沸き上がるように涙が込み上げてきた。

昨日の日曜日に猿ケ京から阿佐ヶ谷に戻り、携帯電話でPCに届くメールを見ていた。すると、今週の土曜日にあるクリエイティブライティングのお知らせが届いていた。今回のゲストは藤原新也さんがいらっしゃるということで、課題図書が出された。それが、藤原さんの新刊である「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」であった。

阿佐ヶ谷駅の近くにある本屋に立ち寄り、店員さんに尋ねると白くシンプルな表装がされた「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」を持ってきてくれた。「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」というタイトルにも、ただならぬものを感じたが、この本の表装を見て静かなる強さを感じた。家に帰り洗濯などをして、本を小脇に抱えて再び出かけた。電車の中で本を開くと14のエッセイが収録されていた。「尾瀬に死す」という20ページほどの最初のエッセイを読みながら、涙が込み上げてきた。

自分が経験したことでは全くないし、似たよう経験もしたことがないことが書かれているのだが、その出来事がまるで自分に起こってもおかしくないような、当事者の心の動きと自分が同じような心の動きを日常のどこかで感じているような気がして、吸い込まれて行き涙が込み上げてきたのだ。その後の作品も、強く引き込まれて行って没頭して読んでいた。

どのエッセイも人々の日常の生活の中で起こりそうな出来事が取り上げられていた、その出来事は当事者にとって大きな出来事であるかもしれないけれど、日本と言う世の中のどこで起こっていても不思議ではないことだった。起こった原因というのは些細なことだったり、よくある人と人の感情のすれ違いであったり。とは言っても、当事者にとってしか分からない、どうしても解決できない問題があったりする。そんな出来事には普通に考えたらありえるはずがないような、偶然が起こることがある。ほんのちょっとした変化に気づいたり、偶然巡りあったりする。ただ、その偶然が現実性を保った偶然性であり、人が生きる上で経験する出来事の掴みきれない感情を生み出している。

人間が生きて行く上で起こる風のようなもの。波のようなもの。
ある一定の規則で波が寄せているようだけれど、ひとつひとつは全く想像がつかない波の形をしている。
様々な影響が結果として、ひとつの波を作り上げている。
そんな波と人間は同じよう。
藤原さんはこの本で人間の感情の背景を細やかに描き出している。

読んでいて、感じたり色々と考えたキーワードはこんな感じ。

都市と田舎
社会
常識
日常
人と人
人の感情
違和感

偶然

最後に藤原さんは「偶然」によく巡り会わせる。藤原さんが偶然に良く巡り会うには理由があって、写真や文章で表現している有名な方なので偶然のような出来事が寄ってくるというのと、藤原さんは細かなところも気づく鋭い視点と感性の持ち主だからだろう。

エッセイの具体的な中身を書かないと、どうしても曖昧な表現になってしまうけれども、最高に素敵な一冊なので是非読んでみてください。

2 thoughts on “すぐそこにある安らげる場所 「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」藤原新也 最高に素敵な一冊

  1. 藤原さんのご本は遠い昔「東京漂流」という著作を読んだことがあります。
    漂白者の視点から見る当時(1980年代)の東京・日本の姿というような内容だったと記憶しています。

    大変感動しました。

  2. 藤原さんの作品は、「印度放浪」から非常に面白く鋭い視点で物事を捉えて表現されているなと思い本を読んでいます。

    「東京漂流」はまだ読んだことがないので、読んでみようかなと思います。

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