月別アーカイブ: 2009年9月

葛西臨海公園ナイトマラソン大会

葛西臨海公園ナイトマラソン大会を走ってきた。
もう1ヶ月ぐらい前だけど、メモ。

はじめて走る道を暗闇の中走るのはちょっと足元が不安。
さらに人が多いと、ぶつかりそうだしイマイチかな。
気をつけないといけないので、精神的に疲れる。

タイムは10キロで50分21秒。久しぶりに走ったのでタイムは良くなかった。
10キロで45分ぐらいだと自分の中で理想的なタイム。

日時:2009年8月21日(金)サマーステージ   19時30分スタート
距離:10キロ
場所:葛西臨海公園及びサイクリングコース
記録:50分21秒
http://www.s-taikai.jp/kasai/youkou.htm

9年目の9・11

日常の一コマ。ニュースサイトを見ていた。すると9・11のニュースがちらほら目につく。
なんで9・11のニュースが出ているのだろう?と思った瞬間に、今日は9月11日なのかもしれないと思った。

普段から何月何日かを意識していないのでわからない。曜日感覚しかなくても支障のない日々を送っているからだ。

そうか、9月11日か。
すると、いつも思い出すことがある。
9月11日に自分がいる場所だ。なんで、この日に自分の居場所を意識するのかはわからない。
鮮烈な記憶とともに9月11日という日が刻み込まれたからタダ意識しているだけなのだろうか?
それとも、またこの9月11日に大きな出来事が起こり、自分が巻き込まれるかもしれないと無意識のうちに感じ、自分の最後の居場所になるかもしれない地を記憶しているのだろうか。

まあ、理由はさておき、2001年以降の9月11日の場所は記憶している。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)

ということで、今日から沖縄に行ってきます。

今年の9・11

送信者 座間味島'08

白馬岳に日は昇り、東北新幹線で日は沈む

その日は、日の出を眺めることから始まった。朝5時、場所はペルセウス座流星群を見るために出かけた白馬岳の山頂。昨日の嵐からは信じがたいような晴天の日の始まりだった。


白馬岳頂上から見る朝日

登山口から駅までのバスの本数が少ないので、その時間に合わせて急ぎ足で下山した。下山して携帯を見ると友達からメールが入っていた。「お盆に行われる東北のお祭りに来ないか」と。そのお祭りとは江刺の鹿踊と西馬音内の盆踊りだ。こういったお祭りはその時しか見れないものなので、行こうと思ったが、今から東京に戻り準備をして行っても間に合うのか、東北を走る一部の新幹線は指定席のみだが空席はあるのか、月曜日に東京に戻って来れるのか、などなど課題は山積していた。しかし、行きたいと言う思いの方が強く色々調べ、そして仕事の都合も付けた。白馬から東京までの道のりは、それらの調べごとなどをずっとしていた。

東京の家につき、テントを干し洗濯をする。その後、風呂に入り、電車の空席を探して、初日の宿を探す。旅の準備をして、洗濯を干すと出発。まずは岩手の遠野を目指す。最終電車で遠野に向けて出発だ。新宿経由で大宮へ。大宮から仙台行きの新幹線に乗車する。何も食べていないことに気づき、駅弁を車内で食べていると西の窓から夕日が差し込んできた。もう、そんな時間か。通路側の席だったので、席を立ちデッキの窓から夕日を眺めた。ああ、朝5時に昇った太陽が沈んで行く。一日と言う時間の流れを感じながら、シャッターを切った。


東北新幹線から眺めた夕日

こうして1日で朝日と夕日の両方を見ることは人生でそんなに多いことではないだろう。そんなことをはじめて思ったのはトカラ列島の旅の途中だった。夕日を見ていたとき、「ああ、今朝は日の出も眺めたな」と、ふと思ったのがきっかけだ。そして、今日も白馬岳に日は昇り、東北新幹線で日は沈んでいった。


夜の十の駅前

仙台で降り、新花巻へ向かう新幹線に乗り換える。車内では白馬岳から読み始めた池澤夏樹さんの「エデンを遠く離れて」を読んでいた。新花巻駅で下車しローカル線に乗り換え、遠野を目指す。遠野には22時頃到着した。遠野は柳田國男の「遠野の物語」で有名な地である。そんなイメージもあって小さな駅だと思っていたら、想像より大きな駅で驚いたが、そこはやっぱり田舎の駅であった。駅前は真っ暗で静まり返っていた。町中を少しぶらぶらと歩き、直前に予約した駅前の宿に向かった。いつものようにベッドに入ると3秒で眠りについたと言いたいところだが、テレビをつけたら深夜特急が放送されていた。何でこのタイミングで?と思ったが、以前も夏休みに岐阜で再放送を見たことを思い出した。夏には「旅」という言葉と行為がよく似合う。そして井上陽水の声が旅の孤独と哀愁を誘い胸に染み渡る。過去の海外の旅を思い出しつつ、ついつい見てしまい夜更かし。


夏空の遠野

(2009/08/15)
翌朝8時に起きると、駅にある観光案内所で自転車をレンタルし遠野巡り。カッパ淵、山口の水車小屋を目指す。途中にある神社に立ち寄りながらのんびりと。まぶしい青空が気分を高める。青空の田舎の道を自転車でこいでいると、それだけで腹の底からワクワクしてきた。「夏休み」と聞いたら思い描く夏休みの思い出の1ページ、をのままの世界がそこにあった。カッパ淵へ行く途中にはホップ畑が点在する。これがビールのうまみの原料なんだと思いながら、カッパ探し。必死で河童を探すけれど、発見できず。今回の捜索は切り上げた。


カッパのいないカッパ淵


夏のヒマワリ

それから山口の水車小屋へ行く。この道はゆるやかな上り坂。太ももの筋肉をフルに使いチャリをこいだ。シャツは汗でびっしょりだ。山口の水車小屋は茅葺き屋根で作られた小さな古びた小屋だった。上りがあれば下りがある。帰りはスーイスイと風を切って戻って行った。途中、小さな丘に神社があったので、自転車を止めて参拝。村の至る所に鳥居があった。小さな山の中であり、家の庭、道路の角、田んぼの中。そんなところに立ち寄りながら、遠野郷八幡宮へお参り。戊亥歳の神様ということで、亥年の俺としてはありがたみがあった。


山口の水車小屋


町中にある鳥居

いったん駅に戻り友達と合流。さて、どうするか。ちょっと遠いが電車まで時間もあるので、荒神様(荒神神社)へ行くことに。ここはthe遠野という風景だと言う。地図を頼りにちゃりんこを必死でこいで、山を越え谷を越え。家もまばらな集落に到着。ついに発見。田んぼの中にポツリと茅葺きの小屋があった。すると、友達がおばちゃんに声をかけられる。どっからきたの?東京からです。なんと、このおばちゃんは荒神様の持ち主だとか。権現様とおしら様を見せて頂く。荒神様の御神体はなんと家にあって、偽物が今は神社の中にあるのだとか。年に1度だけ本当の御神体を持って行くとか。御神体である権現様は火の神様だそうだ。獅子の様な顔をして髪の毛もあった。遠野の家には権現様がある家もいくつかあるようだが、顔の形はどこもも違うようだ。そして、おしら様は蚕の神様だとか。ガラスケースに男の神様と女の神様が入っていた。毎年、赤い布をかぶせて重ねていくらしいが、最近はしてないのだとか。そんな話しをおばちゃんがしてくれた。お盆ということもあって、息子さんの家族も帰省しており、お茶を頂きながら話しを伺った。


権現様


荒神神社

お嫁に着て30年以上立つようだが、あまり興味がある訳ではないのでどういう言い伝えなのかなどは詳しく分からないようだった。そんな貴重なものを見せて頂き、荒神様を再度眺め、帰る。しかし、予定の電車にはすでに間に合わない。まあ、いいか。ということで、ジンギスカンハウス遠野食肉センターへ行く。遠野はジンギスカンで有名だと言う。この店は肉屋と併設しており、うまかった。まだ、時間があるので駅からほど近い綺麗な川に入って遊ぶ。水が冷たくて気持がいい。夏休みな感覚を味わい、電車で江刺へ向かう。


川で遊ぶ

東北夏の祭り旅日記の続きはコチラ「江刺鹿踊。西馬音内盆踊り。」

満月の夜に八ヶ岳麓で焚き火を囲む。

満月の夜に八ヶ岳麓で焚き火を囲む。焚き火の炎を見つめたのはどれぐらいぶりだろう。重なり合った薪の下で地面をただよう柔らかい火の灯りは見続けてもあきない、揺らぎが存在している。そして、満月の光が縄文時代に人々が過ごした大地を照らしていた。


6月に那須で長屋和哉さんの演奏を聴いたのは偶然のきっかけだった。
エクアドルでお世話になった方が今は日本に住んでいて、その家でライブがあるというので尋ねたのが長屋和哉さんのライブだった。長屋さんが岐阜出身ということ、さらに僕が最近興味を持ち始めている日本の民俗文化に関して非常に知識があり、色々お話を伺ったり、旅の話しを聴いているうちに意気投合。(意気投合と言ったら失礼だと思うけど。)9月に八ヶ岳麓にある藤内遺跡で焚き火を囲いながら演奏をして、飲みながら話す場があるというので楽しみにして出かけた。小淵沢駅で下車して、スタッフの方の車で藤内遺跡へ。少し高い場所にあり、昔の人はいい場所に住居を構えたんだなとつくづく感じた。荷物を置いて、会場へ足を運ぶと長屋さんがいらして、握手。3ヶ月ぶりの再会。

野菜たっぷりのカレーを食べ、ライブが始まった。草っ原に置かれた楽器と沈みかけの太陽が非常に爽快な感情を呼び起こした。屋内で狭苦しい場よりも、大地に存在することが心地よい。お酒を飲みながら、演奏が始まった。ほろ酔い気分で、音が流れるのは柔らかな幸せを抱かせてくれる。野外だと音が発散するので、前回の屋内の様に音が反響して差し迫る衝撃はないが、発散することによる自由さ、開放感を味わいながら楽しむことができた。

その後、焚き火を囲みながら話しをした。長屋さんの話しで一回性の価値、それにしかないものがあるという内容に共感する。起こる出来事の一回性という、その時つかみ取らなければ永遠に失うものに価値、喜びを僕は感じて生きているので、とてもしっくり来る。だからこそ、偶然というものに価値を感じて旅をしている分けだし。さらに、現在の社会で騒がれるようなスピリチュアルは信じないがけれど、その根底にあるものは信じる、といった内容にも強く共感した。

そんな話しをしたり、日本の古代イスラという神の話し、ギリシャ時代のデュオニソス神の話しをする。大きな組織に属して頼らなくても10年勇気を持ってやれば何とかなるというアドバイスは自分でも考えていることなので非常にしっくりきつつ、色々と考える。二回しかお会いしていないのに、自分でギクリとすることを言われてドキッとする。茂木さんにしろ、そういった指摘をしてもらえて幸せだ。最終的には自分で考えて、決断して責任をとるんだけど。そんな話しをしつつ、9月になった八ヶ岳麓の寒さを感じつつ、夜中まで話しは続いた。

翌朝、起きるととても爽やかな風が通り抜ける朝がやってきた。井戸尻考古館で遺跡の出土品を見学して、東京に戻った。

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7月に行った石徹白の白山中居神社の創業祭とか東北の旅も書きたい。さらに5月に行ったトカラ列島の旅日記も途中だ。。。書きかけなので、早く書き残したいなー。

ぼーっとするのも予定のうち、かぁ。

他者の視点は面白い。

他者の目には「そう写っているのか」と、自分では考えが及ばなかった視点で言葉が飛び出してくる。そういった考えを聞くと自分の考えに幅が生まれる。自分自身をより客観的に見る視点を与えてくれる。分かったから何だという訳ではないが、いろいろと考えることが好きな性格なので、純粋に興味深い。

せっかち、落ち着きがない、生き急いでいる。
そうかそうか。
そう写るのか。自分ではそんなことは思っていないので、自分の中のスピード感と他者のスピード感の違いなんだろう。一人一人によって、流れる時間は全然違うのだろう。だから、ごはんを食べるスピードも違えば、話す速さも違う。もっと極論に走れば、寝る時間、住む場所、髪の毛の長さも個人の時を刻む速度と関係している気がする。さらに心拍数の速さが関わっている気がするのだが、それは別の機会に書きたいと思う。

自分の場合は、小田実ではないけど『何でもみてやろう』の精神なので、ついつい色々なところへ出かけたり、色々なことをしたいと思う。すると時間が限られているので、ぼーっとする時間は必然的に少なくなっているのかもしれない。

自分でも東京では確かに落ち着きがないかもしれないという認識は以前からあった。しかし、旅の途中はかなりぼーっとしたり、流れに任せている。そう思っていると友達に話したら、それも予定のうちで、ぼーっとするとあらかじめ決めているからぼっーとしているのだ、と言われた。ほうほう、本当に面白い見方だ。

ぼーっとするのも予定のうち、かぁ。そう言われれば、そんな気がしないでもない。

送信者 八重山2008

※このエントリーとは関係ないけど、こちらは引き続き募集中![同行者募集!]9/19~硫黄島(鹿児島)の八朔踊りに行きませんか?